2008/07/05

映画 『ぐるりのこと。』 のこと。

ぐるりのこと。



『ぐるりのこと。』
http://www.gururinokoto.jp/

を観ました。『ハッシュ!』の橋口監督作品です。
素晴らしい作品でした。監督、キャスト、スタッフの皆様に感謝します。
たくさんの人に、観てもらいたいなあ。と、思ったので、私なりに感想文を書きます。



良い悪い、好き嫌いの二極を越え、違いも受け入れ、一緒にいること。共に生きること。
-言葉にすると、なんて簡単なんだろう。

何気なく、毎日が過ぎていく。けれど確実に、静かに時代が紡がれていく。
音もなく、壊れていくもの。育ってゆくもの。変わっていく人。
自分の身のまわりにも、社会にも、色んなことが起きていく。
嬉しいことも、悲しいことも。楽しいことも、苦しいことも。理解できることも、できないことも。
それでも、何がおきても離れないで共に生きるふたりの話。それが『ぐるりのこと。』。



「ぐるりのこと。」は夫婦の話だけれど、これは全ての人に向けられた物語だと思う。
考えられないようなことばかり起こるこの世界で、人が生きていくのに必要なことが何なのか。それは、とてもシンプルで、けれど現代では見失われつつある稀有なもの。言葉ではなく、積み重ねでしか納得できない、何か。

こんなに人がいっぱいいるのに、それでも心通う一人と出会うことは奇跡だ。

法廷画家になった夫・カナオの通う法廷で行われる数々の裁判。事件は90年代に起きた実際の事件をモデルにしている。「この人は、どうしてこのような罪を犯したのだろう」。法廷のシーン、映画であることを忘れ、被告の顔に見入りながら考えていた。その答えの逆説に、子を失った哀しみから心を病んだ妻・翔子の再生の日々があるのではないか、と思う。

人と一緒に居続けることは、どうやら簡単なことじゃないらしい、と、四半世紀いきてみて私にもようやく分かってきた。人の心は変わるし、信じられないような辛いことだって起きてしまう。気持ちは通じていても、どうにもならない時だってある。だから「永遠」なんてものは、きっと無いんだろう。

でも。

同じ部屋で同じものを食べ、何気ない会話をする。
部屋を通りぬける光と風。
ベランダで乾いていく洗濯物と、プランターのトマト。
翔子とカナオの日々。

私の大好きな星野道夫さんが言っていた。
「しあわせとは、たまゆらのようなものだ」と。そうだなあ、と思う。一瞬でかき消えてしまうかもしれない。それが絶対に続くという保証はどこにも無いのだから。
けれど、だからこそ、「今」のこの時点までの積み重ねの軌跡に、その道程からの相手への信頼に、感謝と愛しさ、そして未来を感じることができる。私はそこに幸福というものを知る。だからこそ、人は、人を、そして自分を信じることができるのだと思う。
絶対に破られない約束事ではなく、自分たちの歩みで見つけ、育み、紡いでゆくもの…。

そうした日々が、ひとりの歴史となり、時代となっていくのではないだろうか。

翔子の再生と、カナオの変化は、私の心を静かに揺さぶり、あたたかく包み込んだ。翔子役の木村多江さんがお話されたように、「カナオみたいになりたいですね。自分からは人との繋がりを決して離さない人間に(映画パンフレット、インタビューから)」。ミヒャエル・エンデの『モモ』みたいになるには、私はお喋りすぎてとっても無理だけど。

誰もが他の誰でもない一人だから、自分と違って当たり前だった。その違いに腹を立ててばかりいたら、幸せになれる日はきっと来ない。そのままの誰かを受け入れることと、そのままの自分を受け入れられることは、たぶん同じことなのだろう。「一人になれないものは、二人にもなれない」という言葉があるけれど、誰かと共に生きることは「二人になることで、一人になる」ということじゃないかな。それは、恋人やつれあいだけじゃなくて、全ての人と自分の関係において言えることじゃないかな、と思う。

どうにもならない悲しい季節を越したふたりの日々を、私に見守らせた橋口亮輔監督。監督は「どうすれば、人は希望をもって生きられるのか?」という問いを、考え抜いて作品にして下さった。映画監督は、伝えたいことを内包した世界を銀幕に映し出し提示してくれる。それも数時間のうちに。一人の神様だなあ、といつも思う。橋口監督、ふたりと、ふたりを取り巻くぐるりのことを見せてくれて、ほんとうに有難うございました。

幸せとはなんて、ささやかで愛しいものだろう。
辛いことはあるけれど、やっぱり人生は素晴らしい!

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