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2022/07/12

We Shall Overcome

地には平和、御心に適う人にあれ

                                okinawa2.jpg














2023/03/24

寺尾沙穂さん「歌の生まれる場所」/Cocco 「クジラのステージ」/近況。



もうすぐ誕生日。ついに四十路に突入です。三十代ありがとう!生きていられて感謝です!
自分が考えるところの愛と自由の体現に一直線。
低空飛行もアクロバティックもガス欠も、ぜんぶケンチャナヨさ。

戦争なんかごめんだからね。悔いの残らんよう、いのち燃やして行くぜーーー!!


2023/02/02

映画 『日本原 牛と人の大地』

映画『日本原 牛と人の大地』https://nihonbara-hidesan.com/



岡山県奈義町。自衛隊 日本原演習地に耕作地のある酪農家の内藤さん一家のドキュメンタリー映画。


予告編からの 内藤早苗さんの名言。
「私はもう人間が減るからね。木や花や木を味方にして頑張ろうとしているんです。」
「天皇陛下が飲めれて、一般市民が飲めんような低温殺菌(牛乳)じゃいけん(いけない)いうことでな。」
痺れる・・・。


観たい~~~。映画館では観れなかった…!
岡山育ちじゃから岡山弁が懐かしい。余計観たい…。


◎監督さんの話も

2023/01/31

【2023年1月31日まで厚生省パブリックコメントを送ろう!】 #緊急避妊薬を薬局でプロジェクト 

1月31日本日23時59分まで政府にパブリックコメントを送れます!
(パブコメについて、今朝になって知ったのであと11時間くらいしかないですが…)
私も送りました。気がつかれた方は是非!!


厚生省パブリックコメント受付フォーム


https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=495220301&Mode=0


【私は以下のパブリックコメントを送りました】
・緊急避妊薬が薬局で安価に買えるようにしてください!
・望まない妊娠をするのは女性側です。女性の声を聴いてください!
・緊急避妊薬が薬局で安価にプライバシーの侵害なく自由に買えれば、たくさんの命が助かります。母子ともに、また男性も、望まない(望めない)妊娠を回避できれば生きやすくなります。
・性暴力の被害にあった人の心身の負担の中で、妊娠についての恐怖や不安をケアする最強のワンストップになるということを考えてみてください。
・若年性妊娠の問題、DV、子どもの性被害、家族内での性暴力など、行政の支援に行き着けない立場の当事者・性被害者でもアクセスしやすく、安全に利用することができます。
・スウェーデンなどの事例を見ても日本国は本当に遅れています。こうした女性や子どもの人権を守るための具体的な決定をしっかりと決めていってほしいです。
・性被害を防ぐためにも性教育をしっかりやっていくことが必要です。こうした具体的な対処方法を誰もが取れるように、教育と社会の中での実態が両輪で進んでいく必要があると思います。誰もが自分の性や心身を利用されないで、自己決定していける社会を作るためにも強制避妊薬が薬局で安価に買えるようになることを強く希望します。
・数えきれない人の人生を救うための大切な決定になると思います。
どうぞ委員会の皆様の御英断をお願いし、よい知らせが来るようにお祈りいたします。

#緊急避妊薬を薬局でプロジェクト
ネット署名https://chng.it/wkyGb6xKSL
2023/01/31

この世界で出来ること。 寺尾沙穂さん「魔法みたいに」

怒りに攫われないで
自分の底の底にあるさみしさや悲しみをよく見て
そして湧いてくる言葉を汲みあげて。

自分の命を世界に感じながら
いまここにある平和や美しさをひとつひとつ感じ取って
積み上げて
分かち合って
真なる反戦や平和を作っていきたい。

間に合わないかもしれなくても時間泥棒に命の時間を奪われてしまわないでいたい。

時限爆弾じゃない。

いのちを謳おう。
すべての人に、命にほんとうに実現したいものを
私の暮らしで創造するんだ。

夕食の準備はできた。
これから掃除機をかけたいところだけどな。かけられたらいいな。





寺尾沙穂 「魔法みたいに」

もしも二人が笑えるのなら
つまらない恥や外聞なんて
泡にとかして消してしまおう
遥かな空に

もしも二人が笑えるのなら
みにくい嘘や偏見なんて
砂の城のように崩してしまえ
遥かな海に

もしも二人が笑えるのなら
遠い遠い国で涙流す子の
涙の熱さを感じられるよ
握った手に

もしも二人が笑えるのなら
美しい時を謳えるのなら
欺く言葉に立ち向かえるよ
魔法みたいに



2023/01/27

コロナ五類に引き下げ

「ふざけんなよ!!」

朝、ゴミを出した後にポストから新聞を取ると
一面には絶望的な記事がある
そうすると、知らない間に怒号を飛ばしてしまう
ご近所に聞こえているだろう
止めた方がいいのは分かってる




しかし、どうするつもりなんでしょうか。

怒りで目の前が暗くなる。
頭にきて、日常の積み重ねていることが出来なくなってしまう。

ほんとうにこの国の中枢にいる連中は人がいくら死んでも家をなくしても、ゴハンが食べられなくても、故郷をなくしても、なにも痛くも痒くもないんだ。なんにも。なーーんにも。
人が死のうがなんだろうが、また戦争して金儲けのことばっかり考えて。人の命を守るために託された金で命を奪う。見捨てる。
放射能は海に垂れ流され、青い海は埋められ続ける。
国家による戦争で人生をあっけないほど簡単に奪われ野ざらしにされた人の骨まで砕いて。
クソッタレ。

暴力と差別と無思考と現実逃避。その先にある更なる破滅。
政府の腐敗と近づいてくる戦時下。
生まれてきてくれた人たちにどんな社会を手渡せるのか。
未来を奪わない為、絶望的状況の中で今日の自分はどう生きるか。政府が腐っても自分が腐らないように、どう暮らす?

奪われるな。奪われるな。怒りに奪われないで自分を取り戻せ。
あなたが本当に実現したいことのための一歩を、まず己から。



起きよ、光を放て。(旧約聖書イザヤ書60章1節)
2023/01/13

Protest/Revolution songs!

心を潤し、燃え上がらせる 想いと音楽。わたしは歌の力を信じる。
歌と詩を謳い上げる人間の祈り。

戦争を止めて、差別と暴力から脱却し人間が人間であれる世界を。
すべてのいのちがあるべき姿であることを望み続けること。

どんな絶望のなかにあっても 誰かと声を合わせて歌うことができるなら。


今日も歌おう。心に薪をくべよう。ちいさな灯を胸にともして。


言葉を、歌う気持ちを失ってしまうとき
絶望が心を支配するときも
歌に、音楽に命を救われて、私の「いまここ」を生きています。

なんとか、なんとか今日も一日
同じ空の下、いっしょに生きていきましょう。



‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

Pete Seeger - We shall overcome


AIR 『I have a dream』


今日という日に あしたという日に
すべての命が 輝け 羽ばたけ

さあさあ 踊りだす鼓動と共に
大きく唄い出せばほら
悲しみに濡れた 今日を塗りかえる

We Shall overcome
Go my way
I have a dream


共に立ちあがる 共にわかちあう
理想に燃える力で 不可能を 打ち破れ

We are Alive 見上げた空の先に
流れる 血の河の重み
あの日の涙の 意味を忘れない

We Shall overcome
GO for it
I have a dream

We Shall overcome
GO for it
I have a dream


We Shall overcome
Go my way
I have a dream




―――

Jewel 『 Hands』


日本語訳:
世界に向けてひとこと言えるとしたら
こういうわ 私たちは大丈夫
心配しないで
心配なんてするだけ無駄だし、こんな時代にはなんの役にも立たないもの

私は役立たずにはならない
絶望して投げやりにはならない
信仰を拠りどころに気持ちを引き締める
闇がもっとも恐れるのは光なのだから

私の手はこの通り小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない


黄金の靴をあなたから奪った貧困も
あなたの笑い声までは奪えなかった
私のもとを訪れた傷心も 
永遠に続くというわけじゃなかった


私たちは闘う
悪意からではなく 正義のために誰かが立ち上がらねばならないからよ
声なき人がいるのなら
みんなの声を合わせて歌いましょう

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない

結局 やさしささえあればいい
結局 やさしささえあればいい

私はひざまずいて祈る
私はひざまずいて祈る
私はひざまずいて祈る

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない

私の手はこのとおり小さいけれど
あなたのものじゃない この手は私のもの
あなたのものじゃない この手は私のもの
私は決してくじけない
私たちは決してくじけない

私たちは神の目
神の手
神の精神
私たちは神の目
神の手
神のこころ
私たちは神の目
神の手神の目私たちは神の手
私たちは神の手

   「ハンズ」 (ジュエル『スピリット』三曲目 対訳 内田久美子さん)




―――

Inti Illimani  『 El pueblo unido jamás será vencido』


El pueblo unido jamás será vencido(団結した人民は決して敗れない)/不屈の民 日本語訳

日本語訳:
今こそ立ちて歌わん 闘う我らの歌
貧しき者の中に 闘志の炎は燃え
この苦しい暮らしの中 我らの道はひとつ

今こそ高く掲げん 闘う我らの旗
働く者の中に 闘志の炎は燃え
血に塗れた鎖を断つ 我らの道はひとつ

今こそ 我ら 苦しみ 乗り越え
血潮に 湧きて 叫ぶ 進め!

El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido(エル・プレブロ・ウニード・ハマセラーベンシード)
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido

今こそ固く結ばん 闘う我らの手を
肩組む者の中に 絆は結ばれゆく
この苦しい暮らしの中 我らの道はひとつ

今こそ立ちて歌わん 闘う我らの歌
働く者の声が 大地に響き渡る
この新たな世界目指す 我らの道はひとつ

今こそ 我ら 苦しみ 乗り越え
血潮に 湧きて 叫ぶ 進め!

El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido
El pueblo u・nido ja-mase-raven-sido

El pueblo u・nido・・・




―――

ビクトル・ハラ 『耕す者の祈り』


日本語訳:
起き上がれ そして山をごらん
川の流れを魂の風を

起き上がれ そして両手をごらん
育ちゆき 君の兄弟たちの手を握るために
共に行こう 血の絆に結ばれ
今日が明日に繋がっていくんだ

僕らを貧困へと支配するものから解放しよう
正義と平等の王国を我らのもとへ

共に行こう 血の絆に結ばれ
今も そして僕らの死のときも
アーメン!アーメン!

  

―――

양희은 아침이슬 『朝露』




日本語訳:

長い夜を越え草の上に宿る
真珠より美しい朝露のように

心に悲しみが溢れそうになると
朝の丘に立ち ほほえみを学ぶ

太陽は墓地の上に赤く昇る
真昼の蒸し暑さ 試練なのか

私は行く、この荒野を
悲しみ振り捨てて 私は行く


    作詞作曲:金敏基(キム・ミンギ)さん
   歌:金敏基(キム・ミンギ)さん、楊姫銀(ヤン・ヒウン)さん 





2022/11/25

沢知恵さんピアノ弾き語りコンサート「白菊によせて」―死刑囚のねがい―

菊池事件連続講座第8回[第3部コンサートのみ] 沢知恵さんピアノ弾き語りコンサート「白菊によせて」―死刑囚のねがい―


このコンサートが本当に凄かったので、是非とも観て頂きたいです。
沢さんの歌声に魅了されたのは大学四年生の春でした。
そしていろいろ歌を届けてもらって、コンサートも行ける時は必ず行って、自分も歌ってきて、ピアノの譜面なんかも買わせてもらって(全然弾けないけど!)
思いながらも、どこか少し遠のいていた39歳の私。

だけど、このコンサート。

動画配信で前半の講演会やシンポジウムを見てからの、このコンサート!

打ちのめされました。

歌と詩、朗読。
人間を謳い上げる この表現の力の強さ!
身体の芯から揺さぶられるような衝撃というのか。

感じて心が突き動かされる、「感動」という言葉の真実を感じた思いでした。

人間の一人が持ちうる表現力の最大値、上限はここまで凄いものなのか!!と改めて驚かされました。
すごいな。人はこうやって知ることができる。いのちを、れきしを分け合える。

ほんとうに言葉では言い表せません。
これは観てもらいたいです。
なかなか紹介できませんでしたが、大島青松園のコンサート動画を観た機会にここで紹介させて頂きます。


沢さん。すごい。ほんとうにすごいです。感服です。
2022/11/25

沢知恵さん 大島青松園コンサート2022 (無料配信)




 沢知恵さん、20回目の大島青松園コンサートの映像です。
ライブ映像であり、至高のドキュメンタリー映像でした。
東條高さんのいつくしみ深き、音楽に救われたという想いの語り、そしてまた歌。 「故郷」に号泣してしまいました。
昔のコンサートの映像も織り交ぜられ、園内のお墓の案内もあり…。
素晴らしかったです…。 
最も生き辛かった20代の頃を支えてきてくれた沢さんの歌声、ライブが終わった時の「ありがとうございましたー!またお会いしましょう!!」の声を久しぶりにお聴きできて、とても嬉しかった!です。
動画を観ていたパソコンの画面に一人で拍手喝采でした。
でもきっと、ただの動画再生ではなくて、コンサートとして観ている人はみんなそうやっているよね。
時空を超えて、想いが繋がっていく感覚を最近よく感じます。

コロナで三年ぶりの開催。出来て良かったです。一人でも多くの人に届きますように。


ハンセン病療養所の歴史を踏まえないでいるから、今また精神保健福祉法を改悪して「医療」の名のもとに人権を奪うことが平気でできるんだ。この政府は。怒りに目の前が暗くなりますが、自分のできることを 一つ一つ重ねていきたいです。

 平均年齢87歳の全国の療養所におられる回復者の皆さんの人生を考えることなしに、このコロナ時代の社会を真っ当にはしていけないと強く感じます。療養所自治会を担われたお一人お一人の意志を継いでいくために、何が必要なのだろうか。

岡山大学の院で研究された療養所の園歌の本よみたいな。岩波ブックレットです!
『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史: 園歌はうたう (岩波ブックレット 1070) 』









今、十年ぶりくらいに久しぶりにウェブサイト開いたら母校でコンサートしてた。いいなあー!!!
そうなんだ、今は私の故郷に住んでおられるんですものね沢さん。嗚呼、ともえゴスペルに参加したいものだなあ…・!

2022/11/10

七尾旅人さん “ドンセイグッバイ”



今もずっと変わらずあなたたちが大好きだ。
会えなくなっても同じ空の下で生きよう。
生きよう生きようね。

あなたとあなたの大切なひとたちが守られますように。
どうか幸せでありますように。
その道のりにいますように。

私は祈ってるよ。
2022/10/13

「序詩」    尹東柱(金時鐘・訳)

序詩

尹東柱  
 金時鐘・訳



죽는 날까지 하늘을 우러러
한 점 부끄럼이 없기를,
잎새에 이는 바람에도
나는 괴로워했다.
별을 노래하는 마음으로
모든 죽어가는 것을 사랑해야지
그리고 나한테 주어진 길을
걸어가야겠다.

오늘 밤에도 별이 바람에 스치운다.



死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを、
葉あいにおきる風にさえ
私は思い煩った。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いていかねば。


今夜も星が 風にかすれて泣いている。

(1941年11月20日)


花ハルモニ


2022/09/07

子どもたちの未来をあきらめない。

自民党継続の日本社会に人権と平和はない。
最期まであきらめないで、やれることのせいいっぱいを。

はだしのゲン読もう。
子どもたちが飢えてることも、人が人生をカルトに奪われることも、何とも思わない連中に政治を任せていたら、また子どもたちが犠牲になる。いや、もうなっている。
あいつらに、子どもたちの未来を奪わせたくない。統一教会問題と国葬16億で、最大かつ最後の機会。
人権ある社会、憲法の実現を希求する。

2022/08/18

元首相狙撃事件翌日、選挙前日の2022年7月9日に書いた あなたへの手紙。

こんばんは。

言葉を見失いそうになるこの夜に、ここに来て下さった方がいるかもしれないと感じて
久しぶりにここに書くことにしました。

今、この文章を読んでくれている
世界でたった一人のかけがえのないあなたに向けて手紙を書かせてください。



あなたへ


こんばんは。こんにちは。
いなりです。

無事ですか?
生きててくれていますか?

いよいよ混沌とした時代ですね…・。 想像もしなかったくらいに。
あなたの御無事を祈ります。

こちらは、なんとかやってます。
12年前からは想像もしなかった日常を生きていますよ。不思議なほどです。

この悲惨な、目も当てられない暴力と抑圧と差別と戦争の時代にあっても
関係性に支えられ、医療にも恵まれ、
人類の平和を希求する心を失わずにいられる場所にいさせてもらってます。

人と人の間で、「人間」と書くのは、ほんとうだなぁと思えます。
それがどれほどこの社会で恵まれ、特権的なことかを痛切に感じながら…。

12年前のことを考えると、
我が事ながら、よく無事に生き抜いて今に行き着いたよな…と思います。
思い出すと背筋が寒くなることばかりです…。

恥で死ねるならとうの昔に命を落としているでしょう(実際あぶなかった)。
相変わらず弱い弱い、ちっぽけで、カッコ悪くて、いつでも過去現在の恥ずかしさと後悔とに延々とのたうち転げまわる私です。
苦しみは絶えずあり、「もう本当に勘弁してください神様!」と祈る夜もしばしばです。
人人に支えられて、信仰に助けられて、運も限りなく良くて、
歌にも音楽にもアニメにも文章にも、命を拾われてつながれて、
とにかく助けられて助けられて、で。
それで、ようやっと生きています。有難いことです…。


でも、それでもいいのかなと思います。
助けてもらって生きるのが、神様が創られた人間の在り方だと奥田知志牧師もおっしゃっていますし…。
私も助けてもらってるように、だれかの力になっていけたらと感じます。



先日、ブレイディみかこさんの『女たちのテロル』(岩波書店)を読み終わりました。
金子文子やエミリーやマーガレット・スキニダーの人生を想いました。

私は、エキセントリックな20代を生き抜いて、病もあって、それでも今39歳になってこうして暮らしています。
正直、不思議なくらいです。


そして、他の一人一人が生きていてくれることも。あなたが生きていてくれて、これを読んでくれていることも。
これまで私に出会ってきてくれた一人一人の方に、(それが必ずしも良い思い出でなくても)ありがとうと言いたいです。
お会いしたことがなくても、これを読んで下さった方がいらっしゃるなら、これも奇跡です。ありがとうございます。





今、これを書いているのは
夜明け前、午前五時です。

救急車のサイレン音が地域に響いています。なんだか今夜は、いつもより不安と恐怖を伴う響きがあります。
元首相が狙撃され絶命した写真をそのまま流し続けるメディアにも戦慄しています。
それでも、目が覚めてしまった夜明け前の夜の闇の一番深いこの時に、こうして手紙がかける。
書こうと思えるのは、
今わたしが抱いている漠たる不安と恐怖を、分かち合ってもらいたいからだろうと感じます。

憲法をこの時代の濁流の中で滅ぼしてしまうわけにはいきません。

これからを生きる若い人たち、
幼い子どもたちも大きくなっていく、その時が
自由と平等への希望が持てない世界であってはならない。

絶対に戦争のできる国にしてはならない。

何があっても、これから何が誘発していくにしても、
私は絶対に自由と平等と人権を諦めはしません。

だから、今日は街頭に立ちました。
ほんの20分ほどだったけれど、憲法を守るための働きをしてくれる候補者のチラシをもって。

私は、あきらめません。
あきらめたって、それでも私はここに生きて、自分としていられるのだから。
泥の中で死んでいった人たち、犠牲になった少女たちの人生からしたら、私は限りなく自由であるのだから。
笑いかけてくれる子どもたちの身に、戦争で奪われた人たちの体験が降りかかってしまわないように
どんな悲惨な現実が展開していくにしても、悔いが少しでも少なくなるように生きなければ、私は生き抜くことはできない。

絶望を分かち合えば、なんとか息ができる。
希望がなくても、お互いが生きているんだから、今は、生きていられるよね。
そういう瞬間を積み重ねて、生き延びる。
どんなに絶望しても、その絶望を真にシェアできる人がいれば。

そのことを知っているから、私はなんとか生きられる。あなたのおかげです。




だから、
私は手紙を書きます。

生きていきましょう。

いつ誰に標的にされるか分からない世界で、
それでも心を手放さずに、人間の悪ある意図にのっとられてしまわないで、人間であることをやめないで。

貧困と不平等の闇に、戦争とテロのニュースが雪崩(なだれ)込み、
助けてと叫ぼうとする口に泥を詰め込まれるこの社会で。

それでも、人間に人間を取り戻させる言葉、音楽、ひとりひとりの存在が放つ光を私は心から信じます。
人間は言葉を紡ぎ、交わし続ける。感じて、考え続ける。表現し、分かち合い、生きる。

それが戦争や暴力、差別と不平等に立ち向かう唯一の術なのだと。

そしてそれを見失わないために、自分が持てる灯をここで示します。


どうか、どうか無事でいてください。

この空と大地の間で、白んできた空に歌いだした鳥たちの声を聴きながら
私ひとりの持てるありったけの愛と共闘の意思、そして無事を願う祈りをもって筆をおきます。

読んで下さってありがとうございました。
生き延びて、またお会いしましょうね。


2022年7月9日 午前5時51分
稲荷明古

2022/07/19

沖縄「復帰」50年の日 奥田智志先生の説教です。

2022年5月15日「悲しんでいる人と悲しむ人―慰めの橋を架ける」マタイ5:4 奥田知志牧師 東八幡キリスト教会 主日礼拝

字幕があります。




東八幡キリスト教会は、毎年春に「平和の旅」という のを続けてきました。 毎年ですね、長崎から始まって翌年は広島、 広島の次は沖縄、長崎、広島、沖縄、長崎、広島、沖縄。 20年以上やってるんですよ。 うちの息子、長男が 1年生ぐらいから始まったかなぁ。 そろそろ彼もねえ三十路なりますから、もう 20年以上 やってるわけですよね。 私もだから 30歳ぐらいのときから 始まった。まあその前、実は 諫早の普賢岳の噴火を めぐるいろんな子どもたちとの学びの中から まあ平和の旅ていうのが始まるんですけども、 夏は楽しもう、キャンプをしよう。 春は平和のことを学ぼう。

この2年間コロナで出かけることができ なかったんで、 昨年は八幡大空襲の証言をお聞きするため に 八幡駅の近所のですね、八幡大空襲の記念の碑が 建ってるんですが、そこに行って実際あの日のことを 体験された方々からお話を聞いた。 今年は田川に出かけまして 炭鉱の歴史を学ぶとともに、強制連行された 朝鮮半島から連れてこられた方々の その歴史を学んだ。

2020年3月は、本当は沖縄の旅だったんだけども 行けずじまいで20年が終わり、 21年が終わり、この22年の3月も 結局遠出はできなかったというところなんですね。 沖縄の旅は、多分5回以上行ってる、6回行ってるかな。 もうちょっと思い出せないんですが、 行ってるわけです。 最初この沖縄行ってから20年以上こういう 旅を続けている。毎回旅の中で、沖縄の平良修牧師に お話をしてもらいます。

平良修先生とっても有名な方だし、キリスト教の世界ではですね、私たち牧師にとっても まあ魂の指導者の1人であるわけです。

その平良牧師が、 子どもたちに辺野古の海で、海辺のですね。
なんかこう 石段になっているような階段になっているような そんなとに子どもたちがみんな座って、 平良先生がね話し始めるんですね。

「君たち何のために今日は沖縄に来たんですか?」

うちの子達優秀ですからね、「はい、平和を学ぶ ために来ました」 「合格!150点」みたいな世界なんですね。

そうすると平良さんが言うんですね。
「戦争のことや平和のことを学ぶのに、なぜ みなさんは沖縄にわざわざ来るんですか? なぜ福岡では、戦争のことを学ぶことができないんですか?なんで沖縄までわざわざ来る んですか?」

子どもたちにざわざわざわとこう 戸惑い始めるわけですよ。
「えっ、来ちゃダメだっ たの?」みたいな感じですよね。大人たちも ざわざわざわになってるわけですよ。

その後平良さんなんて言ったかって言ったら、
「あのね、戦争のことを本当にわかる、本当に戦争とは 何かということをわかるためには、その ことを本気で学ぶためには、どうすればいいか 教えてあげましょう。 もう一度戦争することですよ。もう一度戦争して、あなたたちがその戦争の中で 生き延びていく。戦争を体験する。それが 最も戦争のことがわかる、学ぶということ なんだ」
全員ギョッとするわけですよ。

戦争学ぶためには、戦争せないかんのかっていうね、 えらい矛盾がそこに生じるわけです。

大人たちももう ポカーンとしてるわけですね。 この先生何言いだしたんだ。
まぁでもね3年に1回 だいたい同じ話されるんで、私なんか一応 安心してこの頃聞いてるんですけど。
だいたい同じ話をされる。「戦争するしかないよ」って。

平良牧師はその後こう続けるわけです。

「しかしね、そんなことできないよね、これから 戦争しようなんて、そんなことできないよね、だから君たちはわざわざ沖縄に来て、戦争を体験したその 戦場だった場所に行って、実際に戦争を体験 した人たちのお話を聞くしかないのです。
沖縄は住民を巻き込んだ唯一の地上戦が 行われた場所です。 皆さんには、最後こういうんですね。皆さんには 涙が出るほど学んでほしいんです。 」


これで話し終わると思うでしょ。

そこから1時間半くらいしゃべるんですよ。 すごい先生なんです。炎天下、2時間近くみんなね 聞いてますよ。

実際戦争を体験した人。
誰ですかね?
悲しんでる人ですよね。

悲しんでる、本当に悲しんでる人、本当に 悲しんでいる人から 話を聞くしかないんです。

その悲しみや 傷というものは、そんな70年経ったからとか 80年たったからでなくなるもんじゃ ないんです。 ずーっと持ち続けてる。あの時失った家族のこと。


沖縄戦は、本当に悲惨を極めたから、
日本軍、 助けてくれるはずの日本軍までも 「お前たちガマから邪魔だから出ていけ」って 言って、砲撃が続く森の中に追い出されていく。
子どもの泣き声がうるさいからって、 言って母親がその後始末しろと迫られた。

そんな証言は、いっぱい残っているわけですね。

その悲しみは癒えますかね? 平和な時代になったからといって、その 悲しみがなくなりますかね?

なくならんですよね、だから平良さん言うん ですよね。
「その悲しんでる人たちから聞きなさい。その 悲しんでいる人々から聞きなさい。 しかも単に聞いちゃダメだよ。 」

これ、すごいですね。

「涙が出るほど学んでほしい。」

きついね、これ。
この瞬間、我々大人も子どももまあ20何人で行くんです、毎回ね沖縄まで。2泊3日で行くん だけども、 しーんと静まりかえりますよ。


「涙が出るほど 学んでほしい。」


それはさっき私が言った人間の深い深い ところ、 魂の場所。その魂に傷をつけていくような 学び方なんだ。
魂についた傷は、そんなすぐには癒されない。 そんなすぐに消えない。 その部分で学ぶしかないんだ。涙が出るほど 学ぶんだ。
それはその悲しみを、本当に自分のものに、 その一部でもできるか。



パウロは言いますよ。

「喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣きなさい」 いい言葉ですね。ローマの12章、15節と いうところですね。

「喜ぶものと共に喜び、 泣くものと共に泣きなさい」
今日、沖縄は本土 復帰後50年を迎える。今日も森松先生は幼少科で 沖縄のお話をしてくださったと 聞いております。

5月15日 施政権がアメリカから日本へ移された、 1972年の話だ。 日本の施政権に移るんだから、日本には 日本国憲法というのがあって、第9条、 陸海空の戦力は持たない。
交戦権ですね、あの 日本国憲法では。交戦権は認めない。

交戦権というのは、いわゆる今問題になっている自然法で ウクライナが今やっていることですね。 攻められたら防衛のためには、戦っていいん だっていう国際法、まあ自然法ですよね。 これを交戦権って呼ぶんだけど、 これすら認めないっていう風に書いた。
ものすごく稀有な、「攻められても 反撃しません」っていう 憲法を書いた。
そんな憲法を持ってる国の 施政権に入るんだから、沖縄の人たちは 当然あの基地はなくなるだろうと考えてた。 日本に復帰したらあの基地はなくなる だろう。そう 思ってた。

それが、…それが、残念ながら今も米軍基地の日本に 存在する米軍基地の70%が、沖縄に集中 している。
第1位が沖縄ですね70%。 約70%の基地が沖縄に集中している。
第2位が青森県7%。 第1と第2で10分の1になるんですよ。沖縄は、沖縄のというか米軍基地の負担が なんですね。 日本国憲法から言うと、この青森の7% どうなのって話に当然なるわけですけども、 昨今ロシアの戦争が始まって、やはり軍備が 必要だとか 核兵器を共同保有することが必要だとか、 そういう政治家も現れている。
こういう人こそ沖縄に行って涙が出るほど 学ぶしかない。

涙が出るほど学ぶしかない。

基地があるとか、そこに兵隊がいるということが、どういうひどい状態になるか、 沖縄戦は、まさにそれを私たちに示した戦争だ。 ウクライナの製鉄所で今起こっていることを 見たら分かるでしょ。 あそこにアゾフ大隊ですか? (部隊が)いるからあそこ一番の集中攻撃になってるんでしょ。
沖縄の人は言いますよ。 「戦争が起こるから問題なんじゃない。基地があることそのものが問題なんだ。」

基地っていうのは、そういう場所なんだ。
攻撃対象にもなるし、 あるいは数限りなく沖縄の人たちは、 沖縄海兵隊や米兵の様々な犯罪行為にさらされてきた。
しかも日米地位協定というのがあって すぐさま容疑者の引き渡しができないっていう状態が長く続いている わけですよね。

人口1%しかいない沖縄のことを 99%その沖縄県民以外の人たちが見ているわけで、そのうちの99%のうちの一部、ここに座ってるわけ。

何が問題なのか。

悲しんでないってことでしょ、やっぱり。これは 。
別に皆さん責めてるわけじゃないよ? 僕自身がこの5月15日を迎えるにあたって、悲しんだかっていうことを、この1週間考えた わけです。 全然悲しんでないよね、涙も出てないよね。

何も思ってないよね、ピンと来てないよね。

こういうのを差別 と言います。

涙が出ないことです。差別というのは明らかに明らかに格差や開きがあるのに、そのことに 悲しみを感じない。そのことに涙が出ないっ ていうのを 差別と言う。 私は差別者である。



子どもの平和の旅はですね、 毎回子ども平和会議ってのが開かれる。
今回も開かれた。田川の場所でね、子どもたちが 集まって、平和になるためには何が必要かと いうの会議を開くんですよ、子どもたちが。 子ども平和会議っていうのがあって、そこが 「こうしたら平和になるんじゃないか」とか いろいろな提案をまとめるわけです。それ総理大臣に 届ける。… まあそれは、してないんだけども、本当は届けたい。 子どもたちが考えた事、本当は届けたい。

最初の頃はね、 「子ども平和宣言」ての作ってたんです。 それこそ息子が最初の頃ですね。 子ども平和宣言ての作ってた。
なかなか素敵なんでね、ちょっと紹介します。 これ元々日本キリスト教団の教師の友が 作られたのをベースとしながら、我々風に アレンジしたわけです。


「子ども平和宣言平和を祈る」
神様 私たちは平和の反対語について考えました。 平和の反対、それは戦争、殺し。平和の反対、それは 暴力、喧嘩。平和の反対それは核兵器、飢え。

神様、私たちは平和のイメージについて考え ました。 家がある。 友達がいる。家族がいる。テレビが見られる。 畑がいっぱいあって 食べ物と水がある。 毎日みんなが笑って過ごせる。 学校に行ける。
嬉しいこと、悲しいこと、楽しいことが 感じられる。 入道雲が見られる。 戦争をしない。
みんな死なない、殺さない。貧しい人がいない。 緑がいっぱいある。

神様 私たちは平和でない状況も考えました。

電気がつかない。爆弾が降ってくる。食べ物と 水がない。家族も友達もみんな死ぬ。学校に行けない。お金を欲張る。 みんなが幸せじゃない。 神様 今は本当に平和でしょうか。



60年前にあった戦争で…

これ書いてる時、 戦後60年の時書いてるんですね。



60年前にあった戦争で多くの人が気付き殺されました。 もう二度とこんな戦争は嫌だと思って いるのに、世界中では戦争が絶えません。今も戦争、それどころかこの日本でも、よその国の戦争を止めようとしないで、 かえっていつでも戦争が始められるように、 少しずつ準備をしています。
神様、平和をください。神様、私たちを平和を創るために用いてください。

神様、平和になるために私たちは考えました。
兵士を戦場に行かせない。自分もいかない。
ケンカをしない。食べ物がない人に食べ物を あげる。 武器をなくす。正しい政治家を選ぶ。 お金を増やす。神様に祈る。

神様、平和をください。
神様、私たちを平和を創るために用いてください。
平和の主、イエス様の名によって。 アーメン 


という、こんな文章なんです。





素敵でしょ。 大したもんだな、うちの教会の幼少科は。ねー

親の顔が見たい!(笑)



子どもたちは平和のイメージについて、 中でこう言ってるんですね。

私ここのフレーズが 好きなひとつは、「入道雲が見られる」

いいよね。平和ってなんですかって。「入道雲 が見られる」

そこいくか~と思いません?

ね。



沖縄でね、綺麗な 空見てるんですよ。ものすごく青くって 大きな雲が浮かんでるのみている。だから その後喋ってるから、平和って「入道雲が見れる」

多分 悲しい事があり過ぎたら、人間ってが下向く んじゃないですかね。

上を向かない。空見ない。

だんだんだんだん自分の足元や自分の足の 足先しか見えない。

顔を下向けて歩いてる。



そうじゃない?



平和っていうのは、「入道雲が見られる」。 いいじゃないですか。

その前にあるフレーズでこんなこと書いてるんです。



「 嬉しいこと,悲しいこと、楽しいことが感じられる」 状態。これが平和なんだっていうんですね。 私これもねうちの子たちすごいなぁと思って 見てたんです。

「平和って何か」って言ったら 「うれしい、楽しい」じゃないですか普通は。



うれしくって、楽しいことを平和っていうん じゃないんですか?

でもうちの子たちは、 「嬉しいこと、悲しいこと、楽しいことを ちゃんと感じることができることが 平和だ」って書いてんですよ。あの時。

いやー素晴らしい。



素晴らしい。

嬉しいこと、楽しいことを感じられる、それが 平和だって言うんだったら、「そらそうだ」と いうふうに誰しも思うだろう。しかしあの時の 子どもたちは、嬉しいこと、悲しいこと、楽しい ことが感じられる、特にこの悲しいことをちゃんと感じることができる。それが平和だという風に 書いたんですね。

この子どもの感性の凄さ。 いやしびれるな、素晴らしい。



悲しいことがない世界が平和な世界だ。 みんなそう思いたい。確かにそうかもしれない。

しかし そのためには、平良先生言うんです。



涙が出るほどその悲しみに向かい合え。涙が出る ほど学べ。



涙が出るぐらい学ばないとダメなんだ。それは 何か。その涙の先には、悲しみがあるからだ。

その悲しみをちゃんと自分のものにしろと あの老牧師は語りかけ続けている。





自分の悲しみ、そしてあの人々の悲しみを ちゃんと感じることができるかと問われている。

涙が出るほど感じることができるかと 私たちは問われている。それが平和だと子どもたちが教えてくれた。

パウロは教会とは何かということの中で コリント人への第一の手紙、ローマ章にも 同じような文章がありますが、

コリント人の第一の手紙の12章 あたり、

「教会っていうのは、体なんだよ」っていう例え話を書い てるんですね。

ちょっと長いですが読みますね。


これ今の世界のことを言っている。世界のことを パウロは言ってるっていう風に ちょっと考えて、そういうふうに思って ちょっと聞いてみてください。 教会とはなんぞやというのは、教会の運営とか教会の共同体形成とはこうなんだっていうそんなちっぽけな話 じゃなくて、 世界とは何かということについてパウロが 言っていると思って、この言葉をちょっとね 心の奥の方で聞いてみて。

「実際、体は一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。 もし足が、私は手ではないから体に属してい ないといっても、それで体に属さないわけで はない。 またもし耳が、私は目ではないから体に属して いないといっても、それで体に属さないわけではない。 もし体全体が目だとすれば、どこで聞くのか。
もし体全体が耳だとすれば、どこで嗅ぐのか。 そこで神はみ旨のままに肢体をそれぞれ体に備えられたのである。 もしすべてのものが一つの肢体ならどこに身体があるのか。 」


ところが実際 肢体っていうのは枝って書いて、あの月へんの 肉づきの肢ですね。体の部分っていう 意味ですね。

そこで神はみ旨のままに肢体をそれぞれ 体に備えられたのである。もしすべてのものが 一つの肢体、体の部分ならどこに身体が あるのか。ところが実際肢体は多くあるが、体は一つなのである。目は手に向かって「お前は いらない」とは言えず、また頭は足に向かって、 「お前はいらない」とも言えない。そうではなく、 むしろ体のうちで最も弱く見える肢体、 部分が帰って必要なのであり、体のうちで たより、見劣りがすると思えるところにものを 着せて、一層見よくする。 一層麗しくない部分は一層を麗しくするが、 麗しい部分は、そうする必要がない。神は劣って いる部分を一層麗しく体に調和をお与えになったのである。それは身体の中に 分裂がなく、それぞれの肢体が互いに労わり合うためなのである。 もし1つの肢体、一つの体の部分が悩めば、 他の肢体も皆共に悩み、 一つの肢体が尊ばれると、他の肢体も皆喜ぶ。

あなたがたはキリストの体であり ひとりびとりはその肢体だ。

この言葉を、今の世界に対して述べられたと するならば、今の世界がどれだけ分裂しているかっていうことが明らかに分かるはず だ。 もし1つの肢体が悩めば、他の肢体も皆共に悩む。

体はつながってるんですね、一つなんですね。 だから一部分が痛かったら、身体全体も痛いんだ。そうでしょ?

歯だけ痛いってそんな日ないですよね。特に 歯はそうですよね。歯の痛みっていうのは 人間の体の痛みの中でも最もつらい痛みらしいですけども、 歯が痛いと1日やる気なくなるんですよ。歯が痛いと、もうもう全、もうどうでもええわって いう気持ちに私はなるんですね。 あるいは、腰。私は腰痛持ちなんですけども、 腰ダメですね。 腰が痛いともうすべての気力がなくなる。

体って本当はそういうものなんだよ。繋がっ てるからこっちだけで悩んでる、足だけが 痛い、歯だけが痛い、そういうことはないんだよ。 一つの肢体が悩めば、身体全体が悩む、痛む、 悲しむ。 これが体ということなんだよ。

でも今世界は 分断されている。その一部、確かに何千キロも 離れたその先なんだけども、そこに 爆弾が落ちても、私たちは涙を流さない。 なぜか?体がつまり世界が分断されているからだ。 実際はつながっているはずなのに、神様は それを繋げたひとつの身体として作って くださったのに、私たちは泣かない。


でもつながってるんですよ。 つながっています。

今日ちょっとねぇ こういうの持ってきたんだ。 何でしょう。
(※レモンを出す)

レモン、よく分かりましたね。 …これレモンですよね。

不思議にレモンて、こう見てると 酸っぱくなるでしょ。



なぜ?

いかにも酸っぱそうでね、これあの 今日使うために昨日スーパー行ったん ですよ。 酸化剤を使ってない、 自然、自然で作った国産レモンですって書いてあります。 もうこの朝から私、説教を仕上げながら、 これずっと見てんですけど、いかにも酸っぱ そうなんですよね。ちょっと食べてみ ましょうか。

(※レモンにかじりつく)

ん、
ふふふふ。 これはいけませんわ。 すっぱい。

…ああ、これはいけませんなぁ。 すっぱい!
すっぱいでしょ、 食べてないのに。 繋がってんの。

繋がってんの。 酸っぱいの食べてる人の顔見てると、 酸っぱくなるでしょ。
ホント、人間つながってるんだ。 なのになんで泣かなくなったかな、俺たち。
なんで泣けなくなったかな。 なんで爆弾が落ちているその下に

人がいるっていうことをわかっていながら、 なぜ私たちは……ちょっとごめんなさいね。 レモン飲み込んでしまいますから。 これマジで酸っぱいわ。

うん、 レモンかじることなかったな、全く。

若い頃は時々かじってたような、その ね、かっこつけてかじってたような気がするけど。もう爺さんに なってからレモンかじることないね。 あぁ、すっぱ!



あのね 、
私たちはつながっている。
こんなしょうも ないことでつながってもダメなんだ。

これ見て
「あぁ酸っぱいな、ワー、噛んだら すっぱやろうな」ってみんな多かれ少なかれ考えてくれたでしょ。 そんなんじゃダメなんだ。 私たちは 。

涙が出るほど 繋がらなきゃならない。本来はね。 でもこれ難しい。 でも
そこはねぇ 平良先生言うんですよ。 「頑張って学んでくれ」って。「頑張って考えてくれ」って。



あの時悲しみのどん底に置かれた人たちの 話を聞くんだったら、

「へー、そうなの、すごいねぇ。大変だったね」 じゃダメなんだって。そんな話を聞いたら、 涙がぽろぽろ出ながら、
「うわー、本当に辛い」っていうふうに 思えないとダメなんだ。
時々訓練のために、説教の中でレモンでもかじるようにします。 つながっている証拠でね。


さて本日の聖書の箇所ですが、
「悲しんでいる人たちはさいわいである。 彼らは慰められるであろう」

これは約束だ。 今悲しんでる人たち、過去悲しんできた人たち、 それを神様は絶対放置しない。彼らは必ず慰められる。これが希望であり平和である。 しかし じゃあどうやったらこの悲しんでいる人 たちが慰められるんだろうか。それは神様が慰めてくれる。それはもうその通りだ。 神様はそういう人たちはほっとかないんだ。 悲しみの中にある人たちを神が放置しない んだ。でもそれだけじゃダメなんだって いう話を今日したい。

どうやったら あの悲しんでいる人たちは慰められるん だろうか。


パウロの言葉をもう一回思い出す。

「喜ぶものとともに喜び、泣くものとともに 泣け」

そこには一緒になって泣いてくれる人が いるっていう、それが慰めなんじゃないのか。

涙が出るほどその悲しみに伴ってくれる人、 学んでくれる人、。

「泣くものと共に泣きなさい。」

先ほどのマタイの5章の4節は 石橋先生がね、いろいろ 翻訳作業のご協力をされてましたけど、 協会共同訳っていうね、一番最近出たほうの聖書の訳を見 ますとね、

「悲しんでいる人たちは幸いである」 これが口語訳。
これが協会共同訳になると、「悲しむ人々は幸いである」ちょっと違うでしょ。

「悲しんでいる人たちは幸いである」 と訳されているのと、「悲しむ人たちは幸いで ある」。同じ聖書の箇所なのに翻訳がちょっと違うんですね。

口語訳は、「悲しんでいる人々」だが、協会共同訳は 「悲しむ人々」となっている。 悲しんでいる人々 というのは悲しんでいるという状態を示している。



「悲しむ人々」も確かに状態を示している言葉 とも読めるけど、同時に悲しむっていう能動 性がそこには読み取れる。日本語として。
悲しもうとしてる、悲しむ人たち、 それは状態だけではなく、悲しむことを自ら 選び取るというふうにも、この「悲しむ」という 言葉は読める。

マタイ第5章4節は現に「悲しんでいる人たちは 幸いだ」ということと共に、すなわち、神は それを見捨てないということと共に、その 悲しんでいる人の悲しみを、自らのものとして、 悲しむ人たちが幸いだとも読める。

私はこの両者がセットになって慰めというものが起こるんじゃないのかと今日読みたいわけです。 たまたま日本語の翻訳がそう違っていると いうことだけかもしれません。実は昨日石橋先生に 「ここのギリシャ語どうなってんの?」って 聞いたら 説明を受けましたけど忘れました。(!)



でもどっちも訳せるっていうのが結論、 そこだけ 聞きたかったですね。どっちもどっちかが 間違ってるんじゃなくて、どっちも訳せるっていうのが 石橋博士(牧師)の結論だったんですね。そうなると「悲しんでいる人たちは幸いだ」と「悲しむ人たちは 幸いだ」どっちも読める。 そうすると私がさらに勝手に読み込んで いくと、悲しんでいる人たちを目の前にした人たちが、悲しむ人になっている。 「そういう出来事は幸いだ」 いうふうにも読めないか?


ちょっと勉強しました。石橋先生に 聞いた後の「悲しむ」というのはペンセオー と言うんですよ。 この聖書の中には、そのペンセオーという言葉と 悲しむというのがルペオーいう2つの言葉が あると言うんですね。らしいですよ。

で、ペンセオーとルぺオーとペンセオーという言葉があって、ルペオーというのは心や体に 痛みを覚えるという意味で、つまり自分自身の痛みや悲惨に対して悲しみを表すという 時は、ルペオーらしいんですね。

で、ペンセオーという方はこっち。これが実は今日 取り上げた「悲しんでる人たちは幸いだ」ってこっちがこれペンセオーというん だけども、他人の苦しみや他人の悲惨に対して 悲しむというときに使う。
あるいは亡くなった人を悼むっていう時に悲しむっていうときに使うのが、この ペンセオーと言う言葉だというふうに解説書には載ってました。

だから まあ 言うならば 「悲しんでいる人たちは幸いだ」という 状態を示すと同時に、「誰かのために悲しむ人たちは 幸いだ」とはやっぱ読めるんだろうと。 この部分。

自ら悲しむ人々と読んでも 大きな問題はないんだろうと私は思うんですね。

悲しみの中に置かれた人の悲しみを涙が 出るほど学び、涙が出るように悲しむ。
そう いう人、「悲しむ人」は幸いだ。それは慰めとなるんだ。 それが平和だ。
イエスキリストは悲しむ人だった。

イザヤ書という旧約聖書の預言の書に書かれた 救い主のイメージはまさに 「悲しみの人」と表現されている。 イザヤ53章の救い主の姿。

「だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、 誰にあらわれたか。 彼は主の前に若木のように、乾いた土から 出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、 威厳もなく、われわれの慕うべき 美しさもない。
彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病 を知っていた。 」


出てくるでしょ。 救い主、彼、彼。彼はそのいずれ現れる彼はどんな人か?

それは侮られ、人に捨てられ、悲しみの人で 病を知っていた。じゃ、この悲しみは、病って いうのは どこから来るのかっての、その次なんですね イザヤ書53章の4節以下にこう書いてある。



「 まことに彼は我々の病を負い、我々の悲しみ を担った。しかるに我々は思った。彼はうたれ、神に叩かれ苦しめられたのだ。しかし彼は我々の 咎のために傷つけられ、我々の不義のために砕かれたのだ。彼は自ら 懲らしめを受けて、我々に平安を与え、そのうたれた傷によって、われわれは癒された。 彼が負った病、彼が負った悲しみは誰の悲しみだったか。それは彼は我々の病を負い 我々の悲しみを担った。 」


そのうたれた傷によって、われわれは癒された。 慰められる。

「他者の悲しみを担うものが、救いを来たらせる」ということを 旧約の予言は言ってるわけですね。イエス様は 泣くどころじゃなかった。本当に出会った 人と本気で生きて、そして 十字架の死に至るまで徹底的に共に 生きようとした。そして最後は自ら十字架にかけられ殺されて行く。そこに救いと平和が あるというふうに聖書は書いている。

僕らはそこまでできないかもしれない。
でも100回に1回ぐらい泣いていいん じゃないか。1000回に1回ぐらい泣くほど 学んでいいんじゃないか。

あの レモン食べてるおっさん見ながら つばがゴクンとなったように、それぐらい 敏感に我々はつながっていっていいんじゃないか。
それが慰めをもたらすものなのではないか。

悲しんでいる人と悲しむ人を「慰め」という橋 で結んでいく。
今この作業が私たちには必要なんではない か。

多くの人は自分の悲しみ ルペオーで精一杯だ。 自分の痛みや悲しみを担うだけで精いっぱい だと思っている。しかしそれではいけない。 10回に1回、100回に1回、千回に1回で いいから、あの平良先生が言うように涙が出るほど学んでほしい。 その悲しみに涙が出るほど学びたい。その 悲しみを自分のその根っこにある魂、心の 傷として残したい。 悲しんでいる人々を悲しむ人々とのその慰めという橋をどう結ぶか、今の世界はそれ が問われているように思います。

壊れかけたこの世界を、もう一度 慰めるためには何が必要なのか、私たちは 今日考えたいと思います。
お祈りを致します。



主なる神様 私たちは泣かなくなってしまいました。 悲しくないからです。 自分のことはあれだけ悲しく、自分のことは あれだけしんどいのに、人の悲しみや苦しみ その痛みというものをテレビの画面の眺めながら傍観している。 そんな私たちの日々があります。しかし

「それではダメだよ。 悲しんでいる人たちが幸いであり、慰め られるように、 その悲しみに寄り添い、自らのものとする、 すなわち悲しむ者たちも幸いだ。 慰めとなる。 」

私たちが、もう一度世界が一つの身体となって いくことができますように。
「お前はいらない 」「そのようなことは言えない」 パウロはそう 書いています。

どうか私たち一人ひとりが 体のつながりを持つひとつの体であると、
世界が一つの体であるということを思い つつ、
一部の肢体が悩めば、他の肢体も共に悩む。
このリアリティを手に入れることができますようにお願いいたします。

すべてを あなたにお委ねし、主イエスキリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン


2022/07/12

宮崎駿監督 『未来少年コナン』

この時代、未来少年コナンを一緒に観たいです。
Youtube全話無料公開しています。
シュナの旅とナウシカをラピュタでまとめて3で割って、カリオストロの城テイストにした宮崎駿の最高傑作のひとつだと思います。

未来少年コナン
第1話
https://youtu.be/FZIkUeun2tk

第2話
https://youtu.be/WIrCjbyYimo

第3話
https://youtu.be/DKKBtNFYAZc

第4話
https://youtu.be/Rim2C6I1z-A

第5話
https://youtu.be/ElhrFx3PKXA

第6話
https://youtu.be/gAsfaJpR4sg

第7話
https://youtu.be/yqpJ_KKH2Ug

第8話
https://youtu.be/AkhGxFuqH-s

第9話
https://youtu.be/rgsSN09lZKc

第10話
https://www.youtube.com/watch?v=vtW-HbUWyQI&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=10


第11話
https://www.youtube.com/watch?v=rdesQiuj0YU&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=11


第12話
https://www.youtube.com/watch?v=brG9WkiMbQQ&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=12


第13話
https://www.youtube.com/watch?v=iHkwySz5GE8&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=13


第14話
https://www.youtube.com/watch?v=KSoJnnFgYZU&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=14

第15話
https://www.youtube.com/watch?v=Wle51_eWjS0&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=15

第16話
https://www.youtube.com/watch?v=9Im_UbeQcAM&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=16


第17話
https://www.youtube.com/watch?v=7UU4hilnHFQ&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=17

第18話
https://www.youtube.com/watch?v=Baya5WStUlU&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=18

第19話
https://www.youtube.com/watch?v=jyDjkNuPT_A&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=19

第20話
https://www.youtube.com/watch?v=fe_vXZE6iVg&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=20

第21話
https://www.youtube.com/watch?v=5E2Iy7qZLp0&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=22


第22話
https://www.youtube.com/watch?v=PV8aHrPAAsE&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=23

第23話
https://www.youtube.com/watch?v=uSHML-omQgE&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=24

第24話
https://www.youtube.com/watch?v=a_l3Vwv9unQ&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=25

第25話
https://www.youtube.com/watch?v=JvM3nuNISr0&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=26


第26話
https://www.youtube.com/watch?v=m7yDUVjSFrw&list=PLWQnQ7ExoMIWlpRNyRzAS6qJBDMr1RAwn&index=27

地球環境
戦争と平和
愛と赦し。
子どもたちは未来であり光だということ。

コナンとラナに会えてよかったです。
2022/07/10

テレビを消して。

【記事】
安倍元首相の銃撃事件にショックを受けているあなたに 「誰もが心に傷を受ける可能性があると知って」
安倍晋三元首相の銃撃事件にショックを受けている人は多いでしょう。報道を見て不安や恐怖が強くなったり、日常生活がままならなくなったりしたら、どう対処したらいいのでしょうか? 子どものこころ専門医に聞きました。
(Buzzfeed japan 岩永直子さん取材)

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/shinzo-abe-mental-care


ニュースがテロ一色で、ここからどこに人々を連れていこうとしているのかを考えると暗澹たる気持ちになります。

2月24日のロシアのウクライナ侵攻、そして今回の白昼テロ。
こどもたちにテレビを見せることも、大人たちが見続けることも、ほんとうに止めておいたほうがいいと感じます。




2001年の9.11の米国同時多発テロ事件から一ヶ月たったころにテレビを家から撤去する決断をしました。大学一年生で一人暮らしだったからできたことでした。

あれから20年余。
店や病院でたまにテレビを見ると、見たくなくても目と意識を持っていかれることに驚きます。

映像の刺激ってすごい。
それも繰り返して…。
肝心なことは報道されない中で。
人間の感覚は慣れから麻痺させられるものですが、テレビはその最たるものの一つだと感じます。

どんな立場の人も、この事件とこの事件をめぐり揺さ振られています。

私自身、考えたくないのに考え続けてしまいます。長年、本当にあの首相の取った政治家としての愚かさに怒り、無力感に悶え、苦しめられてきた自分の歴史があるからです。

それは、このブログを書いたものを読み返しても感じます。
事件当日の夕方、整形外科のテレビで見てしまった心肺停止状態の彼の姿。その場の惨状。
一度だけだったのに、脳裏に焼き付いて離れません。これをずっとみんな見ているんですか??



メディアの在り方に、傷ついている。加害者の卒業アルバムに書かれた将来の夢についての記述。尋常じゃないスピードで彼の身辺から彼の同級生の誰かから卒業アルバムを買い上げたメディアのやりようはクレイジーです。


どの事件もそうだけど、どうして、そこまで実況中継する必要があるのでしょう。
殺人現場や悲惨な事件、戦争の実況中継。そこまで克明に報じる意味がわからない。いや、きっとそこにいる人が分からなくても、そこに突き進んでいってしまう、そういう人間社会の在り様があるのだと思います。

ひとりひとりには分からなくても、大きく心を揺さ振られて、でもそこで本当に起きていることを見据えないととても危険。
悲惨な事件の後に、類似した事件が誘発され起きていることもメディアの責任は重いです。

一人ひとりの人間としての当然の気持ち、怒りや悲しみや、そうした気持ちがからめとられていってしまうことを、ウクライナ侵攻でも改めて感じてきました。いま、元首相が凶弾に倒れたことで、ヤスクニ、みたいになりはしないか心配です。
「家族を守りたい」が侵略戦争になっていった歴史を踏襲しはしないでしょうか。


日本のメディアが民主党政権時にどれだけアンチな報道を常態化したか、私は覚えています。
原発再稼働に反対するひとたちや、有事法制に反対する人たちが万単位で国会を囲んでも、なんら報道しなかったことを覚えています。
殺された元首相がしてきた汚職について、きちんと報道できるメディアはいますか?
「ご遺体」と変な丁寧語を使うのは本当に戦争の道への回帰じゃないですか?

流れてくる映像に侵食されてしまわないように、心しての注意が必要だと思います。

続きを読む

2022/04/25

タテタカコ「祈りの肖像」


「祈りの肖像」  歌:作詞:作曲:タテタカコ


消された名前が足下に 転がり無数の川になる
霧雨繋いで星空に 齢を重ねて花になる

「いくら待っても帰ってこないよ」
「いくら待っても戻らない」

生まれた意味など聞かないで 耳を閉ざし闇に伏す
裸足の足踏み遠ざかり 夜明け待たず闇に散る

「いつになったら帰ってくるの」
「いつになっても戻らない」

風よ叫べ その戦火が絶えるまで
鳥よ運べ その地が見えるまで
花よ誇れ その身を燃やせ
人よ歌え その声届くまで

雨よ踊れ 乾き満たし 流れ続け 続け 続け
人よ歌え 生まれ変わる歌を 歌を

風よ叫べ 人よ歌え

風よ叫べ その戦火が絶えるまで
鳥よ運べ その地が見えるまで
花よ誇れ その身を燃やせ
人よ歌え その声届くまで


【音源URL】
https://tatetakako.bandcamp.com/track/live-the-five-morioka
2022/04/25

絵本 『すべては神様が創られた』

北九州市の東八幡キリスト教会の牧師である奥田知志先生が戦争が始まってから緊急で絵本を作られました。
絵は黒田征太郎さんです。
売り上げはすべて戦争難民の支援に寄付されます。(ウクライナに限らない)
Amazonなどでは寄付金が100円ほどにしかならず、激減してしまうので
NPO抱樸‐ほうぼくオンラインストアからの購入がよさそうです。
https://npovol.stores.jp/items/62454fda2b2d3d76d8c18a09

クレヨンハウスの通販サイトでも買うことが出来ます。https://www.crayonhouse.co.jp/shop/g/g9784909317285/

すべては神様が創られた



「すべては神様が創られた」



すべては

神様(かみさま)が創(つく)られた

神様が創られた。

すべては

神様によって生まれたのだ。



すべてのいのちに、

すべてのものに、

神様の思いがこめられている。



口は、

宣戦布告のためではなく、

誰かを蔑(さげす)むためでもなく、

「愛」のことばを語るため、

「あなたを赦します」

「ごめんなさい」と言うために創られた。



手は、

武器を持つためではなく、

奪うためでもなく、

誰かを抱きしめるため、

支え合うために創られた。



目は、

無残な死体を見るためはではなく、

声を失った

子どもの顔を見るためでもなく、

笑顔を見るために、

感動の涙を流すために創られた。



耳は、

人々の慟哭(どうこく)や叫びを聴くためではなく、

母たちの嘆きを聴くためでもなく、

小川のせせらぎ聴くために、

歌声を、こころの声を

聴くために創られた。



鼻は、

火薬の臭いを嗅ぐためではなく、

破壊された街の焦げた臭いを嗅ぐためでもなく、

森の吐息や花のかおりを感じるために、

焼き立てのパンのこうばしさに

お腹を鳴らすために創られた。



道は、

戦車の隊列のためではなく、

難民がさまよい歩くためでもなく、

人が人と出会い、

手と手をつなぎ

散歩を楽しむために創られた。



空は、

戦闘機が飛ぶためではなく、

ミサイルを他国に送りつけるためでもなく、

「ピースピース」と鳥は歌い羽ばたくため、

星々が夜空にきらめくために創られた。



海は、

戦艦を浮かべるためではなく、

領海を争うためでもなく、

生命の源(みなもと)として、

別れた大陸を結びつけるために創られた。



そして、人は……。

人はなんのために創られたのか。



人は、

愛し合うために創られた。

助け合うために創られたのだ。

ただ、そのために人は創造された。

だから神様は

人を極めて弱く創られた。



ひとりでは

生きてはいけないように創られた。

だから人は他者を求める。

ともに生きるために出会う。

それが人なのだ。



なのに、人は

殺し合う。

相手を認めず、

支配しようとする。

時に脅し、時に力づくで。



それは人が

人であることを

否定すること。

神様は、

そんなことのために

人を創られたのではない。



勝手なまねをしてはいけない。

人は人として、

創られたまま生きるしかない。

それが人らしい生き方だし、

しあわせな在り方なのだ。



明日(あした)は、

なんのために創られたのか。

今日がどんなにつらくても

夜明けを信じて生きられる、

そのため明日は創られた。



夢は、

何のために創られたのか。

人は悪夢にうなされる。

つらい現実がそうさせる。

しかし、まだ見ぬ明日は存在する。

過去の悪夢ではなく、

未来を夢見るため、

神様は夢を創ってくださった。



国は……。

国は、何のために創られたのか。

人間のエゴを具現化するための道具なら、

いっそ国など無いほうがいい。

しかし、国が

人のいのちを守るため、

ただそれだけのために存在するのなら、

国は神の恵みとなる。



自分の国が大事だという人は

他の国を尊重できる。

それが

国と国とが存続するための

最低限のルールだ。

「自国第一主義」は、

神の創造の意に反する。



世界は今、

闇の中にある。

日々、闇は

深まっている。



しかし、闇もまた

神の創造であるのなら、

私たちはこの闇のただ中で

光を見出すことが出来るのだ。



「光は闇の中に輝く」。

闇は光には勝てない。

闇は光を際立たせる脇役に過ぎないからだ。

闇が私たちに光を希求(ききゅう)させるなら、

あえて闇を見つめよう。

目をそらさず、この闇を。



神が創られた人々は、

今、気づき始めている。

そう、自分は何のために創られたのかを。



この口は、

この手は、

この耳は、

この目は、

この鼻は、

この道は、

この空は、

この海は、

何のために創られたのか。

闇の中で世界は

その答えを見出しつつある。



剣(つるぎ)をおさめよ。

剣をとるものは

剣にて滅びる。

おさめた剣を鋤(すき)に打ち換えよう。

今が、その時なのだ。

そうだ、今が

新しい世界のはじまりなのだ。



あきらめてはいけない。

顔を上げて歩みだそう。

ほら、

青空が見える。





出典:note https://note.com/tomoshiokuda/n/n84c42c14c397

あとがき https://www.higashiyahata.info/topics/essay/peace/5034
2022/04/25

イギリス労働組合UNISON全国運営委員会によるウクライナに関する声明

イギリスの労組UNISON(公共サービス労働者の組合で、イギリス最大の労組(組合員130万人)。
)によるウクライナ戦争に関する声明を三春充希さんがTwitter紹介したものを、Vergil2010 さんが訳したものです。
出典:https://vergil.hateblo.jp/entry/2022/03/21/114158
胸を打ったので転載させて頂きます。

ウクライナに関するUNISON全国運営委員会の声明


我々はロシアのウクライナ侵略に反対し、これを非難する。
我々は、即時の停戦と、ウクライナから全ロシア軍が直ちに撤退することを要求する。

ウクライナでの戦争は極めて危険な展開を見せている。

この状況には、やがてこれが広がり、エスカレートし、他の国々をも拡大しつつある国際紛争に引き込むかもしれないという危険が潜んでいる。

労働者階級は、ロシアとウクライナのどちらにおいても、戦争から得られるものは何もなく、一方で最大の代価を支払わされることになるだろう。

我々は特に、これが核戦争へとエスカレートする危険性、そしてそれが人類の生存への脅威となりかねないことを懸念する。
我々は、すべての核兵器の使用と保有に対する反対を改めて表明する。

状況は悲惨ではあるが、我々は国境を越えた労働者の団結を支援する。
ウクライナとロシアの労働者たちの利害は共通しているからだ。

我々は、警察による弾圧があるにもかかわらず侵略に抗議したロシアの人々と連帯する。
我々は、ロシア軍兵士たちをも含めた、大規模な反戦運動の構築を支持する。

我々は、ウクライナの労働者たちがゼレンスキー政権から独立して行動し、独自の組織を構築し、独立した行動をとることを支持する。
これには、侵略ロシア軍の一般兵士たちとの対話と連携を構築する試みが含まれるべきである。

我々は、戦争を利用して国家間および民族間の緊張を更に引き起こすことによって彼ら自身の組織と活動を強化しようとする極右やファシスト集団を非難する。そうした者たちはこの紛争のどちらの側にもいる。

我々は、この最悪の状況下で人道的奉仕を続けているウクライナの公共サービス労働者たちに連帯の思いを送る。
また我々は、適切な場合には関連する労働組合を通じたものを含め、可能な限り彼らへの支援を構築し実際的な連帯を送るよう努める。

この戦争は、NATOの中東欧への拡大に触発されたロシア・NATO間の代理紛争でもある。
我々は、NATOの拡大とNATO軍によるこの紛争へのいかなる介入にも反対する。

我々は、経済制裁が労働者たちに過大な打撃を与え、またこれが西側による攻撃的措置と見なされてプーチンへの支持を強化しかねないことを指摘する。

我々は、この件でもその他の問題でも、ジョンソン政権を信用も信頼もしていない。
彼らは2年以上にわたり、パンデミックへの意図的な誤った対応を通じて、人命にまったく無頓着であることを示してきた。その結果、英国では15万人以上の命が失われた。

我々は、英国政府がロシアにおける抗議活動への国家による弾圧を批判する一方で、「警察・犯罪・判決」法案によって、英国における抗議活動と民主主義に対して権威主義的制約を課そうとしている偽善を指摘する。

我々は、戦争を逃れて英国に入国しようとする難民たちの権利に対する、英国政府の不名誉な人種差別的制限に反対する。この紛争や他の紛争から逃れてくる難民は歓迎されるべきである。
我々はまた、いくつかの国境において、黒人がウクライナからの出国を妨げられている光景に恐怖を感じている。
人種差別は我々を分断し戦争への反対を弱めるだけであり、このことは「国籍・国境」法案に対する反対がいかに重要であるかを示している。

英国において、我々は労働者がこの危機や新型コロナウイルス感染症などの他の危機の代償を支払わされないよう要求する。労働者は小売物価指数の上昇率を上回る賃上げを受けるべきである。
我々はエネルギー価格の大幅上昇に反対し、ガス会社および電力会社の再国有化を要求する。我々はウクライナやその他の戦争で荒廃した地域から逃れる人々に提供されている避難所を支援する。オリガルヒや超富裕層の富は、労働者階級のコミュニティが必要とする資源を提供するために没収されるべきである。

戦時下においても平時と同様に、我々は、発言し、議論し、討論し、そして抗議する民主的権利を擁護する。
我々は、労働運動内での議論を封じ込め、異なる見解を持つ人々を恫喝したり脅迫しようとするいかなる試みをも非難する。
我々はStop the War CoalitionとCNDを引き続き支援し、組合員たちに対して、彼らの呼びかける反戦抗議行動に参加するよう要請する。

ウクライナとロシア、そして世界中の労働者は共通の利害を持っている。
この恐ろしい状況下においても、我々は労働者の団結と国際主義を支持する。

以上

2022年3月16日

2022/03/10

2022・3・8 International Women's Day 

Realizing the dignity of all women!
We say“No means no!”
We reject violence and war
Creating peace and love!
Oppressors, listen to the voices of the women!



Five selections of songs for you.










A heartfelt thanks to my great seniors and great friends...