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2019/07/25

怒りの奥に

 
明日で相模原殺傷事件から3年。オウム真理教の連続死刑から1年。
腹の底から渦巻く怒りの奥に虚無的な悲しさと恐怖、不安がある。

わたしたちの社会は命に値札をつけているように思えてならない。社会的な優劣や各々の個人的評価に照らして、相手が生きる価値があるか否かのジャッジを表明し続けているように感じる。暴力的な、排他的なもののほうが大きな声として聞こえる。

 人の世が自暴自棄になり殺人を犯した人に「一人で死ね」と言う。理不尽な殺人・死に対し、その怒りが正当なものであるにしても、その一人を追い込んだのは誰であり何なのかについては考え続けなければならないと思う。思考放棄した社会の果てで、これ以上悪いことが起きないようにするために。もうこれ以上、だれかが同じ道をいかないですむように。生活保護バッシングを例に出すまでもなく、誰かを追い詰める言動は自分自身も追い込むことも忘れてはならない。

 そうかと思うと、自分の責任を問われない場合のみ誰かの不幸に目を留め、いともたやすく同情する。それは感動ポルノ的な意味合いを持つ感情消費ではないのか?そう自問自答しなければならない場合もあるのではないかと思う。
人生を奪われた人たち、奪われている人たちを都合よく自分の為に使ってしまわないように。よく目にする耳にする事件以外にも社会の現実と不平等を覚え、都合よく忘れている人たちのことを思い起こさなければ。
過去であれ現在であれ、たった一度の人生を 失わされた人に対して、真なる祈りを抱けるように暮らしたいと願う。

 感情を持つこと、共感を抱くことは人間が人間である大きな要素だ。日本は感情を表明しにくい抑圧さと、同調圧力が強い社会だと思う。
己の感情を何かや誰かに奪わせないために、知らず知らずのうちに操作されている自分に気付いていけるように学ぶ必要がある。自分のうちに生じる個人的な感情を誘発する情報のアンバランスさ(目立って主張されるものと隠されるもの)その背景を意識しなければ、ひとりひとりの人間としての善い感情も国家や権力に利用される装置として発動しうると思う。周到にすり込まれた「愛国心」が戦争の基盤になってしまったように。

 時代の空気はマスコミによって、教育によって、世間体によって、用意周到につくられている。頼り頼られる関係性も希薄な社会で、「迷惑かけるな」って言われ続けてそれを内面化して、自死大国日本になった。権力者がつくった空気を読んで合わせ続けてきたからこんなに権利が無い社会になってきたんだし。横行するいじめやハラスメント、世間話のなかの差別に気付かないフリしてやり過ごすときに、自分への自尊心も信頼も削られる。良心的な人は病んで、権力を望む人はいよいよ鈍感になって。どこまで続くんだ。

 この社会のおかしさに組み込まれない為、自分自身の感覚を吟味し、よいところは守りつつ育てたい。信頼できる人たちと関わりながら、感覚を研ぎ、深めていく必要があると感じる。生き抜いていくために、自分の中心にあるものを掻っ攫われないように。


茨木のり子さんの詩にあったな。「自分の感受性くらい自分で守れ ばかものよ」って。