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2018/09/29

【沖縄県知事選挙】2018年9月22日 うまんちゅ大集会 玉城デニーさんの決意表明 演説 (全文)

 今月22日に沖縄おもろまちの新都心公園で行われた、うまんちゅ大集会。玉城デニーさんの決意表明の演説を映像で見ました。とても感動して、心が震わされて涙がとまりませんでした。励まされ、奮い立つ思いでした。
映像が見れない方にも聴いてほしい演説だったので、文字起こしました。私はヤマトの人間で、うちなーぐちは全く分からないので考え考えネットで調べながら表記しましたが、間違っているところがあると思います。お気を悪くされる方もいらっしゃるかも・・・と思いながらで、申し訳ないような気持ちもありながらなのですが、一人でも多くの方にデニーさんの演説を聴いて(読んで)もらいたいと思ったのでアップします。(間違ってたら、こっそり教えてもらいたいです・・・。すみません・・・。)

 映像は集会の始めから終わりまでのもので、デニーさんの演説は45分00秒くらいからです。デニーさんの演説の後、翁長知事のパートナーの翁長樹子さんがスピーチをしておられます。
辺野古のこと、基地のこと、沖縄の社会の未来、日本社会のこれから・・・。いろんな想いが胸に渦巻くけれど、何よりもとにかく愛する家族を喪われた翁長知事の御遺族が安堵される選挙結果が出てほしい。切に願っています。
今、沖縄は台風の真っ最中だということです。沖縄の皆さんの暮らしが、災害から守られますように。そして、投票日である明日は、台風が過ぎ去った青空の下で地域の方の足が強められ、皆様が無事に投票して、ご自分の意思を表明できますように。
主の平和が実現する為の大きな一歩が踏み出され、新しい闘いの幕が切って落とされますように。この空の下、心からお祈りしています。


45分00秒から玉城デニーさんの決意表明の演説です。


 はいさい、ぐすーよー ちゅうがなびらー!
県知事候補 名ぬやぎ とーる 玉城デニー いりちょーびん。
見(み)ー知っちょーてぃ きぃみせーびり! (礼)【会場拍手】

 県知事候補に名乗りを上げております玉城デニーと申します。
お見知りおき下さい。それより御挨拶をさせて頂きました。

 今日は本当にこの土曜日のお忙しい中、しかも少し雨模様のこういう状況でも
傘の用意、雨具の用意、用意をしていない方はそのまま雨に打たれながらお話を聞いて頂く。
この皆さんが寄せる私たちへの想い、私(わたくし)、玉城デニーへの強い想い、しっかりと受けとめさせて頂きます。【会場拍手、指笛】

 翁長雄志知事が亡くなられ、私たちは二期目の当選に向けてその用意を進めていました。その中で、様々な会議の調整によって私(わたくし)の名前が、翁長雄志知事からたびたび、語られていたこと。そして、皆さんが、「で、あれば本人の意思を、―私(わたくし)玉城の意思を確認した上で、それで決めようじゃないか」と固めて下さったこと。全てが私(わたくし)は今回の県知事選挙の皆さんの、お一人おひとりの想いに対して、真剣に応えていく。沖縄の未来がかかった、県知事選挙に対する使命感から来る、出馬の決心だということを今あらためて、お伝えしたいと思います。【会場拍手、指笛】

 「十(とぅー)ぬ指(いーび)や いぬたきや ねーらん」十本の指は、同じ長さではない。これは、母子家庭として生まれた私(わたくし)が2歳から10歳ぐらいまで、預かって育てて頂いた家庭のお母さんが、私(わたくし)に教えてくれた沖縄の言葉です。十本の指は同じ太さでも、同じ長さでもない。しかも、人間の指紋は一人びとり、それぞれの指で ぜんぶ違うんですね。しかし、大正うまれのそのお母さん、―私(わたくし)は「おっかあ」と呼んでおりましたが、おっかあは、度々いじめられて泣いて帰ってくる私に対して「なんでねー?」と訊き返します。「見た目がこうだからね」と、「だからね」って言ったら、「なんでぇ?あんたどこが違うの?」と言うんですね。「どこが違うの?」と言われて、小学生の私に理解が出来ませんでした。そこで出てきた言葉が、「十(とぅー)ぬ指(いーび)や いぬたきや ねーらんどぅ、みんな違ってるよ。なんで違っていることを、あんたがこんなして泣かないといけないの?」 教えてくれたんですね。
 沖縄はそのように多様性を持って、本当にいろんな人たちが暮らしている。それは、戦前・戦中・戦後、貧しいから皆で助け合いをしようと言って、畑に出てさとうきびを皆で手伝ったり、昔は萱ぶきの屋根でしたから、その萱を葺き替えをするのにその地域の皆さん総出で出て、萱の葺き替えをした。そういうところから、皆で心を寄せて手伝うことを「いーまぁーる」と言ったそうです。「いー」、これは今でいうと「結い」、結ぶという字を当てますね。「いーまぁーる」。「まぁーる」と言うのは、皆で、かわりばんこに助け合うという「まぁーる」です。相互扶助の精神は、貧しい集落に住んでいようとも、皆が同じように助け合える、そういう豊かな心を持っていた。大正うまれの おっかあは、そういう生まれ。そして戦中にダンナさんを南洋で亡くされ、南洋から引き揚げてきて、三人の娘・息子たちを育てた。そういう、たくましい自分の体験から、静かに私(わたくし)、玉城デニーに、その、「人と人は違って当然だよー。でも皆いっしょさぁ。一緒に生きてるさぁ。」ということを教えてくれたんですね。ですから、私(わたくし)は実は、アメリカ人の父親を持ち、うちなーんちゅの母親を持っている この生まれで、おっかあから「十(とぅー)ぬ指(いーび)や いぬたきや ねーらんどぅー」と、「人はみんな違っていいんだよ」と教えられた幼い頃から、差別をする・区別をするということが、私の気持ちのなかに芽生えませんでした。おっかあのおかげです。
小さい頃、そうやって豊かに育てられた子どもたちは、多分 私の年代、―私(わたくし)は昭和34年、1959年うまれですが、その頃いっぱいいたと思います。私(わたくし)と同じような生まれの、2つの国、3つの国をルーツに持つ、そういう子どもたちもいっぱいいたと思います。しかし、沖縄という社会は、そういう生まれの私たちであっても寛容性を持って、その可能性を見つめてくれました。見守ってくれました。それが、私(わたくし)は、これから未来に もう一度 見つめ直す《沖縄の政治の原点》でありたいというふうに思います。【会場拍手、指笛】

 さきほどない御挨拶させて頂いています言葉の中には、うちなーんちゅの「ちむぐくる(肝心)」という言葉があります。「ちむぐくる」というのは、「ちむ」というのは肝です。「くくる」というのは心。考えたり、思ったりすること。それを「ちむぐくる」という、自分の中でしっかりと受けとめ、そしてそこから湧き上がってくるものが、その人の行動であれば、それはもうその人の正義なんだ、信念なんだ、理念なんだ、そういうことを私たちは これからも大切にしていかなくてはいけません。
翁長雄志知事は、そのことを「イデオロギーよりアイデンティティー」という言葉に込めました。
「イデオロギー」はそれぞれの考え方、思想・信条です。それはお互いに尊重する。決して分け隔てするものではない。しかし、イデオロギーだけで どうしても解決できないような問題が生じた時、私たちは、では何を持ってお互いを理解する、その根本的なものを持てるのか。それが、「アイデンティティー」。つまり私たちは、沖縄のためなら、沖縄の将来のことなら、沖縄の子どもたちのためなら、思想・信条を乗り越えて、右も左も関係ない、富める人も貧しい人も関係ない、皆でひとつになって、大きな力を発揮することができる。これが、翁長雄志知事が遺してくれた未来への確かな遺言だと思います。【会場 指笛、拍手】

 私(わたくし)は、生まれ持ったその私(わたくし)の信念として、翁長雄志知事の理念を全うして貫いて参ります!【会場 指笛、拍手】

 子どもの貧困の問題は翁長雄志知事にとって、一丁目一番地の課題でした。全国で初めて、子どもの貧困についての調査を行った沖縄県。実に、三人に一人の子どもが貧困の環境にある。しかし貧困は、子どもや家族だけの問題ではない。これは、社会の深い問題であり、その為に生活をしている人たちのあらゆる場面に心を傾けていかなければならない。そういうことを、改めて私たち県民に教えてくれました。そして、真っ先に子ども貧困対策のための計画を立ち上げ、その為の予算、30億円の基金を積み上げ、「まずそれを実行しよう」と奮い立ってくれました。うちなーんちゅにとって、子どもは宝です。子どもが生まれたら、みんな喜びます。子どもがその家に居たら、「わらべ うふっちゅ じゅうにんがーえ 」と言います。「子ども一人いれば、大人 十人の賑やかさにも勝るもんだよ」。幼い子どもであっても、この命の存在に皆が喜ぶわけです。翁長雄志知事は、これからの沖縄は、その子ども達が育まれ、大切にされ、それを見守っているお父さんお母さんもだいじにされ、それを支えている社会全体が、もっと力をつけていこう!そういうことを言っていたんだと思います。【会場 呼び声、拍手】

 アジアのダイナミズムを取り入れる。そこでどんどん沖縄の可能性を伸ばしていく。しかしそれは、ただ可能性を伸ばし、利益を得(う)るだけではない、そこから得られた原資・利益は必ず沖縄の社会に還元させていって、沖縄の優しい社会を作る。そういうことを、翁長雄志知事は政策の中に盛り込んでいました。私(わたくし)も今回の政策の中に、赤ちゃんを宿したお母さんが、赤ちゃんを産む前から、母子手帳を交付されたその時点から、赤ちゃんが生まれ、そして就学に至る。今度は学校に通ったら子どもの居場所を作ってあげる。中学・高校生になったら今度は、家計費の負担にならないように、バス賃を無料にしてあげる。そういうふうに行政が出来ること。それを子どもの生まれる前から、決して貧困が発生しない、そういうことをきちんと理念を持って、それをお父さんお母さんが働く環境を整え、おじいちゃんおばあちゃんが安心してお孫さんを見ることができる。その安らかな生活につなげていく。教育、福祉、雇用、さまざまな沖縄の生きとし生ける人たちが誰一人として取り残されない。そういう政治を、翁長雄志知事の理念をしっかり引き継いで、玉城デニーは実行して参りたい!【会場 指笛、拍手】
誰一人として、取り残さない。みんなが輝く。みんなが空を見上げて、青空のなかのまぶしい太陽に目を細める。そして時には雨が降ってくることを喜び、「ああこれで、うてぃーらくぁーが降りたね。農作物もこれで順調に育つよ。」いかなる場面であっても、皆がその喜びを分かち合う。そういう政治を私(わたくし)は これから、しっかり実行していきたい。

 そして今日、お集まりの皆さんと改めて約束をしたいと思います。私たちが安らかに生活をすること、
安心して仕事を励み、そして子どもたちと晩ごはんを囲み、おしゃべりをし、「明日また元気で、笑顔で頑張ろうね」というその生活、なりわいを立てるためには平和でなければならないということです!【会場拍手】

 翁長雄志知事は、「平和と経済を両立させる」。そのことをしっかり仰っていました。想像してみて下さい。毎日が、紛争やテロで追われている国の皆さんのことを。その日の自分たちの命を守る為に追われ、子どもたちを守る為に追われ、明日(あす)の自分の身の上すら分からない。しかし私たちは、少なくとも今日、お互いのこの喜びを分かち合い、「明日また頑張ろうね」という、この平和の基盤にいる。しかしそのことに、決して甘んじたり軽んじてはいけない。だからこそ、平和であることを希求する、追い求める。その行動、その理念は決してやめてはいけない。立ち止まってはいけない。辺野古の新基地建設は、その理念と真っ向、相反するものです。辺野古に新しい基地は絶対に作らせない。そのことを改めて、約束しましょう!【会場拍手】

 普天間第二小学校の子どもたち。昨日、この子どもたちがグランドで体育の授業をしている、その間の誘導員の皆さんは、もう、その期限を終えて、その方たちの仕事が解かれました。これからは学校の校長先生や先生が飛んでくるヘリの、真上なのか、それとも飛んでこないのか、それを判断して、シェルターに逃げるか逃げないかを、判断しなさいと言っています。こんな小学校が世界のどこにあるんですか!普天間は閉鎖・返還です。【会場拍手】
 戦争で奪われた土地は、沖縄県民に還すべきです。私たちは、今回のこの県知事選挙で、あらためて誓いましょう。この選挙で、玉城デニーとともに、日本政府から、アメリカから、沖縄を取り戻す!うちなーんちゅの手に取り戻す!青空を子どもたちの為に取り戻す!【会場大拍手】
そのことをしっかり、誓いましょう。平和あっての経済、そして経済あっての発展、さらには多くの皆さんにその喜びを分かち合うために、私(わたくし)玉城デニーは先頭に立って、頑張ります。
今日は県外からも大勢の方々が来て頂いています。そして、この方々が今日、街頭でも私(わたくし)に「東京から来ました」「大阪から来ました」「熊本から来ました」。皆さんが私(わたくし)の手を握って「頑張りましょう!」と言って下さいました。それはなぜか。沖縄の県知事選挙の勝利が、自分たちの明日(あす)の勝利に繋がるということを信じているからです!【会場拍手】

 その全国の県民の皆さんに、明日(あす)の希望をもたらすのは、沖縄県民、私たちです!【会場「そうだ!」拍手】
私たちで、この県知事選挙を勝利しましょう!この勝利を全国の皆さんに届けましょう!玉城デニーに力を貸して下さい!玉城デニーは全力で頑張ります!共に勝利しましょう!
よろしくお願いします!ありがとうございました!!(礼)
【会場拍手、デニーコール、指笛、「ガンバロー」の声、アナウンスの声、喝采】

うちなーんぬ ぐすーよー!
まきてーないびらんどーー!!!
(礼)
【大きな拍手、会場の皆さんの声】(着席)


2018/09/29

2018年 沖縄慰霊の日 知事平和宣言 (全文)

2018年 沖縄慰霊の日 知事平和宣言の全文を、Youtube動画字幕から文字起こしさせて頂きました。(有料のウェブ上の新聞記事もあったみたいだけど・・・)

よかったら、坂本龍一さんと古謝美佐子さんのおられる《うないぐみ》の『弥勒世果報 (みるくゆがふ)』を新しいタブかウインドウで開いて、音楽を小さくかけて、同時に動画を再生し、どちらも聴きながら、翁長さんの慰霊の日の平和宣言を聴いてみてください。
なんだかとても、ぴったりだと思いました。
うないぐみ+坂本龍一「弥勒世果報 (みるくゆがふ) - undercooled」http://inariyasauce.blog71.fc2.com/blog-entry-694.html




(文字起こし全文)
平和宣言。
二十数万人余の尊い命を奪い去った地上戦が繰り広げられてから、73年目となる6月23日を迎えました。私たちは、この悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する「沖縄のこころ」を大事に今日を生きています。戦後焼け野原となった沖縄で、私たちはこの「沖縄のこころ」をよりどころとして、復興と発展の道を力強く歩んできました。
 しかしながら、戦後実に73年を経た現在においても、日本の国土面積の約0.6%にすぎないこの沖縄に、 米軍専用施設面積の約70.3%が存在し続けており、県民は広大な米軍基地から派生する事件・事故・騒音をはじめとする環境問題等に苦しみ、悩まされ続けています。

 昨今、東アジアをめぐる安全保障環境は、大きく変化をしており、先日の米朝首脳会議においても、朝鮮半島の非核化への取り組みや平和体制の構築について共同声明が発表されるなど緊張緩和に向けた動きが始まっています。平和を求める大きな流れの中にあっても、20年以上も前に合意した辺野古への移設が普天間飛行場問題の唯一の解決策と言えるのでしょうか。日米両政府は現行計画を見直すべきではないでしょうか。民意を顧みず工事が進められている辺野古新基地建設については、沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりではなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると言わざるを得ず、全く容認できるものではありません。「辺野古に新基地を造らせない」という私の決意は県民とともにあり、これからも微塵も揺らぐことはありません。これまで、歴代の沖縄県知事が何度も訴えてきた通り、沖縄の米軍基地問題は、日本全体の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべきものであります。国民の皆様には、沖縄の基地の現状や日米安全保障体制のあり方について、真摯に考えていただきたいと願っています。

 東アジアでの対話の進展の一方で、依然として世界では、地域紛争やテロなどにより、人権侵害、難民、飢餓、貧困などの多くの問題が山積をしております。世界中の人々が、民族や宗教、そして価値観の違いを乗り越えて、強い意志で平和を求め、協力して取り組んでいかなければなりません。
 かつて沖縄は「万国津梁」の精神の下、アジアの国々と交易や交流を通し、平和的共存共栄の時代を歩んできた歴史があります。そして、現在の沖縄は、アジアのダイナミズムを取り込むことによって、再び、アジアの国々をつなぐことができる素地ができてきており、日本とアジアの架け橋としての役割を担うことが期待されております。その期待に応えるよう、私たち沖縄県民は、アジア地域の発展と平和の実現に向け、沖縄が誇るソフトパワーなどの強みを発揮していくと共に、沖縄戦の悲惨な実相や教訓を正しく次世代に伝えていくことで、一層、国際社会に貢献する役割を果たしていかなければなりません。
 本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられたすべてのみ霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、恒久平和を希求する「沖縄のこころ」を世界に伝え、未来を担う子や孫が心穏やかに笑顔で暮らせる、「平和で誇りある豊かな沖縄」を築くため、全力で取り組んでいく決意をここに宣言をいたします。
平成30年6月23日 沖縄県知事 翁長雄志
2018/09/28

平和を求め続ける力の根源になる体験。広島での《原爆の図》展と宋神道さんのドキュメンタリー映画

平和を求め続ける力を得るためには、耐え難い人生を強いられた人たちの声を聴き、その体験を何度でも知ろうとし、心に刻み、いつも想いを新しくし続けることが大切だと思う。
希求し続けるのは楽な道じゃない。自分のことだけなら、とっくに諦めてる。でも、どうしても諦められない。
諦めてはいけないと強く思える体験をどう作っていけるだろう。



広島市で、現在 丸木位里さん・丸木俊さんの「原爆の図」展が行われているそうです。(2018年11月25日まで)
 特設サイト:広島現代美術館 丸木位里・俊 《原爆の図》をよむ https://www.hiroshima-moca.jp/maruki/#

大木正夫:交響曲第5番「ヒロシマ」より[悲歌]




どんなに、どんなに歴史を隠蔽しようとし、美化しようとしても、戦争の渦中での一人の悲惨な人生の結末は、「無かったこと」にはならない。このまま無かったことにさせたい勢力がどんなに強くなって、それが社会の主流の認識になったとしても、私は無かったことにはさせたくない。
戦争の渦中で犠牲にされた人たちの命。尊厳。
戦争がなければ、泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだり、愛したり愛されたりしながら、こどもから大人になり、次世代を生んだり育てたりしながら老いていき、淡々と去っていくはずだった一人ひとりの人生。暮らし。未来。続いていくはずだった時代と文化。
世界で唯一無二のその人たちを、奪い、犠牲にしたことにすら、自覚ないままに都合よく忘れ去ろうと過ごす現在。この歴史の末尾を生きる者として、これ以上はせめてもう踏みにじりたくないと希う。

《どうして、自分の命はあんなふうに奪われたのか》
《何故、あれが私に起きたのか》
答えの無い問いを堪えて、
「もうこんなことは私で最後にしてほしい」と言ってくれたその人の海よりも深い苦しみと他者(特に次世代を生きる者たち)への愛を、せめて受けとめて生きなければ。それは他の誰でもない、私自身が、なんだ。

戦争への道を食い止めたい。なにもかも違う人だって、誰だってみんな、幸せになりたいとただ願って一生懸命に生きているんだと思う。私たちは皆で幸せにならなきゃならない。だれももう犠牲にならなくてすむよう、今、助け合って選び取って、みんなで生き抜いていかなきゃ。いのちをだいじに。一番だいじなことは生きること。

平和がなければ個人の幸せは実現しない。だれか泣き寝入りする一人がいるならまだ世界平和は実現していない。
私は平和を求める。

赤ちゃんやこどもたちが元気ですくすく大きくなれるように。
おとなたちが子どもを愛で育てる幸せを感じられるように。
これまでの社会や時代を生き抜き、築いてきてくれた方たちに安心して暮らしてもらえるように。
人間が自然のなかで、ほんとうに深く息をして暮らせるように。
すべての生きとし生けるいのちが、いられる世界であるように。

諦めそうなときもあるけど、でも、平和を求め続ける。戦争や暴力、核、差別や虐めを認めない(それらに加担している今の自分に気付き、生き直したい)。

戦争や経済最優先の社会や優性思想に、たった一度の人生を奪われ、命と尊厳を奪われた方たち。
この方たちの声を聴くことなしには、平和を諦めないで求め続ける気力は生まれてこないと、最近つくづく思っている。

気落ちしてきたら、小さな声でWe Shall Overcomeを口ずさむ。
何度でも『おきなわ島のこえ』、『みなまた海のこえ』を声に出して読もうとする。都合よく忘れている自分に気付く為。

昨日は本棚にあった映画パンフから宋神道(ソン・シンド)さんと支援する会のドキュメンタリー映画『オレの心は負けてない』のパンフレットをふと取り出し、文字起こしされたシナリオを読みなおした。


在日の慰安婦裁判を支える会 http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7486/
(今ホームページを久しぶりに見たところ一般DVDは1800円、上映も1万円で出来るみたい!)
裁判記録の本も本棚にある。久しぶりに読みたいと思った。
「私の心も負けてません」って応えられるように。宋さんは亡くなったけど、声は消えない。高裁に負けたときのあの歌も忘れない。


 負けた裁判 よろしくよかばってん
 いくら負けても オレは錆びはせぬ
 ここに集まったお客さま よく聴いて
 二度と戦争はしないでおくれよ ああ
 としこは今でも 100年生きても 明日くたばっても
 やるときゃやる
 お金がなくても 着物がなくても かざりがなくても
 やって見せる この政治家のホイトども
 あ ドッコイ あドッコイドッコイ 


想い、強くされ、歩み続けたい。






2018/09/23

玉城デニーさんの魂の演説

昨日あった沖縄おもろまちでの玉城デニーさん うまんちゅ大集会(「うまんちゅ」は「みんなで」という意味だそうです。)の映像を見ることができた。


今日はちょっと心が負けてた。そのことを話した人に、この映像を紹介してもらって、見れた。玉城デニーさんの演説を聞いて、本当に心が震え、奮い立った。心が燃えている。
おきなわの魂が、平和を諦めない、誰もおいてきぼりにしない世界を生み出す。

私も自分の場所で、自分の立場から、平和をぜったいに諦めない。命こそ宝だ。


一人でも多くの人に聴いてほしいとおもって、このブログにも映像をアップします。
45分00秒からデニーさんの演説です。




デニーさんの後に、故・翁長知事のパートナーである翁長樹子さんのスピーチがあります。

(以下は、翁長樹子さんのスピーチの文字起こししたものです。)
 泣かずにしゃべれる自信がありません。翁長雄志の家内の樹子でございます。本当にたくさんの方に支えて頂いて必死に頑張ったんですけど、8月8日に急逝いたしました。ひと月半になります。
 正直、翁長が亡くなった、頭の中では理解しているつもりなのに、心がなかなか追いつきません。洗濯物をたたんでいるときだとか、ご飯を出しているときに突然 「あっ そうだパパ」って顔をあげちゃうんですよね。
 そしたら遺影の翁長がいつも笑ってるの。「ばかだなぁ君は」って言って。翁長が恋しいです。あの笑顔がもう一度見たい。笑い声がもう一度、聞きたい。でも かなわないから。
 この選挙は正直言って翁長がいつも言っていたように、みんな同じウチナーンチュだから、みんな一生懸命考えてみんなが出した結論はもうそのことなんだということで、私は今回、本当は静かに皆さん県民の一人ひとりの方が出す結論を待とうと思っていました。

 ところが、日本政府の方のなさることが、あまりにもひどいから、たった140万人の沖縄県民に、オールジャパンと称して政府の権力を全て行使して、私たち沖縄県民をまるで愚弄するように押しつぶそうとする。民意を押しつぶそうとする。何なんですか、これは。こんなふうに出てくるというのは正直、とても躊躇しました。
 でももう、なんだか翁長が「もうしょうがないな、みんなで頑張らないといけないから君も一緒になって頑張って」と言ってくれたような気がして、今日はこの場に立っております。
 
 この沖縄は翁長が心の底から愛して、140万県民を本当に命がけで守ろうとした沖縄です。県民の心に1ミリも寄り添おうとしない相手の方に悪いけど、申し訳ないけど、私は譲りたくありません。

今、デニーさんの話を聞いて、「よかった、うちの人の心をデニーさんが継いでくれるんだ」と思ったら、涙がとまりません。残り、一週間です。簡単には勝てない、それでも簡単には負けない。
 翁長がずっと言っていた私たちウチナーンチュの心の中をすべてさらけ出してでも、マグマを噴き出させてでも、必ず勝利を勝ち取りましょう。
 みなさん。頑張りましょうね。ぬちかじり。ぬちかじりですよ。がんばりましょうね。
よろしくお願いします。
2018/09/23

ヤマトの人間の一人として、翁長知事の遺志に応えていきたい。玉城デニーさんが新知事になれますように祈ります

2018年9月10日に書いた文章ですが読んで頂きたいので再掲載します。(21日にちょっと加筆しました。)
よかったらお読み下さい。



2018年6月23日 沖縄全戦没者追悼式 「平和宣言」 翁長雄志 沖縄知事


2018年8月8日。翁長知事の訃報を知った瞬間、私はJRの新快速に乗って帰省している最中だった。満員にちかい電車の中で 「ウソ!!?」と大きな声をあげ、呆然としてから、涙がでてきた。(声をなるべくあげないように必死で我慢したけど、隣に座っていた方は驚いただろうな・・・。)
 この人が発していた沖縄の人たちの意志を、「沖縄の心」を、ヤマトの社会がもっと受けとめようと努力する姿勢を示していたら、この人の病はここまで進行しなかったのではなかったかと、ヤマトンチュの一人として、ほんとうに申し訳なく、現状をなんともできないできた自分の無力さが悔しくて、なかなか泣きやむことが出来なかった。

ご存知の通り、保守派の政治家だった翁長さんは東京でヘイトスピーチの嵐を受けたデモの体験から沖縄への差別を実感し、知事選を当時の現職と闘うことを決意し、怒涛の選挙を走りきり10万表差で勝利し新知事になった。そして、沖縄の民衆の代表として日本政府と米軍に対峙し続けてきた。彼は、うるま市の米軍軍属による女性殺害の事件のときも、名護海岸に墜落したオスプレイにも、やんばるに墜落した米軍CHヘリにも、宜野湾市の保育園や小学校にヘリから墜落物があったときも、ずっと沖縄の代表として怒りを表明し、対話を求め、住民の権利を求め続けた。県の代表である知事でありながら、墜落現場にすら立ち合わせてもらえない、その無力感たるやいかばかりであったろう。


2018年7月27日  辺野古承認「撤回」ノーカット版(共同) 翁長知事・最後の会見 7分1秒 
(映像公開/2018年8月9日) 



最後の会見のときは、肝癌の進行で衰弱されていて、水を飲むのも辛いほど口内炎が酷く、一人で歩くのもやっとだったらしいと後日新聞で読んだ。知事夫妻はもう命尽きることを知っていて、それでも最後の最後まで、沖縄が希求する平和、万国津梁である琉球の歴史と未来の在り方を表明し通した。4年前からは想像もつかない知事の姿を、心配しながら支えておられた「県」民の皆様のショックはいかばかりかと思うと、言葉にならない。


どんな素晴らしい仕事を成した人でも、一人の人間である以上、すべての人の理想を即座に実現する力はないだろう。現場で、平和を求めて身を削ってこられた方からは、もしかしたらもどかしいところもあったかもしれない。しかし、日本社会に生まれ、その中でも基地のない土地で育ってこれた一人のヤマトンチュである私という人間にとっても、学生時代に様々な矛盾を学び、社会の変革を心から求め生きてきた(つもりの)一人の民として、翁長さんは最期まで 「政治を担う人はこうであってほしい」と私が無意識に求めてきた政治家の姿だった。

自民党の小泉政権が誕生した2001年の春、私は大学1年生だった。秋には9・11のテロがあり、その後 日本は米国のアフガン・イラク戦争に加担し、自衛隊は派兵され、イラクでは2004年春に邦人の人質事件が起こり、その年の秋には人質にされた香田くんがイラクで見殺しにされ、その翌年には郵政が民営化された。ワンフレーズ・ポリティクスが横行し、選挙のルールはより権力寄りに変えられ続け、どんなにひどいことが起きていても、それはまったく問われないような自民圧勝の選挙結果に幾度も打ちのめされた。

政治家が公約を実現しないことはもはや常態化し、問題があることすら無視し口ざわりの良いことを無責任に述べた、その責任も問われないままになりがちなこの日本社会。そうした日本社会の在り方自体に虐げられてきた琉球・沖縄の歴史と、現在の不平等・不正義に根底から向き合い、マジョリティの社会に「真摯に考えてほしい」と呼びかけ続け、平和や文化、そして民衆の権利を希求する彼のような政治家が実在したという事実に圧倒される。この人を知事という民衆の代表として送り出した沖縄の民衆の力は、ほんとうに言葉にならない力強さだった。私は祈るしかできなかったけど、あの日、本当に安堵したのをよく覚えている。

「日本政府の中で、理想を実現できる政治家はもう出てこないのではないか」とか、「闘ってくれる議員がいたとしても一議員としてしか扱われず、政治の現場で闘いきるのはもう無理なんじゃないか」とか、「どうしようもない人間を政治家に選んでしまう有権者の無意識はどうしようもないんじゃないか」とか、そういう諦めを抱いて長かった私にとって、2014年秋の沖縄知事選は、ほんとうにこの社会から政治に希望を持つ可能性が潰えていないことを感じさせるものだった。理想を諦めず現実化していく民衆の力が、沖縄から発信されていた。それを同時代に生きた人間のひとりとして、ヤマトの人間の一人として受けとめていかなければと強く思わされた。改めて心の底から感じ入るものが今、 胸にある。


立ち上がった日から、最後の最後まで意志を貫き、真の政治家として走りきり人生を全うされた翁長知事。
私は、追いやった社会の側の人間の一人であるから、こうして想いを書くこと自体のおこがましさを自分でも恥ずかしく思うところもある。でも思ったことを書かずには生きられない人間であるから、申し訳ないけれど、私は書く。

県民葬は一ヵ月後の10月9日だそうだ。 その時の現職知事の追悼挨拶は、翁長さんの遺志を継いでいく玉城デニーさんでなければならないと心底思う。デニーさんの言葉の明確さ、目の光、そして笑顔の柔らかさに、この人に本当に勝ってもらいたいと心から願ってやまない。

玉城デニーさんが沖縄新時代の知事になれますように!

【ツイッター】 玉城デニーさんのツイッター https://twitter.com/tamakidenny
【記事】やんばる日記 「新時代沖縄の風がいま!-玉城デニーさんの出馬表明(全文紹介)」
http://freeokinawa.hatenablog.com/entry/2018/09/01/191433


自民・公明・維新から選出された佐喜眞氏は、辺野古のことは一切ださないで知事選挙に臨もうとしている。しかし、本当に普天間基地の返還を求めるのなら、故・翁長雄志沖縄知事の最後の会見(承認撤回表明)にあったように「米国の会計監査院の報告で辺野古新基地が固定翼機には滑走路が短すぎると指摘され、当時の稲田防衛大臣が辺野古新基地が完成しても民間施設の使用改善等について、米側との協議が整わなければ普天間飛行場は返還されないと答弁したこと」)について、真っ向から向き合い発言をするべきではないか。
佐喜眞氏は「対立・分断から無縁な沖縄」とか「対立から協調へ」というフレーズを使っているが、それは差別構造の常態化と、国家権力への従属、奴隷化だと私は感じる。問題を無視し続け、それについて意見する人間を力でねじ伏せて黙らせようとする日本国家のやり方におもねる実態と、「協調」という言葉の意味は全く違う。それは、自分とちがう意見の表明を許さない恐怖政治でありファシズムと言えるだろうと私には感じられる。デニーさんがおっしゃるように「分断を持ち込んだのは私たちの側では無い」。これは沖縄の問題ではなく、日本社会の闇だ。

佐喜眞氏はアベ氏と同じ日本会議のメンバーで、日本国家が行ってきた凶事を直視する歴史認識や思想性を持たないばかりか、自分が関わった会の歓迎行事として市内に住む幼稚園生たちに「教育勅語」を唱和させるようなおぞましいことを平然と行ってしまう人物だ。こうした佐喜眞氏の行動は、ヤマト政権に琉球・沖縄が植民地支配化され皇民化されてきた歴史からの現在地の問題である。このことにヤマトの人間として胸が痛み、申し訳ない気持ちになる。私は踏みつけてきた社会の側の人間だから、この人がこうなってきた背景に責任がある。

日本会議のボスであり、日本国家の総理大臣であるアベ氏の実態は、知識としては分かっているけど、喋ってる映像を見るとほんとうに論の体もなしていないどうしようもない話し方しかできない人物であることに唖然とし、愕然とする。どんなに信じられないような暴挙が明らかになり続けても、この人間が我らの社会の責任を担う総理大臣であり続けるこのヤマト主流はの社会を構成する一人ひとりは何を感じ、考えて暮らしているのだろうか。なにも、考えられなくなってしまったのかな・・・。
(参考:安倍晋三氏 「憲法改正」についてのツイッター記事動画

軍隊の最高司令官になりたいだけの、核兵器を持ちたいだけの、そのための憲法「改正」。支配したくてたまらないだけの、オモチャを欲しがる子のように戦争をしたくてたまらない権力者。
自動的に自民党に入れてしまう人たちは、「こんな人に自分たちの未来を決められたくない」とは思わないのかな・・・・。

今、「自分は関係ないからいいの」と考えようとしないで目をそらしていたら、近い将来、思い描いていた未来を壊されることになる。
子どもや孫は、平和な暮らしは(今も実現できてないのに)もっともっとできなくなる。それは明白なこと。
沖縄の苦しみを強いている日本社会の構造による歪みは、もう日本社会のそこここで形を変えて立ち現れてきている。
ヤマトの社会、和人の社会、日本の社会の一人ひとりの皆さん。どうか目を覚まして。一緒にアベ政権を終わらせよう?
アベ政権の勢力を政治家に選んでしまうと、私たちの未来への希望は、現時点でまだ確保されている勝ち取ってきた命の権利とともに潰えてしまう。このままでは、今ある暮らしの中の喜びも幸せも指一つでかき消される時代が来る。そもそも、これ以上、誰かを虐げ続けることに私はもう耐えられない。まだ間に合うはずだ。





今年1月にあった名護市長戦での翁長知事のパートナーである翁長樹子さんが稲嶺ススムさん応援スピーチをされた。
稲嶺さんは選挙に敗れたけれど、このスピーチは今、デニーさんの応援演説でもあると感じる。




以下は、2018年1月名護市長選の際の翁長知事夫人の樹子さんの訴え
【記事】やんばる日記 翁長樹子さんの稲嶺ススム応援スピーチ(動画あり)
http://freeokinawa.hatenablog.com/entry/2018/01/14/142151


沖縄県知事の家内の樹子でございます。
翁長がグアムの方に出張に行っておりますので代理という事で参りました。
なにぶん素人で、マイク前にすると上がってしまって、うまくできるか本当に自信ないんですけど頑張って務めさせてもらいますので
よろしくお願いいたします。

結婚して36年目でしょうか、政治家の女房として33年目になりましたけど、いやぁ、しかし、志位委員長と同じ壇上でご挨拶する日が来るなんて本当に夢にも思いませんで、本当に光栄に存じております。どうかよろしくお願いいたします。(会場拍手)

3年前の知事選挙、翁長が現職の方を相手に、本当に有難いことに10万票の差を持って挑戦をさせていただきました。正直、圧倒的だったと思っております、あの差で。ホッとしたんです、これでもう辺野古の問題は決着がつくんだと、名護市長がNOと言ってる、県知事もNOと言った人間が当選した。

何ですかこの3年間、
冗談じゃないですよね、皆さん。

政府は、しょっちゅう言う、「何の問題もない」と。
どこにいったい民主主義があるんですか?

どこにあるの?
私たちの自治権は?
人権どこにあるんですか?
それが何ともない事なの?

冗談じゃないと3年間、怒り続けて参りました。(会場拍手)


正直苦しいです。
夫がいつも苦しい顔をしているのを見るのは辛い、女房は。
本当ですよ、あんなに明るくて、いつもいろんなことがあっても家に帰ってくるときには玄関先でそう言った苦しいのをおいて、ただいまって笑って帰ってくる人が、この3年間、笑わないんですよね。

ちょっと時間があったらすぐ部屋にこもっていろんな法律の本ひも解いたり、しょっちゅう勉強して歩くの。言ったセリフが「こんだけ学生の頃勉強していたら俺は東大だった」って(会場笑)

いやー本当に必死に勉強しているんです、それなのに政府は言うことをコレッポチも耳を傾けてくれない、こんな苦しいこと、悔しいことはないです。

でも負けるわけにはいかないですよね、皆さん。
70年前の戦争で、私たちおじいおばあたちはもう命からがら、必死の思いで何とか生き延びて、私たちに命を継いでくれたんです。
両親と私たちの時代は米軍統治を経て、人権もなくて、憲法にも守られずに苦しい時代を過ごしました。その時代を何とかくぐり抜けて、やっと復帰して、やっとこれで憲法に守ってもらえると思ったら、政府はあの方達です。聞いてもくれない。

沖縄県民には人権がないと言わんばかりの方達が、あらん限りの権力を持って押さえつけようとしてる。
じゃあ負けて諦めるのか、 どうですか皆さん、諦められますか?
(会場「諦めない!」)

そうです。
諦められないし、必ず私たちはおじいおばあがやったように必ずこらえて押し返して、先の子供達にはもっといい沖縄を残したい。
(会場拍手「ナトンドー!(そうだ!)」)


頑張るしかないです私たちは。
心折れないで下さいよ、
大丈夫ですか?

頑張りましょうね!(拍手)


1つ、これは選挙です。



相手候補の方と稲嶺さん比べたら、Wスコアで勝っても本当におかしくないです。
当たり前、それが。

しかし相手候補には申し訳ないけど、稲嶺さんの相手は実は相手候補ではないです。国が政府があらん限りの力でもって抑えにかかってくるんです皆さん。
簡単じゃないです、これに打ち勝つのは。
私たちの心の中にちょっとでも「まあ何とか勝つでしょう」なんて気持ちがあったら結果は厳しいです。

心に刻んで、みんなで必ずこの選挙を勝って、私たちのこの闘いを必ず成就して、
私たちのこの気持ちを必ず日本政府に認めさせる、沖縄の現状を国民に知ってもらう、
それしか私たちには道がありません。
頑張りましょうね。
必ず勝利を。

頑張りましょう、 最後まで。
どうかよろしくお願いします。





諦めずに、心折れず、進みたい。
もし折れてもちょっと休んで、周りのひとに助けられながら、神様の愛を確認しながら、添え木してまた進むんだ。
戦争を体験し生き延びて来て下さった先人たち(沖縄の人はもちろん、ヤマトの人も、世界の人も)の平和への遺志を受け継いでいける生き方を目指し続ける。人間の権利の基盤である憲法を奪わせてはならない。

エンパワメントを生み出す流れは、嘆いたり、だれかを責めているだけでは何も生まれてこない。それどころかパワーレスになってしまい、自滅してしまう。不安は口にだしてもいいし、思ったことは言っていい。でも、諦めていく材料を探すのはもう止めた。

一人でも、立てる。
そのことで周りに示せるものがあるはず。
いま、立ち上がろう。沖縄の民衆のように。それぞれが暮らしている場所で、あきらめないで。

自分で考えること、隣のひとと想いを話すこと、書いたり、表現をして発信すること。
いろいろな形で一歩ずつ進める。
「そんなのもう今は無理」って人も、とにかく自分自身を放り出さずに己を大切にしてなんとか生き抜くこと!
落ち込んでしまうときは、無理せずに休んで、音楽きいて鋭気を養い、自分自身に出来ることをしていこう。
なんにも出来ないって思わなくてもいい。考え続けてるだけすごいし、こんな極まった社会で生きてるだけですごいんだから。
自分を失わせないように守らないと。

国はこれまでしてきたように、どんなやり方もしてくるだろう。けれど、平和を求める沖縄の人たちの心が一つになってデニーさんが知事になれますように。強く祈りながら、自分にできることを自分の場所の、すべてからやっていくことを決めた。
私なりに、でしかないかもしれない。でも、頑張る。 頑張るぞ。

「みんな」が変わらなくても、それでも自分は諦めない、絶望から希望に変わっていけるって証明できるようになっていきたい。
そしたら見えなかった光が見えて、繋がっていくはずなんだ!


2018/09/23

せやろがいおじさん

せやろがいおじさん、がんばってる~!
ヘイトスピーチを具体的に紹介しているから、気分をわるくしそうな人は今日はやめといてのアテンションにほろり。
本や言論は、暴力の道具じゃない。言葉は認識であり思想。これによる殺人だって起きてる。
海きれい。




追記 20180926
新潮45、廃刊になりました。
しかし、ちゃんと謝ってない。反省を示してせめてちゃんと謝りなさい!



追記 20180926 
せやろがいおじさんのブログ せやろがいおじさん流疲れの取り方
https://seyarogaiojisan.hatenablog.com/entry/2018/09/25/183706

2018/09/19

追悼・樹木希林さん


樹木さんが亡くなってしまった。切ない。
演技や人柄が素晴らしいのは勿論だけど、お顔が96歳で亡くなった父方のおばあちゃんとちょっとだけ似てたからね。
あ、ちょっと似てるなぁって。子どもの頃から見るたび思ってたから・・・。

河瀬直美監督の「あん」は本当に素晴らしい演技で、とても心にのこる作品だった。原作はドリアン助川さんの小説で、これも後から読んだが素晴らしかった。古本をだいじな友達に贈った。


「万引き家族」はまだ観れてないのは、個人的にはまぁDVDでいいんだけど(なんかすいません。いい作品とは思う)、
「モリのいる場所」を映画館で観そびれたのは悔しい・・・。生きておられる間に映画館で見たかったなあ。


「人生フルーツ」のナレーションも素晴らしかった。映画も素晴らしかった。うちの冷蔵庫に映画のチラシが貼ってあるんだけど、見るたびに映像の中で心豊かな暮らしをしていた津幡さんご夫婦に流れる時間の感覚を思い出す。



樹木さんが辺野古に来られていたことは亡くなってから知った。

【記事】「無知を恥じている」 樹木希林さんが生前、沖縄について語ったこと 2018年9月18日 10:20 琉球新報
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-804395.html

【記事】 樹木希林が辺野古に現れた日! 2018年9月16日 リテラ
http://lite-ra.com/2018/09/post-4258.html

8月30日に動物病院の待合室でたまたまワイドショー流れてて、うちはテレビがないからじっと見てたら、樹木さんが手術前に内田裕也氏に電話して「いろいろ、すまなかったわね」と伝えたということをもっくんが話してたという話題が出てた。
「樹木さんらしい・・・」とちいさく笑いながら呟いたら、隣に座ってた女性がちょっと笑いながら頷いてたなぁ。
飄々としていて、演技はいつも本物で。映画だって分かってても、そうやって生きてきた人にしか思えないのがすごかった。

いつか、樹木さんみたいに本物の仕事が出来るかっこいい年のとり方が実現できる人間になりたいねぇ。
樹木さん、お疲れ様でした。どうか安らかに。
2018/09/17

NEKED!


玉城デニーさんを応援するために更なるバッシング覚悟で知事追悼と現状報告の記者会見した保育園のお母さんたちのことや、辺野古・大浦湾の本来の海の眺めをニュースの写真で見たり知ったりして、わたしなりに腹を括った。
悔いなく生きられるように、苦しくても自分を無駄に責めないで暮らせるように、自分の場所でやれること、全力で頑張る!
改めて心に決めた。

体力的限界があるから、もしかしたら中途半端に見えてしまうけど、すべてをご存知の神様に恥ずかしくないよう精一杯やっていく。踏み出したつもり。誰も犠牲にならない世界を目指す以上、自分を犠牲にはしない。でも頑張る。皆さん、この末期的な社会の中で、身を削ってやっている。過酷な状況で懸命に生き抜こうとしてくれている。わたしもがんばる。

悪の諸勢力に対して、諦めないで神様からの賜物と人間に与えられた愛と知恵を一人から発信できるように。
たった一人でもいい。生活の中で物理的に何かできなくても、まず気持ちを取り戻そう。思索と対話を試みよう。

立ち上がろう!



今日の音楽は、安室ちゃんの「NEKED」!めっちゃエンパワメントされるんですけど。
かっこいい!!
歌詞 http://www.kasi-time.com/item-55074.html




2018/09/16

安室ちゃん、ありがとう!

みんなに「自分自身でいていいよ」「どんなときも一緒にいるよ」って歌と踊りで伝え続けてきてくれてありがとう!
ほんとうに、「歌姫」でした!
ラストライブと引退記念日がお天気みたいでよかったーーー

彼女の歌をいつも追いかけていたわけじゃないけど、同時代で見れてこれてよかった。
ほんとのファンの皆さんはみんな本気で寂しくて辛いだろうけど、送り出していてすごいなって思った。

本当にありがとうございました!おつかれさまでした!!!




【youtubeでないと観れなかったのでURL→】安室奈美恵「Hero」NHKオフィシャル・ミュージックビデオ
https://www.youtube.com/watch?v=YJt7KRmv2bQ
(このミュージックビデオの安室ちゃんの歩き方がかっこよすぎて泣ける。)













2018/09/12

「あなたの勇姿を忘れない」 玉城デニーさんと頑張る!

沖縄の新しい知事は、玉城デニーさんじゃないと沖縄だけじゃなくて日本社会にも明るい未来なんて来ない!

辺野古のオレンジ色のフロートや黄色のオイルフェンス(汚濁防止膜)が撤去された大浦湾の写真をウェブニュースで見て、あんまりにも嬉しくて、泣きそうになった。
【琉球新報ウェブ記事】 辺野古の青い海戻る 埋め立て承認撤回受け浮具撤去
2018年9月14日 10:17

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-802674.html

もう二度と海を区切る人工的な浮遊物を見たくない。それどころか、日本政府側は本気で海を埋め、命の世界も、沖縄の平和な未来も、ぜんぶ潰すつもりだ。絶対に許しちゃいけない。

分断も対立も、沖縄側の問題じゃなくて、ヤマトである日本社会が強いているものだ。
平和な世界になるために、沖縄からも、日本の社会からも基地はなくしていかなければ。基地も、戦争もごめんだ。
人間を殺すなんて、冗談じゃない。

命(ぬち)どぅ宝!命こそ宝の政策をやってくれるデニーさんが知事になれるよう強く祈っています。
10月9日の翁長知事の県民葬で新知事として挨拶するのは、デニーさんじゃないと耐えられない。
できること、自分の場所でがんばります!!!!!




玉城デニーさんツイッター!
https://twitter.com/tamakidenny





豊岡マッシーTube2018/08/15 公開
 以下はYoutube掲載文章から引用、紹介します。

We won't forget your braveness.
R.I.P for Okinawa governor Takeshi Onaga
illustration&Music by TOYO
翁長知事追悼。あなたの勇姿を忘れない。翁長さんが被るはずだったエメラルドグリーンの帽子、那覇市の市花ブーゲンビリヤ。県民大会の朝に出た虹。慰霊の日に相良さんの平和の詩を聞く翁長さんの横顔。上を向いて、少し微笑んでいます。

歌詞は有名な「命どぅ宝」からの引用です。

嘆(なじ)くなよ臣下
戦世(いくさゆ)むしまち
弥勒世(みるくゆ)むやがてぃ

天国の翁長さんが、悲しむなよ、戦の世も終わる。弥勒世(平和な世)もやがてくるよ。と歌っているんです。

この琉歌を読むのは尚泰王(「首里城明け渡し」のお芝居の中でね)なのですが、でもオナガさんは王というより「お父さん」ですね。沖縄は偉大な「お父さん」を失ってしまった。その大きな喪失感がこの作品を作らせました。

これを作り上げることは自分にとって祭壇に花を飾ったりロウソクを灯したりすること。(自分の絵の作品は概ねそうなのですが)SNSでともに悲しみを共有してくれるみなさんの涙を養分に出来上がったような作品です。どうかオナガさんの蒔いた種が平和世を願う人々の心の畑で大きく育ちますように。

三線、二胡、歌、翁長知事の平和宣言、チャフチャフ、三板
ソフト音源(アップライトプアノ、ダルシマー、ベース、オーシャンドラム)