FC2ブログ
2019/08/29

班忠義監督のドキュメンタリー映画 「太陽がほしい」

班忠義(ハンチュウギ)監督 ドキュメンタリー映画 「太陽がほしい」
https://human-hands.com/index.html




【参考ウェブサイト】
Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任
 


 中国、山西省の日本軍性奴隷被害。大娘(ダーニャン:中国語で「おばあさん」という意味)たちは亡くなっても、彼女たちの慟哭の人生は消えない。
「「慰安婦」はいなかった」と言う人は、実際にその人生を強いられた人の存在をしっかりと受けとめ、己に刻み付ける体験をしたことが無い。たった一度の人生を痛みと苦しみと屈辱しかないものにされてしまった彼女たちの存在を受けとめもせず、「政治的」な議論をするのは愚かなことだ。それは他者の人生を冒涜する行為だ。

生きていた彼女たちと会えなかった人も、映像の中でもいいから出逢い、その体験から 「日本という国は、今も尚この人たちを貶め続けるのか」という腹の底からの憤りを持たなければ、この倒錯した時代の流れで抗い続けることはできないと感じる。確固たる気概を持たなければ、歴史を歴史として保持することも叶わない社会だ。歴史はこの社会を、世界を生きる一人ひとりの認識で成り立っている。注意深くしていないと、国家や権力者の都合で簡単に塗り替えられてしまう。それが歴史の真実だと思う。

 現在の日本社会の女性蔑視、女性や子どもたちへの性暴力、DV被害、異性愛中心主義、性的人身売買の横行、性暴力が法的に裁かれない状況・・・。こうした問題の根源は、戦時中の日本軍による性奴隷制度問題の歴史的認知と反省がないが故にここまで酷くなったのだと思う。

 私の祖父は私が0歳の時に亡くなったが、戦時中はこの映画の舞台 山西省のとなりの山東省に日本軍として駐留していた。なんとか生きて帰ってきて、帰りを待っていた祖母と結婚し、翌年 父が生まれた。父の名前の由来は「戦争のない日本を」という願いが込められていた。祖父がどんな悲惨なことを体験したのか。そして、中国の人たちにどんな悲惨なことを体験させたのか。私は想像するしかない。

 日本軍の兵士として戦場に行かされなければ人を殺すこともなく、女性を襲うことのない人生を送った人が大半だったのではないかと思わされる。軍隊の中で、日々の行為の異常さ、軍の中でのストレスが占領地の女性子どもたちへの性暴力となった。日本軍は兵隊を統治するために、また性病蔓延による軍事力の低下を防ぐために女性を物資として管理する「慰安所」をつくった。(日本軍の性奴隷被害の実態は「慰安所」形式だけには留まらないが。)

 普通の人間の暮らしをするはずだった人たちが、戦争で「お国のために」と戦地に送られ、残虐に人を殺し、当たり前のように略奪をし、違和感を持たないままに強かんをした歴史。それが日本の起こした侵略戦争だ。その歴史の真実を「不名誉」だと言い「お国のために戦った人たちを汚すな」と言うのなら、そんなことをさせた連中の責任を問えよと思う。事実を隠蔽し歪曲し正当化するのではなくて、そうした非人間的なことをしてしまった・させられた人たちの魂の叫びを受けとめなければならないのではないだろうか。戦死していった人たちは皆、本当は軍神になんてなりたくなかった。そういう言葉を残した人も幼少期からの軍国教育を受けなければ、そんなことを言ったとは思えない。どの人も、ありきたりで、でも唯一無二のかけがえのない自分の人生を愛しい人たちと生きたかったはずだ。

 私の父方の祖父の兄は弁護士の資格をとって、弁護士事務所で働きだしたところを日本軍に徴収された。そして中国大陸に送られてすぐ、小隊長として切り込み隊長をさせられ22、3歳で戦死した。眉間を打ち抜かれて亡くなったらしいと子どものころ祖母から聞かされた。世のため人のために働きたいと、苦労して勉学しただろう若き大叔父の命を想う。
 祖母は90歳ちかくなり認知症が進みだした頃、「戦争が始まったとき、どんな感じだった?」と訊ねた私に、「みんな気付かないのよ!気付かないようにやるんだもの、戦争なんて!」と間髪入れずに大声で答えた。忘れられない。彼女は下町育ちで、幼少期に大正デモクラシーの頃を過ごし、若い頃 日本が戦争に突入していく時期を東京で生きた。朝鮮人・中国人への日本人自警団による虐殺が行われた関東大震災も、東京大空襲も生き延びた。
 第二次世界大戦があと半年ながければ、予科練生として戦闘訓練を受けていた母方の祖父も、フィリピン沖で船ごと沈没して死んでいただろう。母方の祖母も田舎の畦道で子ども時代に機銃掃射をなんとか逃れ生き抜いた。
一歩違えば私は生まれてこれなかった。そして、住民の4人に1人が命を奪われた沖縄戦のことを想う。

 中国に、朝鮮半島に、台湾に、シンガポールに、ビルマに、インドネシアに、フィリピンに、シンガポールに、南洋諸島の各地を侵略した日本の軍隊。「我らこそが正義だ」と植民地支配を強い、軍事力で制圧し何もかもを奪った恥ずべき歴史。それを丸ごと忘れてしまおうとし、何もなかったかのようにまた過ちを繰り返そうとする現在の日本社会。

 この国で今、最も貶められているものの一つが、真実だ。日本政府の妄言を垂れ流すテレビを信じてしまえば、私たちの国は今度こそ滅亡に向かう。いや、今、向かっていることを感じている。このままじゃだめだ。なんとかしていかなければ。

 歴史の真実は最も虐げられた人の人生にこそ表れていると私は思います。
虐げられ、世界に置いてきぼりにされていった人たちの声は、この社会ではなかなか聴こえてきません。でも、国家は嘘をつくこと、戦争で権力者は死なないこと、そして、一度きりの唯一無二の人生をこれ以上ない暴力で傷みしかないものにされた当事者である彼女たちの存在を受けとめようとして学び続ければ、歴史の真実にいつか行き着けると私は確信しています。
若き日にその体験を強いられ、生き残っておばあさんになった彼女たちの姿に、言葉に、まなざしに戦争の、人類の真実が表れていると感じます。

 班監督が20年もおばあさんたちに寄り添った貴重な時間が凝縮されたこの映画を観て、揺るがないものを培い、激流のような暴力の時代にあっても心を喪わずに生きていきたいです。





2019/06/10

備忘録:観たい映画

2019/05/27

解放と自由

漫画家のシバタヒカリさんトーチWebで読みきりが読めます。)が紹介されていた動画です。



勇気を持って踏み出した彼女たちの姿がとても素敵。
支援する/されるじゃない相互的なエンパワメント。
真なる自由と解放をもたらすのは、一人ひとりの変化。一人の変化を促すのは愛と信頼ある関係性。
すりこまれ思い込まされている抑圧から、まずは己が自由になっていけるように。
世界はすぐには変えられないけど、解放の連鎖が起きていけば一人ひとりの人生は変わっていく。社会が変わっていける可能性は自分たちの中にある。
2019/03/22

【観たい映画】『金子文子と朴烈(パクヨル)』

映画 『金子文子と朴烈』 http://www.fumiko-yeol.com/


参考記事:Chinefi イ・ジュンイク監督がまたもや世界を魅了する――禁断の歴史映画の誕生! 

必ず観るつもりでいる映画です。

徐京植(そ・きょんしく)さんの『過ぎ去らない人々 ―難民の世紀の墓碑銘』(2001年・影書房)の136ページから140ページまで、金子文子について紹介された文章を読んだのは、今から15年ほど前。私がちょうど彼女が縊死した年齢の頃でした。


「将来の自分を生かす為、現在の自分を殺すことは断じて出来ないのです。私はね、権力の前に膝折って生きるよりは寧(むし)ろ死んで飽くまで自分の裡(うち)に終始します。」
「私は日本人ですけれ共、日本人が憎くて憎くて腹のたぎるのを覚えます。私はその時ただ目に反射されただけの出来事は、大きな反抗の根となって私の心瞳に焼き付けられて居ります。」

という文子の言葉。

わたしは今、捕らえられているわけでなく、殺されることも自分で死を選択しきることもなく36歳になろうとしています。彼女が生き延びられなかった時代を想い、またそうした状況を繰り返していこうとする日本社会で暮らしていると実感します。まだ今の時点では、社会と切り離されずに愛するひとたちと暮らせていることを幸運に思っています。 安心とかはしてなくて、いつ何が起きてもおかしくないから、「まだ、今は」という気持ちです。今の自分の人生にある幸福について、少しでも感じ取り、かみしめて暮らそうと努めています。(環境も社会も崩壊寸前で、文字通り薄氷の上に暮らしていると考えていますし、私には「精神障害」があるので、自己決定できない境遇に閉じ込められることもあるという認識でいることも背景にあると思います。)


闇が迫っても、まだ光があります。
かすかであっても、今は光に目を向けて歩むことができると信じています。
主イエスの御言葉にもあるように、光のあるうちに光の中を歩まなければなりません。夜が来る前に。
だからこそ、日本帝国の支配と抑圧のなかで、迫り来る絶望と暗黒の中でも命の輝きを最期まで示し、人間として生きようと闘った先人たちの人生に触れ、感じ、自分のこれからへの原動力にしたいと思います。

ひとりでも多くの人と、この映画、この歴史を共有したいと願い、ご紹介させて頂きます。 

公式ウェブサイトより:各地の上映映画館 


買ったものの辛すぎて読めていなかった加藤直樹さんの関東大震災のときの日本人による朝鮮人(だけではないけど)のジェノサイドについての本『九月、東京の路上で』(ころから社)を、これを機にちゃんと読んでから観に行きたいです。
※ジェノサイドはその共同社会や民族を滅ぼすほどの大量殺害、集団殺戮(さつりく)という意味



◎追伸
同監督の『王の男』と『Radio Star』も観れて良かったです。尹東柱の映画 『空と風と星の詩人 ~尹東柱の生涯~』もホントめちゃくちゃ 観たいです!!
2018/11/29

今日はパレスチナ人民連帯国際デー

 前から紹介したいと思ってたハンダラくんのこと、今日こそアップしようと思って準備していたら パレスチナ・アマルさんのウェブサイトで今日11月29日が「パレスチナ人民連帯国際デー」であることを知りました。

 学ぶことの大切さは言うまでもないのだけど、人間はそんなに強くないから日々の生活に必死で、遠くへの意識を持ち続けることはむずかしい。だからこそ、その土地で作られたものを身に纏ったり、食べたり、生活のなかで使うことが重要になってくる気がします。遠い土地に住むひとたちの暮らしと、具体的に繋がれるお仕事をしてくださっている皆様に感謝します。

【パレスチナ支援の販売いろいろウェブサイト】
パレスチナ・アマル(Amal Falestini)オンラインショップ
 (パレスチナ・アマルさんは本日に限り送料無料だそうです。ラスト・クフィーヤの美しさをウェブサイトでご確認ください。)
パレスチナ・オリーブのウェブサイト
パレスチナ子どものキャンペーン
 パレスチナ刺繍 タトリーズ
日本国際ボランティアセンター(JVC)クラフト雑貨



 一方で、パレスチナ民衆の権利を奪う勢力のものを拒否することも大切だと思います。スターバックスには入らない、コカコーラは飲まないようにする、とか。
日本政府のイスラエル支援のODA(政府開発援助)も到底許されるものではありません・・・。自分たちの税金によって、イスラエル国家が支援されていることを恥ずかしく申し訳なく思います・・・。(イスラエルに限らず日本のODAの問題は非常に根深いものですが・・・)

暮らしの中に織り交ぜられる悪に対して、注意深くあるために学びと意識化が必要だと感じます。 最後のパレスチナ織物の工房から生み出された私のラスト・カフィーヤ、これからも大切にします。シリア産の黒のカフィーヤも・・・。



 12年くらい前にパレスチナ問題の集会で購入させて頂いた、パレスチナの人たちがつくった刺繍が美しい素敵なめがねケース(上記紹介のJVCさんの取り扱い商品でした。私は、毎朝つかう体温計をいれています。)に、イラストが描かれたタグがついていています。はだしの男の子の後ろ姿・・・。50歳で暗殺されたパレスチナの風刺画家ナジ・アル・アリ(Naji Al-Ali)が描いた、パレスチナ難民の男の子ハンダラくんです。ハンダラくんはいつも後ろ姿で描かれています。

 ハンダラくんを初めて見たとき、そして画家が暗殺されたことを知ったときは衝撃を受けました。当時知人から購入したハンダラくんのカレンダーはホッチキス留めが外れてしまった今もクリアファイルにだいじにとってあります。

【参考記事】
(1)「ハンダラ パレスチナの良心」 JVCパレスチナ現地代表 小林 和香子さん記事 2003年6月 3日 更
(2)Handhala (ハンダラ パレスチナの子ども) ブログ「愉しい寄り道」さん 2012年5月29日記事

【参考動画】(アラビア語と思われます・・・・)



ハンダラくんの原画はこちらでも観ることが出来ます。
【ウェブサイト】Hanndara.org(英語)
http://www.handala.org/cartoons/index.html

その中でも私にとって印象的だった、ハンダラくんとイエス様。
ハンダラくんとイエス様

世界が見ない振りを決め込んでも、パレスチナで実際に起きてきたこと/起き続けている現実を見続けるハンダラくん。
真実から目を背けずに、徹底的に目撃し続けるということが抵抗なんだとハンダラくんはその姿で教えてくれているように感じます。





最後に古居みずえさんの映画の予告動画を二本紹介します。

古居みずえドキュメンタリー映画支援の会 http://support-miz.thyme.jp/index.html

映画 『ガーダ ―パレスチナの詩』(2006年)予告編  


映画『ぼくたちは見た −ガザ・サムニ家の子どもたち−』(2011年)予告編


 昔、舞台に立たせてもらったときに演じさせてもらったパレスチナの難民の少年や、イスラエルの戦車に轢死させられたレイチェル・コリーさんの言葉が、いまも身体のどこかに響いています。

 暮らしのなかで、パレスチナを忘れないように想い続け、生活していくなかでの平和の祈りを紡いでいきます。いつか、誰かと想いを分かち合える何かを私も生み出していけるよう、地道に力をつけていきたいです。



2018/11/22

せやろがいおじさん 応援しまーす!

以前、当ブログで紹介させて頂いたせやろがいおじさんの別の動画を、また御紹介させて頂きます~
前回の紹介動画はこちらでございます。

今回の時点での個人的好みから、五本に厳選したものを御紹介します。
・・・うーん、五本は多いかな~。 まあ、でもいいかなーー
誰が見てくださっているか全く分からない当ブログ(閲覧者カウント無し)なので、応援になるか全くわかりませんがちょっとでも応援したいし、わざわざ覗いて下さる方と共有したい動画ばっかりだから。
相変わらず稚拙な当ブログなのですが、覗いてくださる奇特なあなた様には大感謝です。
本当にありがとございます。
というわけで、このまま載せさせて頂きますね。



ではお時間あるときご覧ください。











ブログも良いです。この記事すきだなー 
(1)せやろがいおじさん流疲れの取り方https://www.seyarogaiojisan.com/entry/2018/09/25/183706
(2)久しぶりに死にたくなった https://www.seyarogaiojisan.com/archive/2018/10/14

というわけで、稲荷屋は せやろがいおじさんを影ながら応援しまーす!





2018/10/22

ミヒャエル・エンデ 『モモ』からのワンシーン

 数日前から、数年ぶりに ミヒャエル・エンデの物語り 『モモ』を味わっている。

 下記の引用箇所は、主人公の女の子 モモが時間泥棒である灰色の男たちの働きで、友人たちを奪われ、その上 見張られ、圧倒的な孤独に置かれているシーン。



 毎日一回、モモはニノのところに食事に行きました。でも話をすることは、さいしょのときとおなじようにはほとんどできません。ニノはあいもかわらずいつもいそがしく、ぜんぜんひまがないのです。
 一週間がひと月になり、また数か月になりました。でもモモはまだひとりぼっちです。
 たった一回ですが、モモはある夕方、橋のらんかんに腰かけているとき、とおくの別の橋の上に、背をまるめた小がらな人のすがたを見かけました。その人は、まるでいのちがけで掃いているというようすで、ほうきをふりまわしていました。ベッポにちがいないと思ったモモは大声で呼びかけて手をふりましたが、あいてはちょっとの間も手をやすめません。モモはかけだしました。でもその橋についたときには、もうどこにもそのすがたはありませんでした。
 「きっとベッポじゃなかったんだ。」モモは自分をなぐさめました。「そうよ、ベッポじゃないにきまってる。ベッポの掃き方なら、あたし知ってるもの。」
 出かけずに円形劇場のあとのうちにいる日もありました。ひょっとしたらベッポが、モモがもどったかどうかを見にくるかもしれない、きゅうにそんな気がしたからです。もし出かけていれば、まだゆくえ知れずだと思われるにきまっています。でも、そうしていてもやはりおなじ心配が心をくるしめます。ベッポはるすのあいだにきたのではないか、一週間まえか、もしかすると、きのうにも!
こうしてモモは待ちましたが、もちろんむだでした。そのうちにとうとう、へやの壁に大きな字で、「かえっています」と書いておくことにしました。けれどいつになってもこれを見たひとは、モモのほかにはいませんでした。
 でもただひとつだけ、このあいだじゅうモモからはなれないものがありました。マイスター・ホラのところですごしたときの記憶、あの花と音楽のあざやかな記憶です。目をとじて、じぶんの心にじっと耳をすましさえすれば、あの花々のかがやくばかりにうつくしい色が目にうかび、あのたくさんの声の音楽が聞こえてきます。そしてさいしょの日とおなじように、そのことばをじぶんで口ずさみ、メロディーをうたうことができました。とはいえ、そのことばもメロディーも、日がたつごとにたえず新しく変わり、けっしておなじままではありません。
 モモはときどき一日じゅうひとりで石段にすわって、そのことばを語り、うたいました。聞いてくれるのは、木と、鳥と、廃墟の石ばかりです。
 孤独というものには、いろいろあります。でもモモのあじわっている孤独は、おそらくはごくわずかな人しか知らない孤独、ましてこれほどのはげしさをもってのしかかってくる孤独は、ほとんどだれひとり知らないでしょう。
 モモはまるで、はかり知れないほど宝のつまったほら穴にとじこめられているような気がしました。しかもその財宝はどんどんふえつづけ、いまにも息ができなくなりそうなのです。出口はありません!だれも助けに入ってくることはできず、じぶんが中にいることを外に知らせるすべもありません。
それほどふかく、モモは時間の山にうずもれてしまったのです。
 ときには、あの音楽を聞かず、あの色を見なければよかったと思うことさえありました。それでも、もしこの記憶を消し去ってしまおうと言われたとしたら、どんな代償をもらおうと、やはりいやだとこたえたことでしょう。たとえその記憶の重みにおしひしがれて、死ななければならないとしてもです。なぜなら、いまモモが身をもって知ったこと――それは、もしほかの人びととわかちあえるのでなければ、それをもっているがために破滅してしまうような、そういう富があるということだったからです。――

(ミヒャエル・エンデ 『モモ』〔大島かおり訳/2005年版、岩波少年文庫〕
 16章「ゆたかさのなかの苦しみ」p315-317)


・・・・・・・・・






 文学、すごいな・・・って。
心が震えて、身体にあらわれる。涙が自然と溢れたり、手が熱くなったり。こんなにも慰められる。

長くも短くもない自分のこれまでの人生の中で、最も痛烈な孤独を感じていたあの膨大な時間の期間を思い出す。

 特に子どもにむけた名作は児童書も絵本も、大人の一人である作家が、世界の美しさや希望や可能性、人間の善さ、面白さ、真理を 次世代に手渡す為のものとして選ばれた言葉から紡がれ、織りあげられた物語りなのだと感じる。

 不条理と不平等のこの星の上で、母語の読み書きも、本を読む自由も時間も、与えられている自分の現在地点。
ありがとうございますというお礼と、申し訳ない・ごめんなさいというお詫びと、これからの自分で意味を持たせられる日にいつか行き着きたいという願いと決意がないまぜになっているような胸のうち。

 ほんとうの善きことばは生き残ったわたしたちをつなぐ光、なんだ。
そういうことばを本当に選べるようになるためにも、あの孤独を時折おもいだす必要が私にはあるんだろう。


時間の花2
時間の花

 昔に撮らせてもらった蓮の花。やっぱり時間の花みたい。


 昔、『モモ』のはじめからおわりまでの読み聞かせを一人の人にずっと聴いてもらえたことがあって、その時ほんとうに楽しかった。そういう体験と歓びの記憶がある。
いつかまたやれたらと願う。 もし、できるときがあれば、未来に大人として生きねばならない、今を生きる大切な子どもたちに捧げたい。そして、『星の王子様』になっちゃうけど、子どもだったころのあるすべての人のためにも・・・。

今夜は最後まで読めるかもしれない。
穏やかに楽しみながらも、心して 大切に読めたらいいな。

神様、私と皆様の命をありがとうございます。 この世界を、全てのいのちの営みを創り与えて下さったことを、こころより感謝します。
読んでくださって、ありがとう。
風邪をひかないように気をつけて。 おやすみなさい。