FC2ブログ
2018/11/09

【詩】 招待状 ―『運命 文在寅自伝』「日本語版への序文」によせて

                                                                          稲荷明古


近くて遠いあの国から
心が震えるほど美しく熱い「招待状」が届いていました

それは
人間の本当の解放を実現するための平らかな世界にむけて ともに旅立とう
という呼びかけの手紙

そうだ
海はふたつの国を隔てているが
海上には両国の先人たちが 古代からつないできた道があったのだ

「私たちの祖先が荒波を渡って相手のもとへと向かうことを可能にしたのは、友情と歓待の力でした」
「私たちはやがて真の友人となるでしょう」
とあなたは書き送って下さったのですね

すべてを奪い
知らんふりのまま一世紀を超える時を垂れ流し
むしろいいことをしてやったのにと開き直る私たちの国にさえ あなた方はこのように呼びかけて下さるというのですか

軍国主義と植民地支配により 先人たちが行き来したその道を埋めて
あなた方の故郷のなにもかもを奪い尽くした私の国に・・・・・・

憎しみも恨みも超えようとする強い愛の心に圧倒され 言葉もなく
しかし
なんとか応え生きたいと 胸の奥から琴の音色が響きます



歴史の末尾を歩む自分の足元には
いつも膨大な人生と未だ朽ち果てぬ魂があることを想わねばなりません

自国の在り方や辿ってきた道程の中 愚かな過ちを繰り返し
星の数ほどの人がただ一度の人生を奪われ 己より大切な家族と友人を奪われる苦難を強いられたことを・・・

この国での幸福に少しでも預かっている者たちは 私も含め絶えずそのことを想わなければ 誰がその歴史を教訓と出来るでしょうか

今を享受し 生きる者として どういう態度をとるのかが問われるのは至極当たり前のことであるはずなのに
「仕方がなかった」という言い逃れは あまりにも人のあたたかさからは遠いもの

「責任」
「反省」
「謝罪」
「誠実」・・・
そうした言葉の意味自体も 目の前で喪われゆくこの国で
情けなさと恥ずかしさに埋もれて窒息しそうな 私を掘り起こし
息が吸える青空の下に引き出していくあなたの手紙

この「招待状」を
一人でも多くの仲間と共に受け
あなたたちとの旅に出る決意を確認し
そして
今 心して 始めの一歩を踏み出でましょう

済州(チェジュ)出身のあの詩人がこの国の言葉に訳してくださった「序詞」を呟きながら








(2018年11月9日 記)

文在寅(ムン・ジェイン) 『運命 -文在寅自伝』 矢野百合子/訳 2018年10月 岩波書店

2018/11/07

憲法死守 ― 今、決戦のとき

  日本という国の歴史上、もっとも民衆に権利があるはずのこの時代に、戦争を望んでしまう《国家》という化け物をつないだ鎖が解かれんとしている。アベ政権の現在は醜悪さの極致にまできた。現状は日本の戦後民主主義の決壊そのものだ。憲法を奪わせないために決戦の時期を迎えていると肌で感じる。

 来年春の統一地方選挙の投票結果がどうなるかは私たち次第だ。それまでにアベ政権が倒れない場合 法治国家の規範崩壊のアベ内閣が存続し続けることになる。そうなれば、人権と歴史の真実を目の敵にした彼らの意のまま、国の基である最高法規の姿は全く逆のものに変えられてしまうだろう。現在の日本国憲法は滅ぼされ、人類が希求してきた戦争放棄や人権の平等性は水泡に帰し、生まれてきた子どもたちの明るい未来の展望は望めなくなる。思ったことを言ったら 権力から標的にされ、権力者の指先一つで掻き消され、強者にすべてを支配される暗黒の世界に日本社会は再び放り込まれる。そこに今の日常の常識やモラルの基礎になっている人権は残っていない。

 この数ヶ月が勝負となると感じる。いのちを守る憲法を死守するか、破綻と滅亡にすすむ国家の暴走を誰も食い止められない世界にするのか。「人間は誰しも幸せになるために生きる」という世界が存続できるかどうか。今この瞬間、ほんとうに決戦の時だ。

 苦しい心や怒りを分かち合い解放することは必要だ。しかし、嘆いているだけでは計り知れない巨大な闇の迫りを止めることは出来ない。
まずは、自分が起ちあがろう。ガンジーもキング牧師も阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)さんも、私たちとおなじ一人の人間だった。彼らを支えてきた無数の一人ひとりが確かにいた。己は無力だと卑屈になる必要は全くない。

 これまでにある光、受けた熱を思い出し、こんどは自分が灯火になり周りを照らしあたためよう。私たちは感じ、考える力を与えられている。言葉も行いも方法は必ずある。小さくても必ず見つかる。隣の人に、出会った人に、自分を表すことを臆するな。

 自分で決めることよりも、社会の雰囲気に合わせてしか物事を決められないでいる人たちが一定数以上はいる日本社会で、権力の示す方向におもねる人も少なくない。しかし、周りに静かに強く姿勢を示す人がいれば、また変わってくるだろう。投じられる波は小さく見えても、みんながそれぞれの場で立ち上がり、持ち場を守っていければ、それぞれの影響は小さくても確かな希望が実感できるはずだ。出口があることを信じて模索し、臆せず実行していこう。たった一人の反乱に見えても、それは連動し繋がっている。

どんな暮らしをしていても 心のうちに自分の蝋燭を立てていよう。
蝋燭を折ってはならない。
蝋燭を手放してはいけない。

 どんな暮らしをしていても 心のうちにある蝋燭を折らないでいよう。
もしも、今どうしてもつらいなら、明かりを灯せなくてもいい。でも決して、手放さないでいよう。
私たちは誰しも種火になることができる。風が強くて火が消えても、また誰かから灯を分けてもらえる。それが仲間がいるということ。それが不屈の力の源だ。それは悪の諸勢力にはないものだ。私たちにはそれがある。恐れなくていい。

さあ、
今 未来のために起ちあがろう!
心を燃やし、己が胸のうちに在る愛と夢と希望を燃やそう!

私たちは滅びではなく、いのちある未来を選び取る力を確かに持っているのだから。









 昨夜から、韓国の大統領になった文在寅(ムン・ジェイン)氏の自伝 『運命』(岩波書店)を読み始めています。
美しく熱い招待状です。心が震えます。
序文の最初の一ページは盧 武鉉(ノ・ムヒョン)大統領を見送った文氏の想いが端的に書かれています。

 《それがどのような感情であれ、私たちが受け入れなければならない現実がある。これから私たちは、生きている者としての責務を考えていかなければならない。これから私たちは、彼が残した宿題に取り組まなければならない。これから私たちは、盧 武鉉時代を超える次の時代を準備していかなければならないのだ。
 いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。衝撃、悲痛、憤激、悲しみ、憐れみ、追憶――こうした感情を胸の奥に大切にしまって、私たちがなすべきことを静かに始めていかなければならない。
 それが彼を 「時代の重荷」から解き放つ方法だ。彼が背負っていた重荷を私たちが潔く抱えることこそ、もっとも美しい別れだ。》


 この文章は、沖縄前知事の翁長さんを失った沖縄のひとたちにもそのまま当てはまる言葉と言えるのだろうと感じます。
そして、この序文に引用されている都 鍾煥 (ト・ジョンファン)氏の詩が素晴らしい。「遠く流れゆく水」という作品です。ここに引用はしないので、ぜひ本を手にとってください。
一緒にこの本を読んでいきましょう。

 私は、日本の植民地支配と朝鮮半島の分断、軍事政権化から民主化を実現してきた韓国の民衆の時代を超えた魂の叫びに学びながら、日本国家を変えていく力を育て、みんなの力で奇跡を起こしたい。沖縄の人たちに、歴史の真実と向き合う勇気と視点を与えられ続けているように、この本も非常に大切な呼びかけだと感じます。
沖縄の人たちにも、朝鮮半島の人たち、アジア太平洋地域の人たちに、心から謝罪し善き未来を模索し続け、いつか友と言ってもらえる日が来るように、祈り歩みます。

 日本国籍はあっても、自国の政治や社会の情勢に、恥ずかしさと情けなさを覚え悲嘆せざるを得ない精神的ディアスポラの日本人・やまとんちゅの仲間の皆様。
絶望は簡単です。でも、私たちは、私たちの社会に踏みつけられている側の人たちから愛ある呼びかけを受け、励まされています。だから、諦めてしまう心はまた燃え上がり、その呼びかけにきっと応えていけるはずです。
心と力を合わせて共にがんばっていきましょうね!

2018/11/05

Probably obvious by being together any time


20181003
                                                           

20181105


20181105
                                                                         

2018/11/04

細胞レベルの解放

湧き上がる衝動と心の奥底からの歌が身体表現されたものを観ることができる歓び。
細胞レベルの魂の解放の実現。

菅原小春さん、踊ってくれてありがとう。
朝からDesire の映像3回みました。深く感謝。

今日初見のこちらも。


【Rather Be(ラザー・ビー)】の和訳:Clean Bandit(クリーン・バンディット)

We’re a thousand miles from comfort
(心地良い場所から遠く離れた場所に)

We have travelled land and sea
(私たちは陸や海を超えて旅してきた)

But as long as you are with me
(あなたがわたしと一緒にいる限り)

There’s no place I’d rather be
(他にいたいと思う場所はないわ)

I would wait forever
(わたしは永遠に待つことになろうとも)

Exulted in the scene
(この場所で喜びを覚えている)

As long as I am with you
(あなたと一緒にいる限り)

My heart continues to beat
(私の心臓は鼓動し続ける)

With every step we take, Kyoto to The Bay
(一歩一歩と歩むこの道は京都から浜辺へ続いていて)

Strolling so casually
(わたしたちはゆっくりと向っている)

We’re different and the same, gave you another name
(わたしたちは違っているようで同じものであり、他の名前が与えられている)

Switch up the batteries
(それは、バッテリーを交換するようなものなのよ)

If you gave me a chance I would take it
(もしチャンスをくれるなら、わたしは必ずそれを掴むの)

It’s a shot in the dark but I’ll make it
(暗闇の中で狙いを定めるようなものだけれど、わたしならできる)

Know with all of your heart, you can’t shake me
(あなたのことは全部分かってる、私を動かすことはできない)

When I am with you, there’s no place I’d rather be
(あなと一緒にいれば、他にいたいと思う場所なんてないの)

N-n-n-no, no, no, no place I rather be
(そう、ここより良い場所なんてない)

N-n-n-no, no, no, no place I rather be
(そう、ここより良い場所なんてないのよ)

N-n-n-no, no, no, no place I rather be
(他にいたいと思う場所なんてないの)

We staked out on a mission to find our inner peace
(わたしたちは心の平穏を求めるためのミッションを遂行した)

Make it everlasting so nothing’s incomplete
(永遠に続くようにするため、そして不完全なものをなくすために)

It’s easy being with you, sacred simplicity
(あなたと一緒にいることは簡単で、本当にシンプルなことなの)

As long as we’re together, there’s no place I’d rather be
(わたしたちは一緒にいる限り、他にいたいと思う場所はないの)

With every step we take, Kyoto to The Bay
(一歩一歩と歩むこの道は京都から浜辺へ続いていて)

Strolling so casually
(わたしたちはゆっくりと向っている)

We’re different and the same, gave you another name
(わたしたちは違っているようで同じものであり、他の名前が与えられている)

Switch up the batteries
(それは、バッテリーを交換するようなものなのよ)

If you gave me a chance I would take it
(もしチャンスをくれるなら、わたしは必ずそれを掴むの)

It’s a shot in the dark but I’ll make it
(暗闇の中で狙いを定めるようなものだけれど、わたしならできる)

Know with all of your heart, you can’t shake me
(あなたのことは全部分かってる、私を動かすことはできない)

When I am with you, there’s no place I’d rather be
(あなたと一緒にいれば、他にいたいと思う場所なんてないの)

N-n-n-no, no, no, no place I rather be
(そう、ここより良い場所なんてない)

N-n-n-no, no, no, no place I rather be
(そう、ここより良い場所なんてないのよ)

N-n-n-no, no, no, no place I rather be
(他にいたいと思う場所なんてないの)

When I am with you, there’s no place I’d rather be
(あなたと一緒にいられるなら、他にいたい場所なんてない)

Hmmmmmmmmmm, Hoooooooooo
Be, be, be, be, be, be, be, be, be
Yeah-e-yeah-e-yeah-e-yeah-e-yeah, yeah, yeah

If you gave me a chance I would take it
(もしチャンスをくれるなら、わたしは必ずそれを掴むの)

It’s a shot in the dark but I’ll make it
(暗闇の中で狙いを定めるようなものだけれど、わたしならできる)

Know with all of your heart, you can’t shake me
(あなたのことは全部分かってる、私を動かすことはできない)

When I am with you, there’s no place I’d rather be
(あなと一緒にいれば、他にいたいと思う場所なんてないの)

N-n-n-no, no, no, no place I rather be
(そう、ここより良い場所なんてない)

N-n-n-no, no, no, no place I rather be
(そう、ここより良い場所なんてないのよ)

N-n-n-no, no, no, no place I rather be
(他にいたいと思う場所なんてないの)

When I am with you, there’s no place I’d rather be
(あなたと一緒にいられるなら、他にいたい場所なんてない)

When I am with you, there’s no place I’d rather be
(あなたと一緒にいられるなら、他にいたい場所なんてない)


      洋楽翻訳ブログ「オンガクガトマラナイ」 
        https://ongakugatomaranai.com/cleanbandit_ratherbe/より




2018/11/03

38億年と35年7ヶ月と数日 生きた今日に

今日、お話できた方の言葉から懐かしい詩を思い出すことができました。

 
    谷川俊太郎


また朝が来てぼくは生きていた
夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た
柿の木の裸の枝が風にゆれ
首輪のない犬が陽だまりに寝そべってるのを

百年前ぼくはここにいなかった
百年後ぼくはここにいないだろう
あたり前な所のようでいて
地上はきっと思いがけない場所なんだ

いつだったか子宮の中で
ぼくは小さな小さな卵だった
それから小さな小さな魚になって
それから小さな小さな鳥になって

それからやっとぼくは人間になった
十ヶ月を何千億年もかかって生きて
そんなこともぼくら復習しなきゃ
今まで予習ばっかりしすぎたから

今朝一滴の水のすきとおった冷たさが
ぼくに人間とは何かを教える
魚たちと鳥たちとそして
ぼくを殺すかもしれぬけものとすら
その水をわかちあいたい



      (谷川俊太郎 詩集『空に小鳥がいなくなった日』 サンリオ 1990年)
 この詩集では「からだの中に」、「朝のかたち」、「祝婚断章」、「ほほえみ」、「なんにもない」、「じゃあね」も好きです。
  



歌は石橋和子さんの「ケ・サラ」を。
個人的にはこの歌は、原曲の歌詞の雰囲気より日本で歌われてきたような歌詞のほうが、曲と歌詞があってるなぁと思います。
いい歌。




とんでもなく遅かったり、急発進したかと思ったら今度はまったく動けなかったり、後ずさりしながらではありますが、しっかり歩いていきたいです。 九条実現するには倒閣実現せねば。明治を賛美するような首相は終わってます。恥ずかしい。相変わらずの大言壮語だけど、本気で心から、です。 自分にできることは、すべてやりたい。がんばろうっと。


続きを読む

2018/11/03

2018年11月3日 憲法交付日に

 辺野古の、大浦湾の海を埋めさせたくない。
これ以上、沖縄を踏みにじりたくない。
これまで数え切れない人の命を奪った、日本の侵略と戦争の歴史。
先の大戦の謝罪も補償も実現しないまま、また戦争をしようとしてる。
戦争したくない。させたくない。もうこれ以上は。もうごめんだ。
どうして命を奪うほうにばかり向かうのか。いのちのために集めた税金のはずなのに、削られていくばかりで。毟り取るばかりで。
金と権力があれば、優越感が満たされたらそれでいいのか。本当にもうイヤだ。自分もこの社会の一員であること、人生の中で選挙権を持って長いことが、心底申し訳なくて恥ずかしくてたまらない。

 愚かさと無恥の極地。悪いほうにどこまでもどこまでも奈落の底に落ちていくこの日本社会の現在地。
ヤマトの人間である以上、日本民族で国籍もある以上、日本という国家が重ねてきた罪と、恥を、少なくともひとりぶんは引き受けて生きなければならないから、そこから逃げるつもりはないのだけど、次から次へと本当に。おかしいことがありすぎて、ちゃんと怒れているのか、判断できているのか。よくわからなくなってきている気がして不安が消えない。でもこの不安は誤魔化したらアウトで、そうなったら終わってしまう気がする。

 この愚劣な政権の暴虐をどうやったら止められるのか。倒したい。ほんとうに、ほんとうに、なんとかしたい。許せない。許したくない。
これまで人類が得てきたすべてのよきものが、負の遺産から得た教訓が、溝に捨てられて破滅にむかっている。絶対に、憲法は奪わせない。幼い子どもたちに希望のない世界を手渡すのは耐えられない。今日の自分にある権利を得られず死んでいった人たちに申し訳なさすぎる。

焦っても、と思う一方で、ここで焦らないと手遅れになると直感している。

あきらめたって、あきらめなくったって、やることは同じ。
少しでも希望がつなげるように生ききるしかないじゃんね。
だったら、諦めないで生きる方法を模索し続ける。手遅れにならないうちに、やれることはやらなきゃ。
考えてることはお蔵入りさせず実行しよう。思ったことや考えたことは、表そう。
とにかく、隣り人と心を分け合って励ましあっていくしかない。
そこにはかすかでも確実な希望が生み出される。

恐れず、臆さず、やるしかない。一歩さきにすすみたい。





 徐京植(ソ・キョンシュク)さんの『過ぎ去らない人々-難民の世紀の墓碑銘』(影書房 2001年)を沖縄知事選の期間から読み直していた。大学生の頃に初めて読んだから、もう15年くらい前か。紹介された49人のうち、パブロ・カザルスやビクトル・ハラ、プリーモ・レービィー、ハーヴェイ・ミルク、金子文子、長谷川テル、尹東柱(ユン・ドンジュ)、ガッサーン・カナファーニーの記事は特に印象に残ってたのを思い起こした。
 今回は、この人たちはもちろん、サッコとバンセッティ、エルンスト・トラー、サルバドル・アジェンデ、エーリヒ・ケストナー、リヒャルト・ゾルゲ、尾崎秀実、原 民喜、キム・サン、趙文相(チョウ・ムンサン)、が印象にのこった。
最後に記されたのは、徐さんのオモニ(おかあさん) 呉己順(オ・ギスン)さんの記事。息を引き取られる直前の一言が聞こえてくるようだった。

歴史に残る名著だと思う。 

 一人の人間としてどう生きるのか。歴史の末尾を生きる私たちは、人類社会の在り方と未来への選択に常に対峙していると感じる。どんなにトンネルの闇が深くても、光の残る世界を次世代に手渡せるよう暮らしていきたいと希う。

2018/10/26

ジャーナリスト安田純平さんの解放 - 再燃する「自己責任」論を許さない

 安田さんの命が助かった・・・。助かったことは本当によかった。けれど、生き残ったその後の人生の中での恐怖の揺り返しの過酷さは想像すらできない。助かった彼の命や生活を危険に曝すバッシングや、本人や家族を追い詰めるような報道の姿勢は決して許さない。奇跡的に助かったいのちを、更に危うくさせるつもりか。正気ではない。

「危険なところに行った本人が悪い」という自己責任論の考え方そのものが、この世界に危険な場所や状況を生み出している。

 2003年3月20日、大量破壊兵器があるという嘘の情報によりアメリカはイラクを攻撃し戦争が始まった。自衛隊は武器を持ち、アメリカが始めた侵略戦争を「支援」するために派兵された。それまで「ヒロシマ・ナガサキを経験させられたのに経済成長で立ち直り、戦争を放棄した日本」という親日感情があった中東で、日本人の拉致や殺害が起きるようになったのは何故か。
ジャーナリスト綿井健陽さんのドキュメンタリー映画 『Little Birds(リトルバーズ)』のワンシーンを思い起こす。

 前日は明るいマーケットだったそこに、銃弾に倒れた子供がいる。鍵をかけられたはずの店が崩れている。本当にここが、人々の笑顔が溢れていたマーケットだろうか。空爆が始まった直後、ここで一人の男性のインタビューが入る。「ブッシュと手を組んでいるお前ら日本人を絶対に許さない。お前ら日本はこれから百年間覚えておけ!覚えていろよ!!」
彼は激怒しながら砂嵐の街角に消えていった。何度も振りかえり、指差し叫びながら。

2005年時の感想からhttp://inariyasauce.blog71.fc2.com/blog-entry-541.html



そこはどうして「危険な場所」となったのか、を一切考えないのは限りなく愚かで恥ずべきことだ。

 自分は無関係だと思い込むことにより、自分たちの社会の現在地の異常さや、未来に起き得るだろう惨状から目を塞ごうとする。
知ろうとしないこと、知らないことが、圧倒的な暴力の世界の構造をさらに強固なものにして、継続させている。生み出され続ける悲劇が、憎悪と暴力を再生産し続ける。これから、自分たちもそこに巻き込まれること、いやもう巻き込まれていることは明白だというのに、いつまでもいつまでも気付こうとはしない。


 ジャーナリストたちは、警告する。
私たちは誰かを見捨てることによって、自分たちの尊厳や権利を手放していると。この惨状を看過するなら破滅がまっていると。
ジャーナリストは、現代の預言者とも言えると私は感じる。


 カエルだって、入っていた水がお湯になったら危機を感じて飛び出す。茹で蛙なんて実際には存在しない。この日本社会を生きる人間たちは蛙より劣るのだろうか。炭鉱のカナリアを「うるさい」と絞め殺して、その後はたして無事に洞穴から出ることが叶うというのか。



【記事】
安田純平さん解放の報。本人を追い詰めるあらゆる対応を控え、心的外傷の治療を最優先すべき
伊藤和子 | 弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長

10/24(水) 12:50
https://news.yahoo.co.jp/byline/itokazuko/20181024-00101617/

【記事】
「安田純平さんが帰ってきた -危険地を敬遠する組織メディアの記者たち。危険地取材の意義を改めて考えたい」
石川智也 朝日新聞記者

2018年10月26日(金) 
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2018102600001.html

2018/10/24

米国で放送された「慰安婦」問題の特集番組        The Apology(謝罪)

 強いられた「恥辱」により黙らせてきた罪
無知蒙昧で悔い改めないことにより語らせ続けてきた罪
おばあさんたち、ごめんなさい。こんな日本の政府と社会で、本当にごめんなさい。なにも変えられないままな私でごめんなさい。
でも、諦めません。頂いたものを忘れません。日常に流されても、無力を思い知らされても、なんの足しにもなれなくても、決して決して諦めません。

 「オレの心は負けてねぇから!」 宋神道(ソン・シンド)さんの声が胸に響きます。私の心も、負けない。負けません。
女性や子ども、(このカテゴライズに当てはまらなくても)弱者の性を蹂躪して利用する連中に、決して屈さないで生きていきたいです。



【動画】10月22日に米国で放送された「慰安婦」問題の映像

The Apology
The Apology follows three former “comfort women” who were among the 200,000 girls and young women kidnapped and forced into military sexual slavery by the Imperial Japanese Army during World War II. Seventy years after their imprisonment, the survivors give their first-hand accounts of the truth for the record, seeking apology and the hope that this horrific chapter of history not be forgotten.

http://www.pbs.org/pov/theapology/video-theapology/


 この1時間23分の映像は、10月22日に米国で放送された旧日本軍戦時性暴力制度「慰安婦」問題の特集番組です。 第二次世界大戦中に日本の軍隊によって拉致され、強制的に軍の性奴隷にされた20万人の少女と若い女性たちのうちの3人の、元の「慰安婦」制度を体験させられた生存者の方たちが、筆舌には尽くせない体験から70年経った後の証言の記録映像です。

 私は日本語以外は全くできないので、字幕の意味がほとんど理解できなかったけど、ハルモニ、大娘(ダーニャン)、ロラたちの映像を見せてもらいました。
(※おばあさん:ハルモニ/朝鮮語、大娘(ダーニャン)/中国語、ロラ/タガログ語(フィリピン))

 私が若き日に出逢えた韓国、フィリピン、台湾の(阿媽・アマー)おばあさんたちの声や笑み、涙や歌声、一緒に踊ったこと、その体験をされたお身体をマッサージさせて頂いた時の温みを思い出しながら。映画や本で出逢った中国やインドネシアのおばあさんたちのことを思い出しながら。
 
 2005年、ピラール・フィリアスさんの前で、「日本政府が謝るまで、私は決して諦めません」とスピーチで約束したのに、ピラールさんも、出逢えたほとんどの生存された証言者が亡くなってしまった現在に。嗚咽しながら、悲しいほどに美しい映像を見ていました。
生存者が長く重すぎる沈黙を破り、命の限りに訴えたのに、日本はそれを無視し、確信的に歴史の真実を隠蔽し、また戦争をやろうとしています(もう参加しているとも言える)。

 今、自分の生に許された「幸福」に感動するたびに、被害にあわれたおばあさんたちや、その後の人生もなく殺された女性たちへの申し訳なさに胸に痛みを感じます。戦争が起きていても起きていなくても、この社会/世界の日常に満ち満ちた性暴力の嵐。この地球上に何十億人もいる人たちのなかで、どれだけの人が本当に自分の心身を尊重し合える関係の中で、自分を大切に感じられる暮らしを実現しているでしょうか。

 私が若かった当時も日本社会は酷かった。けれど、十年以上の歳月が過ぎ、社会の無恥で暴力的な流れは加速し続け、あの頃と比較にならないほど悪い状況になった。日本政府の蛮行を例に出すまでもなく。糸が切れるように奈落へ転がり続けるこの社会の流れを止められないできた自分に悔しさと無力さと申し訳なさを覚えます。私自身、自分が生きぬくのに精一杯で何もできないできてしまった。

 でも、諦めたわけじゃない。
絶対に、諦めないでいるための心を、おばあさんたちは私に与えて下さいました。

 大学生4年生の冬、初めて日本軍性奴隷制度についての証言を李容珠(イ・ヨンス)さんの証言を集会で聞きました。耳を塞ぎたくなる恐ろしい体験が語られ、それでも「この人は実際にそれを十代で体験し、生き抜いてこられたのだから、私は聞くくらい耐えなければ」と歯を食いしばって聞きました。
 あなた方にこの世界を生きる上で描けたはずの夢や希望、人間として体験できる幸福を、すべて奪い苦しめ続けた日本の起こした戦争の加害を決して許しません。おばあさんたちの証言は、「いついかなる時も(戦争であっても、社会が平和に見えるときでも)、女性や子ども、弱い立場の男性や、性別に違和感のある人も、性別を選ばない人も、全ての人の誰にも尊厳を蹂躪する性暴力を許してはならない」と明確に言いきれる力を私に与えて下さいました。

 私自身、証言を聴き、始めは分からなかったけれど、自分の身に起きたことについて振り返り考えることが実現してきたと思います。私は、彼女たちが幼き日や若き日に強いられた事実について知り学ぶうちに、ずっと蓋をしていた自分自身の体験した子どもの頃の体験について考え始めることができました。若き日にも様々な形での体験がありました。若くなくなり、安全な場所にきて日常の中でやっと少しずつ自覚できてくるような体験。それは、自分で自覚していたものよりもずっと深い傷でした。性暴力は、そういう耐え難い重たさを持ったものだと、今になり実感しています。自分の過去に起きた出来事の、その後の人生への余波の自覚から鑑みるとき、日本軍によって女性たちに起きたこと(人類史上で最も愚かで罪深い制度の犠牲であった悲惨な体験の歴史)の、果てしない闇、筆舌にはしえない苦しみと失われた人生を、想像することなど到底できないことを改めて知る思いです。

 言語的に壁があっても、おばあさんたちの暮らしのワンシーンを切り取ったこの美しい映像を一人でも見てほしいと願い、紹介します。目線や息遣いを映像で見ることで、感じられるものが必ずあるはずです。
同じ女性であること以前に、裁判所に入る車椅子のおばあさんに、そのまま放映すらされないような罵倒を投げかける「日本人」の側の社会の一人として。ありとあらゆる形に姿を変えて性奴隷制度を続けているこの日本社会。近代日本国家の愚かさを凝縮したアベ政権が繰り返そうとしている暴力の最たる戦争と再軍国化を、なんとしてでも食い止めたいと心から思います。がんばります。


2018/10/22

ミヒャエル・エンデ 『モモ』からのワンシーン

 数日前から、数年ぶりに ミヒャエル・エンデの物語り 『モモ』を味わっている。

 下記の引用箇所は、主人公の女の子 モモが時間泥棒である灰色の男たちの働きで、友人たちを奪われ、その上 見張られ、圧倒的な孤独に置かれているシーン。



 毎日一回、モモはニノのところに食事に行きました。でも話をすることは、さいしょのときとおなじようにはほとんどできません。ニノはあいもかわらずいつもいそがしく、ぜんぜんひまがないのです。
 一週間がひと月になり、また数か月になりました。でもモモはまだひとりぼっちです。
 たった一回ですが、モモはある夕方、橋のらんかんに腰かけているとき、とおくの別の橋の上に、背をまるめた小がらな人のすがたを見かけました。その人は、まるでいのちがけで掃いているというようすで、ほうきをふりまわしていました。ベッポにちがいないと思ったモモは大声で呼びかけて手をふりましたが、あいてはちょっとの間も手をやすめません。モモはかけだしました。でもその橋についたときには、もうどこにもそのすがたはありませんでした。
 「きっとベッポじゃなかったんだ。」モモは自分をなぐさめました。「そうよ、ベッポじゃないにきまってる。ベッポの掃き方なら、あたし知ってるもの。」
 出かけずに円形劇場のあとのうちにいる日もありました。ひょっとしたらベッポが、モモがもどったかどうかを見にくるかもしれない、きゅうにそんな気がしたからです。もし出かけていれば、まだゆくえ知れずだと思われるにきまっています。でも、そうしていてもやはりおなじ心配が心をくるしめます。ベッポはるすのあいだにきたのではないか、一週間まえか、もしかすると、きのうにも!
こうしてモモは待ちましたが、もちろんむだでした。そのうちにとうとう、へやの壁に大きな字で、「かえっています」と書いておくことにしました。けれどいつになってもこれを見たひとは、モモのほかにはいませんでした。
 でもただひとつだけ、このあいだじゅうモモからはなれないものがありました。マイスター・ホラのところですごしたときの記憶、あの花と音楽のあざやかな記憶です。目をとじて、じぶんの心にじっと耳をすましさえすれば、あの花々のかがやくばかりにうつくしい色が目にうかび、あのたくさんの声の音楽が聞こえてきます。そしてさいしょの日とおなじように、そのことばをじぶんで口ずさみ、メロディーをうたうことができました。とはいえ、そのことばもメロディーも、日がたつごとにたえず新しく変わり、けっしておなじままではありません。
 モモはときどき一日じゅうひとりで石段にすわって、そのことばを語り、うたいました。聞いてくれるのは、木と、鳥と、廃墟の石ばかりです。
 孤独というものには、いろいろあります。でもモモのあじわっている孤独は、おそらくはごくわずかな人しか知らない孤独、ましてこれほどのはげしさをもってのしかかってくる孤独は、ほとんどだれひとり知らないでしょう。
 モモはまるで、はかり知れないほど宝のつまったほら穴にとじこめられているような気がしました。しかもその財宝はどんどんふえつづけ、いまにも息ができなくなりそうなのです。出口はありません!だれも助けに入ってくることはできず、じぶんが中にいることを外に知らせるすべもありません。
それほどふかく、モモは時間の山にうずもれてしまったのです。
 ときには、あの音楽を聞かず、あの色を見なければよかったと思うことさえありました。それでも、もしこの記憶を消し去ってしまおうと言われたとしたら、どんな代償をもらおうと、やはりいやだとこたえたことでしょう。たとえその記憶の重みにおしひしがれて、死ななければならないとしてもです。なぜなら、いまモモが身をもって知ったこと――それは、もしほかの人びととわかちあえるのでなければ、それをもっているがために破滅してしまうような、そういう富があるということだったからです。――

(ミヒャエル・エンデ 『モモ』〔大島かおり訳/2005年版、岩波少年文庫〕
 16章「ゆたかさのなかの苦しみ」p315-317)


・・・・・・・・・






 文学、すごいな・・・って。
心が震えて、身体にあらわれる。涙が自然と溢れたり、手が熱くなったり。こんなにも慰められる。

長くも短くもない自分のこれまでの人生の中で、最も痛烈な孤独を感じていたあの膨大な時間の期間を思い出す。

 特に子どもにむけた名作は児童書も絵本も、大人の一人である作家が、世界の美しさや希望や可能性、人間の善さ、面白さ、真理を 次世代に手渡す為のものとして選ばれた言葉から紡がれ、織りあげられた物語りなのだと感じる。

 不条理と不平等のこの星の上で、母語の読み書きも、本を読む自由も時間も、与えられている自分の現在地点。
ありがとうございますというお礼と、申し訳ない・ごめんなさいというお詫びと、これからの自分で意味を持たせられる日にいつか行き着きたいという願いと決意がないまぜになっているような胸のうち。

 ほんとうの善きことばは生き残ったわたしたちをつなぐ光、なんだ。
そういうことばを本当に選べるようになるためにも、あの孤独を時折おもいだす必要が私にはあるんだろう。


時間の花2
時間の花

 昔に撮らせてもらった蓮の花。やっぱり時間の花みたい。


 昔、『モモ』のはじめからおわりまでの読み聞かせを一人の人にずっと聴いてもらえたことがあって、その時ほんとうに楽しかった。そういう体験と歓びの記憶がある。
いつかまたやれたらと願う。 もし、できるときがあれば、未来に大人として生きねばならない、今を生きる大切な子どもたちに捧げたい。そして、『星の王子様』になっちゃうけど、子どもだったころのあるすべての人のためにも・・・。

今夜は最後まで読めるかもしれない。
穏やかに楽しみながらも、心して 大切に読めたらいいな。

神様、私と皆様の命をありがとうございます。 この世界を、全てのいのちの営みを創り与えて下さったことを、こころより感謝します。
読んでくださって、ありがとう。
風邪をひかないように気をつけて。 おやすみなさい。


2018/10/19

【今日の歌】 寺尾沙穂さん「たよりないもののために」

この曲には秋や冬の小春日和が似合う




寺尾紗穂「たよりないもののために」 作詞・作曲:寺尾紗穂
寺尾紗穂:Vocal, Acoustic Piano マヒトゥ・ザ・ピーポー:Electric Guitar, Vocal
ミュージックビデオ 監督・撮影:大森克己 編集・撮影:玉田伸太郎

寺尾沙穂 「たよりないもののために」

たよりないもののために 人は何度も夢をみる
ボロボロになりながら 美しいものをうむ
枯葉の小さな つむじ風のテンポで ダンスは続いている
見えなくなった ものたちの ダンスは続いている

疲れきった仲間が 舞台をおりてゆくよ
舞台なんかないって 誰もさけばない
演じることが すべてなんて そんな真実いらない
正直だった ものたちの ダンスは続いている

たよりないもののために 人は命をかける
ボロ切れで歌をみがく 何度も道にまよう
遠い昔に わかっていること 知らないふりして階段を下(くだ)る
忘れられた ものたちのダンスは続いている

信じることで この夜に ようやく朝が訪れるのなら 信じる力は どこに落ちている
皆が飲んでしゃっくりしていた 母さまの腹の水に 握りしめていたへその緒の彼方に
2018/10/14

【詩】  ことば

                                 稲荷明古

飽きもせず殺し続ける圧倒的な世界に
わたしたちは感性ひとつで向かい立とうとする

ことばは天から与えられた人間をつなぐ光

詩を生きるわたしたちのことばは いのちの流れを汲むものでなくてはならない




確かに忘れていることがある

小さな哲学者たちがこれまでどれほど簡単に空高く旅立っていかねばならなかったか
慟哭の人生を歩んでこられた先達たちが羽虫のように殺され
子を守ろうとする大人たちの決意が打ち砕かれ続けてきたか

そして
それが今もなお終わりなく繰り拡げられているこの地上の現実を


先の大戦すら まともに振り返ることも出来ず
国は正当化という嘘を塗りたくり重ねる

下っていく急な坂道は既に奈落に近い現在地
けれど平穏に見えてしまう 今日という日


身を任せるな
立て

誰に知られずとも 声をあげずとも
立て

歯を食いしばり立ち上がり
無残な世界をやはり変えられない無力を憶え
それでも美しいこの世界を歓び讃えよう

暮らしのなか紡がれた思想は ことばとなり放たれる

ことばは 
ほんとうの善きことばは
生き残ったあなたと私をつなぐ光





                  (2016年10月22日)
2018/10/14

Protest/Revolution songs!

心を潤し、燃え上がらせる 想いと音楽。わたしは歌の力を信じる。


AIR 『I have a dream』


今日という日に あしたという日に
すべての命が 輝け 羽ばたけ

さあさあ 踊りだす鼓動と共に
大きく唄い出せばほら
悲しみに濡れた 今日を塗りかえる

We Shall overcome
Go my way
I have a dream


共に立ちあがる 共にわかちあう
理想に燃える力で 不可能を 打ち破れ

We are Alive 見上げた空の先に
流れる 血の河の重み
あの日の涙の 意味を忘れない

We Shall overcome
GO for it
I have a dream

We Shall overcome
GO for it
I have a dream


We Shall overcome
Go my way
I have a dream



Pete Seeger - We shall overcome

―――

ビクトル・ハラ 『耕す者の祈り』


日本語訳:
起き上がれ そして山をごらん
川の流れを魂の風を

起き上がれ そして両手をごらん
育ちゆき 君の兄弟たちの手を握るために
共に行こう 血の絆に結ばれ
今日が明日に繋がっていくんだ

僕らを貧困へと支配するものから解放しよう
正義と平等の王国を我らのもとへ

共に行こう 血の絆に結ばれ
今も そして僕らの死のときも
アーメン!アーメン!

  (ビクトル・ハラの生涯を紹介している 文芸ジャンキーパラダイスさんのページ

―――

海勢頭 豊さん 『喜瀬武原(キセンバル)』


1喜瀬武原陽は落ちて 月が昇る頃
  君はどこにいるのか 姿もみせず
  風が泣いている 山が泣いている
  皆が泣いている 母が泣いている

 2喜瀬武原水清き 花のふるさとに
  嵐がやってくる 夜明けにやってくる
  風が呼んでいる 山が呼んでいる
  皆が呼んでいる 母が呼んでいる

 *闘い疲れて ふるさとの山に
  君はどこにいるのか 姿もみせず

 3喜瀬武原空高く のろしよ燃え上がれ
  平和の祈りこめて のろしよ燃え上がれ
  歌が聞こえるよ はるかな喜瀬武原
  皆の歌声は はるかな喜瀬武原

 *闘い疲れて家路をたどりゃ
  友の歌声が心に残る


―――

Inti Illimani  『 El pueblo unido jamás será vencido』


El pueblo unido jamás será vencido(団結した人民は決して敗れない)/不屈の民 日本語訳

日本語訳:
今こそ立ちて歌わん 闘う我らの歌
貧しき者の中に 闘志の炎は燃え
この苦しい暮らしの中 我らの道はひとつ

今こそ高く掲げん 闘う我らの旗
働く者の中に 闘志の炎は燃え
血に塗れた鎖を断つ 我らの道はひとつ

今こそ 我ら 苦しみ 乗り越え
血潮に 湧きて 叫ぶ 進め!

El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido(エル・プレブロ・ウニード・ハマセラーベンシード)
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido

今こそ固く結ばん 闘う我らの手を
肩組む者の中に 絆は結ばれゆく
この苦しい暮らしの中 我らの道はひとつ

今こそ立ちて歌わん 闘う我らの歌
働く者の声が 大地に響き渡る
この新たな世界目指す 我らの道はひとつ

今こそ 我ら 苦しみ 乗り越え
血潮に 湧きて 叫ぶ 進め!

El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido

El pueblo u・nido・・・



―――

양희은 아침이슬 『朝露』


日本語訳:
長い夜を暮らし草葉に宿る
真珠より美しい朝露のように

心に悲しみがみのるとき
朝の丘に立ち微笑を学ぶ

太陽は墓地の上に赤く昇り
真昼の暑さは私の試練か

私は行く、荒れ果てた荒野に
悲しみ振り捨て私は行く


    作詞作曲:金敏基(キム・ミンギ)さん
   歌:楊姫銀(ヤン・ヒウン)さん 歌詞 日本語訳:李政美(イ・ジョンミ)さん


―――

Jewel 『 Hands』


日本語訳:
世界に向けてひとこと言えるとしたら
こういうわ 私たちは大丈夫
心配しないで
心配なんてするだけ無駄だし、こんな時代にはなんの役にも立たないもの

私は役立たずにはならない
絶望して投げやりにはならない
信仰を拠りどころに気持ちを引き締める
闇がもっとも恐れるのは光なのだから

私の手はこの通り小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない


黄金の靴をあなたから奪った貧困も
あなたの笑い声までは奪えなかった
私のもとを訪れた傷心も 
永遠に続くというわけじゃなかった


私たちは闘う
悪意からではなく 正義のために誰かが立ち上がらねばならないからよ
声なき人がいるのなら
みんなの声を合わせて歌いましょう

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない

結局 やさしささえあればいい
結局 やさしささえあればいい

私はひざまずいて祈る
私はひざまずいて祈る
私はひざまずいて祈る

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない
私たちは決してくじけない

私たちは神の目
神の手
神の精神
私たちは神の目
神の手
神のこころ
私たちは神の目
神の手神の目私たちは神の手
私たちは神の手

   「ハンズ」 (ジュエル『スピリット』三曲目 対訳 内田久美子さん)



―――

Tatsuya Shioya + Miwa Shioya  『 You set me free』


日本語訳:
※主よ、あなたは私を自由にして下さいました
 燃えるような聖霊を与えて下さいました
 あなたの愛を感じます
 今、私もあなたを愛します
 主よ、あなたは私を自由にして下さいました
 燃えるような聖霊を与えて下さいました
 初めにあなたの愛がありました
 いのちの限り あなたを愛します
 私を世に遣わせてください
 人々にみことばを伝えるために
 かつて私がそうだったように
 今も暗闇の中を何とか生きている
 人々のために
 私を世に遣わせてください
 よき知らせを広めるために
 かつて私がそうだったように
 今も暗闇の中を生きている
 人々のために
 あなたの御名を口にしないではいられません
 あなたの愛を歌わずにはいられません
 私は唇を押さえられません
 なぜなら・・・・・ ※repeat

2018/10/14

【詩】 幸福な暮らし

                                                                   稲荷明古

だれかの苦しみを 自分の幸福の実感のための引き合いにだすのはいやだ

けれど
苦しい思いをしている人たちのことを忘れきったり
もしくは知らないままに
幸せをただ味わうのも なにかが違うと感じる

自分が持っていて当たり前だと思っているものを失った時
人は「不幸になった」と感じるのかもしれない
しかし 実際のところ「当たり前」なんてものは存在しない

新聞の投書欄に小学生の子が戦争のことを学んだという文章の書き出しに
「いまのすべてがきせきです」とあった
心から そうだと感じた


何気なく過ぎる日々に幸せを感じることを許された暮らしができる自分の立ち位置

恵みへの感謝と懺悔

子ども時代に受けるべき歓びのすべてを奪われても日々を過ごさざるを得ない少女たち
夢のカケラさえ抱けないあなたは 必死で親の代わりに弟妹を育てていた
 -私はあなたに何も出来ない 

若い頃に訪ねた廃棄物に囲まれた村で やっと笑みを返してくれた少女が その瞬間ムチで打たれ追い立てられたのを見た
 -この世界の不平等さを肌に刻んだ あの瞬間を忘れられない


どうして30年ちかく子どもを檻に閉じ込め虐待し続けてきた父親が 実質 無罪なような判決になるのだろう
 -障害がある子どもだったから? 人間として認めないままどこまでいくの?

どうして小さな女の子がやっと覚えた字で「助けてください」と懇願する文章を残して死んでいかねばならなかったのだろう
 -彼女は愛を結ぶ為に生まれてきたのに
 いつか誰かの心にやさしく触れる手紙や詩を書いただろうに


故郷を追われ生きるために今にも沈みそうな小さな船で海へ出る人々
 -船の底で圧死したあなたの姿が写された一枚の写真

働く為に家族と離れ 遠いこの国で労働する人たちの上手な日本語
 -入管に囚われまともな医療も食事もなく 虐待され続けている人たち

閉じ込められた女たちの慟哭は 時代が移り変わっても ずっとずっと繰り返され続けている
想像を絶する蹂躙

一歩でも違えばそこにいただろう苦界を想う

痛み苦しみから逃れ得ない人生を だれかが必死で過ごしている今

戦火に追われた後も 「死んだほうがマシだった」という苦しみのなかを
「もう二度と戦争はさせない」と歯を食いしばって生きぬいてきた人たちの人生が繋いでくれた現在地
私は家の中で温かい飲み物をのみながら過ごせる




何故 私はこの今に辿り着けたのだろう 
ひたすら生きることが辛かったあの時をぬけて

責め立てることなく ただ静かに その問いは私に向けられている

花々が
木が
風に揺れ なにかを伝えようとしている

真っ白い大きな雲と 全ての人の頭上にあるはずの青い空が
時代を生き抜いてきた方たちの笑顔が
生まれてきたひとの小さな身体の汗ばむような温みが
もう亡くなった方の体験が記された文面が

いつも柔らかく笑っている あの人の厳しい目線の先にあるものが


私を問う

辿り着けない/辿り着けなかった人人の声なき叫びにどう応答するのか と




真の幸福とは何だろう


目を背ければ知らないで忘れてしまえる己の立場
誰かを虐げた上での「幸福」な生活のなか
忘れがちでも 確かに在り続ける
今を幸せに感じることへの 申し訳なさ 恥ずかしさ 後ろめたさ

-ごめんね
 ごめんなさい
 あなたはその暮らしを強いられているのに
 あなたは幸せに歳を重ねていけるはずだったのに
 わたしは今こうして暮らしているのに



歴史の通過点である自分
ひとりぶんの人生

世界の全てを救うことはできなくても
誰一人として 助けだすことができないにしても

私が今 幸福を覚えることを許されたのは
誰か他の一人の人生への想像力を根底から持てるようになる為に 必要な経験であるからなのではないか



神が本来 人間に望まれた幸福をあきらめず
ちいさく見える大いなる奇跡を求め 味わい
自分や周りの人だけではなく いつか誰もが幸福に暮らせる世界を希求する
そのための幸福の体験


すべての隣人の幸福を目指す力になる幸福こそ 幸福であると信じる



私に与えられたすべてを 与えて下さった方が喜ばれる いのちのあるべき美しさに連なれるよう
生きてきた先人たちの魂が 今を生きるすべての人たちと共に笑ってもらえる日が来るよう


享受し
進もう
カタツムリの速さで

あきらめず 投げ出さず
閉じないで 繋がって

暮らしを紡いで



  



        2018年7月1日 記
2018/10/06

人は、音楽や歌そのものになれる。 -菅原小春さんの踊り

 トーチWebに掲載されてたシバタヒカリさんのショートストーリー漫画(無料)がしみじみ良かったので、以前から何回か読ませて頂いてきました。最近、ふとシバタさんのツイッターを覗いてみたら菅原小春さん(Koharu Sugawara)さんという踊り手が紹介されており、遅ればせながらこの方の存在を知ることができました。ダブルで感謝でした。

 菅原小春さん(Koharu Sugawara)さん、画面越しに観ているだけで、感情が湧き上がって解放されていくような気がして・・・。何かがチャージされて、心の底から生きる気力が湧いてくるような・・・。人間の感情の解放、自由自在な姿を目にして自分が変えられていくような気がする・・・。

youtubeから、動画を5本セレクトしました。お時間ある方は是非ご堪能ください。












 もっと素直に、もっと自由に感じていいよ!という呼びかけを、彼女の表現から感じました。
「やっぱり、性別差は色々と関係ないわ!」って再確認しました。人間の身体能力の高さに驚くとともに、自分の人生の喜怒哀楽をこんなにも表現してくれるなんて、人間はなんて力を持っているんだろうと。いや、ほんとうに人間すっげーー!って、改めて痛烈に感じました。戦争しとる場合じゃないし、子ども見殺しにしてる場合か!って。

 本来の(本物の)の音楽や表現は、愛と自由と歓びに満ち満ちており、人間同士の共感をベースに人びとの魂の解放を実現しますね。真の芸術は人類の未来に善きものを遺すためのものだと感じます。
 ほんとうに、「感動を受けることで自分を変え始めることができるんだ」と彼女のダンスを観ながら、しみじみ感じました。

 安室ちゃんの引退のときも感じたけど、一人の存在が輝き、社会にそれが浸透していくとき、その生はもはや一人のうちには留まりません。多くの人が一人の行動や表現活動に心動かされて、変われたり、救われることもある。本当にもの凄いことで、素晴らしい希望を感じます。

菅原小春さんがずっと無事で今後も世界でご活躍ができますように、新参ファンの一人としてお祈りしています。

◎他のダンサーの踊りも凄すぎます!お時間と観る体力ある方は、こちらを。
アーバンダンスキャンプ(オフィシャル) NEW VIDEO123本の動画
https://www.youtube.com/playlist?list=PLC2AFF34387CAF459


こういう芸術表現に出逢えると、今を生きていられる幸せを実感します。
2018/10/05

沖縄からの希望の歌



合唱曲 『HEIWAの鐘』  作詞作曲/中里幸広 編曲/白石哲也

よみがえれ あの時代へ
武器を持たぬことを伝えた
先人たちの声を
永遠に語り継ぐのさ
脅かすことでしか 守ることができないと
くり返す戦争(つみ) 忘れゆく 愚かな権力(ちから)よ
いつか(自由な空が)
虹かかる(翼ひろげゆく)
風に(高く大きな) 幸せ贈るだろう
ぼくらの生まれたこの地球(ほし)に
奇跡を起こしてみないか
拳をひろげてつなぎゆく
心はひとつになれるさ
平和の鐘は 君の胸に響くよ


唄い踊り助け合った
振り向かず 笑い続けた
誇る島の魂を 永遠に守り抜くのさ
銃声が鳴り響き 海や大地が砕け散る
正義の叫び こだまする フェンスを飛び越えて
君が(一人立てば)
変わるのさ(明日へ輝いて)
ずっと(未来の夢を)ここに残してゆこう
ぼくらの生まれたこの地球(ほし)に
奇跡を起こしてみないか
拳をひろげてつなぎゆく
心はひとつになれるさ
平和の鐘は 君の胸に響くよ

※(くりかえし)
君が(一人立てば)
変わるのさ(明日へ輝いて)
ずっと(未来の夢を)ここに残してゆこう
ぼくらの生まれたこの地球(ほし)に
奇跡を起こしてみないか
拳をひろげてつなぎゆく
心はひとつになれるさ
平和の鐘は 君の胸に響くよ

平和の鐘は君の胸に響くよ
2018/10/04

所感 ― 2018年10月4日 玉城デニー沖縄知事就任の日に

 

 今日、沖縄の知事に玉城デニーさんが就任されました。選挙は多数決ではないから、勝った側は選挙に負けてしまった側の候補者に入れた人たちの願いもくみ取り実現していかねばならないものであることを、改めてこの間 考えることが出来ました。また、沖縄の知事選については、ヤマトンチュはいくら基地反対で頑張っている立場であったとしても、国側の立場の候補者を貶めたり、その候補に入れた人たちを揶揄したりすることは、ほんとうに許されないんだと改めて感じるものがありました。
 沖縄社会に差別という暴力を駆使し、経済基盤の調整を阻害して基地に依存せざるを得ない状況を生み出し、人々に分断を強いてきたのがヤマトの社会であることは言うまでもありません。その加害側の社会に属している人間が、その責任を忘れてしまうと、こうした更なる分断や無理解による≪立場性から生じる暴力≫が更なる差別として起きてしまうのだということも、ツイッターの個人の発信などを目にしつつ考えざるを得ませんでした。

 もちろん、私自身も例外ではありません。改めて自分自身の思考回路や言動も含めて、恥ずかしくなるようなものの考えや言動を反省せざるを得ませんでした。国家権力の恥ずべき分断政策や勝ち負けの概念に、知らずしらずのうちに己も巻き込まれていることが多々あります。細心の注意を払い、自分自身を点検しなければならないことを強く感じます。


 沖縄知事選のために全国から駆けつけた人たちの熱い想いと、ご活躍はすごかったのだろうと想像します。
でも、どんなに平和や沖縄への想いがあったとしても、そこに暮らして引き裂かれている人にとっては、どうしても、どこか複雑な想いをさせてしまう存在であるのであろう自分の立場を想います・・・。
本当にヤマトの責任を果たしていくために、私は何をどう行動していくべきなのか・・・。果たしてそれがあるにしても、自分はそれを実行していけるのか・・・。
 ただでさえ、分かりきることが出来るわけのない他者の想いですが、その上に更に大きく圧し掛かる差別の抑圧構造の立場性から生じる責任と暴力。このことを、どう受けとめていくのかは、課題であり続けるだろうと思います。


 琉球新報の電子記事:普天間めぐる佐喜真氏の熱弁に官邸が激怒 沖縄県知事選の舞台裏2018年10月4日 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-813589.html
を読んで、更にそうした気持ちが深まり・・・。なんというか、言葉にならない気持ちでおります・・・。
 沖縄のひとたちを苦しめ、分断してきた立場の人間である自分自身の罪を、改めて思い知らされた記事でした。沖縄が引き裂かれてきた理由に想いが至らなかったから、こんなに衝撃を受けたのだろうと思います・・・。
自称「沖縄に想いがちょっとはあるヤマトンチュ」である自分は、そのことを忘れてはならないのに、油断していました。ほんとうに、恥ずかしく、沖縄の皆様に申し訳がない気持ちがします。まだ学生だった2004年年末に何も勉強せずに沖縄にいき、辺野古の海上行動に2週間だけ参加させて頂き、関西に戻ってから遅まきに無知で無恥な自分自身に気付いて、とてつもなく恥ずかしく申し訳ない気持ちで胸がいっぱいだったあの時期を、痛切に思いだすようです。

 自分の立場性を踏まえて、その責任を忘れずにいることは、本当に難しいことです。私自身、過去に 「こんなに頑張っているこの私がそう言っているのに」という思考回路になって、大切だった人を傷つけたことがありました。(今も気付かないだけでやってるかもしれません・・・。)取り返しのつかない(到底、許してもらえるようなことではない)強いてしまった膨大な苦しみと搾取について考え続けること。それは決して楽な道ではないでしょう。

 加害の立場性を自覚した上で、「なにもできないけど精一杯やろう」と努める続ける人間として生きられれば、虐げられた立場の人の心が、ほんの少しでも慰められる瞬間も起こりえるかもしれません。≪自分の加害の立場を忘れないで肝に銘じることが必須≫だと思います。そうした中で、努力や誠実さが本当にあり続けられれば、虐げられた側の人が、少しでも慰められる瞬間が、希望を感じてもらえる瞬間が、もしかしたら生み出されるかもしれません。その境界線は、加害側から越えてはならないものだと思います。そして、当事者の方たちがどんなに「もう線はないよ、いっしょだよ」と言ってくれても、その言葉に甘えきってはならないのではないかと私は考えます。これは、ほんとうに難しいことですよね・・・。しかし、その道は、ただ苦しくて責められるだけの生き方とは違うんだと思います。

 ただ一人きりで加害側の一員である自分に苦悩するのはキツイけど、それを同じ立場で分かち合える友や仲間が一人でもいれば、なんとかやっていけると感じます。(そういうところで重要なところの感覚が一致できないと深刻に苦しいけど・・・。「社会運動」内での矛盾の発露は心や想いがある人を一瞬で絶望させてしまうチカラすら持ってしまうものだと感じます。(別に私は今 特になにか運動できている立場ではありませんが)自分も気をつけたいと考えます。)
 誰か居てくれるからこそ自分の想いを発見したり確認できること、また自分が居ることで相手が想いを解放できる時もあること。このことは、一人ひとりが社会を変えていく過程の一番のベースにある関係だと思います。そこには小さくても確かな希望と、生きている喜びがあるんじゃないかと感じます。

 前にも書いたんですけど、苦しい立場の人のことを黙殺したり誤魔化して自己正当化して、罪を上塗りするより、それを止めようと決意したほうが、ずっと清清しく生きられるんじゃないかな・・・と思うんですよ。
ご自身の悲痛な体験を経ても、みんなの人間の権利や将来や、自然も含めての命めぐる世界を大切に守ろうとする一人ひとりの方と出逢っていけるから、自分にとっては、それはやっぱり幸福なことで・・・。

 もちろん、人間的に素晴らしい人や力強い人、仲間や友やという意見に共感できる人だけではなくて、意見の違う人も、自分には理解できない人も、いろんな出会いには意味があって、そうやって自分が変わっていけるんだと感じます。何度も何度も、自分勝手な思い込みに満ちた「正義」を打ち崩されて、思い上がる己に気付かされて、もう大丈夫だと油断したらまた転んでて・・・。でも、そういう中で、ほんとうに人々と神様に導かれて、真の意味で成長していける気がします。
 苦しかった時期も、今思えば今の自分に至る産みの苦しみだったと感じることができるところまで、連れてきてもらったと感じます。
 勇気を出して、一歩ふみだすことが自分の人生において、かけがえのない人々との出逢いと、共に生きることから生み出されていく小さいけれど確かな手ごたえ。そして新しい心の繋がり。遠く離れていても共に生きられる「連帯」という感覚。そうした希望が、天から与えられた人びととの出逢いから与えて頂けるのではないかと思います。

 人は、一人では生きられません。人は、誰と共に分かち合えたなら、なんとか生きていけます。「人は人の支え手になれる。だから神様はそのために、こんなにたくさんの人間をつくったんだよ」とある牧師先生から聞いたことがありました。きっと、そうなんでしょう。



 それにしても、この日本国家には、これ以上の罪と恥の上塗りをしてほしくないって本気で思います。なんでなの?どうしてなの??イイカゲンにしてよ!!って、出来うる限り問うてきたつもりですが、来るところまで来てしまいました。これ以上、取り返しのつかないことを、もうやってほしくないです。私も、加担したくありません。どんなに抵抗しても加担させられる、その責任は担わざるを得ません。でもそれに甘んじない、屈服しない。正義と平等を 求め続けます。
私はアベ氏が初めて首相をやった時期に、教育の憲法である教育基本法を改悪したことを絶対に許しません。
(教育はすべての子どもの権利です。「一部のエリートと、それ以外の子どもはエリートの言うことをきく実直な精神だけあればいい」という現教育基本法は次の戦争の大きな下地になっています。教育勅語についてのことも、そうした流れと同一のものでしょう。)

 日本政府アベ内閣に対しては、どの方も政治家としての資格はありません。
政治家は権力を有します。しかし、それは人々を意のままにするために与えられたものではありません。その国に暮らす人々(「国民」ではなく「住民」!)を平和で幸福で平等な暮らしに導くリーダーとして、その権力を民衆から託されているわけです。
そのルールを記載しているのが最高法規の憲法です。問答無用で自分の都合の良いように何もかもを歪曲する人たちが、支配欲と金と、ナルシシズムに満ち満ちた自己投影で人間を使い捨てています。
これは、政治家どころか人間失格です!

即刻にお辞めになって頂きたいです。今すぐにでも。

というか、みんなの力で退陣に追い込みましょう。これ以上、人間の幸福とあまりにもかけ離れている戦争や差別や分断に、人びとが引き裂かれないで済むように。

 

 現在、日本社会は「人権」という概念が立ち現れてきた、フランス革命以前に戻ってしまうほど簡単に人類の進歩をドブに捨て去るか、今のこの社会を再出発地点として未来を豊かにし、生きとし生けるものの幸福を追求していくかの二つの道の岐路にいます。もっといえば、人類としての幸福や生存を、国家や大企業の権力者たちに根こそぎ奪われるか、人間を人間の手に取り戻せるかの瀬戸際にいるとも言えると思います。言うまでも無く、どちらの前者は私はごめんです。このままじゃホントにヤバいです。

 沖縄の人たちが勝ち取ったデニー知事の就任は、日本の戦後民主主義の行き詰まりをヤマト社会に自覚させる目覚まし時計のようです。「目を醒まそう!」「本当に自分たちの声を聞いてくれる政治家を私たちは選べるんだ!」って思える、素晴らしいロールモデルになっていかれるんだろうと感じます。物騒な予告がされたというニュースもありましたが、第二のハーヴェイミルクのような結末にさせないように、守らなくちゃ。これ以上、悲惨なことも悲しいこともごめんです。
日本の警察はしっかり捜査して、犯人を捕まえてください。本気の捜査と対策を求めます。



 金と支配を至上のものとする権力者の思惑どおりにならないように、自分自身の内にある怠惰や無関心や無責任と闘わなければなりません。誰かを批判したり非難したりする以前に、まず自分自身がどういう姿勢なのか。問われます。
ただひたすらそれを誠実に示し続けていければと願っています。自分の暮らしからみつめてって、学びながら考え続け、隣人と正直に心を分け合って、話しを始めていきましょう。ちょっとずつでも、それぞれの場所で!

(「そんな余裕なんてない!もうこれ以上は頑張れないよ、生きるのに必死なんだから!」って人は、自分をだいじにして、心身を守って生存するのは、何よりも何よりも大切な闘いですから、出来る限り しっかり休んでくださいね。しっかり怠けすぎるくらい休めて自愛できるよう状況や環境が調えられますように祈ります。とにかく、自分を責めないようにして下さい。動けない自分を恥ずかしく感じる必要は皆無ですよ。生き延びてくれてるだけで、もう、もの凄いことなんですから!
っつーか、権力のあるあの方たちが人間に立ち返り、恥を知るべきです。ほんとにホントに。しつこいけど、本当に!!)

 なんか今日はいっぱい書いてしまった・・・・。今週は、朝起きるとプロテストソングが頭の中で鳴ってたりして・・・。動物的な危機の察知というか、「負けないぞ日本政府に!今日も頑張ろう!」みたいなテンションになっていて・・・・。ははは。
うん、闘うにしても、明日からもうちょっと落ち着きましょう、ですね。身体をだいじにしつつ精一杯、で。
人間としての日々の暮らしが、抵抗そのものなんだから。

 よーし、私も明日に向けて寝ます。台風のきてる地域の皆様は、どうかお気をつけてお過ごし下さい。
これを読んで下さったお一人おひとりの方の明日一日が、確実に守られますように。無事をお祈りします。
おやすみなさい。
2018/10/04

「教育勅語」肯定内閣への抵抗は、戦争の真実を学び気持ちを分け合うこと

 第二次世界大戦の大惨事を起こした日本軍。その最高責任者を神として崇めたてまつり、日本に住む一人ひとりの大切な子どもに戦争賛美を植え付け、人々を侵略行為にひた走らせた「教育勅語」を肯定しきる安倍内閣を、私は絶対に許しません。

この秋に憲法が、力づくで変えられてしまうかもしれません。憲法は戦争をしたがる国家という猛獣の首にやっと着けられた首輪です。日本社会の人間の権利であり、社会の基盤である憲法は、人権の砦です。


そして、 
私は人間です。
おなじ人間を崇めて服従するのではなく、全ての被造物である命の世界を生み出して下さった神様に感謝し、祈りながら、神様が与えて下さった自分自身という賜物を活かせるように努め、歩んでいきます。



 教育勅語に関しては、下記の記事をお読みください。
高橋源一郎の現代語訳が分かりやすく・・・・、分かりやすいゆえに勅語そのものの異常さと、悲惨な歴史を繰り返そうとする現内閣の闇に、恐怖が更に増します。改めて 戦慄する状況です。 
参考記事(BuzzFeed News):
「教育勅語は普遍性を持つ」と柴山文科相が言ったので、現代語訳を読んでみました―「はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください」2018/10/03 18:01 吉川 慧 籏智 広太
https://www.buzzfeed.com/jp/keiyoshikawa/tyokugo-sibayama


 天 皇を神とし、人間を「臣民」「赤子」とし、「あなたの命は鳥の羽より軽いのですよ」と教えた時代。
その考えを受け入れないで意見表明する者を「非国民」と呼び、呼ばせ、権力に殺されたり逮捕されたりした時代。
一方的な侵略戦争を「聖戦」とした時代。
アジアは解放されたのではなく、侵略された。侵略された国の戦争体験者(生存者)のお一人おひとりの証言を誠実に聴こうとすれば、どれほど日本軍が残虐なことをしたかを知らざるをえません。
人の権利など皆無で、自由に歌うことも思ったことも口に出せない、一人の人間として謳歌できる生の喜びと可能性の全てを奪われた、あの暗黒の時代。

 どの時代もそうですが、その時代もその時期を生きる一人ひとりの人間の生からできていました。
幼少期の教育がどんなに重要であるか。それが権力に利用されたときにどんなに恐ろしさを発揮するか。日本の皇民化教育が、第二次世界大戦下での日本軍の残虐な行為を可能にしました。教育は、悪に蝕まれたとき、人間本来の魂における善性すら覆いつくしてしまいます。

 渡辺輝人 弁護士(京都弁護士会)のツィッターでは、今月3日に、
大臣会見の発言の裏を取れたら、また記事を書くかもしれないが、とりあえず、教育勅語がどういうものかはこちらをご覧頂きたい。稲田は防衛大臣で管轄外だったが、柴山は文科大臣なので、教育にモロにかかわる。ヤバさは格段に高い。

と書かれていますが、本当にそのとおりで、本当にヤバいです。

 ◎渡辺輝人 弁護士の記事一覧
 https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabeteruhito/



 文部科学省大臣に発言を撤回させ、即刻の辞任させなければ、・・・そこを皮切りにして、なんとかアベ内閣を倒さないと、大変なことになっていくのは明白です。
「お上のいうことをきいて、お上の都合のいいようにみんな命を捨てなさい」という文部科学省が、子どもの命や権利を守ってくれるわけがないんです。 熱中症で子どもが死んでも、いじめ自殺がいくら起きても、ヘリから堕ちてきそうでもあっても。本当に、命なんてどうでもいいと考えている。こんな連中に子どもの命や、その子たち一人ひとりが本来もっている人間性を奪われてたまるかってんです。心から怒りが湧いてきます。何よりも大事なだいじな子どもたちの命や未来を守らなきゃなんないです。

 歴史の教科書からは日本の戦争で日本軍が行った行為はその事実を示す単語ごと消されてしまい、社会的に歴史の事実が継承されなくなって久しいです。そうした中で、戦争についての賛美と右傾化がより一層に加速化し、強まってきています。

 モリカケ問題は、税金のダンピングが非常に大きな問題ですが、森友学園が子どもたちに教育勅語を唱和させていたことも非常に問題です。そうした教育をする学校に日本政府がえこひいきをして税金を投入してきたことは、ありえないことであり、今回の文科省長官の発言の下地になっています。

 参考記事(しんぶん赤旗):安倍政権と森友 「教育勅語」持ち込み 狙いは「戰爭出来る國」 靖国派の国政私物化
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-12/2017041203_01_1.html

 森友学園の籠池前理事長は、尻尾きりにあって証人喚問された後に、教育勅語を唱和させてきた経緯と今後の方針を変更することについての声明文をだしています。

 参考記事(エキサイト・ニュース/LITERA):森友学園が安倍政権の愛国教育との訣別を宣言! 一方、安倍内閣は教育勅語の復権を閣議決定!2017年4月2日https://www.excite.co.jp/News/society_g/20170402/Litera_3043.html

 (この後、籠池夫妻は「詐欺」容疑で逮捕され、裁判も開かれず家族の面会も許されないで不当に長期勾留されていました。あまりにも露骨な権力行使です。アムネスティで国家にハガキ送るレベルの事件でした。

 参考記事:(AERA.com)接見禁止、窓なし独房 籠池夫妻の長すぎる勾留に元裁判官も疑問視 亀井洋志2017.12.6
参考記事: 籠池夫妻を保釈せよ!-読む・考える・書く(Vergilさんのブログ)
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/01/14/134815



 双極鑷子さんのツイッター記事(-2018年10月2日19:57 )では、教育勅語をもって教育された宗主国国民で編成する皇軍が行ったことが、奪い尽くし、焼き尽くし、殺し尽くし、そして犯し尽くしたことだった
と書かれていましたが、本当にこの言葉に尽きると思います。

 日本軍がアジア・太平洋地域でどのようなことをしてきたのか・・・
殺された人だけでも約2千万人もいます。その背景に、家族の命を奪われ、心身の健康を奪われ、家も故郷も燃やされた人たちがいます。娘を性奴隷にされ、息子を徴用された膨大な人数(もうその数は天文学的と言ってもいいほどの数)がいます。

 今わたしは、ずっと読みたかったが未だ読めていなかった本で、
金城重明先生の『「集団自決」を心に刻んで【沖縄キリスト者の絶望からの精神史】』(高文研・1995年)という本を読んでいます。

『「集団自決」を心に刻んで【沖縄キリスト者の絶望からの精神史】』
もくじ
Ⅰ 「皇民化教育」と沖縄
Ⅱ 極限の悲劇 「集団自決」
Ⅲ 絶望の淵から
Ⅳ 勉学と労働と信仰と
Ⅴ 牧師への道・アメリカ入学
Ⅵ 沖縄キリスト教短大の設立と発展
Ⅶ なぜ「集団自決」を語り始めたか
Ⅷ 教科書裁判の法廷に立つ
Ⅸ 問われなかった戦争責任
Ⅹ課題としてのキリスト教平和学


沖縄戦の“極限の悲劇” 「集団自決」から、はからずも生き残り、
両親、弟妹を失って孤児となった16歳の少年はその「戦後」をどう生きてきたか――。
「平和」の創造を人間が生きる核心の課題と見さだめ “歴史”の証言を語り続ける一キリスト者の精神史。(帯文章より)



という内容です。

 まだ途中までしか読めていなけれど、読みきれたら、またこのサイトに感想を書きたいです。この本の第1章と第2章を読んだら、皇民化教育の政策によって沖縄戦で何が起きたのかの確かな一部を知ることができるはず。まだの方は是非、キリスト教に興味がなくても、いちど読んでみてほしいです。



 アベ政権(イコール日本会議と言っても過言ではありません)がどんなに極右の集まりで、力づくで戦争をしようとしているのかを自覚し、抵抗する為には、
とにかく、一人ひとりが戦争の悲惨な歴史を強いられた先人たちの奪われた人生を認識しなければならないと考えます。
そのお一人お一人の幸せだったはずの人生を奪われた痛みと苦しみに満ちた叫び声を、どうにか感じ取ろうとする行為が、圧倒的な権力にも抵抗できる心の軸になるはずと思います。本当に、学ぶことと、その学びで感じたことを共有する勇気が、長期的に見てとても大切になってくるのではないでしょうか。

 しかし、日々の生活が精一杯だったり、苦しくて仕方ない人、自らで戦争証言を読むことが出来る余裕が無い人もいます。
というか、そういう人が増えていくような政治状況だからこそ、いじめの論理が発動し、歴史歪曲と暴力に満ち満ちた社会が構築されているのだと思います。一人ひとりに学び考える余裕を一切 与えようとしない社会です。

でも、だからこそ、誰か他の人が(自分に近い立場や年齢のひとが)受けとめたことの感想や想いについてのものは、生の戦争証言よりは比較的読みやすいかもしれません。
ですから、私自身は自分が聴いたことや見たこと、読んだりしたものについては、自分が主体となって情報や意思表示をしていきたいと考えています。大人として独裁政権に抵抗することは勿論だけど、これからを生きる子どもたちに、戦争証言の絵本などを読み聞かせなどで、お互いに感じたことを話していく時間を持つなど、暮らしの中で歴史を繋いでいく大切さを再認識していけたらと思います。

 歴史はわたしたち、今を生きる人の認識によって作られます。
捏造され歪曲されまた同じ過ちが繰り返され膨大な命が失われるか、事実が継承された上で過ちが繰り返されないように注意を払い平和な世界を実現できるか。
それはわたしたちの姿勢次第であると思います。善悪を委ねられた存在として、人間は善を選ぶことを天から望まれています。







2018/10/04

起ちなはれ!

第四次安倍政権発足。こいつら、本気で憲法を力づくで変えるつもりだ。
絶対に許さない。
もう戦争を繰り返す国にはさせない。
絶対に、させない!絶対に挫けない!!屈さない!!!
私はそのために、たくさんの生存者の方に苦しい証言を強いて、聞かせて頂いてきたのだから。

ここでこの侵略戦争を賛美して繰り返そうと躍起になるアベ政権を倒さないと、これまでだってそうだったけど、いよいよ本格的に取り返しがつかないことになる。
子どもたちの未来を奪わせてはならない。多くの失われた魂を踏みにじってはならない。決して。

今、戦争に奪われた人たちの発してくれた言葉を受け取って、己が心に薪をくべよう!
自分の場所から立ち上がろう!
私も持ち場を守る。





起ちなはれ 
                     砂田明


もし 人が 今でも 万物の霊長やというのやったら
こんな酷たらしい毒だらけの世の中 ひっくり返さなあきまへん
なにが文明や

蝶やとんぼや蛍や しじみや田螺(たにし)や がんや燕や、
ドジョウやメダカやゲンゴローやイモリや
数も知れん生きもの殺しておいて
首は坐らん目は見えん 耳は聞こえん口きけん 味は分からん手で持てん足で歩けん
― そんな苦しみを水俣の赤ちゃんに押し付けといて
大腸菌かてすめん海にしてしもて
なにが高度成長や なにがハイテク・財テクや


貧乏がなんどす え 思い出しなはれ
知らん人には 今どきの若い者(もん)には教えてあげなはれ
お芋の葉ァ食べたかて 生きてきたやおへんか
そのかわりに 青い空にはまぶいお陽(ひぃ)さん
せみしぐれの樹陰(こかげ)は風の涼しうて あの緑と草いきれときれいな川と池と海と・・・・・
そや 昭和二十年敗戦の夏 大阪湾の芦屋の浜で
今はチョコレートみたいな海になってる あの大阪湾で
小っちゃい鯛やら河豚(ふぐ)やら 手でとれた
そんな中で なあ にんげんは ぎょう山(さん)の生類(しょうるい)といっしょに生きておったんやて
教えてあげなはれ ――思い出さんかい


もし あんたが 人やったら
起ちなはれ 戦いなはれ
公害戦争や 原発戦争やでえ
戦争のきらいなわし等のやる戦争や 人間最後の戦争や 正念場や
勝たな あかん 勝ちぬかな
子どものために 孫のために 生きとし 生けるもののために
そうしてこの自分自身のために 一度しかない人生のために

…・・・負けたら?   
負けたら一巻の終りや 生殺しの毒地獄や
数も知れんほどぎょう山 お仲間の生類殺した霊長はんはなあ そのかわりに
ビニールやら 水銀ヘドロやら ダイオキシンやら 核廃棄物やら
数も知れんほどぎょう山のガラクタ残して
この地球から きれいな青い星から
消えてしまうだけのハナシや






  ※演劇人である砂田明さんが水俣に移り住む前、「このままでは何よりも好きな演劇が出来なくなる世界になる」との危機感から芝居をすることを一度やめて、水俣に移り住んで被害住民の方たちと共に闘われた心境が、今になり少しだけ分かるような気がする。ほんとうに。
2018/10/02

弱さの中から生まれる強さ

 人間は、他の人間の愛を持った関わりから、変化していくように思います。
悪に抵抗する人間の尊厳を、一人の人が本当に信じられるようになるには、自分の尊厳を大切にしてもらっていると感じられる体験こそが必要じゃないかと思います。
誰かについて批評したりアドバイスするのは容易い行為だけど、それでは相手を孤立させ、信頼を失い、希望には繋がりにくい場合もあるかと。
 そういう時は、ダメ出しで偉そうに教えるんじゃなくて、対等に呼びかけたらいいんだと思います。
「共に生きよう」、って。
「あなたの苦しみを少し分けてください」「私は力なき者ですが、精一杯そうしたいって思うから」って相手に伝えて、その実体を担う覚悟を持つことが大切かなと思います。
そして、助け手となろうとするその一方で、自分の弱さをさらけ出し、「どうか共に生きてください」と呼びかける、世界への信頼を投げる勇気もいるんだと思います。
(誰かを一方的に助けようとするばかりで、自分の弱さを認めないのは、自分自身を肯定するために状況が困難な他者の存在を利用し、相手からの評価を得ることに依存している場合もあるのではないでしょうか。私自身、過去への反省を持ちつつ、こういう自問自答を忘れないことが大切だと考えています。)


 人は弱さの中に、他者を必要とする。他者の助けや愛からから自分の限界や愚かさに改めて気付くことができる。そして、そういう人にこんなに広い世界でも出逢わせてくださった神様の存在に感謝し、祈れるようになっていくのだと思います。人は助け合い、共に支えあって生きていることをお互いに実感して、はじめて何事にも感謝できるようになるのではないかな、と。そこにあるのは神様が人間に望まれていた人間が助け合い幸せになれる世界の実現(キリストの「神の国」)だと感じます。

 でも、人は人だから、いつも傍にいられるわけでもないし、みんな生きるのに精一杯なときに、いつもお互いの希望どおりの展開になるわけじゃない。
どんなに信頼して愛している人との間でも、どんなに長い時間いっしょにいても、孤独や断絶は生まれる瞬間があるのが現実。
だからこそ、わたしの場合、主イエスがどんな時も自分の命と共にいて下さることに頼り、痛みと苦しみのなかでも「イエス様が今、自分とおなじように感じ、この苦しみを味わいながらも導いてくださっている」と慰められます。だから、いつも、良いときばかりでなくても、他者との、別の人間の関係を続けていける。どうしても起きてしまう関係性の危機を、そうしてやり過ごし、共に生きていくことをやめないでいられる・・・。

神様からの愛が、主イエスの存在が、私の人生にそうしたことを可能にして下さるように思えてなりません。

聖書の御言葉と歌をご紹介します。
コリント人への手紙 第二 コリントの信徒への手紙二/ 12章 5節から10節

 このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、 また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。
それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。 この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。
 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

 聖書の御言葉を歌われている、塩谷達也さんの「朝の歌 」ウェブサイト(サウンドクラウド)
https://morningsongs.tokyo/lyrics/lyrics19/






 あ、なんか今、安室ちゃんの歌声が頭の中から流れてきました。
安室奈美恵「Hero」NHKオフィシャル・ミュージックビデオhttps://www.youtube.com/watch?v=YJt7KRmv2bQ
 「振り向かなくてもいい 今までの君のまま進めばいいから あきらめないで everyday」って歌詞が、
「強くならなくてもいい、今までの君のまま進めばいいから」って歌詞になって聞こえてきた。おおー

日々あたえられる勇気!ですね。

 自分の弱さもかっこわるさも含めて、自分のオリジナルな人格(DNAから経験した全ての一つ一つまでが)神様からの賜物だものなぁ。自己嫌悪で落ち込むときもありますが、気付きを与えられたことに感謝して、祈りつつ歩ませてもらいたいです。本来の自分大事にしつつ、日々地道にカスタマイズしていけたらええなーと思ってます。どんなにがんばっても自分は自分にしかなれないもんね。

 そんで、何事も悲壮感じゃなくて、なるべく希望を抱き、楽しくやっていこうと。決めました。
だって、どんなに苦しいことだって、元凶に向き合わないで見てみぬ振りして自分を誤魔化して生きていくよりも、楽じゃなくてもしっかり向き合える状況に辿り着けたことは、どう考えたって自分は幸福なのだから。「みんななんで?!」って嘆けるほど何か知っているわけでも、何かしているわけでもないわけだし。一人ひとりの人間性に呼びかけることを投げてきたこれまでの自分を恥ずかしく感じつつ、人間の本当の芯の部分の善さを信じて、出逢ったお一人おひとりと向き合っていきたいです。

 その中では必ず、人間の尊厳や幸福を諦めない素晴らしい人たちにも出逢える。人の変化も自分自身の変化も実感できる瞬間を与えられる。自分一人は微力ではあるが、無力じゃないって実感する体験ができる。そうした体験は予想しなかった希望の感情を生み出し、その小さいけれど確かな希望は他の誰かのそれと連なって重なって、いつか平和を約束する虹になるのだと思います。

素敵なすてきな子どもの世界(歌詞が違ってもむしろいい感じなこの動画)、実現したい!



よーし。一息いれて、ゆっくりいくぞーー
お互いの感受性を解放して思索を深め、みんなで知恵と勇気を出し合って、いのちの力も生きる喜びも出力全開にしてって、
どうにかこうにか現自民党政権を倒しましょー!(どこまでも本気で!)

いいかげん、人間はあんたたちの奴隷やコマじゃないって権力者に教えてやらないと。
横暴な権力者には「教えて」きっちり分からせてやらんとあきまへん。ほんとうに。ここで食い止める。
(「ぬちかじり」っていい言葉だなぁ。)


今年も秋が来ました。学生時代も遠くなりにけり、すっかり中年になったけども相変わらずちょっと切なくなってしまうこの感じのこの時期。大好きです。

今年もあと三ヶ月。お忙しい毎日と思いますが、皆様もどうぞ御自愛ください。
読んで頂いてありがとうございました。感謝をこめて。

それでは失礼いたします。
2018/10/01

2018年沖縄県知事選挙結果を受けての私なりの決意表明

 沖縄県知事選挙、20時の時点では沖縄タイムスと朝日だけの「当確」報道だったので、かなり緊張して待っていましたが、ほんとうに玉城デニーさんの当選が決定したときは、ほっとして泣けてきました。タイムスと朝日のリスクがありながら一歩も二歩も踏み出した勇気は、ヤマト社会にもインパクトがあったと思います。(朝日の記者さんも頑張ってくれました。)
今回、国側のやり方はものすごかったようだし、デマのニュースも報道されるレベルであったということで、その中で、翁長さんの遺志を継ぐデニーさんを選び抜いた沖縄の人たちは、ほんとうにすごいと思いました。

 もちろん、沖縄に対する日本政府の姿勢が変化しているわけではないので、これまでの翁長知事の過酷な闘いが、デニーさんに引き継がれ、抵抗が継続できることになったということで、厳しい状勢には違いないだろうと感じます。 でも、希望が続いていく結果になって、翁長知事の御遺族にこうした結果が届いて、本当によかった・・・・・・と心から思いました。
デニーさんの当選は、ほんとうに日本社会の希望を生み出したといえると思います。
沖縄の人たちは、日本政府と日本社会、ヤマトの世が変わるための最期のチャンスを生み出してくれたのだと思います。
翁長さんの「 国民の皆様には、沖縄の基地の現状や日米安全保障体制のあり方について、真摯に考えていただきたいと願っています。 」という声に応えられるように、一生懸命 まなんだり考えたり、近くの人たちと話し合い思索を深めながら、力をつけて歩んでいきたいです。



  一夜明けて、翌日のニュースを見て、佐喜眞氏が選挙戦を敗れたことについて、アベ首相は「残念だけど仕方ない」みたいな他人事のような、軽々しい扱いのコメントで、本当に腹が立ち、またこの政権を止められないできた主権者の一人として申し訳ない気持ちになりました。 新聞記事で両候補のツイッターの内容がまとめられているのを読み、佐喜眞氏のツイッター上のコメントに、「日本人として誇りに思う」というコメントを見たとき、ほんとうに日本がしてきた皇民化教育の根の深さ、というのか、「二等国民」として扱われてきた琉球/沖縄の人たちを「日本人」になりたくさせた、魂の蹂躙と屈服が現在進行形であることを突きつけられた思いでした。ヤマトが琉球/沖縄に強いてきたことが、どれほど沖縄の人たちを翻弄し、踏み躙り、言葉や文化を奪い、同胞での対立をもたらしてきたか。想像を絶します。
 独自の王国が植民地支配され、戦争に組み込まれ、捨石にされた沖縄戦という地上戦。米軍の占領統治と日本に「復帰」「返還」の後も憲法も法律も適応されない差別とそれを野放しにしてきた日本社会の無関心。沖縄の人同士が争わされて、分断させられて、その分断を持ち込んだヤマトの社会の一員である自分の立ち位置と責任・・・。
ほんとうなら私は、こんなに軽々しく、知事選について発言ができる立場ではないはずです。けれど、「それでも」という想いがあり、書いています。加害としての立場から逃げようとは思っていませんが、それでも、醜悪を極め、ひたすら自らの責任を棚上げし、被害者の「自己責任」で個人攻撃をする日本の政治や社会の腐敗に、うんざりして、やりきれない想いがあるのも事実です。おかしいと思っている人が一定数いても、投票結果につながってこないヤマトの社会のこれまでがあり、どうにも希望が持てなくなっている中で、沖縄を厳しい状況に追い込んでいる立場にも関わらず、沖縄に希望を託してしまう自分の身勝手さも感じてきました。それでも、デニーさんが、そういうヤマトの人間の想いを、9/22日の集会の意思表明演説の中で(見たのは動画ですが、)掬ってくれたように感じました。そこに甘えきってはいけないけれど、私も沖縄の子どもたちの未来を考えたいと強く思っています。それは、ヤマトが自国の加害と支配の歴史と現実をきちんと認め、誠実に謝罪しないままでは、戦争を正当化することになる。戦争や侵略を正当化するままでは、ヤマトの子どもたちも本当に幸せにはなれないからです。誰かを踏みつけることが当然であったり、前提である「幸せ」は、真のそれではないからです。
いつか本当に世界の平和が実現した世界、国境や民族の分断がない世界で、すべての子どもがだいじにされる主の平和が実現するように祈ります。

 神様に拠り頼み祈るからには、自分にできることはしなければなりません。
今の自分に何ができるのか、何をしたらいいのか。そして、何をしてはいけないのか。
そのことについて、自分自身がもっと認識をもてるよう学び続けることが必要だと再認識しました。そして学びには果てがないから、その都度、その時点での仮定をもって、まずは動きだす決意と勇気を持たなければならないと思いました。抑圧している立場として、抑圧されている人たちが強いられているものを、想像力を常に限界まで働かせ感じ取ろうとする努力をすること。「自分は何も分かっていない」とを肝に銘じることなしに、ほんとうにこのヤマトとしての責任を担い、沖縄の人々の呼びかけに応じてことは出来ないのだとこの間、痛感しました。「大丈夫そうだ」、と思ったらもう派手にこけていて、その都度 のたうちまわる恥ずかしさは相変わらずですが、その苦しさで改めるチャンスを放り出してはおしまいだから・・・。楽じゃないけど・・・、苦しいときほどいろいろ学べるのも事実で。楽で不誠実に生きてて気付かないよりずっと幸せなはずだから、皆様に助けてもらいながら、進んでいきたいです。

 



 現在の安倍政権のメチャクチャさは、モリカケを例に挙げるまでもなく枚挙に暇がありませんが、死刑大量執行の前日に西日本集中豪雨の際に大宴会していたことだけとっても、絶対に私は許しません。その時期、立憲民主党の枝野さんの国会での三時間に渡る演説をされたということで話題になっていました。この演説がブックレットになったものを、今朝になってやっと初めて読みました(『枝野幸男、魂の3時間大演説「安倍政権が不信任に足る7つの理由」』扶桑社)( ←昔、「新しい歴史教科書を作る会」の戦争賛美の教科書を作っていたけど、この20年くらい何か方向転換があったのかなぁ?それとも売れるからなの?でも、そうだとしても、よく出してくれたと思いました。もちろん、歴史歪曲教科書を売ったことは絶対に許さないけど)。
非常によくまとまっていて、重要な演説でした。胸がすく想いというか、とても力をもらいました。これをレジュメみてのアドリブで、嵐のような野次の中、三時間演説したのは、本当にすごいと思った。(その凄さを体感してみようと、試しに私も早口で朗読してみたけど、三分の二くらいでついに声がでなくなりました。政治家のバイタリティーと精神力はすごいもんだ。)

 枝野氏の演説を読み、改めて、このままこのモラルハザードを極めた政権を止められなければ、社会はこれまでの機能を失い、これまでの世の前提が崩れ、何をどう信頼して判断していいのか全く分からなくなると思いました。来るところまで来ました。ここで舵をきるしかないと感じます。

 改めて四年前の県知事選挙で当選した翁長さんの写真を、亡くなる前の写真を比べて見たときに、 もうこんなことを繰り返させてはならない、デニーさんが翁長さんのような最期を迎えないように。四年前、誰も翁長さんの最期のあの姿を想像していなかったはずです。四年後に同じような選挙で沖縄が翻弄されないように、日本の政権と社会がここで変わらなければならない。翁長さんの急逝から、その生き方を目の当たりにしたヤマトの社会も、少しずつ報道が増え、問題の認識が浸透してきているようにも感じます。これを一過性のものにしない、考え続ける努力がだいじだと思います。
今度はヤマトンチュが頑張って、日本の政治を変えていかないと。憲法は風前の灯となってます。沖縄の人たちの、強いられた分断のなかでも屈せずに諦めず、平和を求め示し続けてくれる呼びかけに、沖縄の心に応えるためヤマト側が変わっていかなければ未来はないと感じます。

 思い返せば、一年前。高江に米軍ヘリが墜落したのも選挙直前だったから、もう一年がたったんだ・・・。(ヘリの部品に使われていた放射能が検出されたと報道されていたみたいだけど、牧草や豚肉を出荷しておられた農家さんだったのに、被害にあわれた生活はどうなっているのだろう・・・。九州で自衛隊のヘリが墜落したおうちの方たちも、被害にあったのにバッシングにあったりされていたけど、今どんな状況で生活しておられるのでしょうか・・・。)

 あの時期は、衆議院議員選挙前に前原誠司氏が民主党を勝手につぶしてしまって、最悪アベ氏と小池百合子氏の極右二大政党になるのではないかと怯えてながら不安の中で暮らしてしていました。しかし、土壇場で立憲民主が出来て、共産党は立憲民主にだいぶ議席を譲ってくれて、いまの共産党は本当にすごいと思った。志井委員長は「見返りは民主主義だ」という歴史的な名言をコメント。感動しました。枝野さんの演説原稿よんで、ギリギリのところで立ち上がってきたこの流れを、もっと大きなものにしないと、取り返しがつかなくなると危機を新たにしました。

 日本の国会は戦後で最悪の状況だと思いますが、首の皮一枚で、日本の政治から希望はまだ潰えていないと信じられる気がします。頑張っている議員さんの仕事を受けとめ、学びながら、国会の外から政権を追い詰めたいです。このままだと憲法に保障された今ある人権は吹き飛びます。そうなったら、戦争で犠牲になった方たちや、選挙権の無い人たちに合わせる顔がありません。
アベ政権の日本政府の暴走を、なんとか止めなきゃいかんです。

 来年2019年2月は、普天間基地の返還予定期限です。そして、来年の4月は、統一地方選挙です。
憲法改悪と戦争に直進している現日本政府を止めるためには、日本列島に住んでいる一人ひとりが日米の安全保障についてはもちろん、この政権で自分たちの暮らしや未来が守っていけるのかを真剣に考え、また加害の歴史を繰り返さないために、これに対して明確な意思を示していくことが大切と思います。


 デニーさんが提唱した「誰一人として取り残されない政治」を、日本の政府にも強く求めます。本来、政治が目指す場所はそこではないかと。第二次世界大戦から何も変わらず、「権力者さえ大丈夫ならば、あとは犬死でいい」では、歴史を積み上げてきたことにならず、いよいよ滅びてしまいます。
 それぞれの歩みをそれぞれの場所で、静かに決意できる時が来たような気がします。一人でもいい、勇気をもって踏み出したら、他の心ある人の姿が見えてくる。希望は繋がり大きく育つ。確信をもって、そう思います。

基地はどこにもいらないし、戦争も差別も死刑も優性思想もいりません。
権力の命への冒涜を許さないし、それに追随し加担する暴力と人間性の放棄を、私自身は決して選びたくありません。

 知事選と宜野湾市長選、頑張られた皆様、本当にほんとうに、お疲れ様でした。
私も心に新しい風を受けて、自分のところから泣いたり笑ったり怒ったり喜んだりしながら、自分らしくではあるけれど、地道にまた取り組んでいきます。がんばるぞ!



Protest/Revolution songs!

 







2018/09/29

【沖縄県知事選挙】2018年9月22日 うまんちゅ大集会 玉城デニーさんの決意表明 演説 (全文)

 今月22日に沖縄おもろまちの新都心公園で行われた、うまんちゅ大集会。玉城デニーさんの決意表明の演説を映像で見ました。とても感動して、心が震わされて涙がとまりませんでした。励まされ、奮い立つ思いでした。
映像が見れない方にも聴いてほしい演説だったので、文字起こしました。私はヤマトの人間で、うちなーぐちは全く分からないので考え考えネットで調べながら表記しましたが、間違っているところがあると思います。お気を悪くされる方もいらっしゃるかも・・・と思いながらで、申し訳ないような気持ちもありながらなのですが、一人でも多くの方にデニーさんの演説を聴いて(読んで)もらいたいと思ったのでアップします。(間違ってたら、こっそり教えてもらいたいです・・・。すみません・・・。)

 映像は集会の始めから終わりまでのもので、デニーさんの演説は45分00秒くらいからです。デニーさんの演説の後、翁長知事のパートナーの翁長樹子さんがスピーチをしておられます。
辺野古のこと、基地のこと、沖縄の社会の未来、日本社会のこれから・・・。いろんな想いが胸に渦巻くけれど、何よりもとにかく愛する家族を喪われた翁長知事の御遺族が安堵される選挙結果が出てほしい。切に願っています。
今、沖縄は台風の真っ最中だということです。沖縄の皆さんの暮らしが、災害から守られますように。そして、投票日である明日は、台風が過ぎ去った青空の下で地域の方の足が強められ、皆様が無事に投票して、ご自分の意思を表明できますように。
主の平和が実現する為の大きな一歩が踏み出され、新しい闘いの幕が切って落とされますように。この空の下、心からお祈りしています。


45分00秒から玉城デニーさんの決意表明の演説です。


 はいさい、ぐすーよー ちゅうがなびらー!
県知事候補 名ぬやぎ とーる 玉城デニー いりちょーびん。
見(み)ー知っちょーてぃ きぃみせーびり! (礼)【会場拍手】

 県知事候補に名乗りを上げております玉城デニーと申します。
お見知りおき下さい。それより御挨拶をさせて頂きました。

 今日は本当にこの土曜日のお忙しい中、しかも少し雨模様のこういう状況でも
傘の用意、雨具の用意、用意をしていない方はそのまま雨に打たれながらお話を聞いて頂く。
この皆さんが寄せる私たちへの想い、私(わたくし)、玉城デニーへの強い想い、しっかりと受けとめさせて頂きます。【会場拍手、指笛】

 翁長雄志知事が亡くなられ、私たちは二期目の当選に向けてその用意を進めていました。その中で、様々な会議の調整によって私(わたくし)の名前が、翁長雄志知事からたびたび、語られていたこと。そして、皆さんが、「で、あれば本人の意思を、―私(わたくし)玉城の意思を確認した上で、それで決めようじゃないか」と固めて下さったこと。全てが私(わたくし)は今回の県知事選挙の皆さんの、お一人おひとりの想いに対して、真剣に応えていく。沖縄の未来がかかった、県知事選挙に対する使命感から来る、出馬の決心だということを今あらためて、お伝えしたいと思います。【会場拍手、指笛】

 「十(とぅー)ぬ指(いーび)や いぬたきや ねーらん」十本の指は、同じ長さではない。これは、母子家庭として生まれた私(わたくし)が2歳から10歳ぐらいまで、預かって育てて頂いた家庭のお母さんが、私(わたくし)に教えてくれた沖縄の言葉です。十本の指は同じ太さでも、同じ長さでもない。しかも、人間の指紋は一人びとり、それぞれの指で ぜんぶ違うんですね。しかし、大正うまれのそのお母さん、―私(わたくし)は「おっかあ」と呼んでおりましたが、おっかあは、度々いじめられて泣いて帰ってくる私に対して「なんでねー?」と訊き返します。「見た目がこうだからね」と、「だからね」って言ったら、「なんでぇ?あんたどこが違うの?」と言うんですね。「どこが違うの?」と言われて、小学生の私に理解が出来ませんでした。そこで出てきた言葉が、「十(とぅー)ぬ指(いーび)や いぬたきや ねーらんどぅ、みんな違ってるよ。なんで違っていることを、あんたがこんなして泣かないといけないの?」 教えてくれたんですね。
 沖縄はそのように多様性を持って、本当にいろんな人たちが暮らしている。それは、戦前・戦中・戦後、貧しいから皆で助け合いをしようと言って、畑に出てさとうきびを皆で手伝ったり、昔は萱ぶきの屋根でしたから、その萱を葺き替えをするのにその地域の皆さん総出で出て、萱の葺き替えをした。そういうところから、皆で心を寄せて手伝うことを「いーまぁーる」と言ったそうです。「いー」、これは今でいうと「結い」、結ぶという字を当てますね。「いーまぁーる」。「まぁーる」と言うのは、皆で、かわりばんこに助け合うという「まぁーる」です。相互扶助の精神は、貧しい集落に住んでいようとも、皆が同じように助け合える、そういう豊かな心を持っていた。大正うまれの おっかあは、そういう生まれ。そして戦中にダンナさんを南洋で亡くされ、南洋から引き揚げてきて、三人の娘・息子たちを育てた。そういう、たくましい自分の体験から、静かに私(わたくし)、玉城デニーに、その、「人と人は違って当然だよー。でも皆いっしょさぁ。一緒に生きてるさぁ。」ということを教えてくれたんですね。ですから、私(わたくし)は実は、アメリカ人の父親を持ち、うちなーんちゅの母親を持っている この生まれで、おっかあから「十(とぅー)ぬ指(いーび)や いぬたきや ねーらんどぅー」と、「人はみんな違っていいんだよ」と教えられた幼い頃から、差別をする・区別をするということが、私の気持ちのなかに芽生えませんでした。おっかあのおかげです。
小さい頃、そうやって豊かに育てられた子どもたちは、多分 私の年代、―私(わたくし)は昭和34年、1959年うまれですが、その頃いっぱいいたと思います。私(わたくし)と同じような生まれの、2つの国、3つの国をルーツに持つ、そういう子どもたちもいっぱいいたと思います。しかし、沖縄という社会は、そういう生まれの私たちであっても寛容性を持って、その可能性を見つめてくれました。見守ってくれました。それが、私(わたくし)は、これから未来に もう一度 見つめ直す《沖縄の政治の原点》でありたいというふうに思います。【会場拍手、指笛】

 さきほどない御挨拶させて頂いています言葉の中には、うちなーんちゅの「ちむぐくる(肝心)」という言葉があります。「ちむぐくる」というのは、「ちむ」というのは肝です。「くくる」というのは心。考えたり、思ったりすること。それを「ちむぐくる」という、自分の中でしっかりと受けとめ、そしてそこから湧き上がってくるものが、その人の行動であれば、それはもうその人の正義なんだ、信念なんだ、理念なんだ、そういうことを私たちは これからも大切にしていかなくてはいけません。
翁長雄志知事は、そのことを「イデオロギーよりアイデンティティー」という言葉に込めました。
「イデオロギー」はそれぞれの考え方、思想・信条です。それはお互いに尊重する。決して分け隔てするものではない。しかし、イデオロギーだけで どうしても解決できないような問題が生じた時、私たちは、では何を持ってお互いを理解する、その根本的なものを持てるのか。それが、「アイデンティティー」。つまり私たちは、沖縄のためなら、沖縄の将来のことなら、沖縄の子どもたちのためなら、思想・信条を乗り越えて、右も左も関係ない、富める人も貧しい人も関係ない、皆でひとつになって、大きな力を発揮することができる。これが、翁長雄志知事が遺してくれた未来への確かな遺言だと思います。【会場 指笛、拍手】

 私(わたくし)は、生まれ持ったその私(わたくし)の信念として、翁長雄志知事の理念を全うして貫いて参ります!【会場 指笛、拍手】

 子どもの貧困の問題は翁長雄志知事にとって、一丁目一番地の課題でした。全国で初めて、子どもの貧困についての調査を行った沖縄県。実に、三人に一人の子どもが貧困の環境にある。しかし貧困は、子どもや家族だけの問題ではない。これは、社会の深い問題であり、その為に生活をしている人たちのあらゆる場面に心を傾けていかなければならない。そういうことを、改めて私たち県民に教えてくれました。そして、真っ先に子ども貧困対策のための計画を立ち上げ、その為の予算、30億円の基金を積み上げ、「まずそれを実行しよう」と奮い立ってくれました。うちなーんちゅにとって、子どもは宝です。子どもが生まれたら、みんな喜びます。子どもがその家に居たら、「わらべ うふっちゅ じゅうにんがーえ 」と言います。「子ども一人いれば、大人 十人の賑やかさにも勝るもんだよ」。幼い子どもであっても、この命の存在に皆が喜ぶわけです。翁長雄志知事は、これからの沖縄は、その子ども達が育まれ、大切にされ、それを見守っているお父さんお母さんもだいじにされ、それを支えている社会全体が、もっと力をつけていこう!そういうことを言っていたんだと思います。【会場 呼び声、拍手】

 アジアのダイナミズムを取り入れる。そこでどんどん沖縄の可能性を伸ばしていく。しかしそれは、ただ可能性を伸ばし、利益を得(う)るだけではない、そこから得られた原資・利益は必ず沖縄の社会に還元させていって、沖縄の優しい社会を作る。そういうことを、翁長雄志知事は政策の中に盛り込んでいました。私(わたくし)も今回の政策の中に、赤ちゃんを宿したお母さんが、赤ちゃんを産む前から、母子手帳を交付されたその時点から、赤ちゃんが生まれ、そして就学に至る。今度は学校に通ったら子どもの居場所を作ってあげる。中学・高校生になったら今度は、家計費の負担にならないように、バス賃を無料にしてあげる。そういうふうに行政が出来ること。それを子どもの生まれる前から、決して貧困が発生しない、そういうことをきちんと理念を持って、それをお父さんお母さんが働く環境を整え、おじいちゃんおばあちゃんが安心してお孫さんを見ることができる。その安らかな生活につなげていく。教育、福祉、雇用、さまざまな沖縄の生きとし生ける人たちが誰一人として取り残されない。そういう政治を、翁長雄志知事の理念をしっかり引き継いで、玉城デニーは実行して参りたい!【会場 指笛、拍手】
誰一人として、取り残さない。みんなが輝く。みんなが空を見上げて、青空のなかのまぶしい太陽に目を細める。そして時には雨が降ってくることを喜び、「ああこれで、うてぃーらくぁーが降りたね。農作物もこれで順調に育つよ。」いかなる場面であっても、皆がその喜びを分かち合う。そういう政治を私(わたくし)は これから、しっかり実行していきたい。

 そして今日、お集まりの皆さんと改めて約束をしたいと思います。私たちが安らかに生活をすること、
安心して仕事を励み、そして子どもたちと晩ごはんを囲み、おしゃべりをし、「明日また元気で、笑顔で頑張ろうね」というその生活、なりわいを立てるためには平和でなければならないということです!【会場拍手】

 翁長雄志知事は、「平和と経済を両立させる」。そのことをしっかり仰っていました。想像してみて下さい。毎日が、紛争やテロで追われている国の皆さんのことを。その日の自分たちの命を守る為に追われ、子どもたちを守る為に追われ、明日(あす)の自分の身の上すら分からない。しかし私たちは、少なくとも今日、お互いのこの喜びを分かち合い、「明日また頑張ろうね」という、この平和の基盤にいる。しかしそのことに、決して甘んじたり軽んじてはいけない。だからこそ、平和であることを希求する、追い求める。その行動、その理念は決してやめてはいけない。立ち止まってはいけない。辺野古の新基地建設は、その理念と真っ向、相反するものです。辺野古に新しい基地は絶対に作らせない。そのことを改めて、約束しましょう!【会場拍手】

 普天間第二小学校の子どもたち。昨日、この子どもたちがグランドで体育の授業をしている、その間の誘導員の皆さんは、もう、その期限を終えて、その方たちの仕事が解かれました。これからは学校の校長先生や先生が飛んでくるヘリの、真上なのか、それとも飛んでこないのか、それを判断して、シェルターに逃げるか逃げないかを、判断しなさいと言っています。こんな小学校が世界のどこにあるんですか!普天間は閉鎖・返還です。【会場拍手】
 戦争で奪われた土地は、沖縄県民に還すべきです。私たちは、今回のこの県知事選挙で、あらためて誓いましょう。この選挙で、玉城デニーとともに、日本政府から、アメリカから、沖縄を取り戻す!うちなーんちゅの手に取り戻す!青空を子どもたちの為に取り戻す!【会場大拍手】
そのことをしっかり、誓いましょう。平和あっての経済、そして経済あっての発展、さらには多くの皆さんにその喜びを分かち合うために、私(わたくし)玉城デニーは先頭に立って、頑張ります。
今日は県外からも大勢の方々が来て頂いています。そして、この方々が今日、街頭でも私(わたくし)に「東京から来ました」「大阪から来ました」「熊本から来ました」。皆さんが私(わたくし)の手を握って「頑張りましょう!」と言って下さいました。それはなぜか。沖縄の県知事選挙の勝利が、自分たちの明日(あす)の勝利に繋がるということを信じているからです!【会場拍手】

 その全国の県民の皆さんに、明日(あす)の希望をもたらすのは、沖縄県民、私たちです!【会場「そうだ!」拍手】
私たちで、この県知事選挙を勝利しましょう!この勝利を全国の皆さんに届けましょう!玉城デニーに力を貸して下さい!玉城デニーは全力で頑張ります!共に勝利しましょう!
よろしくお願いします!ありがとうございました!!(礼)
【会場拍手、デニーコール、指笛、「ガンバロー」の声、アナウンスの声、喝采】

うちなーんぬ ぐすーよー!
まきてーないびらんどーー!!!
(礼)
【大きな拍手、会場の皆さんの声】(着席)


2018/09/29

2018年 沖縄慰霊の日 知事平和宣言 (全文)

2018年 沖縄慰霊の日 知事平和宣言の全文を、Youtube動画字幕から文字起こしさせて頂きました。(有料のウェブ上の新聞記事もあったみたいだけど・・・)

よかったら、坂本龍一さんと古謝美佐子さんのおられる《うないぐみ》の『弥勒世果報 (みるくゆがふ)』を新しいタブかウインドウで開いて、音楽を小さくかけて、同時に動画を再生し、どちらも聴きながら、翁長さんの慰霊の日の平和宣言を聴いてみてください。
なんだかとても、ぴったりだと思いました。
うないぐみ+坂本龍一「弥勒世果報 (みるくゆがふ) - undercooled」http://inariyasauce.blog71.fc2.com/blog-entry-694.html




(文字起こし全文)
平和宣言。
二十数万人余の尊い命を奪い去った地上戦が繰り広げられてから、73年目となる6月23日を迎えました。私たちは、この悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する「沖縄のこころ」を大事に今日を生きています。戦後焼け野原となった沖縄で、私たちはこの「沖縄のこころ」をよりどころとして、復興と発展の道を力強く歩んできました。
 しかしながら、戦後実に73年を経た現在においても、日本の国土面積の約0.6%にすぎないこの沖縄に、 米軍専用施設面積の約70.3%が存在し続けており、県民は広大な米軍基地から派生する事件・事故・騒音をはじめとする環境問題等に苦しみ、悩まされ続けています。

 昨今、東アジアをめぐる安全保障環境は、大きく変化をしており、先日の米朝首脳会議においても、朝鮮半島の非核化への取り組みや平和体制の構築について共同声明が発表されるなど緊張緩和に向けた動きが始まっています。平和を求める大きな流れの中にあっても、20年以上も前に合意した辺野古への移設が普天間飛行場問題の唯一の解決策と言えるのでしょうか。日米両政府は現行計画を見直すべきではないでしょうか。民意を顧みず工事が進められている辺野古新基地建設については、沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりではなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると言わざるを得ず、全く容認できるものではありません。「辺野古に新基地を造らせない」という私の決意は県民とともにあり、これからも微塵も揺らぐことはありません。これまで、歴代の沖縄県知事が何度も訴えてきた通り、沖縄の米軍基地問題は、日本全体の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべきものであります。国民の皆様には、沖縄の基地の現状や日米安全保障体制のあり方について、真摯に考えていただきたいと願っています。

 東アジアでの対話の進展の一方で、依然として世界では、地域紛争やテロなどにより、人権侵害、難民、飢餓、貧困などの多くの問題が山積をしております。世界中の人々が、民族や宗教、そして価値観の違いを乗り越えて、強い意志で平和を求め、協力して取り組んでいかなければなりません。
 かつて沖縄は「万国津梁」の精神の下、アジアの国々と交易や交流を通し、平和的共存共栄の時代を歩んできた歴史があります。そして、現在の沖縄は、アジアのダイナミズムを取り込むことによって、再び、アジアの国々をつなぐことができる素地ができてきており、日本とアジアの架け橋としての役割を担うことが期待されております。その期待に応えるよう、私たち沖縄県民は、アジア地域の発展と平和の実現に向け、沖縄が誇るソフトパワーなどの強みを発揮していくと共に、沖縄戦の悲惨な実相や教訓を正しく次世代に伝えていくことで、一層、国際社会に貢献する役割を果たしていかなければなりません。
 本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられたすべてのみ霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、恒久平和を希求する「沖縄のこころ」を世界に伝え、未来を担う子や孫が心穏やかに笑顔で暮らせる、「平和で誇りある豊かな沖縄」を築くため、全力で取り組んでいく決意をここに宣言をいたします。
平成30年6月23日 沖縄県知事 翁長雄志
2018/09/28

平和を求め続ける力の根源になる体験。広島での《原爆の図》展と宋神道さんのドキュメンタリー映画

平和を求め続ける力を得るためには、耐え難い人生を強いられた人たちの声を聴き、その体験を何度でも知ろうとし、心に刻み、いつも想いを新しくし続けることが大切だと思う。
希求し続けるのは楽な道じゃない。自分のことだけなら、とっくに諦めてる。でも、どうしても諦められない。
諦めてはいけないと強く思える体験をどう作っていけるだろう。



広島市で、現在 丸木位里さん・丸木俊さんの「原爆の図」展が行われているそうです。(2018年11月25日まで)
 特設サイト:広島現代美術館 丸木位里・俊 《原爆の図》をよむ https://www.hiroshima-moca.jp/maruki/#

大木正夫:交響曲第5番「ヒロシマ」より[悲歌]




どんなに、どんなに歴史を隠蔽しようとし、美化しようとしても、戦争の渦中での一人の悲惨な人生の結末は、「無かったこと」にはならない。このまま無かったことにさせたい勢力がどんなに強くなって、それが社会の主流の認識になったとしても、私は無かったことにはさせたくない。
戦争の渦中で犠牲にされた人たちの命。尊厳。
戦争がなければ、泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだり、愛したり愛されたりしながら、こどもから大人になり、次世代を生んだり育てたりしながら老いていき、淡々と去っていくはずだった一人ひとりの人生。暮らし。未来。続いていくはずだった時代と文化。
世界で唯一無二のその人たちを、奪い、犠牲にしたことにすら、自覚ないままに都合よく忘れ去ろうと過ごす現在。この歴史の末尾を生きる者として、これ以上はせめてもう踏みにじりたくないと希う。

《どうして、自分の命はあんなふうに奪われたのか》
《何故、あれが私に起きたのか》
答えの無い問いを堪えて、
「もうこんなことは私で最後にしてほしい」と言ってくれたその人の海よりも深い苦しみと他者(特に次世代を生きる者たち)への愛を、せめて受けとめて生きなければ。それは他の誰でもない、私自身が、なんだ。

戦争への道を食い止めたい。なにもかも違う人だって、誰だってみんな、幸せになりたいとただ願って一生懸命に生きているんだと思う。私たちは皆で幸せにならなきゃならない。だれももう犠牲にならなくてすむよう、今、助け合って選び取って、みんなで生き抜いていかなきゃ。いのちをだいじに。一番だいじなことは生きること。

平和がなければ個人の幸せは実現しない。だれか泣き寝入りする一人がいるならまだ世界平和は実現していない。
私は平和を求める。

赤ちゃんやこどもたちが元気ですくすく大きくなれるように。
おとなたちが子どもを愛で育てる幸せを感じられるように。
これまでの社会や時代を生き抜き、築いてきてくれた方たちに安心して暮らしてもらえるように。
人間が自然のなかで、ほんとうに深く息をして暮らせるように。
すべての生きとし生けるいのちが、いられる世界であるように。

諦めそうなときもあるけど、でも、平和を求め続ける。戦争や暴力、核、差別や虐めを認めない(それらに加担している今の自分に気付き、生き直したい)。

戦争や経済最優先の社会や優性思想に、たった一度の人生を奪われ、命と尊厳を奪われた方たち。
この方たちの声を聴くことなしには、平和を諦めないで求め続ける気力は生まれてこないと、最近つくづく思っている。

気落ちしてきたら、小さな声でWe Shall Overcomeを口ずさむ。
何度でも『おきなわ島のこえ』、『みなまた海のこえ』を声に出して読もうとする。都合よく忘れている自分に気付く為。

昨日は本棚にあった映画パンフから宋神道(ソン・シンド)さんと支援する会のドキュメンタリー映画『オレの心は負けてない』のパンフレットをふと取り出し、文字起こしされたシナリオを読みなおした。


在日の慰安婦裁判を支える会 http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7486/
(今ホームページを久しぶりに見たところ一般DVDは1800円、上映も1万円で出来るみたい!)
裁判記録の本も本棚にある。久しぶりに読みたいと思った。
「私の心も負けてません」って応えられるように。宋さんは亡くなったけど、声は消えない。高裁に負けたときのあの歌も忘れない。


 負けた裁判 よろしくよかばってん
 いくら負けても オレは錆びはせぬ
 ここに集まったお客さま よく聴いて
 二度と戦争はしないでおくれよ ああ
 としこは今でも 100年生きても 明日くたばっても
 やるときゃやる
 お金がなくても 着物がなくても かざりがなくても
 やって見せる この政治家のホイトども
 あ ドッコイ あドッコイドッコイ 


想い、強くされ、歩み続けたい。






2018/09/23

玉城デニーさんの魂の演説

昨日あった沖縄おもろまちでの玉城デニーさん うまんちゅ大集会(「うまんちゅ」は「みんなで」という意味だそうです。)の映像を見ることができた。


今日はちょっと心が負けてた。そのことを話した人に、この映像を紹介してもらって、見れた。玉城デニーさんの演説を聞いて、本当に心が震え、奮い立った。心が燃えている。
おきなわの魂が、平和を諦めない、誰もおいてきぼりにしない世界を生み出す。

私も自分の場所で、自分の立場から、平和をぜったいに諦めない。命こそ宝だ。


一人でも多くの人に聴いてほしいとおもって、このブログにも映像をアップします。
45分00秒からデニーさんの演説です。




デニーさんの後に、故・翁長知事のパートナーである翁長樹子さんのスピーチがあります。

(以下は、翁長樹子さんのスピーチの文字起こししたものです。)
 泣かずにしゃべれる自信がありません。翁長雄志の家内の樹子でございます。本当にたくさんの方に支えて頂いて必死に頑張ったんですけど、8月8日に急逝いたしました。ひと月半になります。
 正直、翁長が亡くなった、頭の中では理解しているつもりなのに、心がなかなか追いつきません。洗濯物をたたんでいるときだとか、ご飯を出しているときに突然 「あっ そうだパパ」って顔をあげちゃうんですよね。
 そしたら遺影の翁長がいつも笑ってるの。「ばかだなぁ君は」って言って。翁長が恋しいです。あの笑顔がもう一度見たい。笑い声がもう一度、聞きたい。でも かなわないから。
 この選挙は正直言って翁長がいつも言っていたように、みんな同じウチナーンチュだから、みんな一生懸命考えてみんなが出した結論はもうそのことなんだということで、私は今回、本当は静かに皆さん県民の一人ひとりの方が出す結論を待とうと思っていました。

 ところが、日本政府の方のなさることが、あまりにもひどいから、たった140万人の沖縄県民に、オールジャパンと称して政府の権力を全て行使して、私たち沖縄県民をまるで愚弄するように押しつぶそうとする。民意を押しつぶそうとする。何なんですか、これは。こんなふうに出てくるというのは正直、とても躊躇しました。
 でももう、なんだか翁長が「もうしょうがないな、みんなで頑張らないといけないから君も一緒になって頑張って」と言ってくれたような気がして、今日はこの場に立っております。
 
 この沖縄は翁長が心の底から愛して、140万県民を本当に命がけで守ろうとした沖縄です。県民の心に1ミリも寄り添おうとしない相手の方に悪いけど、申し訳ないけど、私は譲りたくありません。

今、デニーさんの話を聞いて、「よかった、うちの人の心をデニーさんが継いでくれるんだ」と思ったら、涙がとまりません。残り、一週間です。簡単には勝てない、それでも簡単には負けない。
 翁長がずっと言っていた私たちウチナーンチュの心の中をすべてさらけ出してでも、マグマを噴き出させてでも、必ず勝利を勝ち取りましょう。
 みなさん。頑張りましょうね。ぬちかじり。ぬちかじりですよ。がんばりましょうね。
よろしくお願いします。
2018/09/23

ヤマトの人間の一人として、翁長知事の遺志に応えていきたい。玉城デニーさんが新知事になれますように祈ります

2018年9月10日に書いた文章ですが読んで頂きたいので再掲載します。(21日にちょっと加筆しました。)
よかったらお読み下さい。



2018年6月23日 沖縄全戦没者追悼式 「平和宣言」 翁長雄志 沖縄知事


2018年8月8日。翁長知事の訃報を知った瞬間、私はJRの新快速に乗って帰省している最中だった。満員にちかい電車の中で 「ウソ!!?」と大きな声をあげ、呆然としてから、涙がでてきた。(声をなるべくあげないように必死で我慢したけど、隣に座っていた方は驚いただろうな・・・。)
 この人が発していた沖縄の人たちの意志を、「沖縄の心」を、ヤマトの社会がもっと受けとめようと努力する姿勢を示していたら、この人の病はここまで進行しなかったのではなかったかと、ヤマトンチュの一人として、ほんとうに申し訳なく、現状をなんともできないできた自分の無力さが悔しくて、なかなか泣きやむことが出来なかった。

ご存知の通り、保守派の政治家だった翁長さんは東京でヘイトスピーチの嵐を受けたデモの体験から沖縄への差別を実感し、知事選を当時の現職と闘うことを決意し、怒涛の選挙を走りきり10万表差で勝利し新知事になった。そして、沖縄の民衆の代表として日本政府と米軍に対峙し続けてきた。彼は、うるま市の米軍軍属による女性殺害の事件のときも、名護海岸に墜落したオスプレイにも、やんばるに墜落した米軍CHヘリにも、宜野湾市の保育園や小学校にヘリから墜落物があったときも、ずっと沖縄の代表として怒りを表明し、対話を求め、住民の権利を求め続けた。県の代表である知事でありながら、墜落現場にすら立ち合わせてもらえない、その無力感たるやいかばかりであったろう。


2018年7月27日  辺野古承認「撤回」ノーカット版(共同) 翁長知事・最後の会見 7分1秒 
(映像公開/2018年8月9日) 



最後の会見のときは、肝癌の進行で衰弱されていて、水を飲むのも辛いほど口内炎が酷く、一人で歩くのもやっとだったらしいと後日新聞で読んだ。知事夫妻はもう命尽きることを知っていて、それでも最後の最後まで、沖縄が希求する平和、万国津梁である琉球の歴史と未来の在り方を表明し通した。4年前からは想像もつかない知事の姿を、心配しながら支えておられた「県」民の皆様のショックはいかばかりかと思うと、言葉にならない。


どんな素晴らしい仕事を成した人でも、一人の人間である以上、すべての人の理想を即座に実現する力はないだろう。現場で、平和を求めて身を削ってこられた方からは、もしかしたらもどかしいところもあったかもしれない。しかし、日本社会に生まれ、その中でも基地のない土地で育ってこれた一人のヤマトンチュである私という人間にとっても、学生時代に様々な矛盾を学び、社会の変革を心から求め生きてきた(つもりの)一人の民として、翁長さんは最期まで 「政治を担う人はこうであってほしい」と私が無意識に求めてきた政治家の姿だった。

自民党の小泉政権が誕生した2001年の春、私は大学1年生だった。秋には9・11のテロがあり、その後 日本は米国のアフガン・イラク戦争に加担し、自衛隊は派兵され、イラクでは2004年春に邦人の人質事件が起こり、その年の秋には人質にされた香田くんがイラクで見殺しにされ、その翌年には郵政が民営化された。ワンフレーズ・ポリティクスが横行し、選挙のルールはより権力寄りに変えられ続け、どんなにひどいことが起きていても、それはまったく問われないような自民圧勝の選挙結果に幾度も打ちのめされた。

政治家が公約を実現しないことはもはや常態化し、問題があることすら無視し口ざわりの良いことを無責任に述べた、その責任も問われないままになりがちなこの日本社会。そうした日本社会の在り方自体に虐げられてきた琉球・沖縄の歴史と、現在の不平等・不正義に根底から向き合い、マジョリティの社会に「真摯に考えてほしい」と呼びかけ続け、平和や文化、そして民衆の権利を希求する彼のような政治家が実在したという事実に圧倒される。この人を知事という民衆の代表として送り出した沖縄の民衆の力は、ほんとうに言葉にならない力強さだった。私は祈るしかできなかったけど、あの日、本当に安堵したのをよく覚えている。

「日本政府の中で、理想を実現できる政治家はもう出てこないのではないか」とか、「闘ってくれる議員がいたとしても一議員としてしか扱われず、政治の現場で闘いきるのはもう無理なんじゃないか」とか、「どうしようもない人間を政治家に選んでしまう有権者の無意識はどうしようもないんじゃないか」とか、そういう諦めを抱いて長かった私にとって、2014年秋の沖縄知事選は、ほんとうにこの社会から政治に希望を持つ可能性が潰えていないことを感じさせるものだった。理想を諦めず現実化していく民衆の力が、沖縄から発信されていた。それを同時代に生きた人間のひとりとして、ヤマトの人間の一人として受けとめていかなければと強く思わされた。改めて心の底から感じ入るものが今、 胸にある。


立ち上がった日から、最後の最後まで意志を貫き、真の政治家として走りきり人生を全うされた翁長知事。
私は、追いやった社会の側の人間の一人であるから、こうして想いを書くこと自体のおこがましさを自分でも恥ずかしく思うところもある。でも思ったことを書かずには生きられない人間であるから、申し訳ないけれど、私は書く。

県民葬は一ヵ月後の10月9日だそうだ。 その時の現職知事の追悼挨拶は、翁長さんの遺志を継いでいく玉城デニーさんでなければならないと心底思う。デニーさんの言葉の明確さ、目の光、そして笑顔の柔らかさに、この人に本当に勝ってもらいたいと心から願ってやまない。

玉城デニーさんが沖縄新時代の知事になれますように!

【ツイッター】 玉城デニーさんのツイッター https://twitter.com/tamakidenny
【記事】やんばる日記 「新時代沖縄の風がいま!-玉城デニーさんの出馬表明(全文紹介)」
http://freeokinawa.hatenablog.com/entry/2018/09/01/191433


自民・公明・維新から選出された佐喜眞氏は、辺野古のことは一切ださないで知事選挙に臨もうとしている。しかし、本当に普天間基地の返還を求めるのなら、故・翁長雄志沖縄知事の最後の会見(承認撤回表明)にあったように「米国の会計監査院の報告で辺野古新基地が固定翼機には滑走路が短すぎると指摘され、当時の稲田防衛大臣が辺野古新基地が完成しても民間施設の使用改善等について、米側との協議が整わなければ普天間飛行場は返還されないと答弁したこと」)について、真っ向から向き合い発言をするべきではないか。
佐喜眞氏は「対立・分断から無縁な沖縄」とか「対立から協調へ」というフレーズを使っているが、それは差別構造の常態化と、国家権力への従属、奴隷化だと私は感じる。問題を無視し続け、それについて意見する人間を力でねじ伏せて黙らせようとする日本国家のやり方におもねる実態と、「協調」という言葉の意味は全く違う。それは、自分とちがう意見の表明を許さない恐怖政治でありファシズムと言えるだろうと私には感じられる。デニーさんがおっしゃるように「分断を持ち込んだのは私たちの側では無い」。これは沖縄の問題ではなく、日本社会の闇だ。

佐喜眞氏はアベ氏と同じ日本会議のメンバーで、日本国家が行ってきた凶事を直視する歴史認識や思想性を持たないばかりか、自分が関わった会の歓迎行事として市内に住む幼稚園生たちに「教育勅語」を唱和させるようなおぞましいことを平然と行ってしまう人物だ。こうした佐喜眞氏の行動は、ヤマト政権に琉球・沖縄が植民地支配化され皇民化されてきた歴史からの現在地の問題である。このことにヤマトの人間として胸が痛み、申し訳ない気持ちになる。私は踏みつけてきた社会の側の人間だから、この人がこうなってきた背景に責任がある。

日本会議のボスであり、日本国家の総理大臣であるアベ氏の実態は、知識としては分かっているけど、喋ってる映像を見るとほんとうに論の体もなしていないどうしようもない話し方しかできない人物であることに唖然とし、愕然とする。どんなに信じられないような暴挙が明らかになり続けても、この人間が我らの社会の責任を担う総理大臣であり続けるこのヤマト主流はの社会を構成する一人ひとりは何を感じ、考えて暮らしているのだろうか。なにも、考えられなくなってしまったのかな・・・。
(参考:安倍晋三氏 「憲法改正」についてのツイッター記事動画

軍隊の最高司令官になりたいだけの、核兵器を持ちたいだけの、そのための憲法「改正」。支配したくてたまらないだけの、オモチャを欲しがる子のように戦争をしたくてたまらない権力者。
自動的に自民党に入れてしまう人たちは、「こんな人に自分たちの未来を決められたくない」とは思わないのかな・・・・。

今、「自分は関係ないからいいの」と考えようとしないで目をそらしていたら、近い将来、思い描いていた未来を壊されることになる。
子どもや孫は、平和な暮らしは(今も実現できてないのに)もっともっとできなくなる。それは明白なこと。
沖縄の苦しみを強いている日本社会の構造による歪みは、もう日本社会のそこここで形を変えて立ち現れてきている。
ヤマトの社会、和人の社会、日本の社会の一人ひとりの皆さん。どうか目を覚まして。一緒にアベ政権を終わらせよう?
アベ政権の勢力を政治家に選んでしまうと、私たちの未来への希望は、現時点でまだ確保されている勝ち取ってきた命の権利とともに潰えてしまう。このままでは、今ある暮らしの中の喜びも幸せも指一つでかき消される時代が来る。そもそも、これ以上、誰かを虐げ続けることに私はもう耐えられない。まだ間に合うはずだ。





今年1月にあった名護市長戦での翁長知事のパートナーである翁長樹子さんが稲嶺ススムさん応援スピーチをされた。
稲嶺さんは選挙に敗れたけれど、このスピーチは今、デニーさんの応援演説でもあると感じる。




以下は、2018年1月名護市長選の際の翁長知事夫人の樹子さんの訴え
【記事】やんばる日記 翁長樹子さんの稲嶺ススム応援スピーチ(動画あり)
http://freeokinawa.hatenablog.com/entry/2018/01/14/142151


沖縄県知事の家内の樹子でございます。
翁長がグアムの方に出張に行っておりますので代理という事で参りました。
なにぶん素人で、マイク前にすると上がってしまって、うまくできるか本当に自信ないんですけど頑張って務めさせてもらいますので
よろしくお願いいたします。

結婚して36年目でしょうか、政治家の女房として33年目になりましたけど、いやぁ、しかし、志位委員長と同じ壇上でご挨拶する日が来るなんて本当に夢にも思いませんで、本当に光栄に存じております。どうかよろしくお願いいたします。(会場拍手)

3年前の知事選挙、翁長が現職の方を相手に、本当に有難いことに10万票の差を持って挑戦をさせていただきました。正直、圧倒的だったと思っております、あの差で。ホッとしたんです、これでもう辺野古の問題は決着がつくんだと、名護市長がNOと言ってる、県知事もNOと言った人間が当選した。

何ですかこの3年間、
冗談じゃないですよね、皆さん。

政府は、しょっちゅう言う、「何の問題もない」と。
どこにいったい民主主義があるんですか?

どこにあるの?
私たちの自治権は?
人権どこにあるんですか?
それが何ともない事なの?

冗談じゃないと3年間、怒り続けて参りました。(会場拍手)


正直苦しいです。
夫がいつも苦しい顔をしているのを見るのは辛い、女房は。
本当ですよ、あんなに明るくて、いつもいろんなことがあっても家に帰ってくるときには玄関先でそう言った苦しいのをおいて、ただいまって笑って帰ってくる人が、この3年間、笑わないんですよね。

ちょっと時間があったらすぐ部屋にこもっていろんな法律の本ひも解いたり、しょっちゅう勉強して歩くの。言ったセリフが「こんだけ学生の頃勉強していたら俺は東大だった」って(会場笑)

いやー本当に必死に勉強しているんです、それなのに政府は言うことをコレッポチも耳を傾けてくれない、こんな苦しいこと、悔しいことはないです。

でも負けるわけにはいかないですよね、皆さん。
70年前の戦争で、私たちおじいおばあたちはもう命からがら、必死の思いで何とか生き延びて、私たちに命を継いでくれたんです。
両親と私たちの時代は米軍統治を経て、人権もなくて、憲法にも守られずに苦しい時代を過ごしました。その時代を何とかくぐり抜けて、やっと復帰して、やっとこれで憲法に守ってもらえると思ったら、政府はあの方達です。聞いてもくれない。

沖縄県民には人権がないと言わんばかりの方達が、あらん限りの権力を持って押さえつけようとしてる。
じゃあ負けて諦めるのか、 どうですか皆さん、諦められますか?
(会場「諦めない!」)

そうです。
諦められないし、必ず私たちはおじいおばあがやったように必ずこらえて押し返して、先の子供達にはもっといい沖縄を残したい。
(会場拍手「ナトンドー!(そうだ!)」)


頑張るしかないです私たちは。
心折れないで下さいよ、
大丈夫ですか?

頑張りましょうね!(拍手)


1つ、これは選挙です。



相手候補の方と稲嶺さん比べたら、Wスコアで勝っても本当におかしくないです。
当たり前、それが。

しかし相手候補には申し訳ないけど、稲嶺さんの相手は実は相手候補ではないです。国が政府があらん限りの力でもって抑えにかかってくるんです皆さん。
簡単じゃないです、これに打ち勝つのは。
私たちの心の中にちょっとでも「まあ何とか勝つでしょう」なんて気持ちがあったら結果は厳しいです。

心に刻んで、みんなで必ずこの選挙を勝って、私たちのこの闘いを必ず成就して、
私たちのこの気持ちを必ず日本政府に認めさせる、沖縄の現状を国民に知ってもらう、
それしか私たちには道がありません。
頑張りましょうね。
必ず勝利を。

頑張りましょう、 最後まで。
どうかよろしくお願いします。





諦めずに、心折れず、進みたい。
もし折れてもちょっと休んで、周りのひとに助けられながら、神様の愛を確認しながら、添え木してまた進むんだ。
戦争を体験し生き延びて来て下さった先人たち(沖縄の人はもちろん、ヤマトの人も、世界の人も)の平和への遺志を受け継いでいける生き方を目指し続ける。人間の権利の基盤である憲法を奪わせてはならない。

エンパワメントを生み出す流れは、嘆いたり、だれかを責めているだけでは何も生まれてこない。それどころかパワーレスになってしまい、自滅してしまう。不安は口にだしてもいいし、思ったことは言っていい。でも、諦めていく材料を探すのはもう止めた。

一人でも、立てる。
そのことで周りに示せるものがあるはず。
いま、立ち上がろう。沖縄の民衆のように。それぞれが暮らしている場所で、あきらめないで。

自分で考えること、隣のひとと想いを話すこと、書いたり、表現をして発信すること。
いろいろな形で一歩ずつ進める。
「そんなのもう今は無理」って人も、とにかく自分自身を放り出さずに己を大切にしてなんとか生き抜くこと!
落ち込んでしまうときは、無理せずに休んで、音楽きいて鋭気を養い、自分自身に出来ることをしていこう。
なんにも出来ないって思わなくてもいい。考え続けてるだけすごいし、こんな極まった社会で生きてるだけですごいんだから。
自分を失わせないように守らないと。

国はこれまでしてきたように、どんなやり方もしてくるだろう。けれど、平和を求める沖縄の人たちの心が一つになってデニーさんが知事になれますように。強く祈りながら、自分にできることを自分の場所の、すべてからやっていくことを決めた。
私なりに、でしかないかもしれない。でも、頑張る。 頑張るぞ。

「みんな」が変わらなくても、それでも自分は諦めない、絶望から希望に変わっていけるって証明できるようになっていきたい。
そしたら見えなかった光が見えて、繋がっていくはずなんだ!


2018/09/23

せやろがいおじさん

せやろがいおじさん、がんばってる~!
ヘイトスピーチを具体的に紹介しているから、気分をわるくしそうな人は今日はやめといてのアテンションにほろり。
本や言論は、暴力の道具じゃない。言葉は認識であり思想。これによる殺人だって起きてる。
海きれい。




追記 20180926
新潮45、廃刊になりました。
しかし、ちゃんと謝ってない。反省を示してせめてちゃんと謝りなさい!



追記 20180926 
せやろがいおじさんのブログ せやろがいおじさん流疲れの取り方
https://seyarogaiojisan.hatenablog.com/entry/2018/09/25/183706

2018/09/19

追悼・樹木希林さん


樹木さんが亡くなってしまった。切ない。
演技や人柄が素晴らしいのは勿論だけど、お顔が96歳で亡くなった父方のおばあちゃんとちょっとだけ似てたからね。
あ、ちょっと似てるなぁって。子どもの頃から見るたび思ってたから・・・。

河瀬直美監督の「あん」は本当に素晴らしい演技で、とても心にのこる作品だった。原作はドリアン助川さんの小説で、これも後から読んだが素晴らしかった。古本をだいじな友達に贈った。


「万引き家族」はまだ観れてないのは、個人的にはまぁDVDでいいんだけど(なんかすいません。いい作品とは思う)、
「モリのいる場所」を映画館で観そびれたのは悔しい・・・。生きておられる間に映画館で見たかったなあ。


「人生フルーツ」のナレーションも素晴らしかった。映画も素晴らしかった。うちの冷蔵庫に映画のチラシが貼ってあるんだけど、見るたびに映像の中で心豊かな暮らしをしていた津幡さんご夫婦に流れる時間の感覚を思い出す。



樹木さんが辺野古に来られていたことは亡くなってから知った。

【記事】「無知を恥じている」 樹木希林さんが生前、沖縄について語ったこと 2018年9月18日 10:20 琉球新報
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-804395.html

【記事】 樹木希林が辺野古に現れた日! 2018年9月16日 リテラ
http://lite-ra.com/2018/09/post-4258.html

8月30日に動物病院の待合室でたまたまワイドショー流れてて、うちはテレビがないからじっと見てたら、樹木さんが手術前に内田裕也氏に電話して「いろいろ、すまなかったわね」と伝えたということをもっくんが話してたという話題が出てた。
「樹木さんらしい・・・」とちいさく笑いながら呟いたら、隣に座ってた女性がちょっと笑いながら頷いてたなぁ。
飄々としていて、演技はいつも本物で。映画だって分かってても、そうやって生きてきた人にしか思えないのがすごかった。

いつか、樹木さんみたいに本物の仕事が出来るかっこいい年のとり方が実現できる人間になりたいねぇ。
樹木さん、お疲れ様でした。どうか安らかに。