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2019/08/03

ファシズムの火蓋が切っておとされた社会で

子どもの頃、「戦争を始めた時期の日本に生きた人たちはどうして開戦を止められなかったのだろう」と思ったものだ。

今、日本社会が恥じも無く自覚も無く、自ら破滅と崩壊に直走る様を感じながら
あの時代に生きた心ある人たちの無力感を想う。

どうして私の国はこんなにも愚かなのだろう。
どうして、どうして、どうして、どうしてなの?

どうしてこんなめちゃくちゃな政府を肯定できるの?
どうしてそんなに簡単に隣国への暴挙に同調できるの?
権力への自然極まりない絶対的服従。
そこに至るまでに長い時間をかけて、一人ひとりに内面化された差別と抑圧と暴力。
いつの日にか傷つけられた怒りや悲しみを、計画された差別や暴力に回収されてしまわないで。
自分を奪われて預けてしまわないで。

今日の新聞に虐待を受けていると認定された子どもたちが全国で15万9850事例あると書いてあった。氷山の一角でこの数字だ。
傷みと暴力の脅威を刻み付けられた子どもが大人になったときに、何が起きてしまいやすいか。もうこの社会はその姿を示しきっている。

スイスの心理学者アルノ・グリューンが書いた『私は戦争のない世界を望む』を再読している。幼少期に受けた暴力や不正義が共感性の持てない人間の感覚形成の大元の体験であることが非常に丁寧に示されている本だ。権力に傾倒し、人の痛みが分からない人間が権力を握っていくときに何が起きてくるか。この本の中で過去のファシズムの時代の中の事例として書いてあることが、この日本社会で具体的に起きていることにいちいち合致している現在地には心が凍る。

ここ数日の日本政府、行政の愚行は留まるところを知らない。資本主義ですらない。この国も、いよいよ例えではなくファシズムの再来となった。その火蓋は、切って落とされてしまった。段階が変わってしまった。そう肌で感じる。
現状と、これから更に転落し悪化していくだろう自国の社会。予見に息が苦しくなる。
しかし、とにかく生きていなくては。