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2020/03/01

今年の三一節(サミルジョル)。

1919年3月1日から101年。日本が植民地支配していた朝鮮半島で一斉に立ち上がった202万人の人たちが日本帝国に弾圧され殺され、分かっているだけでも7509名の人が命を奪われました。
(16,000余人が負傷、逮捕・拘禁された人の数は、46,000人。)
三一節
参考記事:
第100周年3.1節記念式 文在寅(ムン・ジェイン)大統領演説[全訳] (2019年3月1日)
参考記事:韓国旅行サイト「コネスト」三一節(サミルジョル)



上の絵はシュナムルさんという方が描かれたものです。許可を頂いたので載せます。

シュナムルさんのツイートより引用
 https://twitter.com/chounamoul/status/1101327037715820544
《人間が「こいつらは自分たちより下の人種だ」と見なした属性に対してどれだけ傲慢で酷薄になるかは、今の日本見てもわかると思うけど、そういう日本人が実際に権力を持って全朝鮮人の上に君臨してたのが植民地朝鮮で、まあ酷いもんですよ。俺らの父祖があの国の人たちにやらかしたことというのは。》

《今日は韓国では三一節、つまり日本からの独立を求めるデモが起きた1919年3月1日を記念する日だけど、俺らにとっても無関係な日ではもちろんなくて、自分らの父祖が植民地でやらかした加害の記録をいちど読んでみるのがいいと思う。もちろん加害者側の正当化の理屈ではなく、被害者側の証言を。》

《殴られた側は殴られたことを憶えていても、殴った側は忘れたがり、じっさい簡単に忘れる。「どっちもどっち」じゃないですよ。忘れちゃいけないんです。殴った側は殴ったことを忘れまいと努めなきゃいけない。それは倫理的な責任であると同時に、殴られた側と対等の友好を築く絶対の条件でもある。》

《そういうわけで俺は日本人として、韓国の独立運動への敬意と、自国による侵略と収奪への反省とともに三一節を記念します。大韓独立万歳。願わくば日本が理性を取り戻し、植民地主義を脱して韓国と友好を築かんことを。》

(シュナムルさんの2019年2月28日のツイートより)





私は、日本に生まれ育ちました。
この国にはいいとこや好きなものがたくさんあるし、言葉も文化も風土も多様で面白い。水にも自然にも恵まれて暮らしやすい。食べ物も好きだし、日本語文化圏に暮らせてよかったなーって思うものも多くあります。(他の言語わかんないんですけど。)
戦争を放棄した日本社会に生まれたから、自分は今の権利を持っているし、教育や医療を受けてこの人生の恵みがあると思ってます。だからこそ、この国の光の部分だけではなくて影の部分、闇の部分をしっかり引き受けていかなきゃなりません。
それが社会に今ある光の部分を次世代に引き継ぐ術だと考えるからです。

第二次世界大戦は日本が奇襲で始めた戦争です。アジア太平洋地域で2000万人の人が死ぬことになった戦争を日本が始めたこと。このことを無視して自分の人生を考えることは、私にはできません。

日本が、朝鮮半島を支配してどれほどのことを行ってきたかのか。
たった一度の人生を奪い、家族を友人を奪い、
名前を奪い、文字を、言葉を、文化を、大地を奪い、
人間が人間として暮らす権利の全てを奪った日本の侵略戦争。
兵隊として、軍夫として、強制労働者として、性奴隷として・・・。

その全貌を知ることはできないけれど、言葉で書き連ねるだけで、呆然とします。
数字だけで気の遠くなるような人数の一人ひとりの人生に、一人に起きた残虐すぎて実感できないような被害。
なんら誠実な謝罪も、謝罪どころか認知もしようとしないこの国。

無かったことにはさせない。できません。
忘却しての美化なんて、醜悪そのものです。

戦争の歴史にしても、原発にしても公害にしても、差別にしても、環境破壊にしても、誰かを虐げることを前提とした日本社会が私は恥ずかしい。イヤです。イヤ過ぎる。思想云々もあるけど、体調が悪くなるとか、隣人との関係が阻害されるとか、暮らしに影響もある。なんとかしたいです。

誇りたくても誇れない、恥ずかしく情けない国に成り下がっている現状をそのままにしたくない。改めて、強く思います。
加害の立場を自覚し続けることは楽なことではないけれど、誰かを虐げたり殺したりしてきたことを正当化したり美化したりして妄信しながら生きるよりも、ずっと人間らしい生き方ができるはずだと私は考えます。日本人だから日本の全てを肯定するって考え方より「今は抑圧者であるけれど、いつか抑圧のない社会・世界を目指して生きようとする」「とれない責任とも向き合い続けようとする」というのは、アイデンティティとしてはるかにまともじゃないかと感じます。

社会を作り変えるなんてできないけど、まずは、私自身が自分の置かれている立場、誰かを踏んで立っている今現在地を自覚する必要があると思います。踏みつけてきている立場の人たちの声をなるべく聞こうとして、受け取れたときは何度でも何度でもかみしめて感じられるように。社会的・世界的な自分の立場と責任を自覚した上で、自分がどう生きるか。
自分の加害の立場、そしてこの社会で受ける抑圧。構造的な、歴史的な背景を踏まえながら、相手を大切にし、自分の気持ちを置いてきぼりにしないで、どう生きるのか。その時点での試行錯誤して選んだ姿勢を自分の人生で示せ続けたらと願ってます。


日本社会の歴史観が歪められ、真実から遠くなればなるほどに三一節(サミルジョル)を胸に刻んでいかなきゃなりません。朝鮮半島のみならず日本帝国に奪われ、殺され、支配された人たちの人生を想うために。
それは、人々を殺したり奪ったり、飢えたり死んでいく戦地での人生ではなく、戦争がなければ送れたはずの人間らしい平凡な暮らし・人生を願っていたはずの日本軍の兵士とされた人たちの魂の叫びを真摯に受けとめることでもあるのだと私は信じています。中国から生きて帰ってきた父方の祖父の人生を想い、中国で戦死した祖父の兄の人生を想いながら、心からそう思います。
戦争はもう決してやってはいけない。自衛隊を名実ともに軍隊にさせては絶対にいけません。

今年も、春がきます。
心新たに、悔いが残らないように、できることをできるだけやりきっていきたいです。





◎ついしん
映画『パッチギ2』は名画だと思います。観てない人は是非!