2015/11/28

2015年11月28日 雑記

自分が作ったごはんが意外とおいしいとか
好きな音楽をゆったり聴けるとか
とれてしまったボタンを付け直せたとか
大事な人から手紙が届くとか
いい写真がとれて嬉しいとか

そういうことのありがたみを丁寧に感じ取り暮らしたい。

大切なのは
小さく見えて実はあまりにも大きな幸せの、そのかけがえのなさを味わうこと。
こんなに恵まれた場所はないのだという自覚。

一瞬でかき消されるかもしれない私の暮らし。
今日のこの日を生きる。




路上で生活せざるを得ない方たちにも、寒い冬がやってきた。
家の外にもでられず、訳もわからず拘束され続けているパレスチナの人たちのことを想う。
辺野古では毎日抗議行動で命をはって闘っておられる方たちがいる。
二風谷には違法ダムがいまだ解体されずにアイヌ民族の聖地に横たわっている。
日本各地で暮らしている難民の方たちの追い詰められた現状。
学校に通うことすら脅かされている在日朝鮮・韓国人のこどもたち。
歴史の暗い闇にほうりこまれていく戦争被害者の方たちの人生。

3秒に1人のこどもが餓死する世界で、金持ちはより金持ちになり続け
そうでない貧しい人間は死ぬか兵隊になるかしかない。
兵器を使った暴力が世界各国で吹き荒れる中、世界最強の軍隊たちはいまや統合されようとしている。
「テロ」に対する恐怖から監視社会は強化されるが、「テロ」を食い止めることはできない。それに、武器を使えれば使えるほど儲けられる人々は正義を旗印にし、報復する。その泥沼は止まるところを知らないだろう。

その一方、戦争に抗う人は権力に標的にされていくはずだ。

そんなこんなで人間の世界も大変だけど、
人類が暮らしているこの星の現状も知ろうとするだけで恐ろしくなる。
「最悪の環境破壊が戦争」と大学で習って十余年。
アフガン空爆があり、イラク戦争があり、いまはシリアも大変なことになっている。

大気は汚染され、森はものすごい勢いで失われている。
真水は枯渇し、奪い合うしかないだろう未来が待っていると本で読んだ。
海は汚染水まで受けとめ、放射能を拡散し続けている。

この国は、原発が爆発したって、海水が汚染されたって、なんにもなかったような顔をしている。そんな中でオリンピックのお祭り騒ぎは東北の人たちを見捨てている象徴だと言えるかもしれない。
ただ、東北の人たちを見捨ててるんじゃない、ヒロシマ・ナガサキを忘れてるんじゃない。
国家というものは、この国の人たち、民全員を一から見捨てている。
「忘れる」どころか覚えようともしなかったはずだ。
金と権力に利用できればそれでいいのだから。

(言うまでもなく「国家」が「国」になるために首輪としての憲法があるのだけれど、いまや風前の灯。
 どうしたらいいのか・・・。)



底辺に追いやられてる人に向けられた態度は、
この社会・世界に生きるすべての人に向けられているものでもあるかもしれない。
国家権力からしても、私自身からしても。

遠く感じる人の生であっても、
それは
別の人生を生きる自分自身なんじゃないか
って感じられたらと。
そういう中で何かやっていきたいし
やっぱり何も出来ないのだとしても
想うことを止めずに祈りながら暮らしていこうと思っている。