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2018/08/20

『沖縄スパイ戦史』を見ないで日本の戦争は語れない

三上智恵・大矢英代監督の映画 『沖縄スパイ戦史』 http://www.spy-senshi.com/観ることができた。
感想はまた書くけれど、とんでもなくすごい映画だった。必見です。一人でも多くの人とこの事実を共有したい。

◉少年ゲリラ兵、軍命による強制移住とマラリア地獄、やがて始まるスパイ虐殺…。戦後70年以上語られなかった陸軍中野学校の「秘密戦」とは?全てが一本の線で繋がるとき、明らかになるのは過去の沖縄戦の全貌だけではない。



映画 『沖縄スパイ戦史』ツイッター https://twitter.com/spy_senshi

「悲しい」だけでは終われない『沖縄スパイ戦史』大矢英代監督 舞台挨拶レポート
http://rintaroh.net/archives/11204418.html
2018/08/06

2018年8月6日の夜に。

ヒロシマ原爆投下から73年。沖縄・伊江島の米軍LCT爆発事件から70年。
残虐な死を強いられた、生き残りその後の人生を強いられた人々に、せめて、もう二度とそんなことを繰り返さないと約束したい。なのに、現実はいよいよ遠のく。でも諦めないで生きなければ。せめてもの償いとして。



ヒロシマの証言は、NHK 戦争証言 アーカイブス から映像を見ることができます。

【映像】NHK戦争証言アーカイブス 証言/戦争の証言/日本国内(空襲と原爆)
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/shogen/list.cgi?cat=war&value=%E7%A9%BA%E8%A5%B2%E3%81%A8%E5%8E%9F%E7%88%86

【映像】丸木俊さん、丸木位里さん「絵に込めた広島の惨禍」[ヒロシマの証言]被爆者は語る 放送日 1989年8月1日(21分)
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001130347_00000&seg_number=001




五十回忌 ―ひろしま 
                       水谷なりこ

おかあさん!
なんというなつかしいことばでしょう
あなたが消えてしまってから
四十九年がたちますのね

学徒動員、舞鶴、割れた手鏡
エノラ・ゲイ、黒い雨、破壊された人間の列
死体の山にむらがる蝿・・・・・・
あの惨劇の記憶が
何度わたしを引き裂いて過ぎたことでしょう

あなたが被爆した元安川の土手に
ことしも夾竹桃が咲きました
千、万の魂の身代わりなのでしょうか
その朝、兄さんが忘れた弁当を届けに行った帰りの
八時十五分、乗り換えの市電を降りたとき
何が起こったのか
≪たいぎいよ≫と言いながら
その日負ぶっていた照子ちゃんを
両の手にかかえたまま
あなたは遠くへ旅立って行ったのですね

読経の声と蝉しぐれが
乳呑子(みどりご)を抱いたまだ若い
不在の母の
ただ一枚の写真を通り過ぎて行きます
その赤ん坊の弟は
今年五十六歳になりました

おかあさん、私達に現今(いま)の生命をありがとう
人間が二度と過ちをしないように
十万億土の彼方から
見守っていてくださいね



   (『詩集 それでも太田川は美(うるわ)しい』 水谷なりこ 
                       編集工房ノア1995年)



ヒロシマの空
                  林 幸子


夜 野宿して
やっと避難さきにたどりついたら
お父ちゃんだけしか いなかった
――お母ちゃんと ユウちゃんが
死んだよお・・・・・・

八月の太陽は
前を流れる八幡河(やはたがわ)に反射して
父とわたしの泣く声を さえぎった

その あくる日
父は からの菓子箱をさげ
私は 鍬をかついで
ヒロシマの焼け跡へ
とぼとぼと あるいていった
やっとたどりついたヒロシマは
死人を焼く匂いにみちていた
それはサンマを焼くにおい

燃えさしの鉄橋を
よたよた渡るお父ちゃんとわたし
昨日よりも沢山の死骸
真夏の熱気にさらされ
体が ぼうちょうして
はみだす 内臓
渦巻く腸
かすかな音をたてながら
どすぐろい きいろい汁が
鼻から 口から 耳から
目から とけて流れる
ああ あそこに土蔵の石垣がみえる
なつかしい わたしの家の跡
井戸の中に 燃えかけの包丁が
浮いていた
台所のあとに
お釜がころがり
六日の朝たべた
カボチャの代用食がこげついていた
茶碗のかけらがちらばっている
瓦の中へ 鍬をうちこむと
はねかえる
お父ちゃんは瓦のうえにしゃがむと
手でそれを のけはじめた
ぐったりとした お父ちゃんは
かぼそい声で指さした
わたしは鍬をなげすてて
そこを掘る
陽にさらされて 熱くなった瓦
だまって
一心に掘りかえす父とわたし

ああ
お母ちゃんの骨だ
ああ ぎゅっとにぎりしめると
白い粉が 風に舞う
お母ちゃんの骨は 口に入れると
さみしい味がする
たえがたいかなしみが
のこされた父とわたしに襲いかかって
大きな声をあげながら
ふたりは 骨をひらう
菓子箱に入れた骨は
かさかさと 音をたてる

弟は お母ちゃんのすぐそばで
半分 骨になり
内臓が燃えきらないで
ころり と ころがっていた
その内臓に
フトンの綿がこびりついていた

――死んでしまいたい!
お父ちゃんは叫びながら
弟の内臓をだいて泣く
焼跡には鉄管がつきあげ
噴水のようにふきあげる水が
あの時のこされた唯一の生命のように
太陽のひかりを浴びる

わたしは
ひびの入った湯呑み茶碗に水をくむと
弟の内臓の前においた
父は
配給のカンパンをだした

わたしは
じっと目をつむる
お父ちゃんは
生き埋めにされた
ふたりの声をききながら
どうしょうもなかったのだ

それからしばらくして
無傷だったお父ちゃんの体に
斑点がひろがってきた

生きる希望もないお父ちゃん
それでも
のこされる わたしがかわいそうだと
ほしくもないたべ物を 喉にとおす

――ブドウが たべたいなあ
――キウリで がまんしてね
それは九月一日の朝
わたしはキウリをしぼり
お砂糖を入れて
ジュウスをつくった
お父ちゃんは
生きかえったようだとわたしを見て
わらったけれど
泣いているような
よわよわしい声

ふと お父ちゃんは
虚空をみつめ
――風がひどい
   嵐がくる・・・・・・嵐が
といった
ふーっと大きく息をついた
そのまま
がっくりとくずれて
うごかなくなった
ひと月も たたぬまに
わたしは
ひとりぼっちになってしまった

涙を流しきった あとの
焦点のない わたしの からだ

前を流れる河を
みつめる

うつくしく 晴れわたった
ヒロシマの
あおい空



     原爆で両親と弟を失う。
     当時、市内昭和町(爆心地から二キロ)に在住。
     「詩集ヒロシマ」1969
     (『第二楽章 ヒロシマの風』 吉永小百合・編、男鹿和雄・画 
      角川文庫 2000年)
2018/08/06

怒るのってだいじだ



酷いことが起き続けて、また隠されていたことが明らかになり続けているけど、日本社会の末世感がなんかもうすごすぎて・・・。言葉にならない。

先日、辺見庸さんが一連のオウム死刑のことを書いている新聞記事を読んだ。彼は数年前から、良い意味での「人間的な」という言葉を完全に使うのを止めた、と書いていた。言っておられることは、よく分かる。

「人間は善悪が分かる存在として創られた」というのは、信仰だ。

時折、心から日本人でありヤマトンチュであり和人である己の立場が恥ずかしく、社会に対しても自分の無力さに関しても失望してしまう時が多々ある。けれど、それでもやはり人間の持っている人間性は、善きものだと信じなければ全ての希望は潰えると思っている。だから私は、「神様が人間を善きものとして創られた」という信仰を見失いたくない。


人間には、他者を愛し、命を育み、誰かの痛みや苦しみを想像する力がある。
その力は奪われ、多くの場所で失われつつあるが、それでも潰えきってはいない。

現在の日本社会では、不正義や差別・抑圧・暴力に対して人間として怒りを表明することを、冷笑や否定の対象にする勢力が強い。本当に腹が立つ。トーンポリシングは決して許さない。


何に対して怒りを感じるかで、その人が分かる。その人が、なにを大切に思っているかが分かる。それは、人と人が共に生きていく上で、とても大切なことなのだと思う。

私たちは、もっと気持ちを表明していい。それこそ、怒っていいんだ。
その気持ちを共有し確認することは、生きる気力と、社会を変えていく希望を繋ぐために重要なことだ。