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2015/12/27

所感

学校は競争と優勢思想と軍隊とをミックスした場所に成り果て
こどものひとたちは
いじめという戦争を延々と続けている/続けさせられている
(きちんとした非暴力教育プログラムを組んでいけば、いじめはなくなっていくが、それは意図的に避けられている。)

いまや
おとなのひとの世界もいじめだらけ


この苦しみが終わるとは思えないと
人生を終わらせてしまった人たちがたくさんいる

死んでしまった人は戻ってこれない
もう二度と会えない
いのちの時がとまってしまう

こどもたちが自ら命を絶つことの背景を
もっと深いところから考えないと
事態は底なしに悪化していくだろうと思う


この社会の異常さはそこここに現れていて
その理由はひとつの大きな流れから派生している

こうした流れの中、その流れに乗るのではなく、
自分はどう生きるかが 静かに強く問われている

苦境にある人、特にこどものひとたちが
暗闇の中でも未来への光を見出せるよう
自分自身も、世の中(人々)に希望を持てるように歩み
寄り添う中でその光を示せたらと希う
2015/12/22

マリリンモンロー・ノーリターン

野坂昭如さんのCD「躁と鬱」をくれた昔の友達に
多分もう、会えないけど
「ありがとう」っていいたいなぁ。

洗濯物をたたみながら、歌いながら今日も聴いてたよ。

ユーモラスな音楽と言葉。
その奥にある、野坂さんが本当に言いたかったこと。
伝わってくる。

戦争を知っている人が私たちに届けてくれたもの・・・。

《いのちが
 いのちがだいじだよ。》

《マリリンモンロー、ノーリターン》

死んだ人は帰ってこない。

かえってこないんだ。

2015/12/14

このブログのこと。

こんばんは/こんにちは。
訪問して下さったお一人おひとりに感謝します。

早いものでこのブログも10年です。
はーー。10年・・・。

どうしようもなく稚拙な
至らない考えであっても
矢継ぎ早にそれを表明し
それらを「誰かに読んでもらっている」と思わなければ
生き抜けなかった日々がありました。

それらの日々を懐かしくさえ感じる現在

何を書きたいのか
なんで書きたいのか

優しく静かに問われているように思います。

その一方で
「あんまり気負わずにやっていこう」
そう思っている自分もいます。


意味があってもなくても
私は
文章に自分の心を確認したいのです。

誰も見ていないかもしれないこのブログですが
それでも世界に開いている。
そのことは、私が文字盤をたたく大きな動機です。

ぼちぼちやっていこうと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。



                     2015年12月14日

 

2015/12/08

2015年12月8日 ある記事の感想文

ある文章をよんで共感したのでここで紹介してみる。

○グレッチェン・ケリー 「男性は知らない。すべての女性がやっていることを。」
http://www.huffingtonpost.jp/gretchen-kelly/thing-all-women-do-that-you-dont-know_b_8735974.html
(上記URLをクリックして下さい)

女性の受けている暴力を考えるとき、加害の立場の人間を「男性」とひとくくりにされるときがあるが
男性のすべての人が無神経なわけではなく、考えている人も勿論いる。
(ただ、「俺は考えている」と思っている人は残念なことに大抵だめだったりする。)
そして、逆の暴力(女性から男性)も勿論ある。
しかし、世界最大の差別といわれる女性差別は、構造的暴力としてどの社会にも根深く存在してる。

(ここでは言及しなけれど、異性愛中心主義の世界で、クィアとして生きている方たちの日常は暴力を通り越し戦場であることも考えなければならない。)

性暴力という言葉も、考え方も人によって捉え方がホントにちがう。
「そんな小さなことも?」というふうにやる側は感じても、当事者には大きな傷になることがある。
考えなしの一言が、「これが当たり前」という態度が当事者を簡単に貶める。
恐ろしいことに、人は、指先一つで他人の人生を変えてしまえる。
(大人から子どもたちへ、特に子どもに近しい大人からの性暴力の影響はほとんど表ざたにされてこない。)

誰だってすぐ加害者になってしまうからこそ、実はとても身近な暴力である性暴力について感じたり考えたりする必要があると思う。
(自分自身、いろんな人を傷つけてきているだろうと思っている。)


昔 こんなことがあった。
たこやきやの親父さんと隣りあって話していたら突然耳たぶをさわられた。かなり驚いた。
「なんでそんなことするの」と横にいた女将さん(彼のパートナー)がびっくりしてきくと、
彼は「喜ぶと思ったから。なんとなく。」とのたまった。


「喜んでいると思った」
「相手が誘った」
「そういう服装をしていた」
お決まりの文句。

加害者は自分の欲望や好奇心で、相手を自分のいいように利用してしまう。それを正当化するための文言は判で押したよう。
利用するための暴力。こうしたことを平然とやってしまう人たちは、たしかにいる。

小さな暴力の積み重ねのむこうに大きな暴力があると思う一方で、
大きな暴力の無制裁から ありとあらゆる暴力の横行が許されてしまう社会が成り立っているのだとも思う。

おばあさんたちの悲鳴と
自分のみている景色、受けてきた出来事の手触りは繋がっている。

あなたの受けてきた
誰に言えないものも きっとそうなんじゃないだろうか。

歴史はつながっている。その中で声をあげた当事者がこの世から去ろうとしている。
彼女たちの証言には、いつも「もうこんなことを誰にも味わわせたくない」とある。
今を生きる自分自身も歴史の末尾を歩いている
そのことを教えてくれた彼女たちのことを私は忘れない。