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2018/06/17

ヒップホップと『風の谷のナウシカ』の話

ドキュメンタリー映画 「自由と壁とヒップホップ」(2008年)http://www.cine.co.jp/slingshots_hiphop/からダイジェスト版




いつか、パレスチナのDAMみたいな歌をうたえる日本語のラッパーのHIPHOPのライブに行きたいなーー!!!

以前このサイトで、HIPHOP 思想が言葉になり、言葉が音楽になったというのを書いたけど、やっぱり母語で聴ける共感できる内容のラップは格別だからね。言葉を瞬時に理解できると、それが音楽とあいまってグッとくる。

文章(思想や思考)と音楽が融合しているから歌はすごいんだけど、HIPHOPは歌詞が多く情報量があるから、そういう面では更に力があるように感じる。人の感性を掘り起こすにも、事実認識や信頼できる情報が伝わってないと、伝わるものも伝わらない場合が多々あるから。言葉で新しく知ること・学ぶこと・感じることと同時並行で音楽が来るから、DAMのラップはすごいんだな。映画では字幕があるから、彼らの音楽の凄さが分かる(日本であったライブに参加できたとしても、私じゃその真価は分からなかっただろうな・・・。母語で芸術表現や文化を享受できることは、このディアスポラな世界で、特権だ。改めて自戒しなきゃ。)


首都圏であったフェス「THE M/ALL」の存在を、一回目の開催が終わった直後くらいに知って、渋谷まではどの道 行けないけど、これに参加している人たちの存在を知ることができて元気でてた。動画もいろんなアーティストを知れてナイス。またやるらしいので首都圏の方で興味のある方は是非。
「THE M/ALL」https://twitter.com/the_mall0526?lang=ja
直接には行かないにしても、こうしたムーブメントが起こっていることを知っていたい。

このフェスに参加していた仙人掌さんというラッパーの方がこのフェスの曲をつくったそうで。良いし、フェスをやった人たちは嬉しかったでしょうね。才能も人間のセンスもありそうな人が 「政治を学ばなきゃな」って歌ってることに希望を抱く。
聴いてみたい方はこちらを→https://soundcloud.com/dogearrecords/monday-freestyle-prodaru-2?utm_source=soundcloud&utm_campaign=share&utm_medium=twitter

音楽と詩(文学・思想)が更に融合したHIPHOPが日本語でも発展していく様を感じたい。日本在住のラッパーの皆様、ドキュメンタリー映画 『自由と壁とホップホップ』観てない方は是非!!!



表現、芸術/感受し思考し共鳴する生活


怒りも苦しみも生き辛さもを表現に昇華させ、人と共有することから、つながりを生み出し、生きるチカラをお互いに再燃させ、人間としての尊厳ある抵抗を 生み出していく流れ! いのちと尊厳を守る抵抗。
音楽も、歌も、表現も、芸術も、なんにも作品はつくらなくても自分自身を隠さずそのままに生きること。自分自身を知り、他の人間やいのちと交感する。その全て、生きることの全てが 人間を奪わせない文化的な闘いだ。

社会運動や抵抗は、人間の感受性をフルに使った表現である。そこに込められている魂の叫び・呼びかけを受けとめあい、分かち合える歓びをもって、お互いの存在を確認しながら、総じてエンパワメントされていく方向を持ったとき、真価が発揮される。ガンバリズムじゃパワーレスだしナンセンス。お互いに苦しくなったり、権力構造がうまれたら本末転倒。
自由かつ、エンパワメントを強める強力なツールが芸術と表現。音楽と言葉(文学)は人間の魂を強める。CIAが沖縄の音楽をめっちゃ解析していたことが最近明らかになってきているみたいだけど、そりゃそうだ。何よりも国家権力が恐れているのは、ひとりひとりの人間性の解放とその繋がりだから。

久しぶりに、ドキュメンタリー映画 『アマンドラ!希望の歌』(2002年)を観たくてたまらなくなり、注文した中古DVDとどいた。地の果てまでの群集が、歌いながらダンスステップを踏み、少しずつ近付いてくる「トイトイ」。その迫力に武装した白人兵士たちが逃げ出すシーンがあったような気がする。それが観たい。(2002年のドキュメンタリー映画だから予告編とか動画アップがなくて、ここで映像が紹介できないのが残念。)



The personal is political 

この社会世界の中で自分が受けたすべての感情や感覚、そして個人的体験を、社会と個人の関係としても理解していくこと。それが自分を自由にする。まずは自分が生きる歓びと全ての感受性を手放さないこと。感情や体験と社会構造への理解が繋がったとき、いろんなことが見えてくるんだろうと思う。
「音楽や文学に政治を持ち込むな」なんてタワゴトだ。権力に擦り寄る連中のお決まり文句だ。人間の権利や文化への理解が全く無い彼らは、このフレーズに使われている単語の一つひとつの背後に広がる概念や存在意義をなにも理解していない。

表現や芸術の作品、そして自らの生活から文化に昇華させていく時、作品が生まれる。人と直接に交し合わなくても、作品は作者も知らないところで受け手と交感し、受け手の思想と感性を その個々人のうちで発展させ続ける。なにも作品を生み出していない人であっても、生活の中で出会った人を変えてしまうチカラを持っている人もいる。そういう人はその人が信じている何かを確実に発信している、一人の表現者だといえるだろう。


最近、「風の谷のナウシカ」原作を数年ぶりにきちんと読んだ。これまで、何度も読んだのに意味が分かっていなかったことがいろいろあったが、この度は理解できたように思い、感じるものがあった。何度も読んでいたのに、発見ばかりだった。(大学で環境問題を学んだときに、先生がこの原作を読むようにいつも薦めておられたなぁ。)

不朽の作品であることは言うまでも無いが、私自身が平均的寿命まで生きられるとしたら、人類の限界に今より更に直面することは確実である人間の一人であるわけで、そういう自分が、今現在をどう選び、生きるのか。改めて考えさせられている。
本物の作品には作家の思想と魂が込められている。受けとめられるか自分は試されていると感じている。宮崎駿さんの思想がつまった作品を享受し続けてこれた世代の一人として、自分は何を次世代に受け渡していけるだろう。

それにしても、ナウシカ原作の あの壮大な世界観に矛盾しないで、むしろあの世界を表現しきった音楽をつけた久石譲さんの凄味を、改めて痛感した。いい曲が多いから、ちょっと彼の凄さに文字通り耳慣れしすぎて甘く見てた。ナウシカは映画があるから、原作が音と色彩をもって自分の内に入ってくるのだろうなとしみじみした。音楽やアニメーション(動画)、漫画、色彩、それぞれの強みがある。作品をつくるにしても、暮らしの中で作品を受けて感応していくにしても、感想をシェアすることも、ひとりでしかできないこと、誰かとしかできないこと、みんなでないとできないこと、それぞれにあるのだと思う。

最近いろいろ一人考えていたけど、表現・芸術の思想の重なりや連なりに希望を以前よりもっと抱けているようにも感じる。
現実社会の煮詰まりは更に加速されてきている。いいものと恐ろしいものの二極化が著しい。国際情勢も戦争と平和、それぞれを求める力の境界というか、軋轢をすごく感じる。日本政府は途方もなく逆行し続けているし・・・。

時代の激しい流れにさらされ、どうにも疲れやすい。絶望の闇と希望の小さな光の粒が、混ざりに混ざっている。

公害の時代から核戦争の恐怖、東西冷戦を経て 生み出された「風の谷のナウシカ」原作。どんな悲痛な絶望の世界も、生きようと呼びかけ続けたナウシカの物語。原作の再読を大切な友人が今、薦めてくれた理由が、なんとなく分かる気もする。

外界と自分の内のバランスを模索しつつ、自分もどこかで苦しんでいる人も少しでも愛と自由に近づいていける生活/表現を目指したい。