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2018/06/24

2018年6月23日 沖縄慰霊の日 全戦没者追悼式 平和の詩「生きる」 朗読動画

今年の慰霊の日。私の想いはまた別に書きます。
毎日新聞ウェブ版から、全戦没者追悼式での平和の詩の朗読、
沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子さんの詩の朗読を是非お聴きください。



沖縄慰霊の日
平和の詩「生きる」全文 (朗読 動画あり) 

毎日新聞2018年6月23日 12時43分(最終更新 6月23日 22時37分)

https://mainichi.jp/articles/20180623/k00/00e/040/310000c



「生きる」
  沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子

 

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 

私は今、生きている。

 

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。

 

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 

私はこの瞬間を、生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

 

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

 

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

 

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

 

今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。


 (沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子さん)









参考記事:読む・考える・書く http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/07/01/201311
2018/06/20

天災と人災と戦争の責任  そして想像力

大阪の地震にあわれた関西の方たちの無事を状況の回復を心よりお祈りします。
どうか、これ以上 揺れませんように・・・。

家族がケガをしたり、ちいさな家族とはぐれたり、家や土地や日常のすべてが 前とは違う不安な時間のなかで過ごされている皆様が、はやくまた安心して眠れる日がきますように。

神様、どうぞ人間の間に 善き力を発動させてください。
天災に乗じた人災が、悪意からも善意からも混乱からもどうか起きませんように。 祈る。





天変地異に乗じてヘイトスピーチを発信し続ける連中に 腹の奥底からの怒りを覚える。
おまえらはもう一度、関東大震災のときの朝鮮人・中国人への大虐殺を誘発したいのか?!許されない・・・
(日本人自警団によって、反発したり発音がききとりにくいとされた日本人たちも殺されている)

『九月、東京の路上で』(ころから社)加藤直樹さんインタビュー
https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/140715/

ツィッター上のヘイトスピーチ対して声を上げている人たちのアカウントを凍結しているツィッタージャパンへの憤りも言葉にならない。(新潟県知事選でも市民派候補者のアカウント使えなくしてた時期あった。ありえない。)

カケの理事長の会見とやらも、地震があって、新幹線が動かないような状況で、岡山で・・・って?無理だし、集まった記者ですら入れない人がいたらしい。
人の不幸の混乱に乗じて、会見の二時間前に地元の記者クラブにファックスしただけで「ちゃんと会見した」なんて・・・(そんでお決まりのワールドカップ日本戦に合わせて、ですか。)
それが、日本社会のなかで最も自由に言論をいえる空間である大学の長だなんて冗談でしょう。腐ってる。
どうしてもアベを庇うなら、「自分が勝手に言ってたみたいです」くらい言えよ!自分より弱い立場のせいにして、「自分の責任は全くありません」って。それで通せるとおもっているのは、天下の政府の権力者の側に自分はいるという、ただそれだけの根拠。

A級戦犯は野放しで、BC級戦犯のほうが罰せられて、最高権力者は大往生でだった戦後日本。せっかく与えられた民主主義も人権も、おおもとではなにも変わらない。大日本帝国的な物の考え方や、都合が良すぎる植民地主義、日本軍の暴力の連鎖構造、その戦争責任の所在が問われることも反省もなく、歴史の事実を歪曲し、ひたすら堕ちていくこの日本国家。この国がここまで来てしまったのは、自らが起こした戦争についての責任の所在が社会的にも個人的にも追及されずきたことが根源に大きく大きく横たわっている。

カジノ法強行採決の乱闘に近い国会の映像も見慣れつつある。よく考えてみなくても、おかしすぎる。
いいかげん許してはならない。このままにしたら日本の戦後民主主義は完全にノックアウトされてしまうじゃないか。

(余談だが、カケ理事長の顔を初めてみて、ラグビーだかアメフトだかで子どもに試合中に暴力を命令し実行させた上でしらを切るどっかの監督とおんなじ目つきでびっくりしたよ。同じようなことやっているオッサンの目つきは似るもんだとつくづく思う。)


もうすぐ沖縄「慰霊の日」を迎える。

住民を殺し、自決を命令した日本兵たちが、自分のやったことを省みないで 戦時のことを賛美するため立てた忠魂碑の一つが、日本軍が使っていたであろう爆弾の形をしていたのを見たときに受けたあの衝撃を、いま思いだしている。

死者たちを冒涜することが、今を生きる人たちを蹂躙し続ける。

ニッポンという国よ
もうやめにしないか
そんな人として恥ずかしいことを

これ以上 上塗りできないほどの恥を どこまで続けるのか

その先に何があると思っているのか


辺野古の工事はすすみ、夏には土砂を投入するという・・・。

こんな状況で、どうしたら顔向けできるようになるのか。学生の頃のように何も考えず、現場に飛んでいってなにかできるなら、いっしょにいられるかもしれない。けれど、今の自分にそのちからはない。そのやり方をしたら身を滅ぼすことがわかるから。

願いが消し飛ぶような錯覚を覚えるほどの巨悪に、それでも向き合う人たちの姿。
無力な自分にやれることは残されているのか




ガザで苦しい生活を強いられているこどもたちが、3・11からずっと毎年三月に東日本大震災の被災者のために復興を願う凧揚げをし続けているという記事を読んだ。

安田菜津紀さんの記事:週間サラダぼうる 2018年3月5日 東京新聞

https://mainichi.jp/articles/20180305/ddm/014/070/048000c


日本の入管に監禁されている難民の方たちが、東日本大震災の被災者のためにペットボトルの容器いっぱいに募金を集めておられたことを思い出す。

どうして、そんなに苦しいところにいて、
むしろその苦しみを生み出す側の私たちの社会に生きている他の人の苦しみを想い 行動することができるのですか

涙があふれてしまう


私たちの社会はどうして
ここまできてしまったのだろう





効力がないといわれても祈りをやめることなく
誰もみていなくても自分の想いを書き続けることしかない


2018/06/17

ヒップホップと『風の谷のナウシカ』の話

ドキュメンタリー映画 「自由と壁とヒップホップ」(2008年)http://www.cine.co.jp/slingshots_hiphop/からダイジェスト版




いつか、パレスチナのDAMみたいな歌をうたえる日本語のラッパーのHIPHOPのライブに行きたいなーー!!!

以前このサイトで、HIPHOP 思想が言葉になり、言葉が音楽になったというのを書いたけど、やっぱり母語で聴ける共感できる内容のラップは格別だからね。言葉を瞬時に理解できると、それが音楽とあいまってグッとくる。

文章(思想や思考)と音楽が融合しているから歌はすごいんだけど、HIPHOPは歌詞が多く情報量があるから、そういう面では更に力があるように感じる。人の感性を掘り起こすにも、事実認識や信頼できる情報が伝わってないと、伝わるものも伝わらない場合が多々あるから。言葉で新しく知ること・学ぶこと・感じることと同時並行で音楽が来るから、DAMのラップはすごいんだな。映画では字幕があるから、彼らの音楽の凄さが分かる(日本であったライブに参加できたとしても、私じゃその真価は分からなかっただろうな・・・。母語で芸術表現や文化を享受できることは、このディアスポラな世界で、特権だ。改めて自戒しなきゃ。)


首都圏であったフェス「THE M/ALL」の存在を、一回目の開催が終わった直後くらいに知って、渋谷まではどの道 行けないけど、これに参加している人たちの存在を知ることができて元気でてた。動画もいろんなアーティストを知れてナイス。またやるらしいので首都圏の方で興味のある方は是非。
「THE M/ALL」https://twitter.com/the_mall0526?lang=ja
直接には行かないにしても、こうしたムーブメントが起こっていることを知っていたい。

このフェスに参加していた仙人掌さんというラッパーの方がこのフェスの曲をつくったそうで。良いし、フェスをやった人たちは嬉しかったでしょうね。才能も人間のセンスもありそうな人が 「政治を学ばなきゃな」って歌ってることに希望を抱く。
聴いてみたい方はこちらを→https://soundcloud.com/dogearrecords/monday-freestyle-prodaru-2?utm_source=soundcloud&utm_campaign=share&utm_medium=twitter

音楽と詩(文学・思想)が更に融合したHIPHOPが日本語でも発展していく様を感じたい。日本在住のラッパーの皆様、ドキュメンタリー映画 『自由と壁とホップホップ』観てない方は是非!!!



表現、芸術/感受し思考し共鳴する生活


怒りも苦しみも生き辛さもを表現に昇華させ、人と共有することから、つながりを生み出し、生きるチカラをお互いに再燃させ、人間としての尊厳ある抵抗を 生み出していく流れ! いのちと尊厳を守る抵抗。
音楽も、歌も、表現も、芸術も、なんにも作品はつくらなくても自分自身を隠さずそのままに生きること。自分自身を知り、他の人間やいのちと交感する。その全て、生きることの全てが 人間を奪わせない文化的な闘いだ。

社会運動や抵抗は、人間の感受性をフルに使った表現である。そこに込められている魂の叫び・呼びかけを受けとめあい、分かち合える歓びをもって、お互いの存在を確認しながら、総じてエンパワメントされていく方向を持ったとき、真価が発揮される。ガンバリズムじゃパワーレスだしナンセンス。お互いに苦しくなったり、権力構造がうまれたら本末転倒。
自由かつ、エンパワメントを強める強力なツールが芸術と表現。音楽と言葉(文学)は人間の魂を強める。CIAが沖縄の音楽をめっちゃ解析していたことが最近明らかになってきているみたいだけど、そりゃそうだ。何よりも国家権力が恐れているのは、ひとりひとりの人間性の解放とその繋がりだから。

久しぶりに、ドキュメンタリー映画 『アマンドラ!希望の歌』(2002年)を観たくてたまらなくなり、注文した中古DVDとどいた。地の果てまでの群集が、歌いながらダンスステップを踏み、少しずつ近付いてくる「トイトイ」。その迫力に武装した白人兵士たちが逃げ出すシーンがあったような気がする。それが観たい。(2002年のドキュメンタリー映画だから予告編とか動画アップがなくて、ここで映像が紹介できないのが残念。)



The personal is political 

この社会世界の中で自分が受けたすべての感情や感覚、そして個人的体験を、社会と個人の関係としても理解していくこと。それが自分を自由にする。まずは自分が生きる歓びと全ての感受性を手放さないこと。感情や体験と社会構造への理解が繋がったとき、いろんなことが見えてくるんだろうと思う。
「音楽や文学に政治を持ち込むな」なんてタワゴトだ。権力に擦り寄る連中のお決まり文句だ。人間の権利や文化への理解が全く無い彼らは、このフレーズに使われている単語の一つひとつの背後に広がる概念や存在意義をなにも理解していない。

表現や芸術の作品、そして自らの生活から文化に昇華させていく時、作品が生まれる。人と直接に交し合わなくても、作品は作者も知らないところで受け手と交感し、受け手の思想と感性を その個々人のうちで発展させ続ける。なにも作品を生み出していない人であっても、生活の中で出会った人を変えてしまうチカラを持っている人もいる。そういう人はその人が信じている何かを確実に発信している、一人の表現者だといえるだろう。


最近、「風の谷のナウシカ」原作を数年ぶりにきちんと読んだ。これまで、何度も読んだのに意味が分かっていなかったことがいろいろあったが、この度は理解できたように思い、感じるものがあった。何度も読んでいたのに、発見ばかりだった。(大学で環境問題を学んだときに、先生がこの原作を読むようにいつも薦めておられたなぁ。)

不朽の作品であることは言うまでも無いが、私自身が平均的寿命まで生きられるとしたら、人類の限界に今より更に直面することは確実である人間の一人であるわけで、そういう自分が、今現在をどう選び、生きるのか。改めて考えさせられている。
本物の作品には作家の思想と魂が込められている。受けとめられるか自分は試されていると感じている。宮崎駿さんの思想がつまった作品を享受し続けてこれた世代の一人として、自分は何を次世代に受け渡していけるだろう。

それにしても、ナウシカ原作の あの壮大な世界観に矛盾しないで、むしろあの世界を表現しきった音楽をつけた久石譲さんの凄味を、改めて痛感した。いい曲が多いから、ちょっと彼の凄さに文字通り耳慣れしすぎて甘く見てた。ナウシカは映画があるから、原作が音と色彩をもって自分の内に入ってくるのだろうなとしみじみした。音楽やアニメーション(動画)、漫画、色彩、それぞれの強みがある。作品をつくるにしても、暮らしの中で作品を受けて感応していくにしても、感想をシェアすることも、ひとりでしかできないこと、誰かとしかできないこと、みんなでないとできないこと、それぞれにあるのだと思う。

最近いろいろ一人考えていたけど、表現・芸術の思想の重なりや連なりに希望を以前よりもっと抱けているようにも感じる。
現実社会の煮詰まりは更に加速されてきている。いいものと恐ろしいものの二極化が著しい。国際情勢も戦争と平和、それぞれを求める力の境界というか、軋轢をすごく感じる。日本政府は途方もなく逆行し続けているし・・・。

時代の激しい流れにさらされ、どうにも疲れやすい。絶望の闇と希望の小さな光の粒が、混ざりに混ざっている。

公害の時代から核戦争の恐怖、東西冷戦を経て 生み出された「風の谷のナウシカ」原作。どんな悲痛な絶望の世界も、生きようと呼びかけ続けたナウシカの物語。原作の再読を大切な友人が今、薦めてくれた理由が、なんとなく分かる気もする。

外界と自分の内のバランスを模索しつつ、自分もどこかで苦しんでいる人も少しでも愛と自由に近づいていける生活/表現を目指したい。



2018/06/16

バジルの枝からアイヌモシリに。

新鮮なバジルが多めに安く手に入ったので、久しぶりにタイの料理のガパオ(バジルいりそぼろ炒め)を作った。

バジルの茎が硬かったので、葉っぱと花をとって、それぞれ料理したんだけど、その茎を何気に軽量カップに挿してみた。
そうしたら、ふいに、故・砂沢ビッキさんの作品を近江八幡のギャラリーNO-MAで昔 観れたことを思い出した。懐かしくなった。

(あ、下記URLページの左上のこの作品ですね。バジルの枝から、これを思い出したのです。http://bikkyatelier3more.wixsite.com/atelier3more/no4

この近江八幡の展示で、ビッキさんの写真集が閲覧用にあって(彼の作品も、そうだけど、彼自身を写した写真集だったんだけど)
これがどうしても欲しくて写真を撮った写真家の甲斐敬章さんに電話して問い合わせたものなぁ・・・。
(ギャラリーで買ったポストカードセットのケースにに問い合わせ先が書いてあったから。「もう手元にも1,2冊しかなくて譲れなくてすみません」ということだった。いまも残念。)


アイヌモシリ(北海道)の旭川より北にある音威子府に、彼の記念館がある。いつか必ず行きたい場所。
◆砂沢ビッキ記念館 アトリエ3モア (冬は雪のため行けないので閉館らしい。)
http://bikkyatelier3more.wixsite.com/atelier3more



アイヌ民族の木彫り師の方たちの伝統的な作品や生活のための民芸品の美しさや気高さ、力強さに加えて
彼は、芸術家として生き物の魂や風の形を木彫や絵や文章で現し続けた。
いのちの艶かしさを果てなく自由に、そして官能的に解放している。

ビッキさんの絵がプリントされてるTシャツも13年くらい着てるけど、洗濯するときはネットに入れるだけじゃなくて、いちいち裏返して洗おう。だいじにしよう・・・・ とか考えてたら、

久しぶりに大好きな歌を思い出した。

塚田タカヤさんの「森の人よ」だ。


「森の人よ」
作詞作曲、歌 塚田タカヤさん  


  俺は想う わずか200年前のこと
  あたりは全部 原始の森だ
  川は流れる その流れのままに
  谷をわたる風 青い青い空だ
  想い巡らせてごらん その頃のおまえの人生を
  深い森に生きる あのなつかしい日々を

 *Yeh Oh 森の人よ Yeh Oh 森の人よ
   Yeh Ah 森に住む人よ Yeh Ah 森に住む人よ

  祈る男たち 踊る女たち
  森をぬけて 歌う声が聞こえる
  俺は夢見る はばたくシマフクロウよ 
  夜空に響く オオカミのうたよ
  思い巡らせてごらん 何千もの鹿たちの群れよ
  あそぶヒグマたちよ わらう子供たちよ

 *repert

  思い巡らせてごらん 殺された多くの魂よ
  本当の自由よ 本当の平和なときよ

 *repert



2005年頃、この歌に支えられて仲間たちに連れられて成人してから初めてアイヌモシリに行った。「北海道」をアイヌモシリだと認識できてから初めての旅だった。(最初っていっても、それ以来いけていないけど。)
いろんな土地で、集落があった場所が森になっていたり、アイヌ民族のお墓が大学の敷地の中で「縄文人遺跡」とされていたり、公園になっていて全く分からなかったりした。北大の中にある骨が囚われている安置所は、なんの立て札も看板もなく、表からは全く分からなかった。旭川でもとてもお世話になった。私は全くお手伝いしていないのに、出来たばかりのチセ〔家〕に入れてもらったっけ。

生き証人の方たちに労力と時間を割かせて、現場を案内して頂いたことを思い出す。たいして学びもせず飛び込み、疲れきった方たちに語らせ続けることを強いていて、それに慣れきっていた。無知で無恥なことも知らない若い自分。

二風谷にも、みんなでヒッチハイクしながら行った。(見も知らない私たちをご厚意で乗せて頂いたのに、疲れてうっかり車内で眠ってしまったどうしようもない自分だったけど・・・。私とぺアになった仲間は災難だったわねぇ・・・。)


もう20年ちかく前になるけど、2000年の秋、高校3年生だった私は大学の入学前テキストで、やがて恩師になる人の文章から生まれて初めてアイヌ民族の存在を認識した。まだインターネットが身近でない時代だったけれど、たまたま高校の選択授業でパソコンでインターネットをして何か調べて感想文を書けというのがあって、アイヌ民族について知りたいと思い検索した。
そして、「アイヌとシサムのウコチャランケを実現する会」のホームページに行き当たった。アイヌの聖地の一つである二風谷に造られたダムについての裁判の資料を公開していた。ホームページに掲載されていた貝沢正さんと萱野茂さんの裁判での陳述を、 声をあげないように泣きながら読んだのを覚えている。(このサイトはもう無い。)

貝沢正さんの息子さん、貝澤耕一さんは今も森を育てるために木を植えておられる。
NPO法人 ナショナルトラスト・チコロナイ http://uwamuki.com/kinobunka/j/kikou/2005.12.21/kaizawa.html

1999年7月10日に九州大学で行われた講演録http://www.design.kyushu-u.ac.jp/~tomotari/kaizawa.html


歴史を学びなおし、過酷な現在を認識し、自分の立ち位置の責任をうやむやにせずアイヌ民族のシサム(よき隣人)にいつかなれたらと、諦めず願い行動できる自分になっていきたい。

この国家によって全てを虐げられてきた全ての民族、すべての人々。今を生きる方たちと関係を紡いでもらえるような自分を生きたい。

私自身に何もできなくても、それでも
自分の暮らしの中で、昔に出逢わさせて頂いた方たちとの時間や体験と心のうちで出会いなおしていけたら、それは改めて感じ取り、学びなおす機会になるかもしれないのだ。自分次第なんだ。どんなに素晴らしい経験をさせてもらっても、忘れてしまっては、それは忘恩になってしまう。あの方たちが苦痛を経てしか受け渡されなかっただろう証言の数々。亡くなられた方も多い。この方たちが命を削ってまで若かった自分に受け渡したかったものは何だろう。

私の受けてきたものを思い出し、考え続けていく責任が私にはある。そのことを改めて実感した。
お世話になった方にお礼を述べられるような近い存在でもない自分だけど、敬愛する皆様の無事を祈りながら、その思想のカケラをいつか受け継いでいけたらなぁ。真摯に。でも柔らかく。



アイヌ語:ウコチャランケについての萱野茂さんの言葉。
ウ=お互い コ=目的 チャ=言葉 ランケ=降ろす

お互いの目的のために言葉を降ろす・・・。

人の魂を傷つける凶器としてではなく、人と人の間を繋ぎ 生命の輪を廻し続けていくための力を持つ言葉。
何を目的にして言葉は発されるのか。その目的を成就するには、何を守る必要があるのか。

自分はどういう言葉を発しているのか。何を目的にして相手と話しているのか。なぜ、今も稚拙でしかなくても書いて公表するのだろうか。

もっともっと思索を深くするために、学ぶこと、新しく感じることが必要な気がした夜だった。
感謝です。
アイヌモシリに心を向けて眠ります。今夜はもう遅いから明日以降、本棚にある絵本『イオマンテ -めぐるいのちの贈り物』(パロル舎)を読むつもり。たのしみ。

書いたものを読んでくださってありがとうございました。おやすみなさい。
2018/06/14

金敏基(キム・ミンギ)さんの歌から

いつも見に行かせてもらうブログで金敏基(キム・ミンギ)さんという方の歌が紹介されていました。

「常緑樹(荒れ野の青い松のように)」という歌でした。とても素晴らしい。歌も歌声も深くて。海のよう。



常緑樹
(荒れ野の青い松のように)  キム・ミンギ


野に立つ青い松を見よ
見守る者とてなく
風雨にさらされ
吹雪に打たれても
この世の終わりまで
青々と繁る

悲しみと痛みに満ちた過ぎし日
二度と再び
戻ってこないように
汗を流そう
目を覚まそう
荒れ果てた野に立つ松になろう

たとえ我らの持てるもの少なくとも
手に手をとり
涙を流し
我らの行く道
遠く険しくとも
うちやぶり進もう
必ず勝つのだ

(『キム・ミンギ 韓国民衆歌謡の「希望」と「壁」』より)




この歌をきいて、「朝露(アチミスル)」という韓国の民主化闘争の中で歌われ続けている歌を思い出して、うろ覚えしたのを歌っていた。楊姫銀(ヤン・ヒウン)さんという女性が歌っていたというのは覚えていたのだけど。

1975年に軍事政権下の韓国で理由も不明なまま「禁止曲」にされ、歌った人は有罪にされ、それでも抵抗運動の中で歌われてきた歌。(『放送禁止歌』(森達也さん、光文社 2003年)という本で、触れられていて初めて知ったような気もするけど、読んだのももう15年くらい前だから、はっきり確かめてない。実際に私がこの歌を初めて聴いたのは、沢知恵さんのコンサートが初めてだった気がする。)

10年くらい前、韓国・朝鮮 語を教えていた友達にもらった「朝露」の楽譜と歌詞のコピー紙をもらえて、誰に聞かせるわけでもなく、ただ歌いたくて練習してたなぁ。
(『旅の指さし会話帳⑤韓国』の間に挟まっていたなぁ・・・。まだあるかな?と思って、いま本棚みたら、あった~!そうそうこれで練習してたんだわ。だから少し歌えたんだなー。)


昨晩、「朝露」の歌詞の和訳と よみ(日本語発音表記)をインターネットで探したら、「朝露」を作った人が、キム・ミンギさんだったんだってことが分かった。

それを、知った瞬間 なんだか言葉にならない感動と嬉しさがひろがった。



作詞作曲:金敏基(キム・ミンギ)さん
歌:楊姫銀(ヤン・ヒウン)さん

「朝露(アチミスル)」



「朝露」歌詞/가사

きんぱM ちせうご ぷRいMまだめちん
긴 밤 지새우고 풀잎마다 맺힌
ちんじゅぽだとこうん あちMいすRちょろM

진주보다 더 고운 아침이슬처럼




ねまめそるみ あRらり めちRって
내 맘의 설움이 알알이 맺힐 때
あちMとんさねおRら ちゃぐんみそるR ぺうんだ

아침 동산에 올라 작은 미소를 배운다.

てやんうん みょじうぃえ ぷRけ っとおるご
태양은 묘지 위에 붉게 떠오르고
はんなじぇ っちぬんとうぃぬん なえしりょにRじら
한낮의 찌는 더위는 나의 시련일지라.

ないじぇ かのら ちょこちんこぁんやえ
나 이제 가노라, 저 거친 광야에.
そろうM もどぅ ぽりご ないじぇかのら
서러움 모두 버리고 나 이제 가노라.

◆以降繰り返し



歌詞 和訳(李政美さん/이정미版)

長い夜を暮らし草葉に宿る
真珠より美しい朝露のように

心に悲しみがみのるとき
朝の丘に立ち微笑を学ぶ

太陽は墓地の上に赤く昇り
真昼の暑さは私の試練か

私は行く、荒れ果てた荒野に
悲しみ振り捨て私は行く


(https://ameblo.jp/sonnykim/entry-12026258349.htmlより歌詞とよみを転載させて頂きました。)





画家の(詩人でもある?)
洪成潭(홍성담.ホン・ソンダム)さんの版画と詩を、京都の美術館で観て10年くらいかなぁ。
あ、これだったような??
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/notice/art-minjoong_art.htm

洪さんの作品から、民主化闘争の中の人々の想いや失われた魂の声が伝わってくる気がして、めちゃくちゃ感動した。
金さんの作る歌を聴くと、そのときの気持ちが沸き起こってくる。

今、インターネットで検索していたら、洪さん、めっちゃ活躍されているみたい!
http://www.labornetjp.org/news/2015/0725hokoku
丸木夫妻の作品に近い迫力!と思っていたら、2005年に丸木美術館で展示をされていたそう。それは凄かっただろうな。いつか作品をまた生で観たい。丸木美術館、いつかまた行きたい。光州にも。



朝鮮半島の平和への歩みを、いつまで日本社会は無視するつもりだろう。
したことの責任を認めないでは、何も考え始めることはできないのに。

たいまつが蝋燭になり、蝋燭がLEDライトのロウソク型ペンライトになって・・・。
政権を変え、国から国際関係を変えていく韓国の民衆の力。
日本でも国会前で頑張っている方、沖縄の辺野古の現場におられる方、各地のカウンターに出向かれている皆さん。
光を求め続ける彼らとどこかつながっていきたいと願う。祈りつつ、うたいつつ、歩む。




2018/06/01

【働き方改革「高度プロフェッショナル制度」】は【奴隷化】





記事:
高度プロフェッショナル制度がもたらす地獄絵図=48日間連続の休憩なし24時間労働が合法  http://blogos.com/article/298282/

竹中平蔵パソナ会長が派遣法と同様に高度プロフェッショナル制度を小さく産んで大きく育てる必要性力説 http://blogos.com/article/301013/



村山由佳さんの『風は西から』を、ちゃんと読みたいと思う。
みなさんにも読んでもらえたらと思うので、紹介します。



《内容紹介》
過労自死———。決して、彼が弱かったのではない。では、なぜ、彼は死ななければならなかったのか?
答えを探して、大企業を相手にした戦いが始まる。
小さな人間が秘めている強さを描く、直木賞作家のノンストップ・エンターテインメント!

大手居酒屋チェーン「山背」に就職し、繁盛店の店長となり、張り切って働いていた健介が、突然自ら命を絶ってしまった。大手食品メーカー「銀のさじ」に務める恋人の千秋は、自分を責めた――なぜ、彼の辛さを分かってあげられなかったのか。なぜ、彼からの「最後」の電話に心ない言葉を言ってしまったのか。悲しみにくれながらも、健介の自殺は「労災」ではないのか、その真相を突き止めることが健介のために、自分ができることではないか、と千秋は気づく。そして、やはり、息子の死の真相を知りたいと願う健介の両親と共に、大企業を相手に戦うことを誓う。小さな人間が秘めている「強さ」を描く、社会派エンターテインメント。
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大手居酒屋チェーン『山背』に就職し、繁盛店の店長となって張り切っていたはずの健介が突然、自ら命を絶った。なぜ彼の辛さをわかってあげられなかったのか―恋人の千秋は悲しみにくれながらも、同じく息子の死の真相を知りたいと願う健介の両親と協力し、「労災」の認定を得るべく力を尽くす。だが『山背』側は、都合の悪い事実をことごとく隠し、証拠隠滅を図ろうとするのだった。千秋たちはついに、大企業を相手にとことん闘い抜くことを誓う。