2006/06/30

勇気を受け継ぐ-マヤ先住民族アナ・ペレスさんのお話@京都

6月28日に京都のひとまち交流館で行われたアナ・ペレスさんの講演会の記録です。
来られなかった方にも、アナさんのお話を知ってほしいです。


マヤ先住民族の人たちが虐殺される様は、文字を追うだけでも身を切り刻まれる想いがします…。
本当に人間は残虐で。酷すぎる。本なのに読めなくなるほどに…。

でも奪われても奪われても、生き残ったものは
その尊厳の回復を目指して生きていく。
繋がればそれができるんだとアナさんは教えてくれた。

自身の他人からの想像を絶する酷い経験を、
もう誰にも味わわせたくないと語るアナさんに出会えたことは
私が生きてきた意味でもあると思った。

アナさんに会えて、
コナビグア(連れ合いを奪われた女性の会)の活動を支え続けてきた人たちと出会えて、
今回の京都の講演会のお手伝いが ほんの少しだけどできて
私は……。
みなさま、かみさま、ごせんぞさま、本当にありがとう。


命を狙われても、農村をまわり同じ痛みを持つ女性に呼びかけて
仲間を生みだし続けているアナさんと、
それを支え続けてきたレコムの人たちから、
確かに 勇気を受け継いだ。
受け継いだものを、育て、また誰かに渡していきたい。

だから講演会のメモをブログにアップします。
良ければ読んで下さい。


スピーキングツアーは札幌と東京で終わります。お近くの方は、どうぞアナさんに会いに行って下さい。

■勇気を受け継ぐ-グァテマラ内戦から10年-
 アナ・ペレス スピーキング・ツアー
http://www1.odn.ne.jp/kurikei/speakingtour.htm
■日本ラテンアメリカネットワーク(レコム)のウェブサイト
 http://www.jca.apc.org/recom/ 


アナ・ペレスさん 講演会@京都 2006年6月28日(水曜日)ひとまち交流館


■通訳をしてくださったレコムの新川さんから事前説明
 1944年から54年 グアテマラ民主改革の時代。10年間で2つの政権が生まれる。土地改革をしようとする。そのころユナイテッドフルーツカンパニーという大企業が中米から膨大な量のバナナを輸出していた。グアテマラの耕作可能地の2分の1をこの企業が独占していた。その支配下にあったとも言える。アラベンス大統領の時代、この企業の土地を没収して土地改革が行われようとした。しかしCIAをバックに企業はクーデターを計画。政府は転覆され、グアテマラは軍事政権下に。1979年ニカラグアでは社会主義のサンディニスタ革命が起こる。サルバドーレも革命を起こそうとするゲリラが多くいた。軍部と米政府はゲリラを恐れ、1979年から1982年ゲリラせん滅作戦を。魚を殺すのには水をなくしてしまえという論理で、人間の関係が生じるところに攻撃を。マヤ先住民族の村が440以上破壊された。内線の期間で言えば、20万人もの人が殺されるか行方不明となっている。
100万人以上の人が国内外の難民となった。すさまじい暴力。どれぐらい残虐かというのは本の証言などを是非読んでみて下さい。グアテマラ農村部での暴力は本当にすさまじくて、1200万人の人が殺された。その60%~65%が先住民族のマヤ民族だった。人的被害のみならず文化や共同体の在り方も一緒に破壊されてしまった。聖地をねらっての攻撃や虐殺は、精神的、文化的にも大きな傷をもたらした。

 和平協定は、政府が国際的な圧力から対応してできたもの。けれど力は不均衡で、内容は良くても調停の履行は進んでいない。社会の見えないところに暴力は深く根付いていて、その構造は変わってはいない。特に農村部は恐怖を持ったままの社会と言える。

■写真家 古屋桂信さん(今回ツアーの実行委員長)
グアテマラの面積は日本の3分の1ほど。北海道と四国を合わせたぐらいの大きさ。火山があって緑が濃く深い。「抵抗の共同体」はゲリラと見なされていた。写真は92年と93年のもので抵抗の共同体の写真は太田さんのもの。94年の2月表に出ても大丈夫になった(記念式典写真)。
虐殺された人たちの秘密墓地の発掘作業。そのコーディネートは大変。様々な書類を作ることは農村部の住民だけでは困難。コナビグアがコーディネートしている。
コナビグアの女性たちの首都事務所。出身地・農村で伝統衣装が違う。連れ合いを奪われ生活を破壊されて農村から出てきた。みんな違う土地から出てきていて集まっていることが、この写真はよくわかる。

■アナさんのプロフィール(司会の安藤さん紹介)13人兄弟の末っ子。1982年アナさんの住んでいた村にも軍隊がやってきて、数百人規模の虐殺を行った。このとき、お兄さんは焼き殺された。おねえさんも行方不明のまま。アナさんは生後11ヶ月の娘を抱いて必死で逃げた。ノーベル平和賞を取ったグアテマラの女性、リボベルタさんの父親が組織していた農村グループ「クック」に参加。その後コナビグア創設に関わる。こうした活動をするということは暗殺対象にもなるということを意味している。アナさんは1993年に捕まって軍部から酷い拷問を受ける。奇跡的に脱出し、その後メキシコに逃げる。その後「抵抗の共同体」に。コナビグアのコーディネートとして2年間で2600人ものマヤ先住民族女性をオーガナイズしたこともある。

 証言をし続けるということは、その都度 追体験をするということで、それはとても辛いこと。消耗してしまう。今回のツアーでも…。そういったあたりを汲んでもらえたら幸いです。そうした意味も含めてプロフィールを先に紹介します。

■アナ・ペレスさん(39歳)お話
皆さんにお会いできてとても嬉しい。コナビグアの話を。その前に若いときの話をすると若いときからクックに参加していた。グアテマラ先住民族がプランテーション労働をしていたが、賃金が不当だったりしたので公正な給料を求める活動などをしていた。
クックで活動しているうちに、連れ合いを奪われた女性たちや孤児の厳しい現状が見えてきた。長老たちが会議でどうしようかと話し合った際に、やはり共同体を組織化するべきだろうという話になった。これがコナビグアの前身となる。マーケット、教会、選択場、水くみの場で話し合って意識化と組織化をしていった。いくつものグループを方々で作って、教会がそれをまとめるネットワーク作りをしたこともあった。

86年、87年と準備をして、1988年9月10日から12日の三日間で正式発足した。当時はオフィスもなく、食事を抜いたりしながらもグアテマラシティで子どもを抱えながら活動を始めた。誰かの家にいったり、コカコーラ労組の事務所を借りたりした。各地域、各県での活動の他に国際組織に支援を呼びかけたり、政治活動も開始した。農村の組織化も意識。コナビグアの賛同人を増やしたり、教師に説明をしにいったりした。軍のパトロールに見つからないように夜中に村をまわったこともあった。小さな娘2人を連れてあちこち移動するのは大変だった。そうした努力で参加女性が増えていった。当初は11の活動目標を持っていたが、全てがいっぺんにできるわけではないのでより現実的なものにした。当時の目標は今は達成できていると言える。

1993年軍に捕まってしまう。なんとか逃れることができた。その後メキシコに、そして抵抗の共同体に、それからポエキル村に住む。この頃この村にはコナビグアの女性は居なかった。そこでもコナビグアの人を増やしていった。現在自分は県全体の責任者。4つの自治体、18の村をカバーしている。コナビグアは法人格も取り、今は正式な団体。5つの活動分野を決めている。

(1) 遺体の発掘
(2) 女性のエンパワーメント
(3) 女性の組織化
(4) 罪人の処罰や裁判、被害者の尊厳回復のための活動
(5) プロジェクトいろいろ

(1)遺体発掘
 きちんと見つけて、きちんと埋葬する。家族はいつも行方不明になった家族のことを考えている。亡くなったことを知ることは辛いが、見つからないともっと辛い。ずっと「川や谷に捨てられているのだ…」と考えてしまう。埋葬できるとほっとする。大切な日にお墓参りもできるし花も供えられる。教会や水の湧き出るところなど大切なところ(聖地)でたくさんの人が殺されたが、私たち遺族はどこで遺体が眠っているのか いつも心配しなければならない。それはとても苦しいこと。(2)女性のエンパワーメントは
 女性の意識化と女性リーダーの育成。差別され権利や尊厳を踏みにじられてきた先住民族の女性たち。権利や尊厳を認識し求めていくことが必要。
(3)女性の組織化 農村部の女性というのは特に酷い状況。子どもを生む道具のように扱われてきた。学校にも行かせてもらえずに、仕事にもつけない。着るものや食べ物、文化を受け継いできたのは女性であるということ。
(4)虐殺の責任者の将軍が「マヤの女たちがバカだから」というような暴言を。腹が立つ。権利を要求するための闘い。未来を担う子どもたちにもうあんな体験をさせないように。

 コナビグアの農村部での活動は軍からの圧力がある。尾行、妨害、脅迫などがある。特に発掘や、女性のエンパワーメントはそれを良く思わない男性から「グアテマラのイメージを悪くする」などという悪口もきこえてくる。けれど負けずにやっていく。私たちは神事と正義、女性の平等を求めているだけだ。デモなど、平和への要求。和平協定の履行(マヤの民族教育、女性の権利、特に重要なのは先住民族の権利・アイデンティティ)も求めている。
 コナビグアは女性の子どもたちも組織化し、次世代(若者)の育成にも力をいれている。人権の活動、マヤ女性の権利の要求や告発をやることは危険でもあるけれど、それでも私たちは続けていく。コナビグアの代表として支援と連帯にお礼を。この実行委員、レコムの皆様には特に。こういうひとつひとつのことがとても大変だと分かっているので、非常に有り難い。

やはりまだまだ多くの男性が女性に対して権力を行使している。それを変えていくことは大変だけれどひとつひとつやっていこう。ありがとう。

Q 勇気を受け継ぐ タイトル意味は? A(古屋さん)
Q コナビグアに参加して意識の変化は?
A (アナさん)
 
思い返してみるとコナビグアに参加して自分もずいぶん変わった。大学でメンタルヘルスの講座をとる。コナビグアから3人、自分も参加した。それまでは自分自身の苦しみや様々な気持ちをどう取り扱っていいものか分からなかった。それが学ぶうちに分かるようになってきた。専門家のサポートもあった。それが同じ被害にあった女性の役に立ったりもしている。女性リーダーの育成も自分にとってとても大切。スペイン語も最初は話せなくて、外に出ても恥ずかしく質問が来ないように隠れていた時期もあった。けれど、話せるようになってくると自信がつき、女性としての権利、私自身には人間の価値があると思えるようになってきた。私は今の自分が好きだし、「差別されない権利がある」と言える。そう主張できるようになったのは本当に大きなこと。



Q 傷をおった女性をエンパワーメント(権利を意識化していく作業)していくのに最も大切なポイントは何ですか
A(アナさん)
 
未だに多くの女性(特に農村部の女性)が恐怖に脅えている、それは内戦の経験が遺っているから。スペイン人に侵略されてからは500年。「女は価値がない、尊厳も権利も能力もない」と言われ続けてきた。その上に37年の内戦が続いたということ。
肉親の遺体を探す発掘は心の平穏をもたらして、恐怖を乗り越えて克服していくことでもある。そうやって尊厳を取り戻していくことは大切。

Q 男性の無理解という言葉がでてきましたが、それはマヤ先住民族内でのことですか?もしそうならどのように対応してきたか

A(アナさん)
 
村の外でも中でも男性優先主義(マチズム?)が骨の髄までしみこんでいる。男性への意識化のキャンペーンもしてきたが、30代40代からのメンタリティを変えるのはとても難しい。コナビグアは方針を変えて、頭が柔軟な若者に話してきかせることに。男と女の均衡があったから人類は存続してきた。これがどちらかが多くなると大変。人類が続かなくなるということになったら、そうした基準から外れてしまったということなのではないか。
 マヤ文化の中心には女性への尊重があった。しかしこれをスペインが壊してしまった。子どもにも、同時に子どもを育てる母親にも 男女関係なく学校に行かせることや家事を手伝わせることを教えさせる。

Q アナさんは普段どのような生活をしているのですか?
A(アナさん)
 
14歳の頃から仕事をしているので…。毎日色々あります。休日は割と早起きで5時か5時半には起きている。好きなことは山の中を散歩すること。薪もとってくる。料理は実はあまり好きではなく、掃除や整頓は好き。薬草作りも得意なので助言をしたりする。お客様も来るし、要請があれば小学校などにも話しに行っている。なので家族は私が忙しくて不満な一面もある。自分は自然と深くつながっているようで、山に行かないと元気がでない。1、2週間に一度は山にいってエネルギーをもらってくる。

Q キリスト教は敵?
A(アナさん)

 カトリックの教会というのは神父さんによって態度が違う。協力的、助けてくれる司教たちもいる。抵抗の共同体の土地を確保してくれたり、真実を探すために活動してくれた人もいた。けれどヘラルド司教は真相究明に協力したために殺されてしまった。
「グアテマラのインディオは馬鹿で、だからグアテマラは発展しない」などという暴言神父もいる。自分の娘の名前の意味を訪ねられ、「マヤの最初の女性の名前」といういと「何もしらないんだな、それは魔女の名前だ」と私を説得しようとした。説得できるわけはなかった。このような認識の違いがある。

Q マヤの精神性とコナビグアの活動のつながり
A(アナさん)
コナビグアは勿論、マヤ文化の回復もしようとしている。スペイン人に侵略されたとき、マヤの知恵のある人たちは殺された。そして違う宗教を押しつけられた。それが人々を分断した。今も騙し続けていると思う。本来、自分たちが持っているものを守ろうと女性たちは闘ってきた。聖書は男がつくったものだと思っている。男性優先主義だと思う。

Q 命をねらわれるような活動。それでもやるのは?
A(アナさん)

 ひとつには私が経験してきた辛い経験がある。人はあまりに恐怖を感じすぎると恐怖を感じなくなる。反抗するようになる。失踪者から(被害体験をした)生存者になった。拷問で男性から酷く扱われて、そのことがどれほど辛いことか知っている。もうあんな辛い体験を子や孫に味わわせたくない。それが原動力になっている。拷問を受けている時、もし武器を持っていたら全員殺してやると思った。軍服を見ると、今でもとても嫌な気持ちになる。

 女性たちの運動は一歩ずつ歩む。一歩すすんで立ち止まり反省する。そしてまた一歩進む。そのプロセスで女性として成長する。たくさんの人の支援も原動力のひとつ。メンタルヘルスで自分が辛いときに支えてくれた方々や、こうして話しを聞いてくれる人の存在もそうだ。私たちは言葉は通じないけれど真剣に聞いてくれているのがわかる。

Q 日本は世界二位のドナー国。でも…。私たちにできることは?
A(アナさん)

 政府からの援助は政府に。そこには腐敗があって人々に援助は届かない。官僚や書記官にお金は落ちていき、地方自治体―市町村レベルまで届いたとしても微々たるお金。コナビグアは政府からの援助を受けていない。条件がつくし、政治的利用も考えられる。私たちは売り渡さない。人々の信頼を裏切るわけにはいかないから。これからも農村に入るための支持をお願いしたい。女性の問題は経済的にも大変。犠牲者に届く援助をお願いします。

■新川さんコナビグア結成の過程から、レコムとして支えてこれて本当に良かったと思っている。アナさんのような人がコナビグアを支えている。今回の収益は遺体の発掘費用になる。調査費や、遺族の立ち会いや滞在費、職を休む間の給料、葬式代などたくさんのお金が必要だが、コナビグアは工面してきた。どうぞ協力して下さい。



アナさんが二次会で
「スピーキングツアーを今回色々なところでやってきたけれど、今回が一番良かった。みんなが真剣に聞いてくれているのが伝わってきた。」と言って下さっていました。

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