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2018/12/01

海外の人を奴隷化し続ける日本社会で



【参考記事】 
(1)
5年間で延べ2万6千人失踪 ― 外国人技能実習制度は異常すぎないか 中村智彦 (神戸国際大学経済学部)2018/11/6〔YAHOO!JAPANニュース〕  

(2)外国人労働者が絶望する「ニッポンのブラック工場」の実態
安すぎる給料、過酷な労働条件… 出井 康博 2016/8/25 〔現代ビジネス〕

『ルポ 日本絶望工場』2016年(講談社+α新書)


(3)フリージャーナリスト志葉玲さんの記事
【入管法】山盛りの課題より安倍外遊を優先ー労基法違反7割の実習生ブラック労働、国連ダメ出しの難民冷遇
 2018/11/28〔YAHOO!JAPANニュース〕

【難民鎖国】東京入管が炎上ツイートを「削除しない」と開き直るので、国連からの勧告を列挙しますよ!2018/11/29〔YAHOO!JAPANニュース〕

(4)
「助けて下さい」技能実習生が”手紙”で日本政府に訴え、「時給400円」や「暴力」に泣き寝入りしない
巣内尚子 (ジャーナリスト) 2017/3/29 〔YAHOO!JAPANニュース〕


(5)
岐阜県の盗撮疑惑事件で垣間見えた、外国人技能実習制度の闇 2018/2/14  李小牧〔ニューズウィーク日本版〕

(6)「中絶か強制帰国、どちらか選べ」妊娠の実習生は逃げた 2018/12/1 平山亜理 [朝日新聞デジタル]
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 改めて記事を読んだら、申し訳なくて情けなくて泣けてきた。第二次世界大戦のなかで、日本がしてきた強制労働の実態と何が違うのだろう。戦争で筆舌にできない苦しみをアジア・太平洋地域の方たちに強いたのに、戦後の経済支配も環境破壊も、搾取も、奴隷労働、排外主義も虐待も・・・ この国は、いつまでやり続けるつもりなの・・・
 

 飲食店で、コンビニで、日々の生活の中で海外からの労働者の方たちに出会うと、「どちらからいらっしゃっていますか」と訊ねることにしている。私が出会う人はネパールの方が多い。「地震は大丈夫でしたか」と尋ねる。
中には、労働に従事しながら自分の親族の被災を重い言葉で教えて下さった人もおられた。
「おつかれさまです」とか「ありがとうございます」とか、声かけするとまっすぐに(その多くは笑顔で)応えて下さるあの人たちがどんな過酷な境遇で人権のない状況でいるのか・・・。

 以前、ある個人経営の飲食店で食事をした際、遠い国からきたであろう少女が輝きのかけらもない暗い瞳で黙々と従事していた。直感的に性的搾取が行われているのではないかと感じた。想像でしかないが辛くてその店には行けなくなった。自分はなんて無力なのだろうと感じざるを得ない。
 中国から来ていた女性労働者たちの狭いアパートの風呂場に監視カメラが仕掛けられていたことが発覚したが、企業も警察ももみ消したという記事も以前よんだ。(【参考記事】(5)

 人権のない奴隷労働の現場から逃れようとした人たちが、法に守れない状況で更に剥き出しの人身売買の構造に巻き込まれていくであろうことが想像される。日本の国籍保有者ですら、また正社員であっても奴隷労働を強いられているこの日本社会。国籍のない海外からきた人たちの強いられる労働の現場は、もはや労働ではなく奴隷化といえる。自分の暮らす社会のそこここで、想像もつかない恐ろしい搾取とが横行している。さまざまな理由でこれまで通りには回らなくなった日本社会の尻拭いのために、たった一度の人生と溢れる才能を使い捨てられて。泣いても仕方ないんだけど、ほんとうに申し訳なく胸が苦しい。

 入管では、人間が人間として生きるの権利を剥奪され、日本の社会の闇を凝縮したような入管職員の信じられないような暴力に曝されて暮らしを奪われている。健康が守られず、虐待を受けて命すら失う人もいる。「こどもは離れているお前のことなど忘れる」なんていう暴言には、正直 言葉を失う。なんて酷い・・・。入管の人権剥奪を野放しにしているのはこの国の、この社会の無関心だ。日本人はどこまで残虐になれるのか・・・。確信犯でいる日本政府と、無関心のままの日本社会。いや、社会の無関心も確信犯か。

 結局のところ何が自分に具体的にできるんだろうって考えたら、署名に参加するとか、稚拙な文章を(誰も見てないかもしれない)このブログに書いて想いを表明し、よいと思う記事や情報を拡散するとか・・・ 政府に対して社会に対してって、雲をつかむような話でもあるけど・・・。ただ、どうしたって世論が変わっていくしかないわけだから、諦めずに自分の意識を表現し発していき続けるいしかないなって思う。

 私は日本政府と社会の利用・搾取・植民地主義、差別。そして排外主義をどうしても看過できない。慣れたくない。
入管で行われている人権剥奪を許さない。そのことを自分が忘れないために、想いを書き続けていきたい。

 一人の人間が権力をバックにしたとき、咎められずに人を支配し続けられる状況になったとき、どこまで残虐になれるかの限界を試しているようなこの日本社会の状況を入管職員の態度は表しているように思う。彼ら彼女らの暴力性が野放しにされているのは、咎められないと思い込んでいるからだ。動向を注視されており、批判が社会的に集中していけば、露骨なやりかたを改めざるを得ないはずだ。社会に暮らす一人が声をあげることに、権力は本当は敏感に反応している。市民の無力感に拍車をかけるために、動揺していないようにみえるけど。

 そして、効果があろうとなかろうと、自分が被害当事者でなければいいとか、だれか人を虐げていて当然・それでかまわないと思って生きる人間になり下がりたくない。気付いてないことだらけだけど、知ったからには声をあげる責任がある。自覚できていない加害を知る責任もある。他の人の考えはわからないが、少なくとも私にはあると考える。

 
 山積みの課題にたいして社会的な応答責任を果たしてこず先送りに無視してきたことが、この国の社会と世界の環境をここまで絶望的なことにしてきたのだろう。今、その流れを止められないにしても、自分自身が諦めない者になるべく変わろうとし、事象と向き合い、自身の行動を決める必要がある。

 こうしてインターネットで意見を書いても効果がどこまであるのか分からないけど、ほんとうに酷いことが行われていることを監視していることを権力構造に、そして社会に示し続けたい。インターネットというツールがある時代、ひとりの人間としてエドワード・サイードの言うところの「表象(レプリゼンテーション)」が、これほど踏み出しやすい時代もないはずだと思う。



 あとは、出逢った人に何ができるかってことなんだけど・・・
実際に目の前で働いて下さっている方に挨拶とか感謝を伝えるすること・・・かなって考えている。
ここ5年以上は街中で働いている人とすれ違うときは「おつかれさまです」とか「お仕事ありがとうございます」って声に出すように心がけている。だから、近年目に見えて海外からの労働者が増えたのが実感としてわかる気がする。

 日本の人は「自分が言われてる」って思わない人が多いからか、あんまり気付いてもらえないことが多い。人と関わらないように閉じて、心身を防衛しているのもしれない。海外から来られてる人は割合すぐ気付いてくれる。そういえば、沖縄の国際通りを歩いたとき、声かけに応えてくれる人が多くて、ヤマト社会と沖縄社会の人の反応の違いを感じたことがある・・・。社会の空気が人を変えしまう部分があるんだろうな・・・。日本社会の閉塞感が人の人間らしさを奪ってるのかもしれない。

 たまにいくちょっと遠いコンビ二で、半年くらい前から働いているネパール出身の若い女性がレジ接客してくれた。何度目かだったので「げんきですか」と声かけしたら、「はい、げんきです。おひさしぶりですね!」と笑顔を見せてくれた。覚えていてくれたんだなぁって。驚いたけど、ありがたく逆になぐさめられた。

人を人として感じて、すこしでも関わりあって、だいじにしあって・・・。できたらいいなって思う。
神様が与えてくださった人間の善の部分である愛を、ちょっとずつでも日々の中で育てながら生きていきたいです・・・。