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2018/07/26

障害者殺傷事件から2年の今日に

二年前の今日の未明に起きた、相模原 やまゆり園での障害者殺傷事件。
(一年前にここで書いた文書
 http://inariyasauce.blog71.fc2.com/blog-entry-640.html

今、なにかを書こうと思ったけれど、手が動かないまま。苦しい。
それでも何か書かないと耐えられない。だけど、もう言葉が・・・ 

それでも、それでも、なにかを書く。
辛すぎて、今日の今日までまたこの日のことを都合よく忘れようとしていたから。



どうして、あの人たちは殺されなければならなったのか。どうして、そんな恐怖を味わわなければならなかったの?
名前すら公表できないままで。(遺族がより被害や差別にあう この社会はいったい何なんだろう・・・。)
その場を生き残った人たちは勿論、この社会に生きている障害当事者も、あの日から言いようの無い不安と恐怖を感じながら生きているはずだ。

この社会は、この事件のことを、重大なこととして受けとめなかったように感じる。「障害者の命は健常者より軽い」と、立証したかのように。大阪淀川の監禁虐待死も、三田の長期監禁虐待事件も、どうってことないように起きてきた。(親の虐待行為への罰は、いつもあまりにも軽い。)

私は、こわい。
優性思想やありとあらゆる差別と暴力の仕組みが極まっていくこの日本社会が恐ろしい。

みんな、犯人と同じような、似たりよったりの考えしか持っていないの?
障害者だったら殺されてもいい?生産性がないなら生きてる価値ない?
それとも、「かわいそうなひとたちがかわいそうなめにあった」くらいにしか思ってないの?
自分は関係ないって思ってるの?

障害者である前に、みんな人間だ。

人間だよ。
人間が殺されたんだよ。
あなたが大切な一人のように、傷つけられ死んでいった人もだいじな一人のいのちだよ。

私たちの社会に巣食う 人間を奪う「優性思想」が、人が人を殺すことを正当化させている。それは「思想」と呼ぶことすら憚られる暴力の総念であると言える。誰か人が殺されること、誰かの魂を蹂躙することを、なんとも思わずに無視していく人たちがその行為を支持している。犯人を駆り立てた優性思想について、この社会は問わないまま突き進んでる。

(精神障害者であることを装い刑罪を軽くしようとした犯人の思惑や計画的犯行は、社会的には明らかにはされないままだ。
国は犯人の思惑は理解した上で確信的に見過ごし、「理由」のひとつとして追加して、精神障害当事者の差別を強め、具体的に監視する法律を強化しようとしていると私には感じられる。)


犯人は誰からも認めてもらえないと思って生きてきたのかもしれない。
誰かに認めてほしかったのかもしれない。誰かに「よくやってくれた」と言われたかったのかも。権力者たちに、差別と暴力を正当化する人たちから、自分を賞賛されたかったんじゃないの??
誰かに褒められるたえめに、誰かにお墨付きをもらうために。国家権力の座にある差別者と、そいつらに忠誠を持つことでしか自己を確立できない一般人が直結し、いじめの構造はヘイトクライムにまでなったように私は感じる。

政治家たちの暴言は失言と見做されなくなり、差別や暴力に対してお墨付きを与え続ける。そこに生きる意味を見出せない人たちが引きよせられ、暴力を体現するようになる。

そういう役割を率先してやってきた石原慎太郎氏も、身体の自由がきかなくなってきて、自分がしてきた言動に追い詰められているらしいと記事で読んだ。

記事:中島岳志さん 東京新聞【論壇時評】 2016年10月27日  
守るべき「弱くある自由」 「不要なもの」とされる恐怖
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/rondan/CK2016102702000244.html

中島さんの記事をよんで、なんというか改めて石原氏を始め差別者は不幸で哀れな存在だと思った。自分が差別してきたから、自分が自分自身に否定されるんだよね。そりゃ生きているの「こわい」よね。障害者は年をとって生きていったら、多かれ少なかれ身体の自由はきかなくなってくる。人は、「自分は永遠にその立場にいかないだろうから」とふんで、差別発言できるんだ。
(でも、だからこそ、自分は絶対にそうならないはず(と本人が思い込んでいる)のカテゴライズの人間に対しての差別がより火を噴くんだろう。出生エリアや、民族性や、性自認の定義からくる差別に人は加担しやすい気がする。無関心もより一層強い。朝鮮学校の子どもたちの修学旅行おみやげ剥奪事件も、ほんとうにあるまじきことだ。こんな社会で情けなく、申し訳ない・・・。)

それにしても、家父長制と男尊女卑のがベースの日本社会で自分を男性として定義し生きる人は、特に悔い改めにくいメンタリティを持っていると感じる。基本、競争があるし、勝ち負けがあるし、自分の体験を分かち合い語る文化が無いから。その一方で、権力にある座から暴言を吐きまくる男性中心の社会的強者から、「お墨付き」をもらった女性の暴力性は、すごいものがあるなといつも思わされる。例の女性議員の「生産性がない」発言には、本当に頭にくる。この人は、伊藤詩織さんのことも罵倒していたな・・・。
議員のおっさんが、「女は子どもを産む機械」みたいなこと言うのより、腹が立つんだけど、これも敵の思うツボで、悔しい。女性に言わせたほうが、女性同士でいがみ合うだろう分、おっさんたちは気楽なモンだ。そこも女性としての立場が利用されているけど(「女性の意見」的な)、この人をここまで権力に引き寄せたものはなんだったのかなぁとかも考える。


今回の「生産性がない」発言も、性的少数者への差別発言であると同時に、人間への、いのちへの冒涜だと思う。
だいたい人間は、国の生産性のために生きるわけじゃないし。ましてやお国の為に子どもを産み育てるわけではない。
一人ひとりの人間をなんだと思ってるんだよ!一人ひとりの命や人生は、国の道具やコマじゃないよ!

生産性があるとかないとか、誰が決めるんじゃ。と本気で思う。 
第二次世界大戦中かよ。気持ち悪いったらない。

ライターの小池みきさんの記事に、非常に共感したので紹介。まだ読んでおられない方は是非。
記事:小池みきさん 2018/07/22 12:47 note
「生産性のない人たちの支援は後回しだ」とかいうスーパーむかつく思想との戦い方
https://note.mu/mikipond/n/nd5ee09126075



目の前で起きる差別について、歴史歪曲について、流さないこと。きちんと伝えること。自分も差別をしていることが多々あることを肝に銘じて、考えるのをやめずに暮らすこと。ほんとうに、大切なことだと思う。

ナチスが600万人のユダヤ人虐殺以外にも、障害者や性的少数者やロマ民族を20万人という規模で殺したことも、関東大震災最中の朝鮮人・中国人の虐殺(日本の人も殺されている)が起きたことも、ほんとうにあったことなんだと現日本社会から肌で感じる。未来のそれを食い止めていくには自分自身と目の前にいる人たちと向き合うしかないのだと思う。

人が差別をしているとき、また周りがそれを見過ごすとき、それに対峙するのはやっぱりコワイけれど、それに同調するのは誰かの命や尊厳を奪う行為になる。そして、誰かの権利を奪う云々以前に、誰かを貶めることで上手くやれるような関係なんて、私は一切ごめんだ。自分に与えられているはずの人間としての尊厳を削り、溝に捨てるような真似はしたくない。それは私自身の人生と、このいのちを与えてくれた神様を裏切る行為になるからだ。

誰も私の生き方について、私以外に評価しきることはできないし、してほしくない。というか人間が人間に勝手にそんなことするのは許されない。
やまゆり園で優性思想による殺人行為の犠牲になった人たちの人生だって、そう。
生きていていいかわるいか、だれにも他の人間に評価される、ましてや命を奪われる謂れはない!!!

殺された19人の方たち。会うこともできなかったし、名前も分からないけど、忘れません。これからの自分の生き方に皆さんの存在が刻まれるように生きたいです。

19のいのち-障害者殺傷事件https://www.nhk.or.jp/d-navi/19inochi/で、お一人おひとりのことが御家族や施設職員さんによって書かれています。

犯行者の行為を後押しするようなこの社会の風潮に、精一杯 抵抗していく。
誰かを誰かの都合で、その人の命や人生の意味をなかったことにしたり、ウソつき呼ばわりしたりすることを、私は絶対に許さない。







そこかしこで人間の尊厳が侵されている。

被災地をほったらかしにしたうえでカジノ法案決めてく、国会。山本太郎さんの怒りの質問に涙がでる。
被災地では猛暑でほとんど活動できないほどの状況らしい。(先日の新聞には熱中症で全国で21000人以上の人が倒れ、確認できるだけで一週間で65人もの人が亡くなっていると知った。)
みなさん、家族や隣人のいのちも失い、ケガをし、家をなくし、故郷の景色を失ったなかで、懸命に生きておられる。デマのフェイクニュースが人々を疑心暗鬼にさせる勢力がある。被災地に生きる人たちを支えようともしない、放ったらかしにして笑っている政治家たち。
原発が爆発しても、放射能は危なくないって言うし、沖縄の海を埋めて人を殺し儲けるための戦争基地にしようとしている人たちだから、ほんとうに人間の命や暮らしを踏みにじることをなんとも感じられないんだ。ということは頭では分かっていたけど、でもここまで、そうなんだね・・・。ほんとうに、そういう国なんだね・・・。
こんなにも腐敗しきった政治を、ほんとうにどうして私たちは変えられないのか。悔しくて悔しくてたまらない。


女性や子どもへの性暴力の横行と、それが問題として見做されない風潮がいよいよ極まっていることへの嫌悪感も募る。
東京23区で、ある妊婦さんに男子高生が近づいてきて「ひざかっくんしていいですか?」「なんでナカダシしたんですか?」と笑いながら言ってきたという体験をツイッター上でみたけど、今まで家庭や学校や職場で起きていたことの枠が拡がっているのを改めて実感する。私自身、電車の中で見も知らない学生たちにセクハラ発言されたことがある(その時は三人の男の子のなかでもイジリという名目で虐めがあり、二重に見ていられなかった)。見も知らない人にそれをやっても大丈夫と彼らが思えるのは、バレたとしても罰せられない社会だと見越しているからだ。
最近もらった「ふぇみん」の紙面に、痴漢は依存症だという記事が載っていた。競争社会で社畜化することを強いられている男性たちが、そのストレスから女性や子どもに性暴力をふるう。(女性からの暴力を受けている立場の人も勿論いるけれど。)
日本軍性奴隷制度の歴史的隠蔽と責任放棄は、今、私たちの社会にこんなにも現れている。

性交渉が愛にみちたコミュニケーションである世界は死んだのかって思う。
性への暴力、人間の尊厳の蹂躙と、支配欲。
それはもはや性欲ですらない。
富山市の集団性暴力事件も、加害者も警察の処分も絶対に許さない。
暴力による支配を正当化する彼らが、人間の恥を自覚できるようになるには、何が変わる必要があるのか。
子どもや女性を、そして人間を支配する対象としてしか捉えられないという認識が常識化するなら、シャレじゃなく人類存亡の危機だ。日本社会はこれ以上ない瀬戸際だ。ほんとうに、こんなことを看過しては未来は無い。

自分が変わっていくこと、一人ひとりが変わっていくことで、社会が変わる。その可能性を捨てないために、自分はどう生きるか。無念の死を強制された死者たちに、声なき叫びをあげている人たちに、そして未来を生きるはずのいのちに伝えられるものが、どうかありますように。今日も日が暮れた。今日も生きている。
想いを書きながら、祈りながら、最後まで生きぬく決意を新たにする。
2018/07/17

キリスト者として生きようとする一人として、イスラエルのパレスチナ占領と虐殺に抗います。

私は不十分で未熟な者だけれど、イエス様が私の主であり、いのちの根源だと信じているし、いつか真実のキリスト者になりたいと思って生きている。洗礼を受けても求道は続く。

今日は、賛美歌を歌っている十代の歌手の存在を知り、嬉しくなった矢先、そのひとたちがイスラエルを賛美しパレスチナの人たちのことを貶める情報を発信していることにショックを受けた。そういう人が多いのは分かってるんだけど、ああ・・・って思った。悲しい。歌っている映像をみて、ギターも、歌声も素晴らしく、とてもいいなと感じたものだから、なおさらに、せっかくみつけた宝物が人殺しの道具だったことを知ってしまったような 恥ずかしく悔しく情けない気持ちになる。
才能のあるひとたちは、その才能を いのちの主である神様に喜ばれるように使わなければいけない。
きれいな音楽で神を讃えて人の心をあたためても、その一方で人を殺す思想を賛美し、拡散することはいのちそのものである神様への冒涜だ。
信じている神様が違うように見えても、関係ない。パレスチナの人たちは人間だ。なにもかもを奪われて、殺され続けて、それでも人間として尊厳を求め続けている。解放を求めてデモをしただけで、どうして撃ち殺されねばならないのか。旗を持っているひとが撃たれる映像をみた。なんでこんなひどいことが何十年も起き続けるのか。
街を瓦礫の山にされ続け、狭いせまい土地に閉じ込められ、囚われ、無人機で殺され続けて。


主イエスは、こんなこと断じて許さない。
主は互いに愛し合いなさいと「命令」された。
神様の教えは至ってシンプルだ。

-神様に感謝し、神様が生み出されたすべてのいのちを大切にし、お互いに愛し合いなさい。悔い改めることをやめないで、世の悪の勢力(それは自分自身の内にもある)と闘い続けなさい。

それだけなはずなのに、その信仰を持っているはずの人間が、どうして無残に人を殺していく勢力に簡単に加担するの???


聖書のなかに書かれているイスラエルという単語。礼拝のときに交読詩篇などで、イスラエルを賛美するようなとき、いつもとても辛い。それは、この数十年のイスラエルではない、離散して苦しんでいるイスラエルであり、今のイスラエルではないと心の中で言い訳しながら読んでいる。現在のイスラエルは神に許されていないと私は強く思う。
キリスト教書店のなかにもイスラエルのパレスチナへの占領と虐殺を無視した、イスラエル本は多い。パレスチナの人たちを殺し続けるイスラエル軍や政府を、「人道的」であるとする「クリスチャン」の罪はより重いと、私は信仰者の末端のひとりとして思う。

イスラエルの蛮行は宗教戦争ではなく、軍事と占領、戦争の問題だ。
麻生太郎をはじめ、クリスチャンだと名乗る権力者は多い。しかし、主イエスはこういう連中と闘い続けたから十字架刑にされた。戦争をするときに、聖書に手を置き、「正義の戦争」を宣言する歴代の米国大統領たち。神をも畏れぬ冒涜である。
「自分たちだけは間違っていないと過信するな」と、「一番愚かであるからこそあなたたちは(私も)選ばれたのだ。悔い改めて神が求める道を歩みなさい」と。そういう神様への畏怖と生かされている感謝を覚え、またこの人の世の罪を自分の罪として向かい合う必要がある。それが主をイエスだと言い表す最低限のラインでは無いのか。私自身、自戒を持って歩まなければならない。

実際は殺している側なのに、無視して差別している側なのに、あたかも自分は理解があるようなふりをしている人間にはなりたくないと思っているが、実際はそうなってることが多いと思う。
土壇場で「自分は関係ない」って思ってることが出てしまう。それは差別であり、自己正当化だ。自分は大丈夫と思っていると、知らないうちに人を傷つけている。社会は酷いものだけど、自分だって例外じゃない。己の中だけでも罪はいくらでも繰り返されている。自分を正しい存在だと安心しきって、知らずしらずのうちに隣人の心を傷めつけ、それにも気付かずにいることも起きているはずだ。いつも、肝に銘じなきゃならない。遠くにも近くにもおなじ空の下で虐げられ奪われる人たちがいる。その声なき叫びを聞こうともせず、考えず暮らすことは、権力や戦争に罪悪感さえ持たずに加担する生き方だ。これは、主イエスが私たちに求める生き方と真反対のはずだ。

アウシュビッツを、ホロコーストを経験した人たちが、国家となったら、今度はパレスチナの人たちを文字通り滅ぼそうとしている。これは人類の愚かさと悲劇の象徴でもある。何が彼らをそうさせているのか、野放しにさせ加速させているのか、今いちど考えなければならないのではないか。いじめられた人間は、痛みが分かる分 人をいじめないようになると思われやすいが、より暴力的に他人を支配しようとする場合がある。ストレスを受けた人間が、だれかにそのストレスを横流しにする。一番弱いニワトリがいじめ殺され続けるように。その原理は私自身の人生からもよくわかる。虐待が虐待をうみ、ハラスメントは連鎖する。日本のいじめやハラスメント、貧困や差別の連鎖がヘイトスピーチをヘイトクライムに進めてしまってきた経緯と、イスラエルやヨーロッパの右傾化、難民への蔑視、黒人差別の巻き返しの状況は どこか連動しているように感じる。

しかし、そうした悪い連鎖の中でも、それに抗う人たちは存在する。死刑囚の解放を求める被害者遺族もこの世界には何人もいるしし、9・11の被害者遺族にもアフガニスタンへの攻撃に反対する人たちがいたのも確かだ。2010年にあったパレスチナへの支援船 レイチェル・コリー号のイスラエル軍襲撃事件のときも、たしか、ホロコースト体験者の方が乗船していたと記憶している。この方は、どのような想いだっただろうか。想像に余りある。
河野義行さんも、松本サリン事件の被害者であり警察による冤罪の被害者でもあるが、死刑に反対され、死刑にされた人たちに面会してこられたという。
(記事:http://www.jprime.jp/articles/-/5912

受けた暴力を、暴力で返したり、だれかに八つ当たりしないで昇華させてきた非暴力の精神を想う。
ガンジー、キング牧師、そして阿波根 昌鴻さん(あはごん しょうこうさん)。
琉球沖縄が非暴力の道を切り開いてきたのは、ほんとうにすごいことだと思う。

人間は、強さと弱さの極限を持っている。どちらを選ぶかは、境遇もあるがやはり一人ひとりに委ねられている。それが人間の尊厳だ。選択が間違っても、心から後悔できるようになれば、人は生き直せる。そのためには、他者の寄り添いや語りかけが必要だと感じる。

今、私の頭の中には、中国の撫順(ブジュン)戦犯管理所で過ごした元日本兵の人たちのことと、米国の海兵隊だった故 アレン・ネルソンさんのことがある。そして、もうひとつは沖縄の読谷村 チビチリガマを「肝試し」と称して荒らした少年たちのこと・・・。
少年たちは、人々に見守られて、チビチリガマがどういう場所であるかを学び、金城実さんと野仏をつくり、慰霊祭では遺族へ自分たちのしてしまった罪を悔いている手紙を書いたそうだ。
社会のなかで抑圧されているひとたちが、また違う誰かを抑圧したり、暴力をしたりする負の連鎖を止めようと、少年たちの近くにいき、やったことを自覚できるようにさせた沖縄の方たちは凄いと思う。死刑制度と正反対の思想と実践だと感じる。ヤマトの人間である私は、自分が生まれ育ってきた社会でこうしたことがやれるとは残念ながら、思えない。
「なんてひどいことをしたのか」とか「哀れな連中だ」と自分と切り離すのではなくて、「自分たちの社会がこういう子どもを存在させていることに責任を感じている」と共に過ごし、遺骨を踏み荒らした彼らに働きかけてきた方たちの愛は、すごいとしか言いようがない。


信仰は「自分を正しい」と思い込むことではなく、自分を問い続け、悔い改め続けることだと思う。

相手が自分にとって都合よく変わることを祈るのではなく、まずは、己が神様が望まれるように変われるように祈ること。自分が変わることで相手に示していけるよう、そういう力を自分に与えて頂けるように祈りつつ歩むことが私には必要だ。とても難しい。聖書にあるとおり、ほんとうに、愛とは寛容であり忍耐そのものだ。愛ゆえに決心して対話しなければならないとき、楽な関係ではいられないこともある。だれかを非難するだけでは、自分の弱さと向きあえない。自分の非を認めていかないと相手は言葉を受け入れない。

神様が私に望まれていることは何なのか。神様が今、なぜこれを他でも無い自分に体験させているのかをいつも考え、祈りつつ応えられるようになるため御言葉にきき、祈り求め、歩まなければならないと強く思う。


宣教師であるスタンレー・ジョーンズ博士が、ガンジーに 
「キリスト教がインド社会に土着するために、キリスト者はどうすればよいのか」質問したとき、
ガンジーは、「まずあなた方すべてのキリスト教徒が、宣教師であってもまた誰であっても、イエス・キリストのように生活することである。」と言ったそうだ。
 (榎本恵牧師 『石ころも叫びだす』いのちのことば社 p151-152より)

それを自分の人生でいつか実現できるよう希いつつ歩む。


イエス様は本当のところ、このような状況の人間社会にものすごく怒っておられるだろう。それでも愛を持って導いて下さっている。「私は罪びとのために来た」と言ってくださり、愚かな人間でも悔い改めれば変われると信じてくれているから、待ってくださっている。変わらぬ愛をもって、導いてくださっている。

神はすべての命の根源である。隣人には寛容にならなければならないが、いのちの世界を壊し、人間を殺すことを厭わない権力に対しては真っ向から闘わなければならない。(社会運動しろって意味じゃなくて、真に生きるということ。)
人の世の罪悪が、構造的暴力や無関心にあること、暴力の正当化にあることを知らずに、主イエスのようには歩めない。
すべてを支配する力を持っていながらも、それを使わず、いつも座って静かに語りかけ続け、無視されてきた弱くされたひとたちを訪ね癒し、解放された主イエス。私も泥沼のような人間の苦しみから、主よって支えられ光の世界に向かって解放されたひとりだからこそ、まだ囚われている一人のために生きなければならない。

どのような戦争も差別もこれ以上、許したくない。自分も加担者であるという苦しみを忘れずに生きるためには、神様の御守りと愛が私には必要不可欠だ。空気がないと水がないと生きられないように。人の世に愛がなくても、光がなくても、それはすべての命の最も近い場所におられる主イエスから来る。信仰のあるなしに関わらずどの人にもそれは与えられているが、気付くか気付かないかは一人ひとりに委ねられている。


私は旧約聖書と新約聖書から成る聖書を御言葉とするキリストの信仰者の一人として、イスラエル政府のパレスチナ占領と民族虐殺の正当化を絶対に許しません。(旧約聖書のみの信仰のユダヤ教だって、今のイスラエル政府のやり方はおかしいって人は必ずいます。)

イスラエル政府・軍隊はパレスチナ民衆を殺すのを今すぐ止めて、軍事占領ではなく対話を始めなさい!
日本政府はイスラエルにODA支援してはいけません!税金を人殺しに勝手に使うことは許しません!
コカコーラもスターバックスもハーゲンダッツもイスラエル支援企業です(他にもいろいろある)。ボイコットしましょう。

もちろん日本の国家がやってきたこと、やっていることも許されません。

国家の正義ではなく、神様の正義が実現しなければなりません。
国家の正義なんて戦争という暴力と支配の正当化でしかない。

私が、国境を越えた全ての信仰の同胞と改めて共有したいこと。それは、イエス・キリストを信仰する者であるならば、すべての戦争と差別と暴力に抗わなければならないという当たり前の原則です。声なき声を聴くために、自己への慢心ではなく、自分にある罪への恥の感知と悔い改めが求められています。
自分ではなく、自分の内におられるイエス様を信じる。相手の内におられるイエス様を信じる。誰一人、見殺しにはできません。

ほんとうに難しい生き方だけど、主イエスのように生きるっていうことは、暴力的な人間の世に徹底的に愛で抗い続ける生き方だから、そこは覚悟を持って、お互いに励ましあいながらがんばっていけたらと思います。すべての教会が主にのぞまれた教会になりますように。

読んでくださってありがとうございました。


音楽は、塩谷達也さんと美和さんの You set me free を。



You set me free 歌詞
対訳:
※主よ、あなたは私を自由にして下さいました
 燃えるような聖霊を与えて下さいました
 あなたの愛を感じます
 今、私もあなたを愛します
 主よ、あなたは私を自由にして下さいました
 燃えるような聖霊を与えて下さいました
 初めにあなたの愛がありました
 いのちの限り あなたを愛します
 私を世に遣わせてください
 人々にみことばを伝えるために
 かつて私がそうだったように
 今も暗闇の中を何とか生きている
 人々のために
 私を世に遣わせてください
 よき知らせを広めるために
 かつて私がそうだったように
 今も暗闇の中を生きている
 人々のために
 あなたの御名を口にしないではいられません
 あなたの愛を歌わずにはいられません
 私は唇を押さえられません
 なぜなら・・・・・ ※repeat

2018/07/14

八方塞でも地面と空


気持ちが話せること

トモダチじゃなくて、友達と話した後は息がホントに楽になる。
なんにも状況は変わらないはずなのに、どうしてこんなに?って思うくらいだ。
不思議に自由になれる。
さっきまで袋小路で八方塞で真っ暗な闇の中にいた心なのに、気持ちが清々しくなる。

思ったことや感じたこと、そのまま話せるってのがいいんだろうと思う。

森田ゆりさんの『気持ちの本』という絵本を持ってる。
こう書いてある。
《誰かが、分かち合ってくれたら、喜ぶ気持ちは2倍に、悲しい気持ちは半分になるよ!》って。
これ、人間の真実のうちの一つじゃないか?と読むたび思う。

友達と話していると、久しぶりでもしみじみ安心できたり、もうずっと前に分かってたはずのいろんなこと思い出せたりする。そういう関係がどれだけ稀有なものか、歳を重ねるほど有難さが沁みてくるかんじがある。「それでいいよ」って時も、「それは違うんじゃない?」って時も 気持ちを伝えてくれる心強さといったら。その人にしか言えない、いってもらえない言葉がある。

お互い生きてるからこそ、今の自分と今のその人で話ができるわけで。
なんとかそっちの世界をサバイヴしてくれてるから、また話せたから、「生きててくれてありがとう」って思う。
「あなたが この今を生きていてくれてることが私の希望です」と心から思う。
私も生きてられてよかった。
子どものときは学校ではいつも寂しかったし、大人になってからも重苦しい時期があったけど、それで今 感じられることもあったりして。人生わからんもんだ。でも、そういう重苦しい時のことを、聴いて受けとめてくれた人たちがいてくれたから、なんとかここまで荷を降ろせてきたんだなとしみじみする。仲間にも恵まれた。

世界でたった一人しかいない一人ひとりの大切なあなた方、居てくれてありがとう。
無事でいてください。祈っています。
出逢わせて下さった神様に、とてもとても感謝しています。



誰かが話す為には、聴く人が必要。


聴いてもらえるのは勿論ありがたい。でも、話してもらえるってのも、幸せなことだと感じる。
「このヒトは聞いてくれそうかも?」ってちょっとだけでも、どこか信じてもらえたってことかなぁって思うから。
最近は、「きいてあげなきゃ!」より、「今、何を感じてるのかなー」って思うようになった気がする。どんなに近い間柄でも言葉にしなきゃわからないことだらけだ。話し合うことは大切だと、つくづく思う。

おとなにしてもこどもにしても、想いを話すのは勇気がいることだから、せっかく話してもらえたことは、少しでもちゃんと受けとめられるようになりたい。歴史や事実の生き証人としてのサバイバーや各地の当事者の方たちの声も、身近な人も、一期一会の人も。諦めながらもどっかで人間を信じる勇気をだして、みんな声にしてる。

話し始めてくれた一人をそれ以上独りにしないために、もっと受けとめられる人になりたい。直接の対話じゃなくても、読んだり見たり書いたり話したりしながら、ほんのちょっとずつでも、聴こうとしたい。信じてもらった者として、何らかの応えをしていかな!と思う。

(子どもたちが一生懸命に話そうとしてくれてるときの、「えっとね、えっとね、」を待てる大人になりたい。
 子どもたちが与えてくれるエネルギーは、ホントにすごくて、毎度 感動する。
 ※もちろん待てない時や素通りしちゃう方が多く、そのたび反省と自己嫌悪ですが・・・。)

読んでもらえるかもしれない感謝


こんな一人言でも、世界のどこかに読んでくれている人もいるかもしれないと想うと、書くことができる。
そんな人が実際いるのかは分からないけど、もしかしたら誰かが読んでくれるかもしれないから、気持ちを書くことができます。
稚拙でもなんでも、気持ちを書くことができるから、生きられています。このブログを読んでくださっている方、お一人おひとりが誰か知ることも出来なくても、今読んでくださっているあなたの存在が、私を支えてくださっています。本当にありがとうございます。

こんな世の中で、心身を保ち生きてくことは大変だけど、おかげさまで、「もうすこしもうすこし」って息継ぎしながら、なんとかやってけそうです。
どこもかしこもお暑いので、水分はもちろん、塩分補給もお忘れなく。(飴が苦手な方は、塩分タブレット!個包装のがおススメです~)

何はなくともどうか御自愛くださいませ。

わたしも人生初のぎっくり腰から低空飛行です。いや~痛かった!
身体が動くって、歩けるって、すごいこと・・・。

 ぼちぼちいきますーー


2018/07/11

大水害の最中に酒盛りをしていたアベ政権(自民党)。許せない。

首相を始め、アベ政権の中枢にいるやつらを引き降ろさないと、この国の住民の命を守ろうとする姿勢を政府が持つことはないだろう。多くの人が大洪水で苦しんでいるのに、その最中にも大宴会して、外遊したいがためになんの決断もしないで家にいて。政府としてやるべきことをやらない以上に、こんなひどい態度をしていいわけない。すぐに動いていれば、助かった人だっていたかもしれない。沈まないでいい家だって、田畑だってあったかもしれないじゃないか!

絶対に絶対に、許してはいけない。体中に怒りが渦巻く。

私は、現政権ののさばりをこれ以上 許せません。


【記事】社会問題に関する話題……本と雑誌のニュースサイト/リテラ http://lite-ra.com/

 特集1/何が「国民を守る」だ!ヒドすぎる安倍の災害対応
・ 安倍が災害無視し極右ネットTVに
・ 堤防決壊で自民党ネトサポがデマ拡散
・ 九州北部豪雨も安倍首相は帰国せず!
・ 安倍訪問中止の意図を予定国大使館がRT
・ 安倍が森友加計追及を鈍らせるため震災を政治利用
・ 官邸が震災の早期対応を拒否し政治利用
・ 安倍首相が震災対応よりTPPを優先
・ 安倍子飼い松本文明が地元職員にも暴言!
・ 安倍が被災者より先に自衛隊を激励!


自衛隊は全ての軍備を放棄し、人命救助専門の組織になるしか未来はありません。彼らは「国民」のいのちを守ろうとしているのだと思いますが(そもそも「住民」を守るという認識の変革が必須です。自分の民族さえよければじゃアウトです。)、そもそも軍隊は国民を守りません。守ろうともしない。先の大戦で、特に沖縄戦や各地の大空襲、原爆投下でそれは立証されています。


【記事】安倍首相の豪雨被災地ないがしろは続いている! 災害対応よりカジノ優先、宴会参加の官房副長官は自治体に責任転嫁
http://lite-ra.com/2018/07/post-4117.html

【記事】  共同通信 2018年7月10日https://this.kiji.is/389369291319641185?c=

【記事】 無料公開の愛媛新聞記事 2018年7月11日 
https://pbs.twimg.com/media/DhzN5bmU0AAiON0.jpg:large


【ツイッター】Spica@肉球新党さん https://twitter.com/YasukoKakuani 
大阪地震の時、視察に行って自衛隊が設営したお風呂の前で女性に声かけ。これほとんどセクハラ。おまけにテロップ見て下さい。「声を掛けられる安倍首相」となにげに敬語。この写真、炎上したら削除されました。







こちらの記事もどうぞお読み下さい。難民を強制収用して虐待し、自殺や病死に追いやる日本の入管は、ほんとうに酷すぎます。
発信し続けておられるジャーナリストや支援者の皆様がいます。



【記事】“不法滞在者”か“難民”か? ~19歳クルド人 日本への告白~ 日向史有 7/6(金) 9:30
https://news.yahoo.co.jp/byline/hyugafumiari/20180706-00088225/

※限定公開動画ですのでお早めに。「19歳クルド人男性 日本への告白」ドキュメンタリー映像。



【記事】 難民と日本人との結婚は認めない!?収容施設に拘束、自殺未遂に懲罰で追い打ち―東京入管の暴挙が酷すぎる
志葉玲 7/11(水) 11:00
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20180711-00088951/

【ツイッター】難民支援を続けられている織田朝日さんのツイッター
 https://twitter.com/freeasahi


【入管への抗議 送付先】
 東京入国管理局(局長宛)
  108-8255 東京都港区港南5-5-30  FAX 03-5796-7125
 東日本入国管理センター(所長宛)
  300-1288 茨城県牛久市久野町1766-1  FAX 029-830-9010


​ 現在、入管収容がますます長期化しています。当局に抗議文を送ってください! はがきまたはFAXを推奨します。以下の文例や、後掲のデータを参考にしてください。

▽ 長期収容は重大な人権侵害です。すぐに停止を!
▽ 市民の税金で人権侵害をするのをやめてください!
▽ ビザがないことよりも無期限収容のほうが不法だ!
▽ いつまた死者が出るかもしれない。長期収容反対!
▽ 憲法理念や国際人権規約は無期限収容を許さない!

  https://pinkydra.exblog.jp/27286804/より転載。



現日本政府は、人間のいのちについて、尊厳について、なんとも思っていません。
難民として必死の想いで逃れてきた人たちに対して、「不法滞在者だ」と脅迫し、虐待し続け、子どもたちから夢を奪っている。こんな社会のなかでも、やっとその人たちが辿り着いた生活を奪って・・・。
見てみぬふりは明日が我が身だと心から思います。立場の違う人への国家の暴力を許しては、自分たちにとっても酷いことが起きてくる。いや、もう起きている。


どんなに酷い天災があっても、人災があっても、「日本人」だから守られるわけでもない。3・11以降それがいよいよ明らかになっています。結局、権力の都合で、利用され、簡単に見捨てられてきている実態があります。天災だろうが、死刑だろうが、原発による放射能汚染だろうが、軍機の墜落だろうが、戦争だろうが、この社会に生きるすべての人誰もが当事者になりうることです。
「関係ない」人なんて、地球上にどこにもいない。
自分や身近な人でなけりゃ「良かったね」で済ますような社会はもうやめようよ。

こんな人命軽視の政府に、自国の政治を任せられません。
そして、こんな人道に外れた政府を許す社会ではいけません!

このままじゃいけない!ほんとうに取り返しのつかないことになります。
私たちは、いよいよ岐路に立っています。

現政府が人命や権利を守ろうともしないなら、ちゃんと人命を守ろうする政治を実現できる政府を求めるよりないのではないでしょうか。国会前に抗議に行けなくても、家族や隣人と事実を共有し、対話を始めるしかありません。想いを表明することは、こわいことかもしれない。けど、黙ったらもっとこわいことが起こります。自分や目の前にいる人が、子どもが、渦中になって「助けて」と叫んだって、その時はもう遅すぎる。

今 話はじめなきゃ、応えなきゃ、未来はいよいよ真っ暗闇です。
「頑張る」って言葉、個人的には苦手だけど、ここで踏ん張らなきゃ戦後民主主義は死に絶えます。 なんとか、なんとか一歩ずつ踏み出そう。 頑張ろう!

2018/07/08

どうしようもないときに


私は自分の住んでいる家がまだある。家族も無事でいる。大切なひとの命が失われたとか、安否がわからないとか、その状況がどれだけ不安で苦しいか、その喪失は想像もつかない。でも、息もできない思いだろう・・・。

私の家には、高価なものはない。でも、多くはなくても集めてきた大切な本とか服とか私の持ち物が詰まってる。
親が作ってくれた赤ちゃんの時のアルバムとか、自分で撮りためてきた写真やデータとか、大切な人からもらった思い出の物とか、日記やノートに記録された、今はもう亡くなった人との対話とか・・・。買ったものも、もらったものも、自分の手元にあるものはどれも経過があって、選び取って残してきたものだ。よく考えたら、自分の家にあるものは、みんなだいじなもので、かけがえのないものだった。「家は暮らしの宝石箱でなければいけない」という建築家の言葉もあった。その意味を噛み締める。

そういう私を取り巻き、私を私と為しているものが、いっぺんに沈んだら私はどうなるのか・・・ 
記憶の箱である家、そして愛する人々を失ってしまったら、私は今の自分を保てないだろう・・・

ネットでの新聞ニュースに命からがら助かった方が、飼い犬を助けられなかったとうな垂れていたと報じられていた。
ずっと一人と一匹、一緒に暮らしておられたのではないか。心中いかばかりだろうか・・・。
わたしも今ネコと暮らしているから、その切なさが伝わる気がする。
でも、「分かる」というのも言えない。言いたくない。分かるわけなんてない。
せめて、心を、感じようとする。でも何の役にもたたない、足しにもないことに思えて、途方にくれる。

まだ、こちらにはある日常の暮らしの恩恵が申し訳なく、どんな慰めの言葉を発しても、その当人が読むかもしれないと思うと、自分がとてつもなく無神経な存在であることに気がつく。しかし、それを承知でも思いを書かずにいられない私は、愚鈍で有害と言われても仕方ない。それを承知で文章を公開している。申し訳ないと感じる一方で、そうとしか生きられない己がいる。

子どもの頃、遠い祖父母の家へ帰省する車の中、高速道路の渋滞のなかで、毎回のように 「この全ての車にそれぞれの家族で乗って、それぞれの会話があって、それぞれの目的地に行くんだなぁ」としみじみと、その不思議さを感じていた。田舎に住んでいた私は、マンションが立ち並ぶ土地を眺め、「あの小さく見えるお部屋のひとつひとつに、それぞれの家庭があり、生活の時間があるんだなぁ。」と。
私は私でここにいるけど、他の車の人からみたら、ただ一瞬 横に止まってるだけの、関わるわけもないただの車なんだなぁって。

大水に沈んだ家々の屋根が、沈んだり埋まってしまった車たちの写真が、突きつける胸苦しいものをどう言い表せるか。
文字通り、言葉も無い。




絶望しきっている人の魂の叫び。希望も生活の前提も当たり前も壊された多くの人たちの嘆き。
どんな音楽も文学も絵画も、勝手な共感も、祈りも、苦界にいるその人には簡単には届かない場合もある。
善い可能性も確かにあるだろう。けれど、それも吹き飛ぶ失意。失望。当人にしか分からない痛み、苦しみ。
どんなに心配し、愛し、近く寄り添おうとすることはできても、全てをほんとうには理解しきることは どうしても不可能な人と人。
人間と人間の関係の限界。

それでも、渦中に居る方の苦しみを、想像することを最初から諦めて、投げてしまうのは人道上お話しにならないから、せめて、想おうとしている。

いつか、いつか癒されますように。
いつか、歩き出せますように。
いつか、いつか、いつか。
できるなら、その人の命の力が残っているうちに早く。







私の信仰、それは
命そのものである主イエスが、すべての人、すべての生命の奥深いところにおられ
一人ひとりの人生のなかで受ける全ての痛み苦しみを、イエス様はその一人と同時に味わい、苦しみ、その上で憐れみと愛を持って、決して諦めずに導き続けてくださる・・・というものだ。人間には不可能な慰めが、主にはある。そして、その恵みを本当に実感するために、人は人の間で出来ることの精一杯を実行して、お互いを本気で大切にしあわなければならない。あまりの苦難に生きることを本人が諦めていても、周囲の仲間がその人を見放さず諦めず主イエスの元に連れてきたからこそ、聖書に記されている奇跡はその本人に起きたのだから。


戦争は人間が起こしたものだ。原発事故も。人間は、特に国家権力は愚かだ。その罪は計り知れない。
しかし、何がどうなったかは事実として浮かび上がってくる。

では、天災は? 何故いま自分の身に起きたのかと犠牲者や遺族は天に問いたいだろう。

私は神様を信じているけれど、3・11から3年後の後の宮城県荒浜に立ったとき。
青い空と、どこまでも広がる海、白い砂浜を一望したとき、
「かみさま、なんでなんですか」って痛烈に思った。
洗礼を受けて、二ヵ月後の2014年の2月だった。

そして、そこでいっしょに行った方たちと円になり、順番にそのままの気持ちを、祈っていった。

天地も人も、全ての創造主である神様。
神様は、こんなにも人間を愛してくださっているのに。どうしてこんな悲惨なことが起きるのか、わからない。
そもそも神様の考えておられることは、私なんてちっぽけな人間には到底分からないのは承知だけど、それでも。

気候が変わって異常気象が次々起こっていること、河川や街の作り方、森や山を切り崩してきたこれまでの人間社会の変化。
どこからどこまでが天からのもので、ここからどこまでが人間の災いか、いよいよ分からないとき、
私はその渦中になったとき、何をどう整理をつけていけるのだろう。
今感じている神の愛を、証できるだろうか。やり場のない怒りやかなしみをどうするだろうか。まだ、生き残った家族や友がいるとしても、それからを生きられる力があるのだろうか。

昨日は、旧約聖書のヨブ記を通して読んだ。 これまで、はじめのところしか意味が分かってなかった。
いろいろ想うんだけど、うまく言葉にならない。

今、思い出すのは、遠く離れた近しい人の安否が不明だったとき、無事が分かるまで必死で祈り続けた幾度かの経験。
その時々の私の祈りは幸運にも叶った。
けれど、叶えられなかった祈りは・・・ 必死で祈った後に、自分が大切な人が「奪われた」とき、故郷の家を突如 流され家族が路頭に迷ったとしたら、私はどうなるのだろう・・・。自信はない。今ある信仰を、証できなくなる可能性も大いにある。

でも、それでも、私には他に術が無い。
人の命は寄る辺がない。この人さえいてくれたら、なんとか生きていけるというような愛する人がいても、その命がふいに失われたとき、自分はどうなるか。愛する人を永遠に失うかもしれない、そのリアルが迫ってきた瞬間、全ての前提が吹き飛び、「どうか助けて下さい」と神に懇願し続けた。もしそしその人の命が失われたら、自分はその人がいない世界を生きていかねばならない。それはあまりにも恐ろしいことだった。神様に頼らなければ、私はまたいつあの激しい不安と苦しみ、そして場合によっては絶望そのものになりかねないこの世界を生きることは到底、出来ないと痛感した。そのことの恐怖を実感した夜の翌朝、私は教会に赴いた。
それまで、信仰を持つと決めたのに、1年以上ぐずぐずと教会にいかなかったが、相手の無事が分かり極度の緊張と恐怖とから解き放たれたときに、「もし今の信仰がない状態の自分で、ほんとうにこの人の命を失っていたら、私は今後 生きていられなかっただろう」と理解できたからだった。

その数年前、私がこれまでの人生で最も孤独を感じ、生きることが重苦しく辛かった時期、その頃の私は、まだ神を知らなかった。いや、信じたいと教会にも通っていたが、救いは見えなかった。自分が元凶でそれまでの人間関係が崩れ去っていき、人生で経験したことの無い孤独を感じる中、自己嫌悪と後悔の嵐のような日々、なんとか命をつないでいた。比喩でなく本気で息も絶え絶えになり、胸は痛み、身体は強張り、眠れず、眠れば信じられないようなリアルな悪夢の連続で疲弊しきって目覚める。起きたのに体力は全く残っておらず、激しい眩暈に一日中 唸りながら布団に倒れていた。2分が1時間にも感じ、一日は長かった。
食事は自分で買うことも用意することも出来ず、なんとか夜に一日一食だけを近所の店で日替わり定食を食べて保っていた。夜の家路にあった光る標識を毎日眺めながら、自分はいつまで生きていなければならないのかと呆然としながら歩いていた。予定白紙のカレンダーに一日おわったら、その日の欄に丸をつけることだけ。生きているのが辛くて辛くてたまらなかった。
それでも自死だけはできなかった。
家族や大切な友は寿命が尽きるまで、「自分の力不足で自殺したんだ」と思って自分自身を責めると思うだけで、親や弟妹が気の毒だった。元気だった頃の自分が友人に「死んじゃダメだ」と偉そうに言い続けてきた手前、その子だけは裏切れないとも思っていた。もう亡くなってしまった大切な尊敬するあの人に、あの世で会えたとしても、口もきいてもらえなくなるのは辛すぎるというのもあった。

あの苦境の中でも、なんとか命をつないできた自分は、「死なないだろう」というある種 自信のようなものがあった。
しかし、たった一人の大切なその人が、やっと安心でき始めたこの日々が失われるかもしれない局面で、不安と恐怖でパニックになった。親に泣きながら電話をし、警察に問い合わせた後、自分も必死で祈り続けていた。数時間後に無事が分かったときに、自分の日常は崩れることがあるということが恐くなった。それまであった「自分は自殺だけはしない。できないんだ。」という自信は一瞬で消え去り、自分がどんなに生きようとしても、いのちの灯火が消え行くその瞬間をリアルに感じた。

「プカプカ」という歌をを歌っていた西岡恭蔵さんが、「グローリーハレルヤ」という歌を歌っていた。https://www.youtube.com/watch?v=wsAr_gJxyOI
彼は「生きよう」と呼びかける歌を作っていた。音楽の力を誰よりも感じていた一人だと思う。でも、西岡さんはパートナーの方が亡くなって、彼女の三年目のご命日に自死された。どんなに思い止まろうとされていただろうか・・・。お苦しかっただろう。

大切な人を失うのは、それが寿命を全うしたものでも、超えられない苦しみだ。
まして、突然、予想だにしない災害で、最愛の人を、親を子を友を失い、生活と思い出の全てを押し流されたら・・・?


被災された方たちに、今自分がその渦中にいないことで、できることがなにかあるのだろうか。自分が、今ここで、なんとか暮らしていることが、今を絶望している人たちに何をできるか。募金とかもあるんだろうけど、今は祈ることしか思い当たらない。自分にやれることに気付いて、それをやりきっていける力を与えてもらえるように、祈る。


神様、一人でもいのちが助かりますように、私はここで強く祈ります。
家族を亡くされた人、ケガをされたり、だれかの安否に不安と恐怖を強く覚えている人。生活のすべてを奪われた人、住んでいた町の姿すらもうない、想像を絶する苦しみや絶望。私には到底 実感できません。でも、その体験をされている一人ひとりの命の内にイエス様が共に居て下さい。言葉になりえない慟哭のすべてを感じ、共に痛み、理解し、励ましてください。
どうか被災されたお一人おひとりが、こうした絶望の深遠から、いつか生きる気力を与えられ、未来に歩みいけるように、
被災していない人間たちがやるべきことの全てををやり、みんなで力を合わせていけますように。
人間がおなじ社会に、世界に暮らす他の立場の人を置き去りにしないように導いて下さい。
東北の方たちをはじめ、各地の被災者の皆様は、オリンピックにむけてのお祭り騒ぎに、一様に置き去りにされていると感じているのではなかろうかと想います。
誰も置き去りにして、無視していかないように、神様、どうぞ人間の間にあなたが与えたもう 善き力を私たちが発動できるように想像力と思慮深さ、そして実行していく力をお与え下さい。天災に乗じた人災が、悪意からも善意からも混乱からもどうか起きませんように。

体験した辛い出来事を、いつか涙と共に気持ちを誰かに話して、悲しみを表現し、それを聞いた人が心をあわせて、閉じ込められていた悲しい怒りに満ちた心の重荷を少しでも 降ろすことができる日が来るよう、わたしたちが助け合えますように。

だれも孤独ではないように、主イエスがすべての方の命の内におられ、その痛む魂の叫びをを同様に感じて下さっていることを信じます。
どうか、人間には誰一人として不可能な主からの慰めへ、一人ひとりに辿り着きますように。いのちの火の、そのリレーが途切れませんように。神様の愛がお互いを支えあう人間の関係に宿り、その方を癒されますように。



神様、お願いします。どうかこれ以上ひどいことが起きませんように。
喪失に生きる気力を失っている人たちを、生かしめてください。









※今朝は、考えが足りない気軽な投稿をしていたのですが、恥ずかしくなり消しました。私のこのブログなど、だれも読んでないだろうなとも思うんだけど、もし読んでて気分を悪くさせた方がおられたらごめんなさい。



2018/07/07

各地の水害被害、お見舞い申し上げます

各地で水害に遭われている皆様の生活が心配。心からお見舞い申し上げます。
どうか無事でいられますように。天候が落ち着き、水が引き、一刻も早く生活が立て直せますように。

私の家族が住んでいるのも西日本のため、気にかけて連絡してくださる方たちがおり有難い。電話をしたところ、水に沈んでいる道もあるが、なんとか買い物には行けたそうだ。

このような災害が起こり続ける地球環境の不調和に、気候変動(温暖化)が原因として大きく横たわっているのだろう。
この国の政府の経済最優先・米国追随の姿勢も、この社会の生活スタイルにも責任の一端があるのは明白だが、実際に被害に遭うのは一部の逃れることのできない普通の人たち。「自分さえ関係なければいい」では大変なことになる。最近、これまで言葉で知識として知っていた様々な恐ろしさを、肌で実感し続けている気がする。


2018/07/07

七人の命を奪い、死刑は執行された。

オウム真理教の殺人の罪、サリン事件の罪は重い。多くの人の命を奪い、人生を変えてしまった。許されないことをした。
しかし、絞首刑になって、終わりになるものなのか?
そういう人たちがどうしてそれをしたのか、考えることを放棄していいのか?

では、人を死に追いやり、人生を奪った罪が死刑になるしかないならば、
旧日本軍の全責任がある男を崇めることを国民に刷り込み、違和感を口にする者は捉え殺し、その信仰を強制し、アジア・太平洋地域で「人々を解放する聖戦」と銘打って、侵略戦争(植民地支配も含む)をやった軍国であった日本国家に罪は無いのか?
数え切れない蛮行や殺人の精算を一切放棄している日本社会に罪は無いのか?

本当に裁かれるはずの人物に罪を言い渡した、女性国際民衆法廷(2000年)http://vawwrac.org/war_crimes_tribunal。そのドキュメンタリー映像をNHKが放映するとき、番組に権力からの横槍がはいり、編集映像の内容が改ざんされた事件があったことを思い起こそう。

 「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク (VAWW-NETジャパン 2005年1月抗議声明)http://vawwrac.org/nhk01/nhk03_03
その当時は議員だった安倍晋三がしたことを私は忘れていない。

この国の旗は血の丸だ。

なんかヤケクソだけど、生きていくしかないぜ!みたいな気持ちが高まり
アーバンギャルドを聴いている土曜日の昼。

松永天馬さん、浜崎容子さん、アーバンギャルド!言葉と歌をありがとう。

生きているから新しい季節を迎えられる。
今年も もう夏だ。







「くちびるデモクラシー」
歌:アーバンギャルド 歌詞:松永天馬 曲:浜崎容子


あなたとわたしはルージュとリップ
エンヤコラ今夜もキスを交わすの

ミサイルよ くちづけろ くれない街に
恋ひとつできなくて何ができるか

殺すな殺すな言葉を殺すな
殺すな殺すな声を殺すな

でもでも
くちびるくちびるくちびる
くちびるデモクラシー

あなたとわたしは弾とピストル
ヨイトマケ真夜中にハートを撃つの

空襲の警報がデートの合図
恋ひとつできなけりゃ戦争なんて

燃やすな燃やすなラブレター燃やすな
燃やすな燃やすな本を燃やすな

でもでも
口紅口紅口紅
口紅つけてら、SEE

「昭和九十年。
 時に戦時中、世界はメイク中。
 少女が化粧を覚えるように、キスを覚えるように、
  口紅型のミサイルが空から降ってくる。
  戦争に反対する唯一の手段は、 自由であること。恋すること。

 時に戦時中、世界はメイキング中。
 液晶を覗いてばかりいる国民たちには知らされていない、
 既に戦争が始まっていること。
 既にみんな、幽霊だってこと。
 
 言葉を、殺すな」

殺すな殺すな心を殺すな
殺すな殺すな恋を殺すな

戦争きたって言葉を殺すな
戦争きたって声を殺すな 殺すな

くちびるくちびるくちびる
くちびるデモクラシー

あなたといられりゃどうにでもなる
あなたといられりゃ恋でもできる
あなたといられりゃ地獄もみれる
あなたとわたしの くちびるデモクラシー







ウエノ・ポエトリカン・ジャム6超絶いきたくなる・・・(無理だけど)
オープンマイク100人なんて、素晴らしいね。くちびるデモクラシー!
2018/07/06

死刑執行の日に ―死刑廃止と、アベ政権の終焉と、ジャーナリスト安田純平氏の解放への日本政府の尽力、を強く求める

また死刑が執行される。テレビのニュースで「これからです」って報じられている。
今、この瞬間に人が絞首刑になっているかもしれない。耐えられない。耐えられない。

人間は、そしてこの日本社会はどうしてここまで愚かなのか。
どうして?どうして?どうしてなの???
これ以上 もう殺さないでくれ!
こんなの、ほんとうに「公開処刑」じゃないか。なんで?
なんでなの?
ほんとうにみんな平気なの?
これから国家が人を殺しますと明言するニュースを
あなたが正気で聞いていられるなら、それは大変なことだ。
あなたの内なる命の破壊、人間の破壊だ。

どんな悪いことをした人でも 人間を人間が殺すのは許されないよ。
誰が決める権限がある? 本当なら神様以外にない力のはずなのに。
誰が決めているの?誰が煽っているの?それに賛同しちゃえるの??
何も反応しないで「そうなんだー」だったら、それってその殺人への賛同なんだよ?

もう勘弁してくれ。

筆舌には尽くせない。

こんな社会でマトモでいるほうが「狂って」いるでしょう。
平然としていられるなんておかしいよ?

権力者は人の生き死にを、いのちを、 道具として、コマとして扱っている。
人間が抱く感情の全て
 ―喜びも愛も思いやりも憎しみ悔しさも、全てを利用し、国家が人を差別し、誰か殺すことを民衆に肯定させる。
ヤスクニも死刑も、人が人を殺す戦争を肯定するためのもの。
独裁的国家権力にとって、すべての人民は守るべき存在ではなく、道具でしかない。

死刑は、罪を犯した人への真の罰ではない。権力者が、人の命を勝手に奪い、民衆の意識や世論を操作し、社会を統治するための行為で、命の利用であり、見せしめであり見世物だ。その罪を犯した人が、なぜ罪を犯したのか。その背景を考えることなく、その人を殺して解決というのでは、「臭いものに蓋」そのものにならないか。
犯罪をおかした罪を償えるとしたら、それは自分のした行為と向き合い苦悩し続けることではないか。真実を明かし、もうそんなことを誰もしないで済む社会にする為に、出来ることをするしかないのではないか。死刑囚の方たちの絵画展に行った時、会場においてあった資料から、実際に愛する人を奪われた人たちが犯人に死刑を求めないという選択をして、行動している人たちが世界に少なからずいることを知った。日本が侵略した中国の撫順(ブジュン)戦犯管理所の「撫順(ブジュン)の奇跡」を、今見つめなおさなければならないのではないのか。

大体、各地の水害で苦しんでいる被災地の人たちの現状を報じないでいいのか。
「公式処刑」執行のニュースの裏で、何が進んでいるのか。
国会で進んでいく水道の「民営化」??金のない人は水が使えないのが水道の民営化だ。貧乏人は役に立たないから死んでいいという国家の本音が透けて見える。

東京医科大と文科省の職権を乱用した賄賂の発覚。そんなことで入学なんて、本当なのだろうか。内閣が財務省の役人の切捨てて自殺させたように、矛先を役人にする為にしていることなの?どの道筋でも役人のその子は不幸だ。でっちあげにしても、事実にしても、全国で受験システムに喘いでいる子どもたちだって失望してしまう。しかも医者になるための大学なわけだから、他の大学とは意味が違ってくる。なにもかも疑わしくなり、社会への信頼は消えうせる大事件。ただ、真実はまだ分からない。この事件で動いたとされる金額とカケ問題(アベのお友達なら国の財産が勝手に運用されちゃう問題)の規模は、全く違う。カケ問題の金額の規模が大きすぎる。モリカケと一口に言ったって、お金の規模は森友学園のほうがずっと小さい。

国の財産を首相が私物化し、勝手にトモダチに横流ししていた世紀の大事件が、何故に裁かれない日本社会なのか。裁かれる連中が権力の中枢にいるからか。しかし、同時に政府寄りであることを差し引いても、事実はある程度は報道されてる。本来ならその政府は、この事件に反応した民衆に瞬時に ひっくり返されていなきゃいけないはずなのだ。しかし、「国民」の多数は気にもしていない。気にしている人がいても、「そのうち忘れてくれるだろう」とタカをくくられてる。実際に支持率の回復がそれを表していて、心底悔しい。

伊藤詩織さんを貶めた山口氏がアベのことを美化して書いている「本」の著者であるからも野放しにされてきたことも、新聞記者へのセクハラについてのことも、性暴力への理解を欠如して事実を隠蔽する言動は、人道的にも政治的にも許されてはならない。
カジノ法を審議もろくろくしないで通しながら、免罪符としてギャンブル依存の為の法律をつくるとかもありえない。社会のうちで苦しんでいる人が、どれだけパチンコに行ってしまうか、その人も家族も苦しむか知ろうともせず。裏世界に流れていく金の流れを国が法的に作り出し、保持しようとしている日本政府の方針は犯罪そのものだ。

3・11被災地のパチンコ店は開店前から行列だって、現地を案内してくれていた人がいた。どんなに震災があっても、原発が爆発し地球が汚染されても、放射能の汚染で人々が住んでいる場所を追われても、これからチェルノブイリ以上に子どもたちが死んでいくであろうことも、絶望のなか人知れず自死がとどまらなくても、全てを打ち消すためのオリンピックに莫大な金が投入されている。「オリンピックのため」と銘打って、監視と管理を強め、路上で生活する人も含めた生活者を排除したお祭り騒ぎ。そのお金は、苦しんでいる人のために使え。そのための税金だ。都合の悪い事実を、なにもかも誤魔化して、人々の意識を忘却のかなたへ押し遣ろうとしている。政府に反対する意志を表明する人たちを捕まえる法律も、罪をでっちあげて閉じ込めるための盗聴さえ正当化できる法律も、すでに通っている。憲法を変えてしまうための投票のための国民投票法(日本国憲法の改正手続きに関する法律)が違憲している状態で出来上がって十年以上たつが、さらなる改悪案が虎視眈々と進められている。

「戦争の後始末」はひとつも済んでいない。誰も救済されていない。それどころか、「その人が勝手に言っている」と嘘つき呼ばわり。日本がした侵略戦争の残虐な事実は「個人のウソ」とされて、歴史は歪曲を通り越して書きかえられている。戦争をした人たちが、やりたがる人たちが、また戦争忘れさせ、知らせずに、戦争をまたやろうとしている。
日本がそうなれば、この星での人類に明るい未来は無い。

私は腐敗の中を留まることなく許されないことが続きすぎて、なにがなんだか分からない。どんなにメチャクチャなことが次々に明らかになっても、政権への支持率が下がらないなんて、どうしたらいいんだ。どんどん決まっていく。このまま平然と進んでいくのか?私は無力だ。辛い。

ただ、新幹線が地震で動かないときに(しかも、ワールドカップの試合直前に)闇討ちのような会見をしたカケの理事長とか(実際は現場にいた記者も入れない人がいたとかだから、したうちには入らないだろうけど。)、何ヶ月も留置所に理由も明かされず不当に拘留されていた森友学園理事の籠池夫妻が今 保釈されている状態だとか、
モリカケのことを無かったことにしたいアベ政権は、それこそ必死なんだろう。これまでにない窮地に立たされているとも言える。ここで「国民」が誤魔化されるかどうかで、日本の再軍事化が完成されてしまうかどうか決まってくる。文部省役人と東京医科大との賄賂合戦のことが事実だとしても、そうでなく財務省の役人が自殺に追い込まれたときのように尻尾きりの騙しなのだとしても、アベ内閣は責任を持って今、総辞職しなければならない。

だからこその、話題をそらすための死刑執行宣言だと思わざるを得ない。


自分自身も含め、人々に問う。誤魔化されていないか?
権力構造の暴力に「そういうものだ」と従い、事実を無視し、自分のなかで一切考えないことが、「幸せ」か。
その「幸せ」は、自分だけは奪われないと呑気に思っているの?
声を持とうとする弱くされた人たちへのバッシングは、「気付かせるな!」という怒り?それとも、自己を表現できない(/しない)人生のフラストレーションの表れなのか。

2004年のイラクの人質事件のとき、当事者の「自己責任」論を仕掛けた人たちと、それに乗った人たちの憎悪。そして「我関せず」を貫き続けていった街の雰囲気を思い出す。熟成されてしまった 日本社会の いじめの仕組みが社会レベルで相互監視とバッシングのシステムとして発動した瞬間でもあった。

意図的な情報と娯楽の操作には目も当てられない。
娯楽だって、電波上のそれらの大半は、本当のそれとは程遠く暴力と差別に溢れていて、大方、人を貶めるものか性的搾取そのものだ。(みなさんに、歌丸師匠の遺された言葉を今こそ読んでほしい。)
参考記事:桂歌丸が語った戦争への危機感「戦争を知らない政治家が戦争に触れるな」 ―国策落語を作らされた落語界の暗い過去も http://lite-ra.com/2018/07/post-4104.html

麻痺させられている自分の現在地から、息を吹き返せ。世界を見ろ。

あなたも、わたしも、国家の暴力の前では
テレビの向こうに見えるこの世界で、平然と殺されてしまいかねない存在なんだ。
先の戦争で犬死していった人たち。
私たちの一人ひとりにどんなに豊かな人生があっても、愛するひとがいても、やり遂げたい仕事があっても、それを簡単に踏みにじり、指先ひとつで掻き消す力を持っている、それが国家権力だ。



この世界で起きていること、そして秘密裏に進んでいる戦争への道を辿るこの社会に生きる人たちに真実を届けようとし、危険を冒しても果敢に現場に赴き発信してきてくれたジャーナリストたちがいる。その一人に現在、中東で武装勢力に拘束されているジャーナリスト安田純平さんがおられる。
 朝日新聞記者 石川智也さん記事「安田純平さんを忘れないで」(2018年7月1日記事) http://webronza.asahi.com/politics/articles/2018062600001.html

2018年7月6日現在の動画が、拘束グループから発信された。https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20180706-00000009-nnn-int
体調は悪そうだが、まだ無事なのだ。武装勢力は日本政府と交渉しようとしている。
しかし、日本政府は一切の対話をしないつもりだろう。いつも、彼らは「屈しない」といって、この拘束を「理由」にして、嬉々として軍隊を準備する。

上記の石川智也さんの記事にもあったが、ジャーナリストの後藤さんが亡くなったとき、日本政府やメディアはこぞって、後藤さんの功績を美談として報道した。「こんな素晴らしい日本人が失われました」「許されません」とでも言うように。
彼が命をはっても守りたかった人たちを不幸に陥れた、戦争を誰が起こしたのかも問わず、自分の国の軍隊の「派遣」や軍事援助が彼の命を奪った人たちの動機であることも問わずに。

安田さんには10年以上前になると思うが、京都の講演会でお会いした。無事に帰ってほしい。祈る。政治を変えられない無力を感じる。せめて、このブログを覗いてくださる方と、情報を共有したい。そこから何かが芽吹くと、諦めつつも信じて。

・・・

2004年10月、同世代の香田証生(しょうせい)さんがイラクで囚われたとき、私は無力感に包まれて 夕方の暗くなる自分のアパートでただ呆然と座っていた。私は、当時まだ学生だった。

そのとき、大切な友人から電話がかかってきた。「今日、自衛隊を撤退するように求める街頭行動あるけど、行く・・・?」と。
私は「4月にあれだけの数の人が動いたのに、国は自衛隊を撤退させなかったんだよ。そんで、自己責任だっていって、助かった人たちをバッシングした世間だよ。なんかやって、意味なんてあるのかなぁ。」って半分、泣き声で呟きではあったが、訴えた。
同年4月のイラク人質事件のとき、必死で訴えていた私の胸には「日本の人の命の危機なら、いままでイラクの人のことを想わなかった人も、考えてくれるんじゃないか」って期待があったのを思い出していた。

友人は一呼吸おいて、
「そうだね・・・。でも、だからって、自分たちが動かないって理由にはならないんじゃないかな」と言った。
私は、その問いに、そうだなって思った。

 ―この瞬間を恐怖の中 生きている香田くんの命は明日にはもう守れないだろう。彼のご家族はもう絶望しているだろう。でも、彼の命を奪うこの日本の社会に、自分の責任も含めて向き合う姿勢を行動に移すことが、彼にできるせめてもの行動なんだ
と感じた。

そんな想いで、自転車で街一番の繁華街にいった。夜の街頭にでた人は4月事件の際の光景からは、比べられないほど少なかった。ビラを受け取ってくれる人も多くはなかった。私がその場に行ったことは何の足しにもならなかった。自己満足と言われればそれまでのことでしかなかった。日本は、自衛隊という軍隊を撤退させなかった。そして香田さんは翌日、殺された。24歳の若さで。

でも、私はそこに行けたから、彼をいまも憶えている。
あとから思うに、あの時、友人と赴いたその街頭行動はそれからの自分を生きるのに必要なものだった。


香田さん、あなたは生きていた。
悩んで考えて、戦争で苦しんでいる人の姿をその目に焼き付けて、これから自分が生きていく道を見据えようとしていた。
世間が吹聴したような考えなしの人じゃなかった。決して。
あなたの想いが私のどこかに刻まれています。
生きて帰ってこれていたらきっと、この社会の変化と世界の平和を希求する、才能ある稀有なジャーナリストになっていたと、私は確信してる。

その頃、フィリピン政府は軍隊をイラクから撤収させ、フィリピン人労働者のアンヘロ・デラクルス氏はイラク関連組織に拘束されながらも無事解放されたということを、改めて知った。香田さんは死なないで済むはずだったと思わずにはいられない。


アフガニスタンで活動されていた、ペシャワール会の伊藤和也さん(享年31歳)のことも忘れない。事件が起きた夜、明け方まで眠れなかった。
 参考記事:伊藤和也さんを悼むhttp://kajipon.sakura.ne.jp/kt/peace5.html

武装勢力の行為はどうしたって肯定できない。けど、香田さんや伊藤さんの命が奪われたのは、その地に軍事力をアメリカ軍の支援も「派遣」という派兵も含めて発動させた日本の政府とこの社会でもあると 私は考える。

彼らにはもう会えない。でも、今この瞬間、安田純平さんはまだ生きている。
絶対、無事に家族に会えないといけない!

日本政府はすぐに安田さんを拘束している勢力との交渉に応じ、安田さんの救出のために拘束グループとの対話に全力を注ぐように求める。

日本政府は軍隊や戦争を肯定しないジャーナリストを憎んでいるから、見殺しにしたがっている。どんなに望み薄であっても、でも求め続けなきゃなんない。政府はその国にすむ人間を守る責務があるはずだ! 日本政府の責任放棄を許さないで、求め続けないと、安田さんは助からない。
2004年の春、人質にされたが生きて戻ってこれた安田さんの命は、今も危機にある。でも、2018年7月6日の現在まだ灯っている。
助けなきゃ。

2003年の3月20日に夜明け前のイラクの街の中継映像から聞こえていた鳥たちの声。ライトをつけて走る車。その後、そこに爆撃が始まった瞬間を忘れない。無力感に打ちひしがれてエレベーターの中で一人泣いた。それまで、何千人もの規模のデモの中で、「イラクへの戦争を止めてみせる」って本気で思っていた。爆撃開始当日の夕方のデモは、それまでの気持ちと全く違った。よく覚えている。

泥沼のイラク戦争への日本政府の加担は、戦争の惨禍をより拡げ、多くの人々の命や暮らしを奪った。
自衛隊はイラクに派兵してはならなかった。大量破壊兵器は見つかることなく、アメリカ政府もそのことを認めている。
世界最古の図書館は焼かれ、数え切れない人たちが難民となり故郷を追われた。

日本政府はイラク戦争をしかけた米国に追随し、市民から巻き上げた税金を 軍事費として投入した。自衛隊を軍隊として武器を持たせて戦地に送った。終わらない戦争を始めてしまった米国の友軍として。なかったはずのイラク日報だって案の定、出てきた。普通に考えて、ないわけないだろう。「黒塗りがおいつかない」?おかしすぎてコメントの仕様も無い。

この15年間、日本社会は確実に悪化してきた。次の戦争がこんなにも急速に近づいた。15年前は、憲法が変えられるなんて「そんなこと有り得ないだろう」って、心のどっかで安心してた。どこかで対岸の火事だった。しかし、この10年が経って、やっぱりこれは現実なんだと痛感している。この十数年だけでもこんな状況なのに、日本がいま持っている「自衛」としての戦闘力を、軍隊としておおっぴらに動かすようになったらどうなるか・・・。
国外で人が殺されるだけではすまない事態になるだろう。9・11のビルに飛行機が突っ込んだ2001年、私は大学1年生だった。震え上がりながら、一人のアパートでニュースを見ていたあの夜。私の中で、世界の闇が初めて露に感じられた瞬間だった。
(アニメーション映画『サマーウォーズ』で最大の危機とされた原発への攻撃予定も、福島がフクシマとなった今となっちゃ現実のほうが酷い状態になった。更に、悲惨なことが起こりえる。京都・京丹後のエックスバンドレーダー基地の付近は原発銀座だ。もんじゅだってある。)

今、憲法を書きかえて、自衛隊のことを憲法に記し、再軍事化を確定させたい日本政府は、イラク戦争の真実を、それにまつわる人々の記憶を封じて抹殺しようとしている。私は、水道の民営化が国会で通っていく中、伊藤詩織さんのドキュメンタリー映像の配信が何者かに消され続けていくこの今、モリカケ問題が文科省役人の不正入学/賄賂問題である意味で最終局面を迎えていて、しかもイラク戦争の真実を知る安田純平さんの生存が分かった今日、たくさんの人の死刑がニュースで全国に予告されていることに、これまでとは違う危機感を抱いている。

3・11の後、十数万人の民衆が国会周辺で抵抗した反原発デモを政府もマスコミも無視し、初めて事故後に原発(大飯原発)が再稼動してしまった翌日、首相が尖閣諸島の国有化を宣言したあの時もその思惑に眩暈がしたが、今、更に深刻な危機を感じざるを得ない。沖縄の知事選も暗雲が立ち込めている。

このままアベ政権が続けば、平和憲法は奪われ、戦後の日本社会が築いてきた人権も民主主義という仕組みも消滅する。
憲法を奪われたら、平和への砦は崩されきってしまう。
改憲勢力が憲法を都合のいいように書き換えるための、最大のキーパーソンは《自衛隊》だ。
イラク戦争で、日本政府と自衛隊が犯した罪と、その影響を、人々が認知することを日本政府は何よりも恐れているのではないか。

元自衛隊員の発砲による殺人事件も、彼が軍隊に入らなければ起きなかっただろう。(軍の訓練を受けていなければ、警官から銃を奪い、発砲することはできなかったのではないだろうか。)
自衛隊のイラク日報が発見されて、政府の腐敗がどこまでも明らかになっている今を放置すれば、日本は先の戦争、15年戦争から始めた第二次世界大戦の旧日本軍の戦争責任を含め(アジア太平洋地域で約2000万人の人が命を失ったとも言われる)戦争に対しての責任と一切向き合わないないままに、人類の悲願である非戦平和の想いの結晶である憲法9条を、ついに放棄しきることになる。そうなれば、未来は無い。

イラク戦争の真実の証人の一人であるジャーナリスト、安田純平さんを見殺しにさせてはならない。





亡くなったジャーナリスト、むのたけじさんの記事を読んだ。
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/munotakeji-kotoba?utm_term=.yqyvmPOP6#.cu2d31O15

上記の記事で見ることができる、むのさんの手書きの色紙には、こう書かれている。

嵐は、たいまつを消すことができる。だが、たいまつの火を 炎々と燃えるのも嵐の時だ。 -1976,10 むのたけじ

暗闇の中でこそ、光はお互いをみつけやすい
と、うまれて初めて行った沖縄で体験した辺野古の海上行動から帰ってから報告文に、そう書いたことを思い出した。
そのときの若い自分が一生懸命に放った言葉を、年とった自分がウソにしたくない。自分が受けた光を誰かにつないでいかなきゃ。


戦争は、始まる前に止めなければ、止まらない。
戦火の渦中でどんなに強く願っても、その現実の悪夢は消え去らない。その地獄から逃れることはできない。
沖縄戦の中で目の前で子どもを殺されたり、自ら手にかけさせられたお母さんたちの人生はこの世界の事実だ。
(丸木夫妻の絵本『おきなわ島のこえ』では、戦争に巻き込まれる前、そこには戦争の為の基地が作られ、兵隊が大勢やってきたとある。今、まさに沖縄で起きていることなのではないかと、改めて恐ろしくなった。宮古島や石垣島に自衛隊は凄い規模で押し寄せている。
辺野古があり工事が強行されている名護も、落下物や事故がやまない普天間基地のある宜野湾も、現在の市長は新基地の建設肯定派。今年の秋の沖縄県知事選も、宜野湾市の現市長の佐喜間氏が立つことになったそうだ。この人は日本会議のメンバーだ。もし、この知事選で彼が通れば、沖縄への日本政府の統治は完成し、「基地反対運動は民意の敵」とされていってしまうだろう。現知事の闘病の厳しさは写真一枚でも伝わってしまうほどのレベルだ。不安で呆然としてしまう。)



人の手を介して今、わたしの手元にある古い一冊の本がある。
塩田庄兵衛・橋本進 編の『反戦平和に生きた人々(母と子でみる8)』(草の根出版/1989年初版)には、戦前・戦中に権力に抵抗した方たちの名前がこれでもかと記されている。投獄され、獄死した人、行方不明になった人の多さ、名前の羅列に慄く。(しかし書き手は、それでも「そうなった全ての人の名前ではない。名前も分からない人が大勢いる。これは一部である。」と幾度も念をおしている。)

もう現時点で現代の治安維持法ができあがっている今、声を上げるのはいよいよ恐ろしくなっていくだろう。
けれど、黙れば、思考をとめれば、もっと後退し 人々の理想の生活は遠のく。『茶色の朝』はもう来ている。
気付くか、気付かないかは自由なのかもしれない。けれど、人の痛みや苦難を考えず、「関係ない」と暮らして、人間の真の幸福に辿り着くことは出来ないと私は思う。

自分で書かなくてもいい、現地に赴けなくてもいい。発言できる、対話できる環境も無いかもしれない。
でも、それでも
とにかく誰かが懸命に発した言葉や表現から、真実を受けとめ考え続けようとすることを止めないで生きよう。
自分を感じて、自分の内なる不自由が誰の意図するものか問い続けよう。


だから、どんなに虐げられて苦しいときであっても、
誰かが殺されたことを喜んじゃダメだ!
誰かが死んでいることを「関係ない」と切り捨てるな!

それは自らの魂を殺すことなんだよ。

人間の関係性に愛は宿る。

ともに、人間として、生きよう。
愛を失うな。
生きるんだ。生きるんだ。

何度でも言える

これ以上、殺すな!

自分も他人も、すべての生きとし生けるものを。
海を潰すな。森の中の泉を埋めないでくれ。

すべてのいのちが あるべき姿であるように。

声にならなくてもいい、叫び続けようよ。
この耳になにも聞こえてこなくても、 「届いてるからね」って応えられる命を生きたいと願いながら。

失われた命たちを慰められる現実もなく、助けられないいのちたちに懺悔しつつ、苦しみに満ちたこの時も、祈りながら書き、越えていくしかないんだ。

私はここにいる。あなたもそこに生きている。
確かに今を生きてる。

あきらめるな。
考えることを、人間として生きることをやめるな。

ともに居てくれるなら、自由と歓びに満ちた 真の平和と幸福を追い求め続けられる。



















































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2018/07/06

BBC制作・放送の伊藤詩織さんのドキュメンタリー Japan's Secret Shame 見れた


詩織さん、ありがとう。 私もここにいます。

 
>【BCC制作ドキュメンタリー映像動画】 
BBC制作・放送の伊藤詩織さんのドキュメンタリー Japan's Secret Shame 「日本の秘められた恥」(日本語字幕付き、全編 約1時間)映像動画  https://nofile.io/f/bXSpvZERvtN
※詳細な性被害証言があります。フラッシュバックにはご注意ください。

情報で被害体験を《読む》のと、体験者の語る証言を《聴く》のは、まったく違うインパクトを引き起こします。「もう知っている」という方も、是非、お時間をつくって、画面の中の詩織さんと対面してほしいと思います。彼女の涙と目の光、身体の震え、息遣い、決意を 感じられるドキュメンタリー映像です。



>記事:2018年06月29日(BBCによる放映は6月28日)
「日本の秘められた恥」  伊藤詩織氏のドキュメンタリーをBBCが放送 
英語の記事




先日、BBCが制作・放映したドキュメンタリーを、BCCのウェブサイト掲載動画から、最初から最後まで見ることができました(日本語の字幕つきに感謝)。とりいそぎ情報のみアップ(7月3日)していましたが、いま見たら残念ながら期限切れでもう消えていた・・・・ だけど!まだ上記のサイトでまだ見ることができます!

それは、映像保存と拡散の為頑張ってくださっている皆様がいるから・・・。

これほどの犯罪を日本のマスコミが黙殺し続けるなか、SNSや伊藤詩織さんの著書Black Boxでこの事件を知る人たちは、字幕付きバージョンのダウンロードとアップロード&拡散を続けています。いま、こちらのNoFile.ioという国外のサイトでアップロードされた動画は、そのままストリーム視聴も、コンピュータへのダウンロード保存もできるようになっていますので、まだの方は是非どうぞ。

とのことです。 ありがとうございます!!
日本のYoutubeでは消され続けているそうで。
 記事:https://ameblo.jp/chihointokyo/entry-12388548373.html
案の定とは言え、この社会 闇すぎ・・・。





そしてそして、さっき遅ればせながら知ったのですが、
国際的メディアコンクール「New York Festivals 2018」では、監督を務めた”Lonely Deaths”(CNA)がSocial Issue部門、そしてカメラマンを担当した”Racing in Cocaine Valley”(Al Jazeera English)がSports Documentary部門で、と銀賞をダブル受賞されていたこと!
詩織さん、すごい!!!おめでとうございまーす!!!!!

記事:
2018.06.23 
Shiori Ito’s ”#MeToo” Struggles Continue 伊藤詩織さんにインタビュー  ―たたかいはつづく【前編】
Shiori Ito’s ”#MeToo” Struggles Continue 伊藤詩織さんにインタビュー──たたかいはつづく【後編】


ジャーナリズム、ジャーナリストとは何だろう。
私は真実を真実だと明らかにしようと模索し、世の諸悪の闇と闘おうとする人間の働きのことだと思う。
真実を自ら葬り隠蔽し、権力という巨悪に擦り寄る人間のことはジャーナリストとはどうしたって呼べない。
一人ひとりの人間の人生、特に弱い立場にされて封じられがちな声ならぬ叫びを聴きとり、与えられた表現方法を通じて世に響かせ、そこから世界を変えていこうとする
その信念が貫かれている人の表現こそを、ジャーナリズムと呼べると私は考える。

伊藤詩織さんはこの国の闇から、真っ向から向かい合い、耐え難い痛みや苦しみをもってさえ、真実と正義を明らかにしようと闘っている。彼女は、真のジャーナリストだと確信する。

詩織さんのやろうとしていること、やっていることは、人間の善き可能性の探求と実現そのもの。

どんな苦境にも阻まれないで開花する才能と、勇気。
 
励まされて、私もここで生きていこう。 
高校生の頃の想いを思い出す。初心忘れるべからずだな。コツコツがんばろう。




音楽はAni DiFfanco - Your Next Bold Moveを。




2018/07/05

東松山市市長選 やすとみ歩さん応援してます!

丸木美術館のある東松山市の市長選に立候補した 安冨歩(やすとみあゆみ)さん!
大好きな辛淑玉(shinsugok)さんが、ツィッターで「この人好きだ」と紹介されていて、初めてこの方のことを知りました。

街頭演説と音楽、解放的で自由。そして命に対しての骨太な思想のある人だと感じ、私も好きになっちゃった。

選挙カーの看板、気に入らないから書き込んじゃうのとかいいなぁ。
チンドン楽しいな~~!アンパンマンにウィシャルオーバーカム♪

選挙期間に公職選挙法で守られて、自由に表現できるっていうのを昔 素人の乱の松本さんもやってたけど、なんかいいよなぁ。
勿論、選挙で勝てたらいいけど、でも勝ち目がなくても、あっても、選挙期間にみんなが暮らしているところで 自由に表現して、
そこに住んでいる人と一緒に変わっていきたいっていうのが、すっごいいいと思った。
権力の座につけなくても、一人ひとりが自由になれるように自発的に変わっていけることが、現在の酷い社会を引っくり返していくことにもつながる。
やすとみさんは、そのことを力強く語っている!
(下記の内容は動画の第一声演説の私的な要約ですー)。

 ―こどもを守ること。
  これ以上 自然を破壊せず、懐かしい未来(駅前に蛍が飛んでいる等)を。
  大切なのは、食う寝る遊ぶこと。人間は幸せになるために働いているはず・・・。
  ほんとうの空がない、道が狭い東京に暮らしてもイコール幸せじゃない現実。
  競争を勝ち上っても幸せにはなれないってこと。
  近くでのんびり楽しく暮らしているひとと、お互いに助け合う。
  市長になったら、自らそういう生き方を実現していく。
  
  市長が変わってもシステムがあるため、戦艦ヤマトは止まらない。
  だけど、市民の暮らし方が変われば社会は変わる。
  そうしたら、戦艦ヤマトは止まる。
  そして、みんな自由に海を泳いでいこう!

 

などメッセージ。
選挙出馬のときに話されてた、すべての差別に対話するという姿勢。
響くーー

是非みなさんも御覧ください。選挙で勝てますように!


【街頭演説やチンドンの動画】 
※第一声の演説が(冒頭20分くらいかな)すっごい良かった!
東松山市長選 安冨歩候補「東松山ファンタジー化プロジェクト選挙、第一声」と演説&音楽ライブ、『こどもを守ろう』芸術チンドン 2018.7.1(IWJ)
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/426182

子どもと芸術表現と自然を大切にする基本理念
【東松山あゆみの会】東松山でなにをめざすのか〜地方自治の基本理念〜 

行ける人は街宣に合流してみては。楽しい方たちと仲良くなれそう。
安冨歩さんのツィッター 




そして、丸木美術館で4月末から開催していた、風間サチコさん展覧会 「ディスリンピア2680」も今週日曜日までみたいです。
遠すぎて行けないけど、めっちゃ観たいーー!!! 
(画集も出るらしいけど、この迫力は素材や大きさからも、生で見ないと真価が伝わらない気がしてしまう・・・・ )

「丸木美術館学芸員日誌」から展示されている作品の紹介
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/3068.html


一度だけ行ったことがある丸木美術館。
たっぷりした流れがある川のとなりに、静かに美術館があった。あの大きな壁画の間。
原爆、沖縄、水俣、三里塚、アウシュビッツ・・・。

久しぶりに本橋成一さんの写真集 『ふたりの画家』を開いてみよう。
絵本『おきなわ島のこえ』も。
丸木スマさんの画集、大道あやさんの文庫本に絵本、古本屋でみつけた俊さんの絵本もあるし。(うちの本棚なかなか幸せなラインナップかも。 金銭的に楽じゃない暮らしの中、どうしても欲しくて手に入れてきた本は人生の宝です。 )



自然のなかで暮らして絵を描いて、平和と人間の営みを生み出してこられた丸木俊さんと位里さんの拠点だった東松山、
安冨さんが市長になって、より 命の営みを大切にする地方自治になってほしい。

そして、すべての地域で、いのちが尊重される自治が実現できるような政治を求めます。

ひとりひとりの人がそれを自然と求めていくような、自由な風を起こしてくれている安冨歩さん、仲間の東松山と近辺の皆様。遠いけれど 祈りつつ、応援しています。




【こんな動画もありました】
丸木美術館での安冨歩さんと片岡祐介さん。今年の3月。


上記動画の企画の中、丸木夫妻の描いた原爆の図の絵に聴かされている音楽の動画作品です。

安冨歩、片岡祐介、新雅史
この作品は、原爆ドームの前で、原爆の死者に祈りを捧げながら、その霊感を受けて3人が共同で作曲した。我々は、これを原爆の死者の魂による作品と感じ、その成果を我がものとしようとするならば、その怒りを買い、想像を超えた罰を受けるのではと恐れるがゆえに、ここに全ての権利を放棄する。我々をこの判断へと導いた刈部謙一氏に感謝します。

That day in Hiroshima, the sparkle of life was lost (2016) Ayumu Yasutomi, Yusuke Kataoka, Masafumi Arata We composed this piece of music in front of the Atomic-Bomb Dome in Hiroshima, praying for the victims of the bomb. While it is us who made the music, we strongly feel that it comes not from us but from the victims’ souls. For that reason, we do not wish to claim any rights for this music, thinking that we will be punished by the angered souls if we did so. We express our gratitude to Mr. Karube Ken'ichi, who advised us on this decision.
楽譜 / Free Score https://goo.gl/lpRLkd