2016/06/05

「私がいじめられていた時のことと、今つらい人たちへの手紙」について。

こんにちは。
ここを覗いて、私の稚拙な文章に目を通して下さるあなた。ありがとうございます。感謝します。

10年前にかいた「私がいじめられていた時のことと、今つらい人への手紙」という文章を
このブログにずっと掲載していました。けれど、この度、 降ろすことにしました。

当時、教育基本法が改悪される直前で、いじめの自殺報道があまりにも意図的にされているように私は感じていました。
悔しくて悶々としているところに、
灰谷健次郎さんの『太陽の子(てぃだのふぁ)』を読んで、心底感動し
自分にもやれること、書けるものを書かねば とパソコンに向かいほぼ一気に書きあげた長文でした。

思えば、いろんな人に読んでもらえたなぁ・・・という気持ちがあります。
みなさんに私の体験を受けとめて頂いたことが、魂の糧になってきたことは間違いありません。
「誰か」のために書いた文章が、「自分」のためのものともなる。
それは、10年経っても変わらない・・・ いえ、もしかしたら重ねた時間のぶんだけ意味を持ちえたのではないかと思います。

文章を書いたその後も
職場や個人的な人間関係の中で、同じような問題が発生し、とても苦しみましたが
それまで「死なないで」と呼びかけてきた以上、自分が死ぬわけにもいかなくて、
なんとかいのちを投げ出さずにここまで来られました。
躓きも、不幸に見えることも、ここに至るまでの道程になったのは
生きてこられたからです。
私を見守り、支えて下さった神様に、そして周りに居続けてくれた愛する人たちに感謝する他ありません。
「いじめ」られて奪われてきた、
もしくは自分の身を守るために自ら捨ててきたものを、
ひとつひとつ拾い上げ、手渡され、学びなおし、回復してきている実感があります。

そんな日々の中で、
自分の傷を世界に広く曝けることを、ちょっとお休みしたくなりました。
ひとりひとりに手渡していけるようにしたいと思いました。


それぞれ、何かしらの傷とか重荷を背負っていると思います。
PTSD(心的外傷)とかトラウマと、口でいうのは簡単だけど、
日々の日常の中に織り交ぜられる後遺症は、根深く、本人にしかわかりません。

それが誰のどっちが大変か そういうのを比べるんじゃなくて、
たった一度の人生のなか、避けられない山がそれぞれにあるってことを尊重して考えることが大切と思います。
みんな生涯をかけて、自分の中にある大きな山に向かいあって歩んでいく。

お互いの山に登りあうことはできなくても、
自分の山に向き合うことで誰かを励ませることがあるのかもしれません。

私の辛かった体験を読んでくださった方に感謝しつつ、
「今つらい人たちへの手紙」を、このブログを通して書き続けていけたらと願います。

良かったら、これからもよろしくお付き合い下さいませ。

感謝をこめて

                                     2016年6月5日