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2019/12/19

Charlieさんのツイートから、ルノーの車のCM 紹介

Charlie@chivillain さんのツイートから知った車のCM動画。



Charlieさんのツイート、覗くたびにいいなぁと思います。


ちょうど今の時期、各地でお話されるみたいですね。行ける人いいなー。
19日 (木): Bar in 大阪 /21日 (土): Café in 埼玉/21日 (土): オフ会 in 東京/28日 (土): 本屋 in 北海道(ご参加ご希望の方はツイッターから御本人にDMを)


2019/12/18

伊藤詩織さん裁判勝訴!

2019/12/13

女たちは踊る

参考記事:
【BuzzFeed Japan】「加害者はあなただ」 女たちは踊る。女性に対する暴力に抗議するために。



男性優位社会が私たちを裁く
私たちの命を裁く
私たちに与えられる罰は、あなたには見えない暴力

男性優位社会が私たちを裁く
私たちの命を裁く
私たちに与えられる罰は、私たちが見たことのある暴力

それはフェミサイド
それは殺人犯への免罪
それは誰かが行方不明になること
それはレイプ

私のせいじゃない
私のいた場所や服のせいでもない(×4)

レイプしたのはあなただ
レイプしたのはあなただ

レイプしたのは警察たち
レイプしたのは裁判官たち
レイプしたのは国家
レイプしたのは大統領

圧政国家はレイピストと同じ
圧政国家はレイピストと同じ

レイプしたのはあなただ
レイプしたのはあなただ



 女性を標的にした殺人「フェミサイド」や暴力に抗議するため、チリの女性たちが始めたダンスが、世界中に広がっています。国連の調査によると、2017年には毎日137人の女性が、身近な人によって殺害されたとされています。
日本では、内閣府の調査によると、2018年に検挙された配偶者間の殺人、傷害、暴行事件は7667件にのぼり、そのうち6960件(90.8%)で被害者は女性。


#ElVioladorEresTuTokyo
#加害者は貴方でした

フラワーデモ公式Twitter
毎月11日フラワーデモ・ホームページ https://www.flowerdemo.org/
12/11(水)フラワーデモは日本全国27都道府県・29都市&バルセロナで開催されたそうです。
2019/12/06

首相の辞任、内閣総辞職を強く求める

 わたしたちの国の首相は公金を私物化を重ね、また新たな事態が発覚してもその証拠をシュレッダーで破棄し、「それをしたのは障害者職員だった」と平然とのたまっている。
昨日の新聞を読み、怒りで震えがきた。
いつまでこの男を野放しにするのか。
人々が水害で家を奪われて命の危険に曝されている際に、それを知りながら酒盛りをしている政治家たちの筆頭であるこの男を!

自衛隊を中東に派兵したら、更なる混乱と状況の悪化が起きるだろうことは明白だ。

 昔、中村哲医師が講演会で、「一昔の中東では日本はアメリカとの戦争で原爆まで落とされたのに経済復興した国として親しまれていた」と聞いた。しかし、アメリカ政府に具体的に加担しだしてから日本への視線は変わってきていると。憲法九条が日本を守ってきたこと、もし破棄することになれば、それは本当に致命的な危険を招くことになるとおっしゃっていた。
 
 2003年3月、アメリカ軍によるイラクへの攻撃が始まり戦争が開始されたときに現地におられた映像ジャーナリスト綿井健陽氏の映画『リトル・バーズ』で観た一シーンを思い出す。空爆が始まった直後、一人のイラク人男性の叫び。「ブッシュと手を組んでいるお前ら日本人を絶対に許さない。お前ら日本はこれから百年間覚えておけ!覚えていろよ!!」
彼は激怒しながら砂嵐と爆煙の街角に消えていった。何度も振りかえり、指差し叫びながら。

 2001年9月11日。旅客機がツインタワーに突っ込み崩落する様を大学1年生だった私は下宿先のアパートのテレビの前で一人で震えてみていた。そのとき、私の付き合っていた相手は高校を卒業したあと自衛隊に所属していた。そのときに、私は彼が戦地に行かねばならなくなると直感した。しかし、殺されることがあっても侵略に加担させられるという視点はなかった。今思えば、日本の戦争の歴史を全く知らなかったのだ。その後、アジア・太平洋地域で第二次世界大戦時(もしくはその以前からの15年戦争)で、日本軍がどれほど残虐な殺戮を行い、植民地支配と占領をしてきたのかを知り、沖縄戦を知り、日本の軍隊が「自衛隊」に姿を変えたとしても軍隊は人間を守らないことを学んだ。軍隊は国家を守る。国家はいのちより権力と資源や金を求め、人を見捨て殺すことを気にも留めない。

 日本社会は、自分たちの社会がどうなっていくのか思いもしないのか。政府は「不景気」になるように人間の権利と労働環境を削り取り、排外主義とナショナリズムを意図的に高めている。人々がまた戦争に突入していくことを望むように仕向けているようにしか思えない。

 米軍や基地への莫大な税金贈与し続け沖縄を基地として提供し続けてきた日本政府と社会。
9.11以降の米軍のアフガン・イラク戦争への自衛隊は「後方支援」をした。2003年にはイラク派兵もされ、2004年には人質事件も起きた。その後、香田証生さんも伊藤和也さんも後藤健二さんも殺された。2012年から五年間のスーダンへの派兵があった。そして今また自衛隊を中東地域に派兵することが発表された。しかもこれまでの派兵と、また一線を画す内容で、だ。
特定秘密保護法も施行され何年も経ち、市民が情報を得る権利ももう保障されていない。なし崩し的に、いよいよ戦争に突入している。
私の父方の祖母は生前、「戦争が始まったときみんなどうだったの?」と質問した私に、「みんな気付かないのよ!気付かないようにやるんだもの戦争なんて!!」と間髪いれず叫んだ。すこし認知症が始まっていたとは思えない明瞭な答えだった。


 こういう中で、9・11のようなことが自分たちに起こらないとどうして思えるのか。自分たちだけは安全だと?それは都合のいい思い込みであり虚構だ。
原発になにか撃ち込まれたら、どのようなことになるか。フクシマで原発が爆発してもまだ分からないのか?
それとも、東京よりも米軍基地や自衛隊の基地が集中している沖縄が標的になるだろうと高をくくっているのか?
ハワイを植民地化し、基地化し、狙いやすいようにして 日本軍の「奇襲攻撃」から第二次世界大戦に応戦した米国のように?

 中村医師が殺されたのは、ただの「紛争地の治安の悪化」ではない。この20年のアメリカの戦争と侵略、それに追随してきた日本政府と社会の姿勢が大いに影響している。戦争は天災ではない。干ばつだって気候変動の地球規模での進行が背景にある。アメリカと日本の政府がどれほど未来を食い物にして、自己中心的な横暴に身を任せているのかに対して、改めて考え意思を表明して生きることが必要だと感じる。

 首相は、特にここ数年の民主主義の破壊について責任をとり即刻辞任するべきだ。彼らがそうできないなら、市民の批判からそうさせなければならない。このような人間を権力の座に放置したらわたしたちの未来は滅びでしかない。思考停止は現状放置という選択である。私はこれからを生きる子どもたちに将来、戦争と飢餓を味わわせるような選択をしたくない。今まで頑張って社会を築いてきた先達たちが、年老いて医療も受けられないような社会は許せない。
私はアベ政治、現内閣の在り方を断固拒否する。何ができるかはわからないが、その決意をここに表明する。この気持ちを分かち合い、共有し、共にそれぞれの生活から狼煙をあげたい。




参考記事: 読む・考える・書く「中村哲医師の死を9条攻撃に利用する者たち 」 2019年12月7日

2019/12/04

「武器ではなく命の水を」 医師 中村哲とアフガニスタン

今日、中村哲先生の訃報を知り、呆然としながら観ました。
いつまで観られるかわからないけど、一人でも多くの人と共有したく動画をアップします。



彼は立って、群れを養う。
主の力、神である主の御名の威厳を持って。
彼は安らかに住まう。
今や、彼は大いなるものとなり
その力は地の果てに及ぶからだ。
彼こそ、まさしく平和である。
アッシリアが我々の国を襲い
我々の城郭を踏みにじろうとしても
我々は彼らに立ち向かい
七人の牧者、八人の君主を立てる。(聖書 ミカ書5章3節から4節)



 すると、ある律法の専門化が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法に何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。
イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると道の向こう側を通っていった。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱して下さい。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」
そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
                  (ルカによる福音書10章25節から37節)



(2019年12月6日 追記)
 ペシャワール会の中村哲先生が、凶弾に倒れ亡くなられた。訃報を知り、言葉がでなかった。悲しくて、やるせない思いでいっぱいになった。晩御飯を作りながら泣いた。
 私は20代前半に暮らしていた京都で幾度か先生の講演会にてお話を聴く機会に恵まれた。初めて講演を聞いたときは井戸を200箇所ほど掘ったとお聞きした。そして、その数年後には灌漑水路のプロジェクトを成功させておられた。水路に初めて水が通るところを笑顔で歩いていく先生の後姿と、出来る前に灰色一色だった大地が一面緑の穀倉地帯になっているスライド写真に移ったときの衝撃と感動は今も忘れられない。「一人の人間には、ここまでのことができる力があるのか」と天を仰ぐような気持ちで先生の講演を聞いていた。飄々とした佇まい、朴訥としたどこまでも穏やかな語り口だった。

 80年代にハンセン病患者のために国境なき医師団に入られ、アフガニスタン難民の人たちと出会い、アフガニスタンの地に活動を決め、診療所をつくり、人々の命と生活再建のために干ばつの大地に立ち向かい、緑を甦らせた中村哲先生。そのお働きを支え続けたご家族とペシャワール会の皆様、アフガニスタン現地の方たちの喪失はいかばかりだろう。現場で共に殺された方たちの無念さを想う。
新聞を読むとご長男が私と同い年だった。先生のお連れ合いの尚子さんは夫を日本から、国境なき医師団の働きに送り出された。そういう中で、幼いお子さんたちを育てあげられたのだろう。貧困と干ばつの地、そしていよいよ戦乱の地になっていったアフガニスタンに送り出し続けられた。米軍による機銃掃射で危なかったことなど、現地での話を聞くたびに寿命が縮まったであろうと思う。めったにない帰国滞在されるときに家で休んでほしくても、全国各地での講演会に送り出されていたのだろう。先生は講演会で支援を訴えられていた。寸暇をおしんで医師として病院でも働かれ、活動資金の足しにされていたと聞いたことがある。本当にご家族のご労苦と理解が先生の偉業を支えてこられたのだと思う。中村哲医師に惚れ込んだペシャワール会のおひとりおひとりの地道な活動と募金があって、各地の講演会を企画した人たちの働きと、そこに集まった人たちの共感が資金となってあの緑の大地は実現した。

 訃報を知った昨日の夜、上記のETVドキュメンタリーを改めて動画で観た。
初めに診療所を作るときに、哲先生は集まられた村の長老たちに「あなたたちの築いてきた文化を踏みにじるつもりはありません」と話し、「あなたも、すぐに去ってしまうのではないですか」という質問に「自分が死んでもこの診療所は続けたい」と応えておられた。イスラム教式の挨拶をし、長老たちを尊重し接しておられる姿があった。
診療所を作り、大干ばつに苦しむ人たちに「まずは生きておれ」と井戸を掘り、灌漑の水路工事に着手した。「無謀だ」という声に、
「やるしかない」と決意を淡々と話される先生の語りを、部屋いっぱいに座っているアフガニスタンの住民のひとりひとりが聴いていた。そして日本で集められた三億円の資金を投下し、計画は動き出した。働いた人には日当が配られた。(ドキュメンタリー映像の中で日当を配っていた日本人スタッフさんは、2008年に殺された伊藤和也さんだったように思う。伊藤さんが殺害され、先生は日本人スタッフを帰し、ご自分は現地に留まられた。)

 今朝の新聞を読むとペシャワール会で掘った井戸の数は約1600箇所だという。映像の中で、先生は住民の人たちへの指揮をとるだけでなく、同じように肉体労働に従事されていた。重機を動かし、土嚢を担ぎ、地面に寝転び足で巨石を蹴り出す一員になっておられた。4日のペシャワール会の会見では1万6500ヘクタールという広大な土地を命を甦らせたと。60万人の人たちが故郷で農業ができて家族と暮らせるようになった。農作業に勤しむ人々の笑顔。子どもたちの姿。広げられる食卓・・・。

 このドキュメンタリー映像を観て、マルワリード水路が完成した後にモスクが建てられ完成していたことを初めて知った。モスクでは無料の学校もスタートしていた。先生は、アフガニスタンの人たちの生活や文化を尊重した。ご自身がキリスト者であることはおくびにも出さずに、アフガニスタンの人々を隣人として愛しぬき、すべての力を尽くされた。信仰が別であっても、そんなことは問題とせず、その土地の住民たちが魂から希求していたモスクを建てられた。ドキュメンタリー映像の中で、モスク完成の式典で知事がアッラーへの祈りを終えテープカットしたとき、先生の「アーメン」という呟きが聴こえた。涙が出た。先生の主イエスへの信仰がどれほどのものであるかを思い知った気がする。

アメリカ軍の病院に運ばれる前に息を引き取られたとニュースで聞いた。先生は米軍の病院で治療を受けることを望まなかったのではないかと感じる。「米軍の病院に着く前に亡くなられたのか・・・」と、思った。うまくコトバにできないけれど。
アメリカがアフガニスタンを空爆しなければ、また日本政府がアメリカ政府に加担しなければ、ここまでの状況になっただろうかと改めてこの二十年の戦争の歳月を想う。

今、先生は天国で神様に労われているだろうと思う。
先生がされようとしていたアフガニスタンの人たちへの土木技師養成の学校の計画は、これからもペシャワール会が引き継いでいくのだろう。訃報で、中村哲医師を知らなかっただろう多くの人がこの一人の偉大な人を知り、自分の生き方を考えている最中かもしれない。それが、日本の社会の中で波及していくことを祈らないではいられない。数え切れない心ある人たちの胸のうちに先生は生き続けると信じる。わたしもその一人になれるよう歩んでいきたい。

中村哲先生、お疲れ様でした。本当にありがとうございました。私は私の命を頑張って生きていきます。


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