2016/07/15

友達

ほんとうの心のままに口に出せ
それを受けとめてもらえる
また言葉をもらって
いつまでも楽しくて
発見して

こんなしあわせあるんだな

夢みたい
夢じゃない

ずっと出逢いたかった

大好きなあなたたちへ
心からの感謝と愛を

どうか生きていて

離れていたとしても
きっとまた会える



2016/06/27

平和を構築する

平和とはとても言えないこの社会/世界で
それでも感じられる しあわせ

そのすべての前提となっている「平和」の
かけがえのなさを感じ、共有していくことは大切なことだと思います。

今年の沖縄慰霊の日(毎年6月23日)を経て、改めて感じたのは、
人類の苦しみや悲惨さを 受けとめようと努めることは、真の幸福とは何かを模索することなんじゃないかということでした。
闇から目を背けていては、光の明るさやあたたかさの かけがえのなさが分かりません。目を背けるままにしていたら、気付かないうちに闇に呑み込まれてしまいます。

戦争は平和なときにある当たり前の、何もかもを奪います。
例え 「勝つ」側になり命が無事としても、人間の心を壊されてしまいます。
人々は、
愛することや育むことでなく、殺すこと・排除することを求めるようになり、
自分が助かるために、もしくは自分の支配力を拡大するために、誰かを標的にし攻撃していきます。
そうやって、簡単に手に入る、安心と結束の喜びを得ようとしてしまうようになります。(いじめと戦争、そして差別は同じ構造のものであるのだと強く感じます。)

私はそういう世界は嫌です。
起きている戦争、これから起きる戦争をとめたいと心から願う一人です。


戦争をとめるために、なくすために、必要なことは何でしょうか。

何かの社会的活動をすること、例えばデモにいき気持ちを表現していくこと、人と出会うことも大切なことだと思います。

けれど、おそらく最も重要なことは人と人の間にある信頼の回復がなされていくことではないかと思います。
信頼こそが人間の愛を育み、愛と愛とを結び合わせ、
愛こそが、いのちをコマにさせない根拠として最も力を持つものだと強く思います。





もうこれ以上戦争を繰り返さないために、戦争をしてきた過去に目を向けることはどうしても必要なことです。
けれど、苦しみに目を向けることは、口で言うほど簡単なことではありません。
関係性の乏しい孤独な世界を生きている人に
突然に向き合いを求め迫っても、それは無理なのかもしれません。
日本の加害の歴史や現在を見ることは、一人きりでするには、辛すぎることなのではないかと思います。

分断に分断を重ねられてきた結果、他者を貶めることでしか、人とつながる方法を持たない孤独な人たちが社会に溢れています。だからこそ、ここまで右傾化し、歴史修正主義者が大手を振っているのだと思います。

この歪んだ社会で、正義や道理を主張するのはとても大切なことです。
同時に、この不正義がどこから生じているのかを考え、
巨大な不正義を形成している一部として生きているひとりひとりのことを、切り捨てないで考え、
自分自身も不正義の一部であるという自覚を持つことが大切なことと思います。




人は、尊重されて、初めて他の人をより大切にできるようになります。
愛されて、愛せるようになる。

こんなご時勢で、お互いに余裕のない暮らしだけれど、
近所の人に挨拶するとか、労働して下さっている人にお礼を言うとか、周りの人と思ったことを話し合う時間をつくるとか、
そういう小さなことの積み重ねがあって初めて、 人間を尊重し合える世界を求めていると言える のかもしれません。

どんな状況の人とも、隣り合い生きてけるようになるための想像力。
誰しもが持っているはずの、その想像力を花開かせるため、必要な行動・表現とはどのようなものか。
お互いに助け合える人間関係は、どうやって構築され、拡がっていくのか。

戦争の対極の世界、お金や権力ではなく、いのちを大切にする世界を実現するために、そうしたことを念頭において、実践していけたらと願います。

2016/06/12

ファンファーレ・チョカリーア

久しぶりにファンファーレチョカリーアの音を聴いたら、
2008年10月18日びわこホールに彼らが来てくれたコンサートに幸運にも行けたことを思い出しました。

やー、あの時は心底たのしかったんです。
うっかり忘れていたけど思い出しました。
演奏時間が終わっても舞台から客席へ、そしてホールで(チップを集めながら)パフォーマンスする彼ら。
その隣りで音にあわせて踊ったんでした!

自分の中にたくさん宝物があるもので。

いい思い出にもほろ苦いものがあり、
悲しい思い出にもほの明るいものがあり、
忘れていく自分も悪くないけど
こうしてポツリポツリと思い出せるところにきたんだなと思ったり。

久しぶりに聴くチョカリーアの重低音。おすすめです。



2016/06/05

「私がいじめられていた時のことと、今つらい人たちへの手紙」について。

こんにちは。
ここを覗いて、私の稚拙な文章に目を通して下さるあなた。ありがとうございます。感謝します。

10年前にかいた「私がいじめられていた時のことと、今つらい人への手紙」という文章を
このブログにずっと掲載していました。けれど、この度、 降ろすことにしました。

当時、教育基本法が改悪される直前で、いじめの自殺報道があまりにも意図的にされているように私は感じていました。
悔しくて悶々としているところに、
灰谷健次郎さんの『太陽の子(てぃだのふぁ)』を読んで、心底感動し
自分にもやれること、書けるものを書かねば とパソコンに向かいほぼ一気に書きあげた長文でした。

思えば、いろんな人に読んでもらえたなぁ・・・という気持ちがあります。
みなさんに私の体験を受けとめて頂いたことが、魂の糧になってきたことは間違いありません。
「誰か」のために書いた文章が、「自分」のためのものともなる。
それは、10年経っても変わらない・・・ いえ、もしかしたら重ねた時間のぶんだけ意味を持ちえたのではないかと思います。

文章を書いたその後も
職場や個人的な人間関係の中で、同じような問題が発生し、とても苦しみましたが
それまで「死なないで」と呼びかけてきた以上、自分が死ぬわけにもいかなくて、
なんとかいのちを投げ出さずにここまで来られました。
躓きも、不幸に見えることも、ここに至るまでの道程になったのは
生きてこられたからです。
私を見守り、支えて下さった神様に、そして周りに居続けてくれた愛する人たちに感謝する他ありません。
「いじめ」られて奪われてきた、
もしくは自分の身を守るために自ら捨ててきたものを、
ひとつひとつ拾い上げ、手渡され、学びなおし、回復してきている実感があります。

そんな日々の中で、
自分の傷を世界に広く曝けることを、ちょっとお休みしたくなりました。
ひとりひとりに手渡していけるようにしたいと思いました。


それぞれ、何かしらの傷とか重荷を背負っていると思います。
PTSD(心的外傷)とかトラウマと、口でいうのは簡単だけど、
日々の日常の中に織り交ぜられる後遺症は、根深く、本人にしかわかりません。

それが誰のどっちが大変か そういうのを比べるんじゃなくて、
たった一度の人生のなか、避けられない山がそれぞれにあるってことを尊重して考えることが大切と思います。
みんな生涯をかけて、自分の中にある大きな山に向かいあって歩んでいく。

お互いの山に登りあうことはできなくても、
自分の山に向き合うことで誰かを励ませることがあるのかもしれません。

私の辛かった体験を読んでくださった方に感謝しつつ、
「今つらい人たちへの手紙」を、このブログを通して書き続けていけたらと願います。

良かったら、これからもよろしくお付き合い下さいませ。

感謝をこめて

                                     2016年6月5日



2016/05/19

信頼

信頼は
人間の根底にある愛情を育む















2016/05/10

大きなことに目を向けて
正しいことを言っている
けれど
誰かを踏みつけている自分のことには気づかない

自身が加害側だということを忘れ
被害当事者に「寄り添い」
大きな声をあげ


きっと何よりも大切なことは
利用された人たちを
これ以上 利用しないこと
だったはずなのに

正義の実現は
ここもあそこも行き詰まる


自分の正しさのみをどこまでも信じてしまう人のみがその場に残っていく

そこに希望はあるのか


2016/05/05

1991年湾岸戦争の翌日のサンダースの演説

◆古い日記の続きの日記http://kokousa.exblog.jp/というブログがあります。
とてもいい文章で・・・ いつも感動しています。
是非、みなさんにも読んでほしくって、勝手に紹介してしまいます。
(管理者さん、すみません)

上記のブログで紹介されていたアメリカのサンダースさんの1991年の演説映像に感動して、このブログでも紹介したくなりました。

ムヒカ大統領のスピーチが光を浴びていますが
こちらも広がればいいなと思います。

私たちの国は2003年からのイラク戦争に積極的に加担し、いまの泥沼の戦争と、「テロ」に怯える現状を生み出しました。

グローバリゼーションと環境破壊。貧困。飢餓。

これらの問題を引き起こす「先進国」加害側にいたはずの
私たち日本に住む人も、終わらない戦争にまた突入していき、
弱者切り捨ての構造が激化するなかで一人ひとりが潰されてきています。

こうしたことについて、
改めて考えなければならない時だと思います。





2016/05/01

71回目のお誕生日を前に

もうすぐこの国の最高法規のお誕生日。
来年は、この5年、10年で どんな状況に?
情勢を跳ね返す力が自分にないのか、どうにも気が遠くなってしまう。

自由に生きる権利を
当たり前のことだと思っていると
国家というモンスターに気がつかないうちに丸呑みにされてしまうだろう。

巨悪なモンスターを繋いでおく鎖と首輪が憲法であることは言うまでもない。

人類の歴史に、しかも幸運にもこの国に
やっと
建前であっても人間に権利があるという瞬間が、どうにかこうにか訪れたというのに
このまままた野放しにするのか。
先人たちがいのちを捨てても手に入れられなかったこの権利は、このまま溝に捨てられるのか。


小学校の時に、先生に教えられた。

 「人間は間違いを犯します
 だからこそ振り返り、もう過ちを繰り返さないように歴史を学ぶのです。」


私は歴史から学びたい。

一人ひとりが大切にされる世界がほんとうに来るように。
人は、権力者のコマでもオモチャでもない。兵隊でもない。奴隷でもない。

私に、なにができるのだろう。
ささやかに懸命に生き、人と想いを重ねていくことのほかに。

考えることが大切。それは、分かる。
でも怖い。悔しい。
このままあの人たちの暴走に途方にくれるしかないのか
って思ってしまう瞬間が多々ある。

何が
なにができるのだろう。
今!
2016/04/01

2016年4月初日

揺れるときほど真価が問われ
自分が何を本当に大切にしようとしているのかが明らかになる

苦しいことや悲しいことがあって
はじめて自分の置かれている幸福に気付けることもある

この春が
どんな日々になるかは
私次第なのかもしれない

小さなうそが許される日に
うそではない 始まりの日を
2016/03/22

生きる喜び

生きなおせる歓び!

もうすぐあの日がやってくる

新しく己を立てる日が


それまでに
できること
もうすこしだけ
2016/02/21


いつもリスタート
今この場所から!

めぐりだす新鮮な気持ちたち

満開の梅
春のにおい
山の表情

一つずつ
気付いていけたらいい















2016/02/09

音楽は人を、世界を動かしていく

大好きなブログで書かれた記事と映像から、
久しぶりに一曲聴いた。
忌野清志郎さんの『JUMP』。
かっこよすぎで泣いちゃった。

私はこの歌を歌っている人が大好きだった。
ライブに二回も行けたことは私の人生の財産。
歌手として生きて通してくれた人。
音楽が世界を変えることを誰よりも立証してくれた偉大なる一人。
天国からでも諦めないで歌ってくれているってわかる。

清志郎さん、ありがとう。
私もがんばっていきます。


2016/02/08

光と闇

闇が深ければ深いほど
光はお互いを見つけやすい

あなたこそが光となれ
2016/01/19

こわいときは
挑戦する方へ!
2016/01/16

1月16日 土曜日

「私はここにいる!」と泣き叫んでいたあの時の私がいたから今がある。

今だって色々ほど遠い
けれど
昔より自分のことがすき。

そう言えるようになったのは
数えきれない あなたのおかげで。

ブラームスの間奏曲を聴くたびに憧れる何かに、いつか到達する日がくるといいな。


2016/01/08

酷い世界の中でも

しあわせも平和も
感じなければ
ないのと同じになってしまう

どんなに酷い世界が展開されていくのだとしても
自分自身の心のうちや
周りのいのちとの関係のなかから
幸福なもの
希望となるものを
見出していく
そういう不断の意識が求められる

こんなに酷い世界だからこそ
私たちのなかから、何か善きものを放っていきたいと願わずにはいられない
2015/12/27

所感

学校は競争と優勢思想と軍隊とをミックスした場所に成り果て
こどものひとたちは
いじめという戦争を延々と続けている/続けさせられている
(きちんとした非暴力教育プログラムを組んでいけば、いじめはなくなっていくが、それは意図的に避けられている。)

いまや
おとなのひとの世界もいじめだらけ


この苦しみが終わるとは思えないと
人生を終わらせてしまった人たちがたくさんいる

死んでしまった人は戻ってこれない
もう二度と会えない
いのちの時がとまってしまう

こどもたちが自ら命を絶つことの背景を
もっと深いところから考えないと
事態は底なしに悪化していくだろうと思う


この社会の異常さはそこここに現れていて
その理由はひとつの大きな流れから派生している

こうした流れの中、その流れに乗るのではなく、
自分はどう生きるかが 静かに強く問われている

苦境にある人、特にこどものひとたちが
暗闇の中でも未来への光を見出せるよう
自分自身も、世の中(人々)に希望を持てるように歩み
寄り添う中でその光を示せたらと希う
2015/12/22

マリリンモンロー・ノーリターン

野坂昭如さんのCD「躁と鬱」をくれた昔の友達に
多分もう、会えないけど
「ありがとう」っていいたいなぁ。

洗濯物をたたみながら、歌いながら今日も聴いてたよ。

ユーモラスな音楽と言葉。
その奥にある、野坂さんが本当に言いたかったこと。
伝わってくる。

戦争を知っている人が私たちに届けてくれたもの・・・。

《いのちが
 いのちがだいじだよ。》

《マリリンモンロー、ノーリターン》

死んだ人は帰ってこない。

かえってこないんだ。

2015/12/14

このブログのこと。

こんばんは/こんにちは。
訪問して下さったお一人おひとりに感謝します。

早いものでこのブログも10年です。
はーー。10年・・・。

どうしようもなく稚拙な
至らない考えであっても
矢継ぎ早にそれを表明し
それらを「誰かに読んでもらっている」と思わなければ
生き抜けなかった日々がありました。

それらの日々を懐かしくさえ感じる現在

何を書きたいのか
なんで書きたいのか

優しく静かに問われているように思います。

その一方で
「あんまり気負わずにやっていこう」
そう思っている自分もいます。


意味があってもなくても
私は
文章に自分の心を確認したいのです。

誰も見ていないかもしれないこのブログですが
それでも世界に開いている。
そのことは、私が文字盤をたたく大きな動機です。

ぼちぼちやっていこうと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。



                     2015年12月14日

 

2015/12/08

2015年12月8日 ある記事の感想文

ある文章をよんで共感したのでここで紹介してみる。

○グレッチェン・ケリー 「男性は知らない。すべての女性がやっていることを。」
http://www.huffingtonpost.jp/gretchen-kelly/thing-all-women-do-that-you-dont-know_b_8735974.html
(上記URLをクリックして下さい)

女性の受けている暴力を考えるとき、加害の立場の人間を「男性」とひとくくりにされるときがあるが
男性のすべての人が無神経なわけではなく、考えている人も勿論いる。
(ただ、「俺は考えている」と思っている人は残念なことに大抵だめだったりする。)
そして、逆の暴力(女性から男性)も勿論ある。
しかし、世界最大の差別といわれる女性差別は、構造的暴力としてどの社会にも根深く存在してる。

(ここでは言及しなけれど、異性愛中心主義の世界で、クィアとして生きている方たちの日常は暴力を通り越し戦場であることも考えなければならない。)

性暴力という言葉も、考え方も人によって捉え方がホントにちがう。
「そんな小さなことも?」というふうにやる側は感じても、当事者には大きな傷になることがある。
考えなしの一言が、「これが当たり前」という態度が当事者を簡単に貶める。
恐ろしいことに、人は、指先一つで他人の人生を変えてしまえる。
(大人から子どもたちへ、特に子どもに近しい大人からの性暴力の影響はほとんど表ざたにされてこない。)

誰だってすぐ加害者になってしまうからこそ、実はとても身近な暴力である性暴力について感じたり考えたりする必要があると思う。
(自分自身、いろんな人を傷つけてきているだろうと思っている。)


昔 こんなことがあった。
たこやきやの親父さんと隣りあって話していたら突然耳たぶをさわられた。かなり驚いた。
「なんでそんなことするの」と横にいた女将さん(彼のパートナー)がびっくりしてきくと、
彼は「喜ぶと思ったから。なんとなく。」とのたまった。


「喜んでいると思った」
「相手が誘った」
「そういう服装をしていた」
お決まりの文句。

加害者は自分の欲望や好奇心で、相手を自分のいいように利用してしまう。それを正当化するための文言は判で押したよう。
利用するための暴力。こうしたことを平然とやってしまう人たちは、たしかにいる。

小さな暴力の積み重ねのむこうに大きな暴力があると思う一方で、
大きな暴力の無制裁から ありとあらゆる暴力の横行が許されてしまう社会が成り立っているのだとも思う。

おばあさんたちの悲鳴と
自分のみている景色、受けてきた出来事の手触りは繋がっている。

あなたの受けてきた
誰に言えないものも きっとそうなんじゃないだろうか。

歴史はつながっている。その中で声をあげた当事者がこの世から去ろうとしている。
彼女たちの証言には、いつも「もうこんなことを誰にも味わわせたくない」とある。
今を生きる自分自身も歴史の末尾を歩いている
そのことを教えてくれた彼女たちのことを私は忘れない。
2015/11/28

2015年11月28日 雑記

自分が作ったごはんが意外とおいしいとか
好きな音楽をゆったり聴けるとか
とれてしまったボタンを付け直せたとか
大事な人から手紙が届くとか
いい写真がとれて嬉しいとか

そういうことのありがたみを丁寧に感じ取り暮らしたい。

大切なのは
小さく見えて実はあまりにも大きな幸せの、そのかけがえのなさを味わうこと。
こんなに恵まれた場所はないのだという自覚。

一瞬でかき消されるかもしれない私の暮らし。
今日のこの日を生きる。




路上で生活せざるを得ない方たちにも、寒い冬がやってきた。
家の外にもでられず、訳もわからず拘束され続けているパレスチナの人たちのことを想う。
辺野古では毎日抗議行動で命をはって闘っておられる方たちがいる。
二風谷には違法ダムがいまだ解体されずにアイヌ民族の聖地に横たわっている。
日本各地で暮らしている難民の方たちの追い詰められた現状。
学校に通うことすら脅かされている在日朝鮮・韓国人のこどもたち。
歴史の暗い闇にほうりこまれていく戦争被害者の方たちの人生。

3秒に1人のこどもが餓死する世界で、金持ちはより金持ちになり続け
そうでない貧しい人間は死ぬか兵隊になるかしかない。
兵器を使った暴力が世界各国で吹き荒れる中、世界最強の軍隊たちはいまや統合されようとしている。
「テロ」に対する恐怖から監視社会は強化されるが、「テロ」を食い止めることはできない。それに、武器を使えれば使えるほど儲けられる人々は正義を旗印にし、報復する。その泥沼は止まるところを知らないだろう。

その一方、戦争に抗う人は権力に標的にされていくはずだ。

そんなこんなで人間の世界も大変だけど、
人類が暮らしているこの星の現状も知ろうとするだけで恐ろしくなる。
「最悪の環境破壊が戦争」と大学で習って十余年。
アフガン空爆があり、イラク戦争があり、いまはシリアも大変なことになっている。

大気は汚染され、森はものすごい勢いで失われている。
真水は枯渇し、奪い合うしかないだろう未来が待っていると本で読んだ。
海は汚染水まで受けとめ、放射能を拡散し続けている。

この国は、原発が爆発したって、海水が汚染されたって、なんにもなかったような顔をしている。そんな中でオリンピックのお祭り騒ぎは東北の人たちを見捨てている象徴だと言えるかもしれない。
ただ、東北の人たちを見捨ててるんじゃない、ヒロシマ・ナガサキを忘れてるんじゃない。
国家というものは、この国の人たち、民全員を一から見捨てている。
「忘れる」どころか覚えようともしなかったはずだ。
金と権力に利用できればそれでいいのだから。

(言うまでもなく「国家」が「国」になるために首輪としての憲法があるのだけれど、いまや風前の灯。
 どうしたらいいのか・・・。)



底辺に追いやられてる人に向けられた態度は、
この社会・世界に生きるすべての人に向けられているものでもあるかもしれない。
国家権力からしても、私自身からしても。

遠く感じる人の生であっても、
それは
別の人生を生きる自分自身なんじゃないか
って感じられたらと。
そういう中で何かやっていきたいし
やっぱり何も出来ないのだとしても
想うことを止めずに祈りながら暮らしていこうと思っている。







2015/11/22

2015年11月22日 

  追い詰められる今だから
  ひとつの息を深くする

 と詩を読んで何年経っただろう


 煽られるな私

 どんなに情勢が悪くても
 これからますます悪化するにしても

 生き抜きながら
 ひたすらやれることをやっていくだけ
2015/11/17

2015 1117  散文


「テロに屈しない」といいながら
その連中に武器を売り続け、自らも武装し続け
地球を売り払っても私腹を肥やし続けるであろうあなた方に告ぐ

失われた命はあなた方の権力を増すための道具ではない
これから失われるやもしれない命もそうだ

「屈しない」ではなくて
その原因を我々がつくったこと
忘却の彼方に真実を追いやろうとしても
それが許されることはない

2015/11/03

本とピアノ

今朝、目覚めたら『父とショパン』のワンシーンを思い出していた。

今晩、久しぶりにショパンを聴いた。手紙の朗読も入っている素晴らしい一枚。

乾いた大地に雨水がしみていく様に
音が心と身体にしみわたっていった。

ショパンの、故郷を奪われた苦悩ゆえの作品が
現代を生きる私を癒してくれるなんて
なんだか言葉にならない。





『父とショパン』崔 善愛
http://www.kageshobo.co.jp/main/syohyou/tititochopin.html


ŻAL(ジャル) WKPR-8001
崔 善愛(piano) & 三宅 進(cello)
 -あなたは、ショパンの底知れぬ悲しみを知っているだろうか?
 「ŻAL」ジャル~それは本来あるべきものを失った悲しみ~

http://www.waka-kb.com/cd/173