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2019/07/29

韓国と日本の関係について思うこと。

 韓国と日本を結ぶ航空便のなかでLCCなど比較的安価なものが、韓国政府の判断で減っていると新聞にあった。
 日本政府・日本社会の、戦争と植民地支配の暴力と抑圧の歴史の正当化してきたこれまでと、韓国社会と韓国政府に対する昨今の態度を考えたら韓国政府の判断は当然のことだ。散々の無礼を働き、仮想敵国化して罵り嘲笑しながら、その一方で「観光客をあてにしていたのに」とぼやく日本。なんという愚かさと醜悪さだろう。カッコ悪すぎるし、アタマが悪すぎる。改めて、自国の恥ずかしさを思い知り、一瞬 言葉を失ってしまった。

 今年の三月には酒に酔った日本人男性が、韓国の金浦空港で空港職員に暴行を振るい逮捕された。その男性が日本の厚生省の課長だったというのを聞いたときも、なんて恥ずかしい国なのだろうと申し訳なくなった。事件として報道されないだけで、日本人の刷り込まれた韓国差別からの横暴やトラブルは、いろいろと起きているのだろうと思う。それは韓国でも、日本国内でも…。

 ストレス源なってしまうのでうちにはテレビを置いていない。それでも外で、飲食店や病院の待合で目に入るときがある。ある時、バラエティ番組の中のお笑いコーナーで韓国語を非常に馬鹿にしたような表現を嘲笑するという場面を見た。ほんとうに心の底から日本社会の低俗さと現状を表していると感じ、自分が日本人であることが心底 恥ずかしくイヤになった。情けなさ過ぎる。街で修学旅行中の中学生たちが同じようにふざけあっているのを見たときも心が冷たく暗くなった。本屋は若い頃は楽しみに行く場所だったが、今はヘイトスピーチ本が溢れ帰りある程度の覚悟をもって行かなければならない場所になってしまった。

 日本人の自分でも日常の中でこれだけ気付くのに、日本に暮らしておられる韓国籍の方たち、在日朝鮮人の方たちはどのような抑圧の中を生きておられるのだろうか・・・。民族学校に通う子どもたちがヘイトクライム(憎悪犯罪)にいつまきこまれるかと。本当に極限の精神状況で暮らされているのだろう・・。民族学校の修学旅行生のおみやげを日本の空港で取りあげられてしまった事件も、忘れられない。学校生活の中で最も楽しかったであろう旅の時間が最後に台無しされ、心が深く傷つけられたこどもたち。差別と抑圧をまざまざと経験して、日本社会で暮らしていく自分の未来をどう感じていただろう…。非常に申し訳なく、こんな社会をどうにもできていない情けなさを感じる。

 自国がした侵略と植民地支配の事実を、戦争犯罪の事実を、どうしても見たくない日本社会。 韓国との国際関係の悪化は日本政府と日本社会が選択してきた行為の当然の帰結としか言いようがない。マスコミはあたかも韓国側に問題があるかのように報道しているのだろう。もうメディアではなくプロパガンダとしか言いようがない。唾棄すべきものだ。
 沖縄が差別されるのも、その事実をしっかりと体験し記憶していて、現状の矛盾を背負わされている当事者であり告発者だからだ。日本国家と日本社会にとってどこまでも都合が悪いから…。

 普通の人間関係だって、見たいものしか見たくない・見たくないものは見たくない、ばかりでは友として付き合ってもらえなくなる。ましてや、暴力を振るっておいてそのことを都合よく忘れたり、被害の訴えを嘲笑するばかりで、そんな人が裁かれないままであるということ。誰にも関わってもらえなくなることは明白だろう。戦争時、植民地支配で朝鮮半島の人たちに何をしてきたのか、それを自分たちがされたらどうなのか。「自分のしたくないことは人にするな」ということ幼稚園で教わったモラルすら身につけられない日本社会。自分がしたことにも責任を取らずに暴力を正当化する権力に重きを置く社会が、世の犯罪をどう取り扱えるのかと常々思う。(実際に社会の中でモラルハザードが起きていることを実感する。)
 
 経済も衰退し、その様は私のような庶民の生活のなかからも透けて見える。尻尾を振ってお金をばら撒いて権力者の売る武器に飛びついてご機嫌伺い。どこまでも軽んじられて、その惨めさも直視できないで、それでも貢ぎ服従し続ける。こんな首相をいつまで許容しなければならないのか。このまま世界に相手にされなくなるのだろうけれど、未来に破滅しかないのはごめんだ。
国政の愚行により社会が荒れ果て、戦争に雪崩れ込んでいった時代の再来を戦争を知る人は皆 肌で感じておられることだろう。
 お金と権力にものを言わせてやりたい放題してきた結果、国の基盤は傷つけられ、嘘と開き直りが前提になり下がった日本の国政。時間をかけた教育による愚民化政策で国内は騙せても、己を過信・妄信した振る舞いに世界は呆れ返っている。日本の政治家や社会の異常さが海外で報道されている様を知る度に、穴があったら入りたくなる。

 憲法は国家の権力から人間を守るために制定された。もう戦争を起こさない、すべての人に権利があると謳った日本の平和憲法を遺棄してしまえば、どうなるだろう。日本はあの第二次世界大戦を引き起こした自国の歴史を放棄し、確信的に開き直ったと世界に認知されるだろう。そうなったときに、どこの誰がこの国と付き合いたいと思うだろうか。今ある国際関係や、それによって支えられている日常が維持されると思っているならお門違いだ。「日韓関係の悪化」という言い回しによる責任放棄と同じで、日本政府と日本社会の墓穴ほりによる自滅でしかない。

 私は政治をきちんと任せられると思える人に政治家になってほしい。権力は玩具ではない。指先口先ひとつで人の人生や国税を左右できることに、責任でなく優越を感じるような者には政治は任せられない。人間として「恥を知らない」ということが、何よりも恥ずかしく愚かで害を及ぼすと感じるが、そういう人間にだけは政治権力を任せてはならない。日本の戦争の歴史はそれを教えているはずだ。政治を権力者の好き放題させてしまっている社会情勢をつくっているのは自分たちで、そこを変える力も本当にはあることを改めて知らなければならない。

 韓国の人たちは日本の植民地化と戦争の後遺症としての凄惨な軍事政権の苦しみの歴史から民主化を実現し、文在寅(ムン・ジェイン)氏を大統領として選び取った。(岩波書店から出ている 『運命―文在寅自伝』、とても重要かつ大切な一冊。まだの方は是非ご一読あれ。)
 今年の6月末に大阪であったG20のため来日した文大統領は、戦時下に日本に強制的に連行された―もしくは日本の植民地支配からどうしても海を渡らざるを得なかった在日の方たちを訪ねて、韓国の軍事政権化で「スパイ」容疑者として弾圧した歴史を国の代表として被害当事者や遺族に謝罪した。新聞で小さなその記事をみたときに、わたしの心は震えた。国の権力の中心にいる人が、国家の暴力に犠牲になった人に対して、自国の歴史的責任を引き受け頭を下げて謝罪したのだ。文大統領は日本政府の真逆、対極にあたる国の姿勢を示した。彼は朝鮮民主主義人民共和国に対しても、日本の植民地政策と戦争を発端に引き裂かれた朝鮮半島の和平のために働き続けている。この人を韓国の民衆が選んだ。

 沖縄の玉城デニー知事が昨日のフジロックのフェス関連イベントで演奏とスピーチをしたそうだ。
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル「雨を見たかい」と、ボブ・ディランの「見張りの塔からずっと」の2曲。音楽は人を感動させて、人を想像させ感じさせる力があると私も信じたい。
「雨を見たかい」は、ベトナム戦争の時代にアメリカで放送禁止歌だったそうだ。この歌の動画に、ベトナム戦争の映像があった。ここに映る米軍機はどこから飛び立ったものだろう。沖縄か、日本の今は自衛隊の基地となっている場所か…。

 8月8日で沖縄知事だった翁長雄志さんの一周忌になる。圧政を闘い倒れた彼の死を、日本社会は受けとめていない。知事選でも県民投票でも、沖縄の民意は幾度明示されても踏みにじられ海への埋め立てが進められている。沖縄の置かれている状況は以前厳しさを増しているが、それでも昨年秋の知事選で玉城デニー氏が勝利しなければ、権利主張の現在地は実現しなかっただろうと思う。沖縄の平和を望む人たちに送り出されたデニー知事は初心を貫き、基地問題や福祉の政策公約を実現するため奮闘している。けれど、日本政府の姿勢があまりにも酷く、米軍基地による事件や事故・環境破壊はものすごくて、デニー知事も倒れることになるのでないかと危惧する。新聞でデニー知事の写真を見るたびに、過労の色に前知事が痩せていった日々を思い出し心が苦しくなる。もうこれ以上の蹂躙は許されない。

 韓国のひとたち、沖縄のひとたちが決死の思いで選び出した首長。民の代表として、託された力を使おうとする政治家のあるべき姿。その姿を実現した人々・社会から、学び励まされ 諦めず私たちもしっかりと立たなければならない。
簡単に諦めてしまっては未来は失われる。散々、日本社会が恥ずかしいと書いたけれど、私は日本の社会でこれからも生きていくし、日本の社会の一員として自信を持って暮らせる日が来ることを望む。勘違いした自己正当化ではなくて、本物のあるべき誇りが持てる社会に生きたい。今の「日本人」であることをただ誇るような倒錯した自己肥大は、私が望む在り方の対極にある。