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2018/06/01

【働き方改革「高度プロフェッショナル制度」】は【奴隷化】





記事:
高度プロフェッショナル制度がもたらす地獄絵図=48日間連続の休憩なし24時間労働が合法  http://blogos.com/article/298282/

竹中平蔵パソナ会長が派遣法と同様に高度プロフェッショナル制度を小さく産んで大きく育てる必要性力説 http://blogos.com/article/301013/



村山由佳さんの『風は西から』を、ちゃんと読みたいと思う。
みなさんにも読んでもらえたらと思うので、紹介します。



《内容紹介》
過労自死———。決して、彼が弱かったのではない。では、なぜ、彼は死ななければならなかったのか?
答えを探して、大企業を相手にした戦いが始まる。
小さな人間が秘めている強さを描く、直木賞作家のノンストップ・エンターテインメント!

大手居酒屋チェーン「山背」に就職し、繁盛店の店長となり、張り切って働いていた健介が、突然自ら命を絶ってしまった。大手食品メーカー「銀のさじ」に務める恋人の千秋は、自分を責めた――なぜ、彼の辛さを分かってあげられなかったのか。なぜ、彼からの「最後」の電話に心ない言葉を言ってしまったのか。悲しみにくれながらも、健介の自殺は「労災」ではないのか、その真相を突き止めることが健介のために、自分ができることではないか、と千秋は気づく。そして、やはり、息子の死の真相を知りたいと願う健介の両親と共に、大企業を相手に戦うことを誓う。小さな人間が秘めている「強さ」を描く、社会派エンターテインメント。
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大手居酒屋チェーン『山背』に就職し、繁盛店の店長となって張り切っていたはずの健介が突然、自ら命を絶った。なぜ彼の辛さをわかってあげられなかったのか―恋人の千秋は悲しみにくれながらも、同じく息子の死の真相を知りたいと願う健介の両親と協力し、「労災」の認定を得るべく力を尽くす。だが『山背』側は、都合の悪い事実をことごとく隠し、証拠隠滅を図ろうとするのだった。千秋たちはついに、大企業を相手にとことん闘い抜くことを誓う。


2018/05/30

「アベは辞めろ!」コールに合わせて、家で踊ったり踊らなかったり。




改めて思ったけど、「倒幕」って、語呂がよくて言いやすいですよねー。
語呂はよくないけど、打倒・現政権!!!
嘘つき云々以前に戦争やりたがりのアベは、首相なんて権限を持ってはならないヒトです。ありえない。
いいかげんにヤメロ!!!!
アソウもいつまでおんねんな。いいかげんに立ち去れ!!!!
性暴力を無法国家の法律が裁かなくても、人を過労死を法律で正当化しようとしても、アンタたちの所業を天は見ている。
レイパーのオッサンたち、あんたらはほんとうに人間か?なら そろそろ恥を知れよ。




みんなで見よう!
市民メディア放送局の動画配信!
https://twitter.com/info_9

山本太郎さんも志位さんも、めっちゃ闘ってくれてる。政治家としてやれること、力を尽くしていのちがけでやってくれてる人もいる。中でやれること、外でやれること。自分にやれることの全てを人のそれと連動させていく!


2018/05/30

いま確認し掴み取る人間の尊厳 -ケン・ローチ監督作品『わたしは、ダニエル・ブレイク』


障害者年金 1000人打ち切りか 審査集約 戸惑う受給者(毎日新聞2018年5月29日 06時30分)
https://mainichi.jp/articles/20180529/k00/00m/040/163000c

生活保護減額どこまで 半年後から段階的見直し(中国新聞 2018年5月29日)
http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=435863&comment_sub_id=0&category_id=256


日本政府は障害をもって暮らす人間や、生活困窮者や、高齢者が死んでいくのを望んでいるとしか思えない。
障害年金を打ち切る、というのは、その人の人生を見放し「お前の人生なんて知ったこっちゃない。なんなら死んでしまえ。いなくなれ」という明確な態度だ。
いまだって、年金うけられなくて死んだり自殺させられたり路上で生活したり、性を収奪されないと生きられない障害者がいるのに。
路上に押し出された人たちに精神や知的の障害当事者がどれだけいるだろう・・・。
だいたい年金が出ている人であっても、日本の年金額のみでは自立した生活はおおよそ不可能なはずだ。年金が出ている人でさえ保障されていない生存権が、これ以上切り崩されていく・・・。

2年前くらいに厚生労働省が障害者の年金をかなりの規模で打ち切っていくという方針をだした。地域による受給者の数の差を是正していくという意味不明な論調で、精神障害、知的障害の当事者から、というように発表されていたと記憶している。
日本政府は、改めて個人の切り崩しを取る姿勢を明確化したと感じた。手始めに、まずはより組織しにくいだろう当事者から、ということだろうか。障害者自立支援法が当事者運動や民衆の抵抗によって2010年に障害者総合支援法に改正させられた経緯から、人々が連帯しにくい生活費の部分に、これまでより意図的に手をつっこんできたのだろう。

生活保護受給者への減額も、おなじ。なんの希望も見出せない暮らしでも、この仕組みにすがるしか生きられない状態の人に、今以上の苦しみを強いるのか。受給者はどんな理不尽なことがあっても、逆らえない。一昔前のニュースでは福祉事務所のケースワーカーに性暴力をふるわれていた女性の受給当事者もいたときく。彼女は今、どのように暮らしているのか。
そもそも役所にいっても生活保護の申請すらできない(役人の「水際作戦」に阻まれた)人たちはそれからどうなっていったのか・・・。
生保に対して意図的なネガティブキャンペーンが始まってもう何年も経つ。この社会の軋轢にあえぎ苦しむ一人ひとりの苦難が放置され、無視されている現実から、一応は苦しみから「保護」され、「保障」されている(とされる)人間への憎悪が、テレビによって組織化され暴力の矛先は受給当事者に向く。垂れ流された差別を内面化した人々は、受給当事者を見下げて攻撃する一方、「生保を取る位なら死ぬほうがマシ」という感覚も浸透したように思う。こういう人たちは、必要となっても、その権利に手を伸ばせなくなる。

このネガティブキャンペーンとその結果を考えたやつらが、今の「自衛隊がかわいそうじゃないか」論を はってるんだろうなーと感じる。政府の思惑をそのまま世論にしていく広告やさんには優秀な心理学者さんがいっぱい雇われているんでしょうなぁ。
人々の思想を枯らし、お互いを攻撃するように仕向け、人間の魂を死なす死の商人だ。くたばれ!

障害者も困窮者も殺すな!!!!!

人間は働かなくても働けなくても 誰しもに生きる権利がある。
だれだって、働けないときがあるし、時には働きたくないときもある
どんな人も生きていって年をとれば、働けなくなるときがくる。

障害をもって生まれてきた人も、事故にあった人も、治る病気になった人も、治らない病と生きていく人も、みんな人間として生きる為に この世に生を受けた。それは天が与えたもういのちだ。そして、どんなにいつも元気いっぱいに、常に健康に生きてきた者も、生き続ければ必ず年をとる。老いれば誰もが賃労働はできなくなるし、病気や老化で障害者になっていく。

大体、人間社会に ほんとうに必要な仕事や労働に賃金が発生しにくい場合も多々ある。
賃労働は、その一人ひとりがやりたい、するべきと考えられた上で労働者自身に選ばれ、労働者個人の人柄が潰されない「仕事」である得るべきだ。それが人権というものだと思う。だが、実際はどうだろう。

この日本社会のなかで、労働について、仕事について、ライフワークについて、考えたい人も
日々の糧を得るための賃金を手にするために、思考を停止して心身に鞭打って「働く」。やれるまでやりきるしか生きる道が残されていないから、人は懸命にそこでのタスクをこなす。倒れてしまうまで。

経済成長・資本主義に役立たない、賃労働に使えない、国家の利益にならない人間は生きる価値がないか?

いのちを馬鹿にするな。
それじゃあ、あんまりにもお粗末で腐りきった世界じゃありませんか。
そういうこと言う人は、「そんな価値観で生きてて嬉しいか?楽しいか?心の底から笑ったり、安堵したりできるの?誰かを大切に愛したことはないの?あなたは、なんのために生きているの。」と訊いてみたい。

神様はこんな世界にするために人間をつくったのではない。

福祉の切捨ての問題は、一見、社会的に追い詰められている人たち(括弧つきの「弱者」)を標的にしているように見える。
しかし、これはこの社会で生きている全ての人間の生存権の保障そのものの破壊だ。


「今、すべての人にみてほしい」という宣伝文句が、本当に本物だったと感じた映画がある。
二度目のパルムドール賞を受賞したケン・ローチ監督の
 『わたしは、ダニエルブレイク』(2016年)http://www.longride.jp/danielblake/

“生きるために、もがき苦しむ人々の普遍的な話を作りたいと思いました。死に物狂いで助けを求めている人々に国家がどれほどの関心をもって援助しているか。いかに官僚的な手続きを利用しているか。そこには、明らかな残忍性が見て取れます。これに対する怒りが本作を作るモチベーションになりました。(ケン・ローチ監督)”





苦しんでいるあなたにも
苦しめているあなたにも
関係なくて涼しい顔したあなたにも
苦しみに気付くまいと必死でいるあなたにも

ダニエルはすべての一人ひとりに呼びかける



2018/05/28

種は命で、命はみんなのもの。農水省の役人たちは井上雄彦さんの『バガボンド』37巻を読め!

農水省は、農家が購入した種苗から栽培していた種や苗を次期作に使う「自家増殖」を原則禁止の検討へ ~違反すると“10年以下の懲役、1,000万円以下の罰金”~
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=161708


学生だった頃、遺伝子組み換え作物の問題を大学で学び、知ってから15年以上たつが、種子独占やバイオパイラシーの問題が日本にもいよいよ顕在化してきた。「海外でこんな酷いことが」と本で紹介されてきたことが、自分の社会にも水面下で次々と浸透していく。ついに来たか、ほんとーに来るもんなんだなと、どこか呆然としつつ、とにかく自分の所感を書いてここに載せてみようと考えた。


わたしたちは、このままだと種をまき野菜を作ることすら禁止されてしまう。
「種は、企業の専売特許だから」と。この罰則を農林水産省が実施したら、種を自力で植えたら罰則・罰金。そうなると、種は、人間が自由に手にできるものではなく、企業のものだということになる。いのちを育て、引き継いでいく農業をする権利が消滅させられる。
お金があるひと(もしくは借金制で)しか、野菜は育てられず、種をつけないよう改造されてしまった作物を毎年、セットの農薬とともに購入しなければならなくなっていくだろう(モンサントなど)。もうこれはかなり以前から諸国で起こっていた問題だ。遺伝子組み換え作物は勿論、エフワン種子など日本の社会でも一代限りの品種の歴史は短くない。しかし、それはこれまでは選択できるものだったが、このような法律が現実化すると、種をお金をだして買うしかなくなる。

インドの科学者ヴァンダナ・シヴァさんや、心ある日本の農業関係者の皆さんが作物の種を集めてこられたが、今その意味が実感される。小説よりマンガより、何より悲惨な闇がこの世界に根をはり続けて、いのちの連鎖は支配者に断ち切られようとしている。現実は、何よりも悲惨だ。
18歳から大学で環境問題を学ぶ機会に恵まれた自分が、一貫して感じるのは、現実の酷さの現実感のなさ。呆としてしまうほどの、圧倒的な力の流れ。不平等と不正義と暴力。もはや取り返しのつかない現状。このままでは更なる破滅を避け得ないという絶望。
まだ当事者だと自覚できなければ、日常は変わらなく見え、問題を忘れて過ごすこともできるにはできる。しかし、私たちの暮らしの深部で、時と共に事態は進行し、世界は極限に向かい続けている。自分が生きる世界の実態と、どう向き合い生きるか。それが環境問題の真髄だと私は考えてきた。

腐敗した政府と力をもった多国籍企業。そこに力を与える「人を不幸にする」科学技術。権威により長時間かけてコントロールされた人々の悪意の矛先。階級や優劣の差別と排外主義、満ち満ちた社会の内にある操作された大量消費と無意識化。価値観も思考という行為自体も人間は奪われつつある。シューマッハが『スモール・イズ・ビューティフル』の前書きに、聖書の言葉を言い換えて「軽薄な者が盲目の者の手を引く社会」と書いてたのが印象的だったのを思い出す。(「盲目」って単語を例えに使うのにはちょっと抵抗あるけど。)

日本の農業はただでさえ様々な問題で存続が危ぶまれているが、ほんとうにこの国家は何を目指しているのか。「売国奴は誰だ!」と怒りが煮えくり返る。しかし、ちょっと考えてみると、日本政府は明らかにはしていないが、食料自給率を下げ続け、農業が壊滅していく状態を目指して昔から淡々とやってきた。米不足を経験しても減反政策をやめずに、海外への食糧依存を強めてきた。そう考えて最近 腑に落ちたことがある。これは国内に暮らす人たちに対し、いつでも国家が「兵糧攻め」できるようにするためではなかろうかと。
戦時中、配給の券がもらえたのは国家に楯突かなかった人たちだけではなかったかと想像する。どんな強靭な思想家も、食べて飲まなければ生きてはいけない。国家は悪法を手当たり次第やっているように見えるときもあるが、明確な意図があってやっているように思う。それは、目指すところ国家による人間の奴隷化の完成ではないだろうか?

このまま、いのちのつながりを金と支配権力に換算している連中の思うままにしたら、人間は与えられたはずの幸せをすべて奪われていくことになりかねない。天が決めた命の仕組みすら変えて、儲けようとする企業ののさばりは、政治権力による後ろ盾を根拠に、神をも恐れない。ありえないことが積み重ねられ続け、到着してしまった今。
なにもかも来るとこまできた。ずっと前からだけど、今は更に危機だ。人類は滅びるより酷いことになりそうな予感がする。
気候変動ひとつとっても、みんなが実感するくらい変わってきている。四季すら崩壊しつつある。世界中で緑も、珊瑚も消失しつつあり、生き物は絶滅し続けている。降るはずの雨が降らない地域では、作物はからからに乾いてる。あるところでは大雨で家が流される増水や、家が壊れるほどの突風も、わりと頻繁に起きてて、地震も噴火も。これは自然なのか、それとも激変による結果なのか、誰にも分かりはしない。
ただ、「のびきったゴムが弾け切れている最中なんだ」と、実感し、戦慄が走る。南極と北極の氷が溶け出して沈むまで秒読みかもしれない。太陽の光を受け続けたら皮膚がんになったり、息を吸うだけで内臓疾患になりかねない都市だってもうありふれてる。

その一方で日本社会は、 社会的政治的な限界を迎えている。
憲法も、民主主義の形骸化と退化も、更なる軍事化も、それに伴う独裁を可能にする監視社会の強化も、教育の愛国化や優劣競争主義も、優性思想も、農業の衰退も、医療福祉の後退も、原発の爆発も、災害の放置も、人権意識も歴史教育もなにもかも、捻じ曲げ、いのちの本筋からは反れて独裁国家の道をひた走り続ける。多大な犠牲と苦しみの歴史の上にやっと手にしたはずの権利が、いのちの形すら、過去のものへ押し流されていくのを見るのは本当に辛いし、申し訳なく、情けない。

日本政府はこの期に及んで、巨額の税金を私物化したことを、バレバレの嘘をついて、証拠は捨てたと言い、それまで一味だった人間も簡単に切捨て、監獄にいれたり死に追いやっても開き直り続ける。

この国のトップはなんなんだろう。どうなってんだろう。10年前だったら、発言ひとつで辞職していた政治家たちが、ここまでのさばり続けられるのは、それを認めて服従してしまう民衆の姿勢をなめきってるからやんね。
でもアベ政権みたいな男の人、社会の中にうじゃうじゃいるもんな。こういう人たちからは、支持され続けるでしょうな。学校から社会に出てもうだいぶ過ごしたけど、権力を持つと人間はおかしくなりやすくなるんよなぁ。

って、書いてみて、己を省みたら、こんな力のない私自身も、めっちゃたくさんの権力を持っていた。
(大人だとか、日本国籍や選挙権があるとか制度に乗っかって優遇されたりとか、異性愛よりだったりとか、身体障害がないとか、その地域の住民ではないとか、何かの当事者ではないとか・・・。母語を自由に使えるとか、故郷があるとか、大学いけたとか、こうしてウェブ上で発信できるとか、いろいろありすぎるけど。あ、そもそも人間だということが超特権だよね。地球の動植物を絶滅させまくり、わんこにゃんこの殺処分ひとつとっても。って、こんな書いてもキリないんだけど・・・。)

自分に権力があること(優遇されていたり、違う立場の人を社会の構造的に踏みつけてきている状態の立場であること)を自覚しないで振舞うことが、差別という暴力を生み出すんだよね・・・。私自身に悪意はなくても、立場の違いを踏まえないで繰り出した言葉や行動そのものが、差別や暴力を上塗りし、強化してしまう・・・。
当事者にとっては「意識するかしないか」なんて選べない、苦しみを強いられた生をいきている事実に対して、あまりにも無関心であったり、無視して通り過ぎていける目の前の人との差を感じたときに当事者は深く傷つけられるんだろうと思う・・・。相手がどんなに良い人で、大好きな人でも、その断絶を感じたときに、それまでの関係に線がひかれてしまう。その一人の言動の背景に、社会という氷山の大きさを感じさせられ、大きな氷山に信頼していた人が、からめとらえている現実に打ちのめされる。

こうした断絶状態を打開していくには、気付いていない人が自分のしたことに気付くしかない。しかし、気付いていない人がそれを自覚するのは難しい。そうなると、気付いた人が言うしかない。でも、いつも気付くのは打ちのめされた側だから、苦しめられた人が更に問題を打開するのための苦しみと責任を背負わされている。

自分を悪意なく傷つけた、表面上は関係が悪化していない人に、それを分かってもらえるように伝えるなんて、すんごい労力だし、大体 こわいだろう。社会には構造的な暴力装置があり、そのどの立場に自分たちがいるのか。そういう社会の概念や自分の責任や務めを、意図的に全く教えずにきた教育や常識が根底にある日本社会で、こうした問題への話が通じる人はそう多くない。
ただでさえショックを受けているのに、その傷を説明した上で、更に相手の態度によって塩を塗りこまれる。信頼した人から、無意識ではなく意識され選択されたコトバや態度によって決定的に傷つけられる。

これまでの人生でたくさんの人に失望してきた人ほど、自分だけ気付いている状態なら、自分の気持ちをごまかせられれば、「なかったこと」として、これからも「仲良く」したいって思ってしまうかもしれない。もし本質的に話し合って決裂した場合、表面上の関係もクラッシュする。うまくいったら葛藤したすべてが報われて、心が晴れるし心配も吹き飛び、相手との信頼関係も深くなるけれど、うまく行かなかったら、きっとその人との関係は終わっていく。それなら心底では辛くても、自分が痛みを忘れて、これまでのように関係を維持できた方がいいんじゃないか。でも、うわべは仲良くできても、本当は信頼できなくなってる関係でいいのか?
そもそも、この痛みを「なかったこと」にしてしまうことは、自分に嘘をつくことになる。それでいいのか?同じ立場で闘ってきた人たちの生き方も無視する流れに与してしまわないか?誠実さがあるのか?裏切りじゃないか?自分の生き方としてそれでいいのか?

私の身にそういうことが起きてきたときは、話し合うエネルギーと自分の中の相手のだいじさを天秤にかけ、すぐ答えがでる場合は早々に諦めて離れた。でも、大切な人や信頼したい人には、それはできなかった。黙って離れるのは、相手に勝手に見切りをつけて見捨てるような気がした。相手が自分にとって大切な人であれば上記のように悩み、破局覚悟で話しをしてきた。それは、私が今よりずっと何も知らないときに、私に対して諦めないで呼びかけ続けてくれた先達や仲間たちから受けた恩への証でもあった。
同時に、意志を持つ持たない以前に、見かけの平穏に耐えきれず、本質的な安心でないと必ずいつかガタがきてしまう、ある意味で正直で素直な心身を与えられたことは、大きな恵みとして私の生き方の基盤にある。日本社会的には不適合でも、いのちある人間としてはこれでいいと私は思う。(この社会の強いるスタイルが人間的でも生物的でもないのだと強く感じる。)


人権がある程度は共通認識としてある場所でも、傷つけた者は知らないままに差別は日々起こっている。「自分は差別問題に意識がある」という過剰な自負心は思い上がりを生み、そこから生じる越境行為は、なによりも当事者の尊厳を侵食していくからだろう。
「自分はどんな体験を重ねても、その当事者にはなれない。だから、決して同じようには感じられない」ということを肝に銘じることが本当に重要なことと思う。(もちろん、同じ立場の人間へ対しても、同じことが言える。「私たちは仲間であっても、個人個人は同じではない」という精神的自立が、ほんとうの連帯を生み出していくと考える。)

善意からすら暴力が生まれるのが差別の恐ろしさだと実感する。
無知であり、無恥な自分に 精一杯 自覚的であれたらと願う。差別したくないと願うとき、段差の高いところにいる自分の足場を確認し、段差の低いところにいさせてしまっている人への己の想像力の足りなさを、常に自戒していく必要がある・・・。それをするには、勇気をもって投げかけられている声と出逢い、ほんとうに聴くことや、歴史や社会の背景を学び続けることが必要だと心から思う。

「ありえないこと言ってるけど、こいつは話せば通じるかもしれない」と相手から思われる自分自身を示したい。その人の気持ちを教えてもらえるように。知らないうちに諦められてしまわないように。気がついたらいなくなられていないように。いつ何時も、「ああ、こんなんなら、こいつに話さなきゃよかった」って失望されないように頑張っていたい。



盛大に話がそれた。

でも、今の日本社会で起きている現象で私が最も不可解で怖いもの一つは、現政権を支持していない人も、なぜか自民党に投票してしまうっていう現象なんです・・・。
こわい!なんで? だいじょうぶなの??っていう。
原発爆発しても翌日出勤していまうっていうのに似てるのか? ううーー

・・・みんな、考えていることを出せない生活をしすぎて、もう自分でも感じていることを 表現できなくなりすぎて、ついに色々と一致しなくなってきているのかな・・・・。考えていることを表面にだしたら疎外されて当たり前なのが日本社会の現在地だものなぁ・・・・。

いじめ構造がどの世代のどの場所にもあまりにも常態化していて、思想的自警団化しているのかなとも思う。いまや大学でもいじめがあるくらいまで社会は衰退しているし、職場はパワハラやセクハラの能力主義によるいじめの嵐なので論外だし・・・。いじめと差別の連鎖により、統治する側は楽な時代だろうな。

・・・・ここまで、書いてみて、本当に思ったこと言える人間関係が稀有な社会になってしまった現状が悲しくて辛い・・・。

誰でも、「それでも人に繋がりたい」って思うから、みんなヘイトスピーチに取り込まれていくんだよなぁ・・・。
「味方がほしい」、「誰かと共感したい」、「繋がりたい」、「笑いあいたい」、「出会いたい」
そういう人間として生きていく本来の欲求や望みが、利用されつくして暴力が増大していく。いじめと一緒で。権力者は笑いが止まらないよね。

悲しくて悔しい。

なんて息苦しい・・・。
なんて人間を馬鹿にしている、いのちを馬鹿にしている社会だろう・・・。
尊厳のすべてを踏みにじろうとするこんな社会を作ってきた責任が自分にもある。選挙権を持って長い時間いきてきた人間として、恥ずかしく申し訳ない。
人間の腐敗はもはや政治のみに止まらず、ふつうの一人ひとりの中にも支配と暴力が入り込んで はびこっている。
根こそぎからの人間の破壊。
みんなしんどくて、殺されそうで、本来ある人間の苦悩も歓びも手放し、国家へ服従・追随して、必死で生きようとしているのだろうか。 瀬戸際にもほどがあるよー・・・。

生きるって、どういうことだろう。生き延びることとは。



そういえば、今年の5月3日の憲法記念日に、
『生きる 劉連仁の物語』著:森越智子 イラスト:谷口広樹
https://www.doshinsha.co.jp/search/info.php?isbn=9784494020423
を読んだ。

ああ、冒頭の話とつながったな・・・。

中国・山東省の農民だった劉連仁(リュウ・リェンレン)さんは、1944年9月に囚われ、日本への強制労働者として連れ去られ、北海道の炭鉱から死ぬ思いで逃げ、北海道の山中を12年間さまよい 生きのびた。
共に逃げていた仲間を失い、自死を図ろうとした劉さんが、それでも生きる力を掴み取る転換点の描写がすごすぎて、涙がとまらなかった。戦争の犠牲を、数や規模で知ることも大切だけど、たった一人の人の生を丁寧におい、深く感じさせ、想いを寄せさせる文学の力を改めて思い知った。

すべてのいのちがその本来の姿として決して生きることをやめないように、私も生きようと思う。

こんな状勢で、諦めそうになるけど、戦争はどんなことがあっても阻止しないといけないって、魂が震えるような気持ちになった。生きていた劉さんのことを無視し、謝らないどころか開き直り10万円をわたそうとしてきた当時の総理大臣はアベ氏の祖父だった。憲法は人を虐げる国家という巨悪を縛るものだ。日本国家の首輪、足枷を外したら、いのちは巨悪に支配され、末期的な環境になっているこの地球に希望的な未来は無いだろう。

人間は、言葉をもっている。文字もある。歌もある。人はヒトではなく、人は人間だ。
時空すら超えて、人と人の間を繋ぐ術を 私たちは受け継ぎ、育てている。
人生を賭して声を残してくれた人と、ひとりの人間として出逢い続けていきたい。



先日ウェブでみた、木村夏樹さんという方の写真。

「声」 木村夏樹 写真展 ー 3.11以降の市民活動の記録 ー 2018年5月19日〜6月9日 入場無料 神保町 農文協・農業書センター 東京都千代田区神田神保町2-15-2 第1冨士ビル3階
https://twitter.com/_natsukik

街の中や官邸前で、諦めず声をあげ、連なっている人の姿を記録した木村夏樹さんの写真に勇気付けられると感じた。
どんな絶望の中でも声をあげる人がいる。服従しないで生きる!って全身全霊で表現している人たちのパワー。
悲壮感というよりも、屈しない意志と尊厳がみえる。

なんていうか、結果が出ようが出まいが、実を結ばないことであろうがなかろうが、自分の持ち場で私自身がどう立っていくか。
どう生きていくか。一貫性を持って歩めるかってことやんな。と じんわり感じた。
弱ることも、ダウンすることも、休むこともあるけど、皆さんに元気をもらいながら、そこはブレずに生きていたいと思います。
なっがいのに最後まで読んでくれたキトクな方、ありがとうございました。温度差が激しくからだに堪えますが、自愛していきましょう!

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2018/05/15

赤ちゃんだった私たち



一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。 彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。 イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。
「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」
そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。
「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

     (マルコによる福音書 第9章 33節~37節)



イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。
「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

    (マルコによる福音書 第10章 13節~16節)







 『星の王子様』に書かれているとおり、すべての人ははじめはみんな子どもだった。

年をとるほどに幼い日のうちに体験したことの意味と、その重みを自覚する瞬間がある。赤ちゃんやこどものときに大人たちから受けてきた関わりが、人との関係を結ぶための基盤となっていると感じる。関わりを持たれず、愛を受けにくい状況にいる子どもたちは、愛されたくて、素直に愛を受けとめてもらいたくて、苦しむ。その苦しみを重ねた先の絶望の、その果てに、自分自身や他者を傷つけていく生き方を選ばざるを得なくなる大人になる場合がある。日本社会では人間らしく暮らせる生活や共同体が崩壊しつつあり、愛が枯渇し、暴力や差別が連鎖・蔓延している。様々な問題のしわ寄せの被害を最も受ける立場にいるのは赤ちゃんや子どもたちだ。

そして、独身であろうが妻であろうが母親であろうが、いつも決まってまとめて責任を負わされるのは女性たちで。(赤ちゃんを遺棄したり、子どもを虐待する母親の背景に横たわる日本社会の闇の深さ。この社会に巣食う性暴力の根深さに呆然とする。)

日本社会の少子化は女性のせいでも、若者の価値観の変容のせいでも無い。結婚や子育てを不可能にしている雇用の形態や経済・賃金の格差、女性差別、子育て支援がないことや、教育にお金がかかりすぎる等、福祉政策の希薄さなど言い出せばキリが無いが、とにかく日本政府の政治的責任は回避できないと私は考える。意図的な失策を棚に上げて、責任を個人に押し付ける政治家たちは言ってることもやってることも、メチャクチャだ。

悪い権力者たちが、はやく権力の座から降ろされて人間らしい人間になれますようにと祈る。力や才能は人々を支配するためのものじゃなく、人々の幸せを実現させるために与えられているものであると思う。人としての恥を無くし民衆を虐げ、支配し、私腹を肥やし続けている現政権と周辺の連中は本当にいいかげんにしてほしい!ほんとうに、いのちの敵だ。

しかし、こういう状況に歯噛みし続けることで、自分も連中に似てきてしまう部分があるから、注意して我が身を振り返らねばだなぁと、しみじみ思う。私自身も強者であり、差別者だという視点を忘れがちになるからこそ、私には主イエスの存在の再確認が日々必要だと感じる。すべての子どもは大人と対等に接せられる必要があるが、すべての子どもにとって大人は「強者」であるから、暴力や支配が発動しないように、進みながらも常に考え、自問自答し続けねばならないと思う。


政治や社会をすぐに変えることはできないが、今、自分が関わるすべての子どもたちに(すれ違う子どもであっても)、その子の存在への肯定と祝福を伝えることが大切だと考えている。目線ひとつであっても、声かけ一つでも、具体的に表現した場合、子どもたちは自分に関心を向けられたことに対して、なにか反応してくれる。そうした触れ合いから生きる力を充填されることも多い。
(親は人によって無視か喜ぶか分かれるけど。あんまり都市部でやると通報されちゃうから、こっそりやろうかな。)
すべての子どもが飢え渇かず、衛生を保たれ、脅えず、大切にされ、自由自在に表現できる暮らしができる世界が来るように希う。

子どもはいのちの未来そのものだ。愛をもって育んでいくのが大人の役目。そうやって全てのものが受け渡されていく。

自分で産んでもうまなくても、赤ちゃん子どもたちは私たちの宝。そうした生き物としての根源を取り戻していかないと人間社会は破滅する。目の前の子をしっかり大切にしていきたい。




人間が人間であるために、幼少期に何が必要かを 映画『いのちのはじまり』の映像は教えてくれている。私は映画本編は見損ねたけど、いつか観たい。公開された日本ユニセフ協会の編集映像に感謝。アップしておくので、お時間あれば、ゆっくり御覧ください。



映画『いのちのはじまり』予告1(1分58秒)

https://www.youtube.com/watch?v=yQsXMKorFoY&t=1s


映画『いのちのはじまり』予告2(2分18秒)
1と内容が違います!
https://www.youtube.com/watch?v=qOBK_TGZDfY



ふれあいを大切に(3分43秒)映画『いのちのはじまり』 から
https://www.youtube.com/watch?v=BxNVqoK04cQ

赤ちゃんは科学者(3分46秒) 映画『いのちのはじまり』 から

https://www.youtube.com/watch?v=bU7GrSdujdU&t=1s


あそびとはじぶんらしくいること(4分16秒)映画『いのちのはじまり』 から

https://www.youtube.com/watch?v=VvMWyUFJc6s


おとうさん(2分23秒)映画『いのちのはじまり』から

https://www.youtube.com/watch?v=y9C6sWpdVxo





2018/04/12

メルバンさん解放。

2018年4月10日(火曜日)、やっと、東京入管からメルバン・ドゥールスンさんが出ることができたことを今日知った。

◎支援者である織田朝日さんのツィッター
https://twitter.com/freeasahi?ref_src=twsrc%5Etfw&ref_url=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Fbyline%2Fshivarei%2F20180207-00081337%2F

残された収容者。常に収容をほのめかされ脅されている日本に暮らす人たち。

国とはなにか。国民とは何か。
国民という定義を勝手に作って、その枠に入らない人たちは人間ですらないと言うのか。
人間が暮らせる国にするか。権力者が好き勝手できる国家にするか。
いのちを育み暮らせる土地にするのか、いのちを奪う基地にするのか。

人と人の間にあるものは何か。
愛なのか、信頼なのか、真実なのか、想像力か。それとも、結局は優越感や猜疑心、暴力、排外主義による支配でしかないのか。
中央政権の権力による身勝手すぎる公権力の私物化。
人間の姿勢としてこれを許さず真っ当な政治を求め続けるか、見過ごして更に破滅的な未来を選ぶか。

全ての己の言動が時に固着し、今の連続として重ねられ生きた時間となっていく。
一人ひとりの生きた時間が連なり時代をつくる。動かすこともあるだろう、やっと辿り着いた土台を根こそぎに崩しきることもあるだろう。


私たちは何もかもを、天から試されている。

何の役に立てない無力そのものの自分。苦い。でも、屈しない。あきらめない。
2018/03/14

安倍内閣の即時 総辞職を要求します!本日19時半から官邸前

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アベは辞めろ!!!!
首相官邸前いきたい!


書類の隠滅、文章改ざん、官僚切捨て…。ほんとうに有り得ないところにきている。
今すぐやめさせなきゃ、このまま放置されたら日本はまた酷いことになってしまう。
いま立て直さないと本当に本当にこの社会の今の「当たり前」は終わってしまうよ。第二次世界大戦をもっと酷く展開するつもりななの?今しかない。今しかないよ。
東京には行けないけど、久しぶりに街頭にでよかな・・・


◎昨日のスタンディングの様子
https://twitter.com/himejiro1971/status/973512323481481222
◎韓国からも応援メッセージがたくさんきてるって!!ハッシュタグ #RegaindemocracyJP
https://twitter.com/hashtag/RegaindemocracyJP?src=hash



東京入管に閉じ込められているメルバンさん解放のための署名できます
◎ネット署名:【#FREE MEHRIBAN】東京入管はメルバンさんに対する非道な扱いをやめろ!

https://www.change.org/p/freemehriban-%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%85%A5%E7%AE%A1%E3%81%AF%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E9%9D%9E%E9%81%93%E3%81%AA%E6%89%B1%E3%81%84%E3%82%92%E3%82%84%E3%82%81%E3%82%8D


記事◎「夫を、娘を、息子を、お父さんを返して」難民鎖国日本に訴え、入管収容施設で拘束のクルド難民の家族ら
志葉玲 | フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和) 3/9(金) 11:00

https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20180309-00082510/

◎難民支援をされ続けている織田朝日さんのツィッター
https://twitter.com/freeasahi
※メルバンさん以外でも妊婦かもしれない難民女性も収容し(違法)、出血があっても放置しているとのこと。酷い。入管の人権侵害は枚挙に暇が無い… 

◎<シリア内部>「もし生きていたら また連絡します」と住民 北西部アフリン トルコ軍・武装諸派の攻撃で住民死傷者850人超(写真4枚+地図)3/8(木) 14:08配信 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180308-00010001-asiap-m_est
2018/02/10

メルバンさん解放を求め、東京入管に送った抗議メール文面

【緊急】日本育ちのクルド女性メルバン・ドゥールスンを直ちに解放するよう東京入管に訴えてください。パニック障害で、自分の薬すら使わせてもらえない彼女に、これ以上の収容は危険すぎます。皆様、どうかよろしくお願いします。
(FAX)03-5796-7125
(電話) 03-5796-7111
(メール) info-tokyo@i.moj.go.jp


Pinkydragon ~ SYI (収容者友人有志一同: Immigration Detainee's Friends)
Blog 4コマ記録 ある日の入管http://pinkydra.exblog.jp/26252899/




 今日の昼に電話してみたが、東京入管の電話は平日9時から5時しか繋がらないようだ。
職員は誰かいるに決まってるのに。人の生活を支配しておいて、この「お役所の仕事ですから時間はこちらが決めます」って態度。
違う国の意味の分からない書類を、毎回提出させられるのはそれ自体が大変な迫害なのに、日本語か英語でなければ問い合わせられないという。当たり前のように、そう説明されている入国管理センターのウェブサイトを見て、日本社会の冷酷さを改めて思い知る気がした。

 支援されている織田さんの4コママンガの記録、まだの方は読んでほしい。
「公務員」が休日してて、その間にも囚われている人は苦しめられ、生涯に残る心身への暴力を強いられている。医療もまともな食事も奪われ、家族や友人との時間も奪われ続け、衰弱しきって命を失う直前の人を、責任逃れの為に「解放」する。全てが職員の気分ひとつで行われていることを、織田さんの記録から痛感した。彼らをそうさせているのは、この日本社会の無関心という名の差別と、国家からの暴力行為へのお墨付きだ。だれにも咎められないから、大手をふるい虐待をしている。職員個人の人間性もあるが、社会構造の差別の中で、立場により個人の残虐性が増長している。虫も殺さなかったような優しいお父さん、お兄さんであった人たちが戦場で鬼になり、女も子どもも年寄りも容赦なく殺せるようになる戦争となんら変わらない。

 今日は私も休日だった。自由に家にいれたり、音楽を楽しんだり、外出して甘いもの食べたりできる立場だった。笑ったり泣いたり怒ったりしながら、いろんな人とのふれあいが許された一日だった。私の楽しく幸せな時間の足元に、踏みつけられている人たちがいる。
今この瞬間メルバンさんは、踏み躙られている。痛みと苦しみと恐怖に文字通り血を吐いて・・・。

せめて、抗議したい。少しでも、私にやれることは全てやりたい。



《以下は本日2018年2月10日(土曜)、東京入管info-tokyo@i.moj.go.jpに送ったメール。》



東京入国管理センター
並びに働かれている職員の皆様へ

 ( 氏名 )と申します。
そちらに収監されている方たちへの虐待に強く抗議します。
特にクルド女性メルバン・ドゥールスンさんを直ちに解放しなさい。

 彼女はパニック障害を持っていると聞いています。私も同じ病気を経験していますが、その状態の人を独房にいれたり脅迫し続けていることは虐待であり、殺人行為です。その上に薬すら使わせてもらえないなんて、あまりにも非人間的な仕打ちではありませんか!?これが「先進国」の法が為すことでしょうか。私は、入管でおき続けている暴力行為を想うとき、日本社会を構成する一人として恥ずかしく情けない気持ちでいっぱいになります。
国としても、ひとりの人間としても、このように同じ人間を踏み躙り続ける姿勢はは断じて許されません!

 入管で働くあなた方は私も納めている税金で雇われている公務員です。公務員はこの社会で暮らすすべての人の幸福追求のために働かなければなりません。それなのにあなた方は、おなじ人間を不幸に貶めています。今おきている差別や暴力を強権的に行うためにあなたたちは政府から給金をもらっているわけではありません。そのことを肝に銘じておく必要があります。

 暴力行為は支援者やジャーナリストによって世間に伝えられています。私もそうして声を届けようとしています。しかし例え、国家や社会が今おきている暴力を見過ごしたとしても、天は一人ひとりの行いを見ています。収容されている人を見下し、暴力的に振る舞うのを直ちに止めるべきです。

とにかく、メルバンさんのこれ以上の収容は危険すぎます。彼女を今すぐに解放してください。

彼女が解放されるまで、声をあげていきます。それでは、またお電話で。

2018年2月10日 ( 氏名 )






We cannot remain silent before the suffering of millions of people whose dignity has been wounded.
(その尊厳が傷つけられてきた数百万人の人々の苦しみを前にして、沈黙してはいられません)

教皇フランシスコ(邦訳)


2018/02/09

滞在難民の虐待が未だに続いている日本の入管。メルバンさんの為、抗議を!

下記の記事をご覧ください。

記事:

新婚女性を拘束、吐血・痙攣しても薬を与えず、口封じの脅迫―東京入管の難民虐待が酷すぎる
志葉玲 | フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)
2/7(水) 11:00

https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20180207-00081337/



私もパニック障害になったことがあるが、その症状の人から薬を奪い、監禁し虐待するということは、直接的に命に関わる本当に危険な状況だ。肌で感じる。メルバンさんが入管から出て、夫と暮らせるようになっても、その体験のPTSD(トラウマ)に苦しめられることが想像される。一秒でも早く彼女を入管から解放しなければならない。

メルバンさんは暴力と恐怖と支配と闘っている。監獄の中で、人間の権利のために。
この境遇で抵抗し続けている彼女のすごさに圧倒される。この人を奪われてはならない。

直接入管に行くことができなくても、
電話、ファックス、メールで、声を叩きつけなければ。今!


【緊急】日本育ちのクルド女性メルバン・ドゥールスンを直ちに解放するよう東京入管に訴えてください。パニック障害で、自分の薬すら使わせてもらえない彼女に、これ以上の収容は危険すぎます。皆様、どうかよろしくお願いします。(FAX)03-5796-7125、 (電話) 03-5796-7111、(メール) info-tokyo@i.moj.go.jp


【メルバンについて続報】

1月23日にこのキャンペーンを始めて次の日24日、メルバン(MEHRIBAN・DURSUN)は女性職員B466に呼び出され「電話やFAXを続けるならお前を解放しない」「これで外に出れると思うなよ」「面会も禁止させるぞ」などの卑劣な恐喝を受けました。そして次の日、脅しに屈しなかったメルバンに、なにかまずいと感じたのか、B466は手のひらを反すように急に態度を変え「そんなつもりはなかったのよ~」と言ってきました。まったく気持ちが悪いです。

しかし、吐血をした件で、今まで連れて行ってくれなかった外の病院にやっと連れて行って貰えたそうです。現在、検査中です。
メルバンは覚悟を決めていて、弁護士もどんどんやってくれと言ってくれているので続行します。
皆様、引き続き東京入管にメルバンを解放しろと電話やFAXをお願いします。私たちの力でメルバンを救い出しましょう。

東京入管 03-5796-7125 (FAX) 03-5796-7111 (電話) info-tokyo@i.moj.go.jp

Pinkydragon ~ SYI (収容者友人有志一同: Immigration Detainee's Friends)




様々な理由で日本に暮らす、祖国以外の場所で暮らさざるを得ない人たち。日本で育った在日外国人の人たち。絶対権力の日本政府 法務省 入管に、脅され続け、生活を簡単に奪われ、入管の中で非人間的に扱われ、医者にかかることも、薬をのむことも許されない、そんな暴力が日常的に起きている。虐待され、ほぼ確実にその人の命や生活を奪う「本国」に無慈悲に「送還」しようとする。入管の中で殺される人もいる。

日本の入管で起きていることは、日本社会がどこまで人間に対して残酷かということの極みのひとつだと言える。日本社会で育った子どもに対して、「この国から出て行け」脅迫する「デモ」が行われだして何年たつだろうか。(10年は経ってると思う…。)社会の構成員資格がルーツや血筋にのみあるというのは、この社会に智徳が無いことの何よりの証明だと言える。

政府の姿勢や入管の職員への責任追及が必須なことは勿論のことだ。けれど、この問題を知らずに済ましている、…いや、もっと言えば、「自分は意識を持っている」と都合よく現場を忘れ、油断して日々を過ごしている私自身にも重大な責任がある。そのことを痛感している。

日本社会のアパルトヘイトウォールは全くもってヒビさえ入っておらず、むしろ壁は分厚く、高くなり続けている。
その見えない壁が、自分の心の中に入り込んでいたことを認めざるを得ない。

何故なら、私は2004年夏に東京青山の国連大学前で座り込みをしていたクルド難民のカザンキランさん御一家、ドーランさん御一家にお会いしたことがあるからだ。にも関わらず、そのことを今やっとのことで思い出している…。
夏の灼熱の日差しを受け、夜は蚊に刺されながら、国連大学の前で全てを懸けて座り込みをしていたクルド人難民の二家族。近くにある水道で身体を洗われている小さな子どもたち。「もう戻る家もない」と話してくれたカザンキランさんの覚悟した目と話口を思い出す。強制排除がきたとき、自身にガソリンをかけ抗議の焼身自殺をしようとしたカザンキランさん
http://www.mkimpo.com/diary/2004/kurd_sit_in_2004_articles.html
そして年が変わり、カザンキランさん親子は、2015年1月17日にトルコに強制送還された。(今、生きておられるかどうか・・・。)
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200501190443.htm

私がカザンキランさんがトルコに強制送還されたことを知った日、万博を控えた名古屋・白川公園で野宿生活者の方のテントが強制排除が強行された。この二つの権力の横暴が、稚拙でも未熟でも、とにかく自分で発信していく責任があると、初めて自分のブログを立ち上げるきっかけだったことを思い起こした。


その後、知人に誘われてビルマでお正月に行われるという水かけ祭に参加させてもらったこともあった。難民として、また働く為に日本に来られた大勢のビルマの人たちが楽しい祭が始まる前に、軍事政権に対しての抗議の声をあげていた。それまで笑顔だった大勢の人たちの顔に、強い怒りと苦しみ、厳しさが浮かんでいた。祖国によって祖国が奪われ、逃れてきた日本でも酷い目にあう。どれだけの苦労を強いているのか想像を絶すると感じた。


布団で簀巻きにされ子どもと引き離され荷物として「送還」された女性の身に起きたことを、ラフィック(RAFIQ 在日難民との共生ネットワーク http://www.rafiq.jp/)の人たちが平和のための集会で再現してくれた時のことも思い出す。http://0000000000.net/p-navi/info/column/200502020646.htm
泣き叫ぶ女性を押し倒し、力づくで布団で簀巻きにしていく入管職員たちの姿・・・。凄まじい現実が、在り続けていることに呆然とする。人間はどこまでも残酷になれる。例え手を汚さなくても。

そのことに向き合い行動し続けている支援者の方たちがいる。自分にとっては当たり前のことを、自分が構成する社会から奪われ続けている人たちと共に生き続けようと日々必死に当事者を支援している人たちがおられる。

Pinkydragon ~ SYI (収容者友人有志一同: Immigration Detainee's Friends) Blog
http://pinkydra.exblog.jp/26252899/

【これは見る責任がある記録だと思う】SYIメンバー織田朝日さんの4コマ「ある日の入管」掲載ページ
 http://pinkydra.exblog.jp/i9/


SYIメンバー 織田朝日さんツィッター

https://twitter.com/freeasahi?ref_src=twsrc%5Etfw&ref_url=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Fbyline%2Fshivarei%2F20180207-00081337%2F



  
うまく言葉にならない

私はといえば、上に書いたような体験があったというのに、メルバンさんのことを知るまで、この問題から目をそらして暮らしていた。自覚のない無関心や、その場だけのただの同情から、一歩でも踏み出していかなければならない。そのことを強く感じる。

繰り返され続けている暴力を受けている一人ひとりの当事者は、当たり前だが全て違う人だ。起きている事象は多々あれど、毎回 誰かがたった一度の人生を奪われていく。

すべての問題に関われはしないし、日常の中で常に苦しい立場の人に想いを寄せ続けることは、私のように弱い人間には簡単ではない。しかし、だからこそ、今回のような呼びかけにその都度 応えることが大切なんだと思う。


暴力を認知せずに放置し続けることは、暴力を維持し、更に激化させる。
私は抗議の声を入管に届けなければならない。電話し、ファックスを送ろうとしている。メールも。

とにかく情報は早く拡散されねばならないので、まだ行動していないけれど、ここに載せた。私のブログなど見てくれている人がいるのかいないのか全く分からないけど、とにかくこの世界の中で生きている一人ひとりの力を出し合い、皆で一人のひとを救わなければならない。



イスラエル軍のブルドーザーからパレスチナ人の家を守ろうとして、轢死(れきし)させられた
レイチェル・コリーさん(享年23歳)の言葉

「こんなことはもう終わりにしなければ。私たちみんなが、すべてを投げ捨てて、これを終わりにするために自分たちの人生を捧げるというのは、いい考えだと思います。それは、もはや過激な考えではないと思います。」



そして、聖書からイエス・キリストの御言葉

 「わたしがあながたを愛したように、互いに愛しあいなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である」
(ヨハネ福音書15章12節〜17節)




知らないことも知らず、知っても無視し、体験しても忘れてしまうことが多々ある私自身をどう変えていけるだろうか。自分を見つめることは怖い。精一杯やれてるか、自問自答し続けていくことも怖い。不断の意識が必要だ。臆病で全くダメな自分に打ちひしがれながらも、気付けた幸運に感謝して、ちいさな歩みを続ける他ない。

それは、「苦しんでいる誰か」の為だけじゃなく、自分自身を解放していく道かもしれない。



それで、ここまで書いて
今、おださんの4コママンガを現在掲載されているものを全て読んだ。・・・・嗚咽がとまらない。

支配から一人ひとりを解放しなきゃ。こんな暴力と横暴ゆるされないよ。
おかれた立場によって、こんなにも不平等なこと・・・・。

「頑張る」って言葉、あんまり好きじゃないけど、頑張ろうと思う。
動かない酷い状況があり続けても尚、当事者に寄り添い続けている人に力をもらいながら、せめて自分の分だけでも頑張ろう。

誰かの苦境と自分の無力さへの悔し涙がとまったとき、時間が経っても泣いていたことを覚え続けて歩んでいけるようにならなくちゃ・・・。
2018/02/08

HIPHOP  思想が言葉になり、言葉が音楽になった

落ち込んでいたけど、ラッパー 椿さんの存在を知って少し気力が出てきた。





日本社会の男権主義が露呈している相手の低俗かつ悪趣味な言葉に対して、椿さんの反撃のカッコいいことと言ったらない!



女性蔑視ヘイト垂れ流しの男性ラッパーが、無名ってわけじゃなさそうなのも日本社会の現状の酷さを表している。こういうのを求める人が多いってことだものね。
勝ち負けを判定する人たちも人権意識うすそう。というか本来のヒップホップの持つ反権力性を理解してるの?ひっくるめて日本社会の現在地点って感じがする。
ただ、そんなところでも私が知らないだけで、必死に闘っている人もいるんだろうから、そういう人を見つけて応援していけたらいいなと思う。






映画『ソニータ』http://unitedpeople.jp/sonita/

映画 『ソニータ』予告編(1分43秒)


ソニータ 『売られる花嫁』(3分52秒)

この世界の現実を言葉と音楽で突きつけるソニータ。すごい。



映画『自由と壁とヒップホップ』http://www.cine.co.jp/slingshots_hiphop/

映画『自由と壁とヒップホップ』 予告編(2分7秒)


映画『自由と壁とヒップホップ』 ダイジェスト版(6分57秒)


久しぶりに映像をみて、彼らの存在に勇気もらえた。
悲観して諦めてしまうのは権力の思う壺だよね。身体が動かないときは休むしかないけど、状況や結果でやったりやめたりするんじゃなくて、真摯に淡々とやっていきたいと思った。



表現はその人の魂が希求するもの。それには社会や世界との関係が根幹から関わる。
政治的でない表現などないのだと思う。
そして本当の表現は受け手の生きる力を強め、人を孤立させず励ます。

励まされ、新しくなる!
2018/01/27

おきなわ名護市長選挙 稲嶺さん勝ちますように・・・・!

おきなわ名護市市長選が迫る。寒い中、頑張って街宣されている皆様も、大変お疲れ様です。稲嶺さん勝ちますように・・・。

ツィッター 「稲嶺ススム応援ピープル」から
稲嶺さんメッセージ動画(ツィッターじゃないから動画じゃなくてURL貼り付けでごめんなさい!) 
https://twitter.com/twitter/statuses/957123110750138368



今の自分には祈ること以外は何も出来ないため、不安に負けないよう北斗の拳2のオープニングを聞いてせめて元気をだそうとしている私です・・・。(己の不安の深さが我ながら分かる気もする選曲・・・・。)

しかし名曲です。

悲しみは絶望じゃなくて明日のマニュフェスト!(あ、選挙の話題につながった?)


おまけ◎カレー味もおすすめ。インド踊りすごい!
https://twitter.com/ishihama/status/754230525422821376
2018/01/14

16mm劇映画 『月夜釜合戦』

とても観たい。



『月夜釜合戦』 http://tukikama.com/index.html




上映趣旨/監視に見つめられてこわばった身体をほぐすように

老芸人のつたない一芸をみたことがあるでしょうか?
路上で通りすがりの人々に自分の持てる全ての芸を披露する姿をみたことがあるでしょうか?
その姿は美しいと呼ぶには、その言葉の枠があまりにも狭く、形容する言葉が思いつかないで言葉に窮するほどです。
映画「月夜釜合戦」が目指すのは、まさにそのような老芸人の一芸です。美しいという言葉の枠の外にある表現。囚われたフレームの枠を押し広げる何か。スクリーンの外に出ていくような映画でありたいと思っています。
なぜならば、映画の舞台にしたこの「釜ヶ崎」という場所自体が、枠からはみ出した場所でした。釜ヶ崎という街にどんどん惹きつけられたのも、そのような枠から外れたモノに惹かれたからに他なりません。
僕が初めて釜ヶ崎に来た時、ジーンズにTシャツにスニーカーと普通の格好をしているはずなのに、なぜか、そこにいる人達の視線を感じました。「部外者が入ってくるな。」「観光客気分でわしらをみるな。」そう言われているようでした。自分は、この場所に呼ばれてはいない、ここは望んでくる場所ではないと直感しました。


巨大な古びたどっしりとした建物、柱の周りや地べたに汚い格好のおっちゃんたちが座っている。「丁!半!」と声がしている。博打をしているようだ。高架下ガードの煤けた壁には「団結」「同志・橋野」など赤いスプレーの文字が書かれている。路上には、牛のようにでかい野良犬がいた。海が近いわけでもないのに裸のおっちゃんが歩いている。ゴミの山が積み上げられている。その横でアルミ缶を潰している人、銅線を剥いている人。路上に風呂敷を広げて物が売られている。公園では、焚火に人だかりができている。ブルーシートの小屋がたくさんあった。大勢のひとがうねうねと並んでいる。飯を配っているようだ。しょんべんや生ゴミや野良犬たちが入り混じって、鼻を鋭く刺激する。臭いが、街の辻々の角のひび割れた壁からたちのぼっていた。
完成までの5年間でそれらは、様変わりした。
ひび割れた壁に染み付いている入り混じった臭いは、凹凸のない白いプラスティック製の板にとってかわり、臭いがなくなった。クズ拾いの人たちにとって宝の山である積み上げられたゴミは、不法投棄として、360度見回せる監視カメラと、巡回員に常に見張られている。野宿者が暖をとるために三角公園でおこなわれる焚火は近隣からの煙の苦情がきているという理由で消された。テントが排除された後には、二度とテントを建てられぬように、花壇が作られた。路上博打の喧騒も警察の取り締まり強化でなくなった。よそ者を寄せつけぬ牛のようにでかい野良犬ももういない。
そして、自分の格好は初めて来たときと変わらないはずなのに、前の様に視線を感じなくなった。よそ者とこの街の人々との境界がなくなったようだった。なんだかよくわからない路上に溢れた人やモノの集積が釜ヶ崎とよそを分け放つオーラをつくっていた。だからこそ、それらのモノは消された。釜ヶ崎を盗ろうとする者たちにとって、それらのものは邪魔なものなのだろう。
公園はどんどん私有化されている。横になれないようにベンチに衝立ができ、夜間は封鎖され、洗濯や、焚火はもちろん、将棋すらもできないようにされている。何も私有していない者たちが使いやすい空間ではなく、既にたくさんのモノを私有している者たちが使いやすい空間としてつくり変えられている。
けっして、古い建物が好きという懐古趣味や、汚いものや臭いものが好きというような個人的な趣味でこれらの消え去った物事を擁護しているわけではない。自分たちがこの街を知り、「月夜釜合戦」の製作過程でみてきた露店やゴミやテントや焚火は、野宿者の生活の一部として、または三畳一間の空間に押し込められた生活保護者やドヤ住まいの日雇い労働者の生活空間が路上に溢れ出したものだった。押さえつけられた状況を、より良き生へと転化する創造的なものだった。また、監視やルールによって凝り固まった自分たちの身体をほぐしてくれる驚きが風景や人間の所作に息づいていた。
僕たちは野宿者のテントを新たにつくらせない為の排除用フェンスを物干しとして転用する様を見た。排除用の花壇に新たに増設された、不恰好な手作りの椅子をみた。将棋盤の升目が路上に直接マジックで書かれているのを見た。何度、警察に捕まっても、留置所から出所した次の日の早朝には、必ず路上に出てくる露店商をみた。
路上に溢れだした人々の生活そのものが、釜ヶ崎を盗ろうとする者に対峙する様を見た。
僕らも上映の中でそれらから学んだやり方で「月夜釜合戦」を上映するだろう。
上映される空間では将棋が指されるであろう。映画に映っている炊き出しの大釜が路上に溢れでるだろう。炊き出しや、食堂が出現するだろう。万が一、トラブルが発生し、上映が困難になったら、ギャグを50個披露するだろう。
僕らの「やり方」はまずもって、身振りのなかから語られる。笑いとともに。
老芸人がつたない芸を通りすがりの人々に全力で披露するように我々の持てる芸を全て披露したいと思います。

2018/01/04

2018年ご挨拶

あけましておめでとうございます
と言い難い状況に溢れていますが、お互いに生きて新年を迎えられたことは有難いことだとしみじみ思います。

政治は腐敗しきっていて目も当てられないし、権力の横暴は留まるところを知りません。
それでもこの世界に生まれてきてくれ、育ってくれている命たちがあります。
ちいさな人たちに顔向けできるように、この人たちの未来を奪いきってしまわないため、自分に出来ることは何か。
小さく見える大きなことを、積み重ねていけるよう歩めたらと思います。

想像よりも酷いいろんなことが起きているけれど、それでも分かち合い生き抜いていけますように。
今年もよろしくお願い致します。





2017/12/07

沖縄へのヘイトスピーチ問題から考えたこと。

●まとめサイトの記事〔自民系「チーム沖縄」のネトウヨ市長「辺野古反対で海保自殺」→デマでした。〕https://togetter.com/li/1081940

  うーん。ついに辺野古で抵抗して下さっている皆様への嫌がらせのために、敵方は、「人を死に追いやった連中である」なんて言い出したのか。恐ろしい嘘を考えつくよな。都合に合わせてデマで叩いて無かったことにするって寸法ですね。何事も段取り、とは言え、良心・誠実さ共に完全に皆無とは、予想以上です☆。 あまりの思い切りのよさに、驚きすぎて口が開きます。ハイ。
 今の日本はもう人間の根幹にある誠実さや愛、つまり嘘つくなとか、言ったことは責任もってやるとか、子どもや高齢者を思いやる、など!そういう人間どうしの生活約束すら滅びたのかと、全ての場所がそういうわけではないけれど、かなり侵食されているのはどうやら事実らしいと現実の寒さに身が縮みます。

 こういった方たちの人間性の酷さは予想より遥かに低俗で、正直に申し上げると、「理解不能」どころか、「人類の存在価値について心底失望してしまいそう」になります。人間は悲しいですね。


 こちら↓の映像は価値あるドキュメンタリー映像です。毎日放送2017年1月30日放映のもので、だいじな仕事です。悲惨な現実を伝えていますが、その状況を打破するのは、真実を闇の世界から表舞台に引きずり出し、人々の意識を変え、悪に立ち向かえるようにさせるしかないからです。今年の2月ごろ人に薦められ、テレビはないのでネット上で配信されていたのを視聴しました。現在、youtubeに映像が見れましたので、ご紹介させて頂きます。

●MBSドキュメンタリー 「映像’17 沖縄 さまよう木霊~基地反対運動の素顔~」


 日本(ヤマト)の右傾化、沖縄の市民へのサイバー攻撃とメディアの暴力におののきます。現状はここまで来ているのかと衝撃を受けました。まだ観ておられない方、どうかこの機会に是非ご覧ください。
私自身は、観おわったとき、現実の悲惨さに衝撃を受けて、気分が重量級となり、次の日しっかり体調を崩して寝込んでしまいました。もし、感想の持ち方次第で心身が疲れてしまわれるという方は、寝坊してもいい休日の前日などが適切かもしれません。(あくまで個人の感想です。)



 暗い歴史を都合よく忘れて、戦争や差別を再生産しようとする人たちは嘘をつくことを微塵も厭わない。自分の目的のためなら真実など捨ておく。金と権力とオトモダチに飢えている彼らは、安い「愛国家精神」により、つながっているような気になっている。オトモダチと共に誰かを標的にし、卑劣なやり方で集団で虐めぬく。

 標的を攻撃し、脅すことによってしか誰か(他人)と繋がれないヒトビト。彼ら、彼女らは今度は自分が標的かもしれないと心理の深いところでは、いつも恐れている。「仲間」を本当には信じられない。自分でそれに気がついてしまわないように、自分の気持ちには意識を向けようとしない。そのため、愛国家精神を過剰にアピールしたり、攻撃対象を次々探したり、派手なパフォーマンスで「仲間」を威圧するような意味もこめ、被害者をより一層 痛めつけようとする。このようなニワトリの虐め行動のような行為が、極めて幼稚かつ惨めな「連帯」を強めるために行われ続けている。

 彼らは、ほんとうには何がしたいのだろうか。

 いじめとヘイトは、ほぼ同じものだ。90年代の学校での いじめは、共にいじめる「友人」や「仲間」の存在があって初めて成り立つ。それは、90年代以降の虐め方が、集団(多人数)で個人(標的)に無視や虐め行為の嫌がらせをするパターンを基本にしていったからだ。
 「虐めている側の自分は《人間関係がある側の人間》なんだ」 と、自己の存在を必死で確認し、自分の無意識に言い聞かせている。この行動は、誰か(他者)との信頼関係がある、自分も一役買っている、みんなで協力できている等々と、つまるところ錯覚でも構わないから、人に必要とされ、他者と協力して何かを成し遂げたというストーリーを展開していくための言動なのだと私は考える。これをネットやメディア上も含めて社会的に実行しようとしているのがヘイトスピーチなのではないだろうか。

 2004年に起きた 春のイラク人質事件、秋のイラク人質事件の幸田さん殺害から、「自己責任」とバッシングが顕著化した印象がある。

 ヘイトスピーチといって私が思い浮かぶのは、在日や朝鮮学校への差別や暴力(朝鮮学校やウトロ地区など在日の方が住まわれている地域への在特会の暴力や嫌がらせのデモ等)。また、身体・知的・精神の障害者に対しての優勢思想に立ったヘイト(最近では相模原事件、バニラエア事件など)。中国や朝鮮半島の国々の人たちへの差別や暴言、報道もそれを煽っていること。
ハンセン病回復者の方や、原爆被災者、原発被災者や被災地への終わりなき差別と無関心。生活困窮者や、生活保護者や年金受給者など社会福祉における受給者へのバッシング。フェミニズムや性の個性や自由の保障へのバックラッシュなど。薬を盛られレイプされたことを、他の性暴力被害者をこれ以上出させないためにと、全てをかけて実名と顔出しで訴えた勇気あるサバイバー当事者 伊藤詩織さんへの攻撃やネットに溢れる暴言ツィッターの数々など、人間業とは思いたくない冷酷な低俗さだ。

 残念ながら、社会や世界はここまで来てしまった。
沖縄へのヘイトスピーチも、宗教や人種の差別も、時を追うごとに酷くなっている感がある。血の気がひく。日本社会に充満するヘイトスピーチに息が詰まるどころか、戦々恐々としている。標的にされる当事者は特にだし、今やこうした広範囲に渡る標的理由を見ると、これらから「完全に外れるきる」と言いきれる人は、そうはいないのではないかと疑ってしまう。

 ヘイトは留まるところを知らず、非常に加速している。人々は、社会的抑圧からのストレスを抱え、内心は孤独と苦しみ、そして劣等感を嫌というほど味わっている。そうした憂さを晴らしたい一人ひとりの切なるSOSが、今やほかのより弱い立場の誰かに「八つ当たり」としての「ヘイトスピーチ」となっている。そして、これが連結巨大化しヘイトクライム化する状況となってきた。
新聞は毎日のように、世界の白昼「テロ」や銃の乱射事件、車や少年兵による自爆攻撃による死者数を報道している。そこには「イスラム過激派」の事件も多いが、白人男性至上主義的な事件もある。

 日本では、関東大震災の時に起きた日本市民による朝鮮人や中国人の大虐殺事件も、確信犯の小池百合子 東京都知事によって無かったことにされつつある。兵士でもない一般市民が暴徒となって6000人殺したこの事件の歴史は、「従軍慰安婦」のように日本社会でだけ無かったことにされるのであろうか。あの石原慎太郎でも記念日には追悼文を送っていたというのに、彼女はそれをしなかったという。より酷い道を転がっている実感に寒気を感じる。
(「在日朝鮮同胞慰問会」の調査として2613名という数字を示し、さらに調査を続けた同会が〈難に遭った朝鮮人の実数は6千人以上〉と発表。また、日本語における標準語の発音がスムーズにいかなかった東北や沖縄、四国地方の人たちも殺されている。また自警団の態度に抵抗した日本人たちも存在したが、暴徒となった日本人「自警団」に殴り殺された人も少なくなかった。)
(参考:id:Vergil2010さんサイト『読む・考える・書く』から、「トロッコに乗せてくれた親切なおじさんも殺されたー9歳の少女が体験した朝鮮人虐殺」 2017年12月7日記事 )


 しかし、このようなジェノサイドが起きる直前は、そんなにヘイトも横行しておらず、表面上は普通に割合フランクに暮らしていたらしい。なのに、この行動。この被害だ。きっかけは警察の流言であっても、ふつうの人たちがこんなにも人を殺し続けたことを、どう考えるべきだろう。普段は見せないで、心の内側に持っていた差別が爆発したのだと考えられる。
では、今ならどうだろう。今、同じようなことが起きたら、どうなるのだろうか。むき出しのヘイトが横行している現在、もし同じように混乱が起き、私たち市民を守ってくれるはずの警察が90年前にやったのと同じように意図的にデマ、流言を流したら? どうなるだろうか。

想像するのも恐ろしい。

(参考:佐野由自さん記事「ヘイトクライムのピラミッドー差別と憎悪の裾野が広がっている」2016年8月5日 記事



 それにしても、せっかく人間に(しかも世界のうちでも自然環境やインフラ、また社会福祉に恵まれ、今の時点では徴兵制もない現代日本社会に)生まれたというのに、自らの生の善きものをドブに叩き込み、それに飽き足らず他の人間の尊厳まで躍起になって奪おうとし、それが実行できたら得意満面になるなんて…、一体どうなっているのだろう。だれかを傷つけて喜んでいるなんて歪んでいると思う。はっきり申し上げて、不幸としか言いようのない哀れな方たちだ。可哀想なくらいだ。この人たちは家族や友人、通りすがりの誰かでもいいが、他者に親切にされたり大切に扱ってもらったような、つまりは愛してもらった経験がないのだろうか…。
しかし、そう考えてみると、もしかするとこうした加害行為は、その人が受けた何らかの被害の裏返しかもしれない。そう思うには理由がある。私も虐められた経験があってか、そういう思想に染まったことがあるからだ。

 突然、自分の過去の話になり恐縮だが、私は中学3年生の冬(15歳のときだったが)、学校の図書館で借りた小林よしのり『戦争論』という漫画に影響され、私もそういう思想とも呼べない思想に染まっていた。それは、日本国という国家に、幸せな暮らしや命、そして人間の尊厳を奪われたアジア・太平洋地域の人々の人生を足蹴にし、存在を根源的に否定する考えだった。そして、歴史を強者の都合に合わせて書き換えるこの「歴史修正主義」は、あれだけの死者と、地獄を生きてきた生存者たちの犠牲には目もくれず、この上、更なる差別と戦争を招こうとしている。

 大学に行き教育を受けていなければ、私はそんなままだったろうと思う。大学2年の時、やっと思い直し、本を読み、小林よしのりの嘘を直視し、彼の思想を受けた自分の闇に踏み入る覚悟をした。学べる空間に送り出してくれた親と、未熟かつ無知な私を愛を持って受けとめてくれた恩師たちや学友には本当に感謝しかない。

 そして、運命的に出会えた、日本軍が侵略した様々な国の戦争体験被害当事者の皆様の存在…。次々と、お顔やお声が想い浮かび、懐かしい。声を出さないように泣きながら証を聞いた。忘れられない。

私は神様に守り導かれ、多くの人に軌道修正され続け、ついに 生命を尊ぶ世界に戻ってくることができた。

 わたしが赤ちゃんの頃に、父方の祖父は肺気腫で亡くなった。私が赤ちゃんのとき、一度だけ抱いてもらったことがある。その写真が私の1歳までのアルバムに一枚だけ貼られている。生後三ヶ月の私に初めて対面した日の翌日、祖父は天に旅立っていった。一言も会話できなかった私の祖父。戦時中は中国に出征していたと聞いた。子どものころ、彼が戦場でどんな体験をしたのか、私はとてもとても知りたかった。
(「優しかった」というおじいちゃんも中国の人を殺したのだろうか?)
ずっと心の中で問いかけていた。
しかし、誰にも訊けなかった。そのため、誰からも、何も教えてはもらえなかった。
子ども心に真実を求め、そうして学校の図書館の新刊コーナーで手に取り、読んだ本が『戦争論』だった。

 このことは想像を絶する間違いで、根深い痛手となった。今から考えると一歩間違えれば、生きる意味の損失になりかねなかった。そのように、まんまと奪われた自分の生きる意味を取り返しきるのに15年以上はかかった。しかし私がどんなに「あれは今の自分とはチガウ」と言い訳したとしても、この件については、私の一生涯の恥であり、罪だと思う。忘れてはいけないことだ。

 人間は変われる。それは、本当のことだ。しかし、言うまでもなく容易いことではない。
私は、15歳当時、家に帰ってこの歴史誤認漫画を二つ年下の弟に強くすすめ、読ませた。このことにより、彼の歴史認識は当時の私のようにしっかりとこれに染め上げられた。大人になった現在も、その考えを持ち続け、朝鮮半島を植民地にした歴史や、在日の方たちの現在についての理解は無い。この人はとても優しい気持ちの持ち主だが、その優しさや想像力は日本の戦争により苦しんだ人たちには断じて届かない。今となっては悔やんでも悔やみきれず、思い出すたびに気持ちが塞ぐ。そして、このプロパガンダの源流に対して怒りが膨れ上がってくる。

 人間というのは、誰かにどんなに上手いこと言われても、自分で自分を変えようと決意し、行動しなければ変われない。変わりようがない。自国の想像を超えた情けなく残虐な歴史の真実に目を向けることも、自分自身の恥や黒い過去と向き合うことも、どちらも覚悟と強さがいる。それは、結局のところ「どんな人間として生きたいか」という、その人の核にある決意された魂の目標のような想いじゃないだろうか。自国の侵略の歴史をどう見て、この国の中央にある国家権力にどういう視線を投げるのか。そして、自分自身の人間の尊厳の在り方をどのようなものに据えるのか。この二つは密接につながっているように思えてならない。



 へイトスピーチは、優しくて勉強もできるし社会的な問題にも関心があるような、誠実なタイプの中学高校大学生に、よく感染する。その為、大人は、日々こどもとなるべく対話をし、差別情報を得た子どもの発言に 気付き意識を向ける必要がある。その上で、否定的に叱り正しさを強要するのではなく、しっかり腰をすえて話し合うことが必要と思う。子どもが正しい情報を自分で取得ができるように心的余裕をもってアドバイスし、時には読み物や映像作品を薦め、ヘイトスピーチの間違いや差別、ヘイトに漬け込まれてしまいかねない自分の心にある闇を、ゆっくり着実に気付かせていけるようにすることが大切だと私は考える。


とはいうものの、大人自身がヘイトにまみれていて、それが当たり前なのが現代の悲惨な現状だし、社会的意識や思想を持つことも今の世の中では少数派だ。自己を問い直し続ける道は、楽じゃない。楽でもない簡単でもないことに、どうやって「取り組もう」と思わせることができるというのだろう。道のりはとんでもなく険しい。呆然とし、現実逃避したくなってしまう。


 でも、まぁ、
考えることを決して止めないで、周りの人にアクセスし続ける勇気をふり絞り、
自分自身とも周りの人とも丁寧に対話することをやめずに生きていければ、現実のどこかを、少しずつであっても、変えていけるのでしょうね。
「いやいや、そんなの無理でしょ!!自分は全くそんなことやりたくないし出来ません!」という方も、おられるかもしれません。
けれど、
とにかく現実を知り続けていこうとしていきましょう。
この末期的な現実下で、自分には何もできないと思っても、「俺はヘイトに騙されやしねぇぜ!」という心意気を持ち、誰と共有できなくても、しぶとく真実を求め続けましょう。

誠実に真実を求めていけば、いつの日か真理に辿り着けるかもしれません。
神様は聖書の中で、
「真理はあなたたちを自由にする」(新約聖書 ヨハネによる福音書8章32節より)
とおっしゃっておられます。

私は、これを真実だと思い信じています。
こんな世界でも、自由になる方法が残されています。

だから、なんとか諦めないでいきましょう。

人間を、地球を、いのちを想う祈りを止めずに、お互いの光を灯台にして、どうにか生きぬいていきましょう。ね!


   最後まで長文にお付き合い頂きありがとうございました
   感謝申し上げます









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2017/11/16

映画 『パーフェクト・レボリューション』

ちょっと照れくさくなる予告ではあるが観たい映画。リリーさんの演技すき。

映画『パーフェクト・レボリューション』http://perfect-revolution.jp/




障害者だって恋をするし、セックスもする
「社会に革命の火炎瓶を投げ込みたい」 全く新しい恋愛映画のモデルとなった熊篠慶彦さんインタビュー
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/perfectrevolution?utm_term=.dfkjy070b#.xygK9B5Br


2017/11/15

こんなにも愚かだっていうこと

少し前の話題になるけど、トランプ氏が来たときの日本政府とアベ氏の媚びへつらいに心底うんざり。
ゴルフではバンカーに落ちても見向きもされないのに、武器を買え!と言われてハイ買います!となる。娘にも膨大な金を渡す約束。「女性支援」って、どの口が言うのか。あんたのオトモダチのレイパーなんとかしなさいよ!と本気で思う。保育園の問題だって山積みじゃん。悔しくて情けなくて言葉も出ない。

そして、地に落ちたメディアの品質。
トランプ氏がきました。一緒にゴルフしました。ハンバーグ食べました。鯉にエサをやりました。ステーキ食べました。だからどうした。辺野古のことも言ってんじゃん。報道しなよ。

今回の来日に横田基地を使ったトランプ氏は、日本も俺の領地で基地だぞと某国を威圧してるという記事をみた。
これまでの大統領は日本の空港使ってたそうだから、確信犯だ。
日本が沖縄を弾除けにしてきた(今もだけど)ように、アメリカは日本を弾除けにしようとしている。

メディアはほぼ死んでる。
座間市の事件は、遺族に確認も取らないで被害者の顔写真や個人情報を垂れ流すくせにhttps://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171114-00010000-jisin-soci
(メディアはどれだけ遺族や被害者を知っている人を傷つけているのか自覚はないだろうな。その写真はどこから探してきたの?誰から買い上げた?人でなしだ。)
辺野古の工事は加速化しているが、ヤマトではほとんど報じられない。肝心なことは報道しない。

ミサイルが飛んでくるとか何とか言って、危機感を煽っておきながら、実際に何が起きるかは分かっていても答えない。

古賀茂明「『米朝有事で最大30万人が死亡』を追及した東京新聞の望月記者を黙殺した菅官房長官」
https://dot.asahi.com/dot/2017111200018.html




アベ政権が憲法を滅ぼし、自衛隊という軍隊を世界各地に送り出せばどうなるか。
日本軍が戦争でやってきた残虐な行為が、なんの反省もなくまた繰り広げられる。
人類はこんなにも愚かなのだと立証するためにこの国はあるのか。




◆目取真俊(めどるましゅん)さんのブログ 海鳴りの島から
http://blog.goo.ne.jp/awamori777
◆望月記者のツィッター
https://twitter.com/ISOKO_MOCHIZUKI
2017/10/08

レイチェル・コリーさんの歌(と私が思っている歌)

この歌は私の中で、2003年にイスラエル軍のブルドーザーからパレスチナ人の家を守ろうとして、轢死(れきし)させられたレイチェル・コリーさん(享年23歳)のイメージそのものだ。



2003年の肌寒い春の休日、デモの出発地点の公園で貰ったビラに、彼女の存在をその訃報と共に知ったときのこと、今も覚えている。その頃の私はパレスチナのこと、全く知らなくて。知らないことも知らなかった。
それから幾年も経って、朗読劇に参加させてもらえて、彼女の役になって、朗読して人に聴いてもらえる機会を二度ももらった。かつての自分はまだ20代で、今よりもっと、っていうか我がことながら恐ろしく滅茶苦茶で、周りの人にはめいいっぱい迷惑をかけた。今思い出すと心底 恥ずかしく情けなく、身体が冷えてくるくらいに申し訳ないけれども
でも、そうした機会を与えられたことを、かなり長い時が経った「今ここ」で、しみじみ感謝している。

脚本に書かれたレイチェルさんが生前にパレスチナから母国に送ったメールを繰り返し一人、部屋で読み込み、考えては声に出し、泣いてしまったりしつつ、そうして彼女と自分なりに向き合えた時間が、今これといって特に何もできていない私なんかの中にも大切な光となっているんだと思う。

当時 訪ねた朝鮮学校の子どもたちの笑顔と、レイチェルさんが出逢ったパレスチナの子どもたちのイメージが重なったりして読んでいたのも思い出す。あの朝鮮学校の子どもたちは、高校無償化から外されたリアルな世代として大きくなったんだろう。こんな社会で申し訳なく、私自身は何も変えてこられなかった。本当にごめんなさいという気持ちでいる。うまく言葉にならない。


そういう経験もあって、会ったこともないけど、私にとってレイチェル・コリーさんは特別な人だ。
この曲は、ジュエルという人が作った歌なんだけど、何回きいても、何年経っても私にはレイチェルさんからのメッセージに聴こえる。
この極限に突き進む世界の中で生きていく、その勇気を与えてくれる。

人は死んでしまっても、生き延びている人の胸に生きてくれることがあるんだって改めて感じる。
音楽は、歌は、時空さえ時に超えて、そのことも伝えてくれる。

人間の生き方の響き合い、表現は、魂のリレーみたいなものなのかもしれない。
天国にいるあの素敵な人たちに渡されたバトン、しっかり握り締めていかなやねぇ。





世界に向けてひとこと言えるとしたら
こういうわ 私たちは大丈夫
心配しないで
心配なんてするだけ無駄だし、こんな時代にはなんの役にも立たないもの

私は役立たずにはならない
絶望して投げやりにはならない
信仰を拠りどころに気持ちを引き締める
闇がもっとも恐れるのは光なのだから

私の手はこの通り小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない


黄金の靴をあなたから奪った貧困も
あなたの笑い声までは奪えなかった
私のもとを訪れた傷心も 
永遠に続くというわけじゃなかった


私たちは闘う
悪意からではなく 正義のために誰かが立ち上がらねばならないからよ
声なき人がいるのなら
みんなの声を合わせて歌いましょう

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない

結局 やさしささえあればいい
結局 やさしささえあればいい

私はひざまずいて祈る
私はひざまずいて祈る
私はひざまずいて祈る

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない
私たちは決してくじけない

私たちは神の目
神の手
神の精神
私たちは神の目
神の手
神のこころ
私たちは神の目
神の手
神の目私たちは神の手
私たちは神の手


   「ハンズ」 (ジュエル『スピリット』三曲目 対訳 内田久美子さん)

Hands(Jewel) 

If I could tell the world just one thing   
It would be,we're all okay   
And not to worry   
'Cause worry is wasteful and useless   
In times like these   

I won't be made useless   
Won't be idle with despair   
I will gather myself around my faith   
For light does the darkness most fear   

(Chorus)
My hands are small I know   
But they're not yours,they are my own   
But they're not yours,they are my own   
and I am never broken   

Poverty stole your golden shoes   
But it didn't steal your laughter   
And heartache came to visit me   
But I knew it wasn't ever after   

We'll fight,not out of spite   
For someone must stand up for what's right  
'Cause where there's a man   
who has no voice   
There ours shall go singing   

(Chorus)
My hands are small I know   
But they're not yours,they are my own   
But they're not yours,they are my own and I am never broken 


In the end only kindness matters   
In the end only kindness matters   

I will get down on my knees,and I will pray   
I will get down on my knees,and I will pray   
I will get down on my knees,and I will pray   

(Chorus)
My hands are small I know   
But they're not yours,   
they are my own   
But they're not yours,they are my own   
and I am never broken  

(Chorus)
My hands are small I know   
But they're not yours,they are my own   
But they're not yours,they are my own   
and I am never broken   

We are never broken   

We are God's eyes  
God's hands   
God's heart   
We are God's eyes   
God's hands   
God's heart   
We are God's eyes   
God's hands   
God's eyes   
We are God's hands   



(20120924)

私信:あの頃、このアルバムをプレゼントしてくれた大切なあの人に、ありがとう。
2017/10/07

辛さんの選挙応援演説の映像をみて選挙に思う。

辛淑玉(shinsugok)さんの応援演説、すごかった・・・。涙がでた。



それで、池内さんの演説もきいた。


正直、共産党に対してネガティブなことも、思ってないわけじゃなかった。
けど、こういう人もいるんだなって。新しい動きもあるんだなぁって。

考えてみれば、共産党、社民党が、頑張ってきてくれたから、まだ今、民主主義とか権利とか社会保障があるわけで・・・。
闘ってきてくれた皆さん、先人たちに感謝しかないなぁって思った。

そして、今、共産党は、ずっと頑張ってきた自分の党の候補者を下ろしても立憲民主や無所属の候補者に譲って、本当に憲法を変えさせないための野党共闘を実現しようとしている。共産党の今は、私の共産党観を塗り替えた。辛さんの言うように尊敬できる政党だと思う。


いまここで諦めたら、ほんとうにおわりだものね。
共産党、社民党だけじゃなく、立憲民主も無所属も、憲法を死守するために身体を張っている皆さんを、私は心から応援します。
議員も、その人のために頑張ってきている無数の人々も。生活の中で、時間も体力も消耗して、そのために身銭もきって。ほんとうに、すごいことです。

(20171010追記/こちらの記事も紹介します。
「二大政党制は幻だったのか。民進党が解体された今、枝野幸男氏に聞いた」2017年10月09日

http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/09/edano-san-interview_a_23236977/)



国家という戦争がしたくてしたくてたまらない化け物をつなぐ、鎖であり首輪である憲法。
人間の暮らし、いのちの世界を滅ぼそうとしている連中の好き勝手にさせたくない。
不正をごまかしたり、軍人の格好をして喜んでいる人々に政治は任せたくない。

私は一票あるから選挙に行く。
選挙権がない人が少なくないこの国で、私は選挙権を持っている。
重い一票。
人類がここまで来るまで、女性が有権者になるまで、どんだけ闘ってきたんだろう。
ここから、また勝ち取っていくために積み重ねていく役割がこの世代にもある。

当たり前は全部がぜんぶ当たり前じゃない。

そのことに、改めて気付き、それぞれの場所で自分なりに立ち上がる。
誤解されても、持ち場で自分の言葉と行動で、伝えていく。今がその時だ。
2017/10/03

教訓Ⅰ

かなり久し振りに聴いた。しみじみする。



死んで神様と言われるよりも生きてバカだと言われましょうよネ
2017/10/01

ことば

飽きもせず殺し続ける圧倒的な世界に
わたしたちは感性ひとつで向かい立とうとする

ことばは天から与えられた人間をつなぐ光

詩を生きるわたしたちのことばは いのちの流れを汲むものでなくてはならない




確かに忘れていることがある

小さな哲学者たちがこれまでどれほど簡単に空高く旅立っていかねばならなかったか
慟哭の人生を歩んでこられた先達たちが羽虫のように殺され
子を守ろうとする大人たちの決意が打ち砕かれ続けてきたか

そして
それが今もなお終わりなく繰り拡げられているこの地上の現実を


先の大戦すら まともに振り返ることも出来ず
国は正当化という嘘を塗りたくり重ねる

下っていく急な坂道は既に奈落に近い現在地
けれど平穏に見えてしまう 今日という日


身を任せるな
立て

誰に知られずとも 声をあげずとも
立て

歯を食いしばり立ち上がり
無残な世界をやはり変えられない無力を憶え
それでも美しいこの世界を歓び讃えよう

暮らしのなか紡がれた思想は ことばとなり放たれる

ことばは 
ほんとうの善きことばは
生き残ったあなたと私をつなぐ光






2017/09/27

希望?

暗澹たる気持ち。絶望しそう。

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追記 2017.10.3
 あー やっとすこし這い上がってきました。気力体力つけてかなきゃですね。騙されないで、最善の道を。ファイト!
2017/09/18

神様

キリスト者として生きようと決意して6年。
洗礼を受けて今年のクリスマスでやっと4年。
こんな暗黒の世界で、イエス様、神様なしに私はとうてい生き抜けないと本当に腹の底から思います。

昨日の朝のニュースによると、国会は解散し選挙となるようです。
朝から恐くて、憂鬱で、しんどい気持ちになりました。
憲法破棄や戦争や核武装のカウントダウン、いよいよ始まったなぁって思って。

どうしてなんだろう。なんで彼を選び続けるのかな。
森友も加計学園も、膨大な税金を私物化して開き直って、証拠なんてありませんって言い張って通ってしまって。戦争時の帳簿や資料を焼いて無かったことにしようとした数十年前と変わってない。変わってないどころか、もっとひどい。繰り返していく罪は初犯より重いよ。権力の酷さは言うまでもなく、それを許してしまうこの社会の現在地が酷すぎるよ。
教育勅語を子どもたちに叫ばせて、その子どもたちが日本の社会の中枢にエリートとして送り込まれていく。そういうところに、にわかには信じられない巨額の税金が何の審議もされずに、つっこまれてきたわけですよねー
この構造の、意図の恐ろしさが分かる人って そんっなに少ないの???

ヘイトクライム(憎悪犯罪)が実体化している暴力レベルのこの国の未来は、あまりにも闇と直結している。
現実の悪化振りは伸びきった輪ゴムなんてとっくの昔に切れていて、急な坂道をいつまでもいつまでも転がり落ち続けていく様だ。底がない。また行き着くところまで行くつもりか。打ちのめされる。

私は戦争はいやだ。原爆の被爆国の上に、原発も爆発させて、その上の核武装なんてホントに勘弁だ。したくない。
これ以上 人が死んでいったり殺しあったりするのはいやだ。NO MEANS NO!

過ちを繰り返してまた大儲けしたいの?領土を拡げたいの?もういいじゃない。もうごめんなんだよ。いい加減に足るを知れよ。

神様が望まれている世界は、隣人を大切にし、人がお互い愛し合う世界。

自分から小さな小さな歩みでも実現していかなきゃならない。
イエス様が全ての人の内に生きている。その力を解放できる人が増えていけば、世界は動く。希望は私たちの歩みにある。
なるべく笑いも音楽も忘れずに。まずは自分から始める。自分が変わっていき、示す。それしかない。
ほんと、それしかない~~

これを読んで下さったみなさんのそれぞれのミッションに御加護がありますように。
どうか悪から守られますように。祈ります。それぞれの場所で日々を生きていきましょう。






どうすればあなたのいのちを届けられるでしょう
どうすればあなたのいのちを伝えられるでしょう
愛の冷えた世界で 暗闇に沈む人々に

ここにいます 用いて下さい すべてを捧げ行きます
心を癒すあなたの愛が人々を満たすまで






落ち込んで心が疲れているとき 困難に見舞われ 心が重く感じるとき
私は静かにここで待ちます
あなたがやってきて 私のそばに座ってくれるまで
あなたが支えて下さるから 私は山の頂に立てる
あなたが支えて下さるから 私は荒れた海も渡っていける
私は強くなれる  あなたが支えて下さるから
あなたが支えて下さるから私は自分以上の自分になれる








Glory Glory Hallelugah
愛は生きること
わたしがわたしであることを願いながら
心の中にある神様の言葉が
祈りの唄になりあなたに届くように
2017/09/16

とにもかくにも

ちょっと落ち着こうって。
怖がってる人って、不安になっちゃって考えられなくなって、こわいことしかねないからさ。
まず落ち着いて、追い詰めないように、追い詰められないようにしていこうよ。
ありとあらゆる情報を駆使して、みんなを怖がらせて何かしようとさせてる連中がいるよ。
私たちにとりかえしのつかないこと選択させようとしている。
煽ってるの、だーれだ。