2017/10/08

レイチェル・コリーさんの歌(と私が思っている歌)

この歌は私の中で、2003年にイスラエル軍のブルドーザーからパレスチナ人の家を守ろうとして、轢死(れきし)させられたレイチェル・コリーさん(享年23歳)のイメージそのものだ。



2003年の肌寒い春の休日、デモの出発地点の公園で貰ったビラに、彼女の存在をその訃報と共に知ったときのこと、今も覚えている。その頃の私はパレスチナのこと、全く知らなくて。知らないことも知らなかった。
それから幾年も経って、朗読劇に参加させてもらえて、彼女の役になって、朗読して人に聴いてもらえる機会を二度ももらった。かつての自分はまだ20代で、今よりもっと、っていうか我がことながら恐ろしく滅茶苦茶で、周りの人にはめいいっぱい迷惑をかけた。今思い出すと心底 恥ずかしく情けなく、身体が冷えてくるくらいに申し訳ないけれども
でも、そうした機会を与えられたことを、かなり長い時が経った「今ここ」で、しみじみ感謝している。

脚本に書かれたレイチェルさんが生前にパレスチナから母国に送ったメールを繰り返し一人、部屋で読み込み、考えては声に出し、泣いてしまったりしつつ、そうして彼女と自分なりに向き合えた時間が、今これといって特に何もできていない私なんかの中にも大切な光となっているんだと思う。

当時 訪ねた朝鮮学校の子どもたちの笑顔と、レイチェルさんが出逢ったパレスチナの子どもたちのイメージが重なったりして読んでいたのも思い出す。あの朝鮮学校の子どもたちは、高校無償化から外されたリアルな世代として大きくなったんだろう。こんな社会で申し訳なく、私自身は何も変えてこられなかった。本当にごめんなさいという気持ちでいる。うまく言葉にならない。


そういう経験もあって、会ったこともないけど、私にとってレイチェル・コリーさんは特別な人だ。
この曲は、ジュエルという人が作った歌なんだけど、何回きいても、何年経っても私にはレイチェルさんからのメッセージに聴こえる。
この極限に突き進む世界の中で生きていく、その勇気を与えてくれる。

人は死んでしまっても、生き延びている人の胸に生きてくれることがあるんだって改めて感じる。
音楽は、歌は、時空さえ時に超えて、そのことも伝えてくれる。

人間の生き方の響き合い、表現は、魂のリレーみたいなものなのかもしれない。
天国にいるあの素敵な人たちに渡されたバトン、しっかり握り締めていかなやねぇ。





世界に向けてひとこと言えるとしたら
こういうわ 私たちは大丈夫
心配しないで
心配なんてするだけ無駄だし、こんな時代にはなんの役にも立たないもの

私は役立たずにはならない
絶望して投げやりにはならない
信仰を拠りどころに気持ちを引き締める
闇がもっとも恐れるのは光なのだから

私の手はこの通り小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない


黄金の靴をあなたから奪った貧困も
あなたの笑い声までは奪えなかった
私のもとを訪れた傷心も 
永遠に続くというわけじゃなかった


私たちは闘う
悪意からではなく 正義のために誰かが立ち上がらねばならないからよ
声なき人がいるのなら
みんなの声を合わせて歌いましょう

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない

結局 やさしささえあればいい
結局 やさしささえあればいい

私はひざまずいて祈る
私はひざまずいて祈る
私はひざまずいて祈る

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない
私たちは決してくじけない

私たちは神の目
神の手
神の精神
私たちは神の目
神の手
神のこころ
私たちは神の目
神の手
神の目私たちは神の手
私たちは神の手


   「ハンズ」 (ジュエル『スピリット』三曲目 対訳 内田久美子さん)

Hands(Jewel) 

If I could tell the world just one thing   
It would be,we're all okay   
And not to worry   
'Cause worry is wasteful and useless   
In times like these   

I won't be made useless   
Won't be idle with despair   
I will gather myself around my faith   
For light does the darkness most fear   

(Chorus)
My hands are small I know   
But they're not yours,they are my own   
But they're not yours,they are my own   
and I am never broken   

Poverty stole your golden shoes   
But it didn't steal your laughter   
And heartache came to visit me   
But I knew it wasn't ever after   

We'll fight,not out of spite   
For someone must stand up for what's right  
'Cause where there's a man   
who has no voice   
There ours shall go singing   

(Chorus)
My hands are small I know   
But they're not yours,they are my own   
But they're not yours,they are my own and I am never broken 


In the end only kindness matters   
In the end only kindness matters   

I will get down on my knees,and I will pray   
I will get down on my knees,and I will pray   
I will get down on my knees,and I will pray   

(Chorus)
My hands are small I know   
But they're not yours,   
they are my own   
But they're not yours,they are my own   
and I am never broken  

(Chorus)
My hands are small I know   
But they're not yours,they are my own   
But they're not yours,they are my own   
and I am never broken   

We are never broken   

We are God's eyes  
God's hands   
God's heart   
We are God's eyes   
God's hands   
God's heart   
We are God's eyes   
God's hands   
God's eyes   
We are God's hands   



(20120924)

私信:あの頃、このアルバムをプレゼントしてくれた大切なあの人に、ありがとう。
2017/10/07

辛さんの選挙応援演説の映像をみて選挙に思う。

辛淑玉(shinsugok)さんの応援演説、すごかった・・・。涙がでた。



それで、池内さんの演説もきいた。


正直、共産党に対してネガティブなことも、思ってないわけじゃなかった。
けど、こういう人もいるんだなって。新しい動きもあるんだなぁって。

考えてみれば、共産党、社民党が、頑張ってきてくれたから、まだ今、民主主義とか権利とか社会保障があるわけで・・・。
闘ってきてくれた皆さん、先人たちに感謝しかないなぁって思った。

そして、今、共産党は、ずっと頑張ってきた自分の党の候補者を下ろしても立憲民主や無所属の候補者に譲って、本当に憲法を変えさせないための野党共闘を実現しようとしている。共産党の今は、私の共産党観を塗り替えた。辛さんの言うように尊敬できる政党だと思う。


いまここで諦めたら、ほんとうにおわりだものね。
共産党、社民党だけじゃなく、立憲民主も無所属も、憲法を死守するために身体を張っている皆さんを、私は心から応援します。
議員も、その人のために頑張ってきている無数の人々も。生活の中で、時間も体力も消耗して、そのために身銭もきって。ほんとうに、すごいことです。

(20171010追記/こちらの記事も紹介します。
「二大政党制は幻だったのか。民進党が解体された今、枝野幸男氏に聞いた」2017年10月09日

http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/09/edano-san-interview_a_23236977/)



国家という戦争がしたくてしたくてたまらない化け物をつなぐ、鎖であり首輪である憲法。
人間の暮らし、いのちの世界を滅ぼそうとしている連中の好き勝手にさせたくない。
不正をごまかしたり、軍人の格好をして喜んでいる人々に政治は任せたくない。

私は一票あるから選挙に行く。
選挙権がない人が少なくないこの国で、私は選挙権を持っている。
重い一票。
人類がここまで来るまで、女性が有権者になるまで、どんだけ闘ってきたんだろう。
ここから、また勝ち取っていくために積み重ねていく役割がこの世代にもある。

当たり前は全部がぜんぶ当たり前じゃない。

そのことに、改めて気付き、それぞれの場所で自分なりに立ち上がる。
誤解されても、持ち場で自分の言葉と行動で、伝えていく。今がその時だ。
2017/10/03

教訓Ⅰ

かなり久し振りに聴いた。しみじみする。



死んで神様と言われるよりも生きてバカだと言われましょうよネ
2017/10/01

ことば

飽きもせず殺し続ける圧倒的な世界に
わたしたちは感性ひとつで向かい立とうとする

ことばは天から与えられた人間をつなぐ光

詩を生きるわたしたちのことばは いのちの流れを汲むものでなくてはならない




確かに忘れていることがある

小さな哲学者たちがこれまでどれほど簡単に空高く旅立っていかねばならなかったか
慟哭の人生を歩んでこられた先達たちが羽虫のように殺され
子を守ろうとする大人たちの決意が打ち砕かれ続けてきたか

そして
それが今もなお終わりなく繰り拡げられているこの地上の現実を


先の大戦すら まともに振り返ることも出来ず
国は正当化という嘘を塗りたくり重ねる

下っていく急な坂道は既に奈落に近い現在地
けれど平穏に見えてしまう 今日という日


身を任せるな
立て

誰に知られずとも 声をあげずとも
立て

歯を食いしばり立ち上がり
無残な世界をやはり変えられない無力を憶え
それでも美しいこの世界を歓び讃えよう

暮らしのなか紡がれた思想は ことばとなり放たれる

ことばは 
ほんとうの善きことばは
生き残ったあなたと私をつなぐ光






2017/09/27

希望?

暗澹たる気持ち。絶望しそう。

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追記 2017.10.3
 あー やっとすこし這い上がってきました。気力体力つけてかなきゃですね。騙されないで、最善の道を。ファイト!
2017/09/18

神様

キリスト者として生きようと決意して6年。
洗礼を受けて今年のクリスマスでやっと4年。
こんな暗黒の世界で、イエス様、神様なしに私はとうてい生き抜けないと本当に腹の底から思います。

昨日の朝のニュースによると、国会は解散し選挙となるようです。
朝から恐くて、憂鬱で、しんどい気持ちになりました。
憲法破棄や戦争や核武装のカウントダウン、いよいよ始まったなぁって思って。

どうしてなんだろう。なんで彼を選び続けるのかな。
森友も加計学園も、膨大な税金を私物化して開き直って、証拠なんてありませんって言い張って通ってしまって。戦争時の帳簿や資料を焼いて無かったことにしようとした数十年前と変わってない。変わってないどころか、もっとひどい。繰り返していく罪は初犯より重いよ。権力の酷さは言うまでもなく、それを許してしまうこの社会の現在地が酷すぎるよ。
教育勅語を子どもたちに叫ばせて、その子どもたちが日本の社会の中枢にエリートとして送り込まれていく。そういうところに、にわかには信じられない巨額の税金が何の審議もされずに、つっこまれてきたわけですよねー
この構造の、意図の恐ろしさが分かる人って そんっなに少ないの???

ヘイトクライム(憎悪犯罪)が実体化している暴力レベルのこの国の未来は、あまりにも闇と直結している。
現実の悪化振りは伸びきった輪ゴムなんてとっくの昔に切れていて、急な坂道をいつまでもいつまでも転がり落ち続けていく様だ。底がない。また行き着くところまで行くつもりか。打ちのめされる。

私は戦争はいやだ。原爆の被爆国の上に、原発も爆発させて、その上の核武装なんてホントに勘弁だ。したくない。
これ以上 人が死んでいったり殺しあったりするのはいやだ。NO MEANS NO!

過ちを繰り返してまた大儲けしたいの?領土を拡げたいの?もういいじゃない。もうごめんなんだよ。いい加減に足るを知れよ。

神様が望まれている世界は、隣人を大切にし、人がお互い愛し合う世界。

自分から小さな小さな歩みでも実現していかなきゃならない。
イエス様が全ての人の内に生きている。その力を解放できる人が増えていけば、世界は動く。希望は私たちの歩みにある。
なるべく笑いも音楽も忘れずに。まずは自分から始める。自分が変わっていき、示す。それしかない。
ほんと、それしかない~~

これを読んで下さったみなさんのそれぞれのミッションに御加護がありますように。
どうか悪から守られますように。祈ります。それぞれの場所で日々を生きていきましょう。






どうすればあなたのいのちを届けられるでしょう
どうすればあなたのいのちを伝えられるでしょう
愛の冷えた世界で 暗闇に沈む人々に

ここにいます 用いて下さい すべてを捧げ行きます
心を癒すあなたの愛が人々を満たすまで






落ち込んで心が疲れているとき 困難に見舞われ 心が重く感じるとき
私は静かにここで待ちます
あなたがやってきて 私のそばに座ってくれるまで
あなたが支えて下さるから 私は山の頂に立てる
あなたが支えて下さるから 私は荒れた海も渡っていける
私は強くなれる  あなたが支えて下さるから
あなたが支えて下さるから私は自分以上の自分になれる








Glory Glory Hallelugah
愛は生きること
わたしがわたしであることを願いながら
心の中にある神様の言葉が
祈りの唄になりあなたに届くように
2017/09/16

とにもかくにも

ちょっと落ち着こうって。
怖がってる人って、不安になっちゃって考えられなくなって、こわいことしかねないからさ。
まず落ち着いて、追い詰めないように、追い詰められないようにしていこうよ。
ありとあらゆる情報を駆使して、みんなを怖がらせて何かしようとさせてる連中がいるよ。
私たちにとりかえしのつかないこと選択させようとしている。
煽ってるの、だーれだ。

2017/08/28

歴史家ハワード・ジン氏の講演映像

いつも覗かせて頂いているブログhttp://kokousa.exblog.jp/で見た、歴史家のハワード・ジン氏の講演映像を紹介します。
湾岸戦争が始まった時のバーニー・サンダース氏の演説映像ぐらい痺れました。
ので、またまた転載させてもらいます。

長いけど、一見の価値あり。頭と胸がすっとする。
この講演はオバマが当選した直後のもの。しかし今の大統領はトランプなんだ、よね・・・。

日本がこれからどうなっていくのか、とか
私たちがこれからどう歩んでいくのかに非常に大切なことがつまっている講演だと感じます。









2017/08/15

10年前に作った詩

八月を想フ ‐緑色の服を着たおばあさんへ


もういろんなことを忘れてしまったおばあさん。

一筋の記憶を受けたのか 突然、つつと語りだした。

   私は竹やりの訓練をさせられたの
   東京の品川で
   アメリカ人の捕虜を本当に連れてきてね、竹やりでつつく練習をさせられた
 
   敵だと言ったって、同じ人間じゃないの
   そんな酷いこと・・・
   とっても私はできなくてね、
   つつく真似をしたら、捕虜がこっちを「いいのか?」というように
   顔をみてうなずいてね。
   私がうなずいて、「いいから早くあっちへいけ」って顔で示したら
   痛がる真似をしてあっちに行ったんだよ

   でも本当につついている女の子もいたよ
   どうしてあんなことできたんだろうね
   戦争なんて酷いもんだよ

   学徒動員っていうものあってね
   流れ作業
   私はぐずだから、私のところで仕事が溜まるんだ
   そしたら憲兵さんが怒って叩くんだよ
   ピシーッピシーッってね、鞭で
 
   でも、今から考えたらどうしてあんなことしなきゃならなかったんだろうか
   本当に戦争に勝てると思ってたのかしら
   ねぇ?

   あのころは朝も昼も夜も関係なく
   B29が飛んできたよ
 
   となりのお兄さんが兵隊さんになる前に
   「うちの上で飛行機の翼をこう振るから見てなよ」と言ってね
   見ていたら本当にやったんだ
   こう、翼をね

   その人は、それからもう帰ってこなかった
 
   戦争って本当にしなくちゃいけなかったんだろうかね
   
   ね

 

おばあさん。
おばあさん。

これは全てを忘れても、残された記憶なのですね

60年たって、ほとんどの出来事を忘れてしまって
生活の動作すら空に溶けてしまった

なのに
あなたはその問いを捨てられない
その問いから逃れることはできなかった


あなたが23歳の娘だったときに、先の大戦は終わりました

60余年の年月がながれ
24歳の私は
ある場所で偶然に、白髪のあなたと出会いました


終始モグモグしていた口から、突如はっきりと紡がれた言葉たち


それは、あなたの人生で最も過酷な、
そして思い出深い体験だったのですね

そのことを語ったことも、覚えていたこともあなたは知らない

でも、私はその記憶を忘れないように努めます

あなたの問いから未来を選びだせるように

どうかいつまでもお元気で居てくださいますように
 そうお祈りしています
 














(2007 0510)
2017/08/15

2016年8月15日 敗戦の日に

昨年の今日に書いた文章です。



今日、8月15日。

日本がしかけた戦争に負けをやっと認めて発表した日。
誰が、何のためにあんなにも殺されなければならなかったのか。
人を殺したのか。殺させたのか。

フィリピンで日本兵の銃剣の上に放り投げられ、突き殺された赤ちゃんを見たというかつての少女に私は出逢った。かつての少女たちは、自分があまりにも幼いとき、日本兵の性の奴隷にされたと私に話して下さった。

中国の南京にて、家族のほとんどを惨殺され生き残ったという少女が おばあさんになって、日本に話しに来て下さったことがあった。彼女は、一緒に暮らしていた赤ちゃんが、日本兵により壁におもいきりなげつけられ殺されるのを見たと話しておられた。

日本の兵隊に召集され、戦争が終わったら、こんどはシベリアに抑留されたという韓国のおじいさんのお話を、12年ほど前に確か大阪で聞いた。

日 本軍に性奴 隷にされた台湾のおばあさんが被害を証言をされているとき、様子を詳細に思い出し話しながら、ふと上を向いた目線を忘れられない。その目線の先には天井から部屋の中を覗き見ていたという、何人もの兵士がいたんだろう。そのおばあさんも亡くなった。

5歳の時、ヒロシマで被爆されたオモニ(おかあさん)。
その人の息子である金さんは被爆二世だった。ほんとうに細い人だった。出逢い分かれた数日後亡くなった。まだ30代前半だった。

植民地支配や強制労働のなかで、身体を弱め、ハンセン氏病にかかり、殺されたり隔離されたりした人たち。
どうして、ずっと閉じ込められなきゃならなかったのか。(戦後の話になるが病気の妻の死に目に会わせてもらえなかった人もいる。)

東京の品川でアメリカ軍の捕虜を使った竹やり訓練を、23歳の時に実際にさせられたと話す日本のおばあさんと出逢えたのは、私がまだ20代半ばのとき。すこし認知症の彼女の口からでた「戦争なんて、ほんとうにしなけりゃならなかったのかね。ね。」という呟きが忘れられない。

先日、85歳の女性と話していたときに、この竹やりの訓練がいかに一人ひとりの心に傷を持たせたかを始めて理解できたように感じた。好きな歌も、思ったことも言えない状況がほんとうに嫌だったと彼女は話して下さった。

私の祖母は90歳を超えて認知症がはじまっていたとき、私の質問(戦争が始まった時どうだった?)に明確に答えた。
「みんな気付かないのよ!気付かないようにやるんだもの戦争なんて!!」。
関東大震災と東京大空襲を生き残った彼女も亡くなった。

祖父は、中 国の山東省に派兵されていた。彼が見たこと、したことは分からないけれど、少なくても新兵の時代にきっと人を殺させられただろう。そうしないと自分が殺される。それが日 本 軍だから。
きっと戦争がほんとうに嫌だったんだろう。生前の彼を知らない私にも伝わってきたことがいくつかある。

祖父の兄も中国で戦死している。弁護士になり、多くのひとを助けるはずだった人だ。


沖縄での地上戦。信じられないような人数が死んだ。
生き残った人も「死んだほうが良かった」と思うほどの苦しみを味わったときく。
疎開するための船もたくさん沈没した。

東京大空襲。
日本各地の空襲。機銃掃射。
ヒロシマ、ナガサキでの原爆投下。

泥沼のフィリピン戦に、どうして人を更に送り続けたのか。みんな周辺海域で沈められていった。

せめて、あと半年はやく戦争を終えていたら? もっとはやく負けを認めていたら?そうすれば、死なずにすんだ人が大勢いるんじゃないか
そう思わずにはいられない。




慰霊は、
「死んでくれて、あなた方の犠牲があって、いまの平和があります。ありがとう」ではいけない。
決して。

みんな死ななくてよかったんだ。殺されなくてよかったし、殺すはずじゃなかった。
みんな普通に生きて、暮らして、自然に任せて死んでいけたらどんなによかっただろう。
死んでいった人たちの無念さに、
生き残った人たちの心の中に残されている傷や、苦しさ、悲しさ、そして憤りに対して、だれか責任をとったか。
誰もとっていない。
いや、そもそも、とれるもんじゃないけれど。
でも、とろうとしようよ。せめて。

私は国家の代表でも、民族の代表でもないけれど、
一人の人間として考える責任があると思う。
自国の加害の責任を感じながら
受けた被害も考えて、少しずつでも歴史から学び、
戦争というもの本質を見極めたいと思う。

戦争は、
人間の、そして、すべてのいのちの連鎖を破壊する力を持ってしまった。

戦争はしてはいけない。
勝とうが負けようが関係ない。
戦争はいのちの敵だから。
戦争をさせないために、必要なことは
戦争をしたくてしかたのない国家をつなぐ首輪を手放さないこと。

憲法を変えてはならないよ。

古今東西、今昔、世界中の戦争の犠牲になったひとたちが切望した「殺したり殺されたりしない権利」。
それは、やっと辿り着いた人類の権利、いのちの権利なんだから。

2017/08/10

2012年8月6日の朝に ‐脱原発、脱核を求めて

ヒロシマ、ナガサキ、フクシマとアウシュビィッツとパレスチナ


(1)
平和への誓い(2009年8月6日 小学生代表二人)
 人は、たくさんの困難を乗り越えてこの世の中に生れてきます。お母さんが赤ちゃんを産もうとがんばり、赤ちゃんも生まれようとがんばる。新しい命が生まれ、未来につながっていきます。それは「命の奇跡」です。

 しかし、命は一度 失われると戻ってきません。戦争は、原子爆弾は尊い命を一瞬のうちに奪い、命のつながりをたち切ってしまうのです。昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。それは人類が初めて戦争による被爆者をつくりだした時間であり、世界が核兵器について真剣に考え始めなければならなくなった時です。

あの日、原子爆弾は広島の街を一瞬にして飲み込みました。建物は破壊され、多くの人々が下敷きになりました。
人々の皮膚はボロ布のように垂れ下がり、「助けて」「水をください」と何度も言いながら亡くなっていったのです。
それは、人間が人間らしい最期を迎えられなかった残酷な光景でした。多くの夢や希望を一瞬にして吹き飛ばされた人たちの悲しい「闇」の世界でした。

世界の国々では 今も、紛争や戦争によりたくさんの命が奪われています。僕たちのような子どもが一番の犠牲となり、体に傷を負うだけでなく、家族を失い心に大きな傷を負っています。
日本でもまだ多くの人たちが原爆の被害で苦しんでいます。入退院を繰り返す被爆二世の人もいます。
だから、まだ戦争は終わったとは言えません。

これから先、世界が平和になるために 私たちができることはなんでしょうか。
それは、原爆や戦争、世界の国々や歴史について学ぶこと、
けんかやいじめを見過ごさないこと、
大好きな絵や音楽やいろいろな国の言葉で 世界の人たちに思いを伝えること。

今の私たちにできることは小さな一歩かもしれません。けれど、私たちは決してあきらめません。
話し合いで争いを解決する本当の勇気を持つために、核兵器を放棄する本当の強さを持つために、
原爆や戦争という「闇」から目をそむけることなく、しっかりと真実をみつめます。
そして、世界の人々に、平和への思いを訴え続けることを誓います。


私は、平和資料館で平和集会の子ども代表だった小学6年生の2人が読んだ原稿に目を奪われ、心を鷲掴みにされました。それを全てメモしてきたのが上の文章です。


深い感動に包まれ、思わず全文を写していたら時間切れになり、まだ半分しか回れていなかったのですが走って出口に向かいました。原爆投下直後の様子が再現された場所を走り抜けながら、自分が家族を捜し求めてヒロシマの街だった場所を走っているような感覚にとらわれました。

表にでて、陽の光が本当にまぶしかった。かつては材木町という町があったその場所に住んでいた人は全員が亡くなったということを知りました。説明板にある写真に写されたすべての人が、あの日、ここで原子爆弾に殺された。


年表をみて驚いたのは、原爆ドームの保存工事が終了した完成式典が、投下翌年の8月6日だったことです。それが広島平和記念集会の第一回でした。

2010年春、イラク戦争開始から7周年の3月20日に私は広島の平和公園と平和資料館に初めて行きました。民族を越えた戦争への想い、世界平和への希求が実体化した場所であることに気付き はっとしたのです。

広島をヒロシマとして後世に残したのは、ヒロシマを生き残った人たち。
自分の人生、故郷のすべて、家族や友人のすべてを一瞬で奪われた怒り、苦しみ、殺された人たちの無念さ
 ― もう二度とこんなことを起こしてはいけない。全ての戦争、すべての核は 人類には必要ない!という声なき叫び。

植えられていた椿が美しい花を咲かせていました。



(2)
日本では2011年3月11日に大型地震が起こり、その数日後 福島の原発が次々に爆発するという終末の映像を私たちは目撃しました。
美しい故郷を奪われた方たち…。
安心できる世界を改めて奪われた私たち。
移住を余儀なくされた方、
その場に留まらざるを得ない方、
そこに住み続けると決意された方たちがいます。

日本社会は放射能を意識し暮らさざるを得なくなりました。世界からは日本は現在進行形での被曝国とみなされるようになりました。

この社会のあり方について、問い直され、考える人と考えない人の境目がより一層 明白になっていきました。
首相官邸前で、福島の女性たちがダイイン(死んだふりをするパフォーマンス)をしました。4万5千人が官邸前で、デモでは17万人もの人が原発をやめろと訴えました。けれど、それを伝えるメディアはほとんどない。新聞もほとんど書きません。原子力発電をどうしても続けたい者たちが国を動かして、メディアも牛耳っているからでしょう。日本は財政難だとか、赤字があるとか、消費税を上げるとか、いろいろ言われているけれど、軍事費に匹敵する巨額な資金を原発や核燃料サイクルに投入し続けてきました。

アメリカは原爆を二回も落とした国に核兵器プラントである原発を売りつけました。許されないことですが、それを買う日本国家の罪はそれ以上だと思います。アメリカに売りつけられた原発を、現在は日本企業(東芝、日立、三菱など)が受注しています。それを海外に売りつけて儲けるため、そしてプルトニウムを作って核兵器を持つ目的があるがために原発は止められないのです。日本の財閥・軍閥が戦前・戦中・「戦後」である今現在も、この日本社会を支配してきたということの意味を考えなければならないと思います。先の大戦の責任者たちは、戦争と核兵器によって、今は原発事故と放射能被害によって国民を騙し、殺し、儲けて権力を維持しているということに激しい怒りを感じます。

原発は、核兵器をつくる工場です。そこで電気も作り、それを市民の生活に強制的に供給することで文句を言わせないという構造的な支配システムです。

核兵器には、原子力爆弾にも水素原子爆弾にもプルトニウムが使われますが、これは数年ごとに入れ替えをしなければ 核兵器として維持できません。そのため、自国でプルトニウムを生産できるようにならないと核兵器はほんとうには保持できない。しかしプルトニウムを作るための高速増殖炉もんじゅは日本に既に在ります。
発言権を強くするために核保有国の仲間入りをしたい外務省、
私欲を貪る企業、政治家たち。
そして、それを下支えする己の欲求のみを追いかけ、現実よりもロマンを求める技術者たちのメンタリティ。

原発は温暖化の防止にはなりません。二酸化炭素をつくらないのは発電時だけのことで、そこに至るまでのみちのりは、火力発電所をつくるよりも何倍も電気が必要になり、したがって二酸化炭素の排出も多くなります。燃料のウランを掘り出して精製して燃料にする過程にも、膨大な電気が使われて、そこで二酸化炭素が生まれています。

自然界にも放射能はありますが、ウランは土中に埋まっているあいだは放射線をだしません。だから、そこは先住民族の聖地である場所だったりしたのです。(例えばオーストラリアのジャビルカ鉱山はアボリジニーの聖地で「悪魔の山」として恐れられてきました。オーストラリアの電力会社と丸紅の合弁会社がそれを掘り起こし、そのウランを輸入しとるのが関西電力だったりするわけです。)

国と民を売って、原発事故後もなにも反省をせず、ひたすら核の「平和利用」として続けていこうとする権力者たちであるこの国家。許してはならないと思います。

あるドキュメント映像の中では、路上で寝たきりになった方に、原発労働に行ったことがあるか訊ねている場面がありました。消えいるようなか細い声で、原発のある地域の名前を言ったあの男性は、もうこの世におられないでしょう。

路上で生活している野宿生活者、また日雇い労働者の方たちが、全国に3万人は確実にいると言われています。(神社仏閣におられる方もカウントしたら、もっとおられるでしょうか。)大阪だけで1年のあいだに200人から800人の方が道の上で亡くなっていると言われています。この50年、どれだけの方が路上や路上に近い場所で亡くなったのでしょう。その方たちのうちのどれくらいが原発の下請け労働に従事していたことがあったのでしょうか。原発労働者、また周辺に住む人の身体に影響があるのかどうか、国はまともに調査したことは一度も無いのです。何百、何千、もしかしたら累計で万規模の被曝(ひばく)労働者を生んできたと考えても不自然ではありません。

先述した映像のあとに、「事故があるのは単純作業労働者のミスですね」と言っていた 電力会社の重役の笑みを10年たった今も私は忘れることができません。「じゃあ、あなたが炉に入って作業してください。事故が起きないように!」と私は言いたい。
人間を、他者を使い捨てる方法でしか実現できない技術なんて 欠陥です。

何のために、それが存在するのか。そこに立ち返って考えることが必要だと思います。原子力発電所の存在理由がほんとうに「人々の暮らしに必要な電気を作るため」であるならば、人体や環境への有毒性は許容されないはずです。「他人ならかまわない」という思考は、自身をも阻害していくのではないでしょうか。

2001年、美浜原発の細管破裂事故の現物を 大学の見学授業でぶ厚いガラスごしに見たとき、「原発のごみは、未だに処理する方法がないのではないですか」と訊ねる19歳の私に、関西電力の重役の方は「それを何とかするのが技術者の使命なのですよ・・・!」と潤んだ目であさってを見つめて力強く呟くように答えました。その姿を目の当たりにしたときのうすら寒さと恐さを忘れることはできません。


浜岡原発にも行ったことがありました。
原子力PR塔の最上階の展望台から眺めた日本海の夕暮れ。
左のガラスには海岸線にある5機の原発、右のガラスには街を対比したあの光景…。
「チェルノブイリの人たちもこの近さに驚いていたそうです」という解説を耳にしながら、街の家々と海岸線を染めあげる美しい夕日をみていました。雲がピンク色に染まってとても美しかった。

私の生活のための電気は、この地域の人の暮らしを犠牲にしている。
そして、「もし事故が起きたらこの地域に住む人だけではなく、自分も含めた世界のひとたちを巻きこむ危険を余りにも強く持っている」と思ったのが20歳の時でした。

そして、福島で原発事故は起き、福島はフクシマとなった……。


(3)
第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺・ホロコースト。
(※ナチスはユダヤ人のみならず、ロマ民族(ジプシー)、性的少数者、精神病者たちも大量に虐殺しました。ホロコーストを経験したユダヤ人たちは、第二次世界大戦が終わった後、つまりアウシュヴィッツ強制収容所から解放されたあとも、難民としての悲惨なキャンプ暮らしを強いられました。そこでも大勢の方が亡くなられた。そうしたホロコーストを経験した人たちが、悲願としての [祖国・イスラエル]を「建国」しました。イスラエル建国はパレスチナの人たちにとってはナクバ、(厄災)となり、パレスチナの人々は難民となりました。パレスチナに暮らす人たちへ向けられる暴力は、「民族浄化」を極めつつあります。)

「もう誰にもこんな思いはさせられたくない!」と言いながら、イスラエルはパレスチナという存在そのものをこの世から消し去ろうとしています。

ホロコーストを被害者から加害者になって再現するイスラエル・ユダヤ社会。その闇を想うときに、はっとしました。
日本はアジア太平洋地域で、死者だけでも2000万人という侵略・占領・植民地化 という戦争をやってきた。
そして、正式に謝らないままとはいえ憲法9条を表明して、建前は戦争を放棄したが、きちんとした反省をやってこなかった。
その上で、イラクへ軍隊を派兵してしまった。そして国民投票法案が通ってしまっていて憲法が改悪される状態に限りなく近い状態であること。、
世界で初めての(戦時下における)、唯一の核兵器使用被害を受けたヒロシマ・ナガサキのある日本が 原発を、ひいては核を捨てないということはどういう意味を持つのか…。そういうことを考えて生きていたら、2011年3月に福島で原発が爆発するという最悪の事態になりました。広島・長崎で被爆された二重被爆の方もいらっしゃるということです。そんなことが起こりえていいわけがないのに。

世界が原発と核兵器を放棄できるか否かは 日本にかかっているといっても過言ではないと思います。
強くそう思います。
世界中の国が核武装したとしても、日本だけは核兵器を、原発を、決して持ってはいけない。
大飯原発は、絶対に再稼働させてはならない。なのに今動いている現実があります。

放射能に汚染されてしまった世界で、何一つもとにはもどらない。
しかしそれを認めず、過ちを繰り返そうとする日本政府。

これ以上、地球を汚染させるなんて。これ以上?

イスラエル軍のブルドーザーからパレスチナ人の家を守ろうとして、轢死(れきし)させられた
レイチェル・コリーさん(享年23歳)の言葉を借りるなら、

「こんなことはもう終わりにしなければ。私たちみんなが、すべてを投げ捨てて、これを終わりにするために自分たちの人生を捧げるというのは、いい考えだと思います。それは、もはや過激な考えではないと思います。」


国家権力との長いたたかいですから燃え尽きてしまわないように。
けれど精いっぱいやらないとまた間に合わないかもしれない。



いま、何ができるでしょうか。

ヒロシマ・ナガサキ
そしてフクシマを繰り返さないため、

わたしたちは人間として生きるために、
全力で原発を、戦争を止めていかなければならないと思うのです。






2017/08/06

坂口恭平さん「どしゃぶりの雨がまっさかさま」

坂口恭平さんがボブ・ディランのカバーしていて、歌声もギターもとっても良い。
訳詩が素晴らしい!

ひどい法律が決まったときとか、身の周りでやるせないことが起こる辛い時、繰り返し聴いている。



【どしゃぶりの雨がまっさかさま
歌:坂口恭平さん Bob Dylan A Hard Rain's a-Gonna Fall cover】

https://soundcloud.com/kyohei-sakaguchi-1/bob-dylan-a-hard-rains-a-gonna-fall-cover


※坂口さんの訳したA Hard Rain's A-Gonna Fallの 歌詞は、ウェブ上になさそうだったため、聞きながら起こしました。
そのため、間違いや勘違いの表記があるかもしれません。申し訳ありませんが、あしからずご了承くださいませ。




どこほっつきまわってた目の青い坊や
どこほっつきまわってた愛しの子

十二の霞む山裾で躓いた
六つのハイウェイ歩きくたびれた
七つ森に迷い込んだ
目の前には沈黙の海さ
三千里歩き墓場の門よ
いまも強く激しく続くどしゃ降りの雨がまっさかさまに



目に映るものは何 目の青い坊や
目に映るものは何 愛しの子

赤ん坊を囲む狼の群が
無人のハイウェイ宝石みたいだ
血がたれる森の樹木が
男たちの手には血まみれのハンマー
びしょ濡れの梯子はまっしろで
呂律回らぬ語り部たちが
銃刀権もって暴れる子どもら
いまも強く激しく続く どしゃぶりの雨がまっさかさまに


どこほっつきまわってた目の青い坊や
目に映るものは何 愛しの子

十二の霞む山裾で躓いた
六つのハイウェイ歩きくたびれた
七つ森に迷い込んだ
目の前には沈黙の海さ
三千里歩き墓場の門よ
赤ん坊を囲む狼の群が
無人のハイウェイ宝石みたいだ
血がたれる森の樹木が

男たちの手には血まみれのハンマー
びしょ濡れの梯子はまっしろで
呂律回らぬ語り部たちが
銃刀権もって暴れる子どもら
いまも強く激しく続く どしゃぶりの雨がまっさかさまに

いまも強く激しく続く どしゃぶりの雨がまっさかさまに





A Hard Rain's A-Gonna Fall : Bob Dylan

  Oh, where have you been, my blue-eyed son?
  Oh, where have you been, my darling young one?
  I've stumbled on the side of twelve misty mountains,
  I've walked and I've crawled on six crooked highways,
  I've stepped in the middle of seven sad forests,
  I've been out in front of a dozen dead oceans,
  I've been ten thousand miles in the mouth of a graveyard,
  And it's a hard, and it's a hard, it's a hard, and it's a hard,
  And it's a hard rain's a-gonna fall.

  Oh, what did you see, my blue-eyed son?
  Oh, what did you see, my darling young one?
  I saw a newborn baby with wild wolves all around it
  I saw a highway of diamonds with nobody on it,
  I saw a black branch with blood that kept drippin',
  I saw a room full of men with their hammers a-bleedin',
  I saw a white ladder all covered with water,
  I saw ten thousand talkers whose tongues were all broken,
  I saw guns and sharp swords in the hands of young children,
  And it's a hard, and it's a hard, it's a hard, it's a hard,
  And it's a hard rain's a-gonna fall.

  And what did you hear, my blue-eyed son?
  And what did you hear, my darling young one?
  I heard the sound of a thunder, it roared out a warnin',
  Heard the roar of a wave that could drown the whole world,
  Heard one hundred drummers whose hands were a-blazin',
  Heard ten thousand whisperin' and nobody listenin',
  Heard one person starve, I heard many people laughin',
  Heard the song of a poet who died in the gutter,
  Heard the sound of a clown who cried in the alley,
  And it's a hard, and it's a hard, it's a hard, it's a hard,
  And it's a hard rain's a-gonna fall.

  Oh, who did you meet, my blue-eyed son?
  Who did you meet, my darling young one?
  I met a young child beside a dead pony,
  I met a white man who walked a black dog,
  I met a young woman whose body was burning,
  I met a young girl, she gave me a rainbow,
  I met one man who was wounded in love,
  I met another man who was wounded with hatred,
  And it's a hard, it's a hard, it's a hard, it's a hard,
  It's a hard rain's a-gonna fall.

  Oh, what'll you do now, my blue-eyed son?
  Oh, what'll you do now, my darling young one?
  I'm a-goin' back out 'fore the rain starts a-fallin',
  I'll walk to the depths of the deepest black forest,
  Where the people are many and their hands are all empty,
  Where the pellets of poison are flooding their waters,
  Where the home in the valley meets the damp dirty prison,
  Where the executioner's face is always well hidden,
  Where hunger is ugly, where souls are forgotten,
  Where black is the color, where none is the number,
  And I'll tell it and think it and speak it and breathe it,
  And reflect it from the mountain so all souls can see it,
  Then I'll stand on the ocean until I start sinkin',
  But I'll know my song well before I start singin',
  And it's a hard, it's a hard, it's a hard, it's a hard,
  It's a hard rain's a-gonna fall.





サウンドクラウドのシステムは、もしかしたらこの夏で終わるかもしれないらしいけど、どうか終わらないで欲しい・・・。
他の曲もとってもいいので是非。
https://soundcloud.com/kyohei-sakaguchi-1


坂口恭平さんは文筆も、いのっちの電話の活動もすごい。
絵も。
建築家でモバイルハウスも作るし、今は街に森も作ろうとしてる… うーん説明困難ですね。

とにかく、人が死なないように、いのちがお金に支配されないようにするために、自分の力をあらん限り発揮して、発信している方だと感じる。
こちらも是非、ご一読を。
「ときどき死にたくなるあなたへ…坂口恭平の新政府総理談話(1)熊本大地震から1年が過ぎて」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51458

会ったこともないけど、日々 支えられている。有難い。
私も、地味にがんばっていこうと思います。
2017/07/29

芸術

芸術は人を萎縮させるのではなく 解放する

坂口恭平さんの画集を手にして、アクリル絵の具がほしくなった
2017/07/24

一番こわいのは人間なのよ


 1年前、2016年7月26日未明に起きた相模原での障害者殺傷事件。
その日の夜、私は震えて泣いた。

「一番こわいのは人間なのよ」
おばけが怖いと泣いた子どもの時、たった一度だけ聞かされたその言葉が頭の中に響いていた。


失われた19人の命。
現場で生き残った傷つけられた方たち。
差別があるために、また事実をまだ受け入れられないために名前を公表できない遺族の方たち。
ニュースを通して言いようのない不安と恐怖を味わう障害当事者たち。

この社会を覆っている強い優生思想そのものを彼は体現し、殺傷した。



今日は、毎日新聞の記事を読んだ。事件で、35歳で命を奪われた女性の父親の記事だった。
https://mainichi.jp/articles/20170722/ddm/041/040/137000c

上記の記事を読んで、NHKが作った特設ウェブサイト【19のいのちー障害者殺傷事件】を、ようやく読めた。
ウェブサイトの存在を知ってはいたが、辛すぎてずっと直視できなかったが、やっと一通り見ることができた。

http://www.nhk.or.jp/d-navi/19inochi/



何よりも恐ろしいことの一つは、あっという間に社会の中でこの事件が「風化」していったことと言えるだろう。
「かわいそうだね」で終わらされ、片付けられていく。あまりにも簡単に人々は通り過ぎていく。このことは、「障害者は生きる価値がない」って思ってる人なんて実はざらにいる世界なんだということを改めて示していたと思う。

この事件は、己の中にある差別心と向き合い続けなければ考えることはできない。
こう書いている私の内にも差別は厳然とある。
立場に関係なく、私もこれを読んで下さっているあなたも、優生思想にどこかしら支配されているはずだ。誰かを差別したり、自分を追い込んだり。幼少からすりこまれたこの思想の暴力の根深さには果てが無い。

こうした差別という暴力の連鎖としっかり向き合うことは、自分の加害性と向き合うことでもある。
それはとても大変な作業だ。簡単ではない。忍耐がいるし、何より苦しみがある。
けれど、それは責任でもある。
しかし、この社会で、自らの加害性に真摯でいることが出来る人は多くはない。
誰しもが自分を悪い存在だと思いたくないからだろうか。自然と「無関係である」と考えようとする。
(日本の社会の未成熟と不誠実さはいつもここに起因している気がする。)
そういうふうに考える癖が私にもある。まずは自分自身の内側にある闇から取り組んでいこうと思う。

そして、そういう歩みは、本当に楽ではないが、いつしか志をもった誰かと共に歩める道も見えてくると思う。


この社会は、障害を持った人間とそうでない人間が意図的に分離させられ、人間としての関わりや付き合いができにくくなっている。だから想像しにくいのかもしれない。すこし前の話題になるが、バニラエア事件についての障害者バッシングも酷い。

障害者と健常者の分離教育を進めてきたのは、言うまでも無く政府だ。
子どもの時から一緒に過ごすのと分断されて生活するのでは、全く違ってくる。
(アメリカでも公民権運動以前は黒人と白人の学校が別だった。もちろん、現在 学校が統合されたから差別がたちまち解消されたわけではない。けれど、バスや学校やで分けられていたことよりはずっと人の権利は前進しているはずだ。)

優生思想を口にすることをはばからない政治家も多い。
自信を持てない人は、権力にすりよることで「自信」をつけようとし、右傾化していく。そうしたなかで、この事件は起きたのではないか。

介護現場で働く人たちの労働環境の問題や、
これは憶測であるが、犯人の人生の孤独も、殺人の動機の背景にある気がする。

どんな事件も、社会の中で起きている。だからこそ、隠蔽したり忘却したりして解決した気になるのではなく、だれかを死刑にして「解決した」と安心するのではなく、誰もが己の立場(と言っても立場は重層的ではあるけれど)の当事者であることを想い深めることが必要だ。考え続けることこそが、再びこのようなことが起きることの歯止めになる。


この文章は整理されていないし、書いていないこともあるけど、気持ちがあって書いてみた。感じていること、思うこと考えることが本当にある。
なのに、うまく言葉にならない。



ーーーーー


※以下は「19のいのち」のウェブサイトに熊谷晋一郎さんのメッセージがあり、大切と思ったのでここに引用します。
皆さんも是非ご覧ください。※

脳性まひの障害がある小児科医
東京大学先端科学技術研究センター准教授
熊谷晋一郎さん


「19のいのち」は、匿名化された障害がある仲間を、雰囲気のあるイラストと遺族への配慮をした上で、様々なエピソードで、固有名に近づけてくれました。犠牲となった19人には、1人1人に当然、毎日の生活があり、その生活の中で紡がれた物語があります。 今回の事件は、毎日を大切に生きてきた19人の物語を抹消してしまう暴力性をすごく感じました。匿名を希望する遺族がいる中で、19人の物語を伝えることは非常に難しかったと思うのですが、このサイトは、何とかして伝えようと細い道をたどるようにして実現したと思います。しかし、ここで私たちが考えなくてはいけないことがあります。それは、匿名報道を家族に求めさせてしまったのは「誰か」ということです。家族をしてそう言わしめた社会の問題として位置づけなくてはいけないと思います。

今回の問題は能力主義や優生思想などあまねく私たちを取り囲んでいる普遍的な問題としてとられることができます。誰もが明日自分が社会で不要な存在、用なしの存在になってしまうのではないかという不安をかつてないほど感じる時代になっていると思います。こうした不安は、今や中間層にも広がっています。今回の事件は、そうした多くの人が潜在的にもっている自らの不安を刺激するものでした。自分が社会から排除されたり、能力がないと方をたたかれたりするのではないかと強く感じたといえます。

被告が「障害者は生きる価値がない」と犯行動機を語った時に、「なんと惨酷なことを言うのだ」と思う一方で、では自分たちの中に、能力主義や優生思想がないのかと問い直すと、おそらく多くの人は大なり小なりにあるのではないかと感じたのではないでしょうか。仕事の中で、上手くいかないときに、自分の無能さを責めたり、他の人の能力を批評したりする自分と、どこか地続き感を感じた人もいると思います。

昨今の風潮として「本音主義」がはびこりすぎています。"本音"を声高に叫び、意見を戦わせることは、それは"正直"なことなのでしょうか。正直になるためには他人の声も自分の声にも耳を傾けることです。「19のいのち」に寄せられたメッセージは、本当に時間をかけて、正直に自分の声も他人の声も聞き、したためられたであろうとしのばれる文章ばかりです。

だからこそ、寄せられた様々なメッセージを、拙速に要約したり、何か無理やりまとめたりしないで、ただ静かに並べていただきたい。もしかしたら、これから時間がたって遺族の気持ちが変わって、ある日、犠牲者の名前が出るかもしれないし、もっと違うエピソードが書き加えられるかもしれません。正直な言葉が集まる場所、静かに声に耳を傾けられる場所であってほしいです。


19のいのちー障害者殺傷事件 http://www.nhk.or.jp/d-navi/19inochi/
2017/07/21


海へ

いつもは眺めて満足してたけど
今回は
はだしになって
足を海につけてみることに

海に入るなんて何年ぶりかしら!


とおくとおく水平線まで足を浸したこの水は続く
太陽はきらきらと輝いて水面に道をつくっていて
まっすぐ自分つながれる
光の橋のようにも見える
眩しいといったらない


すっかり日に焼けちゃったし
海から上がる時は砂で足がじゃりじゃり
やっぱりちょっとめんどうくさくなって

けだるくて
たのしくて まいったな


生きているのは嬉しいものね

そう思える自分はなんて幸せなんだろう

あの頃は暗く湿ったおふとんにくるまって ひとりで泣いてばかりいたのにな
今はここにいる



足の砂を払って 靴下と靴をはき直して
海岸を散歩していたら空に虹がかかってた

虹ははじめは短かった

けれど
時間をかけて伸びて伸びて
さいごは二重になっちゃった

帰り道、おまけにも一度みれちゃって
みんなでびっくり




時間は流れていく
とめられない
だから

今の気持ちを覚えておくための 写真をとろう

かわりばんこにも
一緒にも

たくさんたくさん

これでいつでも思い出せるさ


たからものののような一日の嬉しさかみしめて
神様へお礼つぶやいて眠る


明日がまた今日になる
どんな時間まってるのかね

またまた辛さや苦しみ孤独や絶望に落とし込まれるかもだけど
それでも誰一人欠けることなく
力あわせて心あわせて
どうか生きぬいて行けますように


遠くなってしまった大切なあの人とだって またいつか笑いあえる
そう信じて暮らしてく





2017/06/22

こころからだ
ここからだ

苦しい空気の中でも 自分を支配されてしまわぬように

満ちている歓びをみつける旅へ


『西の魔女が死んだ』を久し振りに読んだ。しみじみと良い。
そう、大切なのは自分で決めること。
2017/06/15

2017年6月15日AM

不正義が吹き荒れ 地が割れる

この世界はまたあの段違いの闇に呑み込まれる

萎縮しないで生きるのが いよいよ不可能になっていく世界

絶望の先にあるなにかを私はいつか見出せるだろうか



圧倒的な傲慢さに今までの比ではなく踏みにじられる時がくるのだとして
何もかもを奪われきってしまわないよう
遅まきながらも心の内の光を育てていくことを決めた



わたしたちは誰もが決して独りではない

そのことをいつも忘れないようにして
どんなに墨を流し込まれても 美しい水面をすべり行く

木の葉のような ちっちゃなボロ舟

でも
簡単には沈まない
2017/06/08

感じ取り 受けとめようとしなかったら 楽かもしれないけど もったいなさすぎるんじゃない
2017/05/09

自然と人間

偉大なる自然を縦(ほしいまま)にしてしまえる人間の力
その事に初めて恐れおののいた十八の冬 私は水俣にいた

丘から眺めた夕日に作業を続けるショベルカーが影絵のように浮き上がる

かつて水平線だった地平線

水銀値が高すぎると埋められてしまったその海には
その身をもって水銀を濃縮した魚たちの遺骸がドラム缶に詰められ埋まっている

土に沈んだ魚たちの息苦しさの上

終わりのないいのちの輪のなかに毒水を垂れ流し続けた人たちの真の目的は何だったろうか

それはあまりにも簡単な答え
 -簡単すぎて誰も信じようとはしないほど


自然を滅ぼしていくことを何とも思わない人々は確かにいる
おなじ人間に深い苦しみを負わせるとしても それを厭わない闇の力

自分は決して与したくないと思う一方
やはりどうしたって組み込まれている


私は
新たに埋められようとしている碧い海と
今 切り倒されている森の木々と
既に潰された泉たちと無関係ではない

そのことを忘れない

この星の全てを奪い尽くすのではなく
これ以上ない瀬戸際で いのちの世界を選ぶ

いのちたちの美しさの中 満たされていくなにかを感じ
かつての私たちのように 生かされている喜びと感謝に胸をふるわそう


2017/03/11

6年め 北の人々想うとき 暮らしの温さ 身に突き刺さる



と作ったのは去年の3月のことでした。うっかり。

7年め、ですね。




2017/01/23

今日の朝に。

この社会では商品化され消費され、磨り減らされ取り替わられ続けてきた「愛」
どうしたら本来のそれを手にすることができるだろう。

その方法は、わからない。
けれど、ひとりきりではどうしたって無理なことだけはわかるような気がする。
人間、動物、植物、自然と つながっていこうとする心のあり方がだいじだと思う。




今朝は古居みずえさん監督の映画作品 『ガーダ ーパレスチナの詩』を思い出しながらお茶をいれていた。
明日をも知れぬ世の中を生きて、行き詰まりを感じている全ての人にも捧げられている素晴らしい作品。また観たい。

パレスチナも 沖縄もフクシマもどこもかしこも、すべてこの空でつながっている。