2016/08/15

2016年8月15日 敗戦の日に



今日、8月15日。

日本がしかけた戦争に負けをやっと認めて発表した日。
誰が、何のためにあんなにも殺されなければならなかったのか。
人を殺したのか。殺させたのか。

フィリピンで日本兵の銃剣の上に放り投げられ、突き殺された赤ちゃんを見たというかつての少女に私は出逢った。かつての少女たちは、自分があまりにも幼いとき、日本兵の性の奴隷にされたと私に話して下さった。

中国の南京にて、家族のほとんどを惨殺され生き残ったという少女が おばあさんになって、日本に話しに来て下さったことがあった。彼女は、一緒に暮らしていた赤ちゃんが、日本兵により壁におもいきりなげつけられ殺されるのを見たと話しておられた。

日本の兵隊に召集され、戦争が終わったら、こんどはシベリアに抑留されたという韓国のおじいさんのお話を、12年ほど前に確か大阪で聞いた。

日 本軍に性奴 隷にされた台湾のおばあさんが被害を証言をされているとき、様子を詳細に思い出し話しながら、ふと上を向いた目線を忘れられない。その目線の先には天井から部屋の中を覗き見ていたという、何人もの兵士がいたんだろう。そのおばあさんも亡くなった。

5歳の時、ヒロシマで被爆されたオモニ(おかあさん)。
その人の息子である金さんは被爆二世だった。ほんとうに細い人だった。出逢い分かれた数日後亡くなった。まだ30代前半だった。

植民地支配や強制労働のなかで、身体を弱め、ハンセン氏病にかかり、殺されたり隔離されたりした人たち。
どうして、ずっと閉じ込められなきゃならなかったのか。(戦後の話になるが病気の妻の死に目に会わせてもらえなかった人もいる。)

東京の品川でアメリカ軍の捕虜を使った竹やり訓練を、23歳の時に実際にさせられたと話す日本のおばあさんと出逢えたのは、私がまだ20代半ばのとき。すこし認知症の彼女の口からでた「戦争なんて、ほんとうにしなけりゃならなかったのかね。ね。」という呟きが忘れられない。

先日、85歳の女性と話していたときに、この竹やりの訓練がいかに一人ひとりの心に傷を持たせたかを始めて理解できたように感じた。好きな歌も、思ったことも言えない状況がほんとうに嫌だったと彼女は話して下さった。

私の祖母は90歳を超えて認知症がはじまっていたとき、私の質問(戦争が始まった時どうだった?)に明確に答えた。
「みんな気付かないのよ!気付かないようにやるんだもの戦争なんて!!」。
関東大震災と東京大空襲を生き残った彼女も亡くなった。

祖父は、中 国の山東省に派兵されていた。彼が見たこと、したことは分からないけれど、少なくても新兵の時代にきっと人を殺させられただろう。そうしないと自分が殺される。それが日 本 軍だから。
きっと戦争がほんとうに嫌だったんだろう。生前の彼を知らない私にも伝わってきたことがいくつかある。

祖父の兄も中国で戦死している。弁護士になり、多くのひとを助けるはずだった人だ。


沖縄での地上戦。信じられないような人数が死んだ。
生き残った人も「死んだほうが良かった」と思うほどの苦しみを味わったときく。
疎開するための船もたくさん沈没した。

東京大空襲。
日本各地の空襲。機銃掃射。
ヒロシマ、ナガサキでの原爆投下。

泥沼のフィリピン戦に、どうして人を更に送り続けたのか。みんな周辺海域で沈められていった。

せめて、あと半年はやく戦争を終えていたら? もっとはやく負けを認めていたら?そうすれば、死なずにすんだ人が大勢いるんじゃないか
そう思わずにはいられない。




慰霊は、
「死んでくれて、あなた方の犠牲があって、いまの平和があります。ありがとう」ではいけない。
決して。

みんな死ななくてよかったんだ。殺されなくてよかったし、殺すはずじゃなかった。
みんな普通に生きて、暮らして、自然に任せて死んでいけたらどんなによかっただろう。
死んでいった人たちの無念さに、
生き残った人たちの心の中に残されている傷や、苦しさ、悲しさ、そして憤りに対して、だれか責任をとったか。
誰もとっていない。
いや、そもそも、とれるもんじゃないけれど。
でも、とろうとしようよ。せめて。

私は国家の代表でも、民族の代表でもないけれど、
一人の人間として考える責任があると思う。
自国の加害の責任を感じながら
受けた被害も考えて、少しずつでも歴史から学び、
戦争というもの本質を見極めたいと思う。

戦争は、
人間の、そして、すべてのいのちの連鎖を破壊する力を持ってしまった。

戦争はしてはいけない。
勝とうが負けようが関係ない。
戦争はいのちの敵だから。
戦争をさせないために、必要なことは
戦争をしたくてしかたのない国家をつなぐ首輪を手放さないこと。

憲法を変えてはならないよ。

古今東西、今昔、世界中の戦争の犠牲になったひとたちが切望した「殺したり殺されたりしない権利」。
それは、やっと辿り着いた人類の権利、いのちの権利なんだから。