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2019/09/18

防備録2019年9月18日

オスプレイ17機3600億円
イージスアショア2基6000億円
F35ステルス戦闘機147機6兆2000億円
辺野古新基地2兆5000億円
加計学園グループに流れた血税176億円
米国の遺伝子組み換え余剰トウモロコシ数百億買取


千葉の停電復旧などに予備費13.2億円 首相が方針
要介護1.2給付外し
増税



おかしくなりそう。
2019/09/08

【今日の歌】 Amazing Grace 



驚くばかりの恵みなりき この身の汚れを知れる我に
恵みは我が身の恐れを消し まかする心を起こさせたり
危険を罠をも避け得たるは 恵みの御業と言う他なし
御国につく朝いよよ高く 恵みの御業を讃え奉らん


2019/08/30

韓国との関係について思うこと その3


 韓国からの対話を無視し、一方的に悪者にする日本の政府。大本営発表よろしくヘイトスピーチを垂れ流すテレビ。軍事力を持つことの理由となっていた「北朝鮮」の脅威が揺らぐ朝鮮半島の和平を妨害したくてたまらないのだ。朝鮮半島が分断された下地を作ったのは日本の植民地支配なのに。そのことを反省しないどころか真実を闇に葬り、自分たちのしてきたことを認知することさえ「自虐史観」だという日本社会に未来は無いとつくづく思う。
 日本政府が韓国政府に罵詈雑言はいて 暴挙の限りを尽くしておいて、対話を無視し続けてきた末に 韓国が軍事協定を破棄するのは当たり前ではないの。韓国政府の態度は真っ当だと私は思う。むしろ、よく耐えて対話を模索してきてくれているとさえ思う。

 日本政府は自分たちの不正義と失策から目をそらすため、また社会の基盤が崩れている現状への不満を逸らすためにに韓国を仮想敵国化している。一人一人の抑圧された生活の怒りやストレスが、ヘイトスピーチに回収され、憎悪に転がされる社会。私は日本の住民として、日本社会の成人として、今の日本社会の状態が恥ずかしく情けない。この社会で15年以上大人として生きてきたにも関わらず、ここまでの状況になることを何ともできなかったことが申し訳ない。

 日本の起こした戦争により故郷を追われて(また、日本の植民地支配があったからこそ起きてしまった朝鮮戦争で)今も日本で暮らしておられる在日韓国人・朝鮮人の方たちへ日本社会がしてきた酷い仕打ちは時代が進むごとに罪を増している。ヘイトが日常になってしまった現在で、安心して暮らすことはいよいよ難しくなっているのだろう。朝鮮学校の無償化をしないことは、朝鮮半島を植民地支配したときに名前も言葉も奪い去った歴史の現在地だ。(先日の最高裁の判決も酷かった・・・。)

先の戦争は私たちの国が始めたことを思い出さなければならない。朝鮮半島の人たちの名前を奪い、言葉を奪い、土地を奪い、人の暮らしを、命をモノとして扱ったことを。いや、「知ろう」と言ったほうが今の時代に合うのかもしれない。歴史の真実を踏まえず、経緯を踏まえず、今の情勢を語ろうとしてもそれは日本国家の暴力への加担でしかない。

 日本の敵は、隣りの国じゃない。韓国の文在寅大統領は、民衆が国のあるべき姿を目指して選ばれた代表だ。もちろん、国家や権力者は嘘をつくものだ。人間は権力を握ると人の命なんてなんとも思わなくなりがちだ。成熟した民主主義の国の住民たちはそのことを本当に自覚し警戒している。韓国社会の人たちは、どんなに理想に近いと感じる政治家であっても油断していない。韓国社会の民主主義の成熟ぶりを知れば知るほど、自国である日本社会の現状がより情けなく恥ずかしい。

(それにしても沖縄も対してもそうなんだけど、本当に日本政府は立場の違う相手と話をする気がない。自分の都合だけを強権的に通し続ける。そうかと思えば、強者と崇めたアメリカ様には彼らのいらなくなった武器も余剰穀物も法外な値段で高価に買い取る。粗暴な独裁国家か 何を言われても言いなりになる隷属国家、その二択しかないのかこの国の態度は!)

 今、韓国の悪口を言っている人たちに言いたい。「ほんとうの敵は、自国民である日本人さえ本当はどうとも思っていない日本政府・日本国家の権力の中枢にいるあいつらじゃないですか?」って。福島の原発が爆発しても原発をやめず、東北を置き去りにして東京オリンピックをしようとする連中が政治の中枢に居座ってる。西日本集中豪雨の夜に酒盛りをしていたことがどうして責任に問われないのか。都合に合わせて人を死刑にして。莫大な税金を個人的な友好関係者に贈与したモリカケ問題や、公文書の改ざんが放置されるのか。人を不幸にするカジノや、命の砦である水を民営化することがどうして問われないまま、彼らは権力の中枢に居座っていられるのか。ここまで私物化できるのか。本当に国を愛している者にはこんなことは絶対に出来ない。

 やつらの好き放題を認知できない、認知したとしても止められない 成す術もない日本社会の一人ひとりの暮らしの抑圧と疲弊。社会基盤と人間性の崩壊。
国家の暴力や虚偽を野放しにする民ばかりであれば、民主主義はただの独裁国家より性質が悪い。このまま憲法もやつらの好きにさせ、戦争をしようとする国家の首輪を外すのか?
それは今ある全ての権利をドブに捨てるということだ。今ある幸せや自由の権利はもう守られない。日本国家は日本の住民を守らない。国家の甘言に騙されてはならない。

人間の敵を許すな。人間の敵に取り込まれるな。
国家により人間としての本来の生を奪われてきた人たちと、今の社会での生き辛さを抱える私たち一人ひとりの痛みや苦しみは本当はつながれる。それを分断し、お互いを憎むような構造を強化し続ける権力者の思惑が差別だ。歴史の隠蔽と改ざんだ。一人ひとりの感情を操ろうとする国家権力の不正義にのまれるな。

人間であろうとしよう。
隣人と言ってもらえる存在になろうとしよう。
「国や民族が違っても、私たちは力を合わせて人間を食い物にしようとする勢力に抗うことができる」と 韓国の友人たちは呼びかけてくれていると私は感じる。その声に応えたい。
精一杯の生活の中で何が出来るかはわからない。でも考えることは止めたくない。
想いを書くこと、伝えること、怖くても気持ちを話すこと。
これしかできない。読んでくれている稀有なあなた、諦めないでなんとか生きていきましょう。

私たちの国を人間の敵が支配していることを自覚し、自分自身が一人の人間として本来持てるはずの意識と思想を取り戻そう!


2019/08/29

班忠義監督のドキュメンタリー映画 「太陽がほしい」

班忠義(ハンチュウギ)監督 ドキュメンタリー映画 「太陽がほしい」
https://human-hands.com/index.html




【参考ウェブサイト】
Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任
 


 中国、山西省の日本軍性奴隷被害。大娘(ダーニャン:中国語で「おばあさん」という意味)たちは亡くなっても、彼女たちの慟哭の人生は消えない。
「「慰安婦」はいなかった」と言う人は、実際にその人生を強いられた人の存在をしっかりと受けとめ、己に刻み付ける体験をしたことが無い。たった一度の人生を痛みと苦しみと屈辱しかないものにされてしまった彼女たちの存在を受けとめもせず、「政治的」な議論をするのは愚かなことだ。それは他者の人生を冒涜する行為だ。

生きていた彼女たちと会えなかった人も、映像の中でもいいから出逢い、その体験から 「日本という国は、今も尚この人たちを貶め続けるのか」という腹の底からの憤りを持たなければ、この倒錯した時代の流れで抗い続けることはできないと感じる。確固たる気概を持たなければ、歴史を歴史として保持することも叶わない社会だ。歴史はこの社会を、世界を生きる一人ひとりの認識で成り立っている。注意深くしていないと、国家や権力者の都合で簡単に塗り替えられてしまう。それが歴史の真実だと思う。

 現在の日本社会の女性蔑視、女性や子どもたちへの性暴力、DV被害、異性愛中心主義、性的人身売買の横行、性暴力が法的に裁かれない状況・・・。こうした問題の根源は、戦時中の日本軍による性奴隷制度問題の歴史的認知と反省がないが故にここまで酷くなったのだと思う。

 私の祖父は私が0歳の時に亡くなったが、戦時中はこの映画の舞台 山西省のとなりの山東省に日本軍として駐留していた。なんとか生きて帰ってきて、帰りを待っていた祖母と結婚し、翌年 父が生まれた。父の名前の由来は「戦争のない日本を」という願いが込められていた。祖父がどんな悲惨なことを体験したのか。そして、中国の人たちにどんな悲惨なことを体験させたのか。私は想像するしかない。

 日本軍の兵士として戦場に行かされなければ人を殺すこともなく、女性を襲うことのない人生を送った人が大半だったのではないかと思わされる。軍隊の中で、日々の行為の異常さ、軍の中でのストレスが占領地の女性子どもたちへの性暴力となった。日本軍は兵隊を統治するために、また性病蔓延による軍事力の低下を防ぐために女性を物資として管理する「慰安所」をつくった。(日本軍の性奴隷被害の実態は「慰安所」形式だけには留まらないが。)

 普通の人間の暮らしをするはずだった人たちが、戦争で「お国のために」と戦地に送られ、残虐に人を殺し、当たり前のように略奪をし、違和感を持たないままに強かんをした歴史。それが日本の起こした侵略戦争だ。その歴史の真実を「不名誉」だと言い「お国のために戦った人たちを汚すな」と言うのなら、そんなことをさせた連中の責任を問えよと思う。事実を隠蔽し歪曲し正当化するのではなくて、そうした非人間的なことをしてしまった・させられた人たちの魂の叫びを受けとめなければならないのではないだろうか。戦死していった人たちは皆、本当は軍神になんてなりたくなかった。そういう言葉を残した人も幼少期からの軍国教育を受けなければ、そんなことを言ったとは思えない。どの人も、ありきたりで、でも唯一無二のかけがえのない自分の人生を愛しい人たちと生きたかったはずだ。

 私の父方の祖父の兄は弁護士の資格をとって、弁護士事務所で働きだしたところを日本軍に徴収された。そして中国大陸に送られてすぐ、小隊長として切り込み隊長をさせられ22、3歳で戦死した。眉間を打ち抜かれて亡くなったらしいと子どものころ祖母から聞かされた。世のため人のために働きたいと、苦労して勉学しただろう若き大叔父の命を想う。
 祖母は90歳ちかくなり認知症が進みだした頃、「戦争が始まったとき、どんな感じだった?」と訊ねた私に、「みんな気付かないのよ!気付かないようにやるんだもの、戦争なんて!」と間髪入れずに大声で答えた。忘れられない。彼女は下町育ちで、幼少期に大正デモクラシーの頃を過ごし、若い頃 日本が戦争に突入していく時期を東京で生きた。朝鮮人・中国人への日本人自警団による虐殺が行われた関東大震災も、東京大空襲も生き延びた。
 第二次世界大戦があと半年ながければ、予科練生として戦闘訓練を受けていた母方の祖父も、フィリピン沖で船ごと沈没して死んでいただろう。母方の祖母も田舎の畦道で子ども時代に機銃掃射をなんとか逃れ生き抜いた。
一歩違えば私は生まれてこれなかった。そして、住民の4人に1人が命を奪われた沖縄戦のことを想う。

 中国に、朝鮮半島に、台湾に、シンガポールに、ビルマに、インドネシアに、フィリピンに、シンガポールに、南洋諸島の各地を侵略した日本の軍隊。「我らこそが正義だ」と植民地支配を強い、軍事力で制圧し何もかもを奪った恥ずべき歴史。それを丸ごと忘れてしまおうとし、何もなかったかのようにまた過ちを繰り返そうとする現在の日本社会。

 この国で今、最も貶められているものの一つが、真実だ。日本政府の妄言を垂れ流すテレビを信じてしまえば、私たちの国は今度こそ滅亡に向かう。いや、今、向かっていることを感じている。このままじゃだめだ。なんとかしていかなければ。

 歴史の真実は最も虐げられた人の人生にこそ表れていると私は思います。
虐げられ、世界に置いてきぼりにされていった人たちの声は、この社会ではなかなか聴こえてきません。でも、国家は嘘をつくこと、戦争で権力者は死なないこと、そして、一度きりの唯一無二の人生をこれ以上ない暴力で傷みしかないものにされた当事者である彼女たちの存在を受けとめようとして学び続ければ、歴史の真実にいつか行き着けると私は確信しています。
若き日にその体験を強いられ、生き残っておばあさんになった彼女たちの姿に、言葉に、まなざしに戦争の、人類の真実が表れていると感じます。

 班監督が20年もおばあさんたちに寄り添った貴重な時間が凝縮されたこの映画を観て、揺るがないものを培い、激流のような暴力の時代にあっても心を喪わずに生きていきたいです。





2019/08/25

【今日の歌】 Jewel「Hands」



Hands(Jewel) 対訳:
世界に向けてひとこと言えるとしたら
こういうわ 私たちは大丈夫
心配しないで
心配なんてするだけ無駄だし、こんな時代にはなんの役にも立たないもの

私は役立たずにはならない
絶望して投げやりにはならない
信仰を拠りどころに気持ちを引き締める
闇がもっとも恐れるのは光なのだから

私の手はこの通り小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない


黄金の靴をあなたから奪った貧困も
あなたの笑い声までは奪えなかった
私のもとを訪れた傷心も 
永遠に続くというわけじゃなかった


私たちは闘う
悪意からではなく 正義のために誰かが立ち上がらねばならないからよ
声なき人がいるのなら
みんなの声を合わせて歌いましょう

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない

結局 やさしささえあればいい
結局 やさしささえあればいい

私はひざまずいて祈る
私はひざまずいて祈る
私はひざまずいて祈る

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない
私たちは決してくじけない

私たちは神の目
神の手
神の精神
私たちは神の目
神の手
神のこころ
私たちは神の目
神の手 神の目 私たちは神の手
私たちは神の手


   「ハンズ」 (ジュエル『スピリット』三曲目 対訳 内田久美子さん)






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2019/08/25

日本と韓国の関係について思うこと2:韓国ヘイトの日本社会

 自国がしてきたこと、していることについて都合の悪いことを全て忘れてしまって隣国への根拠の無い憎悪を募らせる日本社会。
暴力と偏見、勘違いした「愛国」主義、構造的に強いられたストレスを標的にした仮想敵国に向けさせられて。排外主義にまみれたこの国で、恥ずかしさに窒息しそうだ。実際、これからの日本社会の行く末をおもうと、不安で自由に息をすることも難しいときがある。

 私は日本が朝鮮半島を植民地支配し、言葉も名前も文化も土地も社会基盤も人の権利も、全てを奪い取った歴史を覚えて生きる。(いや、もっと学ばなければならない。学びすぎるということはない。忘却や油断がまた同じ悲惨さを招くからだ。)

 日本国家に強制労働を強いられた人たちに未だ真っ当な謝罪も補償もしていないことを、日本政府は恥じもしない。日本軍に性奴隷にされた数え切れない女性たちの尊厳を踏みにじり続ける日本政府と社会に、韓国政府を罵倒する資格は一切ない。
第二次世界大戦でアジア・太平洋地域を軍事支配したことを、日本国民だけが都合よく忘れ傍若無人に振舞っているのを世界は見ている。日本軍が性奴隷にしたのは韓国の女性たちだけでは無い。「慰安所」マップからも分かるとおり、日本軍が戦時中にいた場所にはどこにも性奴隷にされた女性(男性の被害もある)がいた。
日本の軍事侵略の歴史を知らないままに育てられた日本人が大半で、真実の歴史認識を持てないことが他国の個人個人との人間関係をどれほど阻害しているのか。それにすらほとんどの日本人は気付けないままだ。

 日本の軍事化の根拠となっている前提を失いたくないために、日本は朝鮮半島の和平を妨害し続けている。
また自国の政治腐敗と社会の崩落を直視させないために、隣国への憎悪を先導している。日本政府が悪意に満ちた意図で、社会をコントロールしようとしている。(テレビはヘイトスピーチの拡散装置そのもので、ワイドショーなどは一分でも見ていると吐き気がする。)

 一人ひとりが閉塞的な社会の中で疲弊し、自分が尊重さないことへの悲しみと憤りを感じている。権力構造はこうした感情を差別によって集約し、本当の原因(権力者たちの失策や利権から生じる政治の私物化)から目をそらせようとする。
誰もが自分を大切に思いたくても思えない状況に社会的にも貶められているからこそ、他の誰かを罵倒し自分を高く感じようとする虐め・差別のシステムが発動が誘発される。ナショナリズムに囚われ、扇動に乗りやすくなり、国家にとっては都合がいい。

 国家が一人一人の人間を守ってくれると思っているのなら、それは勘違いでしかない。日本国家がどれほど一人ひとりの人間をどうでもいいと思っているか。先の大戦を学べばそれは明らかだ。鳥の羽より軽い命とされ、家族が死んでも泣くことすら許されなかったのだから。
 だいたい「反日」ではなく「反アベ」なのに、アベと自国を区分すらできないこの社会の認識は本当に異常で深刻だ。
アベが私たち日本社会の住民の権利を守ったことがあっただろうか?冷静に自分の置かれている状況を感じ、考えていくことなしには、私たちは「肉屋を支持する豚」のままだ。

 恥を恥とも思わない、まさに厚顔無恥で不誠実で、正義から最もかけ離れた世界。日本社会が良い社会だと思ったことは無かったが、この一ヶ月糸が切れるようにここまで偏狭的、独裁的な状態になっている日本社会を目の当たりにして、どうやって生きていったらいいのだろうかと呆然とする。虐げられる人たちに対して、また真っ当な友人たちへの暴虐をどんなに食い止めたくても時代の流れに一石も投じられない無力さ。これ以上の情けなさと恥辱はないのではないだろうかと思わされる。
けれど、このどうしようもない日本の政治と社会の一員である自分の責任からは逃れられない。過去に生きた人たちにも、これからを生きる人たちにも、顔向けできないような現状であるけれど諦める資格はない。今を生かされているのだから。先人たちの苦闘により手渡された権利を、せめて最低限は次世代に手渡さねばならない。


 自分を失わないように心許せるひととの会話やつながりを大切にしよう。
そして、目の前にあらわれる一人一人と対話しよう。
会話にしても書いて公表するにしても、自分の想いを言葉にして放つことからしか、なにも始まらない。
向こう側に連れていかれた人を論破するのではなく、説得して引き戻さなきゃならない。
「あなたは私にとって大切なひとだ」と、そして「同じぐらい顔を見たこともない隣国の人も大切な人なんだ」と。(パブロ・カザルスの言葉を思い出す。)

 誰かと話すなんてそんな気力がない人も多いと思う。とにかく、生き抜こうだね。まずは、自分が、あなたが生きていなくちゃ。
どんなに小さなことに見えても、誰にとっても自分の暮らしが主戦場。



2019/08/17

詩 「幸福な暮らし」

だれかの苦しみを 自分の幸福の実感のための引き合いにだすのはいやだ

けれど
苦しい思いをしている人たちのことを忘れきったり
もしくは知らないままに
幸せをただ味わうのも なにかが違うと感じる

自分が持っていて当たり前だと思っているものを失った時
人は「不幸になった」と感じるのかもしれない
しかし 実際のところ「当たり前」なんてものは存在しない

新聞の投書欄に小学生の子が戦争のことを学んだという文章の書き出しに
「いまのすべてがきせきです」とあった
心から そうだと感じた


何気なく過ぎる日々に幸せを感じることを許された暮らしができる自分の立ち位置

恵みへの感謝と懺悔

子ども時代に受けるべき歓びのすべてを奪われても日々を過ごさざるを得ない少女たち
夢のカケラさえ抱けないあなたは 必死で親の代わりに弟妹を育てていた
 -私はあなたに何も出来ない 

若い頃に訪ねた廃棄物に囲まれた村で やっと笑みを返してくれた少女が その瞬間ムチで打たれ追い立てられたのを見た
 -この世界の不平等さを肌に刻んだ あの瞬間を忘れられない


どうして30年ちかく子どもを檻に閉じ込め虐待し続けてきた父親が 実質 無罪なような判決になるのだろう
 -障害がある子どもだったから? 人間として認めないままどこまでいくの?

どうして小さな女の子がやっと覚えた字で「助けてください」と懇願する文章を残して死んでいかねばならなかったのだろう
 -彼女は愛を結ぶ為に生まれてきたのに
 いつか誰かの心にやさしく触れる手紙や詩を書いただろうに


故郷を追われ生きるために今にも沈みそうな小さな船で海へ出る人々
 -船の底で圧死したあなたの姿が写された一枚の写真

働く為に家族と離れ 遠いこの国で労働する人たちの上手な日本語
 -入管に囚われまともな医療も食事もなく 虐待され続けている人たち

閉じ込められた女たちの慟哭は 時代が移り変わっても ずっとずっと繰り返され続けている
想像を絶する蹂躙

一歩でも違えばそこにいただろう苦界を想う

痛み苦しみから逃れ得ない人生を だれかが必死で過ごしている今

戦火に追われた後も 「死んだほうがマシだった」という苦しみのなかを
「もう二度と戦争はさせない」と歯を食いしばって生きぬいてきた人たちの人生が繋いでくれた現在地
私は家の中で温かい飲み物をのみながら過ごせる




何故 私はこの今に辿り着けたのだろう 
ひたすら生きることが辛かったあの時をぬけて

責め立てることなく ただ静かに その問いは私に向けられている

花々が
木が
風に揺れ なにかを伝えようとしている

真っ白い大きな雲と 全ての人の頭上にあるはずの青い空が
時代を生き抜いてきた方たちの笑顔が
生まれてきたひとの小さな身体の汗ばむような温みが
もう亡くなった方の体験が記された文面が

いつも柔らかく笑っている あの人の厳しい目線の先にあるものが


私を問う

辿り着けない/辿り着けなかった人人の声なき叫びにどう応答するのか と




真の幸福とは何だろう


目を背ければ知らないで忘れてしまえる己の立場
誰かを虐げた上での「幸福」な生活のなか
忘れがちでも 確かに在り続ける
今を幸せに感じることへの 申し訳なさ 恥ずかしさ 後ろめたさ

-ごめんね
 ごめんなさい
 あなたはその暮らしを強いられているのに
 あなたは幸せに歳を重ねていけるはずだったのに
 わたしは今こうして暮らしているのに



歴史の通過点である自分
ひとりぶんの人生

世界の全てを救うことはできなくても
誰一人として 助けだすことができないにしても

私が今 幸福を覚えることを許されたのは
誰か他の一人のあるべき人生への想像力を根底から持てるようになる為に 必要な経験だからではないのか



神が本来 人間に望まれた幸福をあきらめず
ちいさく見える大いなる奇跡を求め 味わい
自分や周りの人だけではなく いつか誰もが幸福に暮らせる世界を希求する
そのための幸福の体験


すべての隣人の幸福を目指す力になる幸福こそ 幸福であると信じる



私に与えられたすべてを 与えて下さった方が喜ばれる いのちのあるべき美しさに連なれるよう
生きてきた先人たちの魂が 今を生きるすべての人たちと共に笑ってもらえる日が来るよう


享受し
進もう
カタツムリの速さで

あきらめず 投げ出さず
閉じないで 繋がって

暮らしを紡いで







 










(2018.7.1)
http://konnnahibinokurasi.blog.fc2.com/blog-entry-172.html
 
2019/08/11

全国一斉フラワーデモに寄せて

フラワーデモ https://www.flowerdemo.org/

今日の全国一斉行動、夏風邪で行けなくて残念です。
性被害者を更に貶め、性暴力を「肯定」し続ける日本社会の在り方を心から拒否します。
誰もが脅かされずに暮らせる世界に向かっていけるよう、願いをこめて花を捧げます。

DSCN0902.jpg


[短歌]
・エプロンの固き結び目 ふと解け 想い一輪 フラワーデモへ
・それぞれの胸に抱きし苦しみは 言葉にならぬ一輪の花
・花は言う 「あなたは何も悪くない」「 ここにいるよ」とみな集まりぬ
・ 夏の日の街に現る花畑 性暴力にNOを突きつけ
・それぞれの色に香りに誰しもが 天に向かって咲く日を願う



もうやっている時間のところもあるけれど連帯の気持ちをこめて情報を転載します。

【2019年8月11日全国一斉行動】
北海道札幌市  大通公園3丁目駅前通り側(西側)銅像付近 19:00
岩手県盛岡市  北上川河川敷・開運橋の下(盛岡駅側)18:00〜18:30
宮城県仙台市  仙台駅西口ペデストリアンデッキ 19:00〜19:30
※サイレントスタンディング
東京駅     行幸通り(東京駅丸の内口新丸ビルと丸ビルの間)19:00〜
千葉県幕張市 京葉線・海浜幕張駅 南口広場 16:00~17:00
岐阜県     JR岐阜駅北口信長ゆめ広場  19:00〜20:00
愛知県名古屋市 久屋大通公園 希望の広場噴水前 19:00〜19:30
※サイレントスタンディング
長野県長野市  長野駅善光寺口・うなぎの岩井屋近くのオブジェ 19:00
京都府京都市  御射山公園 19:00
大阪府大阪市  なにわ橋①出口 中央公会堂向い 19:00
兵庫県明石市  明石駅前 18:00〜19:00
兵庫県神戸市  東遊園地北芝生広場  19:00
愛媛県松山市  坊っちゃん広場 11:00〜12:00
広島県福山市  JR福山駅南口釣り人の像前 14:30 〜16:30
福岡県福岡市  警固公園 19:00〜 
熊本県熊本市  辛島公園 19:00〜21:00
鹿児島県鹿児島市 鹿児島中央駅東口広場(若き薩摩の群像の前) 18:30〜20:00
沖縄県名護市 県庁前・県民広場 19:00


In March this year, 4 sexual assault cases (including 2 incest cases) ended with not-guilty verdicts.
In order to protest these gross injustices, and to stand in solidarity for survivors, the next “Flower Demonstration Movement” will take place on Saturday, 11th August on the following 18 places all over Japan.

Survivors of rape and sexual assault can speak out their feelings and share their own story in an atmosphere of safety, and participants encourage them, holding flowers on their hands to show their support. The demonstrations have been held nationwide, on 11th of every month since last April.

Sapporo 大通西3丁目駅前通り側(西側)銅像付近(By the Monument on the Western side of Oodorinishi 3-chome Ekimae-Dori-Street)  19:00
Morioka 北上川河川敷・開運橋の下(盛岡駅側)(Under Kaiun Bridge on Kitakami-River ( Morioka Station side))from 18:00 to 18:30
Sendai 仙台駅西口ペデストリアンデッキ(Sendai Station West Exit Pedestrian Deck) *silent demonstration
Tokyo 東京駅行幸通り(Tokyo Station Gyoukou Street) from 19:00 to 21:00
Chiba 京葉線・海浜幕張駅 南口広場(Minamiguchi-Hiroba(Sourth-Exit Square) of JR Keiyo Line Kaihinmakuhari Station)from 16:00 to 17:00
Nagoya 久屋大通公園 希望の広場噴水前(Hisaya Oodori Park, Kibou-no-Hiroba, in front of the fountain) from 19:00 to 19:30 *silent demonstration

Gifu JR岐阜駅北口信長ゆめ広場(North Exit of JR Gifu Station, Nobunaga-Yume-Hiroba)from 19:00 to 20:00
Nagano 長野駅善光寺口・うなぎの岩井屋近くのオブジェ(In front of Art object close to Iwaiya (Unagi-Restaurant), Zenkoji Exit Nagano Station)from 19:00
Kyoto 御射山公園(Misayama-Park)from 19:00
Osaka なにわ橋1番出口・中央公会堂向かい(Exit 1 of Naniwabashi Station, across from Chuou Koukaidou)
Kobe 東遊園地北芝生広場(Higashi Yuenchi Shibafu Hiroba)from 19:00
Akashi 明石駅前(In front of Akashi Station)from 18:00 to 19:00
Matsuyama 坊っちゃん広場(Botchan Hiroba)from 11:00 to 12:00
Fukuyama JR福山駅南口 釣り人の像前(In front of Fish man statue, South Exit of JR Fukuyama Station)from 14:30 to 16:30
Fukuoka 警固公園(Kego Park) from 19:00 to 20:00
Kumamoto 辛島公園(Karashima Park)from 19:00 to 21:00
Kagoshima 鹿児島中央駅東口広場 若き薩摩の群像の前(in front of “Statue of Satsuma students dispatched to the West” at East Exit Square of Kagoshima Chuo Station)
Okinawa 県庁前・県民広場(Kenmin Hiroba, Okinawa Kencho-Mae) 19:00

For more info: https://www.flowerdemo.org/
#metoo #withyou

2019/08/05

抵抗

いのちの権利と尊厳の敵にとって、何よりも恐ろしいのは人間の善き本性である。

生きていることを、そこで抱いた想いを、他の共に分かちあおうとする想像力や共感力。いのちを感じ、信じる力。
人間が人間たる心を持つこと。持とうと努めること。
それを伝え合うこと。
言葉や表現、芸術、音楽は、人間の魂を天が与えたもう本来の姿に目覚めさせる力がある。


人間をコマにしかしない、道具としてしか認めない国家権力は一人ひとりがその人間性に気付くのを何よりも恐れている。
その人にしかない感覚、感情を発動させてしまったら、考え始めるようになってしまい大衆としてコントロールしにくくなるから。
「弾圧がきついときほど、敵も危機的な状況だ」というのは、そうなんだろうと思う。情勢は最低だけど、これ以上悪くしないために今、しっかり向き合わないと後悔してもしきれなくなる。瀬戸際だ。

(それにしても!津田大介さんに対してネガティブなことを言う自称知識人な方たち、ほんとうに恥ずかしくないの?と思う。
「誰が敵なのか、分かってますか?ぎりぎりのところで闘っている人に対して外野からヤジ飛ばすのやめましょうね。最高にかっこ悪いから」って言いたい。ここまで悪化した情勢のなかで、心があり、勇気をもって行動した人を偉そうに批評してパワーレスさせるのもうやめて。本当に気分が悪い。政府も社会も散々だけど、良心があるはずの側もこんな意識なのかとうんざりする。)



ピアニスト 崔 善恵(チェ・ソンエ)さんのアルバム 「Piano, my Identity」を繰り返し聴いている。 彼女のピアノは一音一音がどこまでも深く丁寧で、人間の世の慟哭の歴史、生きることの力強さと美しさをしみじみと伝えてくれる。
このアルバムはブックレット/ライナーノーツが収録された音楽と双璧をなす素晴らしさで、崔さんの詩のような文章が音楽の美しさと凄みを更に感じさせる。(本田雅和さんの解説も、ものすごい重み・・・。)ほんとうに大切な宝物の一枚だ。

ナチスのファシズム政権下でショパンを聴いただけで殺されていった人たちのことを想う。
アイルランドの詩歌を口にしただけで殺されていった数え切れない人たちのことも・・・。

魂の自由と歓びを、またそれを阻害する闇への抵抗。人間が人間であることを喚起する芸術、言論、音楽。表現の自由を手放すということは、自分自身として生きる機会を放棄するということ。

ここで負けてしまってはならない。
心をしっかりと持って、想いある人や歴史とつながって。
敵が一番恐れているものが、私の人生において最も求めている生きる意味そのものなんだということ。だから、この抵抗は私の人生にとっての生きる歓びと感謝、想うこと、伝えること、出逢うこと、全てがそのまま活かされる。


2019/08/05

聖書より

 初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
           (新約聖書 ヨハネによる福音書 第1章1節‐5節)

主イエスの言葉:
 「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。 悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。
しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」
           (ヨハネによる福音書 第3章 19節-21節)


 「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。」
            (ヨハネによる福音書 第15章18節‐19節)



主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え
疲れた人を励ますように
言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし
弟子として聞き従うようにしてくださる。
主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは逆らわず、退かなかった。
打とうとする者には背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
主なる神が助けてくださるから
わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っている
わたしが辱められることはない、と。
わたしの正しさを認める方は近くいます。
誰がわたしと共に争ってくれるのか
 われわれは共に立とう。
誰がわたしを訴えるのか
 わたしに向かって来るがよい。
見よ、主なる神が助けてくださる。
誰がわたしを罪に定めえよう。
見よ、彼らはすべて衣のように朽ち
しみに食い尽くされるであろう。

お前たちのうちにいるであろうか
主を畏れ、主の僕の声に聞き従う者が。
闇の中を歩くときも、光のないときも
主の御名に信頼し、その神を支えとする者が。
見よ、お前たちはそれぞれ、火をともし
松明を掲げている。
行け、自分の火の光に頼って
自分で燃やす松明によって。
わたしの手がこのことをお前たちに定めた。
お前たちは苦悩のうちに横たわるであろう。
      (旧約聖書 イザヤ書 第50章4節‐11節)



2019/08/03

ファシズムの火蓋が切っておとされた社会で

子どもの頃、「戦争を始めた時期の日本に生きた人たちはどうして開戦を止められなかったのだろう」と思ったものだ。

今、日本社会が恥じも無く自覚も無く、自ら破滅と崩壊に直走る様を感じながら
あの時代に生きた心ある人たちの無力感を想う。

どうして私の国はこんなにも愚かなのだろう。
どうして、どうして、どうして、どうしてなの?

どうしてこんなめちゃくちゃな政府を肯定できるの?
どうしてそんなに簡単に隣国への暴挙に同調できるの?
権力への自然極まりない絶対的服従。
そこに至るまでに長い時間をかけて、一人ひとりに内面化された差別と抑圧と暴力。
いつの日にか傷つけられた怒りや悲しみを、計画された差別や暴力に回収されてしまわないで。
自分を奪われて預けてしまわないで。

今日の新聞に虐待を受けていると認定された子どもたちが全国で15万9850事例あると書いてあった。氷山の一角でこの数字だ。
傷みと暴力の脅威を刻み付けられた子どもが大人になったときに、何が起きてしまいやすいか。もうこの社会はその姿を示しきっている。

スイスの心理学者アルノ・グリューンが書いた『私は戦争のない世界を望む』を再読している。幼少期に受けた暴力や不正義が共感性の持てない人間の感覚形成の大元の体験であることが非常に丁寧に示されている本だ。権力に傾倒し、人の痛みが分からない人間が権力を握っていくときに何が起きてくるか。この本の中で過去のファシズムの時代の中の事例として書いてあることが、この日本社会で具体的に起きていることにいちいち合致している現在地には心が凍る。

ここ数日の日本政府、行政の愚行は留まるところを知らない。資本主義ですらない。この国も、いよいよ例えではなくファシズムの再来となった。その火蓋は、切って落とされてしまった。段階が変わってしまった。そう肌で感じる。
現状と、これから更に転落し悪化していくだろう自国の社会。予見に息が苦しくなる。
しかし、とにかく生きていなくては。

2019/08/02

【詩】 招待状 ―『運命 文在寅自伝』「日本語版への序文」によせて

昨年の秋に書いた詩です。
                                                              -------
          

近くて遠いあの国から
心が震えるほど美しく熱い「招待状」が届いていました

それは
人間の本当の解放を実現するための平らかな世界にむけて ともに旅立とう
という呼びかけの手紙

そうだ
海はふたつの国を隔てているが
海上には両国の先人たちが 古代からつないできた道があったのだ

「私たちの祖先が荒波を渡って相手のもとへと向かうことを可能にしたのは、友情と歓待の力でした」
「私たちはやがて真の友人となるでしょう」
とあなたは書き送って下さったのですね

すべてを奪い
知らんふりのまま一世紀を超える時を垂れ流し
むしろいいことをしてやったのにと開き直る私たちの国にさえ あなた方はこのように呼びかけて下さるというのですか

軍国主義と植民地支配により 先人たちが行き来したその道を埋めて
あなた方の故郷のなにもかもを奪い尽くした私の国に・・・・・・

憎しみも恨みも超えようとする強い愛の心に圧倒され 言葉もなく
しかし
なんとか応え生きたいと 胸の奥から琴の音色が響きます



歴史の末尾を歩む自分の足元には
いつも膨大な人生と未だ朽ち果てぬ魂があることを想わねばなりません

自国の在り方や辿ってきた道程の中 愚かな過ちを繰り返し
星の数ほどの人がただ一度の人生を奪われ 己より大切な家族と友人を奪われる苦難を強いられたことを・・・

この国での幸福に少しでも預かっている者たちは 私も含め絶えずそのことを想わなければ 誰がその歴史を教訓と出来るでしょうか

今を享受し 生きる者として どういう態度をとるのかが問われるのは至極当たり前のことであるはずなのに
「仕方がなかった」という言い逃れは あまりにも人のあたたかさからは遠いもの

「責任」
「反省」
「謝罪」
「誠実」・・・
そうした言葉の意味自体も 目の前で喪われゆくこの国で
情けなさと恥ずかしさに埋もれて窒息しそうな 私を掘り起こし
息が吸える青空の下に引き出していくあなたの手紙

この「招待状」を
一人でも多くの仲間と共に受け
あなたたちとの旅に出る決意を確認し
そして
今 心して 始めの一歩を踏み出でましょう

済州(チェジュ)出身のあの詩人がこの国の言葉に訳してくださった「序詞」を呟きながら








(2018年11月9日 記)


文在寅(ムン・ジェイン) 『運命 -文在寅自伝』 矢野百合子/訳 2018年10月 岩波書店



尹東柱(ユン・ドンジュ) 『空と風と星と詩』から「序詩」 (1941年11月20日)
 金時鐘(キム・シジョン)  翻訳(2012年 岩波文庫)

死ぬ日まで天を仰ぎ
  一点の恥じ入ることもないことを、
 葉あいにおきる風にさえ
 私は思い煩(わずら)った
 星を歌う心で
 すべての絶え入るものをいとおしまねば
 そして私に与えられた道を
 歩いていかねば。

 今夜も星が 風にかすれて泣いている。
2019/07/29

想い、分かち合うこと。

「イヤなものはイヤだし、おかしいことはおかしい!」
「これ以上恥ずかしいことを重ねたくない!」
そう表明していかないと、魂まで侵食されていきそうに感じるときがある。だから書く。諦めずに求めて続けて生きていきたいから、想いを書き出す。そして、誰も見てくれないかもしれなくても、読んでもらえるかもしれない場所に出す。
自分の感性や心に抱く違和感や抑圧を表現し、その先にある真に望む世界を確認し、誰かと共有したい。
だれかと分かち合いたいという欲求があるから私は書けるし、それによって自分自身で確認/発見するものもある。自分ではない誰かや、未来の自分に繋がるために、稚拙でも想いを書く。(母語の読み書きを習得できた境遇を与えられた者として、感謝しつつ。)
 
 何ができるわけでなくても、「心は負けない」って思う。
「オレの心は負けてねぇから!」って言ってた宋神道(ソン・シンド)さんの映画を思い出す。宋さんは亡くなったけど、宋さんの闘いは人間の真の尊厳と勇気を教えてくれる。そういう感覚を取り戻させてくれる。人間の心の内にあるものが言葉となり、目の輝きになると聖書にも書いてあった。かけねのない本気は人にちゃんと伝わっていくんだなって、山本太郎さんを見ていても感じる。

 大人である自分が世界の未来を諦めてないことを示すことが大切だと、友人のブログを読んでいて改めて思った。子どもたちの成長に携わる仕事をしている彼女の想いは、遠く離れていても私を励ましてくれる。そう、大人である立場の人間が諦めてしまっては、次の世代がどうやって希望を持ちえるというのだろう。「最近の若い人は・・・」って簡単にぼやく前に、若い人が置かれている状況を誰が野放しにしてきたかを考えなきゃいけない。若い人たちのせいにして、自分の責任を棚上げにするのはかっこ悪い。自分たちのこれまでの力不足を認めて、今何ができるかを考えていくことがだいじと思う。もうとっくの昔に大人の立場になってしまった自分に諦めるという選択肢は許されない。

 しかし、そうは言っても、現実の悲惨さに挫けてしまって心身ともに動けなくなるときが多々ある。心身のしんどさに、生き抜くため考えることをストップするときもどうしてもある。私はそういう時はとにかく休んで、また力が湧いてくるのを待つ。もうダメだーと思うとき。でも、そういうときに私には近く遠くに誰かがいてくれて、ポツポツ話していくうちになんとかまた心が動き出す。その繰り返し。
 私は心を分け合うことで、諦めずにいる今をなんとかかんとか繋いでいるんだなぁと思う。自分の周りにいてくれる人と出逢えた幸運と、その人たちの存在に感謝する。一方で、そういうとき誰とも話せないままに絶望から身を起こせない人もいることを忘れないようにしなきゃならないなと思う。自暴自棄になり引き起こされた犯罪にも、権力の思惑通り優生思想に染まり引き起こされた殺人にも、犯人たちの誰とも歩めなかった混沌とした孤独があったのではなかったか。差別や暴力を肯定せずには生きられない人たちの、生き苦しい現実の暮らしと寄る辺ない絶望がある。
きっと、誰もがみんな誰かと心を分かち合いたいと願っている。 誰かを虐げるために共謀することではなく。
 
 心ある誰かの行動を知ったり、想いを読んだりっていうのは、生きていくための心の灯火を維持するためにとても大切ことだと思う。逆に言えば、自分の想いを表明することにも もしかしたら意味があるかもしれない。(まあ、他者に意味がなくても自分に意味があるから書いていくんだけど…。)
いつか、誰かその人にとって、今の私を周りで支えてくれる人のような働きが少しでもできる日がきたらと願う。

 人間は言葉以外にも、共感するための様々な方法を、すでにたくさん持っている。それを活かし、人間としての可能性や気持ちを互いに分かち合う歓びを確保しながら、生きる気力を回復していけると思う。そうした回路をもっと深化させていければ、絶望に打ちひしがれた人の心にも新しい風が吹き、希望を灯すことも、心を燃やせるようになることもできる日もきっと来るだろう。

 生活のなか、何か活動できるわけじゃなくても、感じる自分、想う自分を手放さないでいたい。想うことを「無意味だ」と思い込まそうとする勢力が確かにあるけれど、人の想いはその人のもの。唯一無二の存在である自分自身の根拠だ。

 人間を権力者の都合一色に塗るファシズムの闇に対抗する最大の武器は、真実に想う事なのだと思う。だからこそ想いを分かち合うことは、ただのおしゃべりに見えても、そこからこれ以上 友人や隣人、そして自分自身を奪わせないようにする主戦場でもある。

2019/07/29

韓国と日本の関係について思うこと。

 韓国と日本を結ぶ航空便のなかでLCCなど比較的安価なものが、韓国政府の判断で減っていると新聞にあった。
 日本政府・日本社会の、戦争と植民地支配の暴力と抑圧の歴史の正当化してきたこれまでと、韓国社会と韓国政府に対する昨今の態度を考えたら韓国政府の判断は当然のことだ。散々の無礼を働き、仮想敵国化して罵り嘲笑しながら、その一方で「観光客をあてにしていたのに」とぼやく日本。なんという愚かさと醜悪さだろう。カッコ悪すぎるし、アタマが悪すぎる。改めて、自国の恥ずかしさを思い知り、一瞬 言葉を失ってしまった。

 今年の三月には酒に酔った日本人男性が、韓国の金浦空港で空港職員に暴行を振るい逮捕された。その男性が日本の厚生省の課長だったというのを聞いたときも、なんて恥ずかしい国なのだろうと申し訳なくなった。事件として報道されないだけで、日本人の刷り込まれた韓国差別からの横暴やトラブルは、いろいろと起きているのだろうと思う。それは韓国でも、日本国内でも…。

 ストレス源なってしまうのでうちにはテレビを置いていない。それでも外で、飲食店や病院の待合で目に入るときがある。ある時、バラエティ番組の中のお笑いコーナーで韓国語を非常に馬鹿にしたような表現を嘲笑するという場面を見た。ほんとうに心の底から日本社会の低俗さと現状を表していると感じ、自分が日本人であることが心底 恥ずかしくイヤになった。情けなさ過ぎる。街で修学旅行中の中学生たちが同じようにふざけあっているのを見たときも心が冷たく暗くなった。本屋は若い頃は楽しみに行く場所だったが、今はヘイトスピーチ本が溢れ帰りある程度の覚悟をもって行かなければならない場所になってしまった。

 日本人の自分でも日常の中でこれだけ気付くのに、日本に暮らしておられる韓国籍の方たち、在日朝鮮人の方たちはどのような抑圧の中を生きておられるのだろうか・・・。民族学校に通う子どもたちがヘイトクライム(憎悪犯罪)にいつまきこまれるかと。本当に極限の精神状況で暮らされているのだろう・・。民族学校の修学旅行生のおみやげを日本の空港で取りあげられてしまった事件も、忘れられない。学校生活の中で最も楽しかったであろう旅の時間が最後に台無しされ、心が深く傷つけられたこどもたち。差別と抑圧をまざまざと経験して、日本社会で暮らしていく自分の未来をどう感じていただろう…。非常に申し訳なく、こんな社会をどうにもできていない情けなさを感じる。

 自国がした侵略と植民地支配の事実を、戦争犯罪の事実を、どうしても見たくない日本社会。 韓国との国際関係の悪化は日本政府と日本社会が選択してきた行為の当然の帰結としか言いようがない。マスコミはあたかも韓国側に問題があるかのように報道しているのだろう。もうメディアではなくプロパガンダとしか言いようがない。唾棄すべきものだ。
 沖縄が差別されるのも、その事実をしっかりと体験し記憶していて、現状の矛盾を背負わされている当事者であり告発者だからだ。日本国家と日本社会にとってどこまでも都合が悪いから…。

 普通の人間関係だって、見たいものしか見たくない・見たくないものは見たくない、ばかりでは友として付き合ってもらえなくなる。ましてや、暴力を振るっておいてそのことを都合よく忘れたり、被害の訴えを嘲笑するばかりで、そんな人が裁かれないままであるということ。誰にも関わってもらえなくなることは明白だろう。戦争時、植民地支配で朝鮮半島の人たちに何をしてきたのか、それを自分たちがされたらどうなのか。「自分のしたくないことは人にするな」ということ幼稚園で教わったモラルすら身につけられない日本社会。自分がしたことにも責任を取らずに暴力を正当化する権力に重きを置く社会が、世の犯罪をどう取り扱えるのかと常々思う。(実際に社会の中でモラルハザードが起きていることを実感する。)
 
 経済も衰退し、その様は私のような庶民の生活のなかからも透けて見える。尻尾を振ってお金をばら撒いて権力者の売る武器に飛びついてご機嫌伺い。どこまでも軽んじられて、その惨めさも直視できないで、それでも貢ぎ服従し続ける。こんな首相をいつまで許容しなければならないのか。このまま世界に相手にされなくなるのだろうけれど、未来に破滅しかないのはごめんだ。
国政の愚行により社会が荒れ果て、戦争に雪崩れ込んでいった時代の再来を戦争を知る人は皆 肌で感じておられることだろう。
 お金と権力にものを言わせてやりたい放題してきた結果、国の基盤は傷つけられ、嘘と開き直りが前提になり下がった日本の国政。時間をかけた教育による愚民化政策で国内は騙せても、己を過信・妄信した振る舞いに世界は呆れ返っている。日本の政治家や社会の異常さが海外で報道されている様を知る度に、穴があったら入りたくなる。

 憲法は国家の権力から人間を守るために制定された。もう戦争を起こさない、すべての人に権利があると謳った日本の平和憲法を遺棄してしまえば、どうなるだろう。日本はあの第二次世界大戦を引き起こした自国の歴史を放棄し、確信的に開き直ったと世界に認知されるだろう。そうなったときに、どこの誰がこの国と付き合いたいと思うだろうか。今ある国際関係や、それによって支えられている日常が維持されると思っているならお門違いだ。「日韓関係の悪化」という言い回しによる責任放棄と同じで、日本政府と日本社会の墓穴ほりによる自滅でしかない。

 私は政治をきちんと任せられると思える人に政治家になってほしい。権力は玩具ではない。指先口先ひとつで人の人生や国税を左右できることに、責任でなく優越を感じるような者には政治は任せられない。人間として「恥を知らない」ということが、何よりも恥ずかしく愚かで害を及ぼすと感じるが、そういう人間にだけは政治権力を任せてはならない。日本の戦争の歴史はそれを教えているはずだ。政治を権力者の好き放題させてしまっている社会情勢をつくっているのは自分たちで、そこを変える力も本当にはあることを改めて知らなければならない。

 韓国の人たちは日本の植民地化と戦争の後遺症としての凄惨な軍事政権の苦しみの歴史から民主化を実現し、文在寅(ムン・ジェイン)氏を大統領として選び取った。(岩波書店から出ている 『運命―文在寅自伝』、とても重要かつ大切な一冊。まだの方は是非ご一読あれ。)
 今年の6月末に大阪であったG20のため来日した文大統領は、戦時下に日本に強制的に連行された―もしくは日本の植民地支配からどうしても海を渡らざるを得なかった在日の方たちを訪ねて、韓国の軍事政権化で「スパイ」容疑者として弾圧した歴史を国の代表として被害当事者や遺族に謝罪した。新聞で小さなその記事をみたときに、わたしの心は震えた。国の権力の中心にいる人が、国家の暴力に犠牲になった人に対して、自国の歴史的責任を引き受け頭を下げて謝罪したのだ。文大統領は日本政府の真逆、対極にあたる国の姿勢を示した。彼は朝鮮民主主義人民共和国に対しても、日本の植民地政策と戦争を発端に引き裂かれた朝鮮半島の和平のために働き続けている。この人を韓国の民衆が選んだ。

 沖縄の玉城デニー知事が昨日のフジロックのフェス関連イベントで演奏とスピーチをしたそうだ。
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル「雨を見たかい」と、ボブ・ディランの「見張りの塔からずっと」の2曲。音楽は人を感動させて、人を想像させ感じさせる力があると私も信じたい。
「雨を見たかい」は、ベトナム戦争の時代にアメリカで放送禁止歌だったそうだ。この歌の動画に、ベトナム戦争の映像があった。ここに映る米軍機はどこから飛び立ったものだろう。沖縄か、日本の今は自衛隊の基地となっている場所か…。

 8月8日で沖縄知事だった翁長雄志さんの一周忌になる。圧政を闘い倒れた彼の死を、日本社会は受けとめていない。知事選でも県民投票でも、沖縄の民意は幾度明示されても踏みにじられ海への埋め立てが進められている。沖縄の置かれている状況は以前厳しさを増しているが、それでも昨年秋の知事選で玉城デニー氏が勝利しなければ、権利主張の現在地は実現しなかっただろうと思う。沖縄の平和を望む人たちに送り出されたデニー知事は初心を貫き、基地問題や福祉の政策公約を実現するため奮闘している。けれど、日本政府の姿勢があまりにも酷く、米軍基地による事件や事故・環境破壊はものすごくて、デニー知事も倒れることになるのでないかと危惧する。新聞でデニー知事の写真を見るたびに、過労の色に前知事が痩せていった日々を思い出し心が苦しくなる。もうこれ以上の蹂躙は許されない。

 韓国のひとたち、沖縄のひとたちが決死の思いで選び出した首長。民の代表として、託された力を使おうとする政治家のあるべき姿。その姿を実現した人々・社会から、学び励まされ 諦めず私たちもしっかりと立たなければならない。
簡単に諦めてしまっては未来は失われる。散々、日本社会が恥ずかしいと書いたけれど、私は日本の社会でこれからも生きていくし、日本の社会の一員として自信を持って暮らせる日が来ることを望む。勘違いした自己正当化ではなくて、本物のあるべき誇りが持てる社会に生きたい。今の「日本人」であることをただ誇るような倒錯した自己肥大は、私が望む在り方の対極にある。




2019/07/26

2019年7月26日 相模原障害者殺傷事件から3年の夜に

2018/07/26 障害者殺傷事件から2年の今日に
http://inariyasauce.blog71.fc2.com/blog-date-201807.html

 上記の記事は、昨年の今日に書いたものです。
相模原 障害者殺傷事件から3年の今日、美しい夕焼けを見ながら殺された19名の方のことを想っていました。

生きて、夕焼けをもう見ることができないあなたに
二度とおいしい食事をできないあなたに
愛しい人と笑みを交わすことが二度とできなあなたに
もう出逢うことができないあなたたちに
私は誓います。

あなたたちを無残な死に追いやった優生思想を断固拒否し
あなたたちの死を簡単に忘却してしまえる無意識な命の選別に抗い続けることを。


 あなたをあなたの家族や暮らしから引き剥がし どこかへ閉じ込めた社会の構造
家族のみが苦労を強いられず 重度の障害があったとしても一人ひとりがそれぞれの地域で暮らせることが可能であれば
「障害者」と「健常者」の線引きがここまで露骨で具体的な社会でなければ
このような事件も起きなかったのではなかろうかと思わずにはいられません。

 優生思想と排外主義の嵐の前に、関係性を意図的に絶たれ 日常でフツウには出逢うことが難しかった私たちのこれまでがありました。分断は今も絶え間なく続き 私たちはお互いに隔離され隠され 出会いを奪われ続けています。
そのうちに無知から生じる畏れが、より一層つめたい距離を生み出して、差別は空気のように社会に蔓延し強まっています。子どもの時に分けられず一緒にいられれば私たちは自然と友となれたかもしれないのに。人間は本来ならその存在ひとつ、笑みひとつで、生きている意味と歓びをお互いに分かち合えるはずのものなのに。

 想像もつかない恐怖のなか命を奪われた、名前も知らない19名のあなたたちへ。
慟哭の三年を生き抜いた生存者と御遺族の皆様にも心からの哀悼の祈りを捧げつつ
今日の夜を過ごしています。




雨宮処凛さんが殺人を犯した植松氏のことを書いたり話したりしている記事を読みました。
参考記事:
(1)第462回:植松被告がキレた理由 「日本の借金」を、なぜあれほど憂えるのか。の巻(雨宮処凛)
(2)この国の不寛容の果てにー相模原事件と私たちの時代(1)神戸金史×雨宮処凛

 「自分が生きている価値がない」という やり場のない孤独や淋しさに苛まれ苦しみを抱えた植松氏の心に、差別の思想は入り込み、 暴力を正当化し凶事を行い、世の悪にそれを肯定された彼は そこにとうとう自分の居場所を見つけてしまったんだと記事を読んで感じました。国債のことも、障害児の母親への心配も、どこか真面目である彼の側面を感じさせないではなくて。厳しい介護労働の現場での行き詰まりの中で、いのちを奪うほうの考えへ心を奪われ流れていってしまった根源的な理由はどこにあるのかを、記事を読み、改めて考えています。

 人と大切にしあえる関係性に恵まれていない人は、大切な人を失った人の悲しみが想像し辛いと思います。幸福を味わったことがない人に、誰かの奪われた幸福への慟哭は同情よりも羨望や嫉妬の感情を引き起こすかもしれません。
彼が「役に立たない」と思い込んだ人が生きていることに怒りを感じたのは、彼自身が「自分を愛せない」「自分は役に立たない」というような やり場の無い孤独と自己否定が根底にあったのではないかと私は感じます。彼がどんなにそう感じなくても生きていることを「認められている」人への憎しみの裏には、そうした葛藤を持たず命をひたすら味わい生きる人たち、家族や職員に生活を支えられている人たちへの嫉妬も含まれていたのかもしれません。
「役に立つ人間になりたい」「自分を必要としてほしい、愛してほしい」という欲求が、優生思想と権力者への承認欲求に絡め取られ、19名の障害当事者を死に追いやっていったのではないか・・・・記事を読んでいて、そう感じました。

 虐めも、抑圧と分断の中で「人と繋がりたい」という欲求が歪んで表れたものと言えると私は考えています。ヘイトスピーチに流れてしまう人たちは、自分を否定せず誰かと共感し何か同じ目的を持ちたいという欲求があるのだろうと思います。人間は悲しいほどに関係性の中に生きることを求める性分を持ったいきものだと感じます。

 殺人を選んだ彼の責任は必ずあるし、それは許されることではありません。
殺された19名と殺人を肯定し続ける植松氏を並べてしまうのは暴論だけれど、しかし、誰が前者の命を奪い、誰が/何が後者の人間としての心を奪い凶事に駆り立てたのかを 考え続ければならないと思います。
間違っていることを正すために言葉を伝えることも大切だけれど、「人の命は誰しも大切だ」と言っても通じない。どうしてその人がここまでのことをしてしまえるようにまでなったのか。人間としての善き心、命の温かみある本質を失くしてしまうまでに何が起きていったのか。その背景、彼の歴史があるはずです。
暴力を「正義」として突き進んでいる背景にある孤独と枯渇、焦燥感は彼一人の問題ではないのではないのではないかと思います。

 「ワタシは関係ない」と意識から外していることにも気付かない人たちに届く言葉や行動を紡ぐためには、その一人一人のおかれている生きづらさ、背景を想うことも求められると思います。そこに届く言葉や行動を模索していかなければ、対立や憎しみは暴力を増徴させていくこともある・・・。人を非難するのではなく、糾弾するのではなく、人間として目指す方向を共に歩もうという愛を盛った呼びかけができるようになるにはどうしたらいいんだろうと思います。とても難しいことです・・・。

 敵は命を冒涜し 孤独につけこんで人間を支配し、意図的にコントロールしようとしている勢力、優生思想。これは「思想」とは呼べない、抑圧と暴力を横行させる概念です。
植松氏は「首相に褒められたくてやった」とも発言していたと思います。それについて首相はノーコメント、沈黙で肯定しました。 社会の中の障害者への差別と優生思想がヘイトクライム(憎悪犯罪)になったのが相模原事件だと思います。犯人の殺人に至る思想と行為を容認・賛同するようなネット上の発言も目立ちました。刑務所にいる彼が今も反省をしないでいることは、社会の中の空気をよく表していると思います。自民党議員からのLGBTQの人たちへの差別発言も確信犯で野放しにされてきていますが、その言葉には明確な障害者差別が含まれています。権力の中枢にいる人たちが優生思想を拡散し、強化し続けている社会であると言えると思います。

そうした流れ、情報のアンバランスさがあるにしても、それでもこの事件を簡単に忘れて通り過ぎてしまえる一人ひとりは、殺人こそ犯していなくても無意識かで死者の命を選別し差別していると言えると感じます。人の魂を殺し尊厳を簡単に踏みにじる<差別〉と誰もが無関係ではないということが、最低限の認識として必要と思います。
言葉を発さなくても人は目線ひとつ、ため息ひとつで人を失望させたり死に追いやることもできてしまう。「ワタシは差別はしていません」と断言できてしまう人ほど、自分の暴力性や過失に気付けません。そして、こう書きながら、私もそういうことをしてきたし、今もやってしまってるかもしれないと空恐ろしく思います。(自分が精神の当事者になれたことは苦しくはあるけど、生き直すために天から与えられた転機だったと思います。もちろん、当事者になっても自分も差別者の立場や責任からは免責されませんが。)

 私の中にもある優生的な思想、優劣、美醜、競争、支配・・・。自分の感覚や認識は、本当に自分が納得し選びとり決めているものだろうか。知らず知らずに支配され、思い込まされてきたことに気付くために何が必要か。忍び寄る支配から自由であるために学ぶこと、だれかと話したり、文章を書きながら違和感について考え、表明し続けることがとても大切だと感じます。

 行き詰った社会・世界の中で、孤独と枯渇を暴力や抑圧の温床にしないために、人と愛や共感をもった関係性を培っていけるように自分にできることを自然に、最大限しながら暮らしたいです。
もうこれ以上 まだ見ぬ誰かを失わないために 奪われないために。そして、自分自身を見失わないために。

一年前の今日は、2018年7月6日に引き続いてオウムの元信者たちの死刑がまた7名も執行された日でした。
殺された人たちのことを覚え、これからを歩みたいと思います。

2019/07/25

怒りの奥に

 
明日で相模原殺傷事件から3年。オウム真理教の連続死刑から1年。
腹の底から渦巻く怒りの奥に虚無的な悲しさと恐怖、不安がある。

わたしたちの社会は命に値札をつけているように思えてならない。社会的な優劣や各々の個人的評価に照らして、相手が生きる価値があるか否かのジャッジを表明し続けているように感じる。暴力的な、排他的なもののほうが大きな声として聞こえる。

 人の世が自暴自棄になり殺人を犯した人に「一人で死ね」と言う。理不尽な殺人・死に対し、その怒りが正当なものであるにしても、その一人を追い込んだのは誰であり何なのかについては考え続けなければならないと思う。思考放棄した社会の果てで、これ以上悪いことが起きないようにするために。もうこれ以上、だれかが同じ道をいかないですむように。生活保護バッシングを例に出すまでもなく、誰かを追い詰める言動は自分自身も追い込むことも忘れてはならない。

 そうかと思うと、自分の責任を問われない場合のみ誰かの不幸に目を留め、いともたやすく同情する。それは感動ポルノ的な意味合いを持つ感情消費ではないのか?そう自問自答しなければならない場合もあるのではないかと思う。
人生を奪われた人たち、奪われている人たちを都合よく自分の為に使ってしまわないように。よく目にする耳にする事件以外にも社会の現実と不平等を覚え、都合よく忘れている人たちのことを思い起こさなければ。
過去であれ現在であれ、たった一度の人生を 失わされた人に対して、真なる祈りを抱けるように暮らしたいと願う。

 感情を持つこと、共感を抱くことは人間が人間である大きな要素だ。日本は感情を表明しにくい抑圧さと、同調圧力が強い社会だと思う。
己の感情を何かや誰かに奪わせないために、知らず知らずのうちに操作されている自分に気付いていけるように学ぶ必要がある。自分のうちに生じる個人的な感情を誘発する情報のアンバランスさ(目立って主張されるものと隠されるもの)その背景を意識しなければ、ひとりひとりの人間としての善い感情も国家や権力に利用される装置として発動しうると思う。周到にすり込まれた「愛国心」が戦争の基盤になってしまったように。

 時代の空気はマスコミによって、教育によって、世間体によって、用意周到につくられている。頼り頼られる関係性も希薄な社会で、「迷惑かけるな」って言われ続けてそれを内面化して、自死大国日本になった。権力者がつくった空気を読んで合わせ続けてきたからこんなに権利が無い社会になってきたんだし。横行するいじめやハラスメント、世間話のなかの差別に気付かないフリしてやり過ごすときに、自分への自尊心も信頼も削られる。良心的な人は病んで、権力を望む人はいよいよ鈍感になって。どこまで続くんだ。

 この社会のおかしさに組み込まれない為、自分自身の感覚を吟味し、よいところは守りつつ育てたい。信頼できる人たちと関わりながら、感覚を研ぎ、深めていく必要があると感じる。生き抜いていくために、自分の中心にあるものを掻っ攫われないように。


茨木のり子さんの詩にあったな。「自分の感受性くらい自分で守れ ばかものよ」って。



2019/07/16

一年間に起きたことへの怒りと、今回の選挙について

一年前2018年7月の当ブログ記事より
2018/07/06
死刑執行の日に ―死刑廃止と、アベ政権の終焉と、ジャーナリスト安田純平氏の解放への日本政府の尽力、を強く求める
2018/07/07 七人の命を奪い、死刑は執行された。
2018/07/08 どうしようもないときに
2018/07/11 大水害の最中に酒盛りをしていたアベ政権(自民党)。許せない。
首相を始め、アベ政権の中枢にいるやつらを引き降ろさないと、この国の住民の命を守ろうとする姿勢を政府が持つことはないだろう。多くの人が大洪水で苦しんでいるのに、その最中にも大宴会して、外遊したいがためになんの決断もしないで家にいて。政府としてやるべきことをやらない以上に、こんなひどい態度をしていいわけない。すぐに動いていれば、助かった人だっていたかもしれない。沈まないでいい家だって、田畑だってあったかもしれないじゃないか!

絶対に絶対に、許してはいけない。体中に怒りが渦巻く。
私は、現政権ののさばりをこれ以上 許せません。



  昨年の7月6日に東日本集中豪雨の災害被害があり、その晩 首相を筆頭に自民党の連中は酒盛りをやっていました。酒宴の席にいたまま、酔っ払ったまま「災害対策をした」と言うような現政権が今もそのままのさばっている、いや、のさばらせている現状が本当に情けない。腹立たしいです。翌7月7日 朝から死刑が予告され、オウム真理教の幹部たちがその日のうちに7名死刑にされました。彼らを殺した人たちは前夜祭として酒盛りをしていたのでしょうか。
ワイドショーでは死刑が執行されたらボードの人物写真に〔死刑〕とラベルを貼ったとか。権力者の都合で平然と公開処刑が行われ、それに対してやり過ごせる社会に暮らしている現実に眩暈がします。平和とは、権利とはいったいなんでしょうか。

 
 社会に暮らす人たちがもっと安心して暮らせる社会にする枠組みを運営する責務が政治家にはあるはずです。
「お金がなければ先がない、でも抜け出す方法がない」という脅迫的な社会の中でみんな追い詰められています。「フツウの暮らしなんて夢のまた夢・・・」みたいな今の社会、絶対おかしい。
不正も虚偽もやり放題で恥じもせず、利権のために人間を見殺しにし、海を潰し、ひたすら戦争を起こそうとする自民党・公明党の現政権を許しません。人間の暮らしを保障するために集められた税金は、戦争ごっこやオトモダチの人気取りのために使われるためのものではありません。住民から国・行政に委託されたものを、民主主義国家の最低限のルールも守れない人たちに預けられない。アベ首相は権力を持ってはならない人間です。戦争をしたくてしょうがないこの人は、社会福祉にも経済破綻にも目もくれずアメリカから巨額の戦闘機を買って相手をしてもらおうと躍起です。
こんな情けない状況をこのままにして、私は自分の次の世代に戦争を体験させたくありません。人権がない時代はイヤです。イヤっていうか人間として生きていくことができなくなる。


 日本が始めたアジア・太平洋戦争では約2000万の人が殺され、数え切れない人々の人生と財産・社会・文化が破壊されました。日本の人も300万人の人が死にました。過去の戦争の後始末も何ひとつ終わっていないのに、事実すら歪めてこのまま憲法を捨て去ってしまうのでしょうか。国家の暴力を繰り返さないために、戦争をしてしまう国家という巨悪を縛るための憲法を先人たちは勝ち取り、後退はしながらもなんとか守ってきてくれました。けれど、何年も何年もきて、ついにここまで来てしまった。コイズミ政権から20年、「教育の憲法」といわれた教育基本法が第一次アベ内閣に改悪され13年。いま、憲法は風前の灯です。
 自民党の憲法草案をご覧になった方は分かると思いますが、あの権力者たちは人間の権利も自由も平和も、人の尊厳をなにもかも奪い闇に葬ろうとしています。私たちの人間として守られるべき権利はこのまま奪われていくのでしょうか。そこには幸福な人生も生活もありません。未来を生きる人たちの希望は現時点で潰えてしまうのでしょうか。そんなのは恥ずかしすぎて、過去の人にも未来の人にも私は顔向けできません。

 環境も社会も破綻寸前で、すべてが薄氷の上です。飢えの中、戦火の中、「こんなはずじゃなかった」と死に際に思ってもそのときには遅い。これ以上アベ政権の存続させることは、絶望と自滅の道に他なりません。取り返しが付かなくなる前に、諦めてしまわずに、自分の望む未来を選び取らなければなりません。


 投票権のある方、日曜日までに必ず選挙には行きましょう。
たかが一票、されど一票。この一票のためにどれだけの血が流れ、叫びがあったか。選挙が不平等なシステムであることは百も承知ですが、投票の権利を持っていることは世界的にも社会的にも歴史的にも特権です。その権利がすべての人に実現するために、投票権を持っている人間は投票する責任があります。命や権利を剥奪する戦争を肯定する連中に投票することは、今を生きる人だけでなく、未来を生きる人たちの人間として暮らせる日々を奪うことになってしまいます。

 まずは自分の元気と真っ当さを取り戻し、保つところから。非常時にこそ、何がエンパワメントに繋がるのかを一人ひとりが考えて行動しなければ。身内にストレスぶつけてパワーレスしあってる暇なんてありません。それぞれの場所、それぞれの暮らしの中で心の火を絶やさないように歩みたい。人の間に光と熱のある世界を生きたいと願います。




嵐は、たいまつを消すことができる。
だが、たいまつの火を 炎々と燃えるのも嵐の時だ。 


                                    -1976,10 むのたけじ


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2019/07/06

劇団ドラマティックゆうや「もしも、ドラムが叩けたら」 紹介

劇団ドラマティックゆうや 「もしも、ドラムが叩けたら」(27分)
という舞台動画がすごい好きで4回くらい観ました。めっちゃいいです。
ご興味のある方、お時間ある方は是非。
https://qetic.jp/interview/dramaticyuya-190524/317285/

ライブハウスの音楽イベントでいきなり二人芝居が始まるっていうのも、ライブハウスに来てるお客さんがエキストラ参加的設定も楽しい。やっぱり芝居はええなーー
2019/06/26

2019年6月23日 慰霊の日

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2019年4月 大浦湾上空
辺野古1



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沖縄戦がひとかけらも終わっていないことを日々の中 痛感する。
どんなに国家が巨大であっても 今生かされて大人として存在している私
なにも出来てはいないけど、暴力構造を強いている側の社会の人間である私が、そう簡単に諦めるわけにはいかない。
心は負けない。

権力を持った人間の真実も誠実さもない口先だけの言葉。
人の命を奪い奪わせておいてこれ以上の冒涜は無い。

日常に流されて放置され、悪化している現状を認知し抗わなければ。
暮らしの中に潜む悪を見分け、注意深く取り除けていかなければならない。

殺されていった人たちのことを忘れては未来はない。
2019/06/20

【今日の歌】 寺尾沙穂さん「たよりないもののために」

外は雨。
雨の中でも、窓の外
鳥たちは歌い合っている。





寺尾紗穂「たよりないもののために」 作詞・作曲:寺尾紗穂
寺尾紗穂:Vocal, Acoustic Piano マヒトゥ・ザ・ピーポー:Electric Guitar, Vocal
ミュージックビデオ 監督・撮影:大森克己 編集・撮影:玉田伸太郎

寺尾沙穂 「たよりないもののために」

たよりないもののために 人は何度も夢をみる
ボロボロになりながら 美しいものをうむ
枯葉の小さな つむじ風のテンポで ダンスは続いている
見えなくなった ものたちの ダンスは続いている

疲れきった仲間が 舞台をおりてゆくよ
舞台なんかないって 誰もさけばない
演じることが すべてなんて そんな真実いらない
正直だった ものたちの ダンスは続いている

たよりないもののために 人は命をかける
ボロ切れで歌をみがく 何度も道にまよう
遠い昔に わかっていること 知らないふりして階段を下(くだ)る
忘れられた ものたちのダンスは続いている

信じることで この夜に ようやく朝が訪れるのなら 信じる力は どこに落ちている
皆が飲んでしゃっくりしていた 母さまの腹の水に 握りしめていたへその緒の彼方に




2019/06/20

Protest/Revolution songs!

心を潤し、燃え上がらせる 想いと音楽。わたしは歌の力を信じる。


AIR 『I have a dream』


今日という日に あしたという日に
すべての命が 輝け 羽ばたけ

さあさあ 踊りだす鼓動と共に
大きく唄い出せばほら
悲しみに濡れた 今日を塗りかえる

We Shall overcome
Go my way
I have a dream


共に立ちあがる 共にわかちあう
理想に燃える力で 不可能を 打ち破れ

We are Alive 見上げた空の先に
流れる 血の河の重み
あの日の涙の 意味を忘れない

We Shall overcome
GO for it
I have a dream

We Shall overcome
GO for it
I have a dream


We Shall overcome
Go my way
I have a dream



Pete Seeger - We shall overcome

―――

ビクトル・ハラ 『耕す者の祈り』


日本語訳:
起き上がれ そして山をごらん
川の流れを魂の風を

起き上がれ そして両手をごらん
育ちゆき 君の兄弟たちの手を握るために
共に行こう 血の絆に結ばれ
今日が明日に繋がっていくんだ

僕らを貧困へと支配するものから解放しよう
正義と平等の王国を我らのもとへ

共に行こう 血の絆に結ばれ
今も そして僕らの死のときも
アーメン!アーメン!

  (ビクトル・ハラの生涯を紹介している 文芸ジャンキーパラダイスさんのページ

―――

海勢頭 豊さん 『喜瀬武原(キセンバル)』


1喜瀬武原陽は落ちて 月が昇る頃
  君はどこにいるのか 姿もみせず
  風が泣いている 山が泣いている
  皆が泣いている 母が泣いている

 2喜瀬武原水清き 花のふるさとに
  嵐がやってくる 夜明けにやってくる
  風が呼んでいる 山が呼んでいる
  皆が呼んでいる 母が呼んでいる

 *闘い疲れて ふるさとの山に
  君はどこにいるのか 姿もみせず

 3喜瀬武原空高く のろしよ燃え上がれ
  平和の祈りこめて のろしよ燃え上がれ
  歌が聞こえるよ はるかな喜瀬武原
  皆の歌声は はるかな喜瀬武原

 *闘い疲れて家路をたどりゃ
  友の歌声が心に残る


―――

Inti Illimani  『 El pueblo unido jamás será vencido』


El pueblo unido jamás será vencido(団結した人民は決して敗れない)/不屈の民 日本語訳

日本語訳:
今こそ立ちて歌わん 闘う我らの歌
貧しき者の中に 闘志の炎は燃え
この苦しい暮らしの中 我らの道はひとつ

今こそ高く掲げん 闘う我らの旗
働く者の中に 闘志の炎は燃え
血に塗れた鎖を断つ 我らの道はひとつ

今こそ 我ら 苦しみ 乗り越え
血潮に 湧きて 叫ぶ 進め!

El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido(エル・プレブロ・ウニード・ハマセラーベンシード)
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido

今こそ固く結ばん 闘う我らの手を
肩組む者の中に 絆は結ばれゆく
この苦しい暮らしの中 我らの道はひとつ

今こそ立ちて歌わん 闘う我らの歌
働く者の声が 大地に響き渡る
この新たな世界目指す 我らの道はひとつ

今こそ 我ら 苦しみ 乗り越え
血潮に 湧きて 叫ぶ 進め!

El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido

El pueblo u・nido・・・



―――

양희은 아침이슬 『朝露』


日本語訳:
長い夜を暮らし草葉に宿る
真珠より美しい朝露のように

心に悲しみがみのるとき
朝の丘に立ち微笑を学ぶ

太陽は墓地の上に赤く昇り
真昼の暑さは私の試練か

私は行く、荒れ果てた荒野に
悲しみ振り捨て私は行く


    作詞作曲:金敏基(キム・ミンギ)さん
   歌:楊姫銀(ヤン・ヒウン)さん 歌詞 日本語訳:李政美(イ・ジョンミ)さん


―――

Jewel 『 Hands』


日本語訳:
世界に向けてひとこと言えるとしたら
こういうわ 私たちは大丈夫
心配しないで
心配なんてするだけ無駄だし、こんな時代にはなんの役にも立たないもの

私は役立たずにはならない
絶望して投げやりにはならない
信仰を拠りどころに気持ちを引き締める
闇がもっとも恐れるのは光なのだから

私の手はこの通り小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない


黄金の靴をあなたから奪った貧困も
あなたの笑い声までは奪えなかった
私のもとを訪れた傷心も 
永遠に続くというわけじゃなかった


私たちは闘う
悪意からではなく 正義のために誰かが立ち上がらねばならないからよ
声なき人がいるのなら
みんなの声を合わせて歌いましょう

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない

結局 やさしささえあればいい
結局 やさしささえあればいい

私はひざまずいて祈る
私はひざまずいて祈る
私はひざまずいて祈る

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない
私たちは決してくじけない

私たちは神の目
神の手
神の精神
私たちは神の目
神の手
神のこころ
私たちは神の目
神の手神の目私たちは神の手
私たちは神の手

   「ハンズ」 (ジュエル『スピリット』三曲目 対訳 内田久美子さん)



―――

Tatsuya Shioya + Miwa Shioya  『 You set me free』


日本語訳:
※主よ、あなたは私を自由にして下さいました
 燃えるような聖霊を与えて下さいました
 あなたの愛を感じます
 今、私もあなたを愛します
 主よ、あなたは私を自由にして下さいました
 燃えるような聖霊を与えて下さいました
 初めにあなたの愛がありました
 いのちの限り あなたを愛します
 私を世に遣わせてください
 人々にみことばを伝えるために
 かつて私がそうだったように
 今も暗闇の中を何とか生きている
 人々のために
 私を世に遣わせてください
 よき知らせを広めるために
 かつて私がそうだったように
 今も暗闇の中を生きている
 人々のために
 あなたの御名を口にしないではいられません
 あなたの愛を歌わずにはいられません
 私は唇を押さえられません
 なぜなら・・・・・ ※repeat