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2018/06/20

天災と人災と戦争の責任  そして想像力

大阪の地震にあわれた関西の方たちの無事を状況の回復を心よりお祈りします。
どうか、これ以上 揺れませんように・・・。

家族がケガをしたり、ちいさな家族とはぐれたり、家や土地や日常のすべてが 前とは違う不安な時間のなかで過ごされている皆様が、はやくまた安心して眠れる日がきますように。

神様、どうぞ人間の間に 善き力を発動させてください。
天災に乗じた人災が、悪意からも善意からも混乱からもどうか起きませんように。 祈る。





天変地異に乗じてヘイトスピーチを発信し続ける連中に 腹の奥底からの怒りを覚える。
おまえらはもう一度、関東大震災のときの朝鮮人・中国人への大虐殺を誘発したいのか?!許されない・・・
(日本人自警団によって、反発したり発音がききとりにくいとされた日本人たちも殺されている)

『九月、東京の路上で』(ころから社)加藤直樹さんインタビュー
https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/140715/

ツィッター上のヘイトスピーチ対して声を上げている人たちのアカウントを凍結しているツィッタージャパンへの憤りも言葉にならない。(新潟県知事選でも市民派候補者のアカウント使えなくしてた時期あった。ありえない。)

カケの理事長の会見とやらも、地震があって、新幹線が動かないような状況で、岡山で・・・って?無理だし、集まった記者ですら入れない人がいたらしい。
人の不幸の混乱に乗じて、会見の二時間前に地元の記者クラブにファックスしただけで「ちゃんと会見した」なんて・・・(そんでお決まりのワールドカップ日本戦に合わせて、ですか。)
それが、日本社会のなかで最も自由に言論をいえる空間である大学の長だなんて冗談でしょう。腐ってる。
どうしてもアベを庇うなら、「自分が勝手に言ってたみたいです」くらい言えよ!自分より弱い立場のせいにして、「自分の責任は全くありません」って。それで通せるとおもっているのは、天下の政府の権力者の側に自分はいるという、ただそれだけの根拠。

A級戦犯は野放しで、BC級戦犯のほうが罰せられて、最高権力者は大往生でだった戦後日本。せっかく与えられた民主主義も人権も、おおもとではなにも変わらない。大日本帝国的な物の考え方や、都合が良すぎる植民地主義、日本軍の暴力の連鎖構造、その戦争責任の所在が問われることも反省もなく、歴史の事実を歪曲し、ひたすら堕ちていくこの日本国家。この国がここまで来てしまったのは、自らが起こした戦争についての責任の所在が社会的にも個人的にも追及されずきたことが根源に大きく大きく横たわっている。

カジノ法強行採決の乱闘に近い国会の映像も見慣れつつある。よく考えてみなくても、おかしすぎる。
いいかげん許してはならない。このままにしたら日本の戦後民主主義は完全にノックアウトされてしまうじゃないか。

(余談だが、カケ理事長の顔を初めてみて、ラグビーだかアメフトだかで子どもに試合中に暴力を命令し実行させた上でしらを切るどっかの監督とおんなじ目つきでびっくりしたよ。同じようなことやっているオッサンの目つきは似るもんだとつくづく思う。)


もうすぐ沖縄「慰霊の日」を迎える。

住民を殺し、自決を命令した日本兵たちが、自分のやったことを省みないで 戦時のことを賛美するため立てた忠魂碑の一つが、日本軍が使っていたであろう爆弾の形をしていたのを見たときに受けたあの衝撃を、いま思いだしている。

死者たちを冒涜することが、今を生きる人たちを蹂躙し続ける。

ニッポンという国よ
もうやめにしないか
そんな人として恥ずかしいことを

これ以上 上塗りできないほどの恥を どこまで続けるのか

その先に何があると思っているのか


辺野古の工事はすすみ、夏には土砂を投入するという・・・。

こんな状況で、どうしたら顔向けできるようになるのか。学生の頃のように何も考えず、現場に飛んでいってなにかできるなら、いっしょにいられるかもしれない。けれど、今の自分にそのちからはない。そのやり方をしたら身を滅ぼすことがわかるから。

願いが消し飛ぶような錯覚を覚えるほどの巨悪に、それでも向き合う人たちの姿。
無力な自分にやれることは残されているのか




ガザで苦しい生活を強いられているこどもたちが、3・11からずっと毎年三月に東日本大震災の被災者のために復興を願う凧揚げをし続けているという記事を読んだ。

安田菜津紀さんの記事:週間サラダぼうる 2018年3月5日 東京新聞

https://mainichi.jp/articles/20180305/ddm/014/070/048000c


日本の入管に監禁されている難民の方たちが、東日本大震災の被災者のためにペットボトルの容器いっぱいに募金を集めておられたことを思い出す。

どうして、そんなに苦しいところにいて、
むしろその苦しみを生み出す側の私たちの社会に生きている他の人の苦しみを想い 行動することができるのですか

涙があふれてしまう


私たちの社会はどうして
ここまできてしまったのだろう





効力がないといわれても祈りをやめることなく
誰もみていなくても自分の想いを書き続けることしかない