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2020/03/18

미안 해요 사랑해요



양희은 아침이슬 『朝露』


日本語訳:
長い夜を暮らし草葉に宿る
真珠より美しい朝露のように

心に悲しみがみのるとき
朝の丘に立ち微笑を学ぶ

太陽は墓地の上に赤く昇り
真昼の暑さは私の試練か

私は行く、荒れ果てた荒野に
悲しみ振り捨て私は行く

    作詞作曲:金敏基(キム・ミンギ)さん
   歌:楊姫銀(ヤン・ヒウン)さん 歌詞 日本語訳:李政美(イ・ジョンミ)さん
2020/03/18

Protest/Revolution songs!

心を潤し、燃え上がらせる 想いと音楽。わたしは歌の力を信じる。


AIR 『I have a dream』


今日という日に あしたという日に
すべての命が 輝け 羽ばたけ

さあさあ 踊りだす鼓動と共に
大きく唄い出せばほら
悲しみに濡れた 今日を塗りかえる

We Shall overcome
Go my way
I have a dream


共に立ちあがる 共にわかちあう
理想に燃える力で 不可能を 打ち破れ

We are Alive 見上げた空の先に
流れる 血の河の重み
あの日の涙の 意味を忘れない

We Shall overcome
GO for it
I have a dream

We Shall overcome
GO for it
I have a dream


We Shall overcome
Go my way
I have a dream



Pete Seeger - We shall overcome

―――

ビクトル・ハラ 『耕す者の祈り』


日本語訳:
起き上がれ そして山をごらん
川の流れを魂の風を

起き上がれ そして両手をごらん
育ちゆき 君の兄弟たちの手を握るために
共に行こう 血の絆に結ばれ
今日が明日に繋がっていくんだ

僕らを貧困へと支配するものから解放しよう
正義と平等の王国を我らのもとへ

共に行こう 血の絆に結ばれ
今も そして僕らの死のときも
アーメン!アーメン!

  (ビクトル・ハラの生涯を紹介している 文芸ジャンキーパラダイスさんのページ

―――

海勢頭 豊さん 『喜瀬武原(キセンバル)』


1喜瀬武原陽は落ちて 月が昇る頃
  君はどこにいるのか 姿もみせず
  風が泣いている 山が泣いている
  皆が泣いている 母が泣いている

 2喜瀬武原水清き 花のふるさとに
  嵐がやってくる 夜明けにやってくる
  風が呼んでいる 山が呼んでいる
  皆が呼んでいる 母が呼んでいる

 *闘い疲れて ふるさとの山に
  君はどこにいるのか 姿もみせず

 3喜瀬武原空高く のろしよ燃え上がれ
  平和の祈りこめて のろしよ燃え上がれ
  歌が聞こえるよ はるかな喜瀬武原
  皆の歌声は はるかな喜瀬武原

 *闘い疲れて家路をたどりゃ
  友の歌声が心に残る


―――

Inti Illimani  『 El pueblo unido jamás será vencido』


El pueblo unido jamás será vencido(団結した人民は決して敗れない)/不屈の民 日本語訳

日本語訳:
今こそ立ちて歌わん 闘う我らの歌
貧しき者の中に 闘志の炎は燃え
この苦しい暮らしの中 我らの道はひとつ

今こそ高く掲げん 闘う我らの旗
働く者の中に 闘志の炎は燃え
血に塗れた鎖を断つ 我らの道はひとつ

今こそ 我ら 苦しみ 乗り越え
血潮に 湧きて 叫ぶ 進め!

El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido(エル・プレブロ・ウニード・ハマセラーベンシード)
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido

今こそ固く結ばん 闘う我らの手を
肩組む者の中に 絆は結ばれゆく
この苦しい暮らしの中 我らの道はひとつ

今こそ立ちて歌わん 闘う我らの歌
働く者の声が 大地に響き渡る
この新たな世界目指す 我らの道はひとつ

今こそ 我ら 苦しみ 乗り越え
血潮に 湧きて 叫ぶ 進め!

El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido

El pueblo u・nido・・・



―――

양희은 아침이슬 『朝露』


日本語訳:
長い夜を暮らし草葉に宿る
真珠より美しい朝露のように

心に悲しみがみのるとき
朝の丘に立ち微笑を学ぶ

太陽は墓地の上に赤く昇り
真昼の暑さは私の試練か

私は行く、荒れ果てた荒野に
悲しみ振り捨て私は行く


    作詞作曲:金敏基(キム・ミンギ)さん
   歌:楊姫銀(ヤン・ヒウン)さん 歌詞 日本語訳:李政美(イ・ジョンミ)さん


―――

Jewel 『 Hands』


日本語訳:
世界に向けてひとこと言えるとしたら
こういうわ 私たちは大丈夫
心配しないで
心配なんてするだけ無駄だし、こんな時代にはなんの役にも立たないもの

私は役立たずにはならない
絶望して投げやりにはならない
信仰を拠りどころに気持ちを引き締める
闇がもっとも恐れるのは光なのだから

私の手はこの通り小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない


黄金の靴をあなたから奪った貧困も
あなたの笑い声までは奪えなかった
私のもとを訪れた傷心も 
永遠に続くというわけじゃなかった


私たちは闘う
悪意からではなく 正義のために誰かが立ち上がらねばならないからよ
声なき人がいるのなら
みんなの声を合わせて歌いましょう

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない

結局 やさしささえあればいい
結局 やさしささえあればいい

私はひざまずいて祈る
私はひざまずいて祈る
私はひざまずいて祈る

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない
私たちは決してくじけない

私たちは神の目
神の手
神の精神
私たちは神の目
神の手
神のこころ
私たちは神の目
神の手神の目私たちは神の手
私たちは神の手

   「ハンズ」 (ジュエル『スピリット』三曲目 対訳 内田久美子さん)



―――

Tatsuya Shioya + Miwa Shioya  『 You set me free』


日本語訳:
※主よ、あなたは私を自由にして下さいました
 燃えるような聖霊を与えて下さいました
 あなたの愛を感じます
 今、私もあなたを愛します
 主よ、あなたは私を自由にして下さいました
 燃えるような聖霊を与えて下さいました
 初めにあなたの愛がありました
 いのちの限り あなたを愛します
 私を世に遣わせてください
 人々にみことばを伝えるために
 かつて私がそうだったように
 今も暗闇の中を何とか生きている
 人々のために
 私を世に遣わせてください
 よき知らせを広めるために
 かつて私がそうだったように
 今も暗闇の中を生きている
 人々のために
 あなたの御名を口にしないではいられません
 あなたの愛を歌わずにはいられません
 私は唇を押さえられません
 なぜなら・・・・・ ※repeat

2020/03/08

それでも 今日も生きようね
2020/03/01

今年の三一節(サミルジョル)。

1919年3月1日から101年。日本が植民地支配していた朝鮮半島で一斉に立ち上がった202万人の人たちが日本帝国に弾圧され殺され、分かっているだけでも7509名の人が命を奪われました。
(16,000余人が負傷、逮捕・拘禁された人の数は、46,000人。)
三一節
参考記事:
第100周年3.1節記念式 文在寅(ムン・ジェイン)大統領演説[全訳] (2019年3月1日)
参考記事:韓国旅行サイト「コネスト」三一節(サミルジョル)



上の絵はシュナムルさんという方が描かれたものです。許可を頂いたので載せます。

シュナムルさんのツイートより引用
 https://twitter.com/chounamoul/status/1101327037715820544
《人間が「こいつらは自分たちより下の人種だ」と見なした属性に対してどれだけ傲慢で酷薄になるかは、今の日本見てもわかると思うけど、そういう日本人が実際に権力を持って全朝鮮人の上に君臨してたのが植民地朝鮮で、まあ酷いもんですよ。俺らの父祖があの国の人たちにやらかしたことというのは。》

《今日は韓国では三一節、つまり日本からの独立を求めるデモが起きた1919年3月1日を記念する日だけど、俺らにとっても無関係な日ではもちろんなくて、自分らの父祖が植民地でやらかした加害の記録をいちど読んでみるのがいいと思う。もちろん加害者側の正当化の理屈ではなく、被害者側の証言を。》

《殴られた側は殴られたことを憶えていても、殴った側は忘れたがり、じっさい簡単に忘れる。「どっちもどっち」じゃないですよ。忘れちゃいけないんです。殴った側は殴ったことを忘れまいと努めなきゃいけない。それは倫理的な責任であると同時に、殴られた側と対等の友好を築く絶対の条件でもある。》

《そういうわけで俺は日本人として、韓国の独立運動への敬意と、自国による侵略と収奪への反省とともに三一節を記念します。大韓独立万歳。願わくば日本が理性を取り戻し、植民地主義を脱して韓国と友好を築かんことを。》

(シュナムルさんの2019年2月28日のツイートより)





私は、日本に生まれ育ちました。
この国にはいいとこや好きなものがたくさんあるし、言葉も文化も風土も多様で面白い。水にも自然にも恵まれて暮らしやすい。食べ物も好きだし、日本語文化圏に暮らせてよかったなーって思うものも多くあります。(他の言語わかんないんですけど。)
戦争を放棄した日本社会に生まれたから、自分は今の権利を持っているし、教育や医療を受けてこの人生の恵みがあると思ってます。だからこそ、この国の光の部分だけではなくて影の部分、闇の部分をしっかり引き受けていかなきゃなりません。
それが社会に今ある光の部分を次世代に引き継ぐ術だと考えるからです。

第二次世界大戦は日本が奇襲で始めた戦争です。アジア太平洋地域で2000万人の人が死ぬことになった戦争を日本が始めたこと。このことを無視して自分の人生を考えることは、私にはできません。

日本が、朝鮮半島を支配してどれほどのことを行ってきたかのか。
たった一度の人生を奪い、家族を友人を奪い、
名前を奪い、文字を、言葉を、文化を、大地を奪い、
人間が人間として暮らす権利の全てを奪った日本の侵略戦争。
兵隊として、軍夫として、強制労働者として、性奴隷として・・・。

その全貌を知ることはできないけれど、言葉で書き連ねるだけで、呆然とします。
数字だけで気の遠くなるような人数の一人ひとりの人生に、一人に起きた残虐すぎて実感できないような被害。
なんら誠実な謝罪も、謝罪どころか認知もしようとしないこの国。

無かったことにはさせない。できません。
忘却しての美化なんて、醜悪そのものです。

戦争の歴史にしても、原発にしても公害にしても、差別にしても、環境破壊にしても、誰かを虐げることを前提とした日本社会が私は恥ずかしい。イヤです。イヤ過ぎる。思想云々もあるけど、体調が悪くなるとか、隣人との関係が阻害されるとか、暮らしに影響もある。なんとかしたいです。

誇りたくても誇れない、恥ずかしく情けない国に成り下がっている現状をそのままにしたくない。改めて、強く思います。
加害の立場を自覚し続けることは楽なことではないけれど、誰かを虐げたり殺したりしてきたことを正当化したり美化したりして妄信しながら生きるよりも、ずっと人間らしい生き方ができるはずだと私は考えます。日本人だから日本の全てを肯定するって考え方より「今は抑圧者であるけれど、いつか抑圧のない社会・世界を目指して生きようとする」「とれない責任とも向き合い続けようとする」というのは、アイデンティティとしてはるかにまともじゃないかと感じます。

社会を作り変えるなんてできないけど、まずは、私自身が自分の置かれている立場、誰かを踏んで立っている今現在地を自覚する必要があると思います。踏みつけてきている立場の人たちの声をなるべく聞こうとして、受け取れたときは何度でも何度でもかみしめて感じられるように。社会的・世界的な自分の立場と責任を自覚した上で、自分がどう生きるか。
自分の加害の立場、そしてこの社会で受ける抑圧。構造的な、歴史的な背景を踏まえながら、相手を大切にし、自分の気持ちを置いてきぼりにしないで、どう生きるのか。その時点での試行錯誤して選んだ姿勢を自分の人生で示せ続けたらと願ってます。


日本社会の歴史観が歪められ、真実から遠くなればなるほどに三一節(サミルジョル)を胸に刻んでいかなきゃなりません。朝鮮半島のみならず日本帝国に奪われ、殺され、支配された人たちの人生を想うために。
それは、人々を殺したり奪ったり、飢えたり死んでいく戦地での人生ではなく、戦争がなければ送れたはずの人間らしい平凡な暮らし・人生を願っていたはずの日本軍の兵士とされた人たちの魂の叫びを真摯に受けとめることでもあるのだと私は信じています。中国から生きて帰ってきた父方の祖父の人生を想い、中国で戦死した祖父の兄の人生を想いながら、心からそう思います。
戦争はもう決してやってはいけない。自衛隊を名実ともに軍隊にさせては絶対にいけません。

今年も、春がきます。
心新たに、悔いが残らないように、できることをできるだけやりきっていきたいです。





◎ついしん
映画『パッチギ2』は名画だと思います。観てない人は是非!
2020/02/24

しんどいときほど、自分が何を求め生きているか分かる瞬間がある。

書くこと
音楽
想いを同じくする人と気持ちを交わすこと
祈ること

心が解れると涙がでる
身体をあたため、伸ばしていく
家の中を調えるひとつひとつの作業に 落ち着きが宿る。

神様の御言葉に慰められ 主に連なる人たちに支えられて生きている。
2020/02/21

2020年2月21日に。

 バイポーラー(双極性障害)と診断されて10年が経った。
個人的な人間関係や環境がどんなに変化し、物事の捉え方や暮らしが劇的に楽になり症状が良くなっても、政権の腐敗を目の当たりにするたびに極度の鬱症状に陥る。民主主義も法治国家も目の前で崩れ去っていく日本社会への危機感と無力感に打ちのめされる。「個人的なことは社会的なこと」であることは言うまでもないが、わたしの精神障害は社会的なものだと思い知る。



 どうしようもない連中が政権としてのさばってこの国を放縦している。コロナウイルスの対策にしても、人事院の答弁にしてもアベ政権の無能さは大本営発表にしか思えない。自衛隊も中東に派兵され、法律は捻じ曲げられる。憲法が改悪される前にここまで形骸化した状況。もう戦時中だ。
 子どものころ、「どうして当時の人は戦争を止めなかったのだろう」とずっと思っていた。とりかえしがつかないことが起こり続けて今。目の前で自分の生きる時代にここまでの状況になることを食い止められないできたこと、これから更に悲惨な状況になることが本当に情けなく辛くて堪らない。
人権なき時代、悲惨な人生を生きた人たちに対して、申し訳ない。あれだけの犠牲を経て、ここに辿り着いたはずなのに。また繰り返していくのか。悲惨な未来を生きるはずの人たちへの罪悪感に苛まれる。

 2011年に福島原発が爆発した映像をみたとき、ほんとうに恐ろしかった。人生でこれ以上に怖いことは起きないと思った。しかし、現実は、それ以上だ。あの時、民主党政権で菅直人が首相でなかったらと思うとぞっとする。何もかも、都合の悪いことはなかったことにするアベ政権。無法者どもが権力の中枢に居座り続け、ここまで国の基盤を崩壊させていく現在。不正がいくら明らかになっても無頓着に現状を放置し続ける国家畜化した社会の現在。これからどんな未来に行き着いてしまうのか。心から恐ろしい。

自分に今、何ができるのだろう。
2020/02/03

中東の自衛隊派兵に抗議する。首相の辞任、内閣総辞職を強く求める。

自衛隊の中東派兵が決行されてしまいました。アメリカがイランに対して行っていることを知るにつけ、2003年の春からのイラク戦争のことを思い出しています。2004年の人質事件のときに日本政府は自衛隊を撤退させず、拘束された人たちの「自己責任」とのたまいました。日本社会の自己責任論と差別にまみれて、行き場のない閉塞感のなかで相模原殺傷事件も起こったと私は感じています。
日本はこのまま戦争になだれ込んでいくのでしょうか。不景気や不平等が極まっていくと人々は国家の言うままに先導されて戦争に突き進むことは先の戦争でも明らかです。このまま憲法を喪うことは、わたしたちの人生の自由や平和が奪われるということです。なにができるのかわかりませんが、未来を生きる人たちに責任のある生き方をしたいと希っています。

以下の文章は2019年12月6日に書いたものです。再掲します。




 わたしたちの国の首相は公金を私物化を重ね、また新たな事態が発覚してもその証拠をシュレッダーで破棄し、「それをしたのは障害者職員だった」と平然とのたまっている。
昨日の新聞を読み、怒りで震えがきた。
いつまでこの男を野放しにするのか。
人々が水害で家を奪われて命の危険に曝されている際に、それを知りながら酒盛りをしている政治家たちの筆頭であるこの男を!

自衛隊を中東に派兵したら、更なる混乱と状況の悪化が起きるだろうことは明白だ。

 昔、中村哲医師が講演会で、「一昔の中東では日本はアメリカとの戦争で原爆まで落とされたのに経済復興した国として親しまれていた」と聞いた。しかし、アメリカ政府に具体的に加担しだしてから日本への視線は変わってきていると。憲法九条が日本を守ってきたこと、もし破棄することになれば、それは本当に致命的な危険を招くことになるとおっしゃっていた。
 
 2003年3月、アメリカ軍によるイラクへの攻撃が始まり戦争が開始されたときに現地におられた映像ジャーナリスト綿井健陽氏の映画『リトル・バーズ』で観た一シーンを思い出す。空爆が始まった直後、一人のイラク人男性の叫び。「ブッシュと手を組んでいるお前ら日本人を絶対に許さない。お前ら日本はこれから百年間覚えておけ!覚えていろよ!!」
彼は激怒しながら砂嵐と爆煙の街角に消えていった。何度も振りかえり、指差し叫びながら。

 2001年9月11日。旅客機がツインタワーに突っ込み崩落する様を大学1年生だった私は下宿先のアパートのテレビの前で一人で震えてみていた。そのとき、私の付き合っていた相手は高校を卒業したあと自衛隊に所属していた。そのときに、私は彼が戦地に行かねばならなくなると直感した。しかし、殺されることがあっても侵略に加担させられるという視点はなかった。今思えば、日本の戦争の歴史を全く知らなかったのだ。その後、アジア・太平洋地域で第二次世界大戦時(もしくはその以前からの15年戦争)で、日本軍がどれほど残虐な殺戮を行い、植民地支配と占領をしてきたのかを知り、沖縄戦を知り、日本の軍隊が「自衛隊」に姿を変えたとしても軍隊は人間を守らないことを学んだ。軍隊は国家を守る。国家はいのちより権力と資源や金を求め、人を見捨て殺すことを気にも留めない。

 日本社会は、自分たちの社会がどうなっていくのか思いもしないのか。政府は「不景気」になるように人間の権利と労働環境を削り取り、排外主義とナショナリズムを意図的に高めている。人々がまた戦争に突入していくことを望むように仕向けているようにしか思えない。

 米軍や基地への莫大な税金贈与し続け沖縄を基地として提供し続けてきた日本政府と社会。
9.11以降の米軍のアフガン・イラク戦争への自衛隊は「後方支援」をした。2003年にはイラク派兵もされ、2004年には人質事件も起きた。その後、香田証生さんも伊藤和也さんも後藤健二さんも殺された。2012年から五年間のスーダンへの派兵があった。そして今また自衛隊を中東地域に派兵することが発表された。しかもこれまでの派兵と、また一線を画す内容で、だ。
特定秘密保護法も施行され何年も経ち、市民が情報を得る権利ももう保障されていない。なし崩し的に、いよいよ戦争に突入している。
私の父方の祖母は生前、「戦争が始まったときみんなどうだったの?」と質問した私に、「みんな気付かないのよ!気付かないようにやるんだもの戦争なんて!!」と間髪いれず叫んだ。すこし認知症が始まっていたとは思えない明瞭な答えだった。


 こういう中で、9・11のようなことが自分たちに起こらないとどうして思えるのか。自分たちだけは安全だと?それは都合のいい思い込みであり虚構だ。
原発になにか撃ち込まれたら、どのようなことになるか。フクシマで原発が爆発してもまだ分からないのか?
それとも、東京よりも米軍基地や自衛隊の基地が集中している沖縄が標的になるだろうと高をくくっているのか?
ハワイを植民地化し、基地化し、狙いやすいようにして 日本軍の「奇襲攻撃」から第二次世界大戦に応戦した米国のように?

 中村医師が殺されたのは、ただの「紛争地の治安の悪化」ではない。この20年のアメリカの戦争と侵略、それに追随してきた日本政府と社会の姿勢が大いに影響している。戦争は天災ではない。干ばつだって気候変動の地球規模での進行が背景にある。アメリカと日本の政府がどれほど未来を食い物にして、自己中心的な横暴に身を任せているのかに対して、改めて考え意思を表明して生きることが必要だと感じる。

 首相は、特にここ数年の民主主義の破壊について責任をとり即刻辞任するべきだ。彼らがそうできないなら、市民の批判からそうさせなければならない。このような人間を権力の座に放置したらわたしたちの未来は滅びでしかない。思考停止は現状放置という選択である。私はこれからを生きる子どもたちに将来、戦争と飢餓を味わわせるような選択をしたくない。今まで頑張って社会を築いてきた先達たちが、年老いて医療も受けられないような社会は許せない。
私はアベ政治、現内閣の在り方を断固拒否する。何ができるかはわからないが、その決意をここに表明する。この気持ちを分かち合い、共有し、共にそれぞれの生活から狼煙をあげたい。




参考記事: 読む・考える・書く「中村哲医師の死を9条攻撃に利用する者たち 」 2019年12月7日

2020/02/03

「武器ではなく命の水を」 医師 中村哲とアフガニスタン

2019年12月4日の夜に書いたものです。



今日、中村哲先生の訃報を知り、呆然としながら観ました。
いつまで観られるかわからないけど、一人でも多くの人と共有したく動画をアップします。



彼は立って、群れを養う。
主の力、神である主の御名の威厳を持って。
彼は安らかに住まう。
今や、彼は大いなるものとなり
その力は地の果てに及ぶからだ。
彼こそ、まさしく平和である。
アッシリアが我々の国を襲い
我々の城郭を踏みにじろうとしても
我々は彼らに立ち向かい
七人の牧者、八人の君主を立てる。(聖書 ミカ書5章3節から4節)



 すると、ある律法の専門化が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法に何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。
イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると道の向こう側を通っていった。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱して下さい。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」
そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
                  (ルカによる福音書10章25節から37節)



(2019年12月6日 追記)
 ペシャワール会の中村哲先生が、凶弾に倒れ亡くなられた。訃報を知り、言葉がでなかった。悲しくて、やるせない思いでいっぱいになった。晩御飯を作りながら泣いた。
 私は20代前半に暮らしていた京都で幾度か先生の講演会にてお話を聴く機会に恵まれた。初めて講演を聞いたときは井戸を200箇所ほど掘ったとお聞きした。そして、その数年後には灌漑水路のプロジェクトを成功させておられた。水路に初めて水が通るところを笑顔で歩いていく先生の後姿と、出来る前に灰色一色だった大地が一面緑の穀倉地帯になっているスライド写真に移ったときの衝撃と感動は今も忘れられない。「一人の人間には、ここまでのことができる力があるのか」と天を仰ぐような気持ちで先生の講演を聞いていた。飄々とした佇まい、朴訥としたどこまでも穏やかな語り口だった。

 80年代にハンセン病患者のために国境なき医師団に入られ、アフガニスタン難民の人たちと出会い、アフガニスタンの地に活動を決め、診療所をつくり、人々の命と生活再建のために干ばつの大地に立ち向かい、緑を甦らせた中村哲先生。そのお働きを支え続けたご家族とペシャワール会の皆様、アフガニスタン現地の方たちの喪失はいかばかりだろう。現場で共に殺された方たちの無念さを想う。
新聞を読むとご長男が私と同い年だった。先生のお連れ合いの尚子さんは夫を日本から、国境なき医師団の働きに送り出された。そういう中で、幼いお子さんたちを育てあげられたのだろう。貧困と干ばつの地、そしていよいよ戦乱の地になっていったアフガニスタンに送り出し続けられた。米軍による機銃掃射で危なかったことなど、現地での話を聞くたびに寿命が縮まったであろうと思う。めったにない帰国滞在されるときに家で休んでほしくても、全国各地での講演会に送り出されていたのだろう。先生は講演会で支援を訴えられていた。寸暇をおしんで医師として病院でも働かれ、活動資金の足しにされていたと聞いたことがある。本当にご家族のご労苦と理解が先生の偉業を支えてこられたのだと思う。中村哲医師に惚れ込んだペシャワール会のおひとりおひとりの地道な活動と募金があって、各地の講演会を企画した人たちの働きと、そこに集まった人たちの共感が資金となってあの緑の大地は実現した。

 訃報を知った昨日の夜、上記のETVドキュメンタリーを改めて動画で観た。
初めに診療所を作るときに、哲先生は集まられた村の長老たちに「あなたたちの築いてきた文化を踏みにじるつもりはありません」と話し、「あなたも、すぐに去ってしまうのではないですか」という質問に「自分が死んでもこの診療所は続けたい」と応えておられた。イスラム教式の挨拶をし、長老たちを尊重し接しておられる姿があった。
診療所を作り、大干ばつに苦しむ人たちに「まずは生きておれ」と井戸を掘り、灌漑の水路工事に着手した。「無謀だ」という声に、
「やるしかない」と決意を淡々と話される先生の語りを、部屋いっぱいに座っているアフガニスタンの住民のひとりひとりが聴いていた。そして日本で集められた三億円の資金を投下し、計画は動き出した。働いた人には日当が配られた。(ドキュメンタリー映像の中で日当を配っていた日本人スタッフさんは、2008年に殺された伊藤和也さんだったように思う。伊藤さんが殺害され、先生は日本人スタッフを帰し、ご自分は現地に留まられた。)

 今朝の新聞を読むとペシャワール会で掘った井戸の数は約1600箇所だという。映像の中で、先生は住民の人たちへの指揮をとるだけでなく、同じように肉体労働に従事されていた。重機を動かし、土嚢を担ぎ、地面に寝転び足で巨石を蹴り出す一員になっておられた。4日のペシャワール会の会見では1万6500ヘクタールという広大な土地を命を甦らせたと。60万人の人たちが故郷で農業ができて家族と暮らせるようになった。農作業に勤しむ人々の笑顔。子どもたちの姿。広げられる食卓・・・。

 このドキュメンタリー映像を観て、マルワリード水路が完成した後にモスクが建てられ完成していたことを初めて知った。モスクでは無料の学校もスタートしていた。先生は、アフガニスタンの人たちの生活や文化を尊重した。ご自身がキリスト者であることはおくびにも出さずに、アフガニスタンの人々を隣人として愛しぬき、すべての力を尽くされた。信仰が別であっても、そんなことは問題とせず、その土地の住民たちが魂から希求していたモスクを建てられた。ドキュメンタリー映像の中で、モスク完成の式典で知事がアッラーへの祈りを終えテープカットしたとき、先生の「アーメン」という呟きが聴こえた。涙が出た。先生の主イエスへの信仰がどれほどのものであるかを思い知った気がする。

アメリカ軍の病院に運ばれる前に息を引き取られたとニュースで聞いた。先生は米軍の病院で治療を受けることを望まなかったのではないかと感じる。「米軍の病院に着く前に亡くなられたのか・・・」と、思った。うまくコトバにできないけれど。
アメリカがアフガニスタンを空爆しなければ、また日本政府がアメリカ政府に加担しなければ、ここまでの状況になっただろうかと改めてこの二十年の戦争の歳月を想う。

今、先生は天国で神様に労われているだろうと思う。
先生がされようとしていたアフガニスタンの人たちへの土木技師養成の学校の計画は、これからもペシャワール会が引き継いでいくのだろう。訃報で、中村哲医師を知らなかっただろう多くの人がこの一人の偉大な人を知り、自分の生き方を考えている最中かもしれない。それが、日本の社会の中で波及していくことを祈らないではいられない。数え切れない心ある人たちの胸のうちに先生は生き続けると信じる。わたしもその一人になれるよう歩んでいきたい。

中村哲先生、お疲れ様でした。本当にありがとうございました。私は私の命を頑張って生きていきます。


続きを読む

2019/12/19

Charlieさんのツイートから、ルノーの車のCM 紹介

Charlie@chivillain さんのツイートから知った車のCM動画。



Charlieさんのツイート、覗くたびにいいなぁと思います。


ちょうど今の時期、各地でお話されるみたいですね。行ける人いいなー。
19日 (木): Bar in 大阪 /21日 (土): Café in 埼玉/21日 (土): オフ会 in 東京/28日 (土): 本屋 in 北海道(ご参加ご希望の方はツイッターから御本人にDMを)


2019/12/18

伊藤詩織さん裁判勝訴!

2019/12/13

女たちは踊る

参考記事:
【BuzzFeed Japan】「加害者はあなただ」 女たちは踊る。女性に対する暴力に抗議するために。



男性優位社会が私たちを裁く
私たちの命を裁く
私たちに与えられる罰は、あなたには見えない暴力

男性優位社会が私たちを裁く
私たちの命を裁く
私たちに与えられる罰は、私たちが見たことのある暴力

それはフェミサイド
それは殺人犯への免罪
それは誰かが行方不明になること
それはレイプ

私のせいじゃない
私のいた場所や服のせいでもない(×4)

レイプしたのはあなただ
レイプしたのはあなただ

レイプしたのは警察たち
レイプしたのは裁判官たち
レイプしたのは国家
レイプしたのは大統領

圧政国家はレイピストと同じ
圧政国家はレイピストと同じ

レイプしたのはあなただ
レイプしたのはあなただ



 女性を標的にした殺人「フェミサイド」や暴力に抗議するため、チリの女性たちが始めたダンスが、世界中に広がっています。国連の調査によると、2017年には毎日137人の女性が、身近な人によって殺害されたとされています。
日本では、内閣府の調査によると、2018年に検挙された配偶者間の殺人、傷害、暴行事件は7667件にのぼり、そのうち6960件(90.8%)で被害者は女性。


#ElVioladorEresTuTokyo
#加害者は貴方でした

フラワーデモ公式Twitter
毎月11日フラワーデモ・ホームページ https://www.flowerdemo.org/
12/11(水)フラワーデモは日本全国27都道府県・29都市&バルセロナで開催されたそうです。
2019/11/29

11月29日はパレスチナ人民連帯国際デー

昨年の11月29日に当ブログ掲載文章です。



 前から紹介したいと思ってたハンダラくんのこと、今日こそアップしようと思って準備していたら パレスチナ・アマルさんのウェブサイトで今日11月29日が「パレスチナ人民連帯国際デー」であることを知りました。

 学ぶことの大切さは言うまでもないのだけど、人間はそんなに強くないから日々の生活に必死で、遠くへの意識を持ち続けることはむずかしい。だからこそ、その土地で作られたものを身に纏ったり、食べたり、生活のなかで使うことが重要になってくる気がします。遠い土地に住むひとたちの暮らしと、具体的に繋がれるお仕事をしてくださっている皆様に感謝します。

【パレスチナ支援の販売いろいろウェブサイト】
パレスチナ・アマル(Amal Falestini)オンラインショップ
パレスチナ・オリーブのウェブサイト
パレスチナ子どものキャンペーン
 パレスチナ刺繍 タトリーズ
日本国際ボランティアセンター(JVC)クラフト雑貨



 一方で、パレスチナ民衆の権利を奪う勢力のものを拒否することも大切だと思います。スターバックスには入らない、コカコーラは飲まないようにする、とか。
日本政府のイスラエル支援のODA(政府開発援助)も到底許されるものではありません・・・。自分たちの税金によって、イスラエル国家が支援されていることを恥ずかしく申し訳なく思います・・・。(イスラエルに限らず日本のODAの問題は非常に根深いものですが・・・)

暮らしの中に織り交ぜられる悪に対して、注意深くあるために学びと意識化が必要だと感じます。 最後のパレスチナ織物の工房から生み出された私のラスト・カフィーヤ、これからも大切にします。シリア産の黒のカフィーヤも・・・。



 12年くらい前にパレスチナ問題の集会で購入させて頂いた、パレスチナの人たちがつくった刺繍が美しい素敵なめがねケース(上記紹介のJVCさんの取り扱い商品でした。私は、毎朝つかう体温計をいれています。)に、イラストが描かれたタグがついていています。はだしの男の子の後ろ姿・・・。50歳で暗殺されたパレスチナの風刺画家ナジ・アル・アリ(Naji Al-Ali)が描いた、パレスチナ難民の男の子ハンダラくんです。ハンダラくんはいつも後ろ姿で描かれています。

 ハンダラくんを初めて見たとき、そして画家が暗殺されたことを知ったときは衝撃を受けました。当時知人から購入したハンダラくんのカレンダーはホッチキス留めが外れてしまった今もクリアファイルにだいじにとってあります。

【参考記事】
(1)「ハンダラ パレスチナの良心」 JVCパレスチナ現地代表 小林 和香子さん記事 2003年6月 3日
(2)Handhala (ハンダラ パレスチナの子ども) ブログ「愉しい寄り道」さん 2012年5月29日記事

【参考動画】(アラビア語と思われます・・・・)



ハンダラくんの原画はこちらでも観ることが出来ます。
【ウェブサイト】Hanndara.org(英語)
http://www.handala.org/cartoons/index.html

その中でも私にとって印象的だった、ハンダラくんとイエス様。
ハンダラくんとイエス様

世界が見ない振りを決め込んでも、パレスチナで実際に起きてきたこと/起き続けている現実を見続けるハンダラくん。
真実から目を背けずに、徹底的に目撃し続けるということが抵抗なんだとハンダラくんはその姿で教えてくれているように感じます。





最後に古居みずえさんの映画の予告動画を二本紹介します。

古居みずえドキュメンタリー映画支援の会 http://support-miz.thyme.jp/index.html

映画 『ガーダ ―パレスチナの詩』(2006年)予告編  


映画『ぼくたちは見た −ガザ・サムニ家の子どもたち−』(2011年)予告編


 昔、舞台に立たせてもらったときに演じさせてもらったパレスチナの難民の少年や、イスラエルの戦車に轢死させられたレイチェル・コリーさんの言葉が、いまも身体のどこかに響いています。

 暮らしのなかで、パレスチナを忘れないように想い続け、生活していくなかでの平和の祈りを紡いでいきます。いつか、誰かと想いを分かち合える何かを私も生み出していけるよう、地道に力をつけていきたいです。



2019/11/19

石木ダム用地の明け渡し期限

参考記事:

石木ダム用地 明け渡し期限 家屋撤去 代執行請求可能に
2019/11/19 10:19 長崎新聞社


【ニュース動画ありの記事】
KTNテレビ長崎
 「いつものように住んでいます」県の求めに応じられずと抗議 石木ダムは”土地の明け渡し期限”で重要局面…
2019年11月18日 19:57



石木川まもり隊:長崎県川棚(こうばる)町 ホームページ





 昨日、新聞記事で遅まきながら長崎の石木ダム問題を知った。
今日が強制代執行請求可能の期限日になったそうだ。
一人一人の権利や自然や住環境を奪って成り立つ「公共の福祉」なんて在り得ない。
国家の詭弁でしかない。
成田空港が作られた三里塚でも、いろんな公園でもたくさんの人の住まいが力づくで奪われた。
「戦後」、アジアの国々で日本のODA(政府開発援助)で作られたダムによってどれほどの人の人生が破壊されてきたか。
国家権力の暴力がいよいよ剥き出しになっていく。
これまで作られ続けてきたダムの現状から、滞砂問題ひとつとってもダムが治水としても発電としても適していないことを国だって、もうとうに知っている。建前とされている目的を満たす方法は、探そうとすればある。それでも「公共事業」と銘打っての土木行政の甘い汁がその矛盾を野放しにし、ダム建設の強行は止まらない。
石木ダムも辺野古も、ほったらかしの被災地も、未だに止まらない原発建設も。権力の暴挙と逆走は激化している。肌で感じる。

 高校三年生のとき、進学が決まった大学のテキストの中で二風谷ダムの問題を知った。(その時、アイヌモシリが植民地化されて「北海道」になったことを初めて自覚した。)その後、高校在学時に授業でインターネットで調べものをしてレポートをするという課題があったとき、二風谷(にぶたに・ニプタイ)ダムのことを知りたいと思い「アイヌとシサムのウコチャランケを実現する会」のホームページに行き着いた。
 裁判を闘われた貝沢正さん、萱野茂さんの裁判所での意見書を読み、涙が止まらなかった。
アイヌ民族の聖地である沙流川の上流に作られたダムは、19997年の裁判で違法ダムであることを認定された。しかし、今も二風谷ダムはそのままだ。2005年に初めてその地を訪ねてその違法ダムをこの目で見て、歩いた。泥や砂がたまり、泥水色の水の底にアイヌ民族の聖地が沈められていた。
鮭が通れるようにという名目でコンクリートで「魚道」という水路が作られていた。鮭がどうやってそこにたどり着けるのか。辿りついたとしてもV字にターンなんてできるわけない。実際に実物を見て、その発想のばかばかしさに絶句した。
下流で、人間によって作られた段差を越えられず、それでも産卵のために何度もジャンプし上流に還ろうとする鮭たちの姿に申し訳なくて涙がでた。
沙流川の支流の額平川の上流では平取ダムが建設されている。

 人間が自然を破壊していて、人間が人間の暮らしを奪っていくこの日本社会の在り方。
いったいいつまで続けるんだ?気候変動問題がどこまで深刻化しているか、こんなに災害が続いても分からずに自然を破壊し続けるのか。人の暮らしを壊し続けるのか。このままじゃ、どの道 滅びる。

 長崎県と佐世保市はちゃんと住民の人たちの想いを受けとめて、方向を転換してほしい。
それを成せるかどうかは、このことを知った全国の人たちの反応や声がどう届くかだと思う。強制代執行なんて絶対許されない。なんとか止めたい。わたしはオンライン署名くらいしかできないんだけど…。とにかくここに気持ちを書いて、皆さんと少しでも想いを共有できたらと思いました…。寒い中、現場で耐えられている皆様が安心して暖をとれる日がはやく来ますように。


【オンライン署名】
説明不足のまま進む、税金538億円を費やす石木ダム建設。長崎県は一度立ち止まり、公開討論会を開いてください。
2019/10/18

お誕生日おめでとう

あなたがいてくれたから 今、わたしは生きています。
あなたが心を注いでくれたから どうにかいのちをつなげて今日に辿り着くことができました。

わたしのことを これ以上ないほど大切にしてくれたのに
わたしはあなたをこれ以上ないくらい傷つけました。
一言に表すことはできないけれど、ほんとうにごめんなさい。

そのことを忘れず あなたの幸福をこれからも祈ります。
あなたらしく生きられますように。素晴らしい人生になりますように。

出逢えたこと 過ごせた時間に感謝します。
お誕生日おめでとう。
どうか いつまでも元気で。
2019/10/13

SION 「12号室」



懐かしい歌。

今年もまた十月がきました。
もう12年になるのですね。
あなたに口をきいてもらえなくなるのが怖すぎて、どうしようもないときも命を投げ出さず踏みとどまれました。
おかげさまで、これまで生きてこられました。今、とても幸せです。
たくさんのありがとうとごめんなさい。時々声にだして謝っているけど… 聴こえてるかな。

天国にいるあの人に、出会い続けられる自分でいられるよう、祈り、歩みたいです。

2019/10/04

うむいごと

Vergilさんのブログ「読む・考える・書く」より
「地球環境危機は手遅れ寸前。冷笑などしている場合ではない。」 
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/09/28/142201


読んでない方は是非ご一読ください。改めて事実に目を向けると絶句する危機的な状況です。
未来に絶望しか遺せないのではないかと胸が苦しくなります。
戦争は最大の人権侵害であり環境破壊。戦闘がない時期でも、基地や軍事練習の大気汚染・土壌汚染・水質汚染は深刻です。特に軍隊保有国が自国以外に基地を持っている場合は。沖縄の米軍基地はもちろん、宮古島の自衛隊新基地も燃料の漏れ出しなどでの地下水の汚染が懸念されています。地下水が汚染されたら宮古島は人が住めなくなるでしょう。
誰も責任は取れません。空気や水が汚染されて、生き物である私たちが影響を受けないとでも思うのでしょうか。原発が爆発しても反省できないどころか、事実を歪めて開き直り続けるこの国の政府を、それを批判することもできない社会をどうやって正し、立て直せるのか。諦めるわけにはいきません。でも、何ができるのか・・・。



 前から観たいなと思っていた、セックスセラピストのおばあちゃんのドキュメンタリー映画 『おしえて!ドクター・ルース』の記事が新聞記事に出ていました。「あ、もうすぐやるのね~」と思って記事を読んでいたら、(ホロコースト体験者だっていうのは知っていたけど、)「終戦後はパレスチナでスナイパーとして活動した」と書いてあり愕然としました。観たかった気持ちが一気に失せ、言いようのない気持ちです。ホロコーストの歴史、イスラエル建国はパレスチナのナクバ(大災厄)、日々殺され、土地を削られ、虐げられ続けているパレスチナの人たちの現在を想います。人類の歴史が辛く、痛いです。




 ずっと読みたかった本、水俣病センター相思社の永野三智さんが書いた 『みな、やっとの思いで坂をのぼる ―水俣病患者相談のいま』(ころから社)を先日やっと読むことができました。
 
 水俣は私にとって原点でもある大切な場所で、何度も訪ねたけれど、患者さんたちの身体的な苦しみについて無頓着だった自分を恥ずかしく思いました。自分の身体は取り替えることは出来ない。そのことは幼いころからの心身の不調から私も人並みに感じてきました。でも、私は恵まれていて、今はある程度の健康を維持できる立場です。
食べ物から有機水銀を取り込んだことによって生じているお一人お一人の人生を貫く重い症状。肩こりや腰痛、身体の重さ、酷い耳鳴りで眠ることも人と話すことも不自由、寝ていても足がつって起きてしまい痛くて眠ることができない、手足の震え、味や匂いが分からず食事の栄養問題などから他の病気が出てきてしまう等・・・。治る方法がなく年齢を重ねるごとに悪化していく症状への絶望。「水俣病」であることを家族や親族の間で共有することもできないくらいの地域社会の日常・・・。

 苦しいけれど、その人生を逃れ得ない方たちの苦しみを読む前よりほんの少しでも知ることができたような気がします。読むことができて良かったです。私にとって生涯、大切な一冊となると思います。
丁寧な文章で読みやすく、でも日々の中で出会う患者さんたち一人一人の人生の重さが淡々と記録されています。
「悶え加勢」しながら患者さんたちに寄り添い続ける彼女の手記を、ひとりでも多くの方と共有したいと思いました。この本を一人でも多くの方と共有したいと思い、ここに書きました。まだの方は、是非一度お読み頂ければと思います。

2019/09/29

change.orgキャンペーン、ネット署名しました。まだの方、是非どうぞ。
文化庁は「あいちトリエンナーレ2019」に対する補助金交付中止を撤回してください。

【緊急署名】東電刑事裁判元経営陣「無罪」判決に控訴してください!



今日の新聞に、関西電力の会長ら20人が福井県高浜町の元助役から7年間で3億2000万円の金品を受領していたと報道されていた。原発のために、どれだけのお金が動いてきたんだろうと改めて考える。社長たちも会長も辞任はしないという。倫理が破綻した、釜の底が抜け落ちてしまった日本社会。こんなことは許してはならない。


思想信条への検閲、弾圧
民族差別と排外主義、愛国・国粋主義、優勢思想、天皇制、死刑
基地開発、軍隊、戦争と原発
歴史の隠蔽と改ざん
憲法と民主主義の破壊。
何もかもが相俟って一直線に破滅に向かっていく。

環境、社会の「当たり前」が目の前で喪われ、崩れ落ちていく。


先日のグレタ・トゥェンベリさんの魂からの怒りと懸念のスピーチも茶化し、向き合わない日本のメディアにはいい加減に吐き気がする。私は大人の一人として彼女の訴えが骨身に堪えた。大学で環境社会学を専攻し、何かしなければと感じながらも現状を結局のところ野放しにしたまま生きてきたから。今おき続けている自然災害は予見されていながら、手を打ってこなかった世界・社会の人災とも言える。このままだと、これから生まれてくる命たちに絶望しか遺せない。人類滅亡のシナリオは冗談ではなくリアリティだ。

この数年間の災害に、どれだけの人の人生が変えられただろう。世界で、この数秒の間にどれだけの森林が燃やされ、どれだけの種が絶滅しているか。知れば簡単に絶望してしまえる現状がある。だからって見ないままに、後の世代に全部押し付けてしまえるのか。
環境汚染された土地で、苦しみ続けている人たちがいることを想う。
海を埋め立てられ、堰き止められ、のたうち殺されていく命があることを想う。

わたしには何ができるのだろう。
なにも出来ないのだとしても何を目指し、生きていけるだろう。諦めないで命を燃やせるだろうか。試されている。