2018/07/17

キリスト者として生きようとする一人として、イスラエルのパレスチナ占領と虐殺に抗います。

私は不十分で未熟な者だけれど、イエス様が私の主であり、いのちの根源だと信じているし、いつか真実のキリスト者になりたいと思って生きている。洗礼を受けても求道は続く。

今日は、賛美歌を歌っている十代の歌手の存在を知り、嬉しくなった矢先、そのひとたちがイスラエルを賛美しパレスチナの人たちのことを貶める情報を発信していることにショックを受けた。そういう人が多いのは分かってるんだけど、ああ・・・って思った。悲しい。歌っている映像をみて、ギターも、歌声も素晴らしく、とてもいいなと感じたものだから、なおさらに、せっかくみつけた宝物が人殺しの道具だったことを知ってしまったような 恥ずかしく悔しく情けない気持ちになる。
才能のあるひとたちは、その才能を いのちの主である神様に喜ばれるように使わなければいけない。
きれいな音楽で神を讃えて人の心をあたためても、その一方で人を殺す思想を賛美し、拡散することはいのちそのものである神様への冒涜だ。
信じている神様が違うように見えても、関係ない。パレスチナの人たちは人間だ。なにもかもを奪われて、殺され続けて、それでも人間として尊厳を求め続けている。解放を求めてデモをしただけで、どうして撃ち殺されねばならないのか。旗を持っているひとが撃たれる映像をみた。なんでこんなひどいことが何十年も起き続けるのか。
街を瓦礫の山にされ続け、狭いせまい土地に閉じ込められ、囚われ、無人機で殺され続けて。


主イエスは、こんなこと断じて許さない。
主は互いに愛し合いなさいと「命令」された。
神様の教えは至ってシンプルだ。

-神様に感謝し、神様が生み出されたすべてのいのちを大切にし、お互いに愛し合いなさい。
 悔い改めることをやめないで、世の悪の勢力(それは自分自身の内にもある)と闘い続けなさい。

それだけなはずなのに、その信仰を持っているはずの人間が、どうして無残に人を殺していく勢力に簡単に加担するの???


聖書のなかに書かれているイスラエルという単語。礼拝のときに交読詩篇などで、イスラエルを賛美するようなとき、いつもとても辛い。それは、この数十年のイスラエルではない、離散して苦しんでいるイスラエルであり、今のイスラエルではないと心の中で言い訳しながら読んでいる。現在のイスラエルは神に許されていないと私は強く思う。
キリスト教書店のなかにもイスラエルのパレスチナへの占領と虐殺を無視した、イスラエル本は多い。パレスチナの人たちを殺し続けるイスラエル軍や政府を、「人道的」であるとする「クリスチャン」の罪はより重いと、私は信仰者の末端のひとりとして思う。

イスラエルの蛮行は宗教戦争ではなく、軍事と占領、戦争の問題だ。
麻生太郎をはじめ、クリスチャンだと名乗る権力者は多い。しかし、主イエスはこういう連中と闘い続けたから十字架刑にされた。戦争をするときに、聖書に手を置き、「正義の戦争」を宣言する歴代の米国大統領たち。神をも畏れぬ冒涜であるが、これと同じだ。
「自分たちだけは間違っていないと過信するな」と、「一番愚かであるからこそあなたたちは(私も)選ばれたのだ。悔い改めて神が求める道を歩みなさい」と。そういう神様への畏怖と生かされている感謝を覚え、またこの人の世の罪を自分の罪として向かい合う必要がある。それが主をイエスだと言い表す最低限のラインでは無いのか。私自身、自戒を持って歩まなければならない。

実際は殺している側なのに、無視して差別している側なのに、あたかも自分は理解があるようなふりをしている人間にはなりたくないと思っているが、実際はそうなってることが多いと思う。
土壇場で「自分は関係ない」って思ってることが出てしまう。それは差別であり、自己正当化だ。自分は大丈夫と思っていると、知らないうちに人を傷つけている。社会は酷いものだけど、自分だって例外じゃない。己の中だけでも罪はいくらでも繰り返されている。自分を正しい存在だと安心しきって、知らずしらずのうちに隣人の心を傷めつけ、それにも気付かずにいることも起きているはずだ。いつも、肝に銘じなきゃならない。遠くにも近くにもおなじ空の下で虐げられ奪われるたちがいる。その叫びを聞こうともせず、考えず暮らすことは、権力や戦争に加担するような生き方だ。これは、主イエスが私たちに求める生き方と真反対のはずだ。

アウシュビッツを、ホロコーストを経験した人たちが、国家となったら、今度はパレスチナの人たちを文字通り滅ぼそうとしている。これは人類の愚かさと悲劇の象徴でもある。何が彼らをそうさせているのか、野放しにさせ加速させているのか、今いちど考えなければならないのではないか。いじめられた人間は、痛みが分かる分 人をいじめないようになると思われやすいが、より暴力的に他人を支配しようとする場合がある。ストレスを受けた人間が、だれかにそのストレスを横流しにする。一番弱いニワトリがいじめ殺され続けるように。その原理は私自身の人生からもよくわかる。虐待が虐待をうみ、ハラスメントは連鎖する。日本のいじめやハラスメント、貧困や差別の連鎖がヘイトスピーチをヘイトクライムに進めてしまってきた経緯と、イスラエルやヨーロッパの右傾化、難民への蔑視、黒人差別の巻き返しの状況は どこか連動しているように感じる。

しかし、そうした悪い連鎖の中でも、それに抗う人たちは存在する。死刑囚の解放を求める被害者遺族もこの世界には何人もいるしし、9・11の被害者遺族にもアフガニスタンへの攻撃に反対する人たちがいたのも確かだ。2010年にあったパレスチナへの支援船 レイチェル・コリー号のイスラエル軍襲撃事件のときも、たしか、ホロコースト体験者の方が乗船していたと記憶している。この方は、どのような想いだっただろうか。想像に余りある。
河野義行さんも、松本サリン事件の被害者であり警察による冤罪の被害者でもあるが、死刑に反対され、死刑にされた人たちに面会してこられたという。
(記事:http://www.jprime.jp/articles/-/5912

受けた暴力を、暴力で返したり、だれかに八つ当たりしないで昇華させてきた非暴力の精神を想う。
ガンジー、キング牧師、そして阿波根 昌鴻さん(あはごん しょうこうさん)。
琉球沖縄が非暴力の道を切り開いてきたのは、ほんとうにすごいことだと思う。

人間は、強さと弱さの極限を持っている。どちらを選ぶかは、境遇もあるがやはり一人ひとりに委ねられている。それが人間の尊厳だ。選択が間違っても、心から後悔できるようになれば、人は生き直せる。そのためには、他者の寄り添いや語りかけが必要だと感じる。

今、私の頭の中には、中国の撫順(ブジュン)戦犯管理所で過ごした元日本兵の人たちのことと、米国の海兵隊だった故 アレン・ネルソンさんのことがある。そして、もうひとつは沖縄の読谷村 チビチリガマを「肝試し」と称して荒らした少年たちのこと・・・。
少年たちは、人々に見守られて、チビチリガマがどういう場所であるかを学び、金城実さんと野仏をつくり、慰霊祭では遺族へ自分たちのしてしまった罪を悔いている手紙を書いたそうだ。
社会のなかで抑圧されているひとたちが、また違う誰かを抑圧したり、暴力をしたりする負の連鎖を止めようと、少年たちの近くにいき、やったことを自覚できるようにさせた沖縄の方たちは凄いと思う。ヤマトの人間である私は、自分が生まれ育ってきた社会でこうしたことがやれるとは正直、思えない。死刑制度と正反対の思想と実践だと感じる。
「なんてひどいことをしたのか」とか「哀れな連中だ」と自分と切り離すのではなくて、「自分たちの社会がこういう子どもを存在させていることに責任を感じている」と共に過ごし、遺骨を踏み荒らした彼らに働きかけてきた方たちの愛は、すごいとしか言いようがない。


信仰は、自分を正しいと思い込むことではない。自分を問い続け、悔い改め続けることだ。

相手が自分にとって都合よく変わることを祈るのではなく、神様が望まれるように変われるように祈ること。まずは、己が変わることで相手に示していけるよう、そういう強さを自分に与えて頂けるように祈りつつ歩むことが私には必要だ。とても難しい。聖書にあるとおり、ほんとうに、愛とは寛容であり忍耐そのものだ。愛ゆえに決心して対話しなければならないとき、楽な関係ではいられないこともある。だれかを非難するだけでは、自分の弱さと向きあえない。自分の非を認めていかないと相手は言葉を受け入れない。

神様が私に望まれていることは何なのか。神様が今、なぜこれを他でも無い自分に体験させているのかをいつも考え、祈りつつ応えられるようになるため御言葉にきき、祈り求め、歩まなければならないと強く思う。


宣教師であるスタンレー・ジョーンズ博士が、ガンジーに 
「キリスト教がインド社会に土着するために、キリスト者はどうすればよいのか」質問したとき、
ガンジーは、「まずあなた方すべてのキリスト教徒が、宣教師であってもまた誰であっても、イエス・キリストのように生活することである。」と言ったそうだ。
 (榎本恵牧師 『石ころも叫びだす』いのちのことば社 p151-152より)

それを自分の人生でいつか実現できるよう希いつつ歩む。


イエス様は本当のところ、このような状況の人間社会にものすごく怒っておられるだろう。それでも愛を持って導いて下さっている。「私は罪びとのために来た」と言ってくださり、愚かな人間でも悔い改めれば変われると信じてくれているから、待ってくださっている。変わらぬ愛をもって、導いてくださっている。

神はすべての命の根源である。隣人には寛容にならなければならないが、いのちの世界を壊し、人間を殺すことを厭わない権力に対しては真っ向から闘わなければならない。(社会運動しろって意味じゃなくて、真に生きるということ。)
人の世の罪悪が、構造的暴力や無関心にあること、暴力の正当化にあることを知らずに、主イエスのようには歩めない。
すべてを支配する力を持っていながらも、それを使わず、いつも座って静かに語りかけ続け、無視されてきた弱くされたひとたちを訪ね癒し、解放された主イエス。私も泥沼のような人間の苦しみから、主よって支えられ光の世界に向かって解放されたひとりだからこそ、まだ囚われている一人のために生きなければならない。

どのような戦争も差別もこれ以上、許したくない。自分も加担者であるという苦しみを忘れずに生きるためには、神様の御守りと愛が私には必要不可欠だ。空気がないと水がないと生きられないように。人の世に愛がなくても、光がなくても、それはすべての命の最も近い場所におられる主イエスから来る。信仰のあるなしに関わらずどの人にもそれは与えられているが、気付くか気付かないかは一人ひとりに委ねられている。


私は旧約聖書と新約聖書から成る聖書を御言葉とするキリストの信仰者の一人として、イスラエル政府のパレスチナ占領と民族虐殺の正当化を絶対に許しません。(旧約聖書のみの信仰のユダヤ教だって、今のイスラエル政府のやり方はおかしいって人は必ずいます。)

イスラエル政府・軍隊はパレスチナ民衆を殺すのを今すぐ止めて、軍事占領ではなく対話を始めなさい!
日本政府はイスラエルにODA支援してはいけません!税金を人殺しに勝手に使うことは許しません!
コカコーラもスターバックスもハーゲンダッツもイスラエル支援企業です(他にもいろいろある)。ボイコットしましょう。

もちろん日本の国家がやってきたこと、やっていることも許されません。

国家の正義ではなく、神様の正義が実現しなければなりません。
国家の正義なんて戦争という暴力と支配の正当化でしかない。

私が、国境を越えた全ての信仰の同胞と改めて共有したいこと。それは、イエス・キリストを信仰する者であるならば、すべての戦争と差別と暴力に抗わなければならないという当たり前の原則です。声なき声を聴くために、自己への慢心ではなく、自分にある罪への恥の感知と悔い改めが求められています。
自分ではなく、自分の内におられるイエス様を信じる。相手の内におられるイエス様を信じる。誰一人、見殺しにはできません。

ほんとうに難しい生き方だけど、主イエスのように生きるっていうことは、暴力的な人間の世に徹底的に愛で抗い続ける生き方だから、そこは覚悟を持って、お互いに励ましあいながらがんばっていけたらと思います。すべての教会が主にのぞまれた教会になりますように。

読んでくださってありがとうございます。

音楽は、塩谷達也さんと美和さんの You set me free を。




You set me free 歌詞
対訳:
※主よ、あなたは私を自由にして下さいました
 燃えるような聖霊を与えて下さいました
 あなたの愛を感じます
 今、私もあなたを愛します
 主よ、あなたは私を自由にして下さいました
 燃えるような聖霊を与えて下さいました
 初めにあなたの愛がありました
 いのちの限り あなたを愛します
 私を世に遣わせてください
 人々にみことばを伝えるために
 かつて私がそうだったように
 今も暗闇の中を何とか生きている
 人々のために
 私を世に遣わせてください
 よき知らせを広めるために
 かつて私がそうだったように
 今も暗闇の中を生きている
 人々のために
 あなたの御名を口にしないではいられません
 あなたの愛を歌わずにはいられません
 私は唇を押さえられません
 なぜなら・・・・・ ※repeat

2018/07/14

八方塞でも地面と空


気持ちが話せること

トモダチじゃなくて、友達と話した後は息がホントに楽になる。
なんにも状況は変わらないはずなのに、どうしてこんなに?って思うくらいだ。
不思議に自由になれる。
さっきまで袋小路で八方塞で真っ暗な闇の中にいた心なのに、気持ちが清々しくなる。

思ったことや感じたこと、そのまま話せるってのがいいんだろうと思う。

森田ゆりさんの『気持ちの本』という絵本を持ってる。
こう書いてある。
《誰かが、分かち合ってくれたら、喜ぶ気持ちは2倍に、悲しい気持ちは半分になるよ!》って。
これ、人間の真実のうちの一つじゃないか?と読むたび思う。

友達と話していると、久しぶりでもしみじみ安心できたり、もうずっと前に分かってたはずのいろんなこと思い出せたりする。そういう関係がどれだけ稀有なものか、歳を重ねるほど有難さが沁みてくるかんじがある。「それでいいよ」って時も、「それは違うんじゃない?」って時も 気持ちを伝えてくれる心強さといったら。その人にしか言えない、いってもらえない言葉がある。

お互い生きてるからこそ、今の自分と今のその人で話ができるわけで。
なんとかそっちの世界をサバイヴしてくれてるから、また話せたから、「生きててくれてありがとう」って思う。
「あなたが この今を生きていてくれてることが私の希望です」と心から思う。
私も生きてられてよかった。
子どものときは学校ではいつも寂しかったし、大人になってからも重苦しい時期があったけど、それで今 感じられることもあったりして。人生わからんもんだ。でも、そういう重苦しい時のことを、聴いて受けとめてくれた人たちがいてくれたから、なんとかここまで荷を降ろせてきたんだなとしみじみする。仲間にも恵まれた。

世界でたった一人しかいない一人ひとりの大切なあなた方、居てくれてありがとう。
無事でいてください。祈っています。
出逢わせて下さった神様に、とてもとても感謝しています。



誰かが話す為には、聴く人が必要。


聴いてもらえるのは勿論ありがたい。でも、話してもらえるってのも、幸せなことだと感じる。
「このヒトは聞いてくれそうかも?」ってちょっとだけでも、どこか信じてもらえたってことかなぁって思うから。
最近は、「きいてあげなきゃ!」より、「今、何を感じてるのかなー」って思うようになった気がする。どんなに近い間柄でも言葉にしなきゃわからないことだらけだ。話し合うことは大切だと、つくづく思う。

おとなにしてもこどもにしても、想いを話すのは勇気がいることだから、せっかく話してもらえたことは、少しでもちゃんと受けとめられるようになりたい。歴史や事実の生き証人としてのサバイバーや各地の当事者の方たちの声も、身近な人も、一期一会の人も。諦めながらもどっかで人間を信じる勇気をだして、みんな声にしてる。

話し始めてくれた一人をそれ以上独りにしないために、もっと受けとめられる人になりたい。直接の対話じゃなくても、読んだり見たり書いたり話したりしながら、ほんのちょっとずつでも、聴こうとしたい。信じてもらった者として、何らかの応えをしていかな!と思う。

(子どもたちが一生懸命に話そうとしてくれてるときの、「えっとね、えっとね、」を待てる大人になりたい。
 子どもたちが与えてくれるエネルギーは、ホントにすごくて、毎度 感動する。
 ※もちろん待てない時や素通りしちゃう方が多く、そのたび反省と自己嫌悪ですが・・・。)

読んでもらえるかもしれない感謝


こんな一人言でも、世界のどこかに読んでくれている人もいるかもしれないと想うと、書くことができる。
そんな人が実際いるのかは分からないけど、もしかしたら誰かが読んでくれるかもしれないから、気持ちを書くことができます。
稚拙でもなんでも、気持ちを書くことができるから、生きられています。このブログを読んでくださっている方、お一人おひとりが誰か知ることも出来なくても、今読んでくださっているあなたの存在が、私を支えてくださっています。本当にありがとうございます。

こんな世の中で、心身を保ち生きてくことは大変だけど、おかげさまで、「もうすこしもうすこし」って息継ぎしながら、なんとかやってけそうです。
どこもかしこもお暑いので、水分はもちろん、塩分補給もお忘れなく。(飴が苦手な方は、塩分タブレット!個包装のがおススメです~)

何はなくともどうか御自愛くださいませ。

わたしも人生初のぎっくり腰から低空飛行です。いや~痛かった!
身体が動くって、歩けるって、すごいこと・・・。

 ぼちぼちいきますーー


2018/07/11

大水害の最中に酒盛りをしていたアベ政権(自民党)。許せない。

首相を始め、アベ政権の中枢にいるやつらを引き降ろさないと、この国の住民の命を守ろうとする姿勢を政府が持つことはないだろう。多くの人が大洪水で苦しんでいるのに、その最中にも大宴会して、外遊したいがためになんの決断もしないで家にいて。政府としてやるべきことをやらない以上に、こんなひどい態度をしていいわけない。すぐに動いていれば、助かった人だっていたかもしれない。沈まないでいい家だって、田畑だってあったかもしれないじゃないか!

絶対に絶対に、許してはいけない。体中に怒りが渦巻く。

私は、現政権ののさばりをこれ以上 許せません。


【記事】社会問題に関する話題……本と雑誌のニュースサイト/リテラ http://lite-ra.com/

 特集1/何が「国民を守る」だ!ヒドすぎる安倍の災害対応
・ 安倍が災害無視し極右ネットTVに
・ 堤防決壊で自民党ネトサポがデマ拡散
・ 九州北部豪雨も安倍首相は帰国せず!
・ 安倍訪問中止の意図を予定国大使館がRT
・ 安倍が森友加計追及を鈍らせるため震災を政治利用
・ 官邸が震災の早期対応を拒否し政治利用
・ 安倍首相が震災対応よりTPPを優先
・ 安倍子飼い松本文明が地元職員にも暴言!
・ 安倍が被災者より先に自衛隊を激励!


自衛隊は全ての軍備を放棄し、人命救助専門の組織になるしか未来はありません。彼らは「国民」のいのちを守ろうとしているのだと思いますが(そもそも「住民」を守るという認識の変革が必須です。自分の民族さえよければじゃアウトです。)、そもそも軍隊は国民を守りません。守ろうともしない。先の大戦で、特に沖縄戦や各地の大空襲、原爆投下でそれは立証されています。


【記事】安倍首相の豪雨被災地ないがしろは続いている! 災害対応よりカジノ優先、宴会参加の官房副長官は自治体に責任転嫁
http://lite-ra.com/2018/07/post-4117.html

【記事】  共同通信 2018年7月10日https://this.kiji.is/389369291319641185?c=

【記事】 無料公開の愛媛新聞記事 2018年7月11日 
https://pbs.twimg.com/media/DhzN5bmU0AAiON0.jpg:large


【ツイッター】Spica@肉球新党さん https://twitter.com/YasukoKakuani 
大阪地震の時、視察に行って自衛隊が設営したお風呂の前で女性に声かけ。これほとんどセクハラ。おまけにテロップ見て下さい。「声を掛けられる安倍首相」となにげに敬語。この写真、炎上したら削除されました。







こちらの記事もどうぞお読み下さい。難民を強制収用して虐待し、自殺や病死に追いやる日本の入管は、ほんとうに酷すぎます。
発信し続けておられるジャーナリストや支援者の皆様がいます。



【記事】“不法滞在者”か“難民”か? ~19歳クルド人 日本への告白~ 日向史有 7/6(金) 9:30
https://news.yahoo.co.jp/byline/hyugafumiari/20180706-00088225/

※限定公開動画ですのでお早めに。「19歳クルド人男性 日本への告白」ドキュメンタリー映像。



【記事】 難民と日本人との結婚は認めない!?収容施設に拘束、自殺未遂に懲罰で追い打ち―東京入管の暴挙が酷すぎる
志葉玲 7/11(水) 11:00
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20180711-00088951/

【ツイッター】難民支援を続けられている織田朝日さんのツイッター
 https://twitter.com/freeasahi


【入管への抗議 送付先】
 東京入国管理局(局長宛)
  108-8255 東京都港区港南5-5-30  FAX 03-5796-7125
 東日本入国管理センター(所長宛)
  300-1288 茨城県牛久市久野町1766-1  FAX 029-830-9010


​ 現在、入管収容がますます長期化しています。当局に抗議文を送ってください! はがきまたはFAXを推奨します。以下の文例や、後掲のデータを参考にしてください。

▽ 長期収容は重大な人権侵害です。すぐに停止を!
▽ 市民の税金で人権侵害をするのをやめてください!
▽ ビザがないことよりも無期限収容のほうが不法だ!
▽ いつまた死者が出るかもしれない。長期収容反対!
▽ 憲法理念や国際人権規約は無期限収容を許さない!

  https://pinkydra.exblog.jp/27286804/より転載。



現日本政府は、人間のいのちについて、尊厳について、なんとも思っていません。
難民として必死の想いで逃れてきた人たちに対して、「不法滞在者だ」と脅迫し、虐待し続け、子どもたちから夢を奪っている。こんな社会のなかでも、やっとその人たちが辿り着いた生活を奪って・・・。
見てみぬふりは明日が我が身だと心から思います。立場の違う人への国家の暴力を許しては、自分たちにとっても酷いことが起きてくる。いや、もう起きている。


どんなに酷い天災があっても、人災があっても、「日本人」だから守られるわけでもない。3・11以降それがいよいよ明らかになっています。結局、権力の都合で、利用され、簡単に見捨てられてきている実態があります。天災だろうが、死刑だろうが、原発による放射能汚染だろうが、軍機の墜落だろうが、戦争だろうが、この社会に生きるすべての人誰もが当事者になりうることです。
「関係ない」人なんて、地球上にどこにもいない。
自分や身近な人でなけりゃ「良かったね」で済ますような社会はもうやめようよ。

こんな人命軽視の政府に、自国の政治を任せられません。
そして、こんな人道に外れた政府を許す社会ではいけません!

このままじゃいけない!ほんとうに取り返しのつかないことになります。
私たちは、いよいよ岐路に立っています。

現政府が人命や権利を守ろうともしないなら、ちゃんと人命を守ろうする政治を実現できる政府を求めるよりないのではないでしょうか。国会前に抗議に行けなくても、家族や隣人と事実を共有し、対話を始めるしかありません。想いを表明することは、こわいことかもしれない。けど、黙ったらもっとこわいことが起こります。自分や目の前にいる人が、子どもが、渦中になって「助けて」と叫んだって、その時はもう遅すぎる。

今 話はじめなきゃ、応えなきゃ、未来はいよいよ真っ暗闇です。
「頑張る」って言葉、個人的には苦手だけど、ここで踏ん張らなきゃ戦後民主主義は死に絶えます。 なんとか、なんとか一歩ずつ踏み出そう。 頑張ろう!

2018/07/08

どうしようもないときに


私は自分の住んでいる家がまだある。家族も無事でいる。大切なひとの命が失われたとか、安否がわからないとか、その状況がどれだけ不安で苦しいか、その喪失は想像もつかない。でも、息もできない思いだろう・・・。

私の家には、高価なものはない。でも、多くはなくても集めてきた大切な本とか服とか私の持ち物が詰まってる。
親が作ってくれた赤ちゃんの時のアルバムとか、自分で撮りためてきた写真やデータとか、大切な人からもらった思い出の物とか、日記やノートに記録された、今はもう亡くなった人との対話とか・・・。買ったものも、もらったものも、自分の手元にあるものはどれも経過があって、選び取って残してきたものだ。よく考えたら、自分の家にあるものは、みんなだいじなもので、かけがえのないものだった。「家は暮らしの宝石箱でなければいけない」という建築家の言葉もあった。その意味を噛み締める。

そういう私を取り巻き、私を私と為しているものが、いっぺんに沈んだら私はどうなるのか・・・ 
記憶の箱である家、そして愛する人々を失ってしまったら、私は今の自分を保てないだろう・・・

ネットでの新聞ニュースに命からがら助かった方が、飼い犬を助けられなかったとうな垂れていたと報じられていた。
ずっと一人と一匹、一緒に暮らしておられたのではないか。心中いかばかりだろうか・・・。
わたしも今ネコと暮らしているから、その切なさが伝わる気がする。
でも、「分かる」というのも言えない。言いたくない。分かるわけなんてない。
せめて、心を、感じようとする。でも何の役にもたたない、足しにもないことに思えて、途方にくれる。

まだ、こちらにはある日常の暮らしの恩恵が申し訳なく、どんな慰めの言葉を発しても、その当人が読むかもしれないと思うと、自分がとてつもなく無神経な存在であることに気がつく。しかし、それを承知でも思いを書かずにいられない私は、愚鈍で有害と言われても仕方ない。それを承知で文章を公開している。申し訳ないと感じる一方で、そうとしか生きられない己がいる。

子どもの頃、遠い祖父母の家へ帰省する車の中、高速道路の渋滞のなかで、毎回のように 「この全ての車にそれぞれの家族で乗って、それぞれの会話があって、それぞれの目的地に行くんだなぁ」としみじみと、その不思議さを感じていた。田舎に住んでいた私は、マンションが立ち並ぶ土地を眺め、「あの小さく見えるお部屋のひとつひとつに、それぞれの家庭があり、生活の時間があるんだなぁ。」と。
私は私でここにいるけど、他の車の人からみたら、ただ一瞬 横に止まってるだけの、関わるわけもないただの車なんだなぁって。

大水に沈んだ家々の屋根が、沈んだり埋まってしまった車たちの写真が、突きつける胸苦しいものをどう言い表せるか。
文字通り、言葉も無い。




絶望しきっている人の魂の叫び。希望も生活の前提も当たり前も壊された多くの人たちの嘆き。
どんな音楽も文学も絵画も、勝手な共感も、祈りも、苦界にいるその人には簡単には届かない場合もある。
善い可能性も確かにあるだろう。けれど、それも吹き飛ぶ失意。失望。当人にしか分からない痛み、苦しみ。
どんなに心配し、愛し、近く寄り添おうとすることはできても、全てをほんとうには理解しきることは どうしても不可能な人と人。
人間と人間の関係の限界。

それでも、渦中に居る方の苦しみを、想像することを最初から諦めて、投げてしまうのは人道上お話しにならないから、せめて、想おうとしている。

いつか、いつか癒されますように。
いつか、歩き出せますように。
いつか、いつか、いつか。
できるなら、その人の命の力が残っているうちに早く。







私の信仰、それは
命そのものである主イエスが、すべての人、すべての生命の奥深いところにおられ
一人ひとりの人生のなかで受ける全ての痛み苦しみを、イエス様はその一人と同時に味わい、苦しみ、その上で哀れみ愛を持っていのちに導いてくださる・・・というものだ。人間には不可能な慰めが、主にはある。そして、その恵みを本当に実感するために、人は人の間で出来ることの精一杯を実行して、お互いを本気で大切にしあわなければならない。あまりの苦難に生きることを本人が諦めていても、周囲の仲間がその人を見放さず諦めず主イエスの元に連れてきたからこそ、聖書に記されている奇跡はその本人に起きたのだから。


戦争は人間が起こしたものだ。原発事故も。人間は、特に国家権力は愚かだ。その罪は計り知れない。
しかし、何がどうなったかは事実として浮かび上がってくる。

では、天災は? 何故いま自分の身に起きたのかと犠牲者や遺族は天に問いたいだろう。

私は神様を信じているけれど、3・11から3年後の後の宮城県荒浜に立ったとき。
青い空と、どこまでも広がる海、白い砂浜を一望したとき、
「かみさま、なんでなんですか」って痛烈に思った。
洗礼を受けて、二ヵ月後の2004年の2月だった。

そして、そこでいっしょに行った方たちと円になり、順番にそのままの気持ちを、祈っていった。

天地も人も、全ての創造主である神様。
神様は、こんなにも人間を愛してくださっているのに。どうしてこんな悲惨なことが起きるのか、わからない。
そもそも神様の考えておられることは、私なんてちっぽけな人間には到底分からないのは承知だけど、それでも。

気候が変わって異常気象が次々起こっていること、河川や街の作り方、森や山を切り崩してきたこれまでの人間社会の変化。
どこからどこまでが天からのもので、ここからどこまでが人間の災いか、いよいよ分からないとき、
私はその渦中になったとき、何をどう整理をつけていけるのだろう。
今感じている神の愛を、証できるだろうか。やり場のない怒りやかなしみをどうするだろうか。まだ、生き残った家族や友がいるとしても、それからを生きられる力があるのだろうか。

昨日は、旧約聖書のヨブ記を通して読んだ。 これまで、はじめのところしか意味が分かってなかった。
いろいろ想うんだけど、うまく言葉にならない。

今、思い出すのは、遠く離れた近しい人の安否が不明だったとき、無事が分かるまで必死で祈り続けた幾度かの経験。
その時々の私の祈りは幸運にも叶った。
けれど、叶えられなかった祈りは・・・ 必死で祈った後に、自分が大切な人が「奪われた」とき、故郷の家を突如 流され家族が路頭に迷ったとしたら、私はどうなるのだろう・・・。自信はない。今ある信仰を、証できなくなる可能性も大いにある。

でも、それでも、私には他に術が無い。
人の命は寄る辺がない。この人さえいてくれたら、なんとか生きていけるというような愛する人がいても、その命がふいに失われたとき、自分はどうなるか。愛する人を永遠に失うかもしれない、そのリアルが迫ってきた瞬間、全ての前提が吹き飛び、「どうか助けて下さい」と神に懇願し続けた。もしそしその人の命が失われたら、自分はその人がいない世界を生きていかねばならない。それはあまりにも恐ろしいことだった。神様に頼らなければ、私はまたいつあの激しい不安と苦しみ、そして場合によっては絶望そのものになりかねないこの世界を生きることは到底、出来ないと痛感した。そのことの恐怖を実感した夜の翌朝、私は教会に赴いた。
それまで、信仰を持つと決めたのに、1年以上ぐずぐずと教会にいかなかったが、相手の無事が分かり極度の緊張と恐怖とから解き放たれたときに、「もし今の信仰がない状態の自分で、ほんとうにこの人の命を失っていたら、私は今後 生きていられなかっただろう」と理解できたからだった。

その数年前、私がこれまでの人生で最も孤独を感じ、生きることが重苦しく辛かった時期、その頃の私は、まだ神を知らなかった。いや、信じたいと教会にも通っていたが、救いは見えなかった。自分が元凶でそれまでの人間関係が崩れ去っていき、人生で経験したことの無い孤独を感じる中、自己嫌悪と後悔の嵐のような日々、なんとか命をつないでいた。比喩でなく本気で息も絶え絶えになり、胸は痛み、身体は強張り、眠れず、眠れば信じられないようなリアルな悪夢の連続で疲弊しきって目覚める。起きたのに体力は全く残っておらず、激しい眩暈に一日中 唸りながら布団に倒れていた。2分が1時間にも感じ、一日は長かった。
食事は自分で買うことも用意することも出来ず、なんとか夜に一日一食だけを近所の店で日替わり定食を食べて保っていた。夜の家路にあった光る標識を毎日眺めながら、自分はいつまで生きていなければならないのかと呆然としながら歩いていた。予定白紙のカレンダーに一日おわったら、その日の欄に丸をつけることだけ。生きているのが辛くて辛くてたまらなかった。
それでも自死だけはできなかった。
家族や大切な友は寿命が尽きるまで、「自分の力不足で自殺したんだ」と思って自分自身を責めると思うだけで、親や弟妹が気の毒だった。元気だった頃の自分が友人に「死んじゃダメだ」と偉そうに言い続けてきた手前、その子だけは裏切れないとも思っていた。もう亡くなってしまった大切な尊敬するあの人に、あの世で会えたとしても、口もきいてもらえなくなるのは辛すぎるというのもあった。

あの苦境の中でも、なんとか命をつないできた自分は、「死なないだろう」というある種 自信のようなものがあった。
しかし、たった一人の大切なその人が、やっと安心でき始めたこの日々が失われるかもしれない局面で、不安と恐怖でパニックになった。親に泣きながら電話をし、警察に問い合わせた後、自分も必死で祈り続けていた。数時間後に無事が分かったときに、自分の日常は崩れることがあるということが恐くなった。それまであった「自分は自殺だけはしない。できないんだ。」という自信は一瞬で消え去り、自分がどんなに生きようとしても、いのちの灯火が消え行くその瞬間をリアルに感じた。

「プカプカ」という歌をを歌っていた西岡恭蔵さんが、「グローリーハレルヤ」という歌を歌っていた。https://www.youtube.com/watch?v=wsAr_gJxyOI
彼は「生きよう」と呼びかける歌を作っていた。音楽の力を誰よりも感じていた一人だと思う。でも、西岡さんはパートナーの方が亡くなって、彼女の三年目のご命日に自死された。どんなに思い止まろうとされていただろうか・・・。お苦しかっただろう。

大切な人を失うのは、それが寿命を全うしたものでも、超えられない苦しみだ。
まして、突然、予想だにしない災害で、最愛の人を、親を子を友を失い、生活と思い出の全てを押し流されたら・・・?


被災された方たちに、今自分がその渦中にいないことで、できることがなにかあるのだろうか。自分が、今ここで、なんとか暮らしていることが、今を絶望している人たちに何をできるか。募金とかもあるんだろうけど、今は祈ることしか思い当たらない。自分にやれることに気付いて、それをやりきっていける力を与えてもらえるように、祈る。


神様、一人でもいのちが助かりますように、私はここで強く祈ります。
家族を亡くされた人、ケガをされたり、だれかの安否に不安と恐怖を強く覚えている人。生活のすべてを奪われた人、住んでいた町の姿すらもうない、想像を絶する苦しみや絶望。私には到底 実感できません。でも、その体験をされている一人ひとりの命の内にイエス様が共に居て下さい。言葉になりえない慟哭のすべてを感じ、共に痛み、理解し、励ましてください。
どうか被災されたお一人おひとりが、こうした絶望の深遠から、いつか生きる気力を与えられ、未来に歩みいけるように、
被災していない人間たちがやるべきことの全てををやり、みんなで力を合わせていけますように。
人間がおなじ社会に、世界に暮らす他の立場の人を置き去りにしないように導いて下さい。
東北の方たちをはじめ、各地の被災者の皆様は、オリンピックにむけてのお祭り騒ぎに、一様に置き去りにされていると感じているのではなかろうかと想います。
誰も置き去りにして、無視していかないように、神様、どうぞ人間の間にあなたが与えたもう 善き力を私たちが発動できるように想像力と思慮深さ、そして実行していく力をお与え下さい。天災に乗じた人災が、悪意からも善意からも混乱からもどうか起きませんように。

体験した辛い出来事を、いつか涙と共に気持ちを誰かに話して、悲しみを表現し、それを聞いた人が心をあわせて、閉じ込められていた悲しい怒りに満ちた心の重荷を少しでも 降ろすことができる日が来るよう、わたしたちが助け合えますように。

だれも孤独ではないように、主イエスがすべての方の命の内におられ、その痛む魂の叫びをを同様に感じて下さっていることを信じます。
どうか、人間には誰一人として不可能な主からの慰めへ、一人ひとりに辿り着きますように。いのちの火の、そのリレーが途切れませんように。神様の愛がお互いを支えあう人間の関係に宿り、その方を癒されますように。



神様、お願いします。どうかこれ以上ひどいことが起きませんように。
喪失に生きる気力を失っている人たちを、生かしめてください。









※今朝は、考えが足りない気軽な投稿をしていたのですが、恥ずかしくなり消しました。私のこのブログなど、だれも読んでないだろうなとも思うんだけど、もし読んでて気分を悪くさせた方がおられたらごめんなさい。



2018/07/07

各地の水害被害、お見舞い申し上げます

各地で水害に遭われている皆様の生活が心配。心からお見舞い申し上げます。
どうか無事でいられますように。天候が落ち着き、水が引き、一刻も早く生活が立て直せますように。

私の家族が住んでいるのも西日本のため、気にかけて連絡してくださる方たちがおり有難い。電話をしたところ、水に沈んでいる道もあるが、なんとか買い物には行けたそうだ。

このような災害が起こり続ける地球環境の不調和に、気候変動(温暖化)が原因として大きく横たわっているのだろう。
この国の政府の経済最優先・米国追随の姿勢も、この社会の生活スタイルにも責任の一端があるのは明白だが、実際に被害に遭うのは一部の逃れることのできない普通の人たち。「自分さえ関係なければいい」では大変なことになる。最近、これまで言葉で知識として知っていた様々な恐ろしさを、肌で実感し続けている気がする。


2018/07/07

七人の命を奪い、死刑は執行された。

オウム真理教の殺人の罪、サリン事件の罪は重い。多くの人の命を奪い、人生を変えてしまった。許されないことをした。
しかし、絞首刑になって、終わりになるものなのか?
そういう人たちがどうしてそれをしたのか、考えることを放棄していいのか?

では、人を死に追いやり、人生を奪った罪が死刑になるしかないならば、
旧日本軍の全責任がある男を崇めることを国民に刷り込み、違和感を口にする者は捉え殺し、その信仰を強制し、アジア・太平洋地域で「人々を解放する聖戦」と銘打って、侵略戦争(植民地支配も含む)をやった軍国であった日本国家に罪は無いのか?
数え切れない蛮行や殺人の精算を一切放棄している日本社会に罪は無いのか?

本当に裁かれるはずの人物に罪を言い渡した、女性国際民衆法廷(2000年)http://vawwrac.org/war_crimes_tribunal。そのドキュメンタリー映像をNHKが放映するとき、番組に権力からの横槍がはいり、編集映像の内容が改ざんされた事件があったことを思い起こそう。

 「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク (VAWW-NETジャパン 2005年1月抗議声明)http://vawwrac.org/nhk01/nhk03_03
その当時は議員だった安倍晋三がしたことを私は忘れていない。

この国の旗は血の丸だ。

なんかヤケクソだけど、生きていくしかないぜ!みたいな気持ちが高まり
アーバンギャルドを聴いている土曜日の昼。

松永天馬さん、浜崎容子さん、アーバンギャルド!言葉と歌をありがとう。

生きているから新しい季節を迎えられる。
今年も もう夏だ。







「くちびるデモクラシー」
歌:アーバンギャルド 歌詞:松永天馬 曲:浜崎容子


あなたとわたしはルージュとリップ
エンヤコラ今夜もキスを交わすの

ミサイルよ くちづけろ くれない街に
恋ひとつできなくて何ができるか

殺すな殺すな言葉を殺すな
殺すな殺すな声を殺すな

でもでも
くちびるくちびるくちびる
くちびるデモクラシー

あなたとわたしは弾とピストル
ヨイトマケ真夜中にハートを撃つの

空襲の警報がデートの合図
恋ひとつできなけりゃ戦争なんて

燃やすな燃やすなラブレター燃やすな
燃やすな燃やすな本を燃やすな

でもでも
口紅口紅口紅
口紅つけてら、SEE

「昭和九十年。
 時に戦時中、世界はメイク中。
 少女が化粧を覚えるように、キスを覚えるように、
  口紅型のミサイルが空から降ってくる。
  戦争に反対する唯一の手段は、 自由であること。恋すること。

 時に戦時中、世界はメイキング中。
 液晶を覗いてばかりいる国民たちには知らされていない、
 既に戦争が始まっていること。
 既にみんな、幽霊だってこと。
 
 言葉を、殺すな」

殺すな殺すな心を殺すな
殺すな殺すな恋を殺すな

戦争きたって言葉を殺すな
戦争きたって声を殺すな 殺すな

くちびるくちびるくちびる
くちびるデモクラシー

あなたといられりゃどうにでもなる
あなたといられりゃ恋でもできる
あなたといられりゃ地獄もみれる
あなたとわたしの くちびるデモクラシー







ウエノ・ポエトリカン・ジャム6超絶いきたくなる・・・(無理だけど)
オープンマイク100人なんて、素晴らしいね。くちびるデモクラシー!
2018/07/06

死刑執行の日に ―死刑廃止と、アベ政権の終焉と、ジャーナリスト安田純平氏の解放への日本政府の尽力、を強く求める

また死刑が執行される。テレビのニュースで「これからです」って報じられている。
今、この瞬間に人が絞首刑になっているかもしれない。耐えられない。耐えられない。

人間は、そしてこの日本社会はどうしてここまで愚かなのか。
どうして?どうして?どうしてなの???
これ以上 もう殺さないでくれ!
こんなの、ほんとうに「公開処刑」じゃないか。なんで?
なんでなの?
ほんとうにみんな平気なの?
これから国家が人を殺しますと明言するニュースを
あなたが正気で聞いていられるなら、それは大変なことだ。
あなたの内なる命の破壊、人間の破壊だ。

どんな悪いことをした人でも 人間を人間が殺すのは許されないよ。
誰が決める権限がある? 本当なら神様以外にない力のはずなのに。
誰が決めているの?誰が煽っているの?それに賛同しちゃえるの??
何も反応しないで「そうなんだー」だったら、それってその殺人への賛同なんだよ?

もう勘弁してくれ。

筆舌には尽くせない。

こんな社会でマトモでいるほうが「狂って」いるでしょう。
平然としていられるなんておかしいよ?

権力者は人の生き死にを、いのちを、 道具として、コマとして扱っている。
人間が抱く感情の全て
 ―喜びも愛も思いやりも憎しみ悔しさも、全てを利用し、国家が人を差別し、誰か殺すことを民衆に肯定させる。
ヤスクニも死刑も、人が人を殺す戦争を肯定するためのもの。
独裁的国家権力にとって、すべての人民は守るべき存在ではなく、道具でしかない。

死刑は、罪を犯した人への真の罰ではない。権力者が、人の命を勝手に奪い、民衆の意識や世論を操作し、社会を統治するための行為で、命の利用であり、見せしめであり見世物だ。その罪を犯した人が、なぜ罪を犯したのか。その背景を考えることなく、その人を殺して解決というのでは、「臭いものに蓋」そのものにならないか。
犯罪をおかした罪を償えるとしたら、それは自分のした行為と向き合い苦悩し続けることではないか。真実を明かし、もうそんなことを誰もしないで済む社会にする為に、出来ることをするしかないのではないか。死刑囚の方たちの絵画展に行った時、会場においてあった資料から、実際に愛する人を奪われた人たちが犯人に死刑を求めないという選択をして、行動している人たちが世界に少なからずいることを知った。日本が侵略した中国の撫順(ブジュン)戦犯管理所の「撫順(ブジュン)の奇跡」を、今見つめなおさなければならないのではないのか。

大体、各地の水害で苦しんでいる被災地の人たちの現状を報じないでいいのか。
「公式処刑」執行のニュースの裏で、何が進んでいるのか。
国会で進んでいく水道の「民営化」??金のない人は水が使えないのが水道の民営化だ。貧乏人は役に立たないから死んでいいという国家の本音が透けて見える。

東京医科大と文科省の職権を乱用した賄賂の発覚。そんなことで入学なんて、本当なのだろうか。内閣が財務省の役人の切捨てて自殺させたように、矛先を役人にする為にしていることなの?どの道筋でも役人のその子は不幸だ。でっちあげにしても、事実にしても、全国で受験システムに喘いでいる子どもたちだって失望してしまう。しかも医者になるための大学なわけだから、他の大学とは意味が違ってくる。なにもかも疑わしくなり、社会への信頼は消えうせる大事件。ただ、真実はまだ分からない。この事件で動いたとされる金額とカケ問題(アベのお友達なら国の財産が勝手に運用されちゃう問題)の規模は、全く違う。カケ問題の金額の規模が大きすぎる。モリカケと一口に言ったって、お金の規模は森友学園のほうがずっと小さい。

国の財産を首相が私物化し、勝手にトモダチに横流ししていた世紀の大事件が、何故に裁かれない日本社会なのか。裁かれる連中が権力の中枢にいるからか。しかし、同時に政府寄りであることを差し引いても、事実はある程度は報道されてる。本来ならその政府は、この事件に反応した民衆に瞬時に ひっくり返されていなきゃいけないはずなのだ。しかし、「国民」の多数は気にもしていない。気にしている人がいても、「そのうち忘れてくれるだろう」とタカをくくられてる。実際に支持率の回復がそれを表していて、心底悔しい。

伊藤詩織さんを貶めた山口氏がアベのことを美化して書いている「本」の著者であるからも野放しにされてきたことも、新聞記者へのセクハラについてのことも、性暴力への理解を欠如して事実を隠蔽する言動は、人道的にも政治的にも許されてはならない。
カジノ法を審議もろくろくしないで通しながら、免罪符としてギャンブル依存の為の法律をつくるとかもありえない。社会のうちで苦しんでいる人が、どれだけパチンコに行ってしまうか、その人も家族も苦しむか知ろうともせず。裏世界に流れていく金の流れを国が法的に作り出し、保持しようとしている日本政府の方針は犯罪そのものだ。

3・11被災地のパチンコ店は開店前から行列だって、現地を案内してくれていた人がいた。どんなに震災があっても、原発が爆発し地球が汚染されても、放射能の汚染で人々が住んでいる場所を追われても、これからチェルノブイリ以上に子どもたちが死んでいくであろうことも、絶望のなか人知れず自死がとどまらなくても、全てを打ち消すためのオリンピックに莫大な金が投入されている。「オリンピックのため」と銘打って、監視と管理を強め、路上で生活する人も含めた生活者を排除したお祭り騒ぎ。そのお金は、苦しんでいる人のために使え。そのための税金だ。都合の悪い事実を、なにもかも誤魔化して、人々の意識を忘却のかなたへ押し遣ろうとしている。政府に反対する意志を表明する人たちを捕まえる法律も、罪をでっちあげて閉じ込めるための盗聴さえ正当化できる法律も、すでに通っている。憲法を変えてしまうための投票のための国民投票法(日本国憲法の改正手続きに関する法律)が違憲している状態で出来上がって十年以上たつが、さらなる改悪案が虎視眈々と進められている。

「戦争の後始末」はひとつも済んでいない。誰も救済されていない。それどころか、「その人が勝手に言っている」と嘘つき呼ばわり。日本がした侵略戦争の残虐な事実は「個人のウソ」とされて、歴史は歪曲を通り越して書きかえられている。戦争をした人たちが、やりたがる人たちが、また戦争忘れさせ、知らせずに、戦争をまたやろうとしている。
日本がそうなれば、この星での人類に明るい未来は無い。

私は腐敗の中を留まることなく許されないことが続きすぎて、なにがなんだか分からない。どんなにメチャクチャなことが次々に明らかになっても、政権への支持率が下がらないなんて、どうしたらいいんだ。どんどん決まっていく。このまま平然と進んでいくのか?私は無力だ。辛い。

ただ、新幹線が地震で動かないときに(しかも、ワールドカップの試合直前に)闇討ちのような会見をしたカケの理事長とか(実際は現場にいた記者も入れない人がいたとかだから、したうちには入らないだろうけど。)、何ヶ月も留置所に理由も明かされず不当に拘留されていた森友学園理事の籠池夫妻が今 保釈されている状態だとか、
モリカケのことを無かったことにしたいアベ政権は、それこそ必死なんだろう。これまでにない窮地に立たされているとも言える。ここで「国民」が誤魔化されるかどうかで、日本の再軍事化が完成されてしまうかどうか決まってくる。文部省役人と東京医科大との賄賂合戦のことが事実だとしても、そうでなく財務省の役人が自殺に追い込まれたときのように尻尾きりの騙しなのだとしても、アベ内閣は責任を持って今、総辞職しなければならない。

だからこその、話題をそらすための死刑執行宣言だと思わざるを得ない。


自分自身も含め、人々に問う。誤魔化されていないか?
権力構造の暴力に「そういうものだ」と従い、事実を無視し、自分のなかで一切考えないことが、「幸せ」か。
その「幸せ」は、自分だけは奪われないと呑気に思っているの?
声を持とうとする弱くされた人たちへのバッシングは、「気付かせるな!」という怒り?それとも、自己を表現できない(/しない)人生のフラストレーションの表れなのか。

2004年のイラクの人質事件のとき、当事者の「自己責任」論を仕掛けた人たちと、それに乗った人たちの憎悪。そして「我関せず」を貫き続けていった街の雰囲気を思い出す。熟成されてしまった 日本社会の いじめの仕組みが社会レベルで相互監視とバッシングのシステムとして発動した瞬間でもあった。

意図的な情報と娯楽の操作には目も当てられない。
娯楽だって、電波上のそれらの大半は、本当のそれとは程遠く暴力と差別に溢れていて、大方、人を貶めるものか性的搾取そのものだ。(みなさんに、歌丸師匠の遺された言葉を今こそ読んでほしい。)
参考記事:桂歌丸が語った戦争への危機感「戦争を知らない政治家が戦争に触れるな」 ―国策落語を作らされた落語界の暗い過去も http://lite-ra.com/2018/07/post-4104.html

麻痺させられている自分の現在地から、息を吹き返せ。世界を見ろ。

あなたも、わたしも、国家の暴力の前では
テレビの向こうに見えるこの世界で、平然と殺されてしまいかねない存在なんだ。
先の戦争で犬死していった人たち。
私たちの一人ひとりにどんなに豊かな人生があっても、愛するひとがいても、やり遂げたい仕事があっても、それを簡単に踏みにじり、指先ひとつで掻き消す力を持っている、それが国家権力だ。



この世界で起きていること、そして秘密裏に進んでいる戦争への道を辿るこの社会に生きる人たちに真実を届けようとし、危険を冒しても果敢に現場に赴き発信してきてくれたジャーナリストたちがいる。その一人に現在、中東で武装勢力に拘束されているジャーナリスト安田純平さんがおられる。
 朝日新聞記者 石川智也さん記事「安田純平さんを忘れないで」(2018年7月1日記事) http://webronza.asahi.com/politics/articles/2018062600001.html

2018年7月6日現在の動画が、拘束グループから発信された。https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20180706-00000009-nnn-int
体調は悪そうだが、まだ無事なのだ。武装勢力は日本政府と交渉しようとしている。
しかし、日本政府は一切の対話をしないつもりだろう。いつも、彼らは「屈しない」といって、この拘束を「理由」にして、嬉々として軍隊を準備する。

上記の石川智也さんの記事にもあったが、ジャーナリストの後藤さんが亡くなったとき、日本政府やメディアはこぞって、後藤さんの功績を美談として報道した。「こんな素晴らしい日本人が失われました」「許されません」とでも言うように。
彼が命をはっても守りたかった人たちを不幸に陥れた、戦争を誰が起こしたのかも問わず、自分の国の軍隊の「派遣」や軍事援助が彼の命を奪った人たちの動機であることも問わずに。

安田さんには10年以上前になると思うが、京都の講演会でお会いした。無事に帰ってほしい。祈る。政治を変えられない無力を感じる。せめて、このブログを覗いてくださる方と、情報を共有したい。そこから何かが芽吹くと、諦めつつも信じて。

・・・

2004年10月、同世代の香田証生(しょうせい)さんがイラクで囚われたとき、私は無力感に包まれて 夕方の暗くなる自分のアパートでただ呆然と座っていた。私は、当時まだ学生だった。

そのとき、大切な友人から電話がかかってきた。「今日、自衛隊を撤退するように求める街頭行動あるけど、行く・・・?」と。
私は「4月にあれだけの数の人が動いたのに、国は自衛隊を撤退させなかったんだよ。そんで、自己責任だっていって、助かった人たちをバッシングした世間だよ。なんかやって、意味なんてあるのかなぁ。」って半分、泣き声で呟きではあったが、訴えた。
同年4月のイラク人質事件のとき、必死で訴えていた私の胸には「日本の人の命の危機なら、いままでイラクの人のことを想わなかった人も、考えてくれるんじゃないか」って期待があったのを思い出していた。

友人は一呼吸おいて、
「そうだね・・・。でも、だからって、自分たちが動かないって理由にはならないんじゃないかな」と言った。
私は、その問いに、そうだなって思った。

 ―この瞬間を恐怖の中 生きている香田くんの命は明日にはもう守れないだろう。彼のご家族はもう絶望しているだろう。でも、彼の命を奪うこの日本の社会に、自分の責任も含めて向き合う姿勢を行動に移すことが、彼にできるせめてもの行動なんだ
と感じた。

そんな想いで、自転車で街一番の繁華街にいった。夜の街頭にでた人は4月事件の際の光景からは、比べられないほど少なかった。ビラを受け取ってくれる人も多くはなかった。私がその場に行ったことは何の足しにもならなかった。自己満足と言われればそれまでのことでしかなかった。日本は、自衛隊という軍隊を撤退させなかった。そして香田さんは翌日、殺された。24歳の若さで。

でも、私はそこに行けたから、彼をいまも憶えている。
あとから思うに、あの時、友人と赴いたその街頭行動はそれからの自分を生きるのに必要なものだった。


香田さん、あなたは生きていた。
悩んで考えて、戦争で苦しんでいる人の姿をその目に焼き付けて、これから自分が生きていく道を見据えようとしていた。
世間が吹聴したような考えなしの人じゃなかった。決して。
あなたの想いが私のどこかに刻まれています。
生きて帰ってこれていたらきっと、この社会の変化と世界の平和を希求する、才能ある稀有なジャーナリストになっていたと、私は確信してる。

その頃、フィリピン政府は軍隊をイラクから撤収させ、フィリピン人労働者のアンヘロ・デラクルス氏はイラク関連組織に拘束されながらも無事解放されたということを、改めて知った。香田さんは死なないで済むはずだったと思わずにはいられない。


アフガニスタンで活動されていた、ペシャワール会の伊藤和也さん(享年31歳)のことも忘れない。事件が起きた夜、明け方まで眠れなかった。
 参考記事:伊藤和也さんを悼むhttp://kajipon.sakura.ne.jp/kt/peace5.html

武装勢力の行為はどうしたって肯定できない。けど、香田さんや伊藤さんの命が奪われたのは、その地に軍事力をアメリカ軍の支援も「派遣」という派兵も含めて発動させた日本の政府とこの社会でもあると 私は考える。

彼らにはもう会えない。でも、今この瞬間、安田純平さんはまだ生きている。
絶対、無事に家族に会えないといけない!

日本政府はすぐに安田さんを拘束している勢力との交渉に応じ、安田さんの救出のために拘束グループとの対話に全力を注ぐように求める。

日本政府は軍隊や戦争を肯定しないジャーナリストを憎んでいるから、見殺しにしたがっている。どんなに望み薄であっても、でも求め続けなきゃなんない。政府はその国にすむ人間を守る責務があるはずだ! 日本政府の責任放棄を許さないで、求め続けないと、安田さんは助からない。
2004年の春、人質にされたが生きて戻ってこれた安田さんの命は、今も危機にある。でも、2018年7月6日の現在まだ灯っている。
助けなきゃ。

2003年の3月20日に夜明け前のイラクの街の中継映像から聞こえていた鳥たちの声。ライトをつけて走る車。その後、そこに爆撃が始まった瞬間を忘れない。無力感に打ちひしがれてエレベーターの中で一人泣いた。それまで、何千人もの規模のデモの中で、「イラクへの戦争を止めてみせる」って本気で思っていた。爆撃開始当日の夕方のデモは、それまでの気持ちと全く違った。よく覚えている。

泥沼のイラク戦争への日本政府の加担は、戦争の惨禍をより拡げ、多くの人々の命や暮らしを奪った。
自衛隊はイラクに派兵してはならなかった。大量破壊兵器は見つかることなく、アメリカ政府もそのことを認めている。
世界最古の図書館は焼かれ、数え切れない人たちが難民となり故郷を追われた。

日本政府はイラク戦争をしかけた米国に追随し、市民から巻き上げた税金を 軍事費として投入した。自衛隊を軍隊として武器を持たせて戦地に送った。終わらない戦争を始めてしまった米国の友軍として。なかったはずのイラク日報だって案の定、出てきた。普通に考えて、ないわけないだろう。「黒塗りがおいつかない」?おかしすぎてコメントの仕様も無い。

この15年間、日本社会は確実に悪化してきた。次の戦争がこんなにも急速に近づいた。15年前は、憲法が変えられるなんて「そんなこと有り得ないだろう」って、心のどっかで安心してた。どこかで対岸の火事だった。しかし、この10年が経って、やっぱりこれは現実なんだと痛感している。この十数年だけでもこんな状況なのに、日本がいま持っている「自衛」としての戦闘力を、軍隊としておおっぴらに動かすようになったらどうなるか・・・。
国外で人が殺されるだけではすまない事態になるだろう。9・11のビルに飛行機が突っ込んだ2001年、私は大学1年生だった。震え上がりながら、一人のアパートでニュースを見ていたあの夜。私の中で、世界の闇が初めて露に感じられた瞬間だった。
(アニメーション映画『サマーウォーズ』で最大の危機とされた原発への攻撃予定も、福島がフクシマとなった今となっちゃ現実のほうが酷い状態になった。更に、悲惨なことが起こりえる。京都・京丹後のエックスバンドレーダー基地の付近は原発銀座だ。もんじゅだってある。)

今、憲法を書きかえて、自衛隊のことを憲法に記し、再軍事化を確定させたい日本政府は、イラク戦争の真実を、それにまつわる人々の記憶を封じて抹殺しようとしている。私は、水道の民営化が国会で通っていく中、伊藤詩織さんのドキュメンタリー映像の配信が何者かに消され続けていくこの今、モリカケ問題が文科省役人の不正入学/賄賂問題である意味で最終局面を迎えていて、しかもイラク戦争の真実を知る安田純平さんの生存が分かった今日、たくさんの人の死刑がニュースで全国に予告されていることに、これまでとは違う危機感を抱いている。

3・11の後、十数万人の民衆が国会周辺で抵抗した反原発デモを政府もマスコミも無視し、初めて事故後に原発(大飯原発)が再稼動してしまった翌日、首相が尖閣諸島の国有化を宣言したあの時もその思惑に眩暈がしたが、今、更に深刻な危機を感じざるを得ない。沖縄の知事選も暗雲が立ち込めている。

このままアベ政権が続けば、平和憲法は奪われ、戦後の日本社会が築いてきた人権も民主主義という仕組みも消滅する。
憲法を奪われたら、平和への砦は崩されきってしまう。
改憲勢力が憲法を都合のいいように書き換えるための、最大のキーパーソンは《自衛隊》だ。
イラク戦争で、日本政府と自衛隊が犯した罪と、その影響を、人々が認知することを日本政府は何よりも恐れているのではないか。

元自衛隊員の発砲による殺人事件も、彼が軍隊に入らなければ起きなかっただろう。(軍の訓練を受けていなければ、警官から銃を奪い、発砲することはできなかったのではないだろうか。)
自衛隊のイラク日報が発見されて、政府の腐敗がどこまでも明らかになっている今を放置すれば、日本は先の戦争、15年戦争から始めた第二次世界大戦の旧日本軍の戦争責任を含め(アジア太平洋地域で約2000万人の人が命を失ったとも言われる)戦争に対しての責任と一切向き合わないないままに、人類の悲願である非戦平和の想いの結晶である憲法9条を、ついに放棄しきることになる。そうなれば、未来は無い。

イラク戦争の真実の証人の一人であるジャーナリスト、安田純平さんを見殺しにさせてはならない。





亡くなったジャーナリスト、むのたけじさんの記事を読んだ。
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/munotakeji-kotoba?utm_term=.yqyvmPOP6#.cu2d31O15

上記の記事で見ることができる、むのさんの手書きの色紙には、こう書かれている。

嵐は、たいまつを消すことができる。だが、たいまつの火を 炎々と燃えるのも嵐の時だ。 -1976,10 むのたけじ

暗闇の中でこそ、光はお互いをみつけやすい
と、うまれて初めて行った沖縄で体験した辺野古の海上行動から帰ってから報告文に、そう書いたことを思い出した。
そのときの若い自分が一生懸命に放った言葉を、年とった自分がウソにしたくない。自分が受けた光を誰かにつないでいかなきゃ。


戦争は、始まる前に止めなければ、止まらない。
戦火の渦中でどんなに強く願っても、その現実の悪夢は消え去らない。その地獄から逃れることはできない。
沖縄戦の中で目の前で子どもを殺されたり、自ら手にかけさせられたお母さんたちの人生はこの世界の事実だ。
(丸木夫妻の絵本『おきなわ島のこえ』では、戦争に巻き込まれる前、そこには戦争の為の基地が作られ、兵隊が大勢やってきたとある。今、まさに沖縄で起きていることなのではないかと、改めて恐ろしくなった。宮古島や石垣島に自衛隊は凄い規模で押し寄せている。
辺野古があり工事が強行されている名護も、落下物や事故がやまない普天間基地のある宜野湾も、現在の市長は新基地の建設肯定派。今年の秋の沖縄県知事選も、宜野湾市の現市長の佐喜間氏が立つことになったそうだ。この人は日本会議のメンバーだ。もし、この知事選で彼が通れば、沖縄への日本政府の統治は完成し、「基地反対運動は民意の敵」とされていってしまうだろう。現知事の闘病の厳しさは写真一枚でも伝わってしまうほどのレベルだ。不安で呆然としてしまう。)



人の手を介して今、わたしの手元にある古い一冊の本がある。
塩田庄兵衛・橋本進 編の『反戦平和に生きた人々(母と子でみる8)』(草の根出版/1989年初版)には、戦前・戦中に権力に抵抗した方たちの名前がこれでもかと記されている。投獄され、獄死した人、行方不明になった人の多さ、名前の羅列に慄く。(しかし書き手は、それでも「そうなった全ての人の名前ではない。名前も分からない人が大勢いる。これは一部である。」と幾度も念をおしている。)

もう現時点で現代の治安維持法ができあがっている今、声を上げるのはいよいよ恐ろしくなっていくだろう。
けれど、黙れば、思考をとめれば、もっと後退し 人々の理想の生活は遠のく。『茶色の朝』はもう来ている。
気付くか、気付かないかは自由なのかもしれない。けれど、人の痛みや苦難を考えず、「関係ない」と暮らして、人間の真の幸福に辿り着くことは出来ないと私は思う。

自分で書かなくてもいい、現地に赴けなくてもいい。発言できる、対話できる環境も無いかもしれない。
でも、それでも
とにかく誰かが懸命に発した言葉や表現から、真実を受けとめ考え続けようとすることを止めないで生きよう。
自分を感じて、自分の内なる不自由が誰の意図するものか問い続けよう。


だから、どんなに虐げられて苦しいときであっても、
誰かが殺されたことを喜んじゃダメだ!
誰かが死んでいることを「関係ない」と切り捨てるな!

それは自らの魂を殺すことなんだよ。

人間の関係性に愛は宿る。

ともに、人間として、生きよう。
愛を失うな。
生きるんだ。生きるんだ。

何度でも言える

これ以上、殺すな!

自分も他人も、すべての生きとし生けるものを。
海を潰すな。森の中の泉を埋めないでくれ。

すべてのいのちが あるべき姿であるように。

声にならなくてもいい、叫び続けようよ。
この耳になにも聞こえてこなくても、 「届いてるからね」って応えられる命を生きたいと願いながら。

失われた命たちを慰められる現実もなく、助けられないいのちたちに懺悔しつつ、苦しみに満ちたこの時も、祈りながら書き、越えていくしかないんだ。

私はここにいる。あなたもそこに生きている。
確かに今を生きてる。

あきらめるな。
考えることを、人間として生きることをやめるな。

ともに居てくれるなら、自由と歓びに満ちた 真の平和と幸福を追い求め続けられる。



















































続きを読む

2018/07/06

BBC制作・放送の伊藤詩織さんのドキュメンタリー Japan's Secret Shame 見れた


詩織さん、ありがとう。 私もここにいます。

 
>【BCC制作ドキュメンタリー映像動画】 
BBC制作・放送の伊藤詩織さんのドキュメンタリー Japan's Secret Shame 「日本の秘められた恥」(日本語字幕付き、全編 約1時間)映像動画  https://nofile.io/f/bXSpvZERvtN
※詳細な性被害証言があります。フラッシュバックにはご注意ください。

情報で被害体験を《読む》のと、体験者の語る証言を《聴く》のは、まったく違うインパクトを引き起こします。「もう知っている」という方も、是非、お時間をつくって、画面の中の詩織さんと対面してほしいと思います。彼女の涙と目の光、身体の震え、息遣い、決意を 感じられるドキュメンタリー映像です。



>記事:2018年06月29日(BBCによる放映は6月28日)
「日本の秘められた恥」  伊藤詩織氏のドキュメンタリーをBBCが放送 
英語の記事




先日、BBCが制作・放映したドキュメンタリーを、BCCのウェブサイト掲載動画から、最初から最後まで見ることができました(日本語の字幕つきに感謝)。とりいそぎ情報のみアップ(7月3日)していましたが、いま見たら残念ながら期限切れでもう消えていた・・・・ だけど!まだ上記のサイトでまだ見ることができます!

それは、映像保存と拡散の為頑張ってくださっている皆様がいるから・・・。

これほどの犯罪を日本のマスコミが黙殺し続けるなか、SNSや伊藤詩織さんの著書Black Boxでこの事件を知る人たちは、字幕付きバージョンのダウンロードとアップロード&拡散を続けています。いま、こちらのNoFile.ioという国外のサイトでアップロードされた動画は、そのままストリーム視聴も、コンピュータへのダウンロード保存もできるようになっていますので、まだの方は是非どうぞ。

とのことです。 ありがとうございます!!
日本のYoutubeでは消され続けているそうで。
 記事:https://ameblo.jp/chihointokyo/entry-12388548373.html
案の定とは言え、この社会 闇すぎ・・・。





そしてそして、さっき遅ればせながら知ったのですが、
国際的メディアコンクール「New York Festivals 2018」では、監督を務めた”Lonely Deaths”(CNA)がSocial Issue部門、そしてカメラマンを担当した”Racing in Cocaine Valley”(Al Jazeera English)がSports Documentary部門で、と銀賞をダブル受賞されていたこと!
詩織さん、すごい!!!おめでとうございまーす!!!!!

記事:
2018.06.23 
Shiori Ito’s ”#MeToo” Struggles Continue 伊藤詩織さんにインタビュー  ―たたかいはつづく【前編】
Shiori Ito’s ”#MeToo” Struggles Continue 伊藤詩織さんにインタビュー──たたかいはつづく【後編】


ジャーナリズム、ジャーナリストとは何だろう。
私は真実を真実だと明らかにしようと模索し、世の諸悪の闇と闘おうとする人間の働きのことだと思う。
真実を自ら葬り隠蔽し、権力という巨悪に擦り寄る人間のことはジャーナリストとはどうしたって呼べない。
一人ひとりの人間の人生、特に弱い立場にされて封じられがちな声ならぬ叫びを聴きとり、与えられた表現方法を通じて世に響かせ、そこから世界を変えていこうとする
その信念が貫かれている人の表現こそを、ジャーナリズムと呼べると私は考える。

伊藤詩織さんはこの国の闇から、真っ向から向かい合い、耐え難い痛みや苦しみをもってさえ、真実と正義を明らかにしようと闘っている。彼女は、真のジャーナリストだと確信する。

詩織さんのやろうとしていること、やっていることは、人間の善き可能性の探求と実現そのもの。

どんな苦境にも阻まれないで開花する才能と、勇気。
 
励まされて、私もここで生きていこう。 
高校生の頃の想いを思い出す。初心忘れるべからずだな。コツコツがんばろう。




音楽はAni DiFfanco - Your Next Bold Moveを。




2018/07/05

東松山市市長選 やすとみ歩さん応援してます!

丸木美術館のある東松山市の市長選に立候補した 安冨歩(やすとみあゆみ)さん!
大好きな辛淑玉(shinsugok)さんが、ツィッターで「この人好きだ」と紹介されていて、初めてこの方のことを知りました。

街頭演説と音楽、解放的で自由。そして命に対しての骨太な思想のある人だと感じ、私も好きになっちゃった。

選挙カーの看板、気に入らないから書き込んじゃうのとかいいなぁ。
チンドン楽しいな~~!アンパンマンにウィシャルオーバーカム♪

選挙期間に公職選挙法で守られて、自由に表現できるっていうのを昔 素人の乱の松本さんもやってたけど、なんかいいよなぁ。
勿論、選挙で勝てたらいいけど、でも勝ち目がなくても、あっても、選挙期間にみんなが暮らしているところで 自由に表現して、
そこに住んでいる人と一緒に変わっていきたいっていうのが、すっごいいいと思った。
権力の座につけなくても、一人ひとりが自由になれるように自発的に変わっていけることが、現在の酷い社会を引っくり返していくことにもつながる。
やすとみさんは、そのことを力強く語っている!
(下記の内容は動画の第一声演説の私的な要約ですー)。

 ―こどもを守ること。
  これ以上 自然を破壊せず、懐かしい未来(駅前に蛍が飛んでいる等)を。
  大切なのは、食う寝る遊ぶこと。人間は幸せになるために働いているはず・・・。
  ほんとうの空がない、道が狭い東京に暮らしてもイコール幸せじゃない現実。
  競争を勝ち上っても幸せにはなれないってこと。
  近くでのんびり楽しく暮らしているひとと、お互いに助け合う。
  市長になったら、自らそういう生き方を実現していく。
  
  市長が変わってもシステムがあるため、戦艦ヤマトは止まらない。
  だけど、市民の暮らし方が変われば社会は変わる。
  そうしたら、戦艦ヤマトは止まる。
  そして、みんな自由に海を泳いでいこう!

 

などメッセージ。
選挙出馬のときに話されてた、すべての差別に対話するという姿勢。
響くーー

是非みなさんも御覧ください。選挙で勝てますように!


【街頭演説やチンドンの動画】 
※第一声の演説が(冒頭20分くらいかな)すっごい良かった!
東松山市長選 安冨歩候補「東松山ファンタジー化プロジェクト選挙、第一声」と演説&音楽ライブ、『こどもを守ろう』芸術チンドン 2018.7.1(IWJ)
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/426182

子どもと芸術表現と自然を大切にする基本理念
【東松山あゆみの会】東松山でなにをめざすのか〜地方自治の基本理念〜 

行ける人は街宣に合流してみては。楽しい方たちと仲良くなれそう。
安冨歩さんのツィッター 




そして、丸木美術館で4月末から開催していた、風間サチコさん展覧会 「ディスリンピア2680」も今週日曜日までみたいです。
遠すぎて行けないけど、めっちゃ観たいーー!!! 
(画集も出るらしいけど、この迫力は素材や大きさからも、生で見ないと真価が伝わらない気がしてしまう・・・・ )

「丸木美術館学芸員日誌」から展示されている作品の紹介
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/3068.html


一度だけ行ったことがある丸木美術館。
たっぷりした流れがある川のとなりに、静かに美術館があった。あの大きな壁画の間。
原爆、沖縄、水俣、三里塚、アウシュビッツ・・・。

久しぶりに本橋成一さんの写真集 『ふたりの画家』を開いてみよう。
絵本『おきなわ島のこえ』も。
丸木スマさんの画集、大道あやさんの文庫本に絵本、古本屋でみつけた俊さんの絵本もあるし。(うちの本棚なかなか幸せなラインナップかも。 金銭的に楽じゃない暮らしの中、どうしても欲しくて手に入れてきた本は人生の宝です。 )



自然のなかで暮らして絵を描いて、平和と人間の営みを生み出してこられた丸木俊さんと位里さんの拠点だった東松山、
安冨さんが市長になって、より 命の営みを大切にする地方自治になってほしい。

そして、すべての地域で、いのちが尊重される自治が実現できるような政治を求めます。

ひとりひとりの人がそれを自然と求めていくような、自由な風を起こしてくれている安冨歩さん、仲間の東松山と近辺の皆様。遠いけれど 祈りつつ、応援しています。




【こんな動画もありました】
丸木美術館での安冨歩さんと片岡祐介さん。今年の3月。


上記動画の企画の中、丸木夫妻の描いた原爆の図の絵に聴かされている音楽の動画作品です。

安冨歩、片岡祐介、新雅史
この作品は、原爆ドームの前で、原爆の死者に祈りを捧げながら、その霊感を受けて3人が共同で作曲した。我々は、これを原爆の死者の魂による作品と感じ、その成果を我がものとしようとするならば、その怒りを買い、想像を超えた罰を受けるのではと恐れるがゆえに、ここに全ての権利を放棄する。我々をこの判断へと導いた刈部謙一氏に感謝します。

That day in Hiroshima, the sparkle of life was lost (2016) Ayumu Yasutomi, Yusuke Kataoka, Masafumi Arata We composed this piece of music in front of the Atomic-Bomb Dome in Hiroshima, praying for the victims of the bomb. While it is us who made the music, we strongly feel that it comes not from us but from the victims’ souls. For that reason, we do not wish to claim any rights for this music, thinking that we will be punished by the angered souls if we did so. We express our gratitude to Mr. Karube Ken'ichi, who advised us on this decision.
楽譜 / Free Score https://goo.gl/lpRLkd


2018/06/24

2018年6月23日 沖縄慰霊の日 全戦没者追悼式 平和の詩「生きる」 朗読動画

今年の慰霊の日。私の想いはまた別に書きます。
毎日新聞ウェブ版から、全戦没者追悼式での平和の詩の朗読、
沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子さんの詩の朗読を是非お聴きください。



沖縄慰霊の日
平和の詩「生きる」全文 (朗読 動画あり) 

毎日新聞2018年6月23日 12時43分(最終更新 6月23日 22時37分)

https://mainichi.jp/articles/20180623/k00/00e/040/310000c



「生きる」
  沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子

 

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 

私は今、生きている。

 

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。

 

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 

私はこの瞬間を、生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

 

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

 

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

 

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

 

今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。


 (沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子さん)









参考記事:読む・考える・書く http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/07/01/201311
2018/06/20

天災と人災と戦争の責任  そして想像力

大阪の地震にあわれた関西の方たちの無事を状況の回復を心よりお祈りします。
どうか、これ以上 揺れませんように・・・。

家族がケガをしたり、ちいさな家族とはぐれたり、家や土地や日常のすべてが 前とは違う不安な時間のなかで過ごされている皆様が、はやくまた安心して眠れる日がきますように。

神様、どうぞ人間の間に 善き力を発動させてください。
天災に乗じた人災が、悪意からも善意からも混乱からもどうか起きませんように。 祈る。





天変地異に乗じてヘイトスピーチを発信し続ける連中に 腹の奥底からの怒りを覚える。
おまえらはもう一度、関東大震災のときの朝鮮人・中国人への大虐殺を誘発したいのか?!許されない・・・
(日本人自警団によって、反発したり発音がききとりにくいとされた日本人たちも殺されている)

『九月、東京の路上で』(ころから社)加藤直樹さんインタビュー
https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/140715/

ツィッター上のヘイトスピーチ対して声を上げている人たちのアカウントを凍結しているツィッタージャパンへの憤りも言葉にならない。(新潟県知事選でも市民派候補者のアカウント使えなくしてた時期あった。ありえない。)

カケの理事長の会見とやらも、地震があって、新幹線が動かないような状況で、岡山で・・・って?無理だし、集まった記者ですら入れない人がいたらしい。
人の不幸の混乱に乗じて、会見の二時間前に地元の記者クラブにファックスしただけで「ちゃんと会見した」なんて・・・(そんでお決まりのワールドカップ日本戦に合わせて、ですか。)
それが、日本社会のなかで最も自由に言論をいえる空間である大学の長だなんて冗談でしょう。腐ってる。
どうしてもアベを庇うなら、「自分が勝手に言ってたみたいです」くらい言えよ!自分より弱い立場のせいにして、「自分の責任は全くありません」って。それで通せるとおもっているのは、天下の政府の権力者の側に自分はいるという、ただそれだけの根拠。

A級戦犯は野放しで、BC級戦犯のほうが罰せられて、最高権力者は大往生でだった戦後日本。せっかく与えられた民主主義も人権も、おおもとではなにも変わらない。大日本帝国的な物の考え方や、都合が良すぎる植民地主義、日本軍の暴力の連鎖構造、その戦争責任の所在が問われることも反省もなく、歴史の事実を歪曲し、ひたすら堕ちていくこの日本国家。この国がここまで来てしまったのは、自らが起こした戦争についての責任の所在が社会的にも個人的にも追及されずきたことが根源に大きく大きく横たわっている。

カジノ法強行採決の乱闘に近い国会の映像も見慣れつつある。よく考えてみなくても、おかしすぎる。
いいかげん許してはならない。このままにしたら日本の戦後民主主義は完全にノックアウトされてしまうじゃないか。

(余談だが、カケ理事長の顔を初めてみて、ラグビーだかアメフトだかで子どもに試合中に暴力を命令し実行させた上でしらを切るどっかの監督とおんなじ目つきでびっくりしたよ。同じようなことやっているオッサンの目つきは似るもんだとつくづく思う。)


もうすぐ沖縄「慰霊の日」を迎える。

住民を殺し、自決を命令した日本兵たちが、自分のやったことを省みないで 戦時のことを賛美するため立てた忠魂碑の一つが、日本軍が使っていたであろう爆弾の形をしていたのを見たときに受けたあの衝撃を、いま思いだしている。

死者たちを冒涜することが、今を生きる人たちを蹂躙し続ける。

ニッポンという国よ
もうやめにしないか
そんな人として恥ずかしいことを

これ以上 上塗りできないほどの恥を どこまで続けるのか

その先に何があると思っているのか


辺野古の工事はすすみ、夏には土砂を投入するという・・・。

こんな状況で、どうしたら顔向けできるようになるのか。学生の頃のように何も考えず、現場に飛んでいってなにかできるなら、いっしょにいられるかもしれない。けれど、今の自分にそのちからはない。そのやり方をしたら身を滅ぼすことがわかるから。

願いが消し飛ぶような錯覚を覚えるほどの巨悪に、それでも向き合う人たちの姿。
無力な自分にやれることは残されているのか




ガザで苦しい生活を強いられているこどもたちが、3・11からずっと毎年三月に東日本大震災の被災者のために復興を願う凧揚げをし続けているという記事を読んだ。

安田菜津紀さんの記事:週間サラダぼうる 2018年3月5日 東京新聞

https://mainichi.jp/articles/20180305/ddm/014/070/048000c


日本の入管に監禁されている難民の方たちが、東日本大震災の被災者のためにペットボトルの容器いっぱいに募金を集めておられたことを思い出す。

どうして、そんなに苦しいところにいて、
むしろその苦しみを生み出す側の私たちの社会に生きている他の人の苦しみを想い 行動することができるのですか

涙があふれてしまう


私たちの社会はどうして
ここまできてしまったのだろう





効力がないといわれても祈りをやめることなく
誰もみていなくても自分の想いを書き続けることしかない


2018/06/17

ヒップホップと『風の谷のナウシカ』の話

ドキュメンタリー映画 「自由と壁とヒップホップ」(2008年)http://www.cine.co.jp/slingshots_hiphop/からダイジェスト版




いつか、パレスチナのDAMみたいな歌をうたえる日本語のラッパーのHIPHOPのライブに行きたいなーー!!!

以前このサイトで、HIPHOP 思想が言葉になり、言葉が音楽になったというのを書いたけど、やっぱり母語で聴ける共感できる内容のラップは格別だからね。言葉を瞬時に理解できると、それが音楽とあいまってグッとくる。

文章(思想や思考)と音楽が融合しているから歌はすごいんだけど、HIPHOPは歌詞が多く情報量があるから、そういう面では更に力があるように感じる。人の感性を掘り起こすにも、事実認識や信頼できる情報が伝わってないと、伝わるものも伝わらない場合が多々あるから。言葉で新しく知ること・学ぶこと・感じることと同時並行で音楽が来るから、DAMのラップはすごいんだな。映画では字幕があるから、彼らの音楽の凄さが分かる(日本であったライブに参加できたとしても、私じゃその真価は分からなかっただろうな・・・。母語で芸術表現や文化を享受できることは、このディアスポラな世界で、特権だ。改めて自戒しなきゃ。)


首都圏であったフェス「THE M/ALL」の存在を、一回目の開催が終わった直後くらいに知って、渋谷まではどの道 行けないけど、これに参加している人たちの存在を知ることができて元気でてた。動画もいろんなアーティストを知れてナイス。またやるらしいので首都圏の方で興味のある方は是非。
「THE M/ALL」https://twitter.com/the_mall0526?lang=ja
直接には行かないにしても、こうしたムーブメントが起こっていることを知っていたい。

このフェスに参加していた仙人掌さんというラッパーの方がこのフェスの曲をつくったそうで。良いし、フェスをやった人たちは嬉しかったでしょうね。才能も人間のセンスもありそうな人が 「政治を学ばなきゃな」って歌ってることに希望を抱く。
聴いてみたい方はこちらを→https://soundcloud.com/dogearrecords/monday-freestyle-prodaru-2?utm_source=soundcloud&utm_campaign=share&utm_medium=twitter

音楽と詩(文学・思想)が更に融合したHIPHOPが日本語でも発展していく様を感じたい。日本在住のラッパーの皆様、ドキュメンタリー映画 『自由と壁とホップホップ』観てない方は是非!!!



表現、芸術/感受し思考し共鳴する生活


怒りも苦しみも生き辛さもを表現に昇華させ、人と共有することから、つながりを生み出し、生きるチカラをお互いに再燃させ、人間としての尊厳ある抵抗を 生み出していく流れ! いのちと尊厳を守る抵抗。
音楽も、歌も、表現も、芸術も、なんにも作品はつくらなくても自分自身を隠さずそのままに生きること。自分自身を知り、他の人間やいのちと交感する。その全て、生きることの全てが 人間を奪わせない文化的な闘いだ。

社会運動や抵抗は、人間の感受性をフルに使った表現である。そこに込められている魂の叫び・呼びかけを受けとめあい、分かち合える歓びをもって、お互いの存在を確認しながら、総じてエンパワメントされていく方向を持ったとき、真価が発揮される。ガンバリズムじゃパワーレスだしナンセンス。お互いに苦しくなったり、権力構造がうまれたら本末転倒。
自由かつ、エンパワメントを強める強力なツールが芸術と表現。音楽と言葉(文学)は人間の魂を強める。CIAが沖縄の音楽をめっちゃ解析していたことが最近明らかになってきているみたいだけど、そりゃそうだ。何よりも国家権力が恐れているのは、ひとりひとりの人間性の解放とその繋がりだから。

久しぶりに、ドキュメンタリー映画 『アマンドラ!希望の歌』(2002年)を観たくてたまらなくなり、注文した中古DVDとどいた。地の果てまでの群集が、歌いながらダンスステップを踏み、少しずつ近付いてくる「トイトイ」。その迫力に武装した白人兵士たちが逃げ出すシーンがあったような気がする。それが観たい。(2002年のドキュメンタリー映画だから予告編とか動画アップがなくて、ここで映像が紹介できないのが残念。)



The personal is political 

この社会世界の中で自分が受けたすべての感情や感覚、そして個人的体験を、社会と個人の関係としても理解していくこと。それが自分を自由にする。まずは自分が生きる歓びと全ての感受性を手放さないこと。感情や体験と社会構造への理解が繋がったとき、いろんなことが見えてくるんだろうと思う。
「音楽や文学に政治を持ち込むな」なんてタワゴトだ。権力に擦り寄る連中のお決まり文句だ。人間の権利や文化への理解が全く無い彼らは、このフレーズに使われている単語の一つひとつの背後に広がる概念や存在意義をなにも理解していない。

表現や芸術の作品、そして自らの生活から文化に昇華させていく時、作品が生まれる。人と直接に交し合わなくても、作品は作者も知らないところで受け手と交感し、受け手の思想と感性を その個々人のうちで発展させ続ける。なにも作品を生み出していない人であっても、生活の中で出会った人を変えてしまうチカラを持っている人もいる。そういう人はその人が信じている何かを確実に発信している、一人の表現者だといえるだろう。


最近、「風の谷のナウシカ」原作を数年ぶりにきちんと読んだ。これまで、何度も読んだのに意味が分かっていなかったことがいろいろあったが、この度は理解できたように思い、感じるものがあった。何度も読んでいたのに、発見ばかりだった。(大学で環境問題を学んだときに、先生がこの原作を読むようにいつも薦めておられたなぁ。)

不朽の作品であることは言うまでも無いが、私自身が平均的寿命まで生きられるとしたら、人類の限界に今より更に直面することは確実である人間の一人であるわけで、そういう自分が、今現在をどう選び、生きるのか。改めて考えさせられている。
本物の作品には作家の思想と魂が込められている。受けとめられるか自分は試されていると感じている。宮崎駿さんの思想がつまった作品を享受し続けてこれた世代の一人として、自分は何を次世代に受け渡していけるだろう。

それにしても、ナウシカ原作の あの壮大な世界観に矛盾しないで、むしろあの世界を表現しきった音楽をつけた久石譲さんの凄味を、改めて痛感した。いい曲が多いから、ちょっと彼の凄さに文字通り耳慣れしすぎて甘く見てた。ナウシカは映画があるから、原作が音と色彩をもって自分の内に入ってくるのだろうなとしみじみした。音楽やアニメーション(動画)、漫画、色彩、それぞれの強みがある。作品をつくるにしても、暮らしの中で作品を受けて感応していくにしても、感想をシェアすることも、ひとりでしかできないこと、誰かとしかできないこと、みんなでないとできないこと、それぞれにあるのだと思う。

最近いろいろ一人考えていたけど、表現・芸術の思想の重なりや連なりに希望を以前よりもっと抱けているようにも感じる。
現実社会の煮詰まりは更に加速されてきている。いいものと恐ろしいものの二極化が著しい。国際情勢も戦争と平和、それぞれを求める力の境界というか、軋轢をすごく感じる。日本政府は途方もなく逆行し続けているし・・・。

時代の激しい流れにさらされ、どうにも疲れやすい。絶望の闇と希望の小さな光の粒が、混ざりに混ざっている。

公害の時代から核戦争の恐怖、東西冷戦を経て 生み出された「風の谷のナウシカ」原作。どんな悲痛な絶望の世界も、生きようと呼びかけ続けたナウシカの物語。原作の再読を大切な友人が今、薦めてくれた理由が、なんとなく分かる気もする。

外界と自分の内のバランスを模索しつつ、自分もどこかで苦しんでいる人も少しでも愛と自由に近づいていける生活/表現を目指したい。



2018/06/16

バジルの枝からアイヌモシリに。

新鮮なバジルが多めに安く手に入ったので、久しぶりにタイの料理のガパオ(バジルいりそぼろ炒め)を作った。

バジルの茎が硬かったので、葉っぱと花をとって、それぞれ料理したんだけど、その茎を何気に軽量カップに挿してみた。
そうしたら、ふいに、故・砂沢ビッキさんの作品を近江八幡のギャラリーNO-MAで昔 観れたことを思い出した。懐かしくなった。

(あ、下記URLページの左上のこの作品ですね。バジルの枝から、これを思い出したのです。http://bikkyatelier3more.wixsite.com/atelier3more/no4

この近江八幡の展示で、ビッキさんの写真集が閲覧用にあって(彼の作品も、そうだけど、彼自身を写した写真集だったんだけど)
これがどうしても欲しくて写真を撮った写真家の甲斐敬章さんに電話して問い合わせたものなぁ・・・。
(ギャラリーで買ったポストカードセットのケースにに問い合わせ先が書いてあったから。「もう手元にも1,2冊しかなくて譲れなくてすみません」ということだった。いまも残念。)


アイヌモシリ(北海道)の旭川より北にある音威子府に、彼の記念館がある。いつか必ず行きたい場所。
◆砂沢ビッキ記念館 アトリエ3モア (冬は雪のため行けないので閉館らしい。)
http://bikkyatelier3more.wixsite.com/atelier3more



アイヌ民族の木彫り師の方たちの伝統的な作品や生活のための民芸品の美しさや気高さ、力強さに加えて
彼は、芸術家として生き物の魂や風の形を木彫や絵や文章で現し続けた。
いのちの艶かしさを果てなく自由に、そして官能的に解放している。

ビッキさんの絵がプリントされてるTシャツも13年くらい着てるけど、洗濯するときはネットに入れるだけじゃなくて、いちいち裏返して洗おう。だいじにしよう・・・・ とか考えてたら、

久しぶりに大好きな歌を思い出した。

塚田タカヤさんの「森の人よ」だ。


「森の人よ」
作詞作曲、歌 塚田タカヤさん  


  俺は想う わずか200年前のこと
  あたりは全部 原始の森だ
  川は流れる その流れのままに
  谷をわたる風 青い青い空だ
  想い巡らせてごらん その頃のおまえの人生を
  深い森に生きる あのなつかしい日々を

 *Yeh Oh 森の人よ Yeh Oh 森の人よ
   Yeh Ah 森に住む人よ Yeh Ah 森に住む人よ

  祈る男たち 踊る女たち
  森をぬけて 歌う声が聞こえる
  俺は夢見る はばたくシマフクロウよ 
  夜空に響く オオカミのうたよ
  思い巡らせてごらん 何千もの鹿たちの群れよ
  あそぶヒグマたちよ わらう子供たちよ

 *repert

  思い巡らせてごらん 殺された多くの魂よ
  本当の自由よ 本当の平和なときよ

 *repert



2005年頃、この歌に支えられて仲間たちに連れられて成人してから初めてアイヌモシリに行った。「北海道」をアイヌモシリだと認識できてから初めての旅だった。(最初っていっても、それ以来いけていないけど。)
いろんな土地で、集落があった場所が森になっていたり、アイヌ民族のお墓が大学の敷地の中で「縄文人遺跡」とされていたり、公園になっていて全く分からなかったりした。北大の中にある骨が囚われている安置所は、なんの立て札も看板もなく、表からは全く分からなかった。旭川でもとてもお世話になった。私は全くお手伝いしていないのに、出来たばかりのチセ〔家〕に入れてもらったっけ。

生き証人の方たちに労力と時間を割かせて、現場を案内して頂いたことを思い出す。たいして学びもせず飛び込み、疲れきった方たちに語らせ続けることを強いていて、それに慣れきっていた。無知で無恥なことも知らない若い自分。

二風谷にも、みんなでヒッチハイクしながら行った。(見も知らない私たちをご厚意で乗せて頂いたのに、疲れてうっかり車内で眠ってしまったどうしようもない自分だったけど・・・。私とぺアになった仲間は災難だったわねぇ・・・。)


もう20年ちかく前になるけど、2000年の秋、高校3年生だった私は大学の入学前テキストで、やがて恩師になる人の文章から生まれて初めてアイヌ民族の存在を認識した。まだインターネットが身近でない時代だったけれど、たまたま高校の選択授業でパソコンでインターネットをして何か調べて感想文を書けというのがあって、アイヌ民族について知りたいと思い検索した。
そして、「アイヌとシサムのウコチャランケを実現する会」のホームページに行き当たった。アイヌの聖地の一つである二風谷に造られたダムについての裁判の資料を公開していた。ホームページに掲載されていた貝沢正さんと萱野茂さんの裁判での陳述を、 声をあげないように泣きながら読んだのを覚えている。(このサイトはもう無い。)

貝沢正さんの息子さん、貝澤耕一さんは今も森を育てるために木を植えておられる。
NPO法人 ナショナルトラスト・チコロナイ http://uwamuki.com/kinobunka/j/kikou/2005.12.21/kaizawa.html

1999年7月10日に九州大学で行われた講演録http://www.design.kyushu-u.ac.jp/~tomotari/kaizawa.html


歴史を学びなおし、過酷な現在を認識し、自分の立ち位置の責任をうやむやにせずアイヌ民族のシサム(よき隣人)にいつかなれたらと、諦めず願い行動できる自分になっていきたい。

この国家によって全てを虐げられてきた全ての民族、すべての人々。今を生きる方たちと関係を紡いでもらえるような自分を生きたい。

私自身に何もできなくても、それでも
自分の暮らしの中で、昔に出逢わさせて頂いた方たちとの時間や体験と心のうちで出会いなおしていけたら、それは改めて感じ取り、学びなおす機会になるかもしれないのだ。自分次第なんだ。どんなに素晴らしい経験をさせてもらっても、忘れてしまっては、それは忘恩になってしまう。あの方たちが苦痛を経てしか受け渡されなかっただろう証言の数々。亡くなられた方も多い。この方たちが命を削ってまで若かった自分に受け渡したかったものは何だろう。

私の受けてきたものを思い出し、考え続けていく責任が私にはある。そのことを改めて実感した。
お世話になった方にお礼を述べられるような近い存在でもない自分だけど、敬愛する皆様の無事を祈りながら、その思想のカケラをいつか受け継いでいけたらなぁ。真摯に。でも柔らかく。



アイヌ語:ウコチャランケについての萱野茂さんの言葉。
ウ=お互い コ=目的 チャ=言葉 ランケ=降ろす

お互いの目的のために言葉を降ろす・・・。

人の魂を傷つける凶器としてではなく、人と人の間を繋ぎ 生命の輪を廻し続けていくための力を持つ言葉。
何を目的にして言葉は発されるのか。その目的を成就するには、何を守る必要があるのか。

自分はどういう言葉を発しているのか。何を目的にして相手と話しているのか。なぜ、今も稚拙でしかなくても書いて公表するのだろうか。

もっともっと思索を深くするために、学ぶこと、新しく感じることが必要な気がした夜だった。
感謝です。
アイヌモシリに心を向けて眠ります。今夜はもう遅いから明日以降、本棚にある絵本『イオマンテ -めぐるいのちの贈り物』(パロル舎)を読むつもり。たのしみ。

書いたものを読んでくださってありがとうございました。おやすみなさい。
2018/06/14

金敏基(キム・ミンギ)さんの歌から

いつも見に行かせてもらうブログで金敏基(キム・ミンギ)さんという方の歌が紹介されていました。

「常緑樹(荒れ野の青い松のように)」という歌でした。とても素晴らしい。歌も歌声も深くて。海のよう。



常緑樹
(荒れ野の青い松のように)  キム・ミンギ


野に立つ青い松を見よ
見守る者とてなく
風雨にさらされ
吹雪に打たれても
この世の終わりまで
青々と繁る

悲しみと痛みに満ちた過ぎし日
二度と再び
戻ってこないように
汗を流そう
目を覚まそう
荒れ果てた野に立つ松になろう

たとえ我らの持てるもの少なくとも
手に手をとり
涙を流し
我らの行く道
遠く険しくとも
うちやぶり進もう
必ず勝つのだ

(『キム・ミンギ 韓国民衆歌謡の「希望」と「壁」』より)




この歌をきいて、「朝露(アチミスル)」という韓国の民主化闘争の中で歌われ続けている歌を思い出して、うろ覚えしたのを歌っていた。楊姫銀(ヤン・ヒウン)さんという女性が歌っていたというのは覚えていたのだけど。

1975年に軍事政権下の韓国で理由も不明なまま「禁止曲」にされ、歌った人は有罪にされ、それでも抵抗運動の中で歌われてきた歌。(『放送禁止歌』(森達也さん、光文社 2003年)という本で、触れられていて初めて知ったような気もするけど、読んだのももう15年くらい前だから、はっきり確かめてない。実際に私がこの歌を初めて聴いたのは、沢知恵さんのコンサートが初めてだった気がする。)

10年くらい前、韓国・朝鮮 語を教えていた友達にもらった「朝露」の楽譜と歌詞のコピー紙をもらえて、誰に聞かせるわけでもなく、ただ歌いたくて練習してたなぁ。
(『旅の指さし会話帳⑤韓国』の間に挟まっていたなぁ・・・。まだあるかな?と思って、いま本棚みたら、あった~!そうそうこれで練習してたんだわ。だから少し歌えたんだなー。)


昨晩、「朝露」の歌詞の和訳と よみ(日本語発音表記)をインターネットで探したら、「朝露」を作った人が、キム・ミンギさんだったんだってことが分かった。

それを、知った瞬間 なんだか言葉にならない感動と嬉しさがひろがった。



作詞作曲:金敏基(キム・ミンギ)さん
歌:楊姫銀(ヤン・ヒウン)さん

「朝露(アチミスル)」



「朝露」歌詞/가사

きんぱM ちせうご ぷRいMまだめちん
긴 밤 지새우고 풀잎마다 맺힌
ちんじゅぽだとこうん あちMいすRちょろM

진주보다 더 고운 아침이슬처럼




ねまめそるみ あRらり めちRって
내 맘의 설움이 알알이 맺힐 때
あちMとんさねおRら ちゃぐんみそるR ぺうんだ

아침 동산에 올라 작은 미소를 배운다.

てやんうん みょじうぃえ ぷRけ っとおるご
태양은 묘지 위에 붉게 떠오르고
はんなじぇ っちぬんとうぃぬん なえしりょにRじら
한낮의 찌는 더위는 나의 시련일지라.

ないじぇ かのら ちょこちんこぁんやえ
나 이제 가노라, 저 거친 광야에.
そろうM もどぅ ぽりご ないじぇかのら
서러움 모두 버리고 나 이제 가노라.

◆以降繰り返し



歌詞 和訳(李政美さん/이정미版)

長い夜を暮らし草葉に宿る
真珠より美しい朝露のように

心に悲しみがみのるとき
朝の丘に立ち微笑を学ぶ

太陽は墓地の上に赤く昇り
真昼の暑さは私の試練か

私は行く、荒れ果てた荒野に
悲しみ振り捨て私は行く


(https://ameblo.jp/sonnykim/entry-12026258349.htmlより歌詞とよみを転載させて頂きました。)





画家の(詩人でもある?)
洪成潭(홍성담.ホン・ソンダム)さんの版画と詩を、京都の美術館で観て10年くらいかなぁ。
あ、これだったような??
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/notice/art-minjoong_art.htm

洪さんの作品から、民主化闘争の中の人々の想いや失われた魂の声が伝わってくる気がして、めちゃくちゃ感動した。
金さんの作る歌を聴くと、そのときの気持ちが沸き起こってくる。

今、インターネットで検索していたら、洪さん、めっちゃ活躍されているみたい!
http://www.labornetjp.org/news/2015/0725hokoku
丸木夫妻の作品に近い迫力!と思っていたら、2005年に丸木美術館で展示をされていたそう。それは凄かっただろうな。いつか作品をまた生で観たい。丸木美術館、いつかまた行きたい。光州にも。



朝鮮半島の平和への歩みを、いつまで日本社会は無視するつもりだろう。
したことの責任を認めないでは、何も考え始めることはできないのに。

たいまつが蝋燭になり、蝋燭がLEDライトのロウソク型ペンライトになって・・・。
政権を変え、国から国際関係を変えていく韓国の民衆の力。
日本でも国会前で頑張っている方、沖縄の辺野古の現場におられる方、各地のカウンターに出向かれている皆さん。
光を求め続ける彼らとどこかつながっていきたいと願う。祈りつつ、うたいつつ、歩む。




2018/06/01

【働き方改革「高度プロフェッショナル制度」】は【奴隷化】





記事:
高度プロフェッショナル制度がもたらす地獄絵図=48日間連続の休憩なし24時間労働が合法  http://blogos.com/article/298282/

竹中平蔵パソナ会長が派遣法と同様に高度プロフェッショナル制度を小さく産んで大きく育てる必要性力説 http://blogos.com/article/301013/



村山由佳さんの『風は西から』を、ちゃんと読みたいと思う。
みなさんにも読んでもらえたらと思うので、紹介します。



《内容紹介》
過労自死———。決して、彼が弱かったのではない。では、なぜ、彼は死ななければならなかったのか?
答えを探して、大企業を相手にした戦いが始まる。
小さな人間が秘めている強さを描く、直木賞作家のノンストップ・エンターテインメント!

大手居酒屋チェーン「山背」に就職し、繁盛店の店長となり、張り切って働いていた健介が、突然自ら命を絶ってしまった。大手食品メーカー「銀のさじ」に務める恋人の千秋は、自分を責めた――なぜ、彼の辛さを分かってあげられなかったのか。なぜ、彼からの「最後」の電話に心ない言葉を言ってしまったのか。悲しみにくれながらも、健介の自殺は「労災」ではないのか、その真相を突き止めることが健介のために、自分ができることではないか、と千秋は気づく。そして、やはり、息子の死の真相を知りたいと願う健介の両親と共に、大企業を相手に戦うことを誓う。小さな人間が秘めている「強さ」を描く、社会派エンターテインメント。
---
大手居酒屋チェーン『山背』に就職し、繁盛店の店長となって張り切っていたはずの健介が突然、自ら命を絶った。なぜ彼の辛さをわかってあげられなかったのか―恋人の千秋は悲しみにくれながらも、同じく息子の死の真相を知りたいと願う健介の両親と協力し、「労災」の認定を得るべく力を尽くす。だが『山背』側は、都合の悪い事実をことごとく隠し、証拠隠滅を図ろうとするのだった。千秋たちはついに、大企業を相手にとことん闘い抜くことを誓う。


2018/05/30

「アベは辞めろ!」コールに合わせて、家で踊ったり踊らなかったり。




改めて思ったけど、「倒幕」って、語呂がよくて言いやすいですよねー。
語呂はよくないけど、打倒・現政権!!!
嘘つき云々以前に戦争やりたがりのアベは、首相なんて権限を持ってはならないヒトです。ありえない。
いいかげんにヤメロ!!!!
アソウもいつまでおんねんな。いいかげんに立ち去れ!!!!
性暴力を無法国家の法律が裁かなくても、人を過労死を法律で正当化しようとしても、アンタたちの所業を天は見ている。
レイパーのオッサンたち、あんたらはほんとうに人間か?なら そろそろ恥を知れよ。




みんなで見よう!
市民メディア放送局の動画配信!
https://twitter.com/info_9

山本太郎さんも志位さんも、めっちゃ闘ってくれてる。政治家としてやれること、力を尽くしていのちがけでやってくれてる人もいる。中でやれること、外でやれること。自分にやれることの全てを人のそれと連動させていく!


2018/05/30

いま確認し掴み取る人間の尊厳 -ケン・ローチ監督作品『わたしは、ダニエル・ブレイク』


障害者年金 1000人打ち切りか 審査集約 戸惑う受給者(毎日新聞2018年5月29日 06時30分)
https://mainichi.jp/articles/20180529/k00/00m/040/163000c

生活保護減額どこまで 半年後から段階的見直し(中国新聞 2018年5月29日)
http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=435863&comment_sub_id=0&category_id=256


日本政府は障害をもって暮らす人間や、生活困窮者や、高齢者が死んでいくのを望んでいるとしか思えない。
障害年金を打ち切る、というのは、その人の人生を見放し「お前の人生なんて知ったこっちゃない。なんなら死んでしまえ。いなくなれ」という明確な態度だ。
いまだって、年金うけられなくて死んだり自殺させられたり路上で生活したり、性を収奪されないと生きられない障害者がいるのに。
路上に押し出された人たちに精神や知的の障害当事者がどれだけいるだろう・・・。
だいたい年金が出ている人であっても、日本の年金額のみでは自立した生活はおおよそ不可能なはずだ。年金が出ている人でさえ保障されていない生存権が、これ以上切り崩されていく・・・。

2年前くらいに厚生労働省が障害者の年金をかなりの規模で打ち切っていくという方針をだした。地域による受給者の数の差を是正していくという意味不明な論調で、精神障害、知的障害の当事者から、というように発表されていたと記憶している。
日本政府は、改めて個人の切り崩しを取る姿勢を明確化したと感じた。手始めに、まずはより組織しにくいだろう当事者から、ということだろうか。障害者自立支援法が当事者運動や民衆の抵抗によって2010年に障害者総合支援法に改正させられた経緯から、人々が連帯しにくい生活費の部分に、これまでより意図的に手をつっこんできたのだろう。

生活保護受給者への減額も、おなじ。なんの希望も見出せない暮らしでも、この仕組みにすがるしか生きられない状態の人に、今以上の苦しみを強いるのか。受給者はどんな理不尽なことがあっても、逆らえない。一昔前のニュースでは福祉事務所のケースワーカーに性暴力をふるわれていた女性の受給当事者もいたときく。彼女は今、どのように暮らしているのか。
そもそも役所にいっても生活保護の申請すらできない(役人の「水際作戦」に阻まれた)人たちはそれからどうなっていったのか・・・。
生保に対して意図的なネガティブキャンペーンが始まってもう何年も経つ。この社会の軋轢にあえぎ苦しむ一人ひとりの苦難が放置され、無視されている現実から、一応は苦しみから「保護」され、「保障」されている(とされる)人間への憎悪が、テレビによって組織化され暴力の矛先は受給当事者に向く。垂れ流された差別を内面化した人々は、受給当事者を見下げて攻撃する一方、「生保を取る位なら死ぬほうがマシ」という感覚も浸透したように思う。こういう人たちは、必要となっても、その権利に手を伸ばせなくなる。

このネガティブキャンペーンとその結果を考えたやつらが、今の「自衛隊がかわいそうじゃないか」論を はってるんだろうなーと感じる。政府の思惑をそのまま世論にしていく広告やさんには優秀な心理学者さんがいっぱい雇われているんでしょうなぁ。
人々の思想を枯らし、お互いを攻撃するように仕向け、人間の魂を死なす死の商人だ。くたばれ!

障害者も困窮者も殺すな!!!!!

人間は働かなくても働けなくても 誰しもに生きる権利がある。
だれだって、働けないときがあるし、時には働きたくないときもある
どんな人も生きていって年をとれば、働けなくなるときがくる。

障害をもって生まれてきた人も、事故にあった人も、治る病気になった人も、治らない病と生きていく人も、みんな人間として生きる為に この世に生を受けた。それは天が与えたもういのちだ。そして、どんなにいつも元気いっぱいに、常に健康に生きてきた者も、生き続ければ必ず年をとる。老いれば誰もが賃労働はできなくなるし、病気や老化で障害者になっていく。

大体、人間社会に ほんとうに必要な仕事や労働に賃金が発生しにくい場合も多々ある。
賃労働は、その一人ひとりがやりたい、するべきと考えられた上で労働者自身に選ばれ、労働者個人の人柄が潰されない「仕事」である得るべきだ。それが人権というものだと思う。だが、実際はどうだろう。

この日本社会のなかで、労働について、仕事について、ライフワークについて、考えたい人も
日々の糧を得るための賃金を手にするために、思考を停止して心身に鞭打って「働く」。やれるまでやりきるしか生きる道が残されていないから、人は懸命にそこでのタスクをこなす。倒れてしまうまで。

経済成長・資本主義に役立たない、賃労働に使えない、国家の利益にならない人間は生きる価値がないか?

いのちを馬鹿にするな。
それじゃあ、あんまりにもお粗末で腐りきった世界じゃありませんか。
そういうこと言う人は、「そんな価値観で生きてて嬉しいか?楽しいか?心の底から笑ったり、安堵したりできるの?誰かを大切に愛したことはないの?あなたは、なんのために生きているの。」と訊いてみたい。

神様はこんな世界にするために人間をつくったのではない。

福祉の切捨ての問題は、一見、社会的に追い詰められている人たち(括弧つきの「弱者」)を標的にしているように見える。
しかし、これはこの社会で生きている全ての人間の生存権の保障そのものの破壊だ。


「今、すべての人にみてほしい」という宣伝文句が、本当に本物だったと感じた映画がある。
二度目のパルムドール賞を受賞したケン・ローチ監督の
 『わたしは、ダニエルブレイク』(2016年)http://www.longride.jp/danielblake/

“生きるために、もがき苦しむ人々の普遍的な話を作りたいと思いました。死に物狂いで助けを求めている人々に国家がどれほどの関心をもって援助しているか。いかに官僚的な手続きを利用しているか。そこには、明らかな残忍性が見て取れます。これに対する怒りが本作を作るモチベーションになりました。(ケン・ローチ監督)”





苦しんでいるあなたにも
苦しめているあなたにも
関係なくて涼しい顔したあなたにも
苦しみに気付くまいと必死でいるあなたにも

ダニエルはすべての一人ひとりに呼びかける



2018/05/28

種は命で、命はみんなのもの。農水省の役人たちは井上雄彦さんの『バガボンド』37巻を読め!

農水省は、農家が購入した種苗から栽培していた種や苗を次期作に使う「自家増殖」を原則禁止の検討へ ~違反すると“10年以下の懲役、1,000万円以下の罰金”~
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=161708


学生だった頃、遺伝子組み換え作物の問題を大学で学び、知ってから15年以上たつが、種子独占やバイオパイラシーの問題が日本にもいよいよ顕在化してきた。「海外でこんな酷いことが」と本で紹介されてきたことが、自分の社会にも水面下で次々と浸透していく。ついに来たか、ほんとーに来るもんなんだなと、どこか呆然としつつ、とにかく自分の所感を書いてここに載せてみようと考えた。


わたしたちは、このままだと種をまき野菜を作ることすら禁止されてしまう。
「種は、企業の専売特許だから」と。この罰則を農林水産省が実施したら、種を自力で植えたら罰則・罰金。そうなると、種は、人間が自由に手にできるものではなく、企業のものだということになる。いのちを育て、引き継いでいく農業をする権利が消滅させられる。
お金があるひと(もしくは借金制で)しか、野菜は育てられず、種をつけないよう改造されてしまった作物を毎年、セットの農薬とともに購入しなければならなくなっていくだろう(モンサントなど)。もうこれはかなり以前から諸国で起こっていた問題だ。遺伝子組み換え作物は勿論、エフワン種子など日本の社会でも一代限りの品種の歴史は短くない。しかし、それはこれまでは選択できるものだったが、このような法律が現実化すると、種をお金をだして買うしかなくなる。

インドの科学者ヴァンダナ・シヴァさんや、心ある日本の農業関係者の皆さんが作物の種を集めてこられたが、今その意味が実感される。小説よりマンガより、何より悲惨な闇がこの世界に根をはり続けて、いのちの連鎖は支配者に断ち切られようとしている。現実は、何よりも悲惨だ。
18歳から大学で環境問題を学ぶ機会に恵まれた自分が、一貫して感じるのは、現実の酷さの現実感のなさ。呆としてしまうほどの、圧倒的な力の流れ。不平等と不正義と暴力。もはや取り返しのつかない現状。このままでは更なる破滅を避け得ないという絶望。
まだ当事者だと自覚できなければ、日常は変わらなく見え、問題を忘れて過ごすこともできるにはできる。しかし、私たちの暮らしの深部で、時と共に事態は進行し、世界は極限に向かい続けている。自分が生きる世界の実態と、どう向き合い生きるか。それが環境問題の真髄だと私は考えてきた。

腐敗した政府と力をもった多国籍企業。そこに力を与える「人を不幸にする」科学技術。権威により長時間かけてコントロールされた人々の悪意の矛先。階級や優劣の差別と排外主義、満ち満ちた社会の内にある操作された大量消費と無意識化。価値観も思考という行為自体も人間は奪われつつある。シューマッハが『スモール・イズ・ビューティフル』の前書きに、聖書の言葉を言い換えて「軽薄な者が盲目の者の手を引く社会」と書いてたのが印象的だったのを思い出す。(「盲目」って単語を例えに使うのにはちょっと抵抗あるけど。)

日本の農業はただでさえ様々な問題で存続が危ぶまれているが、ほんとうにこの国家は何を目指しているのか。「売国奴は誰だ!」と怒りが煮えくり返る。しかし、ちょっと考えてみると、日本政府は明らかにはしていないが、食料自給率を下げ続け、農業が壊滅していく状態を目指して昔から淡々とやってきた。米不足を経験しても減反政策をやめずに、海外への食糧依存を強めてきた。そう考えて最近 腑に落ちたことがある。これは国内に暮らす人たちに対し、いつでも国家が「兵糧攻め」できるようにするためではなかろうかと。
戦時中、配給の券がもらえたのは国家に楯突かなかった人たちだけではなかったかと想像する。どんな強靭な思想家も、食べて飲まなければ生きてはいけない。国家は悪法を手当たり次第やっているように見えるときもあるが、明確な意図があってやっているように思う。それは、目指すところ国家による人間の奴隷化の完成ではないだろうか?

このまま、いのちのつながりを金と支配権力に換算している連中の思うままにしたら、人間は与えられたはずの幸せをすべて奪われていくことになりかねない。天が決めた命の仕組みすら変えて、儲けようとする企業ののさばりは、政治権力による後ろ盾を根拠に、神をも恐れない。ありえないことが積み重ねられ続け、到着してしまった今。
なにもかも来るとこまできた。ずっと前からだけど、今は更に危機だ。人類は滅びるより酷いことになりそうな予感がする。
気候変動ひとつとっても、みんなが実感するくらい変わってきている。四季すら崩壊しつつある。世界中で緑も、珊瑚も消失しつつあり、生き物は絶滅し続けている。降るはずの雨が降らない地域では、作物はからからに乾いてる。あるところでは大雨で家が流される増水や、家が壊れるほどの突風も、わりと頻繁に起きてて、地震も噴火も。これは自然なのか、それとも激変による結果なのか、誰にも分かりはしない。
ただ、「のびきったゴムが弾け切れている最中なんだ」と、実感し、戦慄が走る。南極と北極の氷が溶け出して沈むまで秒読みかもしれない。太陽の光を受け続けたら皮膚がんになったり、息を吸うだけで内臓疾患になりかねない都市だってもうありふれてる。

その一方で日本社会は、 社会的政治的な限界を迎えている。
憲法も、民主主義の形骸化と退化も、更なる軍事化も、それに伴う独裁を可能にする監視社会の強化も、教育の愛国化や優劣競争主義も、優性思想も、農業の衰退も、医療福祉の後退も、原発の爆発も、災害の放置も、人権意識も歴史教育もなにもかも、捻じ曲げ、いのちの本筋からは反れて独裁国家の道をひた走り続ける。多大な犠牲と苦しみの歴史の上にやっと手にしたはずの権利が、いのちの形すら、過去のものへ押し流されていくのを見るのは本当に辛いし、申し訳なく、情けない。

日本政府はこの期に及んで、巨額の税金を私物化したことを、バレバレの嘘をついて、証拠は捨てたと言い、それまで一味だった人間も簡単に切捨て、監獄にいれたり死に追いやっても開き直り続ける。

この国のトップはなんなんだろう。どうなってんだろう。10年前だったら、発言ひとつで辞職していた政治家たちが、ここまでのさばり続けられるのは、それを認めて服従してしまう民衆の姿勢をなめきってるからやんね。
でもアベ政権みたいな男の人、社会の中にうじゃうじゃいるもんな。こういう人たちからは、支持され続けるでしょうな。学校から社会に出てもうだいぶ過ごしたけど、権力を持つと人間はおかしくなりやすくなるんよなぁ。

って、書いてみて、己を省みたら、こんな力のない私自身も、めっちゃたくさんの権力を持っていた。
(大人だとか、日本国籍や選挙権があるとか制度に乗っかって優遇されたりとか、異性愛よりだったりとか、身体障害がないとか、その地域の住民ではないとか、何かの当事者ではないとか・・・。母語を自由に使えるとか、故郷があるとか、大学いけたとか、こうしてウェブ上で発信できるとか、いろいろありすぎるけど。あ、そもそも人間だということが超特権だよね。地球の動植物を絶滅させまくり、わんこにゃんこの殺処分ひとつとっても。って、こんな書いてもキリないんだけど・・・。)

自分に権力があること(優遇されていたり、違う立場の人を社会の構造的に踏みつけてきている状態の立場であること)を自覚しないで振舞うことが、差別という暴力を生み出すんだよね・・・。私自身に悪意はなくても、立場の違いを踏まえないで繰り出した言葉や行動そのものが、差別や暴力を上塗りし、強化してしまう・・・。
当事者にとっては「意識するかしないか」なんて選べない、苦しみを強いられた生をいきている事実に対して、あまりにも無関心であったり、無視して通り過ぎていける目の前の人との差を感じたときに当事者は深く傷つけられるんだろうと思う・・・。相手がどんなに良い人で、大好きな人でも、その断絶を感じたときに、それまでの関係に線がひかれてしまう。その一人の言動の背景に、社会という氷山の大きさを感じさせられ、大きな氷山に信頼していた人が、からめとらえている現実に打ちのめされる。

こうした断絶状態を打開していくには、気付いていない人が自分のしたことに気付くしかない。しかし、気付いていない人がそれを自覚するのは難しい。そうなると、気付いた人が言うしかない。でも、いつも気付くのは打ちのめされた側だから、苦しめられた人が更に問題を打開するのための苦しみと責任を背負わされている。

自分を悪意なく傷つけた、表面上は関係が悪化していない人に、それを分かってもらえるように伝えるなんて、すんごい労力だし、大体 こわいだろう。社会には構造的な暴力装置があり、そのどの立場に自分たちがいるのか。そういう社会の概念や自分の責任や務めを、意図的に全く教えずにきた教育や常識が根底にある日本社会で、こうした問題への話が通じる人はそう多くない。
ただでさえショックを受けているのに、その傷を説明した上で、更に相手の態度によって塩を塗りこまれる。信頼した人から、無意識ではなく意識され選択されたコトバや態度によって決定的に傷つけられる。

これまでの人生でたくさんの人に失望してきた人ほど、自分だけ気付いている状態なら、自分の気持ちをごまかせられれば、「なかったこと」として、これからも「仲良く」したいって思ってしまうかもしれない。もし本質的に話し合って決裂した場合、表面上の関係もクラッシュする。うまくいったら葛藤したすべてが報われて、心が晴れるし心配も吹き飛び、相手との信頼関係も深くなるけれど、うまく行かなかったら、きっとその人との関係は終わっていく。それなら心底では辛くても、自分が痛みを忘れて、これまでのように関係を維持できた方がいいんじゃないか。でも、うわべは仲良くできても、本当は信頼できなくなってる関係でいいのか?
そもそも、この痛みを「なかったこと」にしてしまうことは、自分に嘘をつくことになる。それでいいのか?同じ立場で闘ってきた人たちの生き方も無視する流れに与してしまわないか?誠実さがあるのか?裏切りじゃないか?自分の生き方としてそれでいいのか?

私の身にそういうことが起きてきたときは、話し合うエネルギーと自分の中の相手のだいじさを天秤にかけ、すぐ答えがでる場合は早々に諦めて離れた。でも、大切な人や信頼したい人には、それはできなかった。黙って離れるのは、相手に勝手に見切りをつけて見捨てるような気がした。相手が自分にとって大切な人であれば上記のように悩み、破局覚悟で話しをしてきた。それは、私が今よりずっと何も知らないときに、私に対して諦めないで呼びかけ続けてくれた先達や仲間たちから受けた恩への証でもあった。
同時に、意志を持つ持たない以前に、見かけの平穏に耐えきれず、本質的な安心でないと必ずいつかガタがきてしまう、ある意味で正直で素直な心身を与えられたことは、大きな恵みとして私の生き方の基盤にある。日本社会的には不適合でも、いのちある人間としてはこれでいいと私は思う。(この社会の強いるスタイルが人間的でも生物的でもないのだと強く感じる。)


人権がある程度は共通認識としてある場所でも、傷つけた者は知らないままに差別は日々起こっている。「自分は差別問題に意識がある」という過剰な自負心は思い上がりを生み、そこから生じる越境行為は、なによりも当事者の尊厳を侵食していくからだろう。
「自分はどんな体験を重ねても、その当事者にはなれない。だから、決して同じようには感じられない」ということを肝に銘じることが本当に重要なことと思う。(もちろん、同じ立場の人間へ対しても、同じことが言える。「私たちは仲間であっても、個人個人は同じではない」という精神的自立が、ほんとうの連帯を生み出していくと考える。)

善意からすら暴力が生まれるのが差別の恐ろしさだと実感する。
無知であり、無恥な自分に 精一杯 自覚的であれたらと願う。差別したくないと願うとき、段差の高いところにいる自分の足場を確認し、段差の低いところにいさせてしまっている人への己の想像力の足りなさを、常に自戒していく必要がある・・・。それをするには、勇気をもって投げかけられている声と出逢い、ほんとうに聴くことや、歴史や社会の背景を学び続けることが必要だと心から思う。

「ありえないこと言ってるけど、こいつは話せば通じるかもしれない」と相手から思われる自分自身を示したい。その人の気持ちを教えてもらえるように。知らないうちに諦められてしまわないように。気がついたらいなくなられていないように。いつ何時も、「ああ、こんなんなら、こいつに話さなきゃよかった」って失望されないように頑張っていたい。



盛大に話がそれた。

でも、今の日本社会で起きている現象で私が最も不可解で怖いもの一つは、現政権を支持していない人も、なぜか自民党に投票してしまうっていう現象なんです・・・。
こわい!なんで? だいじょうぶなの??っていう。
原発爆発しても翌日出勤していまうっていうのに似てるのか? ううーー

・・・みんな、考えていることを出せない生活をしすぎて、もう自分でも感じていることを 表現できなくなりすぎて、ついに色々と一致しなくなってきているのかな・・・・。考えていることを表面にだしたら疎外されて当たり前なのが日本社会の現在地だものなぁ・・・・。

いじめ構造がどの世代のどの場所にもあまりにも常態化していて、思想的自警団化しているのかなとも思う。いまや大学でもいじめがあるくらいまで社会は衰退しているし、職場はパワハラやセクハラの能力主義によるいじめの嵐なので論外だし・・・。いじめと差別の連鎖により、統治する側は楽な時代だろうな。

・・・・ここまで、書いてみて、本当に思ったこと言える人間関係が稀有な社会になってしまった現状が悲しくて辛い・・・。

誰でも、「それでも人に繋がりたい」って思うから、みんなヘイトスピーチに取り込まれていくんだよなぁ・・・。
「味方がほしい」、「誰かと共感したい」、「繋がりたい」、「笑いあいたい」、「出会いたい」
そういう人間として生きていく本来の欲求や望みが、利用されつくして暴力が増大していく。いじめと一緒で。権力者は笑いが止まらないよね。

悲しくて悔しい。

なんて息苦しい・・・。
なんて人間を馬鹿にしている、いのちを馬鹿にしている社会だろう・・・。
尊厳のすべてを踏みにじろうとするこんな社会を作ってきた責任が自分にもある。選挙権を持って長い時間いきてきた人間として、恥ずかしく申し訳ない。
人間の腐敗はもはや政治のみに止まらず、ふつうの一人ひとりの中にも支配と暴力が入り込んで はびこっている。
根こそぎからの人間の破壊。
みんなしんどくて、殺されそうで、本来ある人間の苦悩も歓びも手放し、国家へ服従・追随して、必死で生きようとしているのだろうか。 瀬戸際にもほどがあるよー・・・。

生きるって、どういうことだろう。生き延びることとは。



そういえば、今年の5月3日の憲法記念日に、
『生きる 劉連仁の物語』著:森越智子 イラスト:谷口広樹
https://www.doshinsha.co.jp/search/info.php?isbn=9784494020423
を読んだ。

ああ、冒頭の話とつながったな・・・。

中国・山東省の農民だった劉連仁(リュウ・リェンレン)さんは、1944年9月に囚われ、日本への強制労働者として連れ去られ、北海道の炭鉱から死ぬ思いで逃げ、北海道の山中を12年間さまよい 生きのびた。
共に逃げていた仲間を失い、自死を図ろうとした劉さんが、それでも生きる力を掴み取る転換点の描写がすごすぎて、涙がとまらなかった。戦争の犠牲を、数や規模で知ることも大切だけど、たった一人の人の生を丁寧におい、深く感じさせ、想いを寄せさせる文学の力を改めて思い知った。

すべてのいのちがその本来の姿として決して生きることをやめないように、私も生きようと思う。

こんな状勢で、諦めそうになるけど、戦争はどんなことがあっても阻止しないといけないって、魂が震えるような気持ちになった。生きていた劉さんのことを無視し、謝らないどころか開き直り10万円をわたそうとしてきた当時の総理大臣はアベ氏の祖父だった。憲法は人を虐げる国家という巨悪を縛るものだ。日本国家の首輪、足枷を外したら、いのちは巨悪に支配され、末期的な環境になっているこの地球に希望的な未来は無いだろう。

人間は、言葉をもっている。文字もある。歌もある。人はヒトではなく、人は人間だ。
時空すら超えて、人と人の間を繋ぐ術を 私たちは受け継ぎ、育てている。
人生を賭して声を残してくれた人と、ひとりの人間として出逢い続けていきたい。



先日ウェブでみた、木村夏樹さんという方の写真。

「声」 木村夏樹 写真展 ー 3.11以降の市民活動の記録 ー 2018年5月19日〜6月9日 入場無料 神保町 農文協・農業書センター 東京都千代田区神田神保町2-15-2 第1冨士ビル3階
https://twitter.com/_natsukik

街の中や官邸前で、諦めず声をあげ、連なっている人の姿を記録した木村夏樹さんの写真に勇気付けられると感じた。
どんな絶望の中でも声をあげる人がいる。服従しないで生きる!って全身全霊で表現している人たちのパワー。
悲壮感というよりも、屈しない意志と尊厳がみえる。

なんていうか、結果が出ようが出まいが、実を結ばないことであろうがなかろうが、自分の持ち場で私自身がどう立っていくか。
どう生きていくか。一貫性を持って歩めるかってことやんな。と じんわり感じた。
弱ることも、ダウンすることも、休むこともあるけど、皆さんに元気をもらいながら、そこはブレずに生きていたいと思います。
なっがいのに最後まで読んでくれたキトクな方、ありがとうございました。温度差が激しくからだに堪えますが、自愛していきましょう!

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2018/05/15

赤ちゃんだった私たち



一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。 彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。 イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。
「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」
そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。
「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

     (マルコによる福音書 第9章 33節~37節)



イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。
「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

    (マルコによる福音書 第10章 13節~16節)







 『星の王子様』に書かれているとおり、すべての人ははじめはみんな子どもだった。

年をとるほどに幼い日のうちに体験したことの意味と、その重みを自覚する瞬間がある。赤ちゃんやこどものときに大人たちから受けてきた関わりが、人との関係を結ぶための基盤となっていると感じる。関わりを持たれず、愛を受けにくい状況にいる子どもたちは、愛されたくて、素直に愛を受けとめてもらいたくて、苦しむ。その苦しみを重ねた先の絶望の、その果てに、自分自身や他者を傷つけていく生き方を選ばざるを得なくなる大人になる場合がある。日本社会では人間らしく暮らせる生活や共同体が崩壊しつつあり、愛が枯渇し、暴力や差別が連鎖・蔓延している。様々な問題のしわ寄せの被害を最も受ける立場にいるのは赤ちゃんや子どもたちだ。

そして、独身であろうが妻であろうが母親であろうが、いつも決まってまとめて責任を負わされるのは女性たちで。(赤ちゃんを遺棄したり、子どもを虐待する母親の背景に横たわる日本社会の闇の深さ。この社会に巣食う性暴力の根深さに呆然とする。)

日本社会の少子化は女性のせいでも、若者の価値観の変容のせいでも無い。結婚や子育てを不可能にしている雇用の形態や経済・賃金の格差、女性差別、子育て支援がないことや、教育にお金がかかりすぎる等、福祉政策の希薄さなど言い出せばキリが無いが、とにかく日本政府の政治的責任は回避できないと私は考える。意図的な失策を棚に上げて、責任を個人に押し付ける政治家たちは言ってることもやってることも、メチャクチャだ。

悪い権力者たちが、はやく権力の座から降ろされて人間らしい人間になれますようにと祈る。力や才能は人々を支配するためのものじゃなく、人々の幸せを実現させるために与えられているものであると思う。人としての恥を無くし民衆を虐げ、支配し、私腹を肥やし続けている現政権と周辺の連中は本当にいいかげんにしてほしい!ほんとうに、いのちの敵だ。

しかし、こういう状況に歯噛みし続けることで、自分も連中に似てきてしまう部分があるから、注意して我が身を振り返らねばだなぁと、しみじみ思う。私自身も強者であり、差別者だという視点を忘れがちになるからこそ、私には主イエスの存在の再確認が日々必要だと感じる。すべての子どもは大人と対等に接せられる必要があるが、すべての子どもにとって大人は「強者」であるから、暴力や支配が発動しないように、進みながらも常に考え、自問自答し続けねばならないと思う。


政治や社会をすぐに変えることはできないが、今、自分が関わるすべての子どもたちに(すれ違う子どもであっても)、その子の存在への肯定と祝福を伝えることが大切だと考えている。目線ひとつであっても、声かけ一つでも、具体的に表現した場合、子どもたちは自分に関心を向けられたことに対して、なにか反応してくれる。そうした触れ合いから生きる力を充填されることも多い。
(親は人によって無視か喜ぶか分かれるけど。あんまり都市部でやると通報されちゃうから、こっそりやろうかな。)
すべての子どもが飢え渇かず、衛生を保たれ、脅えず、大切にされ、自由自在に表現できる暮らしができる世界が来るように希う。

子どもはいのちの未来そのものだ。愛をもって育んでいくのが大人の役目。そうやって全てのものが受け渡されていく。

自分で産んでもうまなくても、赤ちゃん子どもたちは私たちの宝。そうした生き物としての根源を取り戻していかないと人間社会は破滅する。目の前の子をしっかり大切にしていきたい。




人間が人間であるために、幼少期に何が必要かを 映画『いのちのはじまり』の映像は教えてくれている。私は映画本編は見損ねたけど、いつか観たい。公開された日本ユニセフ協会の編集映像に感謝。アップしておくので、お時間あれば、ゆっくり御覧ください。



映画『いのちのはじまり』予告1(1分58秒)

https://www.youtube.com/watch?v=yQsXMKorFoY&t=1s


映画『いのちのはじまり』予告2(2分18秒)
1と内容が違います!
https://www.youtube.com/watch?v=qOBK_TGZDfY



ふれあいを大切に(3分43秒)映画『いのちのはじまり』 から
https://www.youtube.com/watch?v=BxNVqoK04cQ

赤ちゃんは科学者(3分46秒) 映画『いのちのはじまり』 から

https://www.youtube.com/watch?v=bU7GrSdujdU&t=1s


あそびとはじぶんらしくいること(4分16秒)映画『いのちのはじまり』 から

https://www.youtube.com/watch?v=VvMWyUFJc6s


おとうさん(2分23秒)映画『いのちのはじまり』から

https://www.youtube.com/watch?v=y9C6sWpdVxo





2018/04/12

メルバンさん解放。

2018年4月10日(火曜日)、やっと、東京入管からメルバン・ドゥールスンさんが出ることができたことを今日知った。

◎支援者である織田朝日さんのツィッター
https://twitter.com/freeasahi?ref_src=twsrc%5Etfw&ref_url=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Fbyline%2Fshivarei%2F20180207-00081337%2F

残された収容者。常に収容をほのめかされ脅されている日本に暮らす人たち。

国とはなにか。国民とは何か。
国民という定義を勝手に作って、その枠に入らない人たちは人間ですらないと言うのか。
人間が暮らせる国にするか。権力者が好き勝手できる国家にするか。
いのちを育み暮らせる土地にするのか、いのちを奪う基地にするのか。

人と人の間にあるものは何か。
愛なのか、信頼なのか、真実なのか、想像力か。それとも、結局は優越感や猜疑心、暴力、排外主義による支配でしかないのか。
中央政権の権力による身勝手すぎる公権力の私物化。
人間の姿勢としてこれを許さず真っ当な政治を求め続けるか、見過ごして更に破滅的な未来を選ぶか。

全ての己の言動が時に固着し、今の連続として重ねられ生きた時間となっていく。
一人ひとりの生きた時間が連なり時代をつくる。動かすこともあるだろう、やっと辿り着いた土台を根こそぎに崩しきることもあるだろう。


私たちは何もかもを、天から試されている。

何の役に立てない無力そのものの自分。苦い。でも、屈しない。あきらめない。
2018/03/14

安倍内閣の即時 総辞職を要求します!本日19時半から官邸前

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アベは辞めろ!!!!
首相官邸前いきたい!


書類の隠滅、文章改ざん、官僚切捨て…。ほんとうに有り得ないところにきている。
今すぐやめさせなきゃ、このまま放置されたら日本はまた酷いことになってしまう。
いま立て直さないと本当に本当にこの社会の今の「当たり前」は終わってしまうよ。第二次世界大戦をもっと酷く展開するつもりななの?今しかない。今しかないよ。
東京には行けないけど、久しぶりに街頭にでよかな・・・


◎昨日のスタンディングの様子
https://twitter.com/himejiro1971/status/973512323481481222
◎韓国からも応援メッセージがたくさんきてるって!!ハッシュタグ #RegaindemocracyJP
https://twitter.com/hashtag/RegaindemocracyJP?src=hash



東京入管に閉じ込められているメルバンさん解放のための署名できます
◎ネット署名:【#FREE MEHRIBAN】東京入管はメルバンさんに対する非道な扱いをやめろ!

https://www.change.org/p/freemehriban-%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%85%A5%E7%AE%A1%E3%81%AF%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E9%9D%9E%E9%81%93%E3%81%AA%E6%89%B1%E3%81%84%E3%82%92%E3%82%84%E3%82%81%E3%82%8D


記事◎「夫を、娘を、息子を、お父さんを返して」難民鎖国日本に訴え、入管収容施設で拘束のクルド難民の家族ら
志葉玲 | フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和) 3/9(金) 11:00

https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20180309-00082510/

◎難民支援をされ続けている織田朝日さんのツィッター
https://twitter.com/freeasahi
※メルバンさん以外でも妊婦かもしれない難民女性も収容し(違法)、出血があっても放置しているとのこと。酷い。入管の人権侵害は枚挙に暇が無い… 

◎<シリア内部>「もし生きていたら また連絡します」と住民 北西部アフリン トルコ軍・武装諸派の攻撃で住民死傷者850人超(写真4枚+地図)3/8(木) 14:08配信 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180308-00010001-asiap-m_est
2018/02/10

メルバンさん解放を求め、東京入管に送った抗議メール文面

【緊急】日本育ちのクルド女性メルバン・ドゥールスンを直ちに解放するよう東京入管に訴えてください。パニック障害で、自分の薬すら使わせてもらえない彼女に、これ以上の収容は危険すぎます。皆様、どうかよろしくお願いします。
(FAX)03-5796-7125
(電話) 03-5796-7111
(メール) info-tokyo@i.moj.go.jp


Pinkydragon ~ SYI (収容者友人有志一同: Immigration Detainee's Friends)
Blog 4コマ記録 ある日の入管http://pinkydra.exblog.jp/26252899/




 今日の昼に電話してみたが、東京入管の電話は平日9時から5時しか繋がらないようだ。
職員は誰かいるに決まってるのに。人の生活を支配しておいて、この「お役所の仕事ですから時間はこちらが決めます」って態度。
違う国の意味の分からない書類を、毎回提出させられるのはそれ自体が大変な迫害なのに、日本語か英語でなければ問い合わせられないという。当たり前のように、そう説明されている入国管理センターのウェブサイトを見て、日本社会の冷酷さを改めて思い知る気がした。

 支援されている織田さんの4コママンガの記録、まだの方は読んでほしい。
「公務員」が休日してて、その間にも囚われている人は苦しめられ、生涯に残る心身への暴力を強いられている。医療もまともな食事も奪われ、家族や友人との時間も奪われ続け、衰弱しきって命を失う直前の人を、責任逃れの為に「解放」する。全てが職員の気分ひとつで行われていることを、織田さんの記録から痛感した。彼らをそうさせているのは、この日本社会の無関心という名の差別と、国家からの暴力行為へのお墨付きだ。だれにも咎められないから、大手をふるい虐待をしている。職員個人の人間性もあるが、社会構造の差別の中で、立場により個人の残虐性が増長している。虫も殺さなかったような優しいお父さん、お兄さんであった人たちが戦場で鬼になり、女も子どもも年寄りも容赦なく殺せるようになる戦争となんら変わらない。

 今日は私も休日だった。自由に家にいれたり、音楽を楽しんだり、外出して甘いもの食べたりできる立場だった。笑ったり泣いたり怒ったりしながら、いろんな人とのふれあいが許された一日だった。私の楽しく幸せな時間の足元に、踏みつけられている人たちがいる。
今この瞬間メルバンさんは、踏み躙られている。痛みと苦しみと恐怖に文字通り血を吐いて・・・。

せめて、抗議したい。少しでも、私にやれることは全てやりたい。



《以下は本日2018年2月10日(土曜)、東京入管info-tokyo@i.moj.go.jpに送ったメール。》



東京入国管理センター
並びに働かれている職員の皆様へ

 ( 氏名 )と申します。
そちらに収監されている方たちへの虐待に強く抗議します。
特にクルド女性メルバン・ドゥールスンさんを直ちに解放しなさい。

 彼女はパニック障害を持っていると聞いています。私も同じ病気を経験していますが、その状態の人を独房にいれたり脅迫し続けていることは虐待であり、殺人行為です。その上に薬すら使わせてもらえないなんて、あまりにも非人間的な仕打ちではありませんか!?これが「先進国」の法が為すことでしょうか。私は、入管でおき続けている暴力行為を想うとき、日本社会を構成する一人として恥ずかしく情けない気持ちでいっぱいになります。
国としても、ひとりの人間としても、このように同じ人間を踏み躙り続ける姿勢はは断じて許されません!

 入管で働くあなた方は私も納めている税金で雇われている公務員です。公務員はこの社会で暮らすすべての人の幸福追求のために働かなければなりません。それなのにあなた方は、おなじ人間を不幸に貶めています。今おきている差別や暴力を強権的に行うためにあなたたちは政府から給金をもらっているわけではありません。そのことを肝に銘じておく必要があります。

 暴力行為は支援者やジャーナリストによって世間に伝えられています。私もそうして声を届けようとしています。しかし例え、国家や社会が今おきている暴力を見過ごしたとしても、天は一人ひとりの行いを見ています。収容されている人を見下し、暴力的に振る舞うのを直ちに止めるべきです。

とにかく、メルバンさんのこれ以上の収容は危険すぎます。彼女を今すぐに解放してください。

彼女が解放されるまで、声をあげていきます。それでは、またお電話で。

2018年2月10日 ( 氏名 )






We cannot remain silent before the suffering of millions of people whose dignity has been wounded.
(その尊厳が傷つけられてきた数百万人の人々の苦しみを前にして、沈黙してはいられません)

教皇フランシスコ(邦訳)


2018/02/09

滞在難民の虐待が未だに続いている日本の入管。メルバンさんの為、抗議を!

下記の記事をご覧ください。

記事:

新婚女性を拘束、吐血・痙攣しても薬を与えず、口封じの脅迫―東京入管の難民虐待が酷すぎる
志葉玲 | フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)
2/7(水) 11:00

https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20180207-00081337/



私もパニック障害になったことがあるが、その症状の人から薬を奪い、監禁し虐待するということは、直接的に命に関わる本当に危険な状況だ。肌で感じる。メルバンさんが入管から出て、夫と暮らせるようになっても、その体験のPTSD(トラウマ)に苦しめられることが想像される。一秒でも早く彼女を入管から解放しなければならない。

メルバンさんは暴力と恐怖と支配と闘っている。監獄の中で、人間の権利のために。
この境遇で抵抗し続けている彼女のすごさに圧倒される。この人を奪われてはならない。

直接入管に行くことができなくても、
電話、ファックス、メールで、声を叩きつけなければ。今!


【緊急】日本育ちのクルド女性メルバン・ドゥールスンを直ちに解放するよう東京入管に訴えてください。パニック障害で、自分の薬すら使わせてもらえない彼女に、これ以上の収容は危険すぎます。皆様、どうかよろしくお願いします。(FAX)03-5796-7125、 (電話) 03-5796-7111、(メール) info-tokyo@i.moj.go.jp


【メルバンについて続報】

1月23日にこのキャンペーンを始めて次の日24日、メルバン(MEHRIBAN・DURSUN)は女性職員B466に呼び出され「電話やFAXを続けるならお前を解放しない」「これで外に出れると思うなよ」「面会も禁止させるぞ」などの卑劣な恐喝を受けました。そして次の日、脅しに屈しなかったメルバンに、なにかまずいと感じたのか、B466は手のひらを反すように急に態度を変え「そんなつもりはなかったのよ~」と言ってきました。まったく気持ちが悪いです。

しかし、吐血をした件で、今まで連れて行ってくれなかった外の病院にやっと連れて行って貰えたそうです。現在、検査中です。
メルバンは覚悟を決めていて、弁護士もどんどんやってくれと言ってくれているので続行します。
皆様、引き続き東京入管にメルバンを解放しろと電話やFAXをお願いします。私たちの力でメルバンを救い出しましょう。

東京入管 03-5796-7125 (FAX) 03-5796-7111 (電話) info-tokyo@i.moj.go.jp

Pinkydragon ~ SYI (収容者友人有志一同: Immigration Detainee's Friends)




様々な理由で日本に暮らす、祖国以外の場所で暮らさざるを得ない人たち。日本で育った在日外国人の人たち。絶対権力の日本政府 法務省 入管に、脅され続け、生活を簡単に奪われ、入管の中で非人間的に扱われ、医者にかかることも、薬をのむことも許されない、そんな暴力が日常的に起きている。虐待され、ほぼ確実にその人の命や生活を奪う「本国」に無慈悲に「送還」しようとする。入管の中で殺される人もいる。

日本の入管で起きていることは、日本社会がどこまで人間に対して残酷かということの極みのひとつだと言える。日本社会で育った子どもに対して、「この国から出て行け」脅迫する「デモ」が行われだして何年たつだろうか。(10年は経ってると思う…。)社会の構成員資格がルーツや血筋にのみあるというのは、この社会に智徳が無いことの何よりの証明だと言える。

政府の姿勢や入管の職員への責任追及が必須なことは勿論のことだ。けれど、この問題を知らずに済ましている、…いや、もっと言えば、「自分は意識を持っている」と都合よく現場を忘れ、油断して日々を過ごしている私自身にも重大な責任がある。そのことを痛感している。

日本社会のアパルトヘイトウォールは全くもってヒビさえ入っておらず、むしろ壁は分厚く、高くなり続けている。
その見えない壁が、自分の心の中に入り込んでいたことを認めざるを得ない。

何故なら、私は2004年夏に東京青山の国連大学前で座り込みをしていたクルド難民のカザンキランさん御一家、ドーランさん御一家にお会いしたことがあるからだ。にも関わらず、そのことを今やっとのことで思い出している…。
夏の灼熱の日差しを受け、夜は蚊に刺されながら、国連大学の前で全てを懸けて座り込みをしていたクルド人難民の二家族。近くにある水道で身体を洗われている小さな子どもたち。「もう戻る家もない」と話してくれたカザンキランさんの覚悟した目と話口を思い出す。強制排除がきたとき、自身にガソリンをかけ抗議の焼身自殺をしようとしたカザンキランさん
http://www.mkimpo.com/diary/2004/kurd_sit_in_2004_articles.html
そして年が変わり、カザンキランさん親子は、2015年1月17日にトルコに強制送還された。(今、生きておられるかどうか・・・。)
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200501190443.htm

私がカザンキランさんがトルコに強制送還されたことを知った日、万博を控えた名古屋・白川公園で野宿生活者の方のテントが強制排除が強行された。この二つの権力の横暴が、稚拙でも未熟でも、とにかく自分で発信していく責任があると、初めて自分のブログを立ち上げるきっかけだったことを思い起こした。


その後、知人に誘われてビルマでお正月に行われるという水かけ祭に参加させてもらったこともあった。難民として、また働く為に日本に来られた大勢のビルマの人たちが楽しい祭が始まる前に、軍事政権に対しての抗議の声をあげていた。それまで笑顔だった大勢の人たちの顔に、強い怒りと苦しみ、厳しさが浮かんでいた。祖国によって祖国が奪われ、逃れてきた日本でも酷い目にあう。どれだけの苦労を強いているのか想像を絶すると感じた。


布団で簀巻きにされ子どもと引き離され荷物として「送還」された女性の身に起きたことを、ラフィック(RAFIQ 在日難民との共生ネットワーク http://www.rafiq.jp/)の人たちが平和のための集会で再現してくれた時のことも思い出す。http://0000000000.net/p-navi/info/column/200502020646.htm
泣き叫ぶ女性を押し倒し、力づくで布団で簀巻きにしていく入管職員たちの姿・・・。凄まじい現実が、在り続けていることに呆然とする。人間はどこまでも残酷になれる。例え手を汚さなくても。

そのことに向き合い行動し続けている支援者の方たちがいる。自分にとっては当たり前のことを、自分が構成する社会から奪われ続けている人たちと共に生き続けようと日々必死に当事者を支援している人たちがおられる。

Pinkydragon ~ SYI (収容者友人有志一同: Immigration Detainee's Friends) Blog
http://pinkydra.exblog.jp/26252899/

【これは見る責任がある記録だと思う】SYIメンバー織田朝日さんの4コマ「ある日の入管」掲載ページ
 http://pinkydra.exblog.jp/i9/


SYIメンバー 織田朝日さんツィッター

https://twitter.com/freeasahi?ref_src=twsrc%5Etfw&ref_url=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Fbyline%2Fshivarei%2F20180207-00081337%2F



  
うまく言葉にならない

私はといえば、上に書いたような体験があったというのに、メルバンさんのことを知るまで、この問題から目をそらして暮らしていた。自覚のない無関心や、その場だけのただの同情から、一歩でも踏み出していかなければならない。そのことを強く感じる。

繰り返され続けている暴力を受けている一人ひとりの当事者は、当たり前だが全て違う人だ。起きている事象は多々あれど、毎回 誰かがたった一度の人生を奪われていく。

すべての問題に関われはしないし、日常の中で常に苦しい立場の人に想いを寄せ続けることは、私のように弱い人間には簡単ではない。しかし、だからこそ、今回のような呼びかけにその都度 応えることが大切なんだと思う。


暴力を認知せずに放置し続けることは、暴力を維持し、更に激化させる。
私は抗議の声を入管に届けなければならない。電話し、ファックスを送ろうとしている。メールも。

とにかく情報は早く拡散されねばならないので、まだ行動していないけれど、ここに載せた。私のブログなど見てくれている人がいるのかいないのか全く分からないけど、とにかくこの世界の中で生きている一人ひとりの力を出し合い、皆で一人のひとを救わなければならない。



イスラエル軍のブルドーザーからパレスチナ人の家を守ろうとして、轢死(れきし)させられた
レイチェル・コリーさん(享年23歳)の言葉

「こんなことはもう終わりにしなければ。私たちみんなが、すべてを投げ捨てて、これを終わりにするために自分たちの人生を捧げるというのは、いい考えだと思います。それは、もはや過激な考えではないと思います。」



そして、聖書からイエス・キリストの御言葉

 「わたしがあながたを愛したように、互いに愛しあいなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である」
(ヨハネ福音書15章12節〜17節)




知らないことも知らず、知っても無視し、体験しても忘れてしまうことが多々ある私自身をどう変えていけるだろうか。自分を見つめることは怖い。精一杯やれてるか、自問自答し続けていくことも怖い。不断の意識が必要だ。臆病で全くダメな自分に打ちひしがれながらも、気付けた幸運に感謝して、ちいさな歩みを続ける他ない。

それは、「苦しんでいる誰か」の為だけじゃなく、自分自身を解放していく道かもしれない。



それで、ここまで書いて
今、おださんの4コママンガを現在掲載されているものを全て読んだ。・・・・嗚咽がとまらない。

支配から一人ひとりを解放しなきゃ。こんな暴力と横暴ゆるされないよ。
おかれた立場によって、こんなにも不平等なこと・・・・。

「頑張る」って言葉、あんまり好きじゃないけど、頑張ろうと思う。
動かない酷い状況があり続けても尚、当事者に寄り添い続けている人に力をもらいながら、せめて自分の分だけでも頑張ろう。

誰かの苦境と自分の無力さへの悔し涙がとまったとき、時間が経っても泣いていたことを覚え続けて歩んでいけるようにならなくちゃ・・・。
2018/02/08

HIPHOP  思想が言葉になり、言葉が音楽になった

落ち込んでいたけど、ラッパー 椿さんの存在を知って少し気力が出てきた。





日本社会の男権主義が露呈している相手の低俗かつ悪趣味な言葉に対して、椿さんの反撃のカッコいいことと言ったらない!



女性蔑視ヘイト垂れ流しの男性ラッパーが、無名ってわけじゃなさそうなのも日本社会の現状の酷さを表している。こういうのを求める人が多いってことだものね。
勝ち負けを判定する人たちも人権意識うすそう。というか本来のヒップホップの持つ反権力性を理解してるの?ひっくるめて日本社会の現在地点って感じがする。
ただ、そんなところでも私が知らないだけで、必死に闘っている人もいるんだろうから、そういう人を見つけて応援していけたらいいなと思う。






映画『ソニータ』http://unitedpeople.jp/sonita/

映画 『ソニータ』予告編(1分43秒)


ソニータ 『売られる花嫁』(3分52秒)

この世界の現実を言葉と音楽で突きつけるソニータ。すごい。



映画『自由と壁とヒップホップ』http://www.cine.co.jp/slingshots_hiphop/

映画『自由と壁とヒップホップ』 予告編(2分7秒)


映画『自由と壁とヒップホップ』 ダイジェスト版(6分57秒)


久しぶりに映像をみて、彼らの存在に勇気もらえた。
悲観して諦めてしまうのは権力の思う壺だよね。身体が動かないときは休むしかないけど、状況や結果でやったりやめたりするんじゃなくて、真摯に淡々とやっていきたいと思った。



表現はその人の魂が希求するもの。それには社会や世界との関係が根幹から関わる。
政治的でない表現などないのだと思う。
そして本当の表現は受け手の生きる力を強め、人を孤立させず励ます。

励まされ、新しくなる!
2018/01/27

おきなわ名護市長選挙 稲嶺さん勝ちますように・・・・!

おきなわ名護市市長選が迫る。寒い中、頑張って街宣されている皆様も、大変お疲れ様です。稲嶺さん勝ちますように・・・。

ツィッター 「稲嶺ススム応援ピープル」から
稲嶺さんメッセージ動画(ツィッターじゃないから動画じゃなくてURL貼り付けでごめんなさい!) 
https://twitter.com/twitter/statuses/957123110750138368



今の自分には祈ること以外は何も出来ないため、不安に負けないよう北斗の拳2のオープニングを聞いてせめて元気をだそうとしている私です・・・。(己の不安の深さが我ながら分かる気もする選曲・・・・。)

しかし名曲です。

悲しみは絶望じゃなくて明日のマニュフェスト!(あ、選挙の話題につながった?)


おまけ◎カレー味もおすすめ。インド踊りすごい!
https://twitter.com/ishihama/status/754230525422821376