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2017/07/29

芸術

芸術は人を萎縮させるのではなく 解放する

坂口恭平さんの画集を手にして、アクリル絵の具がほしくなった
2017/07/24

一番こわいのは人間なのよ


 1年前、2016年7月26日未明に起きた相模原での障害者殺傷事件。
その日の夜、私は震えて泣いた。

「一番こわいのは人間なのよ」
おばけが怖いと泣いた子どもの時、たった一度だけ聞かされたその言葉が頭の中に響いていた。


失われた19人の命。
現場で生き残った傷つけられた方たち。
差別があるために、また事実をまだ受け入れられないために名前を公表できない遺族の方たち。
ニュースを通して言いようのない不安と恐怖を味わう障害当事者たち。

この社会を覆っている強い優生思想そのものを彼は体現し、殺傷した。



今日は、毎日新聞の記事を読んだ。事件で、35歳で命を奪われた女性の父親の記事だった。
https://mainichi.jp/articles/20170722/ddm/041/040/137000c

上記の記事を読んで、NHKが作った特設ウェブサイト【19のいのちー障害者殺傷事件】を、ようやく読めた。
ウェブサイトの存在を知ってはいたが、辛すぎてずっと直視できなかったが、やっと一通り見ることができた。

http://www.nhk.or.jp/d-navi/19inochi/



何よりも恐ろしいことの一つは、あっという間に社会の中でこの事件が「風化」していったことと言えるだろう。
「かわいそうだね」で終わらされ、片付けられていく。あまりにも簡単に人々は通り過ぎていく。このことは、「障害者は生きる価値がない」って思ってる人なんて実はざらにいる世界なんだということを改めて示していたと思う。

この事件は、己の中にある差別心と向き合い続けなければ考えることはできない。
こう書いている私の内にも差別は厳然とある。
立場に関係なく、私もこれを読んで下さっているあなたも、優生思想にどこかしら支配されているはずだ。誰かを差別したり、自分を追い込んだり。幼少からすりこまれたこの思想の暴力の根深さには果てが無い。

こうした差別という暴力の連鎖としっかり向き合うことは、自分の加害性と向き合うことでもある。
それはとても大変な作業だ。簡単ではない。忍耐がいるし、何より苦しみがある。
けれど、それは責任でもある。
しかし、この社会で、自らの加害性に真摯でいることが出来る人は多くはない。
誰しもが自分を悪い存在だと思いたくないからだろうか。自然と「無関係である」と考えようとする。
(日本の社会の未成熟と不誠実さはいつもここに起因している気がする。)
そういうふうに考える癖が私にもある。まずは自分自身の内側にある闇から取り組んでいこうと思う。

そして、そういう歩みは、本当に楽ではないが、いつしか志をもった誰かと共に歩める道も見えてくると思う。


この社会は、障害を持った人間とそうでない人間が意図的に分離させられ、人間としての関わりや付き合いができにくくなっている。だから想像しにくいのかもしれない。すこし前の話題になるが、バニラエア事件についての障害者バッシングも酷い。

障害者と健常者の分離教育を進めてきたのは、言うまでも無く政府だ。
子どもの時から一緒に過ごすのと分断されて生活するのでは、全く違ってくる。
(アメリカでも公民権運動以前は黒人と白人の学校が別だった。もちろん、現在 学校が統合されたから差別がたちまち解消されたわけではない。けれど、バスや学校やで分けられていたことよりはずっと人の権利は前進しているはずだ。)

優生思想を口にすることをはばからない政治家も多い。
自信を持てない人は、権力にすりよることで「自信」をつけようとし、右傾化していく。そうしたなかで、この事件は起きたのではないか。

介護現場で働く人たちの労働環境の問題や、
これは憶測であるが、犯人の人生の孤独も、殺人の動機の背景にある気がする。

どんな事件も、社会の中で起きている。だからこそ、隠蔽したり忘却したりして解決した気になるのではなく、だれかを死刑にして「解決した」と安心するのではなく、誰もが己の立場(と言っても立場は重層的ではあるけれど)の当事者であることを想い深めることが必要だ。考え続けることこそが、再びこのようなことが起きることの歯止めになる。


この文章は整理されていないし、書いていないこともあるけど、気持ちがあって書いてみた。感じていること、思うこと考えることが本当にある。
なのに、うまく言葉にならない。



ーーーーー


※以下は「19のいのち」のウェブサイトに熊谷晋一郎さんのメッセージがあり、大切と思ったのでここに引用します。
皆さんも是非ご覧ください。※

脳性まひの障害がある小児科医
東京大学先端科学技術研究センター准教授
熊谷晋一郎さん


「19のいのち」は、匿名化された障害がある仲間を、雰囲気のあるイラストと遺族への配慮をした上で、様々なエピソードで、固有名に近づけてくれました。犠牲となった19人には、1人1人に当然、毎日の生活があり、その生活の中で紡がれた物語があります。 今回の事件は、毎日を大切に生きてきた19人の物語を抹消してしまう暴力性をすごく感じました。匿名を希望する遺族がいる中で、19人の物語を伝えることは非常に難しかったと思うのですが、このサイトは、何とかして伝えようと細い道をたどるようにして実現したと思います。しかし、ここで私たちが考えなくてはいけないことがあります。それは、匿名報道を家族に求めさせてしまったのは「誰か」ということです。家族をしてそう言わしめた社会の問題として位置づけなくてはいけないと思います。

今回の問題は能力主義や優生思想などあまねく私たちを取り囲んでいる普遍的な問題としてとられることができます。誰もが明日自分が社会で不要な存在、用なしの存在になってしまうのではないかという不安をかつてないほど感じる時代になっていると思います。こうした不安は、今や中間層にも広がっています。今回の事件は、そうした多くの人が潜在的にもっている自らの不安を刺激するものでした。自分が社会から排除されたり、能力がないと方をたたかれたりするのではないかと強く感じたといえます。

被告が「障害者は生きる価値がない」と犯行動機を語った時に、「なんと惨酷なことを言うのだ」と思う一方で、では自分たちの中に、能力主義や優生思想がないのかと問い直すと、おそらく多くの人は大なり小なりにあるのではないかと感じたのではないでしょうか。仕事の中で、上手くいかないときに、自分の無能さを責めたり、他の人の能力を批評したりする自分と、どこか地続き感を感じた人もいると思います。

昨今の風潮として「本音主義」がはびこりすぎています。"本音"を声高に叫び、意見を戦わせることは、それは"正直"なことなのでしょうか。正直になるためには他人の声も自分の声にも耳を傾けることです。「19のいのち」に寄せられたメッセージは、本当に時間をかけて、正直に自分の声も他人の声も聞き、したためられたであろうとしのばれる文章ばかりです。

だからこそ、寄せられた様々なメッセージを、拙速に要約したり、何か無理やりまとめたりしないで、ただ静かに並べていただきたい。もしかしたら、これから時間がたって遺族の気持ちが変わって、ある日、犠牲者の名前が出るかもしれないし、もっと違うエピソードが書き加えられるかもしれません。正直な言葉が集まる場所、静かに声に耳を傾けられる場所であってほしいです。


19のいのちー障害者殺傷事件 http://www.nhk.or.jp/d-navi/19inochi/
2017/07/21


海へ

いつもは眺めて満足してたけど
今回は
はだしになって
足を海につけてみることに

海に入るなんて何年ぶりかしら!


とおくとおく水平線まで足を浸したこの水は続く
太陽はきらきらと輝いて水面に道をつくっていて
まっすぐ自分つながれる
光の橋のようにも見える
眩しいといったらない


すっかり日に焼けちゃったし
海から上がる時は砂で足がじゃりじゃり
やっぱりちょっとめんどうくさくなって

けだるくて
たのしくて まいったな


生きているのは嬉しいものね

そう思える自分はなんて幸せなんだろう

あの頃は暗く湿ったおふとんにくるまって ひとりで泣いてばかりいたのにな
今はここにいる



足の砂を払って 靴下と靴をはき直して
海岸を散歩していたら空に虹がかかってた

虹ははじめは短かった

けれど
時間をかけて伸びて伸びて
さいごは二重になっちゃった

帰り道、おまけにも一度みれちゃって
みんなでびっくり




時間は流れていく
とめられない
だから

今の気持ちを覚えておくための 写真をとろう

かわりばんこにも
一緒にも

たくさんたくさん

これでいつでも思い出せるさ


たからものののような一日の嬉しさかみしめて
神様へお礼つぶやいて眠る


明日がまた今日になる
どんな時間まってるのかね

またまた辛さや苦しみ孤独や絶望に落とし込まれるかもだけど
それでも誰一人欠けることなく
力あわせて心あわせて
どうか生きぬいて行けますように


遠くなってしまった大切なあの人とだって またいつか笑いあえる
そう信じて暮らしてく