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2019/12/19

Charlieさんのツイートから、ルノーの車のCM 紹介

Charlie@chivillain さんのツイートから知った車のCM動画。



Charlieさんのツイート、覗くたびにいいなぁと思います。


ちょうど今の時期、各地でお話されるみたいですね。行ける人いいなー。
19日 (木): Bar in 大阪 /21日 (土): Café in 埼玉/21日 (土): オフ会 in 東京/28日 (土): 本屋 in 北海道(ご参加ご希望の方はツイッターから御本人にDMを)


2019/07/06

劇団ドラマティックゆうや「もしも、ドラムが叩けたら」 紹介

劇団ドラマティックゆうや 「もしも、ドラムが叩けたら」(27分)
という舞台動画がすごい好きで4回くらい観ました。めっちゃいいです。
ご興味のある方、お時間ある方は是非。
https://qetic.jp/interview/dramaticyuya-190524/317285/

ライブハウスの音楽イベントでいきなり二人芝居が始まるっていうのも、ライブハウスに来てるお客さんがエキストラ参加的設定も楽しい。やっぱり芝居はええなーー
2019/06/19

紛争における性的暴力根絶のための国際デーに想う。

今日(6月19日)は 紛争における性的暴力根絶のための国際デー だそうです。


※紛争時の性暴力についての動画です
※フラッシュバックにご注意ください



 

 この動画をみて、旧日本軍の性暴力に犠牲になった女性たちの証言を思い出した。特に、少女時代に被害にあったフィリピンのロラ(おばあさん)たち、南京で生き残られた夏淑琴(シャー・シューチン)さんの体験を。

 沖縄でこの春にまた米軍兵士による女性の殺人が起きた。うるま市の女性殺害から何も変わらないままにまた。日本による占領統治が続いている土地で、どんな不条理も放置されていく。申し訳なさと怒りと無力感がつきあげてくる。



 先日、「精神病者」が銃を奪って逃げ、捕まったと聞いた。彼が何故 病を得たのかは知らないが、彼が自衛隊に所属していたときの体験が無関係とは私は思わない。精神障害者の一人として、警官から銃を奪って逃走できる当事者がそうそういるとは私には思えないけれど。以前、富山での銃強奪で小学校に乗り込もうとして警備員の方を殺傷し、取り押さえられた青年も元自衛官だったと記憶している。ベトナム戦争やイラク戦争からの帰還兵が戦地での心的外傷(PTSD)から精神を患いその後の人生が悲惨なものになっていった例を出すまでも無く、人間が人間として扱われない/人間を人間として扱わない空間が人間の精神に及ぼす影響は多大なものがある。軍事訓練を受けたことがあるかないか。軍隊に所属したことがある人間は、国家により人間としての一線を越えさせられた人たちであると私は思う。それまでの家庭生活や学校生活の傷が、軍隊の剥き出しの暴力性や排外主義のなかで病に転じる人は少なくないだろう。

 一般の人間でも、特に男性は比較的 腕力や権力を有していると私は考えるが、軍事訓練を受けた人間が自暴自棄になった場合は一般の人よりもさらに暴力行為を発動しやすくなるだろうと感じる。軍隊の中には殺人も含めた暴力を前提とした思考回路があり、不条理な命令が日常茶飯事とされる。そうしたストレスの中で、集団的な虐めや虐待が更に蔓延していく。 人は人として扱われない状況下の中では、誰か他者への優越性を感じる暴力や支配を発動し、自尊心を保とうとする傾向が生じやすいのだろう。 暴力を受けている人は周囲にいるより弱い立場の人間に対して同じことをすることがある。暴力の連鎖が起きやすい。

 戦争下による殺人や性暴力はそうした状況の極限であると考えられるが、現在の日本の社会もそうした極限に近づいているとも言える。日本社会のどこにも虐めが常態化し、性暴力が蔓延している原因に、過去の戦争について真なる反省や考察ができてこなかったことがあるように思えてならない。日本社会は性奴隷制度の清算も反省もないままに現在を迎え、歴史を歪曲し、現代の性暴力事件も裁けなくなっている。性奴隷制は現在も形を変え、日本社会に深く根をおろしている。性暴力を正当化する温床として。家庭の中で、電車の中で、街の中で、企業で、学校で、介護労働の現場で、日々どれほどの性暴力が起きているか。ニュースになったものだけでも溢れ返るような事例。氷山の一角が見えているだけでこんなに大きい。世代間の連鎖もあると思う。

 もし憲法が変えられてしまえば、暴力は社会の中でより強まるだろうと予測する。
現在 保障されている個人の人権はなくなると言っても過言ではないし、軍隊が正当化される。軍隊が正当化されれば、戦争も正当化される。国家権力が人を殺したり自由を奪うことが正当化される社会になるだろう。

 拳銃一丁でここまで不穏になるのに、政権が税金を投入して兵器を買いまくっていることや、自衛隊を軍隊にして戦争に突入しようとしていることに対しては、なんら気にせず平常心を保てる人がどうしているのだろうかと思う。
「自分は決して殺し殺されるような立場にはならない」と勘違いしている?自分の人権は未来永劫あるとでも?国家が守ってくれるから大丈夫? 
いや、国家権力が個人を守ることはない。利用するだけだ。国家に依存して期待しても幸せには生きられないよ。今生きる者にある権利はお上からもらったもんじゃない。先人たちが勝ち取ってきたものなのだから。 

 これまで私には学ぶ機会があり、出逢う機会があり、考えられる部分については考えられている。このことは幸運だったし、自分の力だけで考えられるようになってるわけでもない。そうした機会に恵まれないままの人もいるだろうと思う。けれど、こんなにおかしい現政権に手放しで賛同しちゃえる人が一定数いるってことがどうも理解できない。しょうもないこと一つ一つで本当に支持率が回復したりしているんだとしたら、肉屋を支持するなんとやら以外の何物でもないじゃないの。
精神を病み弱くされた人間よりも、倫理が崩壊しきった強大な権力者に恐怖を感じるほうが真っ当だと思うのは私だけか。差別抑圧を更に強化して、社会の矛盾を苦境にある人に押し付ける日本社会の虐めスタイルが心底いやだ。テレビに操縦されてるよ。
有害な政治家のせいでどれだけ好き放題されて、数え切れない人が見殺しにされているか。なにもかも、これからどうなっていくのだろう。

 戦前・戦中に人間として生きようとした人間たちが、権力者の一言で簡単に人生を奪われてきた歴史を知らなきゃならない。人が好きな歌一つ歌わせてもらえず、思ったことも言えないまま死んでいった歴史を。母語で詩を書いただけの人間を捕らえ、殺してきた歴史を。一瞬でなにもかもを奪われ、また奪ってきた歴史を。歴史的事実を権力に都合よく捻じ曲げることは、更なる災い、破滅だ。
 とにかく憲法を死守しないと。現政権をこのままにはできない。正直、何ができるかわかんないけど、今日も想いを書いてみた。
何の足しにもならないんだけど。
でも、「ここで挫けてはいられない」という気持ちを新たにした。


うん、結局そのためなんです。
誰かに訴えるより前に、自分の気持ちが負けてしまわないように、私は書いてるんでしょう。
自己満足の文章を読んでくださった奇特な方、ありがとうございました。なんとか、なんとか生きていきましょうね。

2018/05/15

赤ちゃんだった私たち



一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。 彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。 イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。
「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」
そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。
「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

     (マルコによる福音書 第9章 33節~37節)



イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。
「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

    (マルコによる福音書 第10章 13節~16節)







 『星の王子様』に書かれているとおり、すべての人ははじめはみんな子どもだった。

年をとるほどに幼い日のうちに体験したことの意味と、その重みを自覚する瞬間がある。赤ちゃんやこどものときに大人たちから受けてきた関わりが、人との関係を結ぶための基盤となっていると感じる。関わりを持たれず、愛を受けにくい状況にいる子どもたちは、愛されたくて、素直に愛を受けとめてもらいたくて、苦しむ。その苦しみを重ねた先の絶望の、その果てに、自分自身や他者を傷つけていく生き方を選ばざるを得なくなる大人になる場合がある。日本社会では人間らしく暮らせる生活や共同体が崩壊しつつあり、愛が枯渇し、暴力や差別が連鎖・蔓延している。様々な問題のしわ寄せの被害を最も受ける立場にいるのは赤ちゃんや子どもたちだ。

そして、独身であろうが妻であろうが母親であろうが、いつも決まってまとめて責任を負わされるのは女性たちで。(赤ちゃんを遺棄したり、子どもを虐待する母親の背景に横たわる日本社会の闇の深さ。この社会に巣食う性暴力の根深さに呆然とする。)

日本社会の少子化は女性のせいでも、若者の価値観の変容のせいでも無い。結婚や子育てを不可能にしている雇用の形態や経済・賃金の格差、女性差別、子育て支援がないことや、教育にお金がかかりすぎる等、福祉政策の希薄さなど言い出せばキリが無いが、とにかく日本政府の政治的責任は回避できないと私は考える。意図的な失策を棚に上げて、責任を個人に押し付ける政治家たちは言ってることもやってることも、メチャクチャだ。

悪い権力者たちが、はやく権力の座から降ろされて人間らしい人間になれますようにと祈る。力や才能は人々を支配するためのものじゃなく、人々の幸せを実現させるために与えられているものであると思う。人としての恥を無くし民衆を虐げ、支配し、私腹を肥やし続けている現政権と周辺の連中は本当にいいかげんにしてほしい!ほんとうに、いのちの敵だ。

しかし、こういう状況に歯噛みし続けることで、自分も連中に似てきてしまう部分があるから、注意して我が身を振り返らねばだなぁと、しみじみ思う。私自身も強者であり、差別者だという視点を忘れがちになるからこそ、私には主イエスの存在の再確認が日々必要だと感じる。すべての子どもは大人と対等に接せられる必要があるが、すべての子どもにとって大人は「強者」であるから、暴力や支配が発動しないように、進みながらも常に考え、自問自答し続けねばならないと思う。


政治や社会をすぐに変えることはできないが、今、自分が関わるすべての子どもたちに(すれ違う子どもであっても)、その子の存在への肯定と祝福を伝えることが大切だと考えている。目線ひとつであっても、声かけ一つでも、具体的に表現した場合、子どもたちは自分に関心を向けられたことに対して、なにか反応してくれる。そうした触れ合いから生きる力を充填されることも多い。
(親は人によって無視か喜ぶか分かれるけど。あんまり都市部でやると通報されちゃうから、こっそりやろうかな。)
すべての子どもが飢え渇かず、衛生を保たれ、脅えず、大切にされ、自由自在に表現できる暮らしができる世界が来るように希う。

子どもはいのちの未来そのものだ。愛をもって育んでいくのが大人の役目。そうやって全てのものが受け渡されていく。

自分で産んでもうまなくても、赤ちゃん子どもたちは私たちの宝。そうした生き物としての根源を取り戻していかないと人間社会は破滅する。目の前の子をしっかり大切にしていきたい。




人間が人間であるために、幼少期に何が必要かを 映画『いのちのはじまり』の映像は教えてくれている。私は映画本編は見損ねたけど、いつか観たい。公開された日本ユニセフ協会の編集映像に感謝。アップしておくので、お時間あれば、ゆっくり御覧ください。



映画『いのちのはじまり』予告1(1分58秒)

https://www.youtube.com/watch?v=yQsXMKorFoY&t=1s


映画『いのちのはじまり』予告2(2分18秒)
1と内容が違います!
https://www.youtube.com/watch?v=qOBK_TGZDfY



ふれあいを大切に(3分43秒)映画『いのちのはじまり』 から
https://www.youtube.com/watch?v=BxNVqoK04cQ

赤ちゃんは科学者(3分46秒) 映画『いのちのはじまり』 から

https://www.youtube.com/watch?v=bU7GrSdujdU&t=1s


あそびとはじぶんらしくいること(4分16秒)映画『いのちのはじまり』 から

https://www.youtube.com/watch?v=VvMWyUFJc6s


おとうさん(2分23秒)映画『いのちのはじまり』から

https://www.youtube.com/watch?v=y9C6sWpdVxo