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2018/12/20

2018年12月14日 辺野古 土砂投入初日に

12月14日に書いたものです。



愚かな日本政府の強行で辺野古への土砂投入が始まってしまった。
私はヤマトンチュの一人として、長年この社会の選挙権を持っている一員として、この状況を食い止められず
長年からだをはって、生活を犠牲にして、現場でヤマト社会が変化するための時間稼ぎをして下さってきた抵抗者の皆さんに応えられず
今日のこの日を迎えたことに、ほんとうに申し訳なさを覚える。
ほんとうにごめんなさい
と謝っても、何もならないし海は元に戻らない
でも、何も終わったわけではなく
これ以上取り返しのつかないことを続けないですむように、一人としての声を更にあげなければ。
この現状がこれ以上ひどくならないように自分にやれることをやるしかない。

私に何ができるか。
現実を見続けること
現実を考え続けること、そして行動につなげること。
目の前の人を大切にしながら気持ちを正直に伝え、相手の話を聴き、ともに考え、心を寄せ合い、この社会からこの世界をあきらめないで生きられるようにもっと変わらなければ。立ち上がらなければ。

ある人が「“立派”というのは立ち上がる様のこと」と書いていた。
何度うちのめされても立ち上がり抵抗する沖縄の人たちに、虐げている側の人間が今こそ真に学び、なんとしてでも応えなければならない。

沖縄の人たちを踏みつけている。
そして、同時にこれは自分を含めたすべての生きとしいけるものへの冒涜だ。
植民地支配している虐げている側ではあるが、自分たちの首も絞まっている。決して傍観者ではない。(ヤマト社会の新聞や報道は傍観者視点を改めてほしい。ヤマトの社会の中でも辺野古新基地建設反対の民意は以前より高まっているし、様々な取り組みや抵抗が生まれているのだから、そこにもっと軸足を持って報道すべきだ。教育基本法が改悪されたときも、原発再稼動反対のデモの時だって、いつだってそうだ。報道されるべきことが報道されてない。権力に阿ることが妥当なように思っている新聞各社は、むのたけじさんの本を読み直して戦後の反省に立ち返ってほしい。)

みんなが人生の中での働きから搾り取られた税金が、本来の用途に使われず、どうして人を殺す基地をつくるため、しかも海を埋めるために使われなければならないのか。それだけのお金があれば、どれだけ人の命が救えるか。生かせるか。
戦争も基地も軍隊も、人々のいのちを守らない。守らないどころか食い物にする。そのことを見破らなければ、利用する側に立っているつもりの者たちもいつかまた利用され捨てられることになる。なにより、誰かを利用して打ち捨てる側に居ることにもう私は耐えられない。人間として恥ずかしい。あまりにも貧相な見せ掛けの幸福に、これ以上すがりたくない。

いのちの本来の姿を己の都合で利用し、搾取し、踏みにじる高慢なものを引き摺り下ろせるように、また自分もそこから降りられるように、権力の横暴を意識し、食い止めるため変わらなければならない。このままだと、人間の権利を担保しているはずの憲法も喪われる。今も憲法の恩恵を受けている人ばかりではないが、もし現憲法が奪われれば、人類の暗黒の時代に再度突き進んでしまうことになる。そうなれば、次の世代の者たちにも希望の持てる明日はない。



先日、地球温暖化の原因となる二酸化炭素の排出量を2030年までに、現在の半分にしなければもう気温上昇の悪循環が止まらなくなり、その後いくら二酸化炭素の排出量を減らしても手遅れになるとICPP(気候変動に関する政府間パネル)から予測されていると聞いた。地球環境がどこまで危機に曝されているのか、自覚する必要がある。気候変動の原因となる温室効果ガスを減らすための枠組み条約からアメリカも日本もはずれ、状況は悪化の一路。このままだと自然災害は更に激化し、温室効果ガスの気温上昇で永久凍土が溶けていけば、陸地は沈み、太古のウイルスは蔓延するだろう。気候の二極化や局所化が更に進み、作物はとれなくなり値段は高沸し、化石燃料も高額になればより一層に食糧問題は深刻化する。自給率の引き上げを放棄し海外生産に頼る日本社会にも飢餓の時代が近いうちに来るだろうと考えられる。そもそもこの日本社会で今、農産物を作って下さっている生産者の人たちのどれだけが、あと何年生産を続けられるのか。生産者の高齢化、後継者の不足、政府の補助金の打ち切り・・・。いつまでも米が食べられる社会ではない。いつも食事をするたびに、「いつまでこうして食事にありつけるだろう」と思う。食べ物があるのは当たり前ではない。
水の奪い合いは世界の紛争をすでに生んでいるが、そんな中で日本も水は金の払えるものにしか供給されない社会になることが国会にて決定した。(副大臣の子どもたちが民営化企業の代表になるなんて、スハルト政権なのかここは。)

2001年に精華大学の環境社会学科二期生として学びを受ける恵みに与ったが、この18年間で伸びきったゴムが切れていくという表現が事実そうであるということを肌で感じてきた。特にこの数年間の異常気象・自然災害の常態化は、薄氷の上の日本社会の未来を暗澹とさせる。持続不可能なことばかりやり続けてきた社会の最果てに払わされる大きな代償(ツケ)を、自分のこの人生で味わうことになるのだろうと予測する。次世代に申し訳ない。実際は特になんにも出来てない体たらくではあるんだけども、「私はやれることはやってきた」と後の世代に言えるように生きたいという想いは17歳の時から変わらずに胸にある。

社会問題も枚挙に暇がない。不法な労働、パワハラ・セクハラ、いじめ、非正規雇用が労働現場のスタンダードで、それに留まらず海外から労働者をかき集め奴隷労働を強いている。貧困が拡大し、その打開策にはギャンブルが盛大に奨められる。少子化は全て女性のせいにされ、妊婦には余分な医療費を強い、性暴力は野放しにされ、正当な歴史教育は放棄され、子どもへは選民的思想である「愛国心」や「優勢思想」が植えつけられる。障害者が殺されてもほとんど問題化もされない。生活保護者が切り捨てられ、バッシングされ、被災者が路上生活に流れ、人身事故は珍しいことでもなく、子どもたちすら人間関係の苦悩から遺書を残して死んでいく。

日本社会の経済は、現時点でも破綻している状態にも関わらず、国の予算は不法に扱われ、当初の計画案などなかったかのごとく膨れ上がるオリンピックや原子力関係の予算を誰も止められないでいる。モリカケ問題の深刻さも置き去りに、形式上の民主主義も崩壊しつつある。世界最大の原発事故が起きても、この有様なこの国。西日本集中豪雨のときの自民党の「赤坂自民亭」のことを私は忘れない。その翌日に大量の死刑執行を予告した上で行ったことも。国際法を無視したアメリカの戦争に加担し、イラクに軍隊を送る一方で、人質になった若者たちを見殺しにし、「自己責任」のレッテルを貼り迫害し見捨て、軍国化の一路を辿っていく過程で、郵政も法務局業務も民営化されていった。あの沖縄戦を体験した島々に自衛隊を送り込み新たな軍事基地を作り続けている。原発銀座にちかい京都府北部のエックスバンドレーダーと米軍基地。相次ぐ原発の再稼動。
国民に背番号を背負わせてから何年が経っただろう。盗聴法も有事法制も秘密保護法も国民投票法案も出揃ったこの日本社会。
死刑と戦争という人間の命を権力のために利用し続けるこのシステムから、この国はとうとう脱却できないのだろうか・・・

この社会の内でどれだけの人が人知れず死んでいっているか。魂を傷つけられ、本来のその人ではなくされているか。
動物たちがすむ場所を奪われ、毎日何万頭という犬猫が殺され、食品にされる動植物は薬漬け・・・。
病院や施設に数え切れない人々が収容されている。超高齢化社会のなか、介護現場でどんなに大変な労働状況が悲惨な事件を誘発しているか。なんで軍機を買う金があるのに、ここまで社会を築いてきてくれた人間をここまで打ち捨てなければならないのか。スズメの涙の年金だってもらえない人たちが、ごはんが食べられず、家から追い出されて死んでいってる。中高年の独身の女性は借家すら借りられない。生活の保障がどこにもないからこそ、刑務所に戻る人も、人身売買の現場から逃れられない女性たちもいる。

過去の出来事にされている戦争や公害に、強いられた「公共事業」に、苦しめられた人生を歩む人たちが今この瞬間を喘いで生きている。

書ききれない全てのこと、今、辺野古に土砂が投げ込まれ、この瞬間そこに生きる全ての生き物が殺されていっていることは繋がっていると感じる。

本棚に二冊の絵本がある。
諫早湾で殺されていった干潟の生き物たちが「海の水、くるよね・・・。きっと来るよね」と呟いて死んでいく絵本(『海をかえして』丘修三さん・長野ヒデ子さん〈童心社〉)、産業廃棄物の山から流れ出した汚水で死んでいった日の出町の森にいた生き物たちの、「たすけてたすけて」とひたすらのたうちまわる虫や動物たちの姿が、そこに繋がる私たちの暮らしが、迫ってくる田嶋征三さんの絵本『やまからにげてきた/ゴミをぽいぽい』〈童心社〉だ・・・。

【記事】〔毎日新聞〕辺野古・大浦湾5806種の生物確認 うち262種が絶滅危惧種2018年12月14日 12時32分
https://mainichi.jp/articles/20181214/k00/00m/040/084000c



私は自分の無力さが悔しい。
踏みつけている人たちに、自然界で自由に生きられるはずの生命たちに、
またこれからを生きていかねばならない子どもたちに、ほんとうに申し訳ない。
この社会を変えたくてもがいて来たけど、自分が生き抜いてくるのに精一杯で
過酷な人生を歩んできたのに出会ってく下さった方たちにもなにも満足行くことができてこなかった。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
14年前、生まれて初めて体験した沖縄の海。あの動くゼリーのような波の色と質感。
辺野古の青い海に座らせてもらったあの時間。
沖縄戦を体験したおばあさん、おじいさんの手の温み。
美味しかったアバサー汁。お借りしたのに、飛ばしてしまったクバ傘は青い空と海の間にたゆたい、どこまでも遠ざかっていった。あの風景の美しさと、闘いの最中それでも穏やかに流れていく時の余白。
忘れることはできない。



私に、今何ができるだろう。
隣の人に世間話ではなく、ほんとうに魂からの言葉を伝えられるだろうか。
もう言い訳する時間も残されていない。自分が変わっていく決意を、己の姿で伝えられるような生き方をしなければならない。

日本の政府にいる権力を持った人たちを、そこに居させている責任が私にはある。
自民党の政府高官の皆さん。
あなたたちに告ぐ、
私はあなた方を政治家として認めない。
私はあなた方を許さない。
沖縄を、フクシマを、水俣を、三里塚を、在日朝鮮人を、アイヌ民族を、難民や海外労働者を、女性を、子どもを、労働者を、障害者を、ハンセン病の回復者を、貧困に追いやられた人々を、
これ以上 踏みにじることを私は許さない。
人を人とも扱わない、この社会を私は心から恥ずかしく思う。
なんとか、なんとかこんなめちゃくちゃな在り方から、変わっていきたいと心から思う。

人生を奪われてきた先人たちが生き、亡くなっていった歴史の末尾で人として暮らせる恩恵を受けている以上、そう簡単には諦められない。
私には、生かされ、学びを受け、信仰を得ることができた責任がある。権力あるあなた方の好きにはさせない。
戦争につながる全てのことに各現場で抵抗する人たちと共に在れるように、私もあきらめない。この国を、この社会の得てきた人間の権利を手放すつもりはない。絶対にあきらめない。


自分の人生が辛くて苦しすぎて、過酷な生活の中で、自分の幸せを守ろうと無視を決め込んでいる人もいるかもしれない。
その一人の苦しみを、誰かと比べて軽んじたり否定したくない。ただ、「あなたの苦しみや生き辛さ、閉塞感や孤独が生まれているこの社会の構造から、ひとつひとつの問題が起きている。だから、この社会の問題に目を向けることは、自分自身をこの社会・世界の構造的暴力から己を自由にするための過程であるんだと気付いてほしい。」って伝えたい。人間の本当の気高さや強さを体言している人たちが、抵抗の現場にはいる、と私は思ってる。人間の世界に、愛とか真実とか正義がまだあるって信じさせてくれる一人一人の力がある。人間の尊厳があるんだって、目が覚めて、善というものを信じられる そういう出会いがそこにはある。社会運動に光ばかりがあるわけではないけど、矛盾から目をそらさないで生きる人は必ず居る。
そういう人たちに出会っていけば、誰もが変わりうると思う。私も、そういう人たちに出会う前は日本の戦争を肯定していた。人は、変われる。いつだって、その人が自分を問い直す機会を与えられたら。

ヘイト言説に加担して「仲間」を作ったつもりの人たちも、ほんとうは枯渇しているんだと思う。だれかを虐げないと繋がれないなんて、その嘘にみんな本当は気付いている。いつ自分が標的にされるか戦々恐々としていたところから、「日本人」である自分はもう標的から外れたと、安心できる場を見つけたと思っている人もいるかもしれない。でも、それは本当の仲間でもないし、連帯でもない。そこには愛がないのだから。暴力を肯定しないと自分が受け入れられない空間にいるなんて、そんなところでは本当に自分が大切にされはしない。他の誰でもない自分自身を認め、受け入れ、肯定し、愛してくれる場所ではない。魂の部分では、どこかで気付いていて、きっと辛いはずなんだ。でも、そこにいるしかない、他に居場所がない人たちは、矛盾に気付いたとしてもそこから離れることはできないだろう。人はさみしすぎると、真偽はどうでもよくなる。私にもそういう経験がある。だからこそ、本当の愛を示していく関係性を築き、安心できる場をつくる必要があるんだと思う。

人間の持つ、ほんとうの素晴らしさ、そういう善き力に囲まれたときに、その人の本来のいのちの光、神様から与えられたほかの誰でもないその人の賜物としての素晴らしさが発揮される。
人の世の悪が、焦燥感や無力感につけこんできても、己を失わず、人間と共に歩む幸福を選びぬいていくために、自分が愛と真理を求め続ける生き方を示していくしかないと思ってる。

人間の善き力をあきらめずに、ともに生きていこうと呼びかける人たちが叫んでいる。
立場の違う人たち、自分たちを追い込めて搾取するひとにも
人間として立ち返れと
いのちは宝なのだと
あなたのいのちも大切なんだと
戦争を許してはいけないと


辺野古への土砂の投入を止めることに、人類の存亡がかかっている。
私は未来を生きる子どもたちに神様が創ってくれたこの天と地を引き継ぎたい。
気持ちを長々と書いてしまった。誰も読んでくれなくても、書かないと生きられない。がんばる。がんばろうわたし。
今日からまた頑張ろう。